はてなキーワード: 浪人とは
(どっちのうんちでSHOW!! Vol.28535)
1353年9月2日
文責:ちんちん
うんち vs うんち
対戦結果:
482948294820948 対 895で見事うんちの勝利
・就活とは、「良質な情報」を利用して「正しく動く」奴が勝つゲームやねんど。
a) 「良質な情報について」
「良質な情報」:内容の正確さ+自身のキャリア価値観の構成に影響を与える
インターンシップ:直接来社してオフィス・社員を見れるので雰囲気が直で知れるので一番会社のことを直で知れる。この雰囲気きっもと思ったらその直感は正解で、受けなければいいんだ。大体こーゆ感じの人とはうまくやてけるが、こーゆーのんはNGって嗅覚があると思うけど、それが一番わかるのは実際インターン行って雰囲気を知ることなんだ。あと他インターン生とのコネクションを作っておくことで就活情報を交換し合えるし、他インターン生のいいところをパクリまくって自分も優秀な人材になろ~とするインセンティブが生まれるンダ
OB訪問:社員の生の声を聴けるので裏表を聞き出すことができる。ただし特に気になる企業については特に複数人に聞いて確証性を上げること。
ちゃんとしたニュース:ニュースから企業の体質・雰囲気を垣間見れることができるっっちゃ
・仕事第一でプライベートで気晴らしをするなんてレベルじゃないほどのハードワーク、プレッシャー
・そーゆーどあほうなことするレベルの倫理観持った奴のあつまり。どんなけ仕事有能で社会的地位が高くても人間としてはどあほ~の集まりどあほオ
・そーゆーことがまかり通ってしまう社内環境/文化→相談できる環境・自浄作用がない、そしてヴォイスアウトは限りなく難しく、またしたとしても黙殺されてしまう雰囲気
まーこんな感じ。
まともな就活セミナー/説明会:セミナー形式になるといーことしか言わんけどまー社員もいるし雰囲気も垣間見れる。ごみみたいなマナー講座とか有料の奴に行くくらいならうんちぶりぶりしてたほうが有意義。ぶりッ貯
教授に聞く:先輩がどんな就活してたのかとかいろいろしってるはず。失敗例も含め聞き、自分ならどう乗り越えることができるか追体験すること
企業のHP(採用用のHPと普通のHP両方):見えない部分はあるにしろウソは載ってないので。もちろんよく映える部分しか載せてないのでそこには注意すること。
キャリアセンター:OB訪問先を知ったりES添削してもらったり面接練習してもらったり。ただし企業を紹介してもらうときはあまりあてにしない。人によって知識や相性にばらつきがあったり、しょーみキャリセン的には就活浪人さえせずに最悪就職さえすればいいだけなので自身の思い描くキャリアに沿った企業を提示してくれるとは限らない。
まともな口コミサイトや就活サイトなどのwebページ(詳細は後述):ごみサイトも多いので注意
・就活に関する情報は玉石混交すぎてぱっぱらぱ~って感じなので、なるべくインターンやOB訪問を重ねるなどして自身の「足」を動かした情報を最優先すること。
・ちなみになんでうんちみたいな情報があふれてるかってゆーと就活で儲けようとしてうんちマンがいっぱいおって、そいつらがインターネットにうんち情報を垂れ流しにしてるので良質な情報にアクセスするのは難易度が高い。「就活」でググってみるといかにパッと見有名でSEOに強いだけのすっかすかの情報がトップに表示されて時間の浪費かがわかる。まーじで小手先の就活マナー(笑)とかどーでもいいっつー乃
・結論:なのでうんちには触れないこと。くさいし
・おすすめサイト:まあまあ良質な情報があったり有意義なサイト
オファーボックス:自己prとか入力したら企業から選考オファーがクルド。企業自体はあんま大手どころはこないけど、ES書く練習になるから絶対利用するべき
外資就活:トップ大学がよく受ける外コン、外銀、日系大手などの企業情報やインターン情報、就活レポートがのってる。この辺常駐してる学生の雰囲気に慣れてついていける人材になれば、日本の企業ならどこでも内定とれるんだ。
Vowkers:社員の口コミサイトの中で比較的まともなとこ。
b) 「正しく動く」ことについて
・自身の思い描くキャリアに合ってるであろう企業に内定をもらうことがゴール。
それを成し遂げるために必要だと感じることだけをすればいい
・もっけー言うけどわけわかんねえビジネスマナー(ノックは2回?3回?はどっちでもいいんじゃしばくぞ)とかほんとに社員が書いてるのかあやc口コミサイトでその会社を推測したりとか、他就活生と比較して悩むとか、そんなことしてたら就活で儲けようとしてるどあほうのいいカモ。人の苦境につけこんで商売しようとしてるどあほうにはうんちを授けよう。(ペタッ
・業界や職業なんて今から決めたり悩む必要は全くない。インターン・選考時はおもろそ!って思ったところに受けまくって範囲を広げまくって、選考中/内定後に絞る作業に移ればいい。免許取る前にどんな車乗ろうかな!?。。って悩むのに時間かけんのってあほらしすぎ(面接時とかES時の業界志望理由とかはそれっぽい事言おう。どーせ企業側に就活生の将来の幅を狭める正当性なんてねえっちゃ。
・いろんな人の人生を追体験して、おもろそうな人生のイメージを膨らませる。本とかウェブインタビュー記事とかあるやろ。それを読んで自分はどのアンテナに反応する人間なのか知る。どんな仕事してる時が人生おもろそうか考える
日本では新卒一斉採用という謎方式がメジャー。まじ会社にとってのメリット謎。しかし凡人にとっては大変ありがたく、専門性が特になくても、新卒カードさえあり、その「会社」が必要としている専門的人材でなく、「社会」全般が必要としてそうな人に成りきれればてーげーの企業にいけるど。勝ち。(もちろん専門的スキルが必要な会社・部門も多々ある)
→「社会が必要としている人材」に思われる/見られるように意識
⇒じゃーそれってどんな人材だよ??
