はてなキーワード: 不断とは
漏らして絶望してる人を慰めるのは良い
しかし漏らすのは当たり前とか、漏らすのは怖くないとか、フリーお漏らしみたいな風潮はよろしくない
いたずらに皆の括約筋を緩めることになってはならない
「漏らしちゃいましたえへへ」ではない
不断の努力により括約筋を締め、便所と共に在り、不漏らしの世界を目指すべきである
ついこの間のことだ
確定申告のため税務署に行ったため生活リズムが崩れ、思わぬところで急な便意が来たとき
我がオアシス、セブンイレブン(トイレ2つ)に立ち寄った所見かけたのは死刑宣告の張り紙
曰く「利用者のマナーが悪いので予告通りトイレは使わせません!!」とのこと
ご丁寧にバリケードまで用意してある
私はやり場のない怒りと、詰んでしまったことに対する絶望で足は竦み顔は歪んだが、そこで諦めなかった
全力疾走で5分先にはローソンがあるし、8分先には駅がある。駅の向こうには電器屋、地下には本屋がある。電器屋には3階と5階にトイレがあるが個室は1箇所なので・・・いや今は早朝だからきっと電器屋は空いてないし、ローソンは小さいからそもそもトイレがなかったはずで・・・
ノートパソコンが入った重い荷物を置いていこうか少し迷った、がやめた
定期的にジムで走り込みをしていてよかった
結果、やはりローソンにはトイレがなかったが駅のトイレに間に合った
通勤ラッシュがギリギリ終わっていて、個室が空いていたのは僥倖である
私はJRとキレイなトイレに感謝し、入場料を払って駅を後にするのだった
(もちろんその後は第二波を睨んで慎重なルート取りをした)
漏らしすととは、そのくらいやって、それでもダメなときに悔しさの涙とともに漏らすべきなのだ
私はそう信じている
ある社会制度が差別的ではないかという不断の提起と検討は、差別のない社会を実現するうえで極めて重要なものである。女性専用車両が男性差別ではないかという提起も例外ではない。
だが提起の妥当性は、「他の差別と外形的な一致をみるから」という一点のみによって証明されるわけではないし、議論をそこでやめるべきでもない。...(中略)
その議論の過程においては、「痴漢被害経験のある男性」の存在が指摘されるだろうし、セクシャルマイノリティを包括した社会制度の必要性といった論点も出てくるかもしれない。
元増田は外形的な一致のひとことで済ましてしまっているが、そもそも差別(元増田の言う意味の)かどうか、その区分けの非合理性を論ずることは重要だ。
女性専用車に男子中学生が入ることは推奨されていないが、かく言う俺も中学生の時に痴漢にあったことがある。同じような境遇の子どもたちが議論の外に漏れてしまっているかもしれない。だとすると彼らは選択の余地無く痴漢の的にされていることになる。
元増田の論に乗った上で「差別だと認めろ」の要求に反論するためには、区分けの合理性を主張するしか無い。差別が悪だという認識がある中で、それは再検討への圧力になる。貴方の考える議論が促進されることになるだろう。その意味でも元増田の主張は意義深いと思う。
元増田が導入した視点は、現状、区別・差別が曖昧に理解されている中に、「差別か」「であるならば現今の環境下では許容せざるを得ないか」の二段階に分けて考えることを提案したことだ。
前者の視点でシルバーシートは差別でないと判断できる。後者の視点で日本人専用車は許容できないと検討しうる。この部分は別の増田と同じ意見だと思う。
元増田: 不当な差別と現今の環境下では許容せざるを得ない差別は、外形上区別できない。だったら、変な理屈をこねて後者を「差別じゃない!」と言い繕うべきじゃない。それは前者をも免罪してしまう。
明示されているわけではないが「変な理屈」というのは例えば、”被害者の助けになっているので、女性専用車は差別では無い”のようなものだろう。
たしかに差別の実質について、倫理的・技術的・合理的・歴史的観点で精査することは意義深いと思う。慎重に検討された多角的な評価は、天下り的な定義に比べると説得力を持つ。問題なのは、それらを組み合わせた総合的な判断で差別かどうかが判定されることの危険性だ。どの基準の判断をどれだけ重要視するか? 議論の結果には発言者の立場や権力が大いに影響しうるし、文化や偶然によって結果が決まると思う。
ケースバイケースで意味を柔軟に引き伸ばされて運用される。少なくとも市井のフェミニスト・リベラリストの間では差別概念はそのように扱われている。元増田はこの事態に警鐘を鳴らした。
