はてなキーワード: 擁護論とは
「(ビル8階とか9階で会議中)いますぐ、ここから飛び降りろ!と平気で言う」としたくだりが注目を集め、
インターネット上では擁護論もあるが、「単なるパワハラ」などと批判が噴出し、議論が盛り上がっている。
https://www.j-cast.com/2010/08/23074074.html?p=all
報道によると、男子大学生は今年6月、逮捕された男性やその妻の女性店長から、この店で4カ月間無休で長時間働かされた上、
包丁で刺されたり、首を絞められたりしたとして、千葉県警に告訴状を提出していました。
冷静に説明してくれているが、少しポイントがズレていると思う。そして、そのズレはなかなか問題だ。議論の根幹に関わるので、少し丁寧に説明する。
「内心の自由があるよ」という趣旨の擁護論は、おおむね「●●なんて取り締まれ!」「そんなこと考えること自体が犯罪」という無茶な主張に対して、「内心の自由が保障されている(だから取り締まりは無理だし、考えること自体は犯罪ではない)」という意味で述べられるのであって、「内心の自由が保障されている(だから俺の妄想を常に全開にしてオッケー)」という意味ではない。仮に後者の意味で述べている人がいるとすれば、それは確かにダメな人なので諄々と諭す必要があるし、あるいは盛大に自爆するのを待って(法に触れる書籍なりを出版するのを待って)粛々と取り締まればよいが、あなたの文章の表題の「内心の自由はない」という言い方は前者を含めた否定論に聞こえてしまう。あなたが説明するとおり、実際に法で取り締まるというのは無理筋なのであるから、過激な批判者から見ればあなたもまた「内心の自由はあるよ」論者に見えているはずだ。そして、実際にそうだ。過激な批判者からすれば、あなたは憲法19条による内心の自由が保障されると述べているわけで、彼ら彼女らからすればこれは「児童性愛を擁護する」ものに見えるだろう。(あなたはただ憲法19条の趣旨を説明しているだけであるにも関わらず、だ。)そういう状況を踏まえた上で、
児童性愛を擁護する言葉を声高に発する人たちは、控えめに言って、人でなしだと思う。ネットで規制を強く主張しているような人たちへの想像力と、家庭内での性的虐待に関しての知識が足らない。
という言い方は、これはやはり言い過ぎだと思う。あなたの発言は対象が広すぎるのだ。性的虐待サバイバーへの配慮を求める気持ちは深く理解できるが、それは、普通に認められる人権を不当に制限する行動に加担する理由にはならない。
それから、
同性愛は社会的に認知されつつあるが、児童性愛が犯罪でなくなることは、人権という概念が存在する限り、ありえない。古くからのタブーである同性婚が人権意識の発達とともに社会的に受け入れられてきたのに対し、児童婚はその逆だ。前近代は問題視されていなかったものの、近代化が進んだ結果禁止されてきた。人権意識の発達にともない、未成年者の判断能力の欠如が問題となったため、未成年者の婚姻の権利、恋愛の権利、契約の権利などが制限されることになったからだ。
この部分も、歴史的文化的に見れば、必ずしも正しい説明ではない。「人権意識」によって「未成年者の判断能力の欠如が問題となった」というのは、論理的に言っておかしいし、それにそんなことを言ったら、児童の権利条約など成り立たなくなってしまう。正しくは、「人権意識」の発達によって、肉体的、精神的、あるいは性的に搾取される社会構造に対する批判が高まった結果、特に犠牲になりやすい立場の人間が立ち現れてきた、ということに過ぎない。そこに線を引いたのは人権意識であるが、あらかじめそこに差があることを前提とする物の言い方は適切ではない。聡明なあなたなら、この違いは理解できるだろう。この二つの見方の違いは、次のような帰結につながる。