社会が必要としている人材=基礎学力+対人スキル+何かを成し遂げた実績(おれがかんがえたむてきのほ~て~しき)
・基礎学力
あほなやつは取りたくないもん。だからほとんどの企業ではWEBテストとかやってる。対策は容易。
↓
これが本当のSPI3だ!
ってゆー系のspi本3周くらいしたらよゆー。この努力を惜しんで内定ほしいとか言うてるどあほうは、筆記試験通ってないけど路上運転ばっちりやから免許ほpって言ってるどあほう。必要最低条件。
・対人スキル
円滑なコミュニケーションがとれるかどうか。TPOに応じた適切な言葉のキャッチボールがとれるか。
↓
まあこーゆーコミュニケーションとかマナーとかは、インターンとかOB訪問、なんなら本選考の面接を通してどんどん実践してミスして恥をかくことでじわじわうまくなっていくもの。わいは素をぶつけてみようという思いで臨んだ社長面接で落とされて、tシャツビーサンで面接行ったらあかんのか・・!!という大切な気付きを得た。感謝感謝ぐわあ~。とにかく失敗して恥をかいて内省することを繰り返す。
・実績
いかに崇高な入社後のビジョンとイケイケな自己PRとかしてても、でそれにたどり着くために在学中にあなたは何やってきたんすか?ってのを証明するために必要なのは何かしらの実績であったり結果がいる(体験だけではインパクトにかけるから何かしら外部のお墨付きがほしい)。
↓
じぶんでなんとかする。1から100レベルに盛るのはいーけど、0から1はシンプルな虚言癖マンになるので、小さくてもいいから使えそうなネタを集める。自分の好きな事を突き詰めてそれを外部に認めてもらう(表彰とか)だけでいいのさ
・就活とは
何かになりたいという単なる「手段」であって、「目的」であったり「ゴール」ではない。
→どんなことやりたいか?という理想イメージを膨らませまくり、それにたどり着くまでの道程でしかない。
→ただその道程にいろんな”気づき”であったり”出会い”がある。( ̄+ー ̄)
期限はあるものの引き返したりいろんな道をキープして楽しむことができるんだ!たのP!pppppppppppp
・どの軸が自分にとって適切か考えよ~
→ワークライフバランス・収入・働きがい・職種・業務内容・勤務地・潰しが効くかどうか・・・などいろんな軸があるので自己実現するために近そうなそれらの最大公約数となる企業からばしばし受けていく。べつにイチブジョジョーしてるからとか、ホワイティ~な会社っぽそうだからといって自分にとってよさげなんかとはなんら関係ない。世間のバイアスを一切排除し、自己実現するために使えそうで快適なハコ(会社)を見つけてそこに居座るための作業くらいのイメージ。ちなみにわおいは「おもろそうなとこ」っていう軸だけで就活してたら選択肢が3個くらいしかなかったんご
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あとがき1
みんなも頑張ってな!!
あとがき2
ここに書いてることが使えるかどうか、自分のドタマでかんがえよ〜。使えそうなとこだけ切り取って、違うよなあっとことはボコボコに叩いて議論すればいいじゃん?
