はてなキーワード: 工事中とは
日本一有名な増田、徳川家康が最も恐れたシリーズのお寺、三河本證寺に行ってまいりましたわ
番号を書いたガムテープを石に貼って元の位置がわかるようにしていましたわ
裏込め石をいっぱい用意していましたの
城郭趣味の間ではお城の櫓を思わせる鼓楼がちょっと有名ですが(お寺なのにお城印を売っていましたわ)
吽の犬が空中に足を投げ出した躍動感のある凄い姿勢をしていらっしゃいました
(Wikipediaのお写真でも確認できますわhttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fc/Honshoji2.jpg)
本堂の各所におチチの形をした金具がついていました
お寺を擬人化するなら複乳にしなければ嘘ですわ
正門の柱の内側にもおチチの金具がついているのですけど
敷地にお車を停めるためには正門を潜らせなければならず
操作を誤ると立った乳首の金具にお車の横腹をこすって傷がついてしまう
大変スリリングなお寺ですわ
↑の元増田。
一回長々と書いたんだけど、なんか言い訳臭くなったので書き直す。
そのインタビューとかコメントを個別に見ないとなんとも言えないところ。
とはいえ確かに、やべえ奴がいないわけではない。ていうか今思い返してみると、俺の観測範囲でもたくさんいた。
でもそれが民間(「自衛隊の外」という意味で使われている言葉)と比べて有意な差があるかというと、あまりそういう感じはしない。日本のどこにでもいるやべえ奴が、普通に自衛隊にもいるという印象。
で、やべえ奴らの吹き溜まりがあの中隊だったんじゃないかというのが、件のニュースを追った「今の」俺の感想になる。
正直防衛省に限らず、官僚の隠蔽体質と内外からの訴えをなかなか認めない頑なさは今に始まった話ではないので、自衛隊が自身でやるべきこととしては、ああいう吐き気を催すような吹き溜まりを作らないようにすること、つまり「自衛隊内での風通し」をできる限り良くすることが挙げられるんじゃないかと思う。
やべえ奴らの流入は、たぶん社会情勢と組織の性質を鑑みるに防ぎようがない。
被害者の方は1等陸士で辞めている。恐らく入隊の仕方としては自衛官候補生じゃないかと思われる。任期制自衛官とも呼ばれていて、任期満了であれば士長で辞めるはずだ。任期満了はメリットがそれなりにあり、目前にありながら手放したことになる。恐らくそれも損害賠償の対象になるだろう。
なんにせよ、直接的な被害もさることながら、他ならぬ自衛官の仕事に直接触れることでそれに憧れ、ずっと自衛官でやっていこうと志高く入隊したはずが、クソ野郎どもに幻滅させられて道半ばでの退職になってしまったというのは、本当に辛いことだと思う。
自衛隊でなくてもどんな犯罪でもそうだけど、被害が出た時点でもう取り返しはつかない。
防犯ブザーみたいな、手っ取り早く一定の犯罪を未然に防ぐ仕組みがあれば良いんだけど。
心配はもっともだ。俺はやべえ奴のうち上官と呼べる奴が大隊長と2曹にいたけど、まああんま関わらねえしいざとなったらiPhoneで録音でもして週刊誌に持ってきゃいいやとか思ってた。
でもそれは生存バイアスで、立場的に弱い人が被害に遭ってからじゃ遅いんだよな。
俺から言えるのは、所詮どいつもこいつも人間なんで、自衛官だろうが政治家だろうが評論家だろうが作家だろうが医者だろうが宣教師だろうが先生だろうが警察官だろうがやべえ奴はいる。だから、どこに身を置くにしても自衛の手段を持っておいて損はない。
もちろんこれは、被害者を悪く言ってるわけじゃない。
安全神話を標榜していた新幹線がその実、工事中に大量の殉職者を出しているように、人の在るところに理想はない。けれども、それでも理想を追求しようとする人たちがいる。
その一助になればと思ってる。
なんかすげえ共感性羞恥呼び起こしそうな文章になった。マジレスしようとするとどうしてもこうなっちゃうんだよ。
恥を忍んで投稿する。
元々そこまで生理は重い方ではなかったし、今もそこまで重い方ではない。
ただ中学生のある日、どうやらいつもより量が多いし出血が止まらないな、と思う時があった。
思春期で恥ずかしかったが、我が家は割とオープンな方な関係性であったため、どう考えてもおかしいぞと思ったタイミングで母親に申告をして病院に連れて行ってもらった。
そこは産婦人科が有名な中規模の総合病院だったが、特に検査もせず点滴だけして、このくらいの子には良くあるんですよ〜と言われ、家族全員そっか〜となり帰った。
