はてなキーワード: 浪人とは
高校の同級生はみんないい大学行ってキャンパスライフ満喫してるのに、私はずっと受験勉強…自分がいけないのはわかってるけどしんどかった。
しんどくて夜も眠れないし、涙が止まらないし、先なんて何も見えなくてもう生きていく自信も全くなかった。
だけど、その後3月に発表になるセンター利用(後期)の日東駒専に受かって無事大学に行き卒業し、今はそこそこの会社で働けている。
同僚と仲悪くて鬱になりそうだけど、結婚できなくて毎日泣いてた時もあるんだけど、あの頃に比べたら今は普通の毎日で幸せなのかなとも思う。
今になって思うのは、受験に失敗したらこの世の終わりのように言う同級生や高校の先生達は私にとってよくない存在だったということ。
高校の先生は、私を現役でなんとか大学へ入れようとBF(って今も言うの?)の大学をゴリ押ししてきたけど、今でもあそこで行こうとしなくてよかったなと思ってる。
2015年就活なのでちょっと古い上に俺自身がたいした大学出てないからレベルが低くてすまん。
一応は、第一志望だった人気とされる職種で割と楽しく働いている。
業界によるところが相当大きいが、基本的にはMARCH以下は人間として認められない感じ。
他のトラバが「無名Fランでも世界旅して、ウェブサイト開いて閲覧数10万超えだったら即採用だし」と言っていてその通りなんだが、それはモンスターであって人間ではないし、
逆に、ブラックじゃないとこにそんなに苦労せずに就職できればなんでもいい、くらいなら浪人してまでMARCHより上に行くのはパフォーマンスが悪い気がする。その時間で1年社会人経験積んで転職したほうがキャリアアップできそう。
業界や職種、企業で話は全然変わって来るから、もう少し具体化して聞いた方がいいと思うよ。
学歴偏重ではあるけど、単に頭よければ頭いいほどいいってことじゃなくて、どういうルートをたどったか、が重要なんだと思う。
俺が受験生に戻れるなら、志望業界にOBが多い学部に入ってバイト紹介してもらってもぐりこみたい。教授の人脈も重要。
実際一緒に働いてると、MARCH下位あたりから能力の差が歴然としてくる。仕事の能力と言うよりキャパシティの差かなあ。やっぱり旧帝の人とかは脳みその容量が全然違う。
受験勉強ちゃんとやってりゃ鍛えられたのかもしれんなーと思う。受験を頑張った方がいいと思うのは、就活のことよりこっちが理由だな。
あるのは課される試験科目の違いで、大学側が効率的に知識や技術を伝達するために、入学前に最低限持っていて欲しい知識や技術をより多く持っている人を選別しているだけ。文系でもそういうところに行きたいなら、そういう科目の知識・技術を身につければいいだけ。
もし、そのレベルを下げると、これまで入学した人たちが当然持っていた知識から教えないといけなくなるわけで、その分学校に通う時間を増やすか、その分専門的なことを教える時間を減らすかになってしまうのだけれど。浪人して理系に転向するというのがまさに自分で前者をやっているわけでしょ?自分でやってきた人にとってはそれは時間の無駄なのだけれど。
新卒採用で理系学部を指定している会社はその学部を出たら当然身につけているであろう知識や技術を前提として新人研修を行っているから、それを文系にまで広げるともっとコストをかけて研修しないといけなくなるよね。
それがコストをかけるに値するならやるし、値しないならやらないただそれだけ。
もともと、入学した大学には興味が無かった。研究室はもちろん、受けてみたい講義もほとんど無いことは受験する前から分かっていた。
その大学を選んだ理由は受験すれば確実に入れることだけだった。親からは浪人だけは絶対に禁止されていたので、受かる可能性は低い、本当に入りたかった大学にはチャレンジしようとは思わなかった。どう頑張っても、センター試験の結果が足を引っ張ってしまい、二次試験ではかなりの高得点を取る必要があった。そんな実力はその当時の自分には無かった。だから諦めた。