私と似ている人だと思ったので一言。
普通の公立高校で、数学はテストで30点台以上取ったことがなく(最低点は9点だった)、数学の授業で席順に当てられるときに飛ばされるような生徒でしたが、浪人したけど京大に行き、無事に卒業しましたよ。
自慢したいとかじゃなくて、人は化けることがあるし、それは自分でも全く予想できないということを言いたかったのです。
「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。1+1=2程度の馬鹿らしいほどの基礎から、「分かること」を順番に、徹底的に積み上げて貴方自身の数学理解という建物を築いてください。
私の場合、受験に間に合わなくてもいいと諦めていました。私は進学の手段でなく、ただ数学が分かりたかった。他の生徒に追いつけなくても仕方ない、他の人が10分で出来ることに1日かかっても仕方ないと諦めながら、ひたすら教科書を自分で完全に再現できることだけを目指しました。
好きこそものの上手なれということばがあります。 先生から見放され、授業に追いつくこともテストの成績も諦めて、自分勝手に算数と数学をただ延々と復習するのは、苦しかったけれど楽しかった。結局依然として数学は(数学も、かな)苦手ですが、それでも数学ぽいものを読み、考えるのは好きになりました。それは意外と生きる上で役立っています。実利面だけでなく。
それで今年の敗因など色々親と話し合って通信制大学に行けば良いじゃんと親に言われたのだが、理解していても納得できないのだ。
私自身何故大学行きたいかというと興味のある分野の勉強がしたいのと1人で生きて行くための賃金が稼げるであろう大卒という資格が欲しいのと頑張ったという成功体験で自信をつけたいからだ。
それで私は通信制の学部に入学しても頑張らなかった人なんだというレッテルを一生貼られ自分でも背負って生きていくのは辛いし嫌。
だって入学試験は無しで作文と書類と入学金だけで入学出来るようになってる。同じ大学の1部の学部に通う学生からも世間からもあー勉強頑張れなかった人なんだねと一生思われる。もう嫌だ。何回も逃げ出したくなる。
2018年の新卒だった。50社ほど就活を行ったけれど、結局自分はどこにも就職できず卒業をしてしまうようだ。
未だにキャリアセンターや大学に出入りする業者が主催する学内イベントに通ってはいるが、どの求人ももちろんのこと魅力的ではなく
IT派遣と派遣を上手く言い換えたような企業ばかりが残っているし、正直就活に疲れてしまった。
自分は確かに人より浪人をしてしまい空白期間が長く書類の段階で出にくいし、喋りが完全にコミュ障の不審者である。
業者の人(新卒コンサルの人)が言うには、ここで内定を手に入れないと既卒として厳しい戦いになる、第二新卒ならまだチャンスがあるという。
プロが言うならそうなんだろうけれど、自分の興味がもてないようなIT派遣に意味があるのだろうか、そしてもし半年でやめてもチャンスはあるのだろうかと
人より遅く大学に入った時に、こういうことになるのは予想していたけれど現実を直視してしまうとやはり消えたくなるな。
俺はどうしたら良いのだろう。
追記:
エントリーできないのは他にも不安があり、ネットや周りで派遣SE・技術職で鬱になってしまっている人をよく観るからです。
あとどうしたいのかが書いてなかった。できれば就活は終わらせたい、けれど正直なところ上記のような不安もあるし、
休みが少ないのも正直なところ嫌である。その為、バイトをしながら不利でも良いからもう1年ぐらい頑張りたいと思っている。
けれど正直こういう生活はバテるたちであるということも、人生そんなに甘くないということも嫌なぐらい知ってるんだけれど。
追々記:
起きたら色々意見がついており、こんな駄文をみていただいたみたいでありがとうございます。
自分はかなり使えない人物であるという自負がすごくあり、確かに職業人生に絶望しているのかもしれません。
エージェント系のところに行きましたが、同じようなことを言われ同じような求人を出されました。
アドバイザーの人はとりあえず数を受けろと言ってきます。それが上手いこと身体が動かなくなってしまいできそうにありません。
とりあえずエージェントから紹介してもらった面接を受けながら、無理な場合もあるためアルバイトとして働く算段をたててきます。
月並みな理由だが、オープンキャンパスに行った時にその学風に惹かれた為だった。
毎年数人京大合格者を輩出する中高一貫校に通っていたし、上位の成績だったため、
挫折を知ったのは中3の時だった。
数学の授業(確か三角関数だったように思う)で、みんながスラスラと解いてみせる問題を、私は解くことができなかった。
何度説明されても今ひとつ飲み込めず、理解するのに時間を要した。
テスト勉強に於いて初めての失敗だった。その時のテストはいつもより20点近く低かった。
高1になって数学は数ⅡBに入って難しくなり、勉強時間の7,8割近くを数学が占めるようになった。
高1の数学の先生はとてもフレンドリーで、何度も説明を求める私に優しく砕けた口調で教えてくださった。
その先生と、割いた時間のお陰で中3の時に比べて成績は安定していたが、周りに比べると瞬発的な理解力やセンスが足りていないのは明らかだった。
そして、得意な英語や国語の勉強に割く時間が減ってしまったために成績が落ち、自習室利用のためにも塾に通うことを選んだ。
私よりも頭がいい人なんてごまんといた。同級生に。県内に。こんなに近くに。