ちなみに今思い出すとどう考えてもおかしいのだが、待ち時間の時にDSをしていて名前を呼ばれた瞬間に顔を上げたら貧血になってぶっ倒れ、車椅子でベッドまで運ばれたのにそれだけだった。点滴して元気になったし、よくあることと言われてみんな余裕ぶっこいてたから、母親にあんた白目剥いてたよ!!!とか笑われながら言われたのを覚えてる。
そこから2日間くらいは出血もとまってて、学校にも行ってたが、3日目からまた出血が止まらなくなった。しかもその前よりなんか量増えてた。
4日目、学校でマラソンのタイムを測る予定だったので、体調も悪いし行かない!と学校を休んだ。
その時は全然平気だと思っていたので、家で1人でいたんだけど、その間にも血は止まらないし、なんだが立ち上がれないくらい体が重くなって行って、昼過ぎくらいに母親から大丈夫?と電話があった時にやっと、ダメかもしれない....と回答した。
そうしたらすぐに父親が車を飛ばして帰ってきてくれて4日前に行った病院に連れていってもらった。
病院に着いた時、私はほぼ歩けないくらいぐったりしていたのに、まだ先生や看護師さんはこのくらいの子にはよくあるのよ〜というスタンスだった。
先生たちの顔色が変わったのは血液検査の結果を見た瞬間からで、バタバタと周りが騒がしくなってあれよあれよと緊急入院になった。
なんとヘモグロビンという貧血の数値が3.5g/dlだった。(女性の基準値は12〜16g/dlである)
つまり大体2/3の血液が生理によって出血していたようだった。ジワジワ出ていたから死ななかっただけみたいで、本当に医者にも看護師にも死ぬところだったと入院中に何回も言われた。
その後は急に起き上がれなくなって、寝返りするたびに全力疾走したみたいに心臓がどくどくなったり、上半身を起こすだけで吐いたりで3日間起き上がれず、すげーーーーー大変だった。
しかも産婦人科に入院するということが思春期には恥ずかしくて、14歳の母がテレビで流れたばっかりの時期だったし(いいドラマだと思うけど、当時は絶対みんなの頭の片隅にあったと思う、年齢がバレるな)友達がお見舞いに来てくれるのもヤメテェってなった。
あと、大きい駅の近くの病院だったんだけど、なぜか渡り廊下工事中で、CT取る時に全然お風呂入ってないぼろぼろのパジャマで大通りをベッドでシャー!って運ばれてすれ違ったお姉さんの顔いまだに思い出せるもんね...。思春期と入院、相性が悪すぎる。
退院したあとは、薬で周期整えたら前よりきっちり生理が来るようになって、再発もしなかったし本当になんだったんだ?って感じ。
でも死にかけたし、中学生なんてそんなもんってみんな思って舐めてたから正直タイミング悪かったら死んでたと思う。恥ずかしくて親に言えなかったで死んでたよ。
もしかしたらみんな言えなかっただけでそういう体調不良イベントあるのかな。
生きててよかった〜
もうすぐ神楽坂ゆか生誕祭である。昭和のアイドルっぽさを感じさせる彼女は、もともとは「田村ゆかり」という名前でデビューしたと記憶している。
ところで、たまたま先日購入した1978年10月「ゴーサントオ」の時刻表復刻版がある。
https://jtbpublishing.co.jp/topics/CL000461好評の「時刻表復刻版」第6弾 特急時代の幕開け!「ごお・さん・とお」(1978年10月号)ダイヤ改正号 『時刻表復刻版 1978年10月号』 2022年5月23日(月)発売 | 株式会社JTBパブリッシング
https://www.amazon.co.jp/dp/4533149782/
この年は音楽番組「ザ・ベストテン」の放送開始の年でもあり、「レッツゴーヤング」「トップテン」「ヒットスタジオ」といった番組がゴールデンタイムを彩った時期でもある。キャンディーズが解散し、レコード大賞をピンクレディーが獲得し、山口百恵が活躍していた。
いま挙げたようなレジェンドともいうべき女性アイドルたちが全国ツアーを開催していたかどうかは定かではないが、もしもそんな昭和時代に我らが田村ゆかりの全国ツアーがあったなら、皆どういう感じで移動していたのだろうか…などと、時刻表を見ていてふと考えてしまったのが懐古鉄オタの性というもの。
そんなわけで「もしも昭和のトップアイドル・田村ゆかりが全国ツアーをやっていたら王国民はどうやって民族大移動したのだろうか?」というテーマこそ壮大ながら実際は老眼に抗って縮刷版の時刻表とにらめっこして連敗した駄文をそっと放流したいと思った所存。
