はてなキーワード: 思い当たるとは
調べていくと(日本はちょっと多いってデータがあるんだけど)世界のLGBTQの人の割合を見ると、各国だいたい3%ぐらいの数字を出してる。
今30才で、小中高地元の公立に行って、大学も普通の大学行ったけど、日本では出会わなかったなぁ。
高校の時と社会人になってから合計で3年くらいアメリカに居たけど、そこでは友達の中に数人はLGBTQだよって人がいた。思い当たるだけで5人ぐらいいる。
日本ってなんだかんだ島国で、多様性の受け入れには時間がかかるんだなぁと思うと同時に、生きづらいだろうなぁと少し寂しくなる。
いまアメリカで機会があって、アメリカでのLGBTQの人が直面したチャレンジ、どうやって社会が変わったか、どう働きかけたかをその方面のリーダーの方にインタビューすることになった。
この前占い師に恋愛と結婚運を占ってもらった、端的に言うと周りで私のことが好きな人が何人かいて気づいてないだけだと。思い当たるところが二件あるんだけど誰にも言えない人たちなのでここに書いて厄落とし。
一人目は友人の彼氏。もともと友達だった彼とはお互い恋人がいるときに流れで寝たことがあって、友人である彼女と関係がうまく行っていないようで私が彼氏と別れてからなんとなく現在もアプローチを受けている。そもそも私と浮気する時点で見る目ないし割り切った関係でいたかったので無理です。
二人目は割り切りで出会った人。彼は地方へ働きに行っていて、実家に帰ってくると私を買う。五回目のときに「本当に彼氏いないんだ、俺にしといたら?」なんて冗談めかして言われたけど女を買うひととは付き合うつもりがまずないので諦めてください。
まともな恋愛ができるようになりたい。
なんか凄い興奮してしまう。
別に加虐願望があるってわけじゃないと思う、というかそう思いたい。
今まで人を殴ったこととかないし。それどころか中学の時なんか部活内で虐められて逆に殴られてた。
でも人間が打ちのめされて破壊されていくの見ると鳩尾の辺りをギュッと掴まれるような違和感と共に性的に興奮する。
原因?に思い当たることが1つある。
僕の父親(元父親になるけど)はDVマシーンみたいな男で僕は小学生の頃に両親が離婚するまでずっと母親が居間やら台所やら寝室やら風呂やらとにかく家の色んな所で手を替え品を替えてボコボコにされるのを日常的に見てた。
一番鮮烈な記憶として残ってるのは、これは行為というよりエピソードだけど居間のソファに座ってる僕の目の前で父親が母親を殴りつけながら「お前はこの女のケツの穴からうんこと一緒に産まれてきたんだぞ」って言われたこと。今考えるとケツの穴ではないだろ、と冷静にツッコミ入れてしまう。
でもDVを見てた時は母親が可哀想だと思ってたし泣いてばっかで興奮なんて欠片も起こらなかった。
でもその経験が今の僕の状況に何か影響してるような気もする。というかそれ以外だと先天的なものってことになるのか。
これ病気なのか。
最近はツイッターにあるマシュマロなんかで気軽に感想が送れる。
それが楽しくて毎日送ったりもしていた。
けれども書いても書いても送っても送っても「感想が欲しい」「感想が来ない」「匿名は寂しい」。
書き手、描き手は大変なことだと思う。読んで欲しい、見て欲しい、感想が欲しい。それは当たり前の欲求だと思う。けれども私はなんだか疲れてしまった。
先日、イベントに行ってたくさん本を買ってきて漸く読み終わった。
あそこも良いし、此処も良い。この表情は素敵だし、こんなセリフが思いつくなんて。
文章は気に入った部分を何度も何度も読んだ。私では逆立ちしたって出てこないような表現ばかりだ。
でもこの読んだ感情を、高揚を、勢いのまま絵を漫画を小説を写真をグッズを生み出した人に伝えようという気がまったく起きなくなってしまった。
それを少し、自分で悲しく思ってしまった。でも此処で無理に書いてもきっとまた同じことの繰り返しだと思ったのでやめておく。
本当に、自分は何かを伝えることに疲れてしまってるんだと改めて思った。
それでも。感想を今まで何百と伝えてきて良い思い出もたくさんあったので忘れないように此処に書いておこうかなって思う。その思い出話。
自己満足をだらだら書くので暇なら読んで。
まだ随分と昔、私がまだ交通費も捻出できず地元のイベントにしか参加出来なかった頃、支部の凄く好きな字書きさんがわざわざこちらにいらしてくれるとあった。
本当に好き過ぎて、いつか感想はお手紙で伝えたいとメッセージも送ってなかった人だった。
私は慌てて便箋を買いにいった。どの便箋もその人の作風には合わない気がして、文具屋で随分と悩んだ。
どれがあの人の作品に合うだろう、どれがこどもっぽく思われないだろう。
散々悩んで私が選んだのはなんの変哲もないクラフト便箋。そして蝋引きの封筒にした。
家に帰ってもの凄く時間を掛けて手紙を書いた。お話が文章が、凄く凄く好きだと手紙を書いた。何度も作品を読み返して、そのたびに泣きそうになって、そのことも書いた。