https://anond.hatelabo.jp/20180225105423
それらは不当な差別だ。でも、不当な差別と現今の環境下では許容せざるを得ない差別は、外形上区別できない。だったら、変な理屈をこねて後者を「差別じゃない!」と言い繕うべきじゃない。それは前者をも免罪してしまう。
元増田の主張の基本線は上記の記述に集約されるのだが、そもそもこれはかなり疑わしい主張である。外形上区別できないならその時点で全部同じカテゴリーにくくるべきだという主張は全く自明ではないし、もっともらしいものでもない。我々は外形上区別できないものは区別すべきでないんだろうか? そんなことはない。
たとえばある人物が解雇されたとして、それが雇用差別の結果であるかどうかは外形上(解雇された)の議論では決着がつかない。差別の結果として職を失うということは当然あり得ることだが、だからといってあらゆる解雇は外形上雇用差別と区別がつかないので差別であるなどというのは馬鹿げた主張である。元増田の主張はそのレベル。
我々は提起されている「差別」(女性差別でも、男性差別でも)の実質について、倫理的・技術的・合理的・歴史的観点から精査を加えることができるし、そうすればよいだけの話である。
そしてそれは「変な理屈をこねて後者を「差別じゃない!」と言い繕う」こととは違う。その種の精査を「変な理屈をこね」ることだと頭から決めつけて、差別論が外形的・表層的な次元に留まり続けなければならない理由はない。もちろん、提起された「差別」が差別ではないことの指摘や反論の中に「変な理屈」が紛れ込んでしまうことは当然ある。しかし我々はその「変な理屈」をあらかじめ排除することなどできないし、あらゆる指摘や反論が「変な理屈」であるわけでもない。外形上区別できないものの実質を精査することを「変な理屈」と規定するのであれば、我々は差別について意味のあることをまるで考えられなくなるだろう。
さらに、
加えて、差別が差別であると認識されていない状況はそれ自体が不正義であるから、というのもある。「○○は単なる区別だから、差別じゃないよね~」という言辞に、どれだけの被差別者が苦しめられてきたか。そんな言い分を許さないことは、正義への一里塚だよ。
と元増田は述べるが、しかしその代わりに「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」と「不当な差別」の区別が是認されるのであれば(そして、女性専用車両は前者に属するので一定の正当性があるとする増田は当然是認するわけだが)、「○○は単なる区別だから、差別じゃないよね~」という言辞は、「○○は現今の環境下では許容せざるを得ない差別だから、不当な差別じゃないよね~」に取って代わられるだけであり、彼の主張にとってこの区別の是認は自滅的である。
むしろ、現下の社会においては「差別」という言葉に強い道徳的負荷が伴っているため、ある行為が「差別」ではないかという疑義を呈されれば、疑義を呈された側は「差別でないこと」の証明に取り組まざるを得ない。女性専用車両が差別ではないかという元増田の問題提起が強い反発や反響を呼んだのも、この「差別」という言葉が持つ道徳的負荷ゆえなのである。
ところが「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」という言辞は「差別そのものはアプリオリには否定されない」という前提の導入を意味するため、「差別」という概念が持つ道徳的負荷を希釈することになる。それが被差別者の発見や救済につながるという主張は甚だ疑問である。
なぜなら、「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」という言い方によって新たな差別の問題が認識されたところで、それが「現今の環境下では許容せざるを得ない」と認められているうちは、その問題が真剣な吟味の対象になることはないからだ。
むろん、これは「差別と区別」のレトリックでも同様であるわけだが、要は「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」という概念を導入すべきという元増田の主張が、彼自身が提起している問題の解決に何ら貢献しない(それどころか、悪化させる恐れすらある)ことを意味している。