今年もツアーはあったが、過去最大25公演を誇る2021年の*Airy-Fairy Twintail*の開催地からいくつか選んで当時の時刻表に沿った旅程を考えてみたい。
なお毎日運転ではない季節列車・臨時列車は極力排した。仕方ないね。
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当時はソニックシティはまだなく、大宮商工会館なる施設が同じ場所にあったらしい。1979年にはサザンオールスターズが公演しているらしいので、昭和のトップアイドルもひょっとしたらステージに立っていたかもしれない。
https://www.livefans.jp/venues/1204
この頃は上野東京ラインも湘南新宿ラインも、埼京線さえも存在しなかった。国電京浜東北線の103系か東北本線・高崎線の115系で到着した大宮駅の片隅には首都圏色の川越線気動車が、反対側には東武野田線の吊り掛け駆動車が見られたはずだ。
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北陸新幹線のないこの時代、東京から金沢に向かうメインルートは信越本線だった。
上野発916の特急「白山1号」に乗れば、長野経由でおよそ7時間後の1611には金沢駅に着き、前の年に落成したばかりの本多の森ホールにどうにか開演時刻ギリギリに間に合う計算だ。少し余裕を持ちたいなら上野819発の特急「はくたか1号」で1504金沢着。こちらは長岡経由である。
翌朝、今度は金沢から松本に向かう。筆者はAFTでは北陸新幹線に長野まで乗り、そこから特急「しなの」に乗り換えて松本に向かったが、この時代は乗り換えなしの列車がある。それが金沢949発、おそらくキハ58の、時刻表ピンクのページによれば堂々10両編成の急行列車。後ろ3両が松本行き急行「白馬」、中ほど4両は秋田止まりで前寄り5両は青森までロングランする急行「しらゆき」だ。間違わずに後寄り3両に乗れば、途中の糸魚川で青森・秋田行き「しらゆき」から切り離され、進行方向を変えて大糸線に入って1435松本着だから公演には余裕を持って臨むことができる。編成分割をする糸魚川では正午を挟んで8分停車するから、えび釜めしなど駅弁を買う余裕もあっただろう。
ただ、逆にいうとそれしか手段はない。ましてキハ58はいわゆる「直角椅子」のクロスシートでリクライニングも方向転換もできない。7時間近くも乗っていたらそれだけで相当疲れてしまう。
さらに松本公演が終わった日曜の夜。筆者はAFTのときは最終「しなの」で長野に出て一泊し、翌朝の北陸新幹線で出勤した。しかしこの時代なら松本発2056の普通列車新宿行きがある。423に新宿駅に着くから一度帰宅してシャワーを浴びて着替えて出勤する余裕は十分にある。ただしこれもまた「直角椅子」どころかおそらくセミクロスの115系だったろうから、少しでも居住性を求めたければ2359発の急行「アルプス18号」のグリーン車に乗れば良い。新宿着は500だから余裕を持って出勤できるのは言うまでもない(出勤した後のことは例によって保証できない)。
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新幹線はすでに博多まで開通していたし、熊本空港には全日空の3発ジェット・トライスターか東亜国内航空のDC-9が就航していたが、鉄道好きとしては1645東京発1058熊本着の西鹿児島行き「はやぶさ」か、1700東京発1123熊本着の「みずほ」を推したい。食堂車で夕食・朝食の2食をいただくのんびりとした旅である。
ただ、昨今の「サンライズ」などとは違って当時の寝台特急にはシャワー室はなかった。「はやぶさ」「みずほ」には個室もなければ女性専用車もなかったから、今や全国民の1/4に迫らんとする女性王国民の遠征には不向きだったかもしれない。まして当時の長距離列車は喫煙可能が当たり前で各ボックスシートの窓際に灰皿が標準装備されていた。
しかしもう少し前の1970年頃に青春時代を過ごした我が母親によれば、当時のスキー列車はいつも満席で男女問わず通路やデッキに新聞紙を敷いて座り込んだというから、たくましい遠征女子も実は相当数いたかもしれない。