あまりにも汚い自分の字に嫌気がさしながらも、それでも手紙を書ききり、封をした。相手のお名前を書いた時、やっぱり字が汚いなと思ってしまった。
そして、当日、緊張してお手紙を渡した。
そう言うとその人は私の書いた名前をなぞりながら
「全然汚くないですよ」
と言ってくれた。それだけで嬉しくて嬉しくて、そのまま本を買って帰ろうとしたら多分サークルの方に渡す用のお菓子まで頂いてしまった。
そして私は逃げるようにそこをあとにした。
その時に買った本も凄く良くて、感想をすぐにでも伝えたいと思ったけど、この人は手紙を書きたいと思った。
そこから暫くタイミングが合わずにその人のサークルに行くことが出来なかった。本は通販。
イベントで暫く、となると軽く数年経ったりする。その人はジャンルも変わってしまった。
そんなある日。
「以前そこへ行った時はご飯も美味しくて感想の手紙も貰って良いイメージしかない」
と。これが自分のことだとは思わなかったが、私の地元に良いイメージを持ってくれて、また来てくれるといってくれて私は嬉しかった。
改めて前に買った本の感想を手紙に書いた。以前、手紙を渡した時もとても良くして貰ったと書いた。
そしてイベント当日、別ジャンルへと行って書き手の方に手紙を渡した。
前ジャンルの時に出された本の感想で申し訳ないんですけど。と云って渡すと私の書いた手紙を見て「あっ!」と云った。
そう訊かれて頷いた。その人は私の手を取って。
「気持ち悪くて申し訳ないです。私、貴方から貰った手紙、嬉しくて嬉しくて何回も読み返してもう筆跡を覚えてしまってて」
そう云われた。
私は感想を書くことが好きだけれどもそれは一方的なコミュニケーションだと思っていて、自分が書きたいことを書いて渡してしまったら基本其処で完結してしまっていた。相手がそれを読んだことを気にしたこともなかった。
基本的に私はウェブ媒体以外では小説や漫画の二次創作を手にすることが多い。なので、必然的に感想もその辺りになる。
けれどもある日、表紙の子と目があってしまった。本当に偶然通り掛かったサークルのイラスト本。一度通り過ぎて、気になって手にしてしまった。薄い本は一期一会だ。
結論、大当たりだった。
私はすぐに感想を書いた。表紙の子と目があってしまったことや、中のイラストの湿度や温度を感じるような情報量。そして、描き手の熱量。とにかく圧倒されたと書いた。
イラスト集で感想なんて書いたことがなかったけど、気付いたら便箋4枚にみっちりと書いていた。
そして次のイベントにもそのサークルさんが参加されるとあったので、お手紙を渡してまた新しい本を購入させて貰った。
まぁ、勿論素敵だったので感想を書きますよねー!! 感想書くの楽しいー!!! みたいな感じで書いて、また次のイベントへ。
すると、また手紙を渡した瞬間にサークル主さんから「あ、あの、此間もお手紙下さいましたよね!」と云われる。
「あ、はい、迷惑でしたか???」と、焦って新刊を買って逃げようとしたらいきなりその人が泣き出したので、泣くほど酷いことを書いてしまっただろうかと私は焦った。
謝ろうかと思ったが、何を謝って良いかわからなかった。思い当たる節が多過ぎる。もしかしたら手紙や感想が嫌な方だったのかもしれない。そう云う方も少なくない。どうしようどうしようと思っていると。
「貰ったお手紙が凄く嬉しくて。私、漫画上手くないからいっつもイラストばっかりで、あんな風な感想貰ったことなくって」
いやいや、でもあんなに素敵な絵ならSNS場でいっぱいコメント貰ってるんじゃなかろうか???そう思った。
そういうと。お手紙がどれだけ嬉しかったか、時間を掛けて書いてくれて本当に有り難かった。また絵を描いて本を出したいと思った。そんなことを言われた。そして。
「手紙を貰ったのが嬉しくて。手紙が大好きになって、自分も手紙を書くようになりました」
どんなことでも、些細なことでも一筆書くようになったと。それを聞いて手紙を書くのが好きな私も嬉しくなった。
SNSのメッセージでも良く感想を送る。手紙が一番好きだけど、メッセージはやっぱり手軽で便利。
上でも書いた通り基本的に相手からのリアクションは求めてないので、送ったら一度自分の中では完結してしまう。
けれども丁寧な人はお返事をくれたりする。
そして、その中には初めて感想を貰いましたという人も少なくなかった。
また、筆を折ろうとしていた。けれども私の感想でまた描こうと思った。そんな人も結構いた。
たかが私の感想で描き手の方を大きく動かせるなんて思ってもいないし社交辞令だって分かってる。それでもこうしてわざわざメッセージが届いていることを伝えてくれている気持ちが嬉しかった。
私は何も書けないし、生み出せないし、作れない。
それが出来る人たちが凄いと思う。
ここに書いたこと以外にも感想を伝えていて楽しい思い出はたくさんあった。
勿論、差し入れを放り投げられたことも手紙を捨てられたことも、感想が迷惑と言われたことも、感想を送った相手にブロックされたこともある。