私はまさに井の中の蛙だった。
結局、塾の数学のテストの成績ランキングに私の名前が載ることは1度もなかった。
偶然見つけた某私大の学部に興味を惹かれたこと、得意だった英語・国語を深く学びたいからだというのもあったが、
京都大学以外の国公立大学に全くと言っていいほど興味が持てなかった。
私たちの次年度から大学の入試制度改革が行われること、私の性格的に浪人が向いていないことが主な理由だった。
国公立至上主義の我が校では国公立を選択した者だけ進路選択と同時に志望校の提出・面談を行うことが課せられていた。
数学の先生に提出した課題ノートが返却され、余白にいろいろなメッセージが書いてあった。
3教科受験だからと言って楽な訳じゃないとか、今回のテストもケアレスミスしてたよとかお小言めいた言葉もあったけれど、どこか温かいものだった。
結びに、「数学楽しかったね、大好きだったね。1年間ありがとう」と書いてあった。
それを見て涙が止まらなかった。
私は数学が好きだった。
大好きだったのだ。
何度もなんども苦しめられて、意味がわからなくて苛立って泣いた日もあったけど、数学が好きだった。
だけど、どんなに好きでも圧倒的なセンスを持つ天才には敵わなかったし、
かなり時間をかけて取り組んだ模試の数学の偏差値が、殆ど対策をしていない英語の偏差値を超えることもなかった。
敵わないし、足りないのだと気づいてしまった。
と冗談交じりに友人に言われるたびに、泣き出したい気持ちでいっぱいになる。
後悔していないと断言すると嘘になる。
なにはともあれ、もう私は前に進むしかない。
高校時代、彼はいわゆるスクールカースト上位のキラキラ男子で、私はブスで厭世家でスクールカースト規格外のやべーやつだった。(今と比べたら)ある程度の自信を持っていたから、あまり悩まず(今と比べたら、であって当時はだいぶ悩んでいるつもりだった)生きられたけど、今考えると本当にやばかった。高校卒業して4年近く経つけれど、未だに半分くらい記憶がなくて、たまにフラッシュバックしてとてつもない羞恥心に苛まれることがある。
今考えると、自分が高校に馴染めないことを理解していて、どうにかして他人に存在を認めてもらいたくて奇行に走っていたのだと思う。学校でペ〇ローションをぶちまけたり、男女問わずセクハラしたり、マジョリティに対する暴言を吐いたり。敢えて人が嫌がることをするつもりはなく、理性のリミッターをぶっ壊して脊髄反射でやりたいことだけやって生きていたのだと思う。練習が面倒になって高校の部活は休部したまま卒業したし、授業も出たり出なかったりで適当にこなして、友達もあまり作らなかった。
高校を卒業して、浪人して、大学生になって、留年もして、それなりに社会経験を積んだし、自分のことをそれなりに理解できるようになった。結局のところ他人に興味がなく、人付き合いが著しく苦手だったこと、それ故に自分は異質だと薄々感じていたこと、それを自覚することを恐れていたことがすべての原因だったのだと思う。気付いてしまえばなんだそんなことかと思えるのだが、自分はどの状態で安定なのかを探る8年間はとてもしんどかった。14歳の時に引きこもりと不登校になって、15で諦め、16でリミッターをぶっ壊して18から軌道修正を始めて、もう22歳になってしまった。喪失感もなくはないが、20代前半で気付いてよかった、就活に入る前に気付けてよかったという安堵の気持ちの方が強い。普通の人はもうこの段階をこなしているのかと思うと本当に尊敬できる。
後輩がうちのサークルにいることは3ヶ月くらい前に知ったから私は心の準備ができていたけど、後輩はめちゃくちゃびっくりしたらしく、開口一番「え、まじで〇〇さんですか?え、同姓同名とかじゃなくて?」と言われた。二言目は「変わりましたね」だった。
そりゃそうだろう。眼鏡をコンタクトにしたし、化粧だって覚えたし、ちゃんと自分の体型に合う服を着るようになった。適度な露出も必要なことを知った。それなりの処世術も、飲み会のノリもコールも身につけた。異性に舐められない接し方も知っている。自分の精神状態すら把握できなかったあの頃とは違うに決まっている。
今まで培ったスキルを駆使してテンションを無理矢理上げて、嫌いな飲み会のノリで飲んで飲まされているところにそれだ。
駄目押しは「でも芯は変わってないですよね。」
泣くわ。
その日はあまり話せなかったので後日改めてご飯を食べたのだが、後輩自体はとても良い子で、ぶっ飛んでいた高校時代の私のことを理解できないなりに気に入っていたらしい。ほとんど話したことがなかったから知らなかった。また、自分と真逆のタイプの人間と話すことで自分を見つめ直せた。自信がない理由も分かったし、人に嫌われやすい理由も分かった。
最近は割と自分に素直に生きられていると思う。必要以上に他人との関わりを持たないし、昔よりは好きな服を着られているし、鏡を見るのが憂鬱でないし、普通であろうとするために頑張らなくて済んでいる。自分を抑圧していないから変な反発もなく、少し変わった人だと思われている。それでいい。
人が好きではないけど、わざわざ嫌われることをしなくてもいいし、好かれる努力もしなくていい。進んで自己開示はしない。嫌いなことに気を遣ってストレスを溜めない。それでいいんじゃないかな。
はあちゅうのツイッター見たらいまだに童貞をイジってて笑った。
ま、これ以上あいつに言及するのは炎上商法に加担することになるのでやめる。
でこの時期というのもあって、ふと気付いたのだが童貞と浪人生って似てるんじゃないか?
