人は誰しも生まれながらに親切心や利他心を持っている。「蜘蛛の糸」のカンダタのような極悪人ですら、ふとしたときに温かい感情を起こして小さな命を慈しんだりするのだ。そういう意味ではまったく優しくない人なんていなくて、程度の差はあれ誰もが「優しい」のだと思う。
「優しいね」という発言がなされる場面では、たまたま発言者が親切にされるなどの経験を通じてその人の「優しい」側面を見ているだけだといえる。これは他人がお弁当を食べているのを見かけて「ご飯食べるんだね」と言うのと同じである。ご飯は誰だって食べる。そのときはたまたまその人の「ご飯を食べる」という側面が見えているだけだ。
このように考えれば、「優しいね」という言葉が情報としていかに意味を持たないかがわかるだろう。「変わってるね」についても同様のことがいえる(誰だって多少はふつうの人間と違う特異な面を持っているのだから!)。こういううすぼんやりした言葉は無自覚にホイホイ使わないよう気をつけたいものだ。