はてなキーワード: 惨事とは
>>鉄道のことになれば、とびっきりうきうき話すくせに、それ以外ができない人が多い。
>>端的に、偏った表現で言えば「友人少ないんだろうな」、みたいな人なのです。
>>まわりに撮り鉄しか友人がいない、TwitterなどのようなSNSで自分の都合のいい世界しか出来上がってない、好きやつ同士でしか付き合っていない世界。
弱者男性や障碍者への差別や植松の時と同じ、弱者属性だったらありとあらゆる理屈をこねて人間性を貶め、侮辱していいと堂々と主張する
誰も訂正する人がいない
法律に反する行いをする鉄道マニアだったら通報して逮捕すれば姉妹だろう
でも本当は危険行為をする殻が排除の目的ではなく、単に鉄道関係者が撮影されるのが不愉快だからということだけが排除したい理由なんだろう
ワイちゃんとフェミニズムの勉強とかしてない(そういう本も一冊も読んだことない)し、オタクの喪女だからネットの女叩きに対してしょっちゅうここに書けないような事すっごい思って怨念溜め込んだりしてるんでクソでええんよ。
でも「弱者男性」って大きなかたまりに対して、「男性全員」にするのと同じように、その怨念ぶつけちゃいけないって決めたんよ。
一番思うのは「〇〇歳KKOだけど結婚して子供欲しいさみしい」とかの意見に対してちょっと前まで「こっちは25歳くらい超えた女とかブスに対して散々BBAとか産廃とか惨事はゴミとか言われまくって諦めの境地通り越してるんですけどオオン? そんな年齢で今更何言ってんの君?」みたいな怨念めっちゃあったけどこれはやめようって。そういうの実際言ってきた奴だけに死ねゴミって言わなきゃダメで、そうでない人に言うのはただのやつあたりだなって。そこはその人の「つらい」ってお気持ちだけ汲み取って「せやな」って返せば十分なんやろなって。
あと「少子化と男性の苦しみは女のせいなので女が(を)こうすれば良い」みたいなクソ文がはてブでメラメラに燃えてんの見るとついカーッとなって「なんだァ? テメェ…」ってやりたくなってたけど、今回のさまざまのホッテントリを見て「あれは弱者男性の本流の主張として書かれたものではない、極めて一部の過激な意見である。弱者男性の苦しみを解決するために書かれたものでもない。むしろ逆」という事がわかった。これは本当に個人的に大きくて、「弱者男性への救いとは、具体的に何か」を書いた増田の人には個人的にすごくお礼言いたい。
ホロライブが好きで、ホロENが好きで、Redditを見て、英語がわかりたくて英語をまた勉強し始めた。学生時代は英語が苦手でかなり初歩からの再スタートだったけれど、今度は目的があったから三日坊主にならずにきちんと勉強が続けられていた。
ホロライブとは全く関係ないところの人たちだけど、日本文化に興味のある海外の人たちと簡単な英語でコミュニケーションが取れるようになってきて、楽しくなってきた。私もいろんな国の人に文化を教えてもらったりして、自分の無知さを知ったり英語圏に対する漠然としたカッコいい憧れみたいなものが壊れていく感覚があって、英語を勉強し始めてよかったな‥と思っていた。
ホロの今回の炎上はあまりにもグロすぎた。元から界隈の民度が最底辺なことはVTuberの視聴者は殆どが分かっていると思うけど、今回のは過去のVTuberの炎上の中でもとりわけグロく感じた。
これがにじで起きたことなら、きっともう少し様相が違ったんだろうと思う。詩子お姉さんはきっと最悪ー!と言ってくれたと思うし、にじの箱内で消化するなりネタにして何とかできる範囲に収まったんじゃないだろうか。視聴者が圧倒的に男性のホロ箱だからこんな惨事になってしまった。
男性と女性の対立煽りをする気はないけど、私は元々二次創作は隠れるべきという女性同人の村の出身なので、男性向け女性向け関係なくR18やセンシティブな投稿はTwitterでは鍵をかけてやるべきだと思っている。男性向けのエッチな絵がTwitterでゴロゴロしている現状が異常に感じるし、男性向けは未成年も見れる環境、エロ絵が嫌いな一般人も観れる環境である意識が薄すぎる。BLに関しても市民権を得てきた感覚はあれど、同じように隠れてやってほしいと思っている。そういうのが嫌いな人への、ネットリテラシーとして。(差別がどうとか、そういうのとは別の感覚
女性向け界隈は元々男性向け界隈から、気持ち悪い、隠れろ、と言われ続けて日陰で生きてきた経緯がある。でも元は、オタク向け界隈全体が世間様から隠れろやるなら大人しくじっとしてろ!気持ち悪い!と言われてきた文化のはずだ。
それなのに、同じ気持ちをオタク同士でわかり合うことができず、ホロライブのリスナーが女性向け界隈に火をつけて回っていることがあまりにもグロすぎる。船長とみこちへのリプライもキモすぎる。
これはVTuberのファンってみんなキモくね?と言われても致し方ない。だってキモすぎるもの。
この件がここまで炎上したのはリスナーがキモかったからだ。著作権がどうとかそういうこと以前に、ホロライブ周辺の人間があまりにもキモすぎたせいである。
ホロライブを推している一人としてあまりにも悲しく虚しくやるせない。この人たちと同じだと思われたくない。でもリスナーはキモい。だいたいキモい。
そして一番ショックだったのが海外ニキたちの反応だった。女性向け界隈にまったく理解がないに飽き足らず、この件に関してどこまで理解しているんだか、反応があまりにもキモい。なんなら日本のリスナーの方がまだ良心と常識があるレベルでキモくてグロい。
同人作家に英語で飛んでるクソリプを理解できるようになってきてしまっただけに、こんな英語グロリプを理解するために英語を勉強しようと思ったんじゃない、とほとほと泣けてくる。キモすぎて衝動的にリプを飛ばしてやろうと思ったがあまりにもグロくて理解し合いたくなかったので辞めた。
キモ海外ニキとの間にあるのは言語の壁ではなかった。言葉が通じない。その感覚に近い。
海外のオタクはもう少し民度がマシなんだと思っていたが、最近色々と思い直している。中国のオタクも結構キモく(以前のホロライブ炎上の件については中国圏オタクの心情も理解できたものの、その後の粘着がめちゃくちゃキモかった)、英語圏のオタクはわりと輪をかけてキモい。日本のオタクより数が少ないからよりよいように見えていただけで、海外のオタクもかなりの確率でキモい。
韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督の2020年の作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である。
描かれる時代は、アジア太平洋戦争で日本帝国が敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争の責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去を清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。
その標的はまず、戦前は絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前・戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。
戦後日本を象徴する言葉は、長いこと、「平和と民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。
天皇の戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年→1945年)アジア太平洋地域で戦争を続けた近代日本の実像を覆い隠し、この戦争の全体像を、最後のわずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島・長崎の「悲劇」を前面に押し出し、米軍占領下の沖縄は辺境ゆえに無視して、日本全体があたかも戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦・平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。