(前者・誤)「児童が劣っているから、保護し管理してあげることにした(ゆえに)児童の活動等の権利は制限されるのが当然だ」
(後者・正)「児童が犠牲になっているから、様々な活動に制限をかけることにした(ゆえに)大人とされる人の一部の行動には規制がかかって当然」
私は後者の立場に立つ。児童の権利条約等が立っているのもその位置であり、前者でないことは明らかだろう。私はあなたの「児童の~恋愛の権利~などが制限される」という言い方に深い危機感をもつ。制限されるのは「大人の行動」の方であり、「児童の権利」ではない。そこにこだわるのは、「児童の権利を制限できる」というあなたの物の言い方に、上に書いた〈憲法を無視した規制論を述べる人〉と同様の危うさを感じるからだ。
実在児童への性的虐待はもちろん問題だ。それは厳しく罰されるべき行動である。当然のことだ。
だがしかし、そこで規制されるのは「大人の不法な行為」である。「大人の内心」ではないし、「児童の権利」でもない。少し厳しい言い方をすれば、「児童」は一部の方の管理保護する「お人形」ではなく、一個の人間である。「児童のため」「子どもの安全のため」を掲げて、児童の権利を制限し大人の内心を規制しようと主張する人々は、「児童」を自分に都合のいい人形として、手元に抱え込んで扱うことができると考えているように見える。「自分は児童の代弁者で有り保護者であり管理者であり、児童を守る自分の言葉は全て正しく自分に反対する人間は児童虐待者なのだ」と。そういう考え方は、思想信条に制限をかけたい(まさに、大衆を自分の人形のように扱い、管理し保護し監督したい)人々に、非常に利用されやすい考えであり、それは大変危険なことだと私は憂慮する。
そもそも私は、「大人が児童を搾取する」行動は、もっと厳しく取り締まられるべきだと考えている。「子どものため」との言い訳の下で行われる搾取は、時には関わる大人・児童両者ともそれを虐待と意識しないケースも多い(たとえばステージママと学校にもロクに行かされないアイドル志望少女のように)。だが、それは明らかに搾取であり虐待だ。法に定める義務(保護者に課せられる、教育を「受けさせる」義務)に反した(大人の)行動であり、それは厳しく取り締まられなくてはいけない。
だからこそ、実在の児童に対して行われているそれらのリアルな「虐待」を放置しておいて、心の中で妄想しているだけの人のその妄想自体を問題視し、存在自体が病であり罪であるかのようにあげつらう物言いには違和感しかない。みんなが手の内の「児童人形」の話をしている。そんな状況で、「実在の被虐待児童」を救うことができるのか? それでもあなたは「家の中で妄想する人の妄想」を取り締まることが、「実在の被虐待児童」を救うと主張するだろうか。
だからそのパイクとかいう人も解説いれてるんだろうね はいアウト
「カフェ」なる一応接客業の服をきておきながらそれをふみつけにするような
「みなさんのようなまじめなカフェ店員をバカにする意図はありません」とか「キャラ個人の感想です、このキャラは悪人キャラです」とか書いとけほんとに
そんでその悪人キャラが赤の他人にウザ絡みしても許される言い訳につかってるのが巨乳(容姿や性別の象徴)なら
巨乳も当然悪。
それもあたりまえ
今ようやく気づいたけどウザきってそういううざいキャラだからつけた名前のつもりだったのか
もちろん乳や性別を弱者への暴言のいいわけになどしてない女性にも全員謝れ
なんていうか、イエイヌ回から最終話まで出てしまったから、どんどんと擁護の立場を守るための擁護になっていってるんだよな
・作品に悪意はない
悪意があった場合、まだしも製作者にテーマに沿った作品を仕上げる能力はあったことになるが