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東北・上越どちらも新幹線はこの時代は絶賛工事中。開通は4年後の1982年だ。しかし上越線には「とき」、東北本線には「ひばり」というエル特急が毎時1本ペースで運転されていたから往路はどうにでもなる。
新潟の帰路、私は最終新幹線に飛び乗れたが、この当時なら2300新潟発の急行「佐渡8号」で506上野着か、横になりたければ2312の秋田から来る急行「天の川」で555上野着。新津まで普通列車で出ておいて040発の急行「鳥海」で642上野着でもいい。
仙台からは公演後だと2320発の急行「新星」がおすすめだ。仙台駅には早々と入線しており2130から発車前の寝台を利用できるのが嬉しい。上野到着は536だから一度帰って身支度を整える余裕もありそうだ。このほか、仙台2257→上野519の青森発常磐線経由の急行「十和田2号」や、座席車なら仙台2336→上野542の急行「いわて4号」も便利であろう。なお急行「十和田」はこのあとも4号・6号が仙台に停車するし、特急「ゆうづる」2号・4号も利用できる。
そうして考えてみると、まだまだ高速道路網が未熟だったこの頃、寝ている間に移動できる安価な手段は鉄道しかなかったのだということを改めて感じさせられる。1970年代でも長距離バスは運行されていたが、都内と新潟が高速道路でつながったのは1985年、仙台は87年。歴史でいえば線路の方がはるかに長い。
なおこの当時、上野→仙台が特急「ひばり」で4時間以上かかっていたので、羽田空港から仙台空港への航空便も全日空により1日4往復運航されていた。
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ならばその先はどうか? 札幌公演に行くにはこの当時でも飛行機が当たり前の選択になってきていた。筆者は81年の夏に北海道の親戚を訪ねる旅に出たが、祖父母に連れられて上野駅から青函連絡船を経て親戚の住む苫小牧まで20時間ぐらいかかったように記憶している。まだ青函トンネルは開通していなかった。
それでは札幌公演に陸路・海路で挑むとすればどうなったであろうか?余裕を持って開演に間に合わせるならこのルートである。
2140上野[特急ゆうづる5号]705青森or2221上野[特急はくつる]711青森
1140函館[特急おおぞら5号釧路行き]1550札幌or1145函館[特急おおとり網走行き]1558札幌
急行自由席に乗れる周遊券を利用するなら上野1908→青森617の「八甲田」や函館1150→札幌1630の稚内行き「宗谷」も良い選択肢であろう。
やはり北海道は遠い。時間に余裕のない向きは素直に飛行機を利用すべきであろうが、千歳空港と国鉄の駅が接続されるのは2年後の1980年のこと。この時刻表の時点では札幌駅前からバスに乗るのが普通の手段であった。
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そして福島公演はエクストリーム出勤の宝庫であった。終演後の福島駅発上野行きを見てみると、
2350 急行「あづま4号」437
043 急行「新星」536(寝台あり)
056 急行「いわて4号」542
このほかにも夏休みシーズンだけに季節列車・臨時列車も運転されていたと思われるので、かなりの席数が利用可能であったと推察される。
座席車の特急はいわゆる「直角椅子」であるが、寝台車連結の急行列車では短時間でも横になって移動できる利点がある。これは現代の夜行高速バスでも(実際に運行されてはいるが)まだまだ一般的ではない。バスは鉄道車両よりも小さくて何両も連ねて運転されるわけもないから、寝台は不可能ではなくても困難が多いのであろう。
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国鉄監修時刻表を見る限りでは、東名阪のバスは国鉄ハイウェイバスしか掲載されていない。関西公演からの帰り道は2240大阪駅→815東京駅の「ドリーム2号」か2200京都駅→643東京駅の「ドリーム4号」しか見当たらない。