1960年の安保闘争の時にも、1965年の日韓条約反対闘争の時にも、戦前の日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在を分析する言動はほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会は総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。
1960年代後半、この社会・思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長の過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長の最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。
時代はあたかも米国のベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島に輸送される米軍物資の調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジアの民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。
加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人や先住民族(インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配が人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。
「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本の近代史と現在が孕む問題群に、「民族・植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。
「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み
「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計』から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日、東京・丸の内の三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。
「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係な一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーションで流れる。
多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。
その責任の一端が、「反日」そのものの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。
画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊の大道寺将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係も自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶と悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。
映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えのなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。
「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画を制作したのは、韓国の映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画を制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議=編『支援連ニュース』420号、2021年3月6日)。社会的正義のために、加害国=日本に搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日」メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。
だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品の制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場用パンフレット所収)。
74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本の自分たちが戦後の「平和と民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本の植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。
そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現と言論の自由を獲得した韓国の新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画が日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本も韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援連ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。
最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性の存在だと思われる。
刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たちの闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。
キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。
死刑囚の獄中書簡集を読んで、あんな事件を引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつうの青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑囚である義兄とは、媚びへつらいのない、上下の関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。
そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督も女性だ。弱い立場にある労働者の現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規の女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこの作品に脈打っていたフェミニズムの視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。
トマトホールにかつおだしを混ぜてうま味が強いパスタソースを目指したが全然調和しない泥が出来上がった。
これを捨てずに別の料理にコンバートしたいんだが、どうすれば?