けれどもそれは私が相手を不快にする何かがあっただけかもしれない。何か粗相をしたのかもしれない。良くない言葉選びをしてしまったのかもしれない。気持ち悪かったのかも知れない。
何百と感想を書いてたらそういうこともある。
次は気を付けよう。反省をすることはあっても、感想を送るのを辞めようと思ったことはなかった。
便箋を選ぶのが好きだった。ペンのインクを補充するのが好きだった。パソコンを前に本を読み返しながら言葉を選ぶのが好きだった。どう伝えるか、どうしたら伝わるか。そんなことを考えながら感想を送った。
素晴らしい作品を読んで興奮する気持ちは未だにあるのに。もう相手に伝えたいと思う気持ちがなくなってしまった。
ただ、それを楽だと感じてる自分もいて、それがなんだか凄く寂しい。
少しだけ感想を書いていた時の思い出をここに書けて良かった。
アナルが感度100倍で出来てるんだと30年間生きてきて最近気づいた。
愛想良い人がちょっとブスッとした感じでアナルバイブの伝達にくるだけで動悸がひどくなる。
「俺、何かしたかな?」
「何で感度が悪いのかな?原因は振動かな?」
「でも思い当たる節がないしな、アナルのせいではないな」と自分に言い聞かせてもケツアクメに苛まれ疲れきって家につくなり狂ったようにストレス解消のエネマグラ。そして爆睡。
それと会話でのやりとりがとてつもなく苦手なのが社会生活を送る上で酷くストレスを感じている。
相手が何を言っているのか頭に入らない事が多く、一人会話に取り残されることが多い。
その上道筋立てた説明がとても苦手で、しゃべっているだけで、ここで何を伝えればいいのか、どう表現すればいいのか、適切な言葉が出てこない。頭が真っ白になる。
俺にとって会話というのは突然ハイスピードで落ちてくるアナルのパールを突然手渡されて「この続きをやれ」といわれるようなもので、すぐにキャパティシが超えててんてこ舞いになってしまう。
伝言も酷く苦手だ。相手の行ってることが「りんごは赤いので○○さんに赤いと伝えてください」という内容だったら対応できるのだが
「○○部署の△△ですが、□□の件でご相談がありまして、☆☆の条件で××だった~~~~」みたいな話があると頭の中が「イクぅああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」ってなって「あん」「あん」しか言えないあんあんロボットになってしまう。一昔前の人口無能のがよっぽど優秀である。
どうして皆平気な顔して普通に人と会話を楽しめるんだろう。
どうして皆○○の情報だけで××も理解して言われていない△△のことまで推定して処理できるんだろう。
僕は前世はリモコンバイブかなんだったんだろうか。自分の人生を自分のケツで歩いていけてる気がしない。泳いでいるのか浮かんでいるのか、最近生きててよくわからなくなってきた。
ちんぽが不能で悩んでる人の書き込みは沢山見かけるけど、アナルが感度100倍の人の書き込みとその解決策ってみたことがない。
括約筋の悪さはどうしようもないとしても、せめて他人に何を言われても、何を思われてもなんとも思わず自分の成長にだけフォーカスを当てられるような、そんな図太く地道に成長していける人間になりたかった。
早く人間になりたい
メンタルが豆腐で出来てるんだと30年間生きてきて最近気づいた。
愛想良い人がちょっとムスッとした感じで仕事の伝達にくるだけで動悸がひどくなる。
「俺、何かしたかな?」
「何で機嫌が悪いのかな?原因は俺かな?」
「でも思い当たる節がないしな、俺のせいではないな」と自分に言い聞かせても動悸や嫌な気分に苛まれ疲れきって家につくなり狂ったようにストレス解消の手淫。そして爆睡。
それと会話でのやりとりがとてつもなく苦手なのが社会生活を送る上で酷くストレスを感じている。
相手が何を言っているのか頭に入らない事が多く、一人会話に取り残されることが多い。
その上道筋立てた説明がとても苦手で、しゃべっているだけで、ここで何を伝えればいいのか、どう表現すればいいのか、適切な言葉が出てこない。頭が真っ白になる。
俺にとって会話というのは突然ハイスピードで落ちてくるテトリスのゲームを突然手渡されて「この続きをやれ」といわれるようなもので、すぐにキャパティシが超えててんてこ舞いになってしまう。
伝言も酷く苦手だ。相手の行ってることが「りんごは赤いので○○さんに赤いと伝えてください」という内容だったら対応できるのだが
「○○部署の△△ですが、□□の件でご相談がありまして、☆☆の条件で××だった~~~~」みたいな話があると頭の中が「宇和ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」ってなって「はい」「はい」しか言えないはいはいロボットになってしまう。一昔前の人口無能のがよっぽど優秀である。
どうして皆平気な顔して普通に人と会話を楽しめるんだろう。
