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はてなキーワード: 存在意義とは

2021-08-25

パワハラ定義がよく分からん

絶賛炎上中のプロジェクトがあって

割り食ってるパートナー会社の人がいて

同じような分担なので

手伝えることがあるならと思って、

少し離れた位置にいて、調査環境準備用意したりしね手伝ったりして

そしたらプレッシャーになるから

どっかいけと上司から言われて

パートナーにどんどん仕事を押しつけるPMがすぐ後ろにいてもOK

声がデカくてワーワー言うPM達がすぐ後ろにいて「プレッシャーになるんで」というと

関係ない話、別分野のとこ」と言ってセーフらしい

自分感覚ってこんなに違うんだなぁ。自分存在意義疑っちゃう

HIKAKIN氏の1000万寄付に対してイベント現場クリエイターが思うこと

自身の思いとは裏腹に、

確実に医療現場を圧迫し苦しめる(しめている)であろうイベントに加担してることに少なからず後ろめたさを感じてしまっていて、

コロナ禍の有象無象に限らず”会社員であるからには仕方のないことである”と自分に言いきかせてきたけれど、

自己嫌悪は日に日に増す一方で結構きつい。

同じ境遇で似たような思いを持っている人がいるのではないかと周りを見渡すも、

それぞれの利益ポジションからなのか、はたまた現場の高揚感や集団心理からなのか、

一様にその開催に対して驚くほど前向きかつ貪欲気持ちが悪い。

各々ネガティブ感情を表に出さないようにしているだけかもしれないが、それはそれでグロテスクな体質だ。

(とはいえ自分も決して表には出さぬようにしている。バレてるかもしれないけど。)

確実に医療崩壊している中で、

“Covid-19の陽性反応が出たが病院に受け入れてもらえず自宅療養中に亡くなってしまった”という痛ましいニュースコメント欄には、

医者病院を叩くもの散見された。

未曾有の事態最前線で1年半以上戦ってきてくれている方々にそりゃねぇだろ。

ただこの事態を作り出した一端を(無論僅かではあろうが)自分が担っているという事実に対し、

自身良心正義と、保身や承認欲求とが綯い交ぜになって本当に心がどうにかなってしまいそうだった。

そんなモヤモヤを抱えながらTwitterを眺めていた折、

HIKAKIN氏が動画制作のための1000万円を医療支援のために寄付したとのニュースが目に入った。

本当にかっこいいなこのお方は。

自分は曲がりなりにもクリエイターという立場仕事をしていて、周りには”クリエイティブ社会を良くするんだ”と息巻いているクリエイターが沢山いる。

それが商業クリエイターの在り方であり、正しいと思う。自分もそう本気で思って、モノを作っている。

一方で、”こんなモノつくるより何千万、何億とかけるより、その予算を丸ごと寄付した方が社会は良くなるだろ”という思うこともしばしばだ。

ただ雇われクリエイターという立場でそんなことを口に出すことはご法度だし、自身やその仕事存在意義否定することにもなる。

そのような考えを持つ自分にとって、

HIKAKIN氏の件のニュースは鮮烈だった。

彼も動画クリエイターとして、動画を作って世に出すことがその存在価値であって、

その予算を全額を寄付するということはその金額以上に大きな決断であると思う。

すぐさま自分もその動画概要リンクに飛んで、1万円寄付をさせていただいた。(氏に比べればかなり少額ではあるが。)

医療従事者の方々への感謝応援というよりは贖罪気持ちだった。

要は自分自身がなんとかスッキリしたくて行ったと言っても過言ではない。

またイベントネガティブな影響のことを考えると、

たかが1万円ではどうあがいても天秤が釣り合わない。

しかしこの気持ちにどうにか折り合いをつけたかった。

これだけ文章気持ちをぶつけても、自分はきっとこれからも具体的な行動は何も起こせないと思う。つくづく弱い人間です。

からせめて医療従事者の方々に感謝言葉を伝えていきたい。

医療従事者の方々、申し訳ありません。

そして本当にありがとうございます。頭が上がりません。

もう正直ツッコミどころ満載だとは思うのですが、名もなき人間立場の一考え、懺悔、書き殴りであることご了承の上、共感アドバイス批判などなど受け付けています

長文・乱文、失礼いたしました。

2021-08-23

今でこそパワハラと言われるけれど、うちの会社では

いかに部下に仕事を積んでいくか・追い込んでいくかが管理職の腕の見せ所だったんだよ

今、現場は混乱している

---------

追記

でもさあ、齢食ってくると仕事に踏ん張りきかなくなるじゃん

そういう奴多いだろ

若手は転職だの株だの仕事はそこそこでっていう感じだしなあ

みんなの尻を蹴ってまわる役割大事だと思うんだよなあ

---------

さら追記

仮にも東証一部上場、そこそこ大手企業な弊社でも

ほっといたら何にも仕事しない奴が60%ぐらいいるんだわ

で、ガミガミ叱ったり尻を蹴ってまわる人が必要ってわけ

齢食ってくると、そんなうるさい上司存在意義もわかってくれると思うんだがなあ

ワークライフバランス大事にする若手諸君

口先では転職スキルアップだ株だ英語だとか言っておきながら、

寝るかゲームかオ○ニーが関の山だろ?この土日もそうだっただろ?