「ストレート入学=20歳までに童卒」として「一年浪人=童貞歴に+3歳」ぐらいで加算してくと丁度いい。
多くの人が身の丈にあった目標設定をして、それ相応の努力を重ねてストレート入学する。
でも色んな人に話を聞いてみると一浪(童貞でいうと21~23歳)ぐらいなら全然居る。
二浪(童貞でいうと24~26歳)になると数は減るもののまあ居るレベル。
三浪(童貞でいうと27~29歳)になってくると、そろそろヤバめって感じがジンワリ出てくる。
この辺りを突破して更に年数を重ねると周囲の風当たりがグッと強くなってくる。
「理想高い」「周りは皆もう社会人」「家族の身にもなれ」「逃げてるだけ」と突っつかれる。
・努力が足りてない
・身の程知らず、目標設定が無茶過ぎ
・そもそも圧倒的に向いてない、適性がない
で、そんな暗鬱とした奴らを見てイジってるのが一部のストレート入学した連中だ、ってことだね。
「そもそも勉強の仕方が悪いんじゃないの?w」「裏口入学(=ソープ)でよくねw」
「俺のときはさ・・・(以下自慢)」「それだけが人生じゃないよw」とか言ってるわけ。
ストレート入学組にとってはとっくに済ませた出来事なので気付かぬうちに上から目線だ。
いや、上から目線っていうか子供に接するような目線になってしまっているのだと思う。
自転車に乗ろうと練習してる子供とかに接するような感じかな。相手も同年代なのにね。
で、いつまで経ってもできないと見てる側もやっぱりイライラしてくる。
最後は「俺はこれで出来た!出来ないお前がおかしい!」っていう
結局、就職先は完全に勤務地と商材と雇用形態(週休完全二日)で決めたなあ。
条件満たせばよくて、できれば大手(というか事業が安定してるとこ)がいいと思った。
とにかく就活での活動コストをとにかく下げたかった(面接とかテストセンターとか嫌だった)から今の会社にした。
平均的な基本給で見込み残業代が手取りに加算されてるけど、これが良いのか悪いのか。
あれ、私って中高一貫校で一流大学出てるのに給与は平均でよかったの???
ふと銀行のHPで今後の人生にかかる費用をシミュレーションしてから、自分の将来がぜんっっぜん明るくなかった。なんでもっと金もらえるとこ志望しなかったのか。志望さえしてなかった自分に失望。
自分は大学に入る前に浪人してる。目標に向けて頑張る力はその時身につけたと思うけど、いかんせん就職に関しては目標設定自体がうまくいってなかった。
結局は頭も良くなければ要領も悪く、先見性についてもこれまではゼロだった。他人の忠告だって聞かない人間だった。そんで自分で勝手に突っ走ってコケて馬鹿だなー、って思う。
具体的には大手メーカーとかでちゃんとボーナス入ってくるとか、住宅補助あるとこにすればよかったな~と今更ながら思う。
なんだか年収が自分の能力とか価値を反映してるような気がしてつらい。
そんで自分でも馬鹿だと思うけど婚活はじめた。取り立てて魅力もない私に敏腕アドバイザーが放ったのは「男性は女性の年齢だけ見てますよ」の一言。
ここに来て、それか~
初産は28までじゃないと出産の危険性が高まるって保健体育で習ったけど、これは確かに仕方ない。
精神的に未成熟な人間は結婚しても未成熟のままだし、そんな人間は子どもを設けたら大惨事。
だけど結局お金があればなんとかなる面もめちゃくちゃ大きい。
まあ自分がそうやって育てられたから自分もそういう風の価値観持ってる。父が癌で死んだとき、母がたまたま公務員だったから一家は路頭に迷わずに済んだ。
取り立てて子ども欲しいとも思わないけど、とにかく産んでから必要なのは金と体力で、産むなら早ければ早いほうがいい。
まあこうやって精神的に未成熟な人間が子ども作っても悲劇になるだけで、
今実際「価値基準価格ブレブレ取り柄ナシナシマン」の私は悲劇を生きている。
私はできれば子ども産みたくないとさえ思うくらい家族に関しては恨みがある。
端的に言えば父親がモラハラDVだったからなんだけど、それを反面教師にできるほどバイタリティーがなく「無気力」「不信感」に繋がっている。
今恋人いるけど、恋人は経済的にあんま自立してないし将来も兼業主夫を希望してる。
頭が良くて、手料理がおいしくて、大好きだ。できる限り相手を尊重したい。
だけど、将来の家計についてシミュレーションしてみたら、お金って私そんなにこだわらなくていいの?って少し思うようになった。
結婚するまでに自分が納得して結婚できる人と30人くらいは会っとかないといけないなと思う。そんなに会社見ずに就活終えてから後悔するみたいに、結婚だって後悔する。そんな事で大切なを巻き込んだら駄目だ。
きちんと条件と期限を設定して、その中で最適なアウトプットを出すように努力しないといけない。
今度の誕生日で私は24になる。出産適齢年齢を28とすると25くらいで結婚しないとマズい。
1年半は交際したいから、1ヶ月で3人くらい「結婚見込み」の人と会って今年のクリスマスには結婚を前提としたお付き合いができてないと駄目だ。
何もやる気が起きず職を転々としていたが、三十路を迎えてやはり諦め切れず