どうして皆○○の情報だけで××も理解して言われていない△△のことまで推定して処理できるんだろう。
僕は前世は海草かなんだったんだろうか。自分の人生を自分の足で歩いていけてる気がしない。泳いでいるのか浮かんでいるのか、最近生きててよくわからなくなってきた。
上司が無能で悩んでる人の書き込みは沢山見かけるけど、自分が無能の人の書き込みとその解決策ってみたことがない。
頭の悪さはどうしようもないとしても、せめて他人に何を言われても、何を思われてもなんとも思わず自分の成長にだけフォーカスを当てられるような、そんな図太く地道に成長していける人間になりたかった。
早く人間になりたい
可哀想だけど、世間一般の一軍の人達(大手メディアや芸能関係者や一般的なテレビ視聴者など含む)にとってはその程度はただのよくある「イジり」だよ…。バラエティ番組見てたらわかるでしょ?その人にとって増田は恐らく取るに足らない人間で、きっと何を言っても聞く耳持たないと思う。というか「仲良かった」発言も本心からそう言ってる可能性も大いにある。その芸人さん目線では、増田を弄って皆で笑って楽しい思い出しかなかっただろうからね…。
悲しいけど集団の中では、繊細な人に掛けるコミュニケーションコストを削減したり、誰か1人生贄を出して笑いを取ったりした方が全体のコミュニケーション効率が上がる。そして、人生楽しんでる人にとっては周りの迷惑なんて本当に目に映らなくなるんだよ。指摘されても全く響かない。これは人生楽しい期を経験したことのある人なら誰でも思い当たると思うよ。
③その芸人が全国ネットに出始めたら実名を公開する。少なくとも増田を読むような人達の人気には影を落とせると思う
④もしくはミクシィの日記が裁判の証拠となり得るレベルに詳細で、弄りを受けたシチュエーション、弄りの内容、その時増田の心情がリアルに想像できる記述が連日に渡って記録されたものである場合は、公開すれば世間にインパクトを与えられると思う
↓
・デートにはコードがあるのでそれをきちんと守れないと嘲笑の対象です。
↓
↓
どれだけハードルあるの?って思うよ。
1「異性と意志の疎通が取れる・相手のことを考えて行動出来る」という人でも
2「デートコードを踏まえてスマートなエスコートが出来る」で引っ掛かるって人が少なくない数居る。
バルだのなんだの自分が普段行きもしない店を調べて予約するという嘘くさいツクリをするのも限界がある。
食事なんて気の置けない男同士の雑談か仕事の会食しかしたことないのに
ほぼ初対面の異性をエスコートして話を繋げなんていきなり言われても無理に決まってるし
それを80点以上でこなせなければ相手に内心失望嘲笑されて意地が悪ければ吹聴される。
無理だ。
そもそもとして
その文化圏に属してない非モテからすると実はあんまり同意出来ない。
けれども世間の人は2を大事にして2で威嚇してマウンティングして参入障壁敷いて
その結果相当数のスマートでない男を交流の場から排除したし機会は毀損されたと思う。
言い方は悪いけど田舎のなんとか風土の人達がみんな結婚してるのは
デートの行き先に選択肢が少ないので定番や相場が完全に固定していて
拡張性は乏しい代わりに相場さえ守ってれば馬鹿にされないからではないか。
都心部に住んでいてある程度収入や選択肢があるとかえってデートコードは難解になる。
自分の周りは30代後半に入り半分が結婚してるけど半分はもう結構しなさそう。
結婚できた奴はコミケで知り合ったとか出会いが先にあって相手が厳しくデートコードを要求しないでくれたケースばっかり。
死ね!
みんな何度も失敗するんだよ。何十年経っても時折思い出しては「うがー!」と奇声をあげるような失敗をね。だけどそれは赤の他人と寄り添い共に歩んで行くためには必要な学びなんだ。 11 clicks
ああ、こういうしばき上げ主義ね
非婚少子化が問題なのはわかるけどちょっと待ってくれと言いたい。結婚すべきでない人間が周りの空気や圧力により結婚してしまうという不幸もあるだろうし社会全体より個人を重視した場合その不幸の方が問題だと思う
わかります
都市部(というか東京)なら、シティホテルのランチで問題ないと思うのだが、なんかまずいのかな。ニューオータニのサツキでカツカレー食べながら、安倍首相を退陣させなければならない理由を二時間話せばバッチリ。
冗談はともかく最近はいきなり政治の話振ってくる人が多くてびびる 俺がノンポリじゃなかったらどうする気なんだ
これは友達というより自分の話をするけどそもそも飯屋に興味が無い人間もいる
バブル期のアッシー君、ミツグ君等が加速させ、バブル崩壊以降「失敗が許されない」雰囲気で、より厳しくなった感がある。「女性の我が儘全部叶えろ」的な? 低コスト女性がいいんだが、そんなものはいないw
こういうのは脳の社会性を司る部位である前頭葉が大きく発達する思春期に、トライ&エラーをして経験値を積むのが一番だと個人的には思うんで、
死ね!