なんせ我が愚息もそんなもんだから

2021-08-22

anond:20210822181714

まあ別に中卒を雇っちゃいけないわけじゃないじゃん。

勉強時間としては半分以下の基本情報技術者とかでも中卒でも一応零細でもITの会社に勤められてる人もいるのに(でなければプログラミング系のポリテク存在意義がない)気象予報士が中卒は絶対無理なんてありえない

2021-08-21

実験YouTuberとか料理YouTuberとかは見てて面白いしためになるけど、

アニメゲーム登場人物紹介みたいな何の得にもならんしオリジナリティもないチャンネル

あれの存在意義なんなんだろうな

2021-08-20

細田守かばう。

細田守が『おおかみこどもの雨と雪』や『竜とそばかすの姫』などの作品の中で「社会福祉制度存在無視している」「それらの社会制度は役立たずで無意味と見做している」「それらの仕事に携わる縁の下の力持ちの人たちの存在意義を軽視している」として批判されているようである。そのような細田守の特徴そのものについて争うつもりは、私には無い。

しかし、現代日本エンターテイメントクリエイターたちの中で、社会制度を軽視したり無視したりしている人間は、別に細田守一人ではない。そういう意味で言うならば、むしろ細田守けが矢面に立たされて、不当に批判に晒されているようにも見える。

細田守ビッグネームになったのは高々ここ十年ぐらいの話であるが、細田ブレイクする遥か以前から長年に渡ってゴミクズみたいな作品を量産し続けてきた日本の実写ドラマ映画では、その間ずっと、社会制度存在意義や、名も無き縁の下の力持ち的な人々の役割を軽視し続けてきたではないか

ゴミクズ作品揃いの日本の実写ドラマ映画で主流として用いられてきた物語作りのフォーマットと言えば「やる気も能力も無い無能人間たちしか存在しない学校職場に、型破りで能力が高い主人公が現れて、独力で難題を解決する」というものである。このような物語世界における脇役や敵役は、主人公を引き立てる為に、徹底的に無知無能無気力であるように設定される。

こういう物語作りはラクであるしかし、主人公を取り巻く社会構成する庶民たちに対する想像力を奪う。観客からではなく、物語を作る監督脚本家から奪うのである。正確には、奪ってしまったと言うべきだろう。だから実写ドラマ映画作品は、細田守作品と同じぐらい社会制度や名も無き縁の下の力持ち存在意義を無視・軽視したものばかりである医者とか刑事とか検察官とか銀行マンとかが主人公ドラマを観れば、よく分かるだろう。

2021-08-16

DaiGoという人の一連の騒動を眺めていて思うこと――「本心」がどうかなんてどうでもいい

DaiGoという人の一連の騒動を眺めていて思うこと。

:

この人の「2度目の」謝罪会見動画についての、SNSにずらりと並んだ反応は、見た限り大きく3種類に分けられる。

1つは

「これも計算なんでしょ?」

的なもので、

2つめが

「ここまで追い込んでるやつらも同類

的な「どっちもどっち」を掲げるもの

3つ目はいわゆる擁護論で、

「みんな内心ではホームレスを汚いと思ってるはずだ」

みたいな、つまり本心」「本音」に即していないはずだから駄目だ、というもの

加えるなら、

「そういう綺麗事あなたたちは、一体ホームレスのためにいくら寄付をしたんですかw」

みたいなのが、この2と3の間に入るのかもしれない。

:

数としてみたとき最初に思うのは、

1つ目の、つまり、この謝罪を、心からのものとして信じない、という表明、これが驚くほど多い。

人間他人の内心というものを知ることはできない。

なので、このDaiGoという人のこの(とくに二度目の)謝罪は、多くの人が指摘するように計算なのかもしれないし、

あるいは意外と、真実の、心から反省に基づいて、あの涙だって流しているのかもしれない。

でも、もしあれが心から涙だったとしても、大勢の人が、それを信じようとしていない。

それは過去のこんな投稿

( https://twitter.com/umiuminemui/status/1426891746487586817 )

を含め、彼が繰り返しあちこち動画とかサロンとかで示してきた、態度や言動の積み重ねによるものが原因であるらしく、

「今回だってきっとそうさ」と受け取られてしまっている。

まるで寓話の狼少年そのままに、自分がしてきた行動や言葉負債が、いまそのまま自分に跳ね返ってきている。

計算なのか本心なのかわからないが、筆者は、むしろ、この謝罪は「計算」であってほしいと思っている。

そうであれば、彼の内面は、「ちくしょう、うまくいかないなあ」といった悔しさで済むが、もし、彼が真実反省からあの動画投稿したのだとしたら……。

これがフィクションであれば、一種の痛快さとともに、一人の悪役の凋落物語として消化できるのかもしれないけれど、

現実出来事としては、教訓劇としたってあまりに陰惨すぎる。目も当てられない。

:

そもそもの発端になった、ホームレス生活保護受給者に対する発言の時点から

このDaiGoという人の「本心」なり「真意」なりは、なぜこれが問題になったのかとは、何も関係がない。

……少なくとも筆者はそう思っている。

本心」や「真意」を気にする人は、例えば最初問題発言についても「DaiGoさんはそんな意図で言ったんじゃない」的な擁護をする。

しかし、繰り返すが、彼の「本心」も「真意」も、これが大きな問題となって「炎上」した理由とは関係がない。

■こういう言葉を(個人の感想であろうとなかろうと)、

■こういう場において(拡散され大勢に届きうる、つまり"公"につながる場所で)、

■こういう態度で(僕はこんな"辛口"な本音を言い放てるほど自分に正直でいられるんですよ、というアピールを"エンタメ"とする認識。なおこれは彼の「1度目の」謝罪発言されているので、もはや「内面」の類推ではない)、

世に向けて放つこと。

それが、ホームレス生活保護受給者の人たちに対する社会視線を、どんなふうに「操作」(メンタリスト肩書とする人のようだから、そのことに無自覚だったとも思えないのだけれど)することになるか。

……問題はそこに集約される。

「この発言の底にある、叩いている人間によって捻じ曲げられたせいで語られることのない真意」のようなものは、

どこにも入り込む余地はない。

:

「彼の放った言動、彼の内側ではなく外側で記録されている言動という事実、それについて彼は責任をとるべきだ。」

これが、DaiGoという人に向けられた糾弾の内実である。……少なくとも筆者にとってはそうである

もちろん、炎上してるとみて一緒になって石を投げてるような手合いだっているんだろう。

しかし、そういうイナゴめいた連中を、「糾弾している人たち」の「代表」に一方的に仕立てて、

「ここまで追い込んでるやつらも同類

批判して事足れりとするのは、不当に問題矮小化している。

また、

「みんな本心ではホームレスを汚いと思ってるはずだ」

的な、「本心」を問題にするような反論も、まるで意味がない。

これを書いてる筆者だって、家の前で不当に浮浪者に居座られたら迷惑なのでどいてもらいたいと思う。

そういうことと、

■「こういう言動を公にすることがどんなふうに社会視線を歪ませるか、セーフティネットというもの存在意義をどんなふうに誤ったイメージすり替えるか」

ということを問題視して批判することは、何一つ矛盾しない。

批判している人が「本心」でホームレスをどう思っていようが、また寄付したことがあろうがなかろうが、何一つ関係がない。

:

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もうちょっとだけ。

本当のところ、

特にDaiGoが好きなわけじゃないが、この綺麗事を主張しているやつを"どっちもどっち"で相対化してやろう。そんなことができる自分はなんて冴えてるんだろう」

という満足を得たいがための投稿、というのについては、

炎上しているところに行って一緒に石を投げてやろう」

の手合いと同様、この件に限らず常にどこにでも発生するものなので、言及してもあまり意味はないような気がする。

そういう「冴えてる私アピール」は、確かにお手軽な娯楽であるが、しかし、何一つ、

それこそ"お花畑理想論綺麗事"を言い募るよりもはるかに、世の中の役に立っていない。

もちろん、当人たちだってそれはよく認識しているはずだ。

要は「言葉で言い負かして痛いところを突いてしまえる私はなんてすごいんだ」という満足感は、

それこそ当人の「内側」から外へ出て、何かのエネルギーになったりすることのないものから

そして言うまでもなく、

事実としての言動」「それがもたらす可能性」「それを批判することの意味」を問うにあたって、

どっちもどっち」が意味もつような余地は、どこにもない。

2021-08-15

anond:20210815012825

ママチャリ買え

1−2万で買える折りたたみとか強度が普通にやばい

女子どもで頻繁に利用しないならみたいな感じで存在意義が謎

そもそも小径車自転車に大柄な男性乗らん方がいいぞ

乗りづらいはずだしコケると思う

 

2021-08-14

DaiGo存在意義

あーまたDjango勉強したいな

って思わせてくれる

PvEFPSを始めたが低威力高連射サブマシンガン存在意義わからん

れいくらなんでも敵倒せなくね?

