はてなキーワード: 排斥とは
https://anond.hatelabo.jp/20240909201827
そんなに仕事の話をして欲しいならば俺が少しだけ語らねばなるまい。
会社の都合でインド支部に異動になり、直面したのはこいつらマジで約束を守らないな、ということである。
遅刻は当たり前、嘘も当たり前。それがインド人だ。なんでかというとこいつらは「短期利益のためなら何でもしていい」とガチのマジで思っているからだ。
職場や学校にいたどうしてそんな下らねえ嘘つくんだよってムカつくタイプを思い出せ。それがインド人のデフォルトだ。
なんでかっつーとインドではみんながゆるゆるで事実関係の確認なるものが物理的に行えないからだ。
だから「電車が遅れた」などと言って遅刻されても、本当に電車が遅れているのか確認する術がない。
確認相手のインド人もカスだからだ。真実が霧に消えてしまう国なので、自分の見たもの以外は信じられない。それがインドとかいう地獄だ。
まあ、その辺かなりの競争社会なのもあって失点=即死みたいな文化もあるから可哀想といえば可哀想なのだが、仕事をする上では適当クソ野郎どもの集団と付き合うメリットはマジでない。
弊社もそんなインドに支部を置いたものだから現地人が上手く使えず、日本の駐在員たちが次々と精神を病んでしまい、俺にお鉢が回ってきたというわけだ。
余り細かい事は特定が怖いので書かないが、社会的に大変価値のある仕事である。人の命を救うことに非常に関わりの低い商品を扱う会社である。
つまり、適当野郎どもがいなければ救われた命があったというストレスにみな耐えきれなくなって心を病んでいくのだ。だからこそ、俺はその現地法人チームに規律をもたらす必要があった。
そういうのなら、増田君が適任だろ、という上司の力強い言葉は確かである。俺は規律を産むことにかけては自信があった。
まず、着任時のスタンスとして「聞かずにやるな」と「その程度のことは聞くな」二つの性質を合わせもつことにした。
インド人は基本的にその場を凌ぐためならばありとあらゆる手段を使用してくる。
だから、とにかく、部下の人格を透明にしていくのだ。混乱をもたらし、人情をもって感情を否定していって完璧なソルジャーに仕立て上げる。それが俺の役目だ。
同時に、メンヘラ人格をしっかりと作り上げ、アピールするのも重要である。
インド人は実は人情的である。非常に。なので、人前で俺は泣いた。
「みんなで俺を出世させない気なんだ!俺が嫌いなのか!俺の子供たちはもう終わりだ!」
楽勝だ。子供なんていないし妻もいないが、インド人は家族の事となるとアホになる。根源的に、家族がいないという概念を理解できない。
子供にはマジで甘い。ものすごく甘い。厳しい人が時々見せる優しさにも弱い。プリミティブな情緒で生きるカスがインド人だ(それを計算に入れて小ズルく短期利益を得ようとしてくる知能があることも忘れてはいけない)。
学校で先生がすねて教室からいなくなる、みたいな手法がやたらと効くのがインド人というみじめなアニマルである。
ただしそれだけだと舐められるので、時にマッチョを見せつけることも重要だ。
相手の価値観を破壊し、思想を破壊するためには必要なことである。Aな人間はBなはずだ、という既存概念を壊していくことで今までの人生経験を否定して人生を否定して人格を否定して、透明で使える人間に仕立て上げなければならない。
いや、人間である必要はない。虫のように美しい機能的な存在へと作り変えるのだ。
そういう意味で人間を人間たらしめる、『宗教』という共同幻想は厄介だ。
俺は宗教が嫌いだ。
そもそも思想だの心の拠り所というものが必要ない。思考だけしてくれればいいのだ。
早く人格や個性を捨てて欲しいのだ。インドの土人共の基本感覚は文字通り地球のゴミことヒンドゥーなのだが、こいつを否定するのはあまりにもコストが高い。
まあ基本的には「君の不利益って全部キミの前世のせいだよね。カスみてえな前世だな」ということをひたすら言い続けるのが有効だ。
勿論直接的には言わない。そういう感覚をくすぐるのだ。あとはカーストでプライドも、同様に「くすぐる」。
インドの会社にはカスみたいな下働きのカスども(トイレ掃除だけするやつとか、社内配送だけするカス。こいつらも自分の下の階層の人間を見下しまくっているのでまさにカス中のカスだ)と比べてお前はどうなの?というのをやるのだ。
これはかなりバランスを考えなければいけない。遠回りにやるのだ。あの人の仕事は丁寧だね(それに比べてお前は)といったように。
リボンをデスクにつけることも有効だった。俺は10個のリボンを部下に配布した。
「最低限の仕事をするたびにコイツをとる。これが全部とれたら一人前」というようにするのだ。
勿論、この制度は部下から提案があったことにする。インド人は基本的に人事評価からなにからなにまで共有する家族的な所がある。