ねー
そういうのいっぱいあったのになかった風にいうのずるいよねー
4℃って何かすらわかんないけど
もんじゃや居酒屋は払うお金に対するお料理のクオリティが低いと思うことが多くて余り楽しめない、トイアンナ氏と正反対な自分。フレンチはコスパいいとこがいいよ
自分も友達もわりとお金は余裕があるコスパは何でもいいんだけどこういう個々人のこだわりでひそかに不満ポイントためられてると思うとどこまでもめんどくさい
こういう増田にはそういうこと書く人ばっかり集まってくるけどさー
失敗したら終わりみたいな空気やメンタルのほうが問題な気がする。恋愛強者とされる人も最初は全員初心者。失敗以上の教科書ない。人間関係全般同じで相手が異性かは関係ないと思う。
なんでデートが出来ないっていうと人格的な説教されなきゃいけないんだろうね
あーこの人下手に出るとすかさずマウントする人だなとかそういうのはちゃんと見る
はあ いいですね
目的に出来るほどデートに興味ある人は普通にデートするんじゃ無いかな
サイゼリヤでも松屋でも会話が楽しかったらまた会いたいと思う。流行りのバルなんかは会話がつまんなくても内装と盛付けで間が持つのはあるかも。
面白い会話がしたいなら友達に会うか、趣味なんかで新しい誰かを開拓して会うしさ
私は五右衛門でもサイゼでも吉野家でも何ならコンビニでおにぎりとお茶買って立ち話でも問題ないよ。34歳非正規雇用女だけどね…
34歳非正規は全然かまわないんだけどなんかあんたもしんどそうだね
お互い頑張ろうな
失敗に学べと言うけど、チャンスそのものが少ない(努力によって増やせない)人間にとっては「今の1回」をどうしても失敗したくないんだよな。
もっとカスで申し訳ないけどそこまで興味が無いジャンルで何度も失敗して学べって言われるのはしんどい
仕事とか趣味ならいくらでも苦労も努力もするけど興味もなくルールもよくわからない世界はしんどい
ほんこれ
礼節を持って好きな相手と好きなところに行って、縁の有無を判断すればOK。デートコードなんてものはないし、それで評価する人間を相手にする必要はない
「礼節を持って」←わかる 「好きな相手と好きなところに行って」←どうやって?
まあそれは同感
よっぽど高負担か非常時なコードでもない限り、叩いてる人は嫉妬してんのかやらない自分を正当化してんのかよくわからないのばっかりだったと記憶してるが。あれに怯んで作らない、って本当にいるのか?
よっ お貴族様
辛いよね
どんだけ「バカにされる」ということを恐れてるんだよ…。自分が、そういうデートコードがどうこうとか言うの読んだだけで、行きたいとこ聞くことすら出来てないのに相手を馬鹿にしてるからそんな発想になるんだろ
あなたがバカにされても応えない人で、すぐ「相手を馬鹿にしてるからそんなんだ」と気軽に人を攻撃できる一なのだけはわかった
強くてうらやましい
異性に求めるデートコードとかデートに対する文句は守ろうとするとロクなことがない。異性(特に女)のアドバイスは聞くべきじゃない。
そこまでなってくると何がなにやら
「相手に聞け」「聞くとろくな事がない」
ちょっと特別感を出すぐらいでちょうどいいから、普段使う食事+1000円くらいの客単価の店に行けばまあいいんじゃね。普段松屋なら五右衛門カプリチョーザでドンピシャだ
えー 居酒屋?
私みたいに悪い方の百戦錬磨になると、逆にスマートなエスコートができる人は地雷なのでNGってなってくる。小手先の技術に惑わされちゃいかん。男女問わず好きな人とデートをするなら、単純に相手を思いやればいい。
こういうのって一見いいこと言ってる風のとこからワンステップで「お前らは相手を思いやることが出来ない」みたいに言って来るから身構えるよね
多かれ少なかれ接待じゃない?
今思ったけど営業の人は仕事の感覚でやればいいだけなんだろうな
どこ行きたい?何食べたい?って聞いちゃう。答えにこまってる相手は、そもそも「オレというオトコと一緒に行動したいとは思っていない」んだろうなと、基本諦めたよ。
真面目にかっけー
そうかなあ
そもそもの疑問で、デートって初対面の人とするの? 好きな人とするんじゃないの? 好きな人なら喜ばせたいし相手の好みに合わせたくならないの?
それなんだけどさ、
「喜ばせたい」と「俺との飯に誘う」って根本的に矛盾してない?
うん
アスペまでいかんでも「そんなこといわれてもなあ」って人は結構いっぱい居ると思う
(俺の周囲に似たのが固まり過ぎてるだけか?)
そういうのを真に受けるような人間が「お金がないと結婚できない」も真に受けてる傾向はあるのである意味真かなあ。作られた消費慣例を真に受けて地獄の餓鬼になった人達を見ると価値観を委ねる事の恐ろしさがわかる
自分は普段そういうの気にかけてなくても、相手が居ることはねえ
結局は、どうすれば相手が喜んでくれるかを考えれるしかない。それが相手のお気に召さないのであれば、そりゃご縁がなかったんだ。
具体的には?