以上を踏まえると、「差別ではあるよね」の合意はナンセンスであるばかりか有害なものである可能性もあり、ロジック自体も自滅的であると言わざるを得ない。
言うまでもないことだが、ある社会制度が差別的ではないかという不断の提起と検討は、差別のない社会を実現するうえで極めて重要なものである。女性専用車両が男性差別ではないかという提起も例外ではない。
だが提起の妥当性は、「他の差別と外形的な一致をみるから」という一点のみによって証明されるわけではないし、議論をそこでやめるべきでもない。
女性専用車両がいかに不当に男性の尊厳を傷つけるものであるか、不利益をもたらすものであるかについて、丁寧に議論すればよいだけの話である。もちろんその議論は様々な批判や反発に晒されるであろうが、そういった議論の応酬以外に我々の差別に対する認識を深化させる方法はない。
その議論の過程においては、「痴漢被害経験のある男性」の存在が指摘されるだろうし、セクシャルマイノリティを包括した社会制度の必要性といった論点も出てくるかもしれない。
しかしそれは、「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」と「不当な差別」という区別の導入の所産ではないのである。
なお筆者は、女性専用車両自体は女性の安全な公共交通機関の利用を保障するうえで次善的に妥当な措置であると考えるが、そもそも女性専用車両が存在しなければならないような社会の在り方は女性差別的であると考える。女性専用車両は男性差別であるという主張もそれ自体排除するつもりはないが、元増田を含め外形上の一致以外の議論が提示されないので検討しようがない。現時点での本邦の司法判断は、女性専用車両を男性に対する不当な取り扱いであるとは見なしていないようである。
高い金払って行く認可外よりも公設の保育園の方が質が高いんだよね。金持ちは高い金払うのはオーケーだけど、ショボい所に子供を入れるのは嫌がる
これもなー
実際に私設よりも公設の方が質が高いのだとして、どうして公設のほうが質が高くなるかといえば、職員だけじゃなく通ってる保護者や地域がボランティア的に不断の努力をしているからなんだよねぇ。それをネットのパワーカップルの場合、その「質の高さ」にタダ乗りするだけじゃなくて、「誰がPTAなんか入るか、何で親が学校や園のことをしなきゃいけないの!そんなの金だけ出すから勝手にやって!」とかなって思い切りぶち壊しにかかるんだよね
左派の価値観(https://anond.hatelabo.jp/20180120234044)を書いたおっさん増田っす。ダラダラ長い補足をつけるのは何なので放置していたんだけど、いくつか気になるブコメをつけていただいたので、続きというわけではなく別記事で書いてみたいと思うよ。
なるべく教科書的なおおよそのところを書くつもりだけど、やはり人間なので私見は入る。明確に個人の意見の場合はマーキングします。また左派/右派って分類は今回の場合そぐわないので、革新/保守と言う表記で書くよ。
『右翼も現状否定では一致してるからな、左翼のそれとなにが違うんだろ』
革新と保守の何が違うのか? どっちも「今の社会をより良い方向に一歩でもすすめる」という点では一致しているのにどこが違うの? っていう疑問はなかなか良い切り口だと思う。
教科書的な答えは「革新は(ある任意の)理想の状況や体勢に跳躍、急進しようとする」「保守は方向に進むにしても一歩ずつ漸進(ゆっくり進む)してゆく」なんだけど、まあ要するに違いは「アクセルの踏み方だけ」。もちろん現実的には進むべき理想の方向や、その方向に進むにしても進む方法の実現手段では様々に意見は割れるんだけど、そんなもの革新と呼ばれる人の中でも保守と呼ばれる人の中でもバラバラなので、革新と保守の違いは? といえばアクセルの踏み方くらい。
でも、「違いは速度感だけ」っていうと、凄く小さいことに聞こえるし、なんでそんなことで揉めてるかさっぱりわからないよね。
「長い歴史と非常に(っていうか非常識なまでに)ユーザーの多い複合型の巨大Webサービスが存在する。日常的なメンテやバックアップはあるのだけど、このサービスに対して現在のユーザー環境や競合サービスを鑑みて大規模改修を加えることになった。
なお、この大規模回収にあたってサービスの停止やユーザーに不利益を与えることは許されないとする。また別サービスを立ち上げてのテストやユーザーのサービス間移動も許されない。