それを壊す意味でも、疑心暗鬼を生み出しコミュニティとコミュニケーションの分断を狙っていかなければならない。
「あいつはお前を陥れようとしているぞ」というのをなぜか嫌うのだ。やつらは。常に即物的思考で他人に迷惑をかけまくっているのと矛盾しないのかと思うものだが、とにかくそういうものなのだ。
加えてプライドの高さを利用するためにもこのリボン制度は有効だった。
要は、リボンが取れてないやつはバカだ、という風潮を作るのである。そして、これはみんなの前では取ったり取らなかったりする。状況や報酬に矛盾が生じるようにする。
「あいつは俺に嘘をついているんじゃないか?」という不和を生み出すことで、横の結束を機能不全に陥らせる。
これにはまともなインド人の協力が必要不可欠だった。仮に「クリシュナ君」としよう。彼は優秀で、俺やお前達みたいな一般的な日本人の規律を多少なりとも理解できる男だった。
俺は彼と親しくすることにした。実際にクリシュナ君は仕事が大変できたので、「なんでこいつみたいにできないんだ」というポジションにつけるのにはうってつけだった。、
同時に、排斥される男も必要で、仮に「サイ君」としよう。彼は仕事はそこそこだったが、とにかく嘘をつく癖がひときわ酷かった。だから俺は彼を徹底的に弄った。
髪型を弄り、顔を弄り、趣味を弄り、学歴を否定し、業務を全て笑い物にした。そのうち、俺と一緒にみんながサイ君を笑うようになった。ゴミ共め。知能がねえからイジメなんかするんだ。
と俺は冷静だったが、とにかくそうやって家族集団の意識を、会社のチームに少しずつスライドさせる、そういう手ごたえを感じていた。
同時に成績も無事に上がり始めていた。当然だ。通常の3倍働いているのだから、業績もその分伸びる。だが、俺は個人的にはあと倍は行けるなと感じていた。
家族と飯食うとか、下らねえ趣味だとか、そういう余計な人生をやっている暇があったらもっと仕事が出来るからだ。
徹底的な監視システムも成功しつつあった。基本的にやった業務は全て写真で撮って送れ、俺は見たものしか信じない、というのを大原則にしたのだ。(これは多くの日系企業、現地企業に取り入れられた)
信じられるのは、ルール、規律、成功、そして俺だけでいい。蜂さんや蟻さんのような、何も考えず何も思わず集団のために無意味に命を捨てられる、美しい生命体になるのだ。
だが、混沌に秩序をもたらそうとする真実と愛の伝道師、ライトサイドの権化たる俺はこの後、ゴミカス共から、何故か思わぬ反撃を食らうこととなる。(続く)
完全にカルトの内紛で笑う
https://note.com/li_kotomi/n/n8826c24bc799
2022年のことです。『われらはすでに共にある: 反トランス差別ブックレット』の前身となる『反トランス差別ZINE』に、私はもともと寄稿する予定でした。原稿を提出し、編集作業も進んでいました。
しかし、編集作業の最中に、「かんぴんたん」氏の言い分を鵜呑みにした編集部の高島鈴氏と青本柚紀氏が、「李琴峰はトランス差別的な問題発言をした!」と決めつけ、私に対していきなり「差別糾弾状」と呼ぶべきものを送りつけてきました。
その「差別糾弾状」の内容は要するに「李琴峰はトランス差別的な問題発言をした! 李琴峰は謝罪し発言を撤回せよ!」という趣旨のものでした。ちなみに、高島氏と青本氏から送りつけられてきた「差別糾弾状」には、「トランス女性であると申請があったのなら、トランス女性として扱う以外の態度は選択すべきではない、たとえそれが百田尚樹だったとしても」という趣旨の、非現実的で、私には到底頷きがたい主張がありました。もしこんな極端な主張に同調しなければ差別者だというのなら、私は差別者で結構です。
高島氏と青本氏は第三者の意見を排斥し続け、あくまで私を「差別的な問題発言をした人物」だと決めつけ続けました。その際、高島氏と親交のある漫画家の山内尚氏も、私を糾弾する側に加わりました。
最終的に、私は寄稿していた原稿を取り下げざるを得ませんでした。
いくら氏がトランス当事者だからといって、そしていくら私がトランス差別に反対しているからといって、氏のあらゆる主張を鵜呑みにするつもりはありません。
https://blog.nagutabby.uk/qiita-is-dead
はじめに
私は数年前にQiitaを使うのをやめました。なぜならQiitaがクソだからです。この記事では、Qiitaの黒歴史を振り返りながら、Qiitaが如何にクソであるかを説明します。
お前、歴史を振り返るとか言っときながら時系列で書くわけでもなく文章も下手で同じスタンス側として読んでてつれぇわ。読んでガッカリ。
あとお前のQiitaの使い方が気になるわ。
新着を懸命に全件チェックしとったんか?