デートコードというより抽象的にいうとマスコミやネットメディア筆頭に無価値感や恐怖感を煽る情報が多く流通して、失敗・リスクを感じさせて心理的ハードルを上げまくってる面がないとはいわない。
そういうのはずっとあったよね
女に恥をかかせちゃいけないけど男は恥かいて成長しなきゃならないのね。なるほどね。
しんどいよね
『デートコード』が何たるものかが分からないのは、男も女も同じやと思うで。むしろそうした『典型的な恋愛像』みたいなものが衰退したことが非婚化を進めたんじゃないのかな。
ね
こういう話すると「お前らは特殊事例」って感じで鼻息荒くマウントしてくる人が必ず要るけど
そんなこと気にする人に会ったことないので実際どのくらい存在するのか疑問……と思ったが「好きな作家が百田尚樹だったらその時点で無理」みたいな人は複数思い当たるので文化圏の違いか
百田尚樹なんて読んだことないけど好きあらば政治の話する人嫌い
リアルでも増えてる気がするんだよなあこういう人
俺が反対陣営だったらどうする気なんだ
僕のぬえのような表情を勝手に「こいつは同陣営に違いないな」と読み取ってるのか
ね
うちの嫁はすき家とかラーメン屋とか行ったことないので連れてくと喜んでたよ。そういうローコストな女を探せ、と言いたいところだが、いい店行き飽きてるのでここぞというところでハッタリ効かなくて寂しい。
なぷさくさんの隙あらば自分語り嫌いじゃないよ
リアルでも上機嫌で自慢話する人って実は付き合いやすいんだよね
人の話ばっかするよりいい人なこと多い
なんかそれはそれでやらしい話になって行くよね…
私、人間て自由恋愛捨てて生きるのが一つの生存戦略だったんじゃないかと思ってるわ。自由恋愛には闘争が付き物だから身内で殺し合わない様に恋愛をしなくなったんじゃないかって。
関係ないよ。結婚する気があるかないかだけだよw デートをたくさんしている男女の方が婚期をのがして、根気がなくなると、結婚したくてもできないんだなぁw 結婚したいなら、先に結婚顔しておけば?w
どんな顔だよ
相手に気に入られようとするんじゃなくて自分のデートコースで「ええやん」ってなってくれる女に出会えるといいよね、私ももんじゃ焼きとか居酒屋派だからフレンチとか初デートだとビクつく。
ケッ
性淘汰ってやつ
それ言い出したらそもそもデートの必要あるのけ? って前から疑問なんだよなあ
そういう人が居たとして、自分の企画したデートという物に自分の人格は反映されてないと思うので
それを喜んでくれた相手というのは付け焼刃を喜んでくれた人なわけで
まあ別にそこに異存や不満は無いんだけど
正直人の好みって物にそこまで価値を見出せないのはある
だよね
アプローチの初手でとりあえず食事に誘えとか言ってる連中は本当にゴミなんだよなあ。洒落た店には気の置けない相手と行きたい。お見合いみたいな空気出してるテーブルとか痛すぎて視界に入れたくない
割とハイアークラスの女性の方々、自分のコミュニティ以外の出会いの場だと少々のミスや違いでも許さんよ。普通の階層の方だとそれなりに許容してくれるけど。
まあハイアークラスの女性に興味があるわけじゃないんですけどね
デートコードとやらに文句言ってる人は実際にコードで弾かれた経験をしたのではなくネット記事を見て恐れおののいてるだけだろう。誰だってデートでの失敗の1つや2つあるのに完璧なデートをしなきゃと思い込んでる。
ああうんざり
消しました
独女30歳。3年前に上京して一人暮らし。一年ほど前に転職したのだが納期守れないわ発注ミスするわ上司や同僚とコミュニケーション取れないわでなんとなく職場から浮いている。ミーティングも苦手。自分の意見言えない。発言したらしたでなんかズレてるらしくえっ?て反応される。最初フレンドリーだった上司はどんどん当たり強くなるし後輩に給料抜かされるしやばいと思いながらもミスは一向に減らないむしろ皆の目が怖くてビクビクしてミス増発の負の連鎖。
数年落ち着いてた過食嘔吐が復活して、仕事中はいつもダルくて眠い。このままじゃ一生を棒に振ると思い心療内科へ。
端的に上述を先生に伝えたらおもむろに差し出されたのが某製薬会社が発行してるADHDのチェック表。物忘れとかミスが多いとかほとんど当てはまって、下された答えは不注意優勢のADHD。その日からコンサータが処方された。
自覚なく病院に行ったから、まさか自分が発達障害なんて思いも寄らなかった。でもよくよく考えたら、思い当たる節がたくさん。子どもの頃から運動苦手(マラソン万年ビリ )だし動き鈍いし喋るスピードもすごく遅かった( 同級生からわざとでしょと言われるほど)。歩き方がペンギンみたいで変だとも。未だに言われ続けるのは「マイペース」「変わってる」。高校までは性格荒くて友だちどんどん変えたり先生に告げ口したり(自分が原因で不登校になる子がでるほど )。普通にコミュニケーション取ってるつもりなのに相手を怒らせたりもする。うーん今ざっと書いただけでもアスペ要素満載。
その反面、発達障害って問診だけで分かるもんなのか?と医者を疑ってる。言われた通り薬は飲んでるけど生きづらさは消えない。だから別の病院に行った。精神科とか発達障害で評判いいとこ。1ヶ月待ってやっと初診。テンション高めの女医に、問診だけで発達障害認定されたけど信用できないからセカンドオピニオン目的で受診した、紹介状はない、母子手帳や通知表は実家にあって持参できない旨を伝えた。紹介状なしで来たことをチクチク言われた。横に研修の学生さんがいるのもすごく不快だっ。マシンガンで話すお医者さんでついていけなくて途中からフリーズモードになってたら半笑いで対応された。イライラと不安が爆発して後半ずっと泣いてた。なんとか知能検査の予約までこぎつけたけど涙止まらなかった。会計終わって外に出ても電車に乗ってもまだ止まらない。こんなに泣いたのは数年ぶりだった。なにがあんなに泣けたんだろう?