悪意をなくしてしまうと、一貫性のなさや、矛盾点など、ただの無能ってことになる
確かに、最終回までの演出から、無理やりテーマのようなものを導こうと思ったら、そうなる
だが待ってほしい、制作陣はこう言っているのだ
・基本的に、前のシリーズで自分が面白いと思ったところは全部残すようにしています
・普段アニメを見ない人が見ても面白と思えるような作品にしたいと、常に意識して作っています。
・僕自身、前のシリーズにリスペクトを捧げて作っていますので、「けものフレンズ」が好きだった人は面白いと感じてくれると思っています。
・いいところは引き継いでやっていますので、安心して見ていただけたら嬉しいです。
・日常を見ることで現代人が忘れてしまった優しさや純粋さ、どこか懐かしくほっこりするような思いを共有できたらと思います。
・そして、子供たちにも「けものフレンズ」を通して、動物に興味を持っていただき、幅広い方々に動物園に足を運んでもらえたら幸いです。
なんていうかさ、いわゆる「真フレ」と呼ばれる層がなんとか作品としての粗を誤魔化しつつ、自身の論を守ろうと喋るたびに、どんどんと制作陣をけなしているという
ある意味、アンチより酷い様相を呈してきているのだが、これじゃ木村監督も擁護者をブロックするはずだよ
制作陣に何があったか知らんけど、作品がクソであることはキチンと認めた上で、クソにならざるを得なかった干渉があったのだという方向で擁護しないと
何を守ってるんだかわからない感じになってきてるぞ
https://anond.hatelabo.jp/20190129174418
こんなの誰も信じてなくて、都民ファーストがボロ勝ちしたから新党に行きたくて辞任したのは誰もが知ってる話。
党のナンバー2が党で合意してないことを相談なく、べらべらマスコミに書いたらどんな党でも問題になります。
きれいに1人で去ったのであって党を分断するようなことも仕掛けませんでしたし、「ついてきて」なんて言ってない。
もともと細野さんは民主解党論で、岡田代表が党内圧力に耐えきれず……というのは置いといて、「維新ポジション」で指した維新は大阪維新であって江田維新(結い系)ではないからこの反論は的外れ。
自民党を倒すために民主党は解党しろ!生まれ変われ!共産党と手を切れ!とおっしゃってた人が自民党入りしたから批判されているのでは
普通に、希望の党が占めしていた自民党に変わる政権を、という理念に共感した野党支持の人もいると思いますよ
先の選挙で主張していたことを曲げたなら、怒る権利はあるでしょう
引用するのも馬鹿らしいけど細野さんこそ一番の解党・合流論者ですよ。
政調会長外されたのは権力闘争仕掛けて代表降ろしに走ったから。
「代表代行の座にありながら党の公式見解と異なる私案を発表、批判されると勝手に辞任」のほうが正しいかも
結局のところ、前の選挙で主張してたことが自民党政権の打倒なのだとしたら、それと真反対の行動を取れば批判はされるだろう。
細野さんは悪い人じゃないけど、基本的に党では権力闘争に明け暮れていたし、民主解党論や希望の党の騒動も結局は自分のポストのためだったんだなーって感想。
日本人富裕層の納税額が米国の半分以下という記事がバズっている
日本の富裕層は、他の先進諸国に比べて税負担が少なく優遇されているらしい
従って、もっと富裕層に税を負担させろということで、自分もこれには賛成だ
ところで、こういう事を言うと、
富裕層のモチベーションが下がりイノベーションが阻害されるとか、
富裕層が海外に逃げ出すので国内の生産性が下がる。という主張を聞くことがある
もし上記の主張が正しいのであれば、今の日本の現状は説明できないのではないか?