たたき方が雑すぎる。俺が気持ちよく乗っかってQiitaをたたけるまともな記事を書いてくれ。
しかし、多くの方がご存知の通り、Qiitaは「他のWebサイトにある情報をほぼ丸パクリした記事」と「内輪ノリで書かれた下らないポエム」の墓場であり、決して知識共有サービスではありません。最近ではChatGPTが出力した文章をそのまま投稿する人々も現れ、事態がさらに悪化しています。
まあ俺も死んでるとは思うが、まだまだ新規な知見がある記事はある。なのにパクリだとかスクール課題だとかのたいしていいねもつかないクズな記事を見つけてほらクズだ!っつってもね。
書くなら「いかに知識共有を謳いながら巧妙にいいねハックされてきたか」とか具体例を書いてくれ。
内輪ノリもそういうハック、Qiitaの利益化のための企業・Organization重視とかの経緯を振り返ってくれ。
私はこのような記事を見かけるとひどく共感性羞恥を感じ、萎えてしまうのですが、私と同じような方がきっといらっしゃるのではないかと思います。
まともな言葉を使えないやつがエンジニアをしないでくれ。エンジニアか知らんけど。技術文章しかり公開文書なら古いほうの言葉の定義をちゃんと使うか、別の表現を使え。お前、会社で煮詰まるとか使ってないよな?
ウケ狙いは宿命であり流行ることは避けられない。レコメンドやランキングを好みの記事に絞れるようにしない運営を叩け。
いくら「技術ブログ」と謳っていても、技術との関連性が低い記事が投稿されることがあります。私はこのような記事を「ポエム」と呼んでいますが、Qiitaにポエムが投稿された場合はどうなるでしょうか?実は数年前まではQiitaに投稿された記事は運営によってその内容がチェックされ、ポエムに該当すると運営に判断された場合は勝手に記事が非公開にされていました。しかし、よく考えてみてください。ポエムとは何でしょうか?この記事のような愚痴を書き連ねた文章のことでしょうか?人間がそれを判断できるはずがありません。結局このルールは廃止され、今に至ります。
知らん。俺が知る限りここ数年はポエムはずっと寛容だった。お前が定義するポエムは知らんが、技術の関連性が低い記事も沢山あったしポエムタグもずっと盛況だった。
さくらとか、毛の壁…はどうだったか。質の低さをQiitaが検閲してた感触はないし、質の低い記事にユーザーが沢山通報して非公開化に追いやるムーブメントが盛況だった記憶もない。
愚痴を連ねるやべーヤツは対処されてた記憶はあるが。どうだったかな。
https://blog.qiita.com/account-suspension-in-qiita/
Qiitaでは「技術的にレベルが低い」「技術的に間違っている」「Qiitaというサービスや運営に批判的である」といった理由で記事の非公開化やアカウント停止という措置を取ることはございません。
過去にも何度か事例がありますが、アカウント停止措置の実施理由は殆どの場合、他のユーザーに対して攻撃的な発言や誹謗中傷を繰り返すなど、コミュニティガイドラインや利用規約に沿わないというものです。
ああ、上記の件の@administrator1974の今後必要になるプログラム言語もあったか。こういうのも確かにあったが、こういう人間が出てくるのはレアのレアのレアだったな。そういう事件は時たま起こるもんだ。最悪手をとらなければ非公開にそこまで強い非難はおきんだろう。
お前が運営のどういった運用を非難しているのかわからん。新着を全部チェックして見返してポエムが非公開になっていたことを観測してきたのか?詳細を書いてくれ。ぼんやりとしすぎている。
調べなおして思い出したが、もしかして2017年のこと言ってる?