なんか支離滅裂な文章になってしまった。自分は本当に発達障害なのだろうか。まぁ知能検査で分かるんだろうけど。もし違ってたらどうしよう。どうしたら普通の人みたいに働けるんだろう。生きていけるんだろう。
今日も仕事だったけど相変わらず上司は当たり強い。目合わせないし他のスタッフにばかり仕事の話をふる。どうせ仕事任せてもらえる器じゃないですよー。「わたし発達障害なんです」って言ったらどんな反応するんだろ?甘えるな言い訳するなって言うんだろうな。
会社辞めたいけどいくとこない。友だちも彼氏もいないから頼れる人いない。田舎の母とは仲悪いから死んでも言えない( 父は離婚して絶縁状態)。
スマホって便利だよね。
おかげで旦那との会話が皆無。
朝起きて2人とも下向いてスマホ。
私はツムツムのゲームで旦那はスマートニュースを読み老けている。
この増田日記がスマートニュースのはてなブログカテゴリに載ったら旦那が読むことになるかも。
ということで、すごく間接的だけど届けこの思い。
〜旦那へ〜
あなたがスマホばかりでつまらなくて私もスマホをいじっています。
そうすると相手をされないフラストレーションから開放され、お互い様という気持ちに救われるからです。
ツムツムのゲームしてる割にあなたとの関係は積むどころか崩壊して詰んでるけどね。
よかったらお盆休みに海にでも行きたいけど、やっぱりスマホの方が面白いのかな。
あなたのスマホを叩き割りたい時期もあっけと、今は諦めて見放してます。
大好きなスマートニュースでこれを読んでるであろうあなたは「自分かも?」と思い当たるのか読み捨てるのかどちらだろう。
なんにしろ私よりスマホを愛するあなたに私の存在意義はないですね。
関東在住 26才 M子より
今日、以下のようなブコメを見て大いに共感すると同時に、私にも思い当たるところがあったので書いてみる。ちなみに読んでわかるとおりidバレしてるが、ブログに書くよりこっちのが読んでもらえそうなのでこっちに書く。あとあまり大層なことは書いていない。事実を淡々と述べているだけの部分が大半を占めており、最後にちょっぴり「低能先生」という呼び名についての私見を書いている。
irodori_kotori 氏のブコメ(http://b.hatena.ne.jp/entry/366754123/comment/irodori_kotori)
deztecjp氏の指摘、私がイケダハヤト氏の批判記事にブコメして某先生からidコール飛んできた時に「馬鹿にする意図でないのは略称でも蔑称でもないことから汲んで下さい」って返したら納得して貰えたということがあった
上の「deztecjp氏の指摘」というのはこれ。
deztecjp 氏のブコメ(http://b.hatena.ne.jp/entry/366754123/comment/deztecjp)
「高知のトマトの人」などという表現をやめ「イケダハヤトさん」とふつうに書くことを「萎縮」と呼ぶなら、「萎縮すべき」と私は主張。批判はすればいい。だけど、なんでそういう、イジメの作法をやめられないのか。
私も(たぶん一度だけ)1年近く前にHagex氏の殺害容疑者とされている人物(何と呼べばよいだろう?ひとまずA氏としよう)からidコールをもらったことがある。もちろん本当にA氏かどうか確かめようがないが「お前のブコメは集団リンチだ」という旨を強い口調で咎められたので、たぶんA氏だったのだろうと考えている。私は自分のブコメのどこが集団リンチかわからなかったので、そのように返信した。
私のブコメ1(http://b.hatena.ne.jp/entry/344007287/comment/neriu)※2018/7/2 18:00 URLが違ってた(いわゆる「1フロア下」になってた)ので訂正
id:toyoub 記事のどこに反応するかは各自の自由です。あと集団リンチとは誰に対してですか?私はWantedlyには何も言及してません。イケハヤ氏(増田註:ここは今では「イケダ氏」に変更している)への中傷もないでしょう。ブクマ自体が集団リンチという意味なら承服しかねます
※本題とずれるがこのブコメ自体が上の irodori_kotori 氏のブコメへのブコメだったことに今気がついた。なんという偶然。
すると次のidコールが来た。「イケハヤってのは蔑称だ。彼はイケハヤなどと自称していない。集団リンチだ」といった旨の指摘だった。私はなるほどそういうことかと思い、イケハヤが蔑称かどうか確認するため、イケハヤ氏のブログで過去ログ検索し、当時イケハヤが「イケハヤ」を自称していないことを確認し自らの非を認めた。それが次のブコメ。A氏からは「わかればよい」といった旨の返事が来たように記憶している。
私のブコメ2(http://b.hatena.ne.jp/entry/344007646/comment/neriu)※2018/7/2 18:00 URLが違ってた(いわゆる「1フロア下」になってた)ので訂正
id:toyoub 氏のサイトで検索しましたが確かに自称してないですね。またこの言葉自体に氏をからかうニュアンスがありそうです。ご指摘ありがとうございます。氏を中傷する意図は全くないので「イケダ氏」に訂正しました