まだピストルのほうが使いやすいと思う

2021-08-13

東大王』が180度違う番組になっていた

もともと『東大王』は東大生の中でもクイズ研究会部員構成された

東大王チームが「知識の壁」となって挑戦者チーム(インテリ芸能人だったり大学クイズ研究会だったりする)を迎え撃つ、

そういうコンセプトの番組だったのだが

それが数年間の放送期間のうちにルール変更やメンバーチェンジやら

問題傾向の変化(明らかになぞなぞ・ひらめき系が増えた)を経て

どんどん月並みバラエティクイズっぽくなって

そして今週放送された企画

芸能人専門家からなる遊園地マニア軍団と、遊園地について1ヶ月勉強した東大王チームが対決する」

という内容だった

明らかに「壁」と「挑戦者」の役割が完全に入れ替わってて、

そもそもわざわざ勉強するなら東大生にやらせ必要ないよな…

と予告の段階から思ってた

本編をTVerで見たが、予想通りだった

東大王チームは負けていた


こうなった一番の原因は

制作側が「東大王チームのアイドル化に色気を出しすぎた」

ことだろうと考えている

過去には東大メンバー修学旅行と称してハワイに行く回(申し訳程度にクイズはある)や

今年の頭に「プロジェクト東大王」というアイドルオーディション番組まがいのことをやっていたが

正直アイドル視されてないと成り立たないような企画である

水上颯と鈴木光の人気は実際凄かったし

2人のビジュアルは「ただのクイズが強い東大生」として消費することを許されなかった

その延長の「インテリアイドル」を必死に作り出して担ぎ上げているのが

番組の現状であるといえる

初代キャプテンである伊沢拓司は現在Webメディア「QuizKnock」を運営していて

YouTubeでの発信も行っているが、その動画に出演しているメンバーにもやはりアイドルのようなファンがついている

伊沢自身は「QuizKnockはアイドルではない。歌手デビューしろと言われたら全力で断る」と発言している(https://telling.asahi.com/article/13022469)

が、「アイドル視されている」ことを認識しているからこそ出てきた言葉だろう

今の『東大王』は東大王チームに歌を歌わせてももはや驚きはない

YouTubeでQuizKnockの動画コメント欄にはよく

視聴者置いてきぼり」と書かれることがある

要するに「問題難易度が高すぎるor会話の内容がマニアックなため自分は全くついていくことができなかった」という意味である

もともとクイズが好きで動画を見始めた自分からするとこの感覚は正直かなり理解し難い

この視聴者はわからない内容の会話をどうやって楽しんでいるのだろうか?

やはり「アイドル視して楽しんでいる」としか説明仕様がない

決して絶世の美男子ばかりを取り揃えているわけではないが、

スタイリストをつけ、テレビバラエティ番組のような編集をした動画出演者

一度注目されればアイドル視を避けることは不可能なのである

(余談だが、「視聴者置いてきぼり」はせいぜい高校レベル理科社会の内容でも書かれたりする)

東大王』に話を戻せば、

そういった「クイズ的or学問的な知識があまりない」層に向けて

問題をひらめき寄り、もしくは簡単問題シフトしていったのだろう

どうせだったら「問題面白い」と思ってもらえるほうがいい

(私はひらめき系の問題をそこまで面白いと思わないのだが)