鉄道ならば京都2237の特急「出雲2号」、同015発の「出雲4号」なら700には、大阪2358の特急「瀬戸」や同005の特急「あさかぜ2号」でも730には東京駅に着けるから、エクストリーム出勤勢の強い味方になり得たと思われる。なんなら関西勢と感想を語り合いつつ酌み交わす余裕は十分にある。しかもこれらは当然寝台車であるから、予約さえ取れれば会場内外で充実至福のひと時を過ごしたのちに千鳥足でベッドに潜り込んで目覚めれば東京駅も間近に迫り、どうかすればまだ夢見心地のまま出勤せざるを得ないベストコンディションを通り越した邪悪な何かを感じずにはいられない有様である。
なぜ新幹線ではなく在来線を推すのかと問われれば、その当時の東京行き最終「ひかり116号」は新大阪2034発であるから、フェスティバルホール(当時は改築前)から終演後直ちに最寄りの四つ橋線肥後橋駅に走ったとしてもけっこうタイトな時刻設定であることが第一に挙げられる。梅田の地下に慣れない関東勢が四つ橋線西梅田を出て乗り換えに手間取ると、最終の新幹線は慈悲もなく出発してしまう…それは正直恐ろしい。
筆者は鉄道好きで鈍行やら夜行やら多少は乗ってきた経験とノスタルジーがあるので満更でもない旅行だなとほくそ笑みつつこの文章を書きつけてはいるが、冷静に考えてみれば当時は今よりずっと不便で居住環境は悪かったように思う。なりふり構わぬ男性、特に体力に自信のある若者にはなんということはない行程だったと思うが、女性にはあまり優しくない環境だったし、筆者も若い頃は大きな鞄を抱えて夜行連泊するような旅をしてきたけれど今この歳になってふたたび体験するのは懐古趣味を差し引いてもためらいが多めに残る。
とはいえ不便で時間のかかる旅を楽しみたい向きが今もなお大勢いるのは承知している。そんな黒鉄の人々に机上タイムトラベルを提供できたら幸いかなと。ただそれだけ。
本文に田村ゆかりは出てこずに時刻表を読み解くだけだったが、10月に横浜で公演があるのでよければバスや飛行機よりも鉄道を乗り継いで参加して紀行文と公演感想文を読ませてくだされば筆者はDouble Fascinationになれる。
それはともかくできる限り多くの客席を埋めて盛況の公演としたいので、関心のある方は下記から申し込みいただければ幸甚に存じます。
Nobuyo Yagi 八木啓代 on Twitter: "1. 森友事件については、「総理夫人の関与」は明らかなのだが、見落とされがちなのが、「維新の関与」だ。 経済基盤も何もない学校法人なので、土地売買以前の段階で、じつは大阪府私学審議会が学校設立の認可を落としている。" https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/nobuyoyagi/status/1484497272725712898
八木氏の連続ツイートは、検察審議会のくだりなど面白い部分はあるが、やはり凡百の陰謀論の域を出ない。
正確には「総理夫人は森友事件、すなわち国有地の値下げに影響を与えていない」。
なぜそう言えるかといえば、
・総理夫人を通した籠池氏から財務局への要求は全てシャットアウトされており、
・国有地の値下げの原因は別にあることが、物証・証言・タイミングなどから明らかだからである。
まず2015.10.26の籠池氏から昭恵氏付職員宛て陳情手紙の内容は、多岐にわたるものであるが(https://anond.hatelabo.jp/20210307142623)、
それらについて、11.12に昭恵氏付職員が財務省に照会をかけたのがこれだ(https://anond.hatelabo.jp/20180526114327)。
内容は陳情の中から2点、定期借地契約の賃料値下げと学園側が立て替えていたゴミ撤去費用支払いの前倒しについての確認だが、
要約すれば、双方とも「こんな要求、通るわけがないですよね。そのように先方によく伝えます。」という内容だ。
そしてその5日後、11.17に昭恵氏付職員から籠池氏へ送られたFAXの内容は以下(https://anond.hatelabo.jp/20210307141915)であるが、
1)10年定借の是非
2)50年定借への変更の可能性
つまり昭恵氏付職員は森友学園側に便宜を図るどころか、むしろ籠池氏から財務省本省への直接の陳情を食い止める役割を果たしており、ある意味では本省に対するある種の警告にもなっている。まことGJとしか言いようがない。
国有地の値引き自体は、翌2016年の3月に、2015年9月に近畿財務局が森友学園に無断で行ったゴミの埋め戻しがバレて、損害賠償請求をチラつかされた挙句、言い値での取引に屈するという経緯が「とっくに明らか」である。