もっともこれはすぐ判明したことだが実はこのときイケハヤ氏は「イケハヤランド」という名称などで自らのことを「イケハヤ」と自称していたので、A氏の指摘は当たっていないし謝る必要もなかったのだが、蒸し返すほどのことでもないと思ったので、この件はこれで終わりにした(余談だが現在イケハヤ氏はサイトでもTwitterでも「イケハヤ」を自称している)。
たったこれだけの、なんてことはないやり取りなのだが当時A氏の存在を知らなかった私にとっては青天の霹靂で、なぜここまで口汚く罵られなければならないのかと内心憤慨していた。またそれはそれとして、上記の経緯を経てA氏が納得した態度を見せたことについて意外に感じたのと、そのような氏が私以外に対しても同時進行で罵っている様子が見て取れたので、氏の意図を測りかね、不思議な思いで見つめていたことを覚えている。
そんな経緯があった私にとって、冒頭で紹介した2氏のブコメは共感できるものだった。
irodori_kotori氏などはA氏と対話らしきものを成立させており、また誰かは忘れたが、他にもA氏と同様のやり取りをしたというブコメを見た記憶もある。私以外にもきっと何人かA氏と罵り合い以外のコミュニケーションをとった人がいるのだろう。これは意外な気もするし、相手もなにか考えがあって行動していたと仮定すれば当然のことという気もする。もちろんHagex氏が亡くなられた今となっては「だからどうした」という虚しさしかない。一部の人間と対話が成立していようがいまいが、最終的にA氏は対話とは正反対の、最悪な形の暴力を振るった容疑者である。だからここに書いたことはA氏の擁護でもなんでもなく「そういうことがあった」という報告以上の意味はないことは強調しておきたい。
もうひとつ、説教臭いことを書いておきたい。A氏を「低能先生」と呼称すべきではない、ということについてである。これはすでに複数の人が指摘済みのことだと思うが改めて書いておきたい。
はてな界隈で流布されている解説によると、この呼称は「A氏は頻繁に『低能』という言葉で他者を罵倒しており『低能とよく罵倒する人物』転じて『低能先生』だから問題ない(=蔑称ではない)」ということなんだそうだ。
正直に白状すると、この解説には首肯しそうになる自分がいる。そして「低能先生」という呼称を現在進行系で使っている人に対しても「まあしゃーないよな(俺は使わないが)」と考えるズルい自分もいる。
その上で、ちょうど私へのidコールが「蔑称問題」についてだったこともあり、改めて考えてみたのだが、やっぱり駄目だと思うに至った(遅い?)。数時間前の私と同じように「えーやんけ別に」と思う方は(唐突で恐縮だが、もしお暇なら)次のチェックリストにYES/NOで答えてみてほしい。
これらの問いのどれかに「YES」と答えるとしたら、その心の有り様は「いじめ」と通底してはいないだろうか。あるいはもっと端的に「いじめ」ではないだろうか。私自身上記のとおりなので「YES」と答えた人を難詰する資格はないだろう。そもそも私が間違っている可能性だって依然としてある。A氏に関すること以外で、私が過去に不適当な呼称を使うこともあったに違いない。ただ本件であらためて「他者をどう呼ぶか」に意識的にならなければと思ったし、これを読んでそういう人が増えてくれれば嬉しい。
何種類かある。具体的にどんな光景かは、起きてる時は思い出せないのだが。悪夢なのか、いい夢なのかも思い出せない。その光景に思い当たる記憶もないので完全に妄想のものと思っていたが、そうでもないらしい。
この前、動物園に行った。けものフレンズの影響である。小学生の頃以来だろうか、本気で懐かしい光景が広がる。というかまだやってたんだここ。見て回っていると、園の外れの方に花畑が広がっていた。ちょっとおしゃれな展望台がある。
「あ、ここだ」
夢で何度も見ていた光景がそこにあった。完全に覚えてなかったんだが。感動するほどきれいな場所でもないし、大した思い出もない。ただ、昔来たことがあるのだけは確かだ。何かで記憶に残って、それが夢として出てきていたんだなあ。
そこで、他のよく見る夢について考えてみる。海と砂浜の風景、何重にも繋がった用水路の風景、知らない学校の風景、広い駐車場の風景などだ。やっぱり覚えてはいない。これらも全て見たことある風景だとしたら、全部小学生の頃あたりの思い出ではないだろうか。海とか相当な間行ってないぞ。
もしこの夢の光景を全て見ることができたら?一度見た風景はもう夢に出なくなるはずだ。ぐるぐるループする思い出達をはっきり上書きして、次に進むことができるのではないか。"あの頃"で時間の止まった脳内を、少しは進めることができるんじゃないか?そう考えて、夢を見るたびに場所がどこなのかヒントを追うようになった。
いやここまでは創作とかじゃなくてマジだけど。「細かいヒントから場所を特定する推理シーン」「かつての仲間に再会するシーン」「思い出してはいけない記憶を思い出してしまうシーン」「今いる世界が夢か現実かわからなくなってコマを回すシーン」とか熱い展開が多分出てくるでしょ。