それならたしかにmatzの記事が非公開になったりしてたな。でも2024年公開の記事で数年前っつって2017年を出すのはちと古い。もっとしっかり書いてくれ。あのときらへんはQiitaがどっちに舵をとるかどうかで揺れ動いていた気がする。結果、ガバガバの今に至るわけだが。
これについてもまあ突発的な行動で反発が出たわけだが
「実は数年前まではQiitaに投稿された記事は運営によってその内容がチェックされ、ポエムに該当すると運営に判断された場合は勝手に記事が非公開にされていました」
でずっとそのような運営がされていたように誘導しているが、実際はずっとゆるゆるでここで厳しくしてみて騒動になったという話。
俺もだいぶ記憶があやふやだが、それにしてもお前の文章からは悪意を感じるので信用できない語り手だ。まともな情報を時系列とソース付きで騙ってくれ。
https://yro.srad.jp/story/17/05/12/067229/
なお2016年のやつでもこういうのは残っててゆるゆる
「口やかましい少数派」に翻弄されるQiitaサポートは無能である
https://qiita.com/richmikan@github/items/8831c97598cc095e2b95
数年前に大幅なアップデートが行われ、ユーザーが読んだ記事が第三者に公開されていた時期がありました。これはWebブラウザーのアクセス履歴が第三者に公開されるようなものであり、個人が特定されるリスクがあります。また、業務で生じた問題を解決するためにQiitaを利用していた場合は、他者に業務内容を推測されるリスクがあります。このようなアップデートは避けるべきであり、社内で十分な議論がなされないまま機能が実装されたことは明らかでした。
うそでーす。
今のユーザーページにある投稿した記事のanalyzeみたいに見た記事の中で多いタグトップ5の割りあいが表示されてました。
何を見たのかはわかりませーん。特定できませーん。見た記事より書いた記事の方がよっぽど業務内容に繋がるわ。タグの割りあいだけで個人や業務が推測できたらそれはもうホームズレベルで超能力だから許そう!降参だ。
まあ俺もこれでJobsのほうにはいろいろ黙って渡してんじゃねーの?見た記事も企業側は見れてたんじゃねーの?と思って愛想が尽きた。実際には棲んでいる地域やワードとかも提供されてたわけだし。
だけど正確ではない情報を書いてんじゃねーよ。
https://blog.qiita.com/about-user-page-renewal-20200331/
掲示板やToDoリストのような、お決まりの題材を使ったアプリの制作過程の情報を日常的に目にするようになりました。これはいわゆるポートフォリオとしてQiitaを利用している例であり、シニアエンジニアの間でQiitaがオワコンになり始めたことや、プログラミングスクールに通う多くの人々がQiitaを使い始めたことを示すものでした。その状況を理解するや否や、Qiitaの価値の低下は避けられないと感じました。
これも人が増えた場所の宿命だ。Qiitaがするべきはレコメンド・フィルターの拡充であってそこを叩け。そもそもそんな記事はランキングに上がらないんだから新着汚染にしかならん。検索はストック数とかでフィルターしろ。
お前はどういうQiitaの使い方をしてるんだ?新着チェックしてた猛者なのか?エッジケースだよそれ。
とかくお前の切り口が雑すぎて悲しい。もっと刃を尖らせろ。
お前、Zennもこうならんって言えるのか?言えるならその理由を書いて比較して叩いてくれ。
Qiitaにポエムを投稿できるようになった一方で、Qiitaに投稿される記事の質が低下したことにより、Xやはてな匿名ダイアリーに表示されるような短文投稿が増えました。記事の文章は長ければ長いほどいいとは限りませんが、あまりにも文章が短く、それぞれの文の文字数が少ないので記事の内容が理解しにくいです。この段階に入ると、Qiitaはブログというよりもメモ帳と呼んだ方がいいのではないかと感じ始めました。少なくとも技術ブログのような目新しさや正確さはほとんど感じられなくなりました。
まあ、そもそもQiitaの出発(中盤かな。Q&Aから転換以降)はメモ帳共有でもあったがな。
Qiitaは、エンジニアに関する知識を記録・共有するためのサービスです。 プログラミングに関するTips、ノウハウ、メモを簡単に記録 & 公開することができます。
記事の文章は長ければ長いほどいいとは限りませんが、あまりにも文章が短く、それぞれの文の文字数が少ないので記事の内容が理解しにくいです。
そもそも俺はメモの共有が気に入って使い始めて「人に見せる記事」にしましょうって流れで居心地悪くなったから見えてるサイトが違うっすね。
だから人が増えたサイトで石を除いて玉を多く見せるのはQiitaの技術的な使命であってそこが現状のトレンドで不十分つーならそこを叩けよ。石の量が増えたことを嘆いたってなんの生産性もないし批判たりえんのだわ。
あと再度書くけど俺の認識ではポエムはずっと書かれてきたしジャンルとして排斥を試みたのはとても短い期間だったからな。
俺は今のQiitaが嫌いだしQiitaはいろいろやらかしすぎたしQiitaには俺が好むような記事だけを視界に入れさせろと思ってるわけだが、とはいえこんな文章に乗っかる気にもなれん。
お前が目新しい技術記事を書いてる姿がまったく想像できんのや。
話が抽象的すぎて正確さはほとんど感じられなくなりました。ってブーメランをわざと狙ってたのなら脱帽。
私はこのような記事を読んで共感性羞恥を感じ、萎えてしまうのですが、私と同じような方がきっといらっしゃるのではないかと思います。