富裕層は優遇されているので、やる気に満ち溢れてイノベーションをガンガン起こし、
なるほど確かに金持ちを優遇するのが社会にとって大切だわい。と納得もできようもんだが、
遅くとも数年以内
おそらく、一ミリたりとも韓国擁護ができないくらいに日本にも災厄をもたらすような大事件という形であの国の破滅はやってくる
歴史を紐解けばわかるが、革命政権が好き勝手やらかして国内経済をボロボロにしたあとに起きるのは、軍によるクーデター、極右政権誕生、そして領土拡張政策への暴走と相場が決まってる
そうなった瞬間、この国で呑気に韓国を擁護していた人々はどうなるか
心当たりのある人は想像してほしい
「原爆Tシャツ」が幼稚園のお遊戯会に見えるようなことが起きる
そうなる前に、今からでも遅くない
パブロフの犬のように、瞬間的にあの国へ肩入れするその性癖を、今からでも少しずつでも矯正した方がいい
いざ「何か」起きたときに「でも日本も反省すべきところがある」なんて、いつもの条件反射でSNSに書き込んだりしないよう、少しずつでもあの国から距離を取ろう
そして火だるまになって踊るscopedogを遠巻きに眺めながら、もしかしたら自分もあいつと一緒に燃えていたのかも、と心の中で震えつつ、指をさして彼を嗤おう
IT系自由主義は「フリーソフトウェア運動」を支持する派閥です
IT系自由主義という呼称があるわけでなく、判りやすい呼称をこの場で使っただけ
パソコン通信・インターネットと共に活動範囲を広げたため、Web上だけで言えば思想集団としては最古参であるのは間違いがなく、情報化社会では少なくない影響力を持ちます
ただ、技術者やそれに親しい者が大半を占めるため、興味ないことにはとことん興味がなく特定の議題でしかその影響力を発揮しないという気分屋なところがあり、ツイフェミやはてサよりも目立たないです
判別方法はWeb上のプロフィールなどに「GNU」や「FLOSS」という単語を記載していたり、情報の規制や検閲・セキュリティへ過敏に反応しがちという特徴があります
もちろんフリーソフトウェア運動を支持する派閥は一枚岩ということもなく、過激派や穏健派も居ますし、コミュニティーも複数あり、セーフスピーチ思想へ理解を示すコミュニティもあります
関連するコミュニティで最も有名なものに「GNUプロジェクト」があり、社会を騒がせたコミュニティで有名なものを挙げれば「Anonymous」などもIT系自由主義の一派と言えます
IT系自由主義の直近の日本での活動と言えば「海賊サイトブロッキング(反対論)」や「分散型SNS(普及論)」「キズナアイ騒動(キズナアイ擁護論)」があります
検閲や言論・表現規制に対して強く反対する傾向から現状の日本インターネット言論ではサブカルを取り込んだ右派思想集団と協調することが多く、協調してしまったが故にネトウヨと誤認されることがよくある
しかし「GNU宣言」などからも読み解けるようにIT系自由主義は左派思想であり、根本的な部分では決してネトウヨとは相容れないでしょう。現在は利害一致による共闘状態なだけ
IT系自由主義が右派思想集団を見限り、左派思想集団へもしも合流するとしたら、そのときはツイフェミやはてサ・左派政党が検閲や言論・表現規制によらない自由を獲得したとIT系自由主義が判断したときに合流すると思います
こないだどう考えても理屈も何も通じないオタクに絡まれたので。
ラディフェミが頭の悪い自分勝手な屁理屈を無理やり押し通して他人の意見に全く耳を傾けようとしていないのを見て、
こんな理不尽な要求をしてくるバカに好き勝手やらせたらダメだと思って萌え絵を表現の自由ということで擁護してたが、
とはいっても推進派にとって残念ながら、逆進性の改善によるものではない。
軽減税率の逆進性改善の有効性の低さは折り紙つきで、費用にぜんぜん見合わないというのは多くの研究で一致するところである。
の3点から来る。
需要の価格弾力性が高い財ほど低い税率、需要の価格弾力性が低い財ほど高い税率をかけることが社会厚生上のぞましいというルール。
簡単にいえば、値段が上がっても購入する量を減らせない生活必需品ほど高い税率をかけるべきというもの。
すると、税金をかけることによる人々の財の購入計画に与える歪みを小さくできるので、税による社会厚生の損失も小さくできる。
つまり「こっちの商品は税金が高いから買うのをやめて不本意だけどあっちの税金の低い商品にするか」といった税の存在によって人々の判断が歪むのを極力防げるということ。
クリーニングなど自分で作業可能なサービスや、自分で生産可能な財の税率が高くなると、