方針A:サービスを機能ごとに切り分けて細かい部分を解析して、小さな改修を加えて、少しずつ改善していく。改善を繰り返す。
方針B:機能単位、あるいはサービス単位、あるいはそれらをより大きな範囲でコードを新作してブロックごとまるっと入れ替える。」
方針Aが保守と呼ばれている思想で、方針Bが革新と言われている思想。
こうしてみると「AとBってぜんぜん違うじゃんよ!?」ってなるとおもう。主に現場の悲鳴的な意味で。
他の競合サービスへのキャッチアップや理想の快適サービスを目指すのであれば、たしかにBが良い。最近開発された新技術も突っ込めるし、技術的負債の返済もできそう。だけど、Bでなんかトラブったときの災害ってAの比ではない……。でも競合サービスに勝つため、あるいは環境変化に追従するためにどうしてもBを選ばなきゃならんこともままあるわけで……。そもそもAではなくBでしかたどり着けないサービス設計の方針転換だってある。
じゃあAの、つまり保守の言い分ってのは何なのか? と考えると「人間の集団(および集団の作るもの)なんて絶対ろくでもないアホやアホミスが混じってるものなんだから、いきなりすごいことしようとしてもコケるんだよ。今現在サービスは稼働してるんだからゆっくり進んでいくしかないんだよ」というもの。
例えておいてなんだけど国家というのはWebサービスと違って逃げ場がない。他サービスに移住とか容易く出来ないし、サービスが停止あるいは混乱したらすごい大きな迷惑がかかる。死人とか出ちゃう。だから、ゆっくり行こうぜ。と。
保守のこの言い分は説得力がある。人間は数が増えれば増えるほどカオスになっていっちゃう生き物だからだ。
革新(この場合は左派やリベラルも)は「みんなから見て素晴らしいこの理想を見せれば、その素晴らしさを理解したみんなは協力してくれるから、この理想は実現するはずだ」という理想主義ともいえる無邪気な思いを持っている。それそのものはそこまで間違ってるわけじゃない。明るい未来のビジョンも見せずに人がついてくるかと言えばNoなので、理想を見せるというのはとても重要だ。
その一方で、理想に耽溺しちゃうと説得する手間を惜しむようになる。程度の低いリベラルは「正しい理想はこれなのになんであなたはそれが分からないの? バカなの? 死ねば?」みたいな態度になりがちだ(あえて例は挙げないけどみんな心当たりあると思う)。
そこへ行くと保守というのは「人間は全員バカなので正しい理屈が他者に必ず認められるとは限らないし、ましてやそれが正しい設計や正しい実装として実現されるとも限らない。失敗前提でいくしかない」という、ある現実的な、ある意味非常に後ろ向きとも言える考えを持っている。
だが一方で、保守のその後ろ向きさは「俺はバカだしあんたも多分バカなので、今俺が考えてることを理解してもらうためには手間ひまかけて説得しなきゃならん(それでもうまくいくかどうかは賭けである)」という考えも内包している。つまり、説得したり協力したり、時には泥臭く妥協したり、薄々間違っていると思うことでも頭を下げたりすることを前提としているのだ。
私見だけど、自民党という政党が歴史とか規模において他よりの一歩抜きん出た存在になったのは、まさにこの「説得の手間ひまを惜しまない文化、意見細部は異なる他人同士が同じ舟に乗るというノウハウを持った」という理由によると思う。これがすなわち思想的政治的な正しさを保証するわけではないけれど、多人数が話し合うという政治の現場に対して技術力があるという言い方は出来るだろう。
今の日本は概ね保守な方向の国だと思うのだけど、じゃあ、この記事で説明した保守という思想に弱点がないのか? といえばそんなこともない。
革新が原理主義と相性が良くてダークサイド落ちしやすいように、保守も泣き所がある。それはおおざっぱにいえば「怠惰」だ。
「今現在サービスが稼働してて、変な改修をするとサービスが悪化するかもしれない」という考えは、一歩間違えれば容易く「今動いてるんだからこのままでいいじゃんよ」になりうる。そんな風にメンテをサボったシステムはリスクで膨れ上がる爆弾みたいなものだ。
また同じように「更新を停止して監視が緩んだシステム」は既得権益の温床になる。特定ユーザーが利益を受けたり、地位に居座ったりすることが固定化されてしまう。