自尊心とか、自己肯定感とか、そういったものをできる限り破壊し続けることで、せめてAさんまでの悪化は防ぐことができると祈っている。
少なくとも、もし自分にまだ自尊心とかがまともに残っていたのなら、Aさんのようになっていたとしか思えない。別に、Aさんのようになっていないから自分が生きていていいとは特段考えられないし、自分が他人に迷惑をかけていないだなとと口が避けても言うことはできないが、それでも、まだ、多少は迷惑をかけていない、と思いたい。
いくつかブコメに上がっていたけど「暴力で躾ける」ことで解決できていた、といった意見が見られたが、きっとそういう意味なのだと思う。Aさんが上司に対しては恐怖を理由に接触せず、しかし敵対的ではない増田を傷つけ続け、迷惑をかけ続けたのだから。
まともに効かない理性の代わりに原始的な恐怖で支配し、自分は大事にされ得べきであるといった観念を持ち得ないようにする。これでようやく、他人と積極的に関わろう、といった行動を示さなくなる。少なくとも、自分などのようなまともな発達の見込めない人間は、他人と関わることは他人を傷つけることと同義であって、そのようなことは許されるべきでないことは明らかだ。
しかしながら自分のような理性も弱く衝動に駆られてばかりで他人の気持ちを理解できない間違った存在は、そうした躾をいつまでも身に刻みつけるのは中々困難なことで、産まれてすぐに徹底的に尊厳を破壊しておいて、決して二度とそうしたことが望めないような状態にするか、あるいは途中で自ら尊厳を定期的に破壊しておくようにするかくらいしか、選択肢は思い浮かばない。
少なくとも、自分の判断で選べるとすれば後者しかありえないだろう。自分が気を付けて実施しているのは以下のとおりだ。
◯失敗した場合、自分の貯金を募金する(現時点で300万円ほど)
自分のような人間が今の職場で働き続けることができるかは極めて疑問で、貯金というのはいざというときの命綱でもあるから、それを断ち切ることで恐怖を心身に刻みつけ、自分が大事にされ得る存在などではないことをはっきりと臓腑に感じさせることが出来る。
自分という人間は何をしても結局学ぶことができない。失敗し続けるしそれを改善することも殆どできない。他人との付き合いも中途半端な形で失敗し傷つけ迷惑をかける事しかできない。失敗するたびに、初対面のように謝罪し初対面のように感謝し初対面のように対応することで、常に自分の誤った距離感を訂正し続けることが、まだ、比較的マシであるという認識を持つことが大事である。
そうしなければ、増田のような人を徹底的に苦しめ続けることになる。そんなことは絶対にあってはいけない。
◯贅沢しない(ケアはする)
自分を甘やかすことをしない。贅沢と呼ばれる行為は行わない。趣味で金がかかることはしない。ただ、精神的に余裕がなくなったりストレスで業務に差し障りが出るような自体は、他人に迷惑をかける行為であるから、金のかからない程度にケアはする。マルチビタミンのサプリを飲むとか、軽い運動をするとかといったことはする。娯楽は、適当にネットで小説を読んだりするのが他人に迷惑をかけないためとても良い。
例外なく毎日、自分を肯定する意見は常に間違っており、自分を否定する意見が正しいと唱和する。
自分を否定する意見を丁寧に読み、自分が如何に間違っていて、自分に価値がなく、自分が常に排斥されるべきであるかを考え、その上で行動するようにする。
とにかく、自分の自尊心を破壊し続け、決して他人を否定するような行為を取らないこと。自分が迷惑をかけていることを自覚し続けること。自己奴隷化とでも言おうか。
それくらいしか、できることがない。なかった。
それでも許されるのかどうかなんてことは、俺が決める権利を持っていないのだから、結局許されることはないのだと思うし、本当は今すぐに死んだほうがいいのだと思っているが、死ぬのが怖いので死んでいないだけではある。
これは弥助問題の元ネタ論文でも何でもない可能性が高いので,論文をちゃんと読んでください。
っていうか,こういったテーマについては,藤田みどり『アフリカ「発見」――日本におけるアフリカ像の変遷』(岩波書店,2005年)っていう研究書がちゃんと出ているので,ネット上でかしましい皆様におかれてはまずはそういった文献もあたってみてください(ちなみに,この研究書のもとになった博士論文は国立国会図書館デジタルコレクションで読めます)。
注をよく見てみましょう。おや? 日本語の文献が引用されていませんね。日本語の文献を引用せずに日本史研究ができるんでしょうか? これは問題ではないのですか?
はい,問題ありません。なぜならこれは,タイトル「アジア人と黒人のあいだでの人種と人種観の利用――日系・アフリカ系アメリカ人の場合」からも分かるように,日本史の論文ではなくアフリカ系アメリカ人を主題にした論文だからです。
これはどう読んでも,アメリカの黒人の日本人観および日系人との関わりについてカリフォルニアを中心に調査した論文,つまりはアメリカ黒人の歴史に関する論文であって,ロックリー氏や岡氏がこれを読んでいないと断言することはできませんが(誰しも専門分野外の本や論文を読むことだってあるでしょう),わざわざこれを「元ネタ」にするなどということはとうていあり得そうもないことです。彼らがこの論文を参考にして立論しているのでは? などというのは,馬の心肺機能に関する研究が『ウマ娘 プリティーダービー』を参考にしているのでは? と言っているようなものです。ジャンル違いすぎるわ! あとドリームジャーニー引けなくて凹むわ! っていうか今回のLoHは千直だから荒れそうって言ったの誰だよ! ふつうに安定して英雄譚取れたから拍子抜けしたわ!