クリーニング店に持っていくのをやめて自分で洗濯を済ませてしまおうとする人が出てくる。
しかし、クリーニング店でまとめやった方が分業による効率化が働くため社会全体ではのぞましい。
そこで、クリーニングのような自家生産可能な財・サービスに関しては軽減税率を適用し、分業を促進すべきということになる。
つまり、やろうと思えば自分で出来てしまうような、市場での購入の必需性の低い財・サービスに軽減税率をかけるべきということ。
クリーニング以外にもレストランや、近頃ではセルフヘアーカッターの売れ行きが伸びていることなどからすると理髪店・美容院などもこれに入る。
誰かが消費を増やせば、それが市場を通じることなく(消費を増やしたことで誰かの給料が上がって景気が良くなって・・・といったものなどではなく)別の人のメリットになるのであれば、
そのような財・サービスに関しては軽減税率を適用し、消費を促した方がのぞましいというもの。
具体例を挙げれば、マスクを軽減税率にすれば咳をして風邪のウイルスをまき散らす人が減って他の人も助かるね、といったもの。
教育、医薬品、エコカー・省エネ製品などが代表例。日本新聞協会が新聞を軽減税率にするべきと言うのも、この点からは合理性がある可能性がある。
贅沢品やレストラン、エコカー・省エネテレビに軽減税率をかけろという、おそらく軽減税率の信奉者が受け入れらない結論が出てくる。
逆進性対策は別の形でやりましょう。
不公平"感"をどうするかが大切?合理性に欠けるものをゴリ押しされることに対して不満"感"を抱く人も多いってことですよ。
逆進性がほとんど改善しないものを逆進性対策としてやられて、実際の生活が改善しないのに不公平"感"が小さくなったね良かったね、とされては生活に困りきってしまう人もいる。
それに、やってから問題が噴出すれば手のひら返しで文句を言いたくなるのが人間の性。一時のアンケートで近視眼的に決めるより、合理性を重視した方が長期的には納得度も高まるものなんです。
だから政府は審議会を重ねに重ねて政策の合理性を高める努力をしてるいるわけよ、世論はこうだからこうしますみたいな手抜きのお仕事をするのではなく。
今の人気が高い政策をただ選ぶのではなく、合理性の高い政策は何かに熟議を重ね、そうした合理性の高い政策への納得度を高めるように説明を尽くすのも政府の仕事。
2015年自民党の武藤貴也が未成年男性を買春していたことに対して、北丸がTwitter上で発言
北丸雄二氏「「隠れホモ」はLGBTとは関係ない」に炎上 - Togetter
北丸雄二@quitamarco https://twitter.com/quitamarco/status/636591559358582784
武藤貴也の「隠れホモ」売春話をLGBTの話と結びつける必要はないと思います。
「隠れホモ」はLGBTとは関係ない。LGBTとは、自分を「私はLGBTの◯◯だ」と言える人たちが獲得したカテゴリーなのです。
「新潮45」2018年8月号『【特集】日本を不幸にする「朝日新聞」』に寄稿した『「LGBT」支援の度が過ぎる』での発言
例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。
しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。
そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。
2018/09/26付日刊ゲンダイ『ここがおかしい 小林節が斬る!』での発言
『杉田水脈議員“擁護論”の怪 「論として成立」していない』|日刊ゲンダイDIGITAL
LGBTに関する発言で「袋叩き」に遭った杉田議員を擁護する特集が載ったというので、「新潮45」を買って読み、驚かされた。
(中略)
(4)LGBTとひとくくりにすることがおかしい。T(トランスジェンダー)は「障害」なので医療行為を充実させるかは政治として考えていい。
(中略)
2018年10月11日に開催された「work with Pride 2018」での勝間の発言としてLGBTアクティビストの東小雪がTwitterに投稿(当該Tweetは削除されている)。
https://pbs.twimg.com/media/DpRd7NHU4AAkNYW.jpg
今年5月にカミングアウトされた経済評論家の勝間和代さんのメッセージ。カミングアウトされた時には、数十件の取材があり、その反響に驚かれたそう。
ミニ情報としてはためになったし、素人があーだこーだ口出すなっていうのもよくわかった。
でももともと、そういう話じゃないよね?