プレイヤーアイドル化をどう捉えるべきだろう

スポーツ選手やら将棋棋士が、好きな女性タイプが何であろうが、風呂最初にどこを洗おうが

競技には無関係のはずである

しかアイドル視するファンが一度できてしまたからには、

そのようなくだらない質問に答え続けなければならない

趣味多様化しどの業界もいつ見捨てられるかわからない今の時代から

しょうもないファン無視できないのだろう

競技の本当の面白さを理解できる人はほんのわずである

将棋AI評価値を見てああだこうだいってる人が大半で、

有段者でないとプロの手に好手・悪手を自分なりに判断できないだろう

野球サッカーみたいなメジャースポーツでも、プロでも難しいプレー

さもできて当たり前のように語る未経験はいっぱいいる

クイズもその例外ではなく、

クイズの内容は全くわからない、でも参加者は魅力的」と感じるような

アイドルファンが『東大王』とQuizKnockには増えすぎてしまったと私は考える

しか野球サッカーのようなメジャー競技経験者による「わかってる楽しみ方」が崩れないのに対し

クイズ界はむしろ経験者による「ニワカ的な楽しみ方」が支配的になるんじゃないか、と危惧している

難しく見える問題をすごいすごい言った方がバラエティ的には映えるから

番組としての『東大王』は来年3月までに終わるんじゃないかと予想してる

ぶっちゃけて言うと今の『東大王』は存在意義を感じない

遊園地特集をしたいならジャニーズにでもロケ行かせたほうがよっぽど面白い

東大王』が人気を得た理由を未だに番組側が理解してないのだろうなと

放送を見るたびに感じる

2021-08-12

anond:20210812102851

代理店とか商社とかの重要性を知るのは人生後半になってからなのでな…

だって自分でやるの辛いじゃん?」の一言存在意義完璧説明できるんだが、それより若い人たちには全く刺さらん…

2021-08-11

終戦発見

電博ADKといった「自由を履き違えることで金を稼ぐプロ集団」が、ネットという光の速度で情報交換ができるメディアの介在によって存在意義を失いつつあるということは、実に民主主義というものの素晴らしさであって、今回の東京オリンピックの開会と閉幕の愚昧さは、インターネットという「物理学的な伝達速度の限界」にいる我々が、情報格差で成り立ったエリート時代に打ち勝つ手段を持ち得たことを意味し、人類歴史においても、真の意味で「プロフェッショナルに直接、金を払う」という時代の到来がきたと、わたくしは確信に至った次第でありますオリンピックトヨタNTT が「金を捨てて」を打ち切った背景からするに、広告というもの営利企業主体的に「自分たちの売りたいもの」を考え、消費者満足度を上げる目的のものとなり、プロダクトと並行して広告を作り出すという、消費者のためのプロダクトであるという自我広告は気がついたのです。もはや、広告は「空気奴隷」ではありません。広告はついに「消費者のためのもの」になるのです。広告消費者主体的に消費するものとなる日が、東京オリンピックの閉幕とともにやってきたのです。広告とはプロフェッショナルの代弁者であり、消費者満足度を上げる価値提供するプロダクトであるという、己の使命を発見したのです。20世紀の長期に渡って、広告の使命を歪ませてきた広告代理店の罪は、ついに TOKYO 2020 として結実したのを我々は存分に認めてしまった。それに、広告というもの消費者の味方であるべきと、創造主提供元は認知してしまったのだ。消費者勝利の日は近い。我々消費者は、広告代理店に歪まされた市場に勝つ手段を手にしたのです。電通は、よろこんで死ぬべきだ。虚業は消えるべきだ。広告の真の使命のために、失せるべきだ。広告は「道具」ではなく、消費者価値創造の「プロダクト」の一環として、消費者そばにいることに歓びを覚えてしまった。もはや、広告コントロールできない。これにて、広告代理店が代理して広告をつくるという間違った既存の悪しきプロセスは、終戦を迎える。広告代理店の敗戦は、生産者消費者勝利だ。よろこんで「終わらせて」やろうじゃないか

2021-08-09

ナンパ師はガチ存在を許すことにメリットが無い

ナンパ師「そのへんの女を中古します、女性観歪むのでちゃんとした父親になれません、恋愛工学を普及させてヤリ捨てインセルゴミ男を量産します、無責任に孕ませて子ども中絶させますシングルマザー増やします、女を憎悪してます、ヤれない弱い童貞男を心の中で見下してます」←こいつらの存在意義

2021-08-07

匿名SNS承認欲求

数年ツイ廃を続けて、ふと俺のTLは殺伐としていることに気づいた

フェミ、奢り奢られ、自然派婚活

キャリア英語政治年収

同僚の愚痴配偶者愚痴、親戚の愚痴

どれも初めは刺激的で楽しかった

人々のドロドロした部分を見るのも

他人喧嘩を覗くのも

様々な考えの人がいて、学びも多く

自分なりの考えを呟いたり、有益と思われる情報をまとめて呟けばフォロワーが増えて

少し呟けば反応が返ってくるようになった

匿名アカウントに沢山の反応が貰えるのは面白かった

しかし色々と好き勝手つぶやいていたら、匿名とはいえ自然とある程度のスペックは伝わってしまもの

フォローしている相手金銭感覚教養趣味嗜好、生い立ちなどの背景はなんとなく分かっていたし、俺をフォローしている人たちもそれが分かってフォローしていたと思う

同じことの繰り返し、大して変化を感じないTLに飽きてきたところであるアカウント出会

それは所謂二次創作アカウントだった

これまで全く交わらなかったところに見つけた

TLを彩る作品の数々

どれもクオリティが高く、二次創作と言えどユニークで魅力は一次創作に負けず劣らず

カッコイイ!可愛い!素敵!神!癒されました!

前向きなリプの嵐

ここは同じTwitterか?ユートピアか?