現状:
デルモンテのこれ
https://www.amazon.co.jp/dp/B00O3UYP0O
シマヤだしの素
https://www.amazon.co.jp/dp/B00SWRJ9AA
今のクセや臭みが消えることを期待して生から投入して30分加熱した。
一発で劇的に改善した。あと少しだ。
トマトホール+ダシのもとでうまみを引き出すより圧倒的に簡単でうまい。
敗因としては、ブコメで指摘されたようにトマトの酸味を飛ばしきれなかったことが大きい。
また、オリーブオイル切らしててキャノーラ油にしてたし白状すると格安の魚肉つみれも投入していた。
だが自炊はやめられない。
最初に言っとくけど、今からご飯を食べようとか、なんなら今まさにこれからエッチしようとかしてる男性の方とかはこの下は読まないほうがいいかもしれない。女性の汚れものの話なので(知っていて損ではないとおもうけれどね)。
少なくとも一部の女性(私だよ)の自己肯定感をブチ上げてる、日陰物の話をさせてほしい。
====
簡単に言うと、ぱんつのクロッチのオプションとして使う当て布・当て紙である。
極々小さくて薄い生理用ナプキンみたいな形状をしていて、ナプキン同様にぱんつのクロッチ部分に貼りつけて使用する。
バラとかのいい香りがするやつもあるし、無香料のものもある。天然コットンを売りにしてるやつも、人工素材だけど機能的なやつだってある。
違いとしては、ナプキンよりずいぶん薄くて小さく、ナプキンに必需品であるポリマーの水分吸収体も大抵入っていない点が挙げられる(一部入っているのもある。ちょっと高い)。
何より主な出番が「生理じゃない日」というのが大きな違いである。
ところでなぜこのような当てが、しかも出血のない普通の日に必要になるのか。
おりものは子宮や膣から出る液状の分泌物である。健康であればふつう酸性の液性をしており、膣に入りがちな大腸菌などのバイ菌を殺菌したり、子宮内部の老廃物を排出したり、また潤滑液としての働きをしたりもする。
おりものがないと膣内部はゴミだらけのバイ菌だらけになってしまう。また完全に乾いたお股では摩擦で痛くておよそ歩けたもんではない。
人によって、また日によっても出る量や色、粘り気やにおいなどは様々であるが、大抵の女性のお股は常にしっとりしているのである。毎日である。生理がない日もである。女性の下半身は偉大なるおりものに守られているのである。
さて、そんな殺菌と洗浄と老廃物の運搬を担う偉すぎるおりものであるが、ひとつ問題がある。体内に溜めておく場所がなく、排出に際してコントロールも効かないのである。
おしっこであれば膀胱があるし、緊急事態ならお股を押さえておけばなんとか決壊を防ぐことができる(ような気がする)。大の方は……3日分くらい体内に留まるのは普通だし、緩い時だってストッパとかお薬がある。
おりものにはこれがないのである。垂れ流しである。行き着く先はクロッチである。
同じ垂れ流しの経血とは色も量も起きうる惨事の規模も違うが、クロッチが湿ったぱんつなんてのは穿けたものではない。
ズボンに染みないか、においが漏れないか気になって仕方ない。椅子に座るたびにお股がヒヤッとするし、毛についてぱんつと固まったりすると、トイレで脱いだ時に毛がブチブチ抜けて痛い。奮発して買ったお気に入りのぱんつだって汚れてすぐにいたむし、濡れていることに対して怒りさえ感じることもある。
クロッチが濡れて気持ち悪いのに、ニコニコして人当たりよく仕事や勉強をするなんて、どうしても私には無理である。
洗い立てのぱんつに装着して履いておく。体内から出たおりものはライナーがしっかりキャッチしてくれる。トイレに行ったときに汚れているようなら、すかさず新しいライナーに替えられる。そうすればそのぱんつのクロッチはもう洗い立てのそれと同じである。
個人的には多い日では1日に3回か4回くらい変えることがある。これが他の女性と比べて多いのか少ないのかわからないけれど、3回も4回もスッキリした気持ちになれる。「からりと乾いていて、汚れていないクロッチ」これがなかなか自己肯定感をぶち上げてくれるのである。