千田という人の社会学者としての評価を知りたいってことだったはず。
twitterであんなにバカ丸出しでも学問としてはこういう功績がある、ていうのがあるなら出してください。
しかも散々叩かれたあとに逃亡して鍵掛ける前の理由が子供が、だよ。
素人には学者の価値なんてわかるはずないっていうのなら内部から批判なり評価なりしたらいいこと。
それをしないから
「私を誰だと思ってる」という恫喝めいたパワハラに屈している内輪組織なのではないかと疑念を持つ人が多いのではないですか?
これだけ社会学全体が、いや文系全体が一フェミニストに引きずられて信用を毀損される自体になってるのだからその内部から、つまりジェンダーの研究者からみた評価を知りたいわけです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/372141833/comment/zaikabou
記者から教育勅語についての見解を問われての返答だったみたいだけど、部分的には普遍的な箇所もあるという考えを批判されない形で答えるにはどうしたらよいだろうか https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181003-00010009-wordleaf-pol
これ質問が
NHK:関連してなんですけども、教育勅語について、過去の文科大臣は中身は至極まっとうなことが書かれているといった発言をされているわけですけども、大臣も同様のお考えなんでしょうか。
なんだよね。
というのが質問の趣旨なの。部分的に正しいところがあるとかいう擁護論は、誰も聞いてないの。
その答えがこれなの。
杉田水脈氏の「LGBTに生産性はない」から、先日の新潮45の擁護論文に至る流れについて。
といったものでした。前段が差別的であるためそこにばかり焦点が当たりましたが、本来の論旨は後段であったと思われます。雑に言ってしまえば、「(生産性がない)LGBTが国民の血税を掠めとるのを許すな」ということでしょう。
これは「在日特権を許さない会」とよく似た構図のように思われます。
せっかく匿名日記があるのだし、陰謀論に踏み込んでみますと、杉田氏が自民党内から大きな叱責を受けなかったのは「国民間の分断を煽り、権力に都合の良い状況を作り出す」方向にあるから、といった見方もできようかと思います。また、その背景にアメリカのような「ポリコレへの反発」があるのだとすれば、ターゲットはLGBTそのものではなく、その支援者や理解者、あるいは「直截の利害関係には無いが政治的に正しくあろうとする市民(以下ポリコレ勢)」、ということになるのだと思います。
「在日特権」ならぬ「LGBT特権」を想定し攻撃を加える。その結果、特定層の溜飲を下げたり、権力への批判をそらすことができる。何よりも、特定層とポリコレ勢は分断され、両者はその党派性から団結した政治活動ができなくなる…。
今後、杉田氏が「子育て支援をもっと手厚く」といった主張をした時に、「杉田がLGBTに謝るまで認めない」とのブコメはつかないのか。逆もまた然りで、杉田氏を支援するである「若くてお金のない夫婦」が、ポリコレ勢と手を取り合うことができるのか。そう考えると、分断がもたらす「大きな政治機運の成立しにくさ」は、権力者や富者といった既得権益層の意向にかなうものではあるでしょう。今回の流れは安倍晋三こそが黒幕!、などといった陰謀論的飛躍は自重し、偶発的なものと考えるにしても、自民党と安倍政権はその受益者の一人であるとは言えそうです。
差別発言をまといつつも、目的がLGBTへの差別感情を社会に敷衍することではなく、分断そのものにあるのであれば、「差別やめろ」「特権などない」といった反論は、問題の解決には寄与しないということでもあります。在日コリアンの問題においてそうであったように。
https://www.buzzfeed.com/jp/shibunnagayasu/sugita-stop-lgbthinan?utm_term=.qtWenBANE
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14032