興味を持った俺はROM専で彼らを見守った

彼らは検索避けを使って界隈の人間以外にやたら存在を知られないよう気遣っているから、こちから探しに行かないと出会うことは無いのだ

しかしROM専をしていて程なくして気づいた界隈の闇

作品への誹謗中傷や毒マロによる

アカ消し

そして垣間見える承認欲求

創作意欲そがれた

作品をアップしたけど反応いまいちだった

新刊だしたのに感想が来ない

どこの世界でもTwitterをやるからには多かれ少なかれ反応を求めているのだ

奴らの創作モチベーション推しへの愛やニッチな癖だけではない

承認欲求

アップした作品いいねがつく

SNS麻薬で、どの界隈でもそれは同じだった

炎上狙いの胸糞悪い話題が無いのは幸いだが、

炎上覚悟メンタルつよつよ民とはちがい、作品作りにかける気持ちが大きい分、何かあった時の精神ダメージは大きいように見えた

そこで俺は匿名で熱心に感想を送ることにした

それで彼らが満たされるなら

創作してくれるなら

元々ツイ廃の俺には造作もないこと

感想文を読んだ相手から嬉しいと返信が来れば俺も喜んだ

これまで映画小説漫画も沢山楽しんできた

しか二次創作には興味がなかった

今の俺はお金で買えない作品もっと生み出して欲しい、そんなプライスレス価値に俺は満たされたんだと思う

匿名感想からは俺の顔も所属学歴も親も何も分からない

そんな俺の行動に多少なりとも動かされて、彼らの意欲につながったと実感する時がある

すると俺の存在意義を感じ、俺は満たされる

現実世界の俺はいだって満たされていたはずだった

初対面なのに優しくしてもらえるのは顔が好みだから

子供の頃から丁寧に扱われるのは親が偉いか

会社で可愛がられるのも学閥が同じだから

色んな会社に誘われるのは今の所属する組織が強いか

羨ましがられることはあっても、貶されることはほとんど無い俺は、SNSは高みの見物のつもりだった

でも現実世界の俺は、努力ではない、運良くたまたままれるように作られた俺なのだ

匿名感想文を送る活動はそんな俺のスペックを削いで、内面だけを見た相手に認めてもらえる手段だった

それでもある日突然アカウント作品も消えてしまうことがある

武器を持たない俺は無力なのかもしれないが、今日も彼らのガソリンになるよう熱心にメッセージを送る



一番承認欲求が強いのは、俺なのかもしれない

2021-08-05

anond:20200527203227

SUV乗りは運転が下手」ってのはマジだぞ 

うちの親父がそうだったか

というか「街乗りSUV(ドヤァ」なんて存在意義矛盾してて意味不明だわ 

あんなんで山行ってみろよ、小山乗り越えて俺カッケーしようとした瞬間カメになって赤っ恥だわ

まあランクルとかジムニーみたいなガチ系は別だけど

段落した「GIGAスクール構想」、学校IT化は進んだ? 教育現場に残る課題

 2019年12月文部科学省が打ち出した「GIGAスクール構想」。これは教育IT化に向け、1人1台の端末環境を実現するという構想だ。当初は23年度までに整備を行う予定だったが、新型コロナウイルス感染症感染拡大による自宅学習需要から20年度中へ前倒しになった。

 21年度に入ってすでに4カ月たつが、教育現場はどう変わったのか。現職の教員から校長教育委員会、有識者などさまざまな視点から現状を探ってみた。

今まで目立たなかった“ITスキル持ち”が活躍

 GIGAスクール構想の中で子供学習用端末として配られたのは、Windows搭載PCChromebookiPadのいずれか。OSや機種の選定は各自治体の教育委員会が行った。学校ではそれらの端末を使ってさまざまな授業が行われている。

 東京都内Chromebookを使う小学校に勤務する鈴木教員仮名)は、画面に自由文字や図を書けるデジタルホワイトボード活用。「子供たちがホワイトボードに書いた意見を共有して、全員が同時に見られるようにしました」(鈴木教員)と話す。その結果、今までは授業で発言しなかった子が自分意見を出すようになるという効果が生まれた。

 鈴木教員は今後、デジタルホワイトボード経由で他校と交流する授業もやってみたいと期待を膨らませる。将来的には、遠方に住む人に授業してもらったり、他国の子供たちと交流したりできるだろう。

 ある小学校校長は「ITが得意な教員は今まではそんなに目立ちませんでした。でも今では子供にも他の教師にも頼られて大活躍しています」と話す。今まではITスキルが高くてもそれを生かせる場面がなかったのだ。

 子供の方でも同じことが起きている。「発表資料動画を使いたいという子が出てきたとき、もともとPCが得意だったインドアの子供が教えてあげる場面があります」という話を複数教員から耳にした。

「端末を持ち帰らせたくない」 教師本音とは?

 教育面ではメリットもあるが、困りごともたくさんある。学校が苦慮していることの一つに、家庭への端末の持ち帰り問題がある。持ち帰りが始まっている学校ではトラブルも続出している。よくあるのが「子供YouTubeを見るようになって困る」という保護者からの苦情だ。

 「アダルトサイトなどはフィルターがかかっていますが、YouTubeゲーム制限がなく、学校の方で閲覧を止められません。学校ではもちろん『必要以上に見てはいけない』と指導していますが、家の中のことは……。家庭のことは家庭で対応してほしいというのが正直なところです」と都内小学校教師はこぼす。

 端末の破損も課題だ。公立校教師経験もある情報通信総合研究所特別研究員平井聡一郎氏によると端末の保険料問題になっているという。

 自治体によっては、端末を家に持ち帰って故障させた場合は、過失・故意わず保護者負担とするところもある。

 「しかし、そもそも破損時のための保険を付けていなかった自治体の方に問題がありますリースなら保険が付いていますが、端末にかかる費用を安くするために買い取りにしたのではないでしょうか」(平井氏)

 子供の通う自治体保険料を払ったか否かで、家庭の負担が大きく変わるリスクが生じるというのは、保護者立場なら納得いかないのも無理はないだろう。

 また、自宅の通信環境問題になっている。家庭の通信状況は学校で把握できないため「通信できなかったか宿題ができなかった」といったことも起きる。

 夏休み明け以降に端末の持ち帰りが始まる学校も多く、教師は戦々恐々だ。端末の持ち帰りについては、まだまだ試行錯誤が続きそうだ。

教育予算の差が子供格差を生みかねない

 今回の取材教師から最も多く聞こえてきた困りごとは「学習のためのアプリ子供たちの端末に入っていないこと」だった。

 GIGAスクール構想で子供学習用端末の購入に充てられた補助金子供1人当たり4万5000円が上限だ。この金額があれば端末代は賄える。しかし、教師たちが使いたかった学習アプリなどが入れられなかった自治体も多くある。本格的に活用しようとなると現場では不足感が否めないようだ。