強気にもなれる。優しくもなれる。頑張ってもいいかなと思える。
「私もなかなかやるじゃん、ぱんつも濡れてないし」QoLが爆上げした瞬間である。
避難所で生理用ナプキンが猥褻物として扱われてしまうとか、今日もルナルナの件で炎上してたりとか、血が出る「生理」は印象として派手なので話題にものぼりやすいし、議論にもなるし、とりあえずの理解もされやすかろう。
そんな中で日常の生活を支えてくれるパンティライナーは完全に日陰者である。地味だし。話題にされているのを寡聞にして聞かない。
それでも濡れていないぱんつ、あたらしいクロッチをいつでも提供してくれるパンティライナーは、私の気持ちを人並みに人間にしてくれる救世主である。
とまあこう、人に知られざるパンティライナーを称え増田をしたためた訳だが、正直に言うと今日は完全にうっかりしていた。
毎日カバンには替えをいくつか持っているし、会社のロッカーにもストックがあるんだけど、今日はどちらも切らしていて一日中湿ったぱんつで仕事をする羽目になってしまった。
結果は散々である。
半身浴しながらポチポチ書いてたんだけど、そろそろのぼせちゃいそうだからお風呂出るね。読んでくれてありがとう。
決意表明をしたいと思う。
トイレの蓋は必ず閉める!
閉めて流すべきたのは分かっていたけど
なかなか定着しない。
うっかり、アラフォーにもなって、
コンビニの便座の蓋に放尿(泣)
座った瞬間に気づくはずが、衛生面を気にして
便座から少し腰を浮かせて用を足す小賢しい真似が
事。
大量のトイレットペーパーで拭き取って
心の中で謝罪しながら、何事もなかった顔で
帰宅。
コート着ててよかった。。
本当に申し訳ありません。
個室に入ったらすぐに座席に座って
用を足したい。
脱ぐ時にごちゃごちゃして手間取るのだ。
加えてコンビニなどのトイレだと、バッグの置き場も探さなければいけない。
引っ掛けて自由になった両手で
やっとズボンを下ろしながら便座に中腰。
やっとそこで一息つけたと思ったら、である。
もう、涙出そう。
幸いすぐ脱出し事なきを得たが、
こうした事態はきっとまた起こりうる。
こんな惨事は繰り返したくないので、
常に閉める習慣が付いていれば、蓋を最初に
チェックするはず。
痛い目を見た今度こそ、習慣化させたい。
wazpk6no 日本以外があるんか?
2020/12/01
[B! ガンダム] 日本三大ガンダムシリーズから広まった単語
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20201201142719
ブコメにこんなコメントがあった。もっともな意見だと思う。そして結論から言えば、ある。
日本語でもすっかり一般的になった「黒歴史」だが、それでもまだスラング的というかサブカル的な匂いが漂う単語だ。
しかし韓国語の흑역사は、それよりさらに幅広く使われている。具体的には朝鮮日報や中央日報といった大新聞で、カギカッコなしで使用される単語になっている。
もっとも韓国語での「黒歴史」には、本来の意味である「覆い隠された歴史、抹殺された歴史」というようなニュアンスだけではなく、単純に「不名誉なできごと」という色が強い。だから「人気女優の整形前の黒歴史写真」といった隠された過去の事実だけではなく、「これで政界の黒歴史が終わる」とか「今日も連敗して黒歴史を更新した」というように現在進行系の事柄にも使うようだ。
전격 사의의 이면에는 오는 2일 열리는 검사징계위원회의 개최를 막기 위한 의도가 담겼다는 분석이 나온다. 고 차관은 징계위의 당연직 위원이다. 징계 청구권자인 추 장관을 대신해 위원장직도 맡고 있다. 이대로 징계위가 열릴 경우 절차가 파괴된 채 해임‧정직 등 중징계가 의결될 가능성이 높은 만큼, 징계위 개최 일정을 지연해야 한다는 의도가 있었을 것이란 해석이다. 한 전직 법무부 고위 관료는 “검찰 흑역사의 주인공이 될 수는 없었을 것”이라고 분석했다. 또 다른 후배 검사는 고 차관에 대해 “진짜 검사”라고 평했다.