こういうときは注を見て,どんな文献に基づいてこの話をしてるのか? っていうのをチェックするんですよ。弥助が出てくる部分の出典は,第一にMichael Cooper, comp. They Came to Japan: An Anthology of European Reports on Japan, 1543-1640 (Berkeley: University of California Press, 1965)っていう本の66ページで,これはまあ当時のヨーロッパ人が日本について書いたものをまとめて英訳した,っていうやつですから,多分日本語でも同じコンセプトの本はあると思うのでそれを探せばいいでしょう。第二は,Gary P. Leupp, Images of Black People in Late Mediaeval and Early Modern Japan, 1543-1900, Japan Forum 7, no.1 (1995)っていう論文で,ペイウォールの向こうに行ければ読めます(https://doi.org/10.1080/09555809508721524)。要するに,著者のデイヴィド・ライス氏(カリフォルニア大学バークレー校所属)は日本語読めないので,英訳された史料や英語で書かれた論文を典拠にして,本題に入る前のマクラとして弥助についてちょろっと書いたということでしょう。
仮に彼が日本史の研究者なら日本語を読めないのは問題外ですが,論文の内容から察するにあくまでアメリカ黒人史の研究者なので,それならまあ日本語の論文読んでないのも仕方ないかなという感じ。なんだろう,アーサー王伝説そのものについて研究するなら,古い時代の英語とかウェールズ語とかの史料が読めないといけないけど,「日本人がどんなふうにアーサー王伝説を受容したか」という研究なら,『Fate/stay night』が読めれば十分で,アーサー王については日本語の本を参考にしてても構わないじゃないですか。この論文もそんな感じです。
なので,ふつうの日本中世史研究者が,この論文を典拠として用いることはまずないです。だって普通に考えて,こんなの典拠にならないっしょ? 中世ヨーロッパ史の研究者が論拠として『Fate』を参考にするなんてあり得ると思います? そりゃ絶対あり得ないとは言えないけど,そういう蓋然性が薄い推測をわざわざするならもっと直接的な証拠(本の中でこの論文を引用してるとか)を持ってきてもらわないと……
(もちろん,最近は中世ヨーロッパ史の研究者が日本におけるヨーロッパ表象の研究に手を出していたりするので,そういう研究で『Fate』を史料として用いるのは全然あり得るっていうかもうやってる人はいたはずなんですが。そのへんの研究動向は,たとえばhttps://doi.org/10.34382/00003197とかhttps://doi.org/10.34382/00003198とかの論文を読んでもろて……あ,話がズレた)
この論文,表象の研究としてはまあ手堅いので,弥助論争に巻き込まれて変な受け止められ方をするのは気の毒だと思いました。ただそれはそれとして,日系サイドの話もアフリカ系の新聞に基づいて書かれているきらいがあるので,論文のタイトルから「アジア人」「日系」を外して黒人についての論文だと明確化するか,あるいは日系人についてもちゃんと彼らの出してた新聞を読み込んで「日系から見たアフリカ系」を調査しないとダメなんじゃないかなぁ,とは思います。まあ,当時の日系人が出してた新聞って日本語で書かれたやつがいっぱいあるので,単純に読めないのかもしれませんが,だったらなおさら「これは2つのマイノリティについての話です(キリッ」と謳うんじゃなくて,「これはあくまで黒人史の話でっせ」という断りを入れた方がよいような。日系人の歴史は黒人史の添え物とちゃうねんで。
ちゃんと読むっていうのは,この論文のテーマは何で,どういう史料を使っていて,という,基本的なことを確かめながら読むことです。そうすれば,どれが話のマクラに過ぎず,どれが本題なのか,っていうのがわかって,「アメリカ黒人史の論文が日本中世史研究者の元ネタだったんだよ!」なんていうアホな主張をすることもなかったはずなので。
一つ言っておくと、現状を変えたくない、新しいことは怖い、「外」は外「内」は内で暮らしたい、どちらかと言えばお気持ちが重要……そういう心性に基づく思想を保守主義と言います。
一方で、現状を変えることも厭わない、新しいことは楽しい、「外」も「内」もなくなればよくない?、どちらかと言えば理屈が重要……そういう心性に基づく思想が革新主義です。