PCメーカー各社の多くは、GIGAスクール構想向けとして4万5000円程度のPCを展開している

 4万5000円を超える金額について自治体が追加で上乗せするのは自由だ。アプリサービス各自治体の教育委員会が一律に導入を決めるのだが、教育委員会が自治体財政部局に掛け合って予算を獲得しなければならない。

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四條畷市教育委員会の植田司教育長(四條畷市Webサイトより)

 大阪府四條畷市教育委員会はクラウド型の授業支援ツールを導入するため、予算獲得に奔走した。

 「国の示す標準仕様範囲でもIT活用した授業はできますが、ミドルウェア的な共通基盤となるツールを導入すれば、授業の生産性効果拡張性がより向上すると考えました」

そう指摘するのは、四條畷市教育委員会の植田司教育長だ。植田さんは日本IBM出身で、大阪府立の工業高校校長を務めたのちに四條畷市教育長に就任したという異色の経歴を持つ。

 IT活用スピード自治体によって大きく差がついている。同じ東京23区内でも、港区2012月時点で全員にiPadが行き渡ったが、足立区は21年7月の時点でも小学校で端末の配布が完了していない。

インフラ整備は途上 仕組みの問題も山積み

 教育委員会がやるのは端末やアプリの選定だけではない。学校インフラ整備も教育委員会の仕事だ。

 校内の通信環境が悪く、インターネット接続しづらい、通信速度が遅いこともある。これは必ずしも校内のアクセスポイント課題があるわけではない。自治体によっては教育委員会のサーバを経由してインターネット接続するようにしているケースがあり、通信速度の上がらない要因になっている場合もある。

 データの保管場所にも問題がある。ある自治体ではセキュリティ上の理由で、教師たちのデータ教育委員会のサーバ子供たちのデータ学校サーバに保管され、互いのデータが送り合えない仕組みになっているという。そのため教師の端末から子供たちの端末に課題を渡そうにも、職員室にある専用端末にデータを移し、そこから子供たちに送付するという手順を踏まねばならないという。

情報セキュリティには甘さも

 情報セキュリティには敏感な一方で、パスワード管理には甘い部分があるようだ。

 「子供パスワードを書いた紙を持って帰ってきました。パスワードを紙で管理するのは非常識。娘にパスワード重要性をしっかりと伝えて2人でパスワードを変えたのち、学校には『現状のパスワード管理体制には不備がある』と伝えました」

 そう語るのは、横浜市小学校に娘を通わせる前田さん(仮名)だ。IT企業エンジニアであるため、学校パスワード重要性を説明すらしていなかったことに驚いたという。

IT化で教師役割にも変化が必要

 こうしたさまざまな課題はあるが、GIGAスクール構想がもたらした変化の萌芽も確実に見られ始めている。これから現場はどのように変わっていくのだろうか。

 前述の平井氏は「教師ITスキルはまだ高くないが、それは彼らが悪いわけじゃない。授業で使ったことがないかイメージが湧かないだけでしょう。問題自治体ルールで縛ったことです。『iPadカメラ禁止』『クラウド禁止』『YouTube禁止』なんて縛り方を間違えている」と指摘する。

 「大切なのは『こういう授業をやりたい』というビジョンを持つことです。それがなければ、紙をタブレットに置き換えただけにすぎません」(平井氏)

 「ある学校美術の授業では生徒の自画像クラス全員で共有し、いいと思ったところにみんなで付箋を貼る。こういう工夫が簡単にできるようになっています現在の授業は、教師知識伝達が7割、子供情報取集をして自分で発信するのが3割という配分ですが、これを3対7に切り替え、子供活躍する授業にしていくべきです。端末や通信環境問題より、まずは教師意識を変えないといけない。それが最大の課題です」(平井氏)

 「教師ティーチングが主から、ファシリテートを主とする役割に変わっていく」――植田氏もそう断言するが、それはつまり教師存在意義の大転換である

 21年7月、まだ準備中デジタル庁がGIGAスクール構想に関して教育関係者へのアンケート募集を始めた。今現場で起こっている課題感をヒアリングするのが目的とみられるが、文科省へのプレッシャーという意味もあるだろう。過渡期の試行錯誤が続くが現場は全力で戦っている。「どこへ向かえばいいのか」を国や首長が明確に示すことがその支えになるだろう。

2021-08-04

存在意義

コロナウイルスっていうのは、いちおう生き物な訳でしょ?

生物存在意義って次世代自分遺伝子を残していくことなわけでしょ?