幸い、その大学には編入試験があり、大学生も受け入れてくれる心優しいところだった。高校生の自分はとりあえず別の大学に入学して編入試験で本命の大学に入学できるよう頑張ろうと考えた。
高専出身の人なら分かるだろうが、たいていの大学は三年次から編入することになる。これは編入する前に取得した単位は編入先の単位として認定されるからだ。もちろん、編入先でも開講している講義だけが認定される。一般教養や基礎科目なら十分単位認定されると考えていた。しかし、専門科目になるとそうは言ってられない。何しろ専門が違うのでせっかく取得した単位もほとんど認められない。つまり、編入しても入学した瞬間に留年が決まるということだ。
編入試験を受ける前提で今の大学に入学するという旨を両親に話すとあっさりとOKを貰った。もちろん、もし入学できても合計四年では卒業できないことは伝えている。その当時は、なぜ浪人はダメで編入は良いのか不思議だと思っていた。両親は予備校にカネを払うのが嫌だっただけなのかもしれない、というのが今の自分の仮説だ。理由は後で書く。
原因は分かっていた。アルバイトだ。
今の大学に合格した後、真っ先にアルバイトをした。編入試験や今の大学で使うのに必要なお金を稼ぐためが最初の目的だった。しかし、いざアルバイトをしてみると、高校生のときとは比べ物にならない大金が銀行口座に振り込まれていた。高校生のときに欲しかったものを買い、あっという間に減っていく預貯金。そのために働く。その負のサイクルの繰り返しだった。その間の編入試験の勉強はなおざりだった。結局、編入試験直前になってもアルバイトを辞めず(量は減らしたが)編入試験に臨むこととなった。少し言い訳をするなら、編入試験で出る範囲の半分は二年次の講義内容だったというぐらいか。もちろん、そんなことは入学するときに頭のなかでは分かっていたが。
どうしても、やりきれなく思い、両親に来年も挑戦させてくれと懇願した。両親はあっさりとOKを出した。もし合格しても、やっていることは一浪、一留と同じことだ。この辺から両親の予備校嫌いかもしれないという仮説を立てた。
他大学からの編入には六十単位程度取得する必要がある。そんなもの二年次の前期にはすでに取り終わっている。もう一つはその大学に二年以上在籍したという証明が編入試験を受ける条件だ。
今の大学には在籍しているだけで良い。それだけでもう一度編入試験を受けられる。そう思ってしまった途端、今の大学に対するモチベーションが無くなってしまった。少しは受講している内容に興味を向けようと思っていても全くできなくなってしまった。もともと興味も無い状態で入学したのだから当たり前なのかもしれない。きっと後期の単位のほとんどを落としているだろう。テストを受けているとき、頭の中ではこの解法を使えばいい、と分かっていてもどうしてだか自分のシャープペンシルは動かないのだ。それでも、最初の方は無理やり手を動かして答案を書いていたが、後半になるにつれて全く手が動かなくなってしまった。わかっているのに書けないという気持ちは初めてだった。そのままテスト終了時刻までフリーズしてしまう。専門科目をほとんど落とすことになるので、この大学でも留年は確定しそうだ。
在学証明書やその他諸々の書類が編入試験には必要なので、このまま三年次に上がることになる。
もし、また編入試験に不合格だったらと思うことがある。これ以上編入試験は受けられないだろうと思っている。そうなった時、はたして今の大学に行く意味があるのだろうか。
高校のとき付き合っていた彼氏とは、恋に恋して「オツキアイ」を楽しんでいただけだって、今なら思うけど、真剣だった。
私が受験に失敗して、私だけ浪人したのが歯車の狂い始め。先に大学生活を始める彼と、支え合うとか微塵も思いつかなかった。一年間会わなかった。それでも机に写真置いて、待ち受けにして、我慢して我慢しての最低限のメールで必死に恋してた。