電撃社の場合には、来る2日に行われる検査懲戒委員会の開催を防ぐための意図が込められているという分析が出ている。高次官は懲戒委の職権委員である。懲戒請求権者であるチュー長官に代わって委員長も務めている。このまま懲戒委が開かれた場合の手続きが破壊されたまま解任‧正直などの重い懲戒が議決される可能性が高いだけに、懲戒委開催日程を遅らせる必要があるという意図があったという解釈である。した元法務部高位官僚は「検察黒歴史の主人公になることはなかっただろう」と分析した。別の後輩検査は高次官に対して「本物検査」と評した。
秋 찾아가 사의 밝힌 고기영에···"진짜 검사""檢흑역사 피했다" - 중앙일보(秋を訪ね社明らかにしたゴギヨウンに···「本当の検査」「檢黒歴史避け」 - 中央日報)
https://news.joins.com/article/23934805?cloc=joongang-mhome-group2
이를 듣던 전현무는 학창시절 주입식으로 암기했던 흑역사를 고백해 관심을 모았다고 한다. 전현무는 “너무 창피한 게, 뭔지도 모르고 무작정 외웠다”며, 이로 인해 생긴 안타까운 해프닝을 이야기했다고. 그때는 몰랐고 지금은 알게 된 전현무가 배운 고려의 역사는 무엇일지, 전현무의 가슴을 울린 설민석의 꿀잼 역사 강의에 관심이 모아진다.
これ聞いた玄武は学生時代詰め込みに暗記していた黒歴史を告白して関心を集めたならない。玄武は "あまりにも恥ずかしいが、何かも知らずにやたら覚えた」と、これにより生じた切ないハプニングを話した。その時は分からなかった、今では知った玄武が学んだ検討の歴史は何なのか、玄武の胸を鳴らし説ミンソクのクルジェム歴史講義に関心が集められる。
"뭔지도 모르고 외웠다" '선녀들' 전현무, 삼별초 항쟁 주입식 암기 흑역사 고백 - 조선일보(「何かも知らずに覚えた」「フェアリー」玄武、三別抄抗争詰め込み暗記黒歴史告白 - 朝鮮日報)
https://www.chosun.com/entertainments/entertain_photo/2020/11/29/KM2JUV5MNC6EUIKPYL2YLBUEWA/
12번홀은 우즈가 지난해 11년 만에 통산 15번째 메이저대회 우승을 차지할 때 반전을 만든 곳이지만 올해는 흑역사의 현장이 됐다. 지난해 우즈는 최종라운드 11번홀까지 프란체스코 몰리나리(이탈리아)에게 2타 차로 끌려갔으나 몰리나리가 12번홀에서 볼을 물에 빠뜨려 2타를 잃은 덕에 이 홀을 파로 막아내 동타를 이뤄 역전승의 발판을 마련했었다. 우즈는 이날 12번홀 참사 이후 13번부터 마지막 6개 홀에서 버디 5개를 몰아쳐 순위를 끌어올린 것으로 위안을 삼아야 했다.