誰もが、幾分か保守で幾分か革新です。割合は人それぞれ。どちらがいい、悪い、上か下か、そういうのはありません。これ大事です。どちらが絶対に良くてどちらが絶対に悪いということはないんです。あなたは多分、真っ当に教育を受けてきた人なんでしょう。ひょっとしたら、理屈で正しいことが正しくて、感情に振り回されるのは間違ったことで、従ってより理屈が通った新しいことは受け入れるのが正しい、受け入れられないのは狭量で間違ったことだ……みたいな考え方を内面化しているかもしれません。それはちょっとした呪縛です。あんまり気にしない方がいいです。誰でも、必要以上に努力を強いられることなく、社会の片隅で暮らし、その範囲で感じ考えたことに基づいて振る舞えばよいのです。それで社会がうまく回るような仕組みを作るべきなのであって、そうやって民主主義というのは回っていくものなのです。誰かの判断だけが正しいから、その人に従おうというのは民主主義ではありません。誰もが主人であるから、誰もが思うように振る舞ってよい、それが民主主義です。
さて、こう前置きした上で言いますが、あなたの考え方はかなり保守寄りです。憲法改正反対も「なんとなく不安だから」、金権政治に憤るのも「むかつくから」……と考えれば、それらも極めて保守的な反応と言えるでしょう。悪い意味じゃ無いですよ。ですから、あなたの自認がどうあれ、あなたはとても保守的な人間だということをまずご理解いただければと思います。そして、それは別に悪いことではないということも。別に、「なんとなく不安だから憲法改正には反対」で構いませんし、「むしろ外国が不安だからなんとなく改正したい」でも別に構やしないのです。みんなのそういう総意で創意すればそれなりにうまいこと形に落とし込むのが官僚という頭のいい人たちの仕事なので、せっかく税金払ってるんだから、投票という義務を果たしたらあとは成り行きを見守っていたらよいと思います。
じゃあなんで、長々レスを付けるのか。実は、少しだけあなたが「不安」に思った方がいいのでは……ということについて、「どちらかと言えば革新寄り」な私の見解を少しだけお伝えしたいと思ったからです。少しだけお時間いいでしょうか。まあ「革新寄り」な人間の言うことですから、話半分に聞いていただいていいのです。お茶でものみながら聞いて(読んで)ください。別にあなたを革新主義にしようとか思っちゃいません。(そもそも、そんなこと不可能です! 会ったことも無いあなたの「不安」をぱーっと解消して、新しいモノ好きの人間にするとか、そんな怪しい洗脳みたいな真似が言葉だけでできるなら、増田に書くよりよほどほかにすることがあるでしょう。)
私の思うその「不安」というのは、あなたも薄々感じているとおり、あなたの「不安」を外に出せないということと関係があります。あなたはあなたの「不安」を人と共有できない、と感じている。それはおおむね正しいです。それは、その「不安」が間違っているからではない(これは何度でも注意しておきます)。その「不安」が人を傷つける可能性があるからです。賢明なあなたは、どこかでうっすらとそのことに気付いている……あるいは、そうどこかで教わったことを内面化できている、そのおかげで、今のところはその不安を口に出さずにいる=誰かを傷つけることから免れている、というわけです。では、その不安を外に出したらどうなるでしょう。
あなたはすでに中年とのことですが、ひょっとしたら自分か親戚に子どもや甥や姪がいるかもしれませんね。親しい人、大切な人の一人や二人はいるのではないでしょうか。自分以外の誰か、目の中に入れても痛くない、あるいはその人が苦痛を負っているなら、その一部を分け持ってもいい、そう思える人の一人がいないでしょうか。あるいは、この先、そういう人が現れる可能性はないでしょうか。保護しなければいけない子、親戚でも近所でも、そんな縁がつながることがあるかもしれません。では、そのとき、その人がトランスジェンダーであったら? イスラム教徒であったら? その人が将来連れてきた伴侶がそれらの属性の人であったら?……そのとき、あなたがそんな発言を残していたら、それは確実にその「あなたの大事な人」を傷つけることになります。それはあなたにとって「不安」ではないでしょうか。
心というのは、表に出していないつもりで、結構端から洩れているものです。テレビを見ているときにちょっと眉を曇らせる、普段のちょっとした言葉や態度の端々に、あなたが考えていることは現れてくるものです。よほど厳しく自分をルールで律してでもいない限り(そういうのは革新主義の人の得意分野ですが)、あなたはおそらくあなたの内心を隠し偽ることができないでしょう。それだけに、軽々にああいった書き込みをしてしまうことには、少し慎重になられた方がよいのではないかと思うのです。ただしそれは、あなたの今感じている「不安」を押し隠すという方向である必要はなく、「不安」をそのまま剥き出しにしない……それが無闇に人を傷つけるものに成りにくいように配慮できたら、あなたの「不安」は幾分か少なくなるのではないでしょうか。
たとえば、
・トランスジェンダーを女性用スペースから排除してほしい→トランスジェンダーの生きにくさと女性の不安を共存できるようなやり方を検討してほしい