一浪して予備校に行って、志望校が変わった。滑り止めに東京の大学が入った。それが二つ目の歯車。結局また第一志望に落ちて、上京することになった。そこで気持ちがぷつんと切れた。一年間彼を心の支えにしてたはずなのに、遠距離という現実を前に、一年間会わなくても大丈夫ならそんなに好きじゃなくなったんだと思い込んだ。お互いに、納得のいかない別れ方をした。まだ浪人生という中途半端な心のままの私と、もうすぐ大学二年生になる心の彼は、理解し合えていなかった。
東京に出ると、人が多くて、慌ただしくて、華やかで、楽しいことも苦しいこともたくさんあった。それで彼との別れは押し流されていった。でもたまに地元に帰ると、彼から連絡があって、復縁の話も度々出たかど、そんな気になれなかった。いつからか、「帰省するよ」ってSNSで言わないようにして、友だちだけに個別にLINEした。彼の大学の一年目を私のために棒に振らせたとか、私が二回も受験失敗したせいで別れることになったとか、変な負い目で、会いたくないのに直接会ったときは良い顔してしまった。どんどん彼からの連絡が負担になった。
新宿のサザンテラスにあるスペイン料理を、東京で出会った男の人と食べに行こうと二人で歩いていたとき、彼から珍しく電話が入った。男の人とデートするなんてほとんどないことなのに、なんで今?!ってすごくびっくりした。新宿にいるのに地元の元彼から電話がかかってくることが、すごく不自然で、気持ち悪い、おかしなことのように思えた。全く別だと思っていた物語世界が、実はつながっていたような気持ち。歩きながら電話をとると、なんにも緊急の話題はないようだった。なんの話だったか全然覚えていない。私が何を言ったか全然覚えていない。変な罪悪感を感じてすぐに切ったことだけ覚えてる。それで、ご飯食べて、家に帰ったら、元彼は事故に遭っていた。今ならそれが最初の自殺未遂だったと分かる。
自分と電話した後だったことに変な気持ち悪さはあった。でも考えないようにしていた。ある日高校時代の彼の友人で、ほとんど面識のない相手から「付き合ってる彼氏が事故にあったんだから、遠距離でも見舞いに来いよ」という旨の連絡が入った。心底ゾッとして、私は彼と彼の友人のLINEを両方ブロックした。
それからは彼と関わらず、大学生活を過ごして、二年生で人生二人目の彼氏ができて、卒業して、就職して、そして婚約した。
その間も、成人式や同窓会、高校の友人と会うたびに、ちょこちょこと彼の近況が耳に入った。「事故のあと大学に来ていない」「単位が足りなくて留年した」「大学を辞めた」「引きこもり」「バイトをしてる」「入院してる」……。
考えないように、考えないようにしていたけど、ずっと心の奥底に黒いものが積もっていた。
婚約してから仕事を辞めて、結婚までの間たびたび地元に帰ってくるようになった。ある日実家に帰ると、元彼から電話があって母親が話したと聞いた。実家に帰ってくる日を教えたと。その日の夜に彼は実家までやってきた。
彼は全然元気そうだった。気まずかったことにはまったく触れずに、高校のときに戻ったみたいに話した。不思議なくらい、あの頃のままで変わっていないと思った。もう10年近く経つのに。それで、「なんで今地元に帰ってんの?」という質問に、「専業主婦で暇だから」と答えた。「結婚したの?おめでとう」「まだ婚約だけどね、ありがとう」多分こういう会話だった。
その日のうちに彼は首を吊った。でも死ななかった。
そのあとは色んなことがあった。私の両親と元彼の両親が互いに土下座している姿を見た。高校のときに元彼の両親とは面識があった。制服を着たまま彼の家で彼の母が作った晩御飯を食べた。あのときのおじさんとおばさんが、すっかり老けて、痩せて、小さな身体を丸めるように土下座して、私と会えないと息子が死んでしまうと、助けてくれと言った。おばさんは泣いていた。
私は眠れなくなって、婚約者の待つ家にも帰れなくなって、元彼のお見舞いに行くこともできなくて、何が何だか分からないうちに婚約破棄をした。私が望んだことだけど、望んだことじゃない。