12番ホールは、ウッズが昨年11年ぶりに通算15回目のメジャー大会優勝時の反転をしたところだが、今年は黒歴史の現場になった。昨年ウッズは、最終ラウンド11番ホールまでフランチェスコモルリナリ(イタリア)に2打差で連れて行かれたがモルリナリが12番ホールでボールを水に落として2打を失ったおかげで、このホールをパーセーブ同打を成し逆転の足場を用意した。ウッズはこの日、12番ホールの惨事の後、13番から最後の6つのホールで5バーディーを吹きつけ順位を引き上げたことで元をしなければした。
우즈 12번홀서 10타 '참사'…한 홀 최다타수 흑역사(ウッズ12回ホルソ10打「惨事」... したホール最多打数黒歴史)
올해 K리그1 꼴찌 인천 유나이티드가 버팔로의 10연패 흑역사에 접근하고 있다. 인천은 지난 4일 울산전 패배로 연패 기록이 8경기로 늘어났다. 인천이 앞으로 2경기만 더 진다면 1994년 버팔로의 불명예를 함께 짊어지게 된다. 약체는 2부리그로 내려가는 승강제의 도입 이후로는 긴 연패는 잘 나오지 않았던 터라 꽤 낯선 풍경이다.
今年Kリーグ1最下位仁川ユナイテッドがバッファローの10連敗黒歴史に近づいている。仁川は4日、蔚山前の敗北で連敗記録が8試合に増えた。仁川が今後2試合だけよりジンダミョン1994年バッファローの不名誉を一緒に担うことになる。弱体は2部その下がる昇降制の導入後には長い連敗はよく出なかったことだし、かなり奇妙な風景だ。
프로축구 ‘흑역사’ 전북 버팔로 김기복 전 감독이 인천 선수들에게… - 경향신문(プロサッカー「黒歴史」全北バッファローギムギボク前監督が仁川選手たちに... - 京郷新聞)
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?art_id=202007092217005
하지만 반가움도 잠시, 유노윤호가 절친 김희철의 흑역사를 발설해 희철의 어머니를 진땀 흘리게 만든다. 과거 김희철과 숙소생활을 함께 한 유노윤호는 “희철 형이 눈빛이 바뀔 때가 있다!”라며 희철의 ‘깔끔왕’ 면모를 폭로하는가 하면, 자신의 지독한 열정 탓에 희철을 몸서리치게 만든 일화를 털어놓아 폭소를 자아낸다.
しかし、嬉しもつかの間、ユンホが親しいキム・ヒチョルの黒歴史を口外してヒチョルの母を冷や汗流す作る。過去のキム・ヒチョルと宿舎生活を一緒にしたユンホは「ヒチョル兄が目つきが変わることがある!」とヒチョルの「きれい王」の面貌を暴露するかと、自分のひどい情熱のせいでヒチョルを身震い打っした逸話を打ち明けて爆笑を醸し出す。
'미우새' 유노윤호. 김희철 흑역사 폭로…'희철 형, 눈빛이 바뀔 때가 있다'(「みう新しい」ユノ。 キム・ヒチョル黒歴史暴露... 「ヒチョル型、目つきが変わることがある」)
ナムウィキの「黒歴史」の項目に韓国メディアによる使用例が載っている。広く使われるようになったのはここ10年以内のようだ。
時々媒体では、黒歴史という表現が出て、2012年9月のある高校生の一人遺書に私の言葉を書いて投身自殺した事件がマスコミに乗った。「中2の時、黒歴史明らか将来はない」と1入水自殺した生徒も生徒だが、単語自体の暗鬱と同じくらい暗いマスコミデビューだった。
2010年代以降には、いくつかの芸能プログラムで使用されているように、ある程度は大衆化がされた単語である。ラジオスターでキュヒョンが使用した。2012年10月20日無限挑戦300回でもチョン・ヒョンドンが直接「ヒョンドンの黒歴史」という表現を使った。また、1泊2日2012年10月21日放送分でも字幕で登場した。
2016年テロ防止法に反対フィリバスター中に「国家情報院の黒歴史」という発言で、国会速記録に記録されることにより、最終的に歴史に残る表現がされた。
2016年11月1日、今度はアンカーブリーフィングでチェ・テミンとプロテスタントを併せて論じていたソン・ソッキのアンカーによって再びこの言葉が使われた。