これには音声データが存在する。そのものの書き起こしではないが、東京新聞によれば(https://megalodon.jp/2018-0603-0013-59/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201802/CK2018020302000149.html)、
学園は一五年、地下三メートルまでのごみを撤去する土壌改良工事をしたが、予算の都合などで一部は掘り出したごみを埋め戻すことで国と業者だけで合意。学園の籠池泰典前理事長は知らされなかった。地下九・九メートルのくい打ち工事中にごみが見つかったことで籠池前理事長は一六年三月に埋め戻しを把握し、国側に抗議。不適切ととられかねない処理方針が露呈し、苦しい立場に置かれた国側が「新たなごみ」と認定した可能性が浮上した。
このことについて、当時籠池氏は財務局に対して、
設計業者から伺ったが、ゴミが地中に残っているのは、財務局から全部取るなという指示が出たと聞いている。ゴミを撤去する費用がかかり、更に工期も伸びてしまう。
どういうことだ。また、だましたのか
と怒り心頭だが、事実としては全く正しい。近畿財務局は「工事業者は学園の代理人だと思っていたので、当然報告されていると思っていた」と苦しい言い訳をしている。
この取引現場については、取引現場にいた統括管理官が赤木雅子さんに語った音声データの内容とも一致する(https://anond.hatelabo.jp/20201014234219)。
「あの売り払いをしたのは僕です。国の瑕疵(かし)が原因で小学校が開設できなかったときの損害額が膨大になることを考えたときに相手に一定の価格、妥当性のある価格を提示してそれで納得できればいちばん丸く収まる。」
と述べており、ここで言う「国の瑕疵」こそ、ゴミの埋め戻し、場内処分に他ならない。
ゴミ埋め戻しが国有地の値下げの原因となった事実については、毎日新聞も「検証・森友文書(1)」で記事にしている(https://anond.hatelabo.jp/20190623105507)。
籠池夫妻が前年のゴミ埋め戻しに気付き、近畿財務局の追及に転じた日も分かっている。2016.3.11だ(https://anond.hatelabo.jp/20181219233119)。
*ちなみにリンクを貼った増田の記事は、すべて毎日新聞の「森友学園 財務省が国会に提出した交渉記録のPDF」から写したものなので、疑われる向きは、実際にpdfを読んで確認してほしい。
こういった一連の経緯を、あえて無視して「森友事件について総理夫人の関与は明らか」などと吹聴するのは、終わることのない陰謀論の錬金術に過ぎない。
札幌より先は未定。
あと新函館北斗から函館駅までをミニ新幹線(もしくは三線軌条?)にしてつなげる計画がある。
その先は京都府内を通って新大阪まで行く予定だが詳細ルートも着工時期も未定。
もともと湖西線(在来線)経由で新大阪と敦賀間をFGTで繋ぐ計画だったが断念。
開業時点では敦賀の特急ホーム(1F)から新幹線ホーム(3F)へのエレベーター乗り換えとなる。スーツケース抱えた訪日客のことなんてなんにも考えてなさそうでウケる。
大阪金沢間を繋ぐ在来線特急サンダーバード、関空と敦賀をつなぐ特急はるかを統合する案もあるが、ビジネス客と京都観光客、北陸観光客をごちゃまぜにしてどうすんの、とか中国方面からの乗り換え需要どうすんのとかいろいろある。
いわゆる長崎新幹線。長崎から武雄温泉駅(佐賀)までを工事中。
武雄温泉駅から新鳥栖(佐賀)経由で博多までFGTで伸ばす計画だったが断念。
どうすんの、というのはまだ決まっていない。
開業時点では武雄温泉の対面乗り換え方式になるが一生そのままの気がする。
名古屋から新大阪まで繋ぐ計画だが途中駅を奈良にするのか京都にするのかが決まってない。
極論、各駅停車は京都折返しでいい。新大阪から京都にリニア乗るやつなんておらんやろ。
上述の通り北陸新幹線とリニアが新大阪駅に大集合だワッショイするとホームが足りなくなる。
地下に新駅作る構想があるが、神戸方面から北陸新幹線への乗り換えどうなんねんとか直通はせんのかいとかいろいろ。
あと地味に新神戸トンネル問題っていうのがあって、仮に短絡線が出来たとしても北陸新幹線全部を岡山方面に直通するのは無理がある。