・移民を排斥したい→移民の人との間の文化的摩擦が最小となるよう十分な配慮を望む
・イスラム教徒とは共存できない→イスラム教の教義に基づき(これは実際にそう)日本社会との相互不干渉の維持に勉め日本社会への理解を促進してほしい
ね。
そもそも「異教徒ブッコロOK」というのは、愛の宗教を歌い「汝の敵を愛せ」とイエスが言った聖書を奉じるキリスト教ですら延々とやってきたことです。ユダヤ教が現にやっていることでもあります。逆に、人種、民族、身分格差は認めない、異教徒(一神教の)の信仰も認める、という教義のイスラム教が彼らより危険だというのは、少し公平性を欠いた議論であると思います。世界的に見れば、神を信仰しない日本人は相当「気持ち悪い」人々と思われていますが、それはそれで心外ですよね。うっすらとした信仰心みたいなものはあるし、それで社会がおさまってるからいいじゃん、と私たちは思っています。日本の一部で起きた過激な事件に紐付けて(たとえばオウム事件などに寄せて)キリスト教国じゃない国はこれだからダメだ、日本人とは共存できない、とか言われたら、少なくとも「それはちょっと誤解があるよ、大多数の日本人はそんなんじゃないよ」と言いたくなりますよね。それと同じです。
トランスジェンダーの多くの人は、不安がってる女性の中に飛び込んで「うぇーい」したい人ではありません。ただ、男性の中にいて感じている「居心地の悪さ」を、可能ならなんとかしたい、それだけのことです。解消する方法はなんでもよいのです。私はたとえば、もう真っ裸で入る公衆浴場というのはあきらめて、みんな水着で入るようにすれば全部解決だと思ってますが、たとえばそういうことです。みんなでちょっとずつ不自由を分担すれば、誰の「不安」も解消できるので、ナイスアイデアだと思うのですが。
それから、あなたの感じる「左派」への不安、ちょっと分かるのです。なぜなら、どうも「左派」の目立つ人々の中には、自分は「正しい」、自分は「弱者の味方だ」、自分たちは「正義の守護者だ」、自分たちに反対する人間は「悪だ」……そういう雰囲気を漂わせ、そういう言行をする人が散見されるからです。これはあまり感心できないことです。敵を「排除する」とか自分たちは正義でありこれは「変わらない」……それらは極めて「保守主義」的な言動であり、彼らが口にする革新的な主張と相容れないからです。保守主義がダメというのではなく、言行不一致で人を不安にさせるのがダメなのです。もちろん、ゴリゴリに保守主義的な左派にもそれなりの存在意義はあります(岩盤層の維持といった意味で)。ただ、彼らが主流となることはないでしょう。それに比べて、保守と名乗りつつ十分柔軟な発想ができる革新主義者、というのは、なかなか信頼がおけそうで、多数の支持を得るのも当然かもしれません。保守的な主張により保守派から、柔軟な態度や言動により革新派から、それぞれ支持を受けられるからです。後者が支持者を不安にさせないのは不思議ですが、彼らがその柔軟さによって巧みに顔を使い分けると考えれば、必ずしも不思議では無いでしょう(その点、革新の旗を掲げる保守主義者は、顔の使い分けが下手なように思います。素直な人々と言えばそうなのですが。)。左派の方々が現状で支持を得られないことには、それなりの根源的な理由があり、それはあなたが心配したり後ろめたく感じたりしなくてもよいことです。彼ら自身が考えるべきことです。あなたは先のエントリで、自分がなぜ左派に投票「できないのか」について、延々と述べているように感じました。それは、まるで「左派に投票するのが『正しいのかもしれないが』、こういう理由でできないのだ」と誰かに説明しているように見えました。でも、大丈夫です。最初に述べたとおり、たとえば投票といった場において、あなたがあなたの考えた通りに振る舞うことに、何の問題もありません。あなたは、自分が左派寄りだと思っているかもしれませんが、私から見れば十分保守寄りですし、だからといってそれがいけないということは全然無いからです。はっきり言いますが、革新主義者しかいない島があったとして、私はそんな島に住みたくはないです。もちろん、保守主義者しかいない島があったとしても同じ。これはおそらく7割から8割の人が、実際そうなんじゃないでしょうか。両方がいて、あれこれ意見を交わしながら、都度都度方針を決めて、あるときは保守的に、あるときは革新的に物事が進んでいるというのが、一番平和で適切ではないかと思います。だから、それでいいのです。
まあ、長々となりましたけど、要するに「あなたは別に今のままでOK」、ただ、「将来も後悔しないような言動ができるよう、少しだけ配慮した方がHappyじゃね?」って話なのです。軽々しく排除的な言動を、たとえ匿名でもしてしまったら、最後は自分自身だって傷つくのでは無いかなあという、ただそれだけの老婆心でした。なんだか偉そうになってごめんなさい。最後までご静聴ありがとうございました。