2017年3月10日、朴槿恵弾劾当日中央日報社説も「切ない国家の悲劇であると同時に大韓民国最悪の黒歴史の一つとして残るになった。」と、この表現が使用された。憲法裁の大統領罷免は国民の命令である。
2017年4月16日付のには「SBSスペシャル私の輝く黒歴史」という番組が放映されたり、メインのニュース番組で使用されているなど、今放送でも、完全に定着したものと思われる。
2020年7月22日放送通信審議委員会でプロデュース101前シーズンに視聴者投票の結果、操作の課徴金を賦課しプロデュース」操作事件は韓国の放送、100年の歴史に記録される初の詐欺行為であり、黒歴史という表現を使用してながら、現在としては公の場でも、ある程度位置表現がされてしまった。黒歴史という言葉が誰ても理解しやすいながら、はしたない悪口や卑俗語が全く混ざらなかったため、公の場で書かれても問題にするほどの距離がある。
2020年11月25日チュ・ミエ法務部長官がユンソクヨル検察総長の職務を停止させ、検事が反発する事態まで起きて、国民の力でムン・ジェイン大統領がチュ・ミエの暴挙を黙認したのが黒歴史に残るだろうと述べたことが記事に掲載された。#
くじは9時(ギャグか?)からなんだけど、店に並んで良いのは7時から まあ無視してもっと早くから行列は出来ると思う
前回のくじは購入制限がなくて、列の1番目の人が箱の中のくじ70枚全部買い占めるなんていう惨事が発生していた
今回は1人5枚までという制限をつける店が多いらしいが、妖怪横入りの出現が予想されるので非常に恐ろしい
「10人目だ 1人5枚までだから買えるな」と油断していると、列の途中に友人を招き入れようとする妖怪がいるので要注意だ
人気のフィギュアをGET出来ればメルカリで3万円だの5万円だので転売可能だから、枚数制限無しのローソンを見つけ出して箱全買いするテンバイヤーも多いと思われる
とくに鬼滅の刃に興味がない人たちは10/31はセブンイレブンなりファミマで用を済ませて、ローソンには近寄らないようにして欲しい
ちなみに自分も鬼滅の刃には全く興味が無いのだけれど、このくじのことは先日指名したデリヘル嬢に教えてもらった
「一緒に並んでくれる人を捜してるんだけどどう?並んでくれたらバイト代5000円出すし次のとき中で出していいよ」と誘われたのでとりあえす回答を保留している
当日ローソンにいくと自分と同じように中出しにつられたKKOが何人も並んでいるのだろうか
それはそれで絵面として面白いなあと思うが、まあ人として終わってるなあとも思う
自前で規制してたら法規制されないって保証は誰もくれないって点が一番大きいと思います。むしろどんどん範囲を広げようとされてるって感じます。
よく言われることだけどあくまで「性的な絵」を消費しているのであって、
女性を消費しているのは大学の某サークルとか飲み物にクスリ入れてる人たちでしょう。
惨事なんて良い言葉では全くないけれど、それを言うならこちらだって散々キモいと言われ続けています。キモいものはキモいから仕方ないですか?
配慮配慮と言いますが、例えば警察ドラマは殺人事件の被害者遺族に配慮して地上波から撤退したりしていません。
なぜnot for meであると自分から目を逸らさないのですか?
絵描きさんはそれぞれの感覚ですでに配慮して、大丈夫と思うところに載せているのでしょう。アカBANされたくないでしょうし。
2人も死者を出したポルシェ殺人鬼の彦田嘉之の惨事で「ポルシェは頑丈」という誤解が生まれているようだが、あれば被害者の車両がポルシェに衝突してポルシェ側が壁に強打していたら間違いなくポルシェ側の乗員のほうが被害は多かった。
あの動画を見るにポルシェは追突したあとに壁に強打することなく住んでいた。壁に強打していたらまず助からなかったといえる。
実際にポルシェの乗員が死亡したケースもある。
https://minkara.carview.co.jp/userid/960234/blog/37688671/
この度の2人殺害ポルシェ殺人鬼の彦田嘉之の懲役は10年以上にになるという見込みが強い。