上述の通りリニア東側の駅は品川に出来てしまうので、北海道新幹線、秋田新幹線、山形新幹線、上越新幹線、北陸新幹線(長野方面)から来た客は東京駅で東海道新幹線または在来線に一度乗り換えてからリニア品川駅を目指さないといけない。
JR東が品川まで新線を引くとかシャトルを運行さすとか大宮〜橋本間に新宿経由で新線作るとかいろいろ言われてるがどれも現実味がない。
ここのトラフィックは敦賀とか武雄の比じゃないので早急に考えてなんとかしくされ、と個人的には思う。
上越の新潟方を新潟空港まで延伸し、東京方を品川経由で羽田空港まで伸ばしてくれたら首都圏の滑走路発着枠足りない問題とかも一挙に解決できて頭いいじゃんと思うけど不思議と誰も言い出さない。
このまま地球が温暖化して南海トラフで西日本が壊滅したとき用に作るのはありなんじゃないかと思ってるんだがどうなんだろうか。前述のとおり千歳〜札幌は作って欲しい。
気持ちはわかるがいらんだろのひとこと。
気持ちはわかるがいらんだろのひとこと。ミニを選択した過去の首長を恨め。
気持ちはわかるがいらんだろのひとこと。
このまま中国朝鮮や東南アジアからの訪日客が増え続けるのであれば、作っておきたい路線ではある。小倉からの分岐をどうすんのとかJR西日本とJRQの間の運行系統問題とかいろいろあるけど、九州を新幹線でクルクル回れたら絶対楽しいよね〜と思う。
後述の四国新幹線のからみで、リニアで作るならあってもいいなとは思う。
リニアがさっさと新大阪まで開業できてれば、北陸新幹線をキャンセルしてこっち作ったら良かった。線路容量が〜とかブレーキシステムが〜とかはゴタクの範疇。頑張って乗り越えようぜとしか。一番揉めそうなのは運賃なのでそこはがんばってください。
リニアが着工したのでお蔵入り。
やっと本題なんだけど、JRグループで赤字が解消できてない会社がある。四国だ。(北海道は新幹線が通ればなんとかなる)。
四国新幹線整備促進期成会は「四国各県の人口は減り続けており経済活性化の手段として四国に新幹線が必要」と主張している。これほどまでに人をバカにした話はない。人口が減り続けているところに新幹線を引いたって人口は減り続ける。
自動車産業が斜陽化する2030年代なかば以降は、ろくな産業がなくなるのでもっと衰退する。
先進国から見た日本は、間違いなく爆安で居心地のよいレトロな旅行先だ。
高知あたりにイーロン・マスクみたいな人が現れて、民間から2兆円調達して四国に新幹線作れないもんだろうか。このままでは四国から鉄道が姿を消してしまう。まあそれでもええならええけど。
まずここはあきらめよう。カネがかかりすぎる。
複線フルで作ろう
あのさ、
最近できたの?
知らなかったわー!
ゴンドラが飛んでいて、
人力の大将が引っ張るタイプの蕎麦出前ロープウェイじゃなくて、
夜になるとカゴがキラキラ光っていて、
でも結構歩道手の届きそうなところを頭をかすめてゴンドラが行き交うので
ちゃんと届いてよじ登れないようにはなっていたけど
いつのまに横浜にロープウェイが出来たのかしら?って感じだったわよ。
蕎麦の出前用なわけないわよね。
都会はちょっと目を離した途端に
色々変わるのね。
そんでさ、
大阪の地下とかあそこ梅田駅地下周辺いつまで工事してるの?って
サクラダファミリアばりの工期期間を謳っていた阪急百貨店がやっと出来たと思ったら、
これ一帯どうなってるのローグライフ的な何回言っても迷ってしまうのどうにかして欲しいわ。
いつだってどこでも開発中なんだわって
ロープウェイだったわよ。
まあ乗るまでには至らなかったけど
うふふ。
買い損ねちゃったので、
だんだんと夜は寒くなってきたというか
本格的に冷えるというか、
一雨一雨毎に雨が降るっていう感じね。
そろそろ水出しルイボスティーもお茶っ葉を使い切れるのを機に今シーズンは
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
工事中はなんか地味にまだありそう
3ヶ月しか住んでないのでよく分からないけど、色々候補者見て真剣に決めたので、理由を書いていく。(政治詳しい人からトラバくれると嬉しい)
3人も出てた。サイトで読んだ公約は良いこと書いてた。チラシでは「都民税と事業主税減税」を打ち出してて、まだ都民税払ったことないから実感がわかなかった。
街頭演説では「都民ファーストの会は国政政党じゃない。自民党じゃないと国と連携できないし、ワクチンもスムーズに行かない」ってアピールしてたけど、それお前らのせいじゃね?って思った。