この怠惰は話し合いの場にも及ぶ。「アホ同士の話し合いなんてどうせ完全な合意や完全な正解はないんだから、話し合いの内容なんて適当に打ち切って地位が上の人の命令に従えよ」という怠惰は、本当に発生しやすい。妥協が必要だっていうのは保守の言い分なのだけど、妥協し過ぎという怠惰には目も当てられない。
これらの怠惰と保守思想は本当に相性が良い。世襲制や不顕性のつい良い地方農村的な自治体とか、血族経営の企業とか。
しかし、左派がそうであるように「保守の綱紀を引き締めるのもやはり保守」であるはずだ。
そもそも、保守の真骨頂は「たゆまぬ、あきらめぬ」ことにある。
「社会をより良い方向に一歩でもすすめる」に関して、その理想の輝かしさは革新>保守だ。実現の確度を度外視して「一番良い理想をくれ!」で動ける革新に、保守はキラキラでは勝てるはずがないのだ。そういう革新の優位性にたいして保守ができる返答は「たゆまぬこと、あきらめぬこと」でしかない。
一歩一歩は小さくても、「ずっと歩き続ける」「不断の改善を続ける」「さぼらない」ことが保守思想の本質的な光だ。
その意味保守は「議論をつくす」と胸を張るべきだし、自分がメンテするシステムの監視を厳しくすべきだ。「相手が自分とは全く思想の違う存在でも、ギリギリのギリギリまで説得を続ける」という汗のかき方が保守の美徳であるはずなので、保守的には「むしろ議論バッチコイ!」くらいが健康的だと思うよ。
その構成を具体的に示すと次のようになる。
導入部の後には、まずテーゼ(命題)としてある説・論・主張を略記する。
そしてテーゼに含まれる美点、たしかにと首肯できるところを挙げる。
続いてアンチテーゼ、つまりテーゼの汚点、賛同できない点を挙げる。
最後にジンテーゼ、つまりテーゼの美点は継承しつつも、アンチテーゼとして掲げられた汚点は克服されている、素敵な第三案を提示する。
以上だ。
具体例の挿入とか論拠の提示とかの肉付けは残っているが、論の骨子としてはこの4つが揃っていれば、必須要件を満たしていると言える。
裏を返して逆に見ると、つまり対偶をとると、論の骨子が必須要件を満たしていないという時は、必ず4つのうちのいずれかを欠いていると言える。
ここからが本題なのだが、同時にここからは単なる主観でもある。
経験則で言うと、この4つのうちでもっとも欠きやすいのが「テーゼの美点」だ。
しかし、テーゼの美点を踏まえていないジンテーゼは、美点の継承 + 汚点の克服という要件の前者を欠いたものとなるために、単なるアンチテーゼの焼き直しになる。
そのような論には進歩も深化もなく、ただ話者の言いたいこと投げっぱなしジャーマンの痕跡があるだけだ。
とはいえ、一般人が何かを私的に論ずる時、常にヘーゲル流弁証法的な構成や手続きを踏むのは現実的ではない。
議論の目的が必ずしも進歩や深化を求めるものばかりではないからだ。
議員とは、主権者の幸福度をより効果的に維持・向上するよう、行政と司法をコントロールするための立法に、(少なくとも形式上は)議会での議論を通じて取り組む労働者を指す言葉だと思う。
果たして現実の議員がそのような定義に沿った実態を伴っているかについてはさて置くとして、定義からすれば彼らに求められる必須技能は以下の3つになる。
すなわち、
■ 1. 正しい目的意識
■ 2. 適切な統治能力
= 現況の中での目的への最適解を適切に見出し、行政と司法を最適解に向かうよう制御できる能力
だ。
選挙演説や討論番組を観ていると、どうも耳目にする議員(候補)のほとんどすべてが、その論説に「テーゼ(ここでは議員と対立する意見や政策)の美点」の提示・継承を欠いている。
自分には資質があるから票をくれと訴えるプレゼンテーションたる演説ですら、アンチテーゼとその焼き直したるジンテーゼもどきを延々垂れ流す人たちが、どうして議会で対立意見を持つ別の議員たちと健全な議論を繰り広げられるのだろうか。
これは別に「右派は」とか「左派は」とか、枝野氏風に言うなら「上からの人は」とか「草の根からの人は」とか、そういう話ではない。
むしろ、そのいずれに属していたとしても、揃いも揃って議論のお作法が出来ていないという話なのだ。
自公について言うならば、民主党政権には本当に何も功績や合理的取り組みがなかった暗黒時代なのか、あるいは安保・改憲反対派の言うことにはまったく理解できるところはないのか、ぜひ顧みて欲しい。いや、どうせ顧みられないだろうけど。
立憲や共産党・社民について言うならば、アベノミクスは本当にすべてまやかしで格差を拡大しただけの何ら益ないものだったのか、あるいは安全保障上で米国の協力を引き出そうとみっともなくもがくことを本当に完全に無意味と断じられる客観的根拠があるのか、ぜひ顧みて欲しい。どうせ顧みられないだろうけど。
希望の党について言うならば、いや、希望の党はそもそも何をテーゼとしているのか理解が難しいので、何も言うまい。
ともあれ、テーゼの美点を継承しつつ汚点を克服する、真のジンテーゼを提示する不断の努力を見せて欲しい。
そうでなければ、対立するアンチテーゼ同士のどちらが好きかを選択するだけの、単なる人気投票に堕してしまうだろうというか、もうずいぶん長いことずっと堕したままだ。
こんな状況を見れば、プラトン先生も「ああ、やっぱ民主制ってダメだった」とニンマリ笑うだろうし、子どもは政治活動ってのは耳を塞いで言いたいこと言い合うだけのお祭りだと思うし、はてサに彼女はできないし、ネトウヨに財産はできないし、俺はオナニーして死ぬ。
物心付いた頃から不断の努力と言うやつを続けてきた。1秒1秒を無駄にしないように、ありとあらゆる選択肢で最善を選び、世界で一番高密度な時間を目指し、寸刻を惜しんで勉強や学識を広めて来た。そうして20年余り、一流の大学を卒業して一流の会社を起業し、世界の偉人に名を連ね。。。られなかった、若い頃の無茶のツケで重度のうつになり思考は散文的で数分考える事すら苦痛。努力は全てを可能にするって俺に刷り込んだ祖父は莫大な借金を残して他界した。死ぬ間際まで事業が大成功してると家族に嘘をつきつづけていた。全てにおいて成功してると豪語する眩しい祖父が全て悪い気がするが、呪いを残して勝ち逃げされた今はどうにもならない。そろそろ死のうと思うけど自殺方法すらまとまらないこんな腐った頭を切り捨てたい。
なんでツイフェミ勢とかはてサ界隈のフェミって自分が女であるがゆえに得している部分についてこうまで無頓着なのか
モテないし一芸もなく誰からも認められないオッサンからするとその無頓着さに腹が立つ
男(少なくとも俺)の世界は産まれたときから競争に晒され負けたものは容赦なく踏み潰されていく修羅の道だ
ただ待っているだけで無限に男が寄ってくる女とは最初から「人に認められる」ためのハードルが違うんだ
そりゃ君たちは自分の好きな男以外はゴミだと思っているからそんなゴミからの承認なんか必要ないんだろう
ゴミは人ではないんだからゴミからチヤホヤされたって人からの承認を得た気分にはなれないんだろう
何ならそんなゴミが女叩きをしているのを見ると嫌悪感で胸が一杯になるだろう
だが俺はすべての女を人として見ていて、そのうえで世界でたったひとりの女=人に認めてもらうために全身全霊を傾けて努力してそれすらも報われるかどうか怪しい
不断の努力を続けなければ文字通り「世界中の誰からも承認されない」という状態が常である俺のいる世界に女を放り込みたい
そのうえでフェミってみろ糞ども
交通事故を減らすために、私達は小さい頃から信号を守るとか、左右を確認するとか自然と身につくまで聞かされ続けている。親から信号のルールを教わる。小学校では自転車の乗り方を教わる。場合によってはビデオを見せられたりする。町中に至るところに標語が掲げられ、交番には交通事故件数が掲示されている。
こうした交通事故を減らすための努力は、無駄になってはいないと思う。痴漢を減らすために次のようなことを行ってはどうか。
鉄道会社や警察は痴漢撲滅に向けて不断の努力をしてほしい。でも、我々も被害者か加害者か、ではなく電車の乗客という当事者として向き合わないといけないと思う。
学友・人民諸君! かかる事情を踏まえれば、クリスマスを祝う輩が日帝権力の利益に供するのみならず、
人民の分断をもたらす積極的反革命であり権力の走狗集団であることは明白である。
日帝権力の収奪攻勢に直面してもなお、自らの心身の寒さの危機しか感じえずきわめてハレンチにも
「クリスマスに過ごす相手がいない!」などと無様に絶叫しクリパ・合コンに逃げ込むニセ「カップル」予備軍、
そして「楽しければそれでいいじゃん」などと広言しホテルに埋没してはばからないニセ「カップル」盲従集団・・・
かれらは闘いの裏切者でなくてなんだろうか。かれらと我々を隔てるのは「感性の違い」などではなく、与する階級の違いなのである!
すべての学友・人民諸君! かかる日帝権力の収奪攻勢を前にして、
しかし、社共はもとより一切の「左翼」党派は反クリスマスの闘いをまったく放棄している。
そのような中、唯一クリスマス打倒の闘いを不断に推し進めているわが大連帯の役割は燦然と輝き、人民の期待はいよいよ高まっている。
すべての「左翼」勢力の闘争放棄を人民の怒りで戦闘的に乗り越え、闘う大連帯への結集を勝ち取ろう!
今こそ激烈な赤色テロルを機軸とした我々の闘いの前にクリスマス迎合分子を戦慄せしめよ!
昔の発言が掘り起こされることが多いが最近のコラムと経歴を調べてみた。
竹中平蔵氏は複数の内閣会議に「東洋大学教授・慶応義塾大学名誉教授」を肩書にし有識者として参加している。
それと同時に竹中平蔵氏自身は民間企業の会長(株式会社パソナグループ取締役会長)である。
竹中平蔵氏はこのコラムでは、通訳案内士、民拍、Doornobなどの規制緩和を訴えている。
しかし、パソナは自治体や観光協会などの団体を対象にした「インバウンドビジネス」を行っている。
例として、(宿泊施設インバウンド対応支援事業補助金事務局 、パソナ『観光立国ソリューションサービス』、
竹中平蔵氏自身「公に近い民間」という規制緩和から離れた人物であるにも関わらず(であるからこそ?)、
自身の関係のない部分は「規制緩和」を主張しているようにも見える。
おそらく竹中平蔵氏は非正規問題を引き起した当事者として今の非正規問題を語れないのでは?
2.「非正規」について語れない。
そもそも日本では観光業は非正規の比率が他の職業に比べて多い。
例えば、通訳案内士は数が足りていないので柔軟な発想で(資格取得規制を緩和)というコラムがあるが、
格取得後、多くの合格者が就業しない理由として「生計を立てられない」を挙げているのには全く触れていない。
あるいは、「シェアリングエコノミーを利用することによって低迷する日本の中間層に大きな利益がある」とするが、
「日本の中間層の低迷」に言及できても、「日本の低所得層」についてはコラムでは触れられていない。
観光地の魅力としてはフランスやイタリアを引出し、規制緩和ではアメリカ中国を引き出すが、
(例えばアメリカでは懲罰的損害賠償があり、誰でも訴訟をする文化がある、中国は政府の統制力が大きいなど。)
非正規問題、労働問題について語れないので問題の認識もできなくなる。
そもそも、コラム上で竹中平蔵氏が問題としている日本の現状は竹中秘蔵氏自身の政策が行われた結果ではないのか?
例えばパフォーミングアートが日本の伝統芸能を取り上げたコラムでは、
「毎日どこかで外国人が観たり聴いたりできるようにはなっていない。」
としているが、日本人が平日にパフォーミングアートを見たり聞いたりできる労働環境にないからではないのか?
「他の国に比べパフォーミングアートが日本で圧倒的に不足している。」
「パフォーミングアートを継続的に楽しめる環境はまだまだ整備されていない」
「欧米などでは、寄付制度も充実している。日本では民間資本やファンが文化を支援する構図がまだまだ成り立っていない。」
「寄付の税制改正なども含めて、文化へのアクセスを充実させていく」
他のコラムを見ても多くが
「欧米に遅れる日本」、「規制緩和」、「労働力の安売り」に帰結している。
これ以外にも「2000万人の観光客が1週間滞在すれば40万人の人口増と同じ効果」という
「インバウンド効果を一時的なもので終わらせないためにも、日本人の不断の努力が必要」としながらも
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/IB-TK/
第2回通訳案内士制度のあり方に関する検討会の開催結果について(概要)
みなさんこんにちは。
なんとはてな匿名ダイアリー(通称:増田)がついに10周年を迎えました!
http://labo.hatenastaff.com/entry/2016/09/24/100000
パチパチパチ!!
こんなうんこ漏らしてばかりの日記が、10年も運営されているなんて狂ってますね♡
ということで、今回ははてな匿名ダイアリーについて説明するよ☆