すると僅かだが、日本学生支援機構、自治体奨学金、大学独自の奨学金を組み合わせて通っている亡者もいるらしいと分かった
やはり諦められなかったので、受験勉強を開始して今年無事受かった
正直、浪人の時代から予備校やもと学校の担任には私立なら受かる学力は十分あるから
親や親戚も含めて良く相談してくれとは言われてた
国立に行けず金持ちじゃないと医者を諦めないといけないと思い込んでる人は是非一度大学に足を運んで相談してみてくれ
ネットとは違いなんで出来ないかではく、どうしたら可能かを説明してくれるから
もちろんデメリットもふくめて
もし、諦めている人は頑張ってくれ
まだ現役合格を諦めきれなく、後期私大の申し込みを行いました。
プライドが高い為周りの友人には話せずこのような形で1度気持ちの整理をつかせたいと思います。乱文になると思いますがお許しください。
中高は私立の一貫校でした
私は小学生の頃塾に通う=携帯電話を持たせてもらえるという安易な発想で中学受験塾に強請って通わせてもらいました
運良く頭はそれほど悪くなかったため、週5日塾に通い多分余裕で今の進学先に合格しました
裏を返せば何もしなければ入学当時のまま
私は完全に後者でした
なんとなく高校生になってから塾の講習へ行き、進路に迷ったりなんだりして結局志望校を固めて本気を出しはじめたのは高3の秋ごろだと思います、今考えると遅すぎる開始ですよね
一応冬には自習室に篭り、過去問を解くという日々でしたが私立専願のくせに私大より簡単なセンターの問題ばかり解いていたり毎日現実から逃げていた気がします
受験をしたことがある方ならわかると思いますが早慶目指しているレベルには足りない結果でした
もちろんここでセンター利用全滅です
滑り止めもダメでした
その後滑り止めの学校も受けた感じはまあ受かるだろうって自分では思ってました
今でも滑り止めに関してはなぜ落ちたのかわかりません
手応えとしては歴史が苦手だった為歴史が足を引っ張った気もしたが1学部は自信があり、2学部はまあ最低点は取れているだろって感じでした
まあの2学部はまだ合否出てないんだけどこの調子だと受かった気がしない
正直これの全落ちは予想外だった
これはちょい歴史でミスったなとは思ったけどそれ以上に国語は常に満点だと思っていたし英語も良い結果だったと思う
先に書いたけど自称進学校の進学先内訳はトップ50人ぐらいは早慶行ってあとはマーチ
就職や専門に行ってる人は5年に1度くらい
でも去年先輩めちゃくちゃ浪人してた
どうしようかな〜いきたくないな〜っていうのか本音
ちょっとでも進学先のこと聞いてきたやつ殴りたくなると思う友達少なくて良かった
とりあえず後期私大まであと1週間、2週間?
それも全滅したら浪人するってさっきようやく口に出せた
プライドだけで上位校受け続けるとほんと後悔しか残らないし毎日泣く羽目になるから後輩たち、もしこの記事を読んだりしたら模試の結果を見て、自分の成績をよく考えて、志望校決めてね
どこまでも面倒だね
良かったらこんなクズな受験生いたなって思い出して応援してください
予想以上に励みになります
支離滅裂な文章になってしまっているので訳が分からないかもしれない。ただただ、僕の状況を思い出しながら書き連ねただけの文章。
まず、僕の状況から説明する。某都道府県のトップレベルの進学校に通っている地方国立大理系志望の受験生。判定はセンターで無事爆死して、出願大の二次試験で満点かそれ以上の点を取ってやっとボーダーに乗るか乗らないかのところ。なお、私立大はMARCHを受験はしたけれど受かっても行けない。親が行かせてくれない。現役ではダメ、と言われたため国立に受からなければ浪人。早慶ならいいと言われたが残念ながらそのレベルには達せなかったため受験をしていない。
こんな所に書き込みなんてしてないで、最後の最後まで諦めるな、って言われても残念ながら、この状況でいけると思えるほど強靱な意思を持ち合わせていない。
どう言っても敗者の言い訳にしかならないから気にせず言うが根本的に高校選びから間違えたと思っている。
親、周囲の「できる限りレベルの高いところに行きなさい」という言葉の言いなりにしかなれなかった自分が悪い。自己分析が不十分で、頭のいいやつがいっぱい集まればその中での序列が更にできる、ということに気づけなかった自分がただ悪い。
僕は一小一中の地元の学校に通って成績でトップに位置していた。先取りをして進める勉強は楽しかった。トップに居れることの快感からだと高校に入学して気づいた。
高校の内容を学習し始めてからは進度が遅くなって中学卒業の時点での進度はぎりぎり高校二年の内容に入るか入らないかくらいだった。先取り学習の進度が実際の学年に追いついてしまった事が少し怖かった。
高校で様々なテキストを渡されて気づいた。常に渡された教材を解き続けることで勉強していた僕は一学年分の教材を渡されてどこから手をつければいいか見当がつかなかった。
今思えば、そんなの最初から片していけばいい、ということくらいすぐに思い至る。でも、当時の自分は通学時間も、周りにいるメンバーも大きく変わった状況で混乱していたのだと思う。