それから何年かたって、元彼のことを本当に死んでくれればよかったのにと恨んだこともあった。でももし本当に死んでいたら、私はもう重みに耐えかねて生きていけなかったかもしれない。私の人生の歯車が決定的に狂ったのはいつだったのか、今でも分からない。どこからやり直せばこうならなかったのか、何が正解だったのか。誰が悪いのか。
やっとまた地元から引っ越すことになって、昨日荷物を整理していた。元彼から貰ったものは全て捨てていたけれど、唯一受験の時にもらった学業成就のお守りだけは捨てていなかった。というか元彼からもらったことも忘れていて、単に捨てちゃいけないものとして保管していた。何を思ったのか、ふと魔が差して、お守りの中を開けて、それで元彼からのプレゼントだと思い出した。「頑張れ👍絶対受かる!」という汚い字のメッセージが入っていた。どこで誰が間違えたんだろう。
いつも、世の中の人はいろんなこと考えてるなあ、とか思って眺めてるだけだけど。
勢いで書いてるから変なとこ、あると思うがお許しを。
朝日新聞に恨みがあるわけでもない。
むしろ、もう何十年にもわたって朝日新聞を愛読している読者だ。
それでも、これは指摘しておいた方がいいんじゃないか、と思って書く。
朝日新聞さん、お粗末ですよ、と。
話題にしたいのは、8面の社説、『京大出題ミス 解答を公表し再発防げ』だ。
記事は言う。
大阪大に続いて、京大でも入試の出題ミスが発覚した、追加の合格者を出した、
俺は思ったのだよ。
記事はさ、こう言うわけ。
なんて書かれている。
でさ、俺はここで、そう言えば、なんて気づくわけ。
で、ページをめくるわけ。
38面の社会面。
『訂正しておわびします』。
「資料を読み誤り、北海道内の無届け施設数と、調査に回答した施設数を取り違えました」と。
……。
もうさ、どの口が言ってんだ、とか思うわけですよ。
知らないけどさ、複数人で見ていることは確かじゃない?
それでも、「すり抜けた」んだろうなあ、と思う。
間違いはあると思うよ。人間だし。
だけどさ、「相次ぐ出題ミスを、ほかの大学も他山の石としてほしい」とか社説で書いておきながら、
別の面で「資料を読み誤り~取り違えました。」「訂正しておわびします」はお粗末甚だしいよね。
でもさ、この記事を読みながら、
「ああ、マスコミがマスコミ然としてられる時代じゃないんだろうなあ」と
思わされてしまったよ。
去年もさ、「最低賃金確保をすべき!」と社説で主張してた新聞社、
自社のアルバイトのバイト代が最低賃金に届いてなかった、ていう事例もあったよね。
その言動の不一致、何ですか?みたいな。
だからって、「新聞死ね!」「マスコミ死ね!」なんて言うつもりは毛頭ない。
つまりは俺が言いたいのは、「こういうこともあるから、そんなに偉そうに振る舞うの、もうやめようぜ」て話です。
「我が身を振り返って、謙虚さを持とうぜ」て話です。
最後に。
「外部の人からの指摘には組織として機敏に対応する」って書いてあったな。
この指摘に対して。
精神病が遺伝するってあんまり信じてなかったんだけど、こうも揃ってポシャってるのを見ると遺伝子の影響ってあるのかもしれない。
母方の従兄弟と合わせて4人中2人が大学中退して1人は浪人中一時期引きこもりだった。そして残る自分も遂にポシャってしまった。
4人中4人が何かしらの問題抱えてるってどう考えても異常。父方の従兄弟はみな元気に暮らしてるっぽい。
こんな遺伝子なら自分の代で根絶やしにしたほうがいいかもしれない。
あー、書いていて思ったけど遺伝というより家風(?)のせいはありそう。
父方の家族の一人はフリーターで実家暮らししつつも楽しそうにしてるのに対して母方の家系は就活・受験のタイミングでポシャってる。
自分も「大学キッパリやめてフリーターしよ」とはなかなか踏み切れないしそういう所なんだろう
自分たち兄弟に限って言えば他人から見れば小さいことを凄く気にしてしまうって性格はあるな。