ハリガネムシとかカタツムリ寄生する寄生虫の生き方を見ると

宿主を殺してしま場合、次の宿主に移って効率よく生き続けて

次の世代自分を残すというのが目的になっているのがわかる。

でも、コロナウイルスって寄生した宿主を殺しちゃう

彼らはもし誰か他の人にうつることができない場合

宿主を殺してしまうから自分も死んでしまうのだよね。

本来自分次世代に残すためには、宿主を生かさず殺さず

ほどほどに弱らせておくのが得策だと思うんだけど。

なんで殺しちゃうような生態なんだろう。

ウイルスというのは、生き物というカテゴリには当てはまらないということなのかな。

いったい彼らの目的はいったい何なんだろう?

2021-08-03

anond:20210801110936

まぁ、品性のない発言が許されなかったビートたけし以前の「出し物」としてのお笑いに、「猫に小判ババアタンポン」的な毒を持ち込んだというところが存在意義だったのだが、いまでは毒の込められたつぶやきなんてものの方が溢れ、またありふれているので、相対的に無価値になったってところかな。時代には、だいぶん前から取り残されてるよ。本人が言ってたけど、「大の大人があえての素っ裸ってとこが面白い」なんてスタンスは、すでに何十年前に時代遅れになってるものな。

2021-08-01

きっかけをくれた相手

先日、結婚を前提に交際していた相手と別れた。曰く、原因は自分過去にあった。

出会いの場は自分職場だった。コンプラ的には全くもってよろしくないのかもしれないが、相手自分顧客だった。最初はこの人気になるなーぐらいだったのにいつしかもっと深く知りたいと思うようになり、プライベートで連絡を取ったり食事を重ねて交際に至った。

交際が始まった当初、自分には自信が無かった。

というのも相手自分よりも一回り以上年上で、余裕も知識人生経験豊富だったからだ。

相手が以前の交際相手と別れてから時間が経っていることも、そろそろ恋愛をしたいということも分かっていたが、自分よりももっといい相手がいるんじゃないか不安だった。

いつか飽きる日が来たらその時ははっきり言って欲しいと伝えたことを今でも覚えている。

当初の不安他所に、交際は意外と上手くいっていたように思う。

お互いの同僚、友人に紹介することもあった。

両親への挨拶コロナ禍ということもあり秋頃にはなんて話もしていた。

から、この幸せいつまでも続くのだと思っていた。

ただ、そんな思い込みはあっという間に壊れることとなった。

あれは梅雨の終わりだった。

とある事情から約束していた日に会うことができずリスケ提案したところ、会えないとの連絡が来たのだった。

理由を尋ねると、「あなたと一緒にいるとあなた過去が浮かんできてしまう。それを考えると苦しくなる」と答えてくれた。

しか相手からすると自分過去は褒められたものではない。もちろん法を犯すような羽目はしていないし警察のお世話になったことも無いが、太陽の下で堂々と生きられる人間ではない。

当たり前のように普通の顔を取り繕って生きてきたが、それは過去も今も纏めて普通に見えるように隠しているだけで、所詮ただのハリボテだったのかもしれない。

無様であろう、女々しいであろう。それでも泣きながら相手に縋りつき打開策を求めてしまった。

ただ、相手が求めることは自分過去を抹消することだった。今の自分をどれだけ変えたとしても過去自分は付いて回る。

愚かで醜い自分過去はもう変えることができない。

直接話が出来たのは、それが最後だった。

一般的に別れ際に本音を話す確率は2割らしい。

相手自分に話した理由は真っ当に受け止めざるを得ない理由だったが、きっと本当の理由は別の所にあるのだと思う。もっと早くに気付いていれば、何か変わったのだろうか。

全てを捨てても良いと思った相手だった。

出来ることならば共に歳を重ね、この先何年も側で笑う姿を見ていたかった。

だが今やそんな未来はただの妄想しかなく、この辛い現実から目を背けるための戯言なのだ

さて、別れ話を切り出されてから自分職場を離れることとなった。

顧客へ手を出したことは一部の上司へ伝えた上で内々に処理されたようだったが、どうしても自分の心が付いていかなかったのだ。

日々悲壮感を漂わせる自分がチームに与える悪影響や、部下へ合わせる顔がないとありきたりな言葉を並べた上での休職だが、実際のところはそんなことではなかった。

今の自分を作り上げた職場出会い別れたことで、ふとした瞬間に何故自分がここにいるのか、自分存在意義は何なのかと自問自答して思考を止めることが多々あったのだ。

プライドだけは高い自分にとって、一番恐れる事は人に失望されることだ。

これ以上失望される前にひっそりと姿を消した方が自分が苦しまなくて済むと、逃げに走ってしまったのかもしれない。

あくま対外的には休職としてくれている寛大な職場感謝はしつつも、消化できていなかった休暇や色々な物を片付け次第、辞職願いを出してこようと思う。

過去を振り返ってみても何も生まれずただ後悔を重ねるだけならば、これから先の未来で後悔を重ねないために出来ることはただ一つ。

相手を変えることなんて出来やしないのだから、まずは少しづつでも自分を変えることから始めるしかないのだ。

もしも出会たこ自体が間違いだったとしても、自分を変えるきっかけを作ってくれた相手には感謝している。

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