女性候補が出てた。チラシには公約達成率81%って書いてて、4年前の公約の実績が表で分かりやすく書いてた。
この先4年間も公約ちゃんとやってくれるなら安心かなと思った。
達成した公約は
など、無駄削減や子育て支援の政策を達成してていいなと思った。
候補者はデジタルに強いらしく、ICT活用や女性活躍を訴えてたのも自民党より良かった。
時間がなかったのでチラシだけ受け取った。
都議会の実績を書いてて、医療従事者の特殊勤務手当増額とか、肺炎球菌ワクチンの補助、通信制高校の無償化など書いてた。
新しい公約は18歳以下の医療費無償化、肺炎球菌ワクチン無償化など。
公明党は候補者全体的に女性が少なく高齢なので都ファの方がいいと思った。
女性候補。五輪中止、外環道工事中止、都立病院の独法化中止など○○中止系が多かった。五輪は乗り気じゃないけど今から中止は無理そうだし、病院の独法化についてはなぜ中止なのかよく分からなかった。
両親が地方の独立行政法人の病院に勤めてるけど、普通に医療の質も高いし、悪くないと思う。
熱意はすごかった。
男性候補。別の日に枝野幸男と世田谷区の区長が来てたらしい。国のワクチン接種の遅れを批判してた。ワクチンと検査の拡充をすると話してた。
チラシでは都議会の実績書いてたけど、公明党や都ファと被ってることも多くて、そもそも立憲は野党なのにそれ本当にやったの?ってことも多かった。
候補者の感じは良かったけど、どうせなら女性の候補に入れようと思った。
応援演説に来た国会議員さんが、女性活躍について訴えてたけど、立憲は男性議員をあんまり都議選に出してなかったので、残念だった。
女性候補が出てた。演説があんまりうまくない感じで、落ちそうだなと思った。
話してる内容は、教育とか子育て支援、将来世代の投資など。教育について熱心に語ってたのが好印象だった。
チラシには「東京レスキュープラン」で2兆円のお金出して都民に還元して経済を回すって書いてた。
都ファが安定感あるし、全体的に女性候補や若い候補が多いので、自民が与党より都ファのままがいいと思った。
なので都ファに入れた。
オッスオラ主婦!
連休どこにも行けないからドライブついでに普段行かないちょっと遠めの複合施設に家族で食料品買いに来たぜ!
密にならない範囲で施設外を散歩した後、密になるから旦那だけが食料品の買い物に行って主婦と幼児と赤子が立体駐車場の車で待ってることになったぜ!
幼児は大人しく本を読み始めたけど、主婦車で待機し始めてから腹の調子が悪くなってきたぜ!
ピンチになった主婦は旦那に鬼電したけど、店の中が混んでいて旦那は結局電話に出なかったぜ!
大人しく旦那の帰還を待っていた主婦に幼児が「おしっこ」と残酷な台詞を吐いたぜ!
トイレに行きたいのはお母さんじゃこりゃあ!
急いで赤子を抱えて幼児の手を引っ張って車の鍵を締めて駐車場を爆進したけど、店舗と反対側に止めていたから店舗までが長いぜ!
何とか連絡通路まで来た!
しかも赤子を抱きながら幼児の手を引くというお腹に集中できないステータス異常!!
間に合うのか!!!
トイレのマークの下に「この階にトイレはありません」の非情な文字。
主婦無事に死亡。
なんでエレベーターしかないのだ階段を設置しろよぉとかエレベーター待ちながら思ったぜ。
1階のトイレにも「工事中。3階のトイレをお使いください」の非情な文字。
主婦は幼児に「頑張って」と言いながら3階のエスカレーターを登ったぜ。
100均の前を通ってトイレのマークを探して、50mくらい歩いたぜ。
時既に全てが終わって始まるところなんだぜ。
とりあえず赤子をオムツ替えシートに縛り付け、幼児のおしっこの世話をしたぜ。
おむつしていたのにすごいぜ。
母ちゃんとは大違いだぜ。
旦那にトイレの場所を伝えるも、別のトイレに向かってしまったようだぜ。
おむつ替えるわけでもないのにいきなりオムツ替えシートに乗せられて泣く赤子。
「赤子の泣いてるトイレに来い」と告げ、主婦は被害状況を確認。
パンツだけ何とかすれば何とかなる。
「何が壊れたり誰か他人が傷ついたわけじゃないからヨシ!」と旦那。
確かに主婦はよく緊急事態に陥るので慣れっこだけど、ここまで過酷なミッションは今までなかったぜ。
救急車沙汰にならなかった分本当によかったんだぜ。
赤子もすまなかったな。
そしてそんな緊急事態にも冷静に対応してくれる旦那には頭が上がらない。
誰も悪くないんだ。
運か、そうかもな、HAHAHA。