これって完璧主義かな。
あと他人の評価を気にしすぎるって特徴も思ったけど、みんなそれなりに他人の目気にしてるよな。どこまでいけば気にし過ぎてるに入るのかわからん。
確かに俺が私大医学部で親に金払ってもらって東京に住んでるのは事実なわけ
でもそうなったのは俺の親が「医学部に受かるまでは100年でも浪人させる」って言われたからで俺は中堅国立の中堅学部卒で公務員とかやりたかったわけ
だから親に感謝とかしてないしむしろさっさと死ねと思ってるし学費も払われて当然だと思ってる
そりゃ大学行きたくても行かせてくれないとかソマリアに産まれた戦災孤児とかよりよほど恵まれてるのかもしれないよ
だけど俺はこの人生になんの希望もないしめちゃくちゃ苦しんでるわけ
ってのを恵まれた家庭で理解ある親に育てられた彼女にぶちまけたら即刻ふられました
これってやっぱり甘えなんすかね
上智大卒、新人賞受賞作家なのに、あらゆる場面で「戦力外通告」、大人の発達障害のリアルを本人が綴る (1/9) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット) https://dot.asahi.com/aera/2018011800017.html
中学生の頃は無口で頭空っぽの猿、高校の偏差値は45、大学は浪人して偏差値50の所しか受からなかった。
さすがにまずいので、1度も働いたことが無かったが底辺公務員になる。
仕事を何度聞いても理解できず、同じミスばかりで、周りは誰も悪い人はいないのに、勝手に萎縮して孤立して行った。
ただ、こういった発達障害の診断を受けても間違いなくシロになるだろうなあ
受けたって何が変わるでもないし
別れ際に「また一緒にご飯に行きましょう」とか言ってくれるのに向こうからは誘ってくれないのって脈なしなんですかね。
会うたびに言われてるけど、向こうから誘われたのは最初の一回だけであとはみんな私から誘ってる。誘いを断られたことがないだけ有難いとは思ってるけどさ。実は迷惑がられてたりしたら嫌だな。
私「就活するなら忙しくなるよね」
あの人「まぁね。なんで?」
私「いや……」
あの人「まー俺は院行くかもしれないしさ、就活そんなガチらないからご飯とか、まぁ映画くらいなら行けるよ」
そんなこと言われると嬉しくなってしまうじゃないですか。
まあ一応夏ぐらいまでは本当に忙しいだろうし誘うの控えようって思ってるけど、でもまた会ってくれるんだなぁって思って期待が膨らんでしまう。
あの人がバスを降りた後、ふと窓から外を見るとあの人もこっち見てて目が合ったのも嬉しかった。
でもなんか無表情で会釈されてふいっと目線をそらして歩き始めちゃったのは悲しかった。あの人といるとほんの些細なことで気持ちが乱高下してしまって大変。
なんか会うんじゃなくてもLINEとか電話で連絡が取れたりしたらいいんだけどな。でも会う日程決めのときくらいしかLINEしないし文面もかなり素っ気ない。
男の人はLINEとかメールとかあんまり好きじゃない人多いっていうのは知ってるし、私自身そんなに雑談LINEとかしなくて要件があるときしか連絡しないタイプだからそれ自体は別にいいんだけど、でも高校時代は結構凝った文面で送ってくれてたからそれ思い出すと寂しくなっちゃう。
もともと連絡不精な人が素っ気ないのは全然気にしないけど、他の子とは(昔私としてたみたいに)色々やりとりしてて私にだけ素っ気ないんだったら悲しいな。
そういえばその前回会った日は一緒に博物館に行ったんだけど、ペア用の音声ガイド借りてくれて、一つの機械に二つのイヤホン挿してたから自然と体が触れ合って、それだけですごくすごくドキドキした。
このまま思い切りもたれ掛かってみたいな……と思ったけど、不快に思われたら嫌だからやめておいた。とりあえず腕が触れる程度までは近づいても嫌じゃないってことがわかったからそれでよしとしよう! って思った。