のように、「LGBTへの支援は度が過ぎるというが、そんな支援はないぞ」といった反論もありました。きちんと構成された丁寧な内容だと思います。しかし、「分断を喜ぶ悪い奴ら」の目的は、国民を分断し政治的に無力化することです。特権の実在や、論理、ファクト、正しさは関係ありません。むしろ雑であるほど、一種の「ツッコミ待ち」」として反撃を誘いやすいとも言えます。攻撃と反撃とが1往復すれば、その時点で分断は明らかになり、目的は達成されています。「黒幕」は論戦に勝利してLGBTや在日コリアンから特権を剥奪することに、大して興味はありません。はした金ならくれてやってもいいだろ、と考えているかもしれません。
上の記事には論理もファクトも正しさもありますが、同時に攻撃性が隠れていない「反撃」です。LGBT当事者が「生産性がない」などと中傷を受けた心情を慮ればやむを得ないにしても、それもまた分断を煽る側にとって喜ばしい結果に収斂するとすれば、残念としか言いようがありません。
杉田氏の主張に対して、ポリコレ勢がとった反応は「差別主義者とは話さない」といった冷淡な態度に見えました。これを受け、杉田氏を擁護する小川論文は、LGBTと、犯罪行為である痴漢を同種と見なすなど、杉田論文と比べて攻撃性を増しています。つまり、「ザイニチを殺せ」ならぬ「LGBTを殺せ」に一歩近づきました。この行き着く先は泥沼と化した在日コリアン問題の二の舞、にしか思えません。自分の観測範囲でしかなく何らエビデンスの無い反知性的な総括、すなわち「※個人の感想」にすぎませんが。
新潮は休刊となったそうです。この先、杉田氏にも相応の処分が下るかもしれません。しかしこれは勝利なのでしょうか。杉田氏や小川氏やその支持者は、持論を撤回したのでしょうか。新潮を休刊に追い込んだポリコレ勢を言論封殺と詰るのではないでしょうか。砲撃は未だ鳴り止まず、勝敗は彼方にたゆたっているのではないでしょうか。
必要なのは攻撃ではありません。勝利でもありません。対話であり、相互理解です。自分が思うに、ポリコレ勢には、相手、つまり差別主義者や反ポリコレ勢の心情に寄り添う義務があります。そしてこの義務が一方的に自分達にのみあることも、同時に理解されるべきです。差別主義者や反ポリコレ勢は「ポリコレ野郎はお家でミルクでも飲んでな」と放言したところで、その思想信条とは相反しませんが、多様性や内心の自由を尊ぶポリコレ勢にとってはそうではないからです。
あるべき姿は、相手が誰であっても、穏当に対話を続け、団結できる着地点を探し続けることです。ネットを見ていると、当初はそのような志を持っていたにも関わらず、あまりの「話の通じなさ」に放棄した人たちが、ウヨにもサヨにもいるような印象です。マンガやアニメでよくある「闇落ち」的なね。しかし、「分断を煽る黒幕」にとっては、団結を模索し続けるプロセスこそが脅威であり、団結できたかどうかは、そこまで重要ではないように思われます。
だとすれば政治的に正しくあろうとするのは修羅の道ですねえ。話の通じない差別主義者どもと結果の出ない対話を続けるしかなく、そこに相手を論破したり、分かり合えたり、尊敬を得たりする、快楽や達成感など求めてはならないのですから。AIあたりに代行してほしいところです。いや、そもそも人間にできることではないと諦めるべきかもしれません。
まあ釣りタイトルから陰謀論まで持ち出して長々と書いたのは、あんまり強い言葉で攻撃するのは自重しましょうよ、というだけなんですけどね。ウヨさんもサヨさんもどっちもだぞ。真紅のバスローブを来てブランデー揺らしてる「分断を喜ぶ黒幕」がほくそ笑んでるかもしれないぞ。
思うままに書いてみたら、なんだか「国民よ団結せよ、真の敵は他にある!」みたいな話になってて自分でも戸惑ってますが、言いたいことは以上です。
Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180923-00010006-jisin-ent
女性自身 https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1667047/
雑誌に掲載された写真に写っている被害を訴えた女性の外見のパンチ力(表現のマイルド化)も影響しているのか、16年前の話を今頃蒸し返してくるのは金目的かー、って話が主流になっているっぽい。
あとは、日頃の彼らの言動やキャラクターで救われている部分も大きい、とは思う。
「お笑い芸人」としてはこういったスキャンダルで炎上してでも有名になってナンボかも知れないけど、「芸能人」として長寿命を狙うならこういった収束が良いのかも。