そして、高校にぎりぎり、滑り込みで入学した自分は多分周囲から1歩か2歩出遅れていた。そこで勉強を始められていたら今が違っていたかもしれない。
僕はどうしたらいいか分からなくなって勉強をやめた。やめたと言うよりはしなくなった、が正しいかもしれない。表現はともかく勉強時間はゼロに等しくなった。
勉強時間が無くなった僕と初めから少しリードしていて少しでも勉強時間を確保した同級生。格差なんて一気に広がった。
模試の全国偏差値が初め65あったものが2年の夏には30まで落ちた。校内偏差値なんて気にするものではないと言うけれど、数字があるのなら気にしてしまう。
トップであることが勉強のモチベーションになっていたような人間にこの状態から受験勉強を普通に始められる、と思う方が失礼だがどうかしていると思う。
偏差値が最低を記録した2年の夏頃から鬱の様な症状などの心の方の不調が出た。特に親にも言わず、言えず、病院にも行かなかったから断言はできないが鬱だったと思うし、自律神経もおかしくなっていたと思う。2年の夏休み明けから学年が変わるまでは、大体保健室にいた。
3年に無事進級してからは受験が迫ってきたこともあって荒療治に出た。自分を勉強せざるを得ない状況に置いた。塾の授業の出席状況は親に筒抜けだったし、塾の希望制の特訓に参加したりもした。
はじめの頃は机に向かうだけで吐き気頭痛腹痛のオンパレードだった僕も調子に波がありつつも、休憩を挟みながらも一日机に向かえるようになった。
ちょっとやれば成績は上がる。その通りだった。V字回復とまでは行かなくとも『へ』の字をひっくり返したくらいの傾きで成績は上がった。模試の全国偏差値が55になるくらいまではすぐだった。秋以降になると伸び悩んだがまだモチベーションがあった。
冬になってセンターが終わった。数学で序盤にミスを連発したため数学だけで約80点を落とした。この時点で出願した大学に受かるのは絶望的になった。
僕は、進学と浪人、どちらでも選べるようにしたいと出願大のレベルを下げる事を親に提案した。親は僕の提案を認めて次の日学校で先生に候補の大学を出して貰いなさい、ということを言った。
次の日、先生と面談して幾つか候補の国公立大学を出してもらって親に見せた。そこで、意訳するとこう言われた。
意訳ではある。もしかしたら違うことを意図して言葉を発したのかもしれない。でも、受け取る側の僕はこう受け取った。びっくりした。同時に今年度の試験に対するモチベーションがゼロになった。
昨日と言っていることが違う。訳が分からなくなって僕はその日の話し合いを打ち切りにしてふて寝した。もしかしたらその場で真意を問うて意思疎通を図るべきだったのかもしれない。そうは言っても、センターが思わぬ結果に終わってショックを少なからず受けた受験生がそんなに冷静でいられるか。否である。
自分の事は、他の誰よりも自分が分かる。僕は勉強の事で大きなスランプに陥ったから、そしてまだ完全に回復したわけではなくて状態に波があるから、どちらの選択肢も用意したくて提案をした。僕にだって無駄に高くはあるがプライドのようなものもある。出来ることならできるだけ上位の大学に進みたい。でも、心身の状態がそれを許さないことも起こり得る。最悪の事態にならないためにも避難先を用意したかった。
出願を行ったのも自身であったから勝手に出願先を変えることもできた。しかし、しなかった。できなかったのかもしれない。そんな親の言いなりになっている僕が悪いと言われるのならそうなのであろう。
親は自身の体験から僕に苦労して欲しくないと思って様々な事を言ってくれている。そのことには感謝しているし、言う通りにすれば一般に言われるような幸せが訪れるのかもしれない。
でもその途上で僕の人生が絶たれたら?親が辿った時代と現代は事情が変わっていたりもする。親は親で、僕は僕だ。その先にあるものが万が一にも僕の幸せでなかったら?全てとはいわなくとも多くのモノが無に帰すのではないか。
僕はリスクを減らしたかった。ぎりぎりまで行きそうになったことがあるから分かる。もし、もう一度心が壊れたら多分ダメ。理系だから院にまで進学もするつもりでいる。大学と別の院に進もうと思えばそれもできる。そういう選択肢も教えてもらった。先延ばしにして猶予が欲しかった。自分の体制を整える猶予が。
残念ながらその機会は失われた。僕には、高い確率でもう一年死にそうになりながらやる道しかない。もう腹は括った。やるからには自分が許す限りやってやろう。
書いてみるとこうすれば良かったのではないか、というのが出てくる。でもそれは客観的に見た最善策であって当時の選べる最善策ではなかった。勉強の悩みなんて親に話せるはずもなかった。もし、話せたのなら理解もされただろう。日本語は通じるはずである。しかし、そんな事を許すような親ではないと思っている。僕から見るとそう見える。
他の人から見れば何をやっているんだ、と言われそうだが僕がその時に尽くせるベストを尽くした結果である。
内容が飛躍するが、親への不満、入試の仕組みへの不満、何より自分への不満がとにかくある。
もちろん、親に関しては自分へ金銭、時間の投資をしてくれた事への感謝もある。けれどもいつかは不満を、一覧にしたものを、突きつけたい。突きつけられるようになりたい。自分の意見をきちんと突きつけられるようになりたい。
出る杭は打たれるような所ではあるが打たれてなお出ていよう。自己で決定ができるようになろう。
かなり長い文章になってしまったから、最後まで読んでくれた方はいないかもしれない。もし、ここまで見た方が、この文を読まれたのであるならば感謝を伝えます。ありがとうございます。
偏差値40の高校卒業後、2年間の浪人の末地方公務員の行政職に就くもあまりの頭の悪さに仕事にならず試用期間で退職。
失ったものの大きさをここにきてようやく実感し途方に暮れる。
一念発起して最近職業訓練に通いだした。電気工事士を目指すコースなのだが、手先の不器用さと理解力と飲み込みの遅さを存分に発揮し、電気工事士としての適性のなさを痛感。
皮肉にもOAスキルが平均より高い事が判明し、グループ作業では書類作成に適性を見出した。
相手が何言ってるのか頭に入らないこともあれば、言葉が上手に構成できずわかりやすく伝えられないのとがある。
これは引きニート経験者特有の悩みなのかもしれないが、ワーキングメモリが縮み上がってるんだと思う。
働いて社会に貢献したいという思いと、働くと必要以上に周りに迷惑をかけてしまい結局労働力どころか職場のボトルネックにしかならず、働き続けられる自信が無いという不安が一挙に頭を支配し、どうすればいいのかわからなくなる。
周りがたくさん頑張ってたくさん成長している間に、私は沢山の自責の念と沢山の自己嫌悪で、獲得していたかもしれない自信を喪失し、打たれ弱くなっていってしまったのかもしれない。
受験にことごとく落ちている なんとなくそんな気はしていたけど、受験番号をいれたりして合否をネットで確認するくだりがそろそろ怖くなってきて、毎回動悸がすごいんだ
勉強はしていた していたけど早い時期から頑張れていたわけではなかった やろうとして、自習室にいって、何も頭に入ってこなくて、帰った 朝から夜まで本当に集中できたのなんか冬からだ 明らかに足りなかった わかっていた
指定校の人たちが羨ましいと思うけど、彼らは定期テスト毎に努力をして、いい成績を取ってたからそりゃ報われるべきだよなぁと、当然のことだと思った だって一年の頃からずっと彼らはがんばってたんだ
まあまあいい高校に行って、だからまあまあいい大学にいけると思った アホだから 甘いから そして彼らに加え、一般受験に成功した人たちまでインスタグラムに復帰した
あぁ、そうだよね みんなきっと私より何倍もがんばってたよね
それなのに人気のあるところばっかり受けるからこうだ、こんなザマだ
そんな私も早い段階から塾に通ってた そのお金と あと沢山の受験料…今のところ全部落ちているのに それらのお金が申し訳なかった ママパパごめん。本当に
こんなクズな受験生をいつも優先してくれていた 試験の時のお昼も毎回手作りのお弁当を持たせてくれた 模試の時は何も感じていなかったその優しさも、落ちまくっているいまでは、アルミのおにぎりに油性ペンで描かれたかわいい顔をみるのがつらくてつらくて仕方なかった こんなにつらいんならコンビニで買えばよかった
ほんとはこんな落ちるやつのために早起きしてお弁当なんか作らなくていいよ とか、色々謝りたかったけど、そんなのたぶん言いながら泣くなーと思って、それこそ両親にとってもつらいことだと思ったから、泣かなそうな自信がついたら色々言うんだ
全部私が悪い ちゃんと、もっと勉強しなくてはいけなかった そのときからわかってたはずのこんなかんじの現実は、実際こうして向き合うと本当に苦しい
私は好きなアイドルが一人いて、今までにも何人かいたが、改めて考えてみると彼らはみんな真っ直ぐな努力家だった あ〜〜自分と反対の人を好きになるんだなという気づき
そして最近はそんな推しをみるのまでつらい 正しくがんばってる人を見るのが辛かった 真っ当に生きたいと思った
ほんとは消えて無くなりたかったけど、そうなったときにいちばんつらくなるのは両親で、周りからも腫れ物に触れるみたいに扱われて、娘の自殺という大きな重荷を彼等に背負わせるのって今以上にヤバイと思って まずお金を返したかった 私にかけてくれた、無駄になってしまったお金を そのためにちゃんといいとこに就きたいと思ったけど こんな大学じゃそんなんむりで
親が大学名を聞かれた時に 気まずそうな顔で その名前をいうのを想像するのが耐えられなかった
私もだ バイトとかはじめて、バイト仲間に聞かれるんだ どこ大学?そしてあ〜〜そうなんだ、、みたいな感じで ちょっと内心バカにされるんだ 絶対やだ絶対やだ
浪人できないから、仮面浪人しようと思ったけど 私はできるのか こんな私に
でこんな書いたけどまだ試験が残っている アホみたいな倍率の だからこんなことしてないでまだやらなきゃいけない でもつらすぎて しかも誰にもいえないから書いた ごめん ごめん