でも神経は完全に触れ合ってる部分に集中してた。お互い厚いコート着てたから体温なんて分からないはずなのになぜか温かく感じた。私がどきどきしすぎて体温上がってたせいかもしれないですけど。
結局私とあの人だと社交性が違いすぎるんですよね。私は友達も少ないし、ましてや男友達なんてほとんどいないからあの人と出かけるのは一大イベントだけど、あの人は老若男女誰とでも友達になるしむしろ人と外食する日の方が多いくらいの人だし、熱意とか重みが違いすぎるからもやもやするのよ。
すごくモテる人だし、変な色気出されるのにはうんざりしてるかもしれないし、そもそも我ながら思い詰めすぎ面倒くさすぎだから努めて友達として明るく朗らかに接することを心がけてるけど内心ずっとぐるぐるしている。
高校時代は教室で後ろ姿を見てるだけだったからこうやって定期的に合って話ができるだけで幸せなはずなのに、浪人中なんか「もしもう一度顔を見られたらそれだけで幸せ」って思ってたはずなのに、大学受かって上京して偶然再会してまるで映画みたいだなって思うほど嬉しかったのに、会えば会うほどもっと親密になりたくなる。人間の欲深さって怖いわ。
自分の頃のことを思い出した。二次試験で後期まで不合格で(後で前期は不合格Aと知りあーあとなったが)東京まで出て予備校に通うこととなった。
田舎にいてもだめだなと思ったからでこれは間違ってなかったと思う。大手予備校に入ったが、通学1時間ぐらいだったっけな。
予備校の寮には主となってひとがいてやべえなこのままと思った記憶がある。現に何浪もしわたしのあとにも何浪したので予備校に通えばいいというものではない。
可愛い女の子,イケメンな男の子、それも共通の目的 大学合格にめざすこと がある人間が集うのだ。
新鮮な経験である。非常に危険である。疑似大学生活のように思ってしまう。
先に結論を言おう。
つきあったり遊んだりしてた人、ほぼ全員第一志望に不合格であった。
遊びに行ったりパーティーしたりしてたけど、おまえら受験生でそれも少なくとも一回失敗しとるぞと。
中学生の頃から仲の良い友人と一緒に行ったが、その友人はそっちのグループに行ってしまった。
嫉妬と思われてたみたいだが、勉強しないとやばいぞと伝えたくて色々言ったけどわかってなかったな。
ちなみに彼は第一志望には落ちました。
そのグループの中でも適度な距離をもってたひとはうまくいっている。
だが、地方の男子校出身者とか舞い上がるに決まってるじゃないか…
ライバルだと思ってたヤツがどんどん堕落していくのは見ていて辛かった。その彼は2浪したところまでしかきいていない。
リア充への嫉妬なんだろうけど、自分にはもうあとがない・このままではやばいという危機感ばっかりで辛かった。
でもそのおかげだと思う。
浪人の一年間は一番勉強したと思う.勉強か近くのまちの散歩と好きなラジオを聴くだけだったとはっきり言える。
そうしないと第一志望に通らないと思う。反論はあるだろうけど。
浪人なんてしても大したことはないと思う.でも脱するのはかんたんではない。
友人たちとは疎遠になったけれども、ここで距離をおいてよかったと思う。
受験生諸君に言いたい。ほんとに勉強だけしとれ。大学でたのしいことできるから。と
あと予備校に板書を写しに行くな。メモにして理解に努めろ。予習して問題を解いていけ。
きれいなノートが合格の近道なんてない。読んで理解したつもりでももきっと問題は解けない。
得意な科目なんてなくてもいい。苦手な科目をつくるな。
S台の東大実践模試は問題の質が違うこともあるしかならずしもいいベンチマークではない.結果は出なくても大丈夫。
むしろ全国模試のほうが東大に近いと思うほど。標準模試で全教科結果をだせればそれでいい。
調子とか相性とか意味のわからない言い訳をするな。それが実力だ。
神頼みするな。それはお前の努力がその程度の行動で変化するなんてことを意味する。
志望の理由なんて崇高なものはいらない。行きたいから行く。それでいい。
ぜひ頑張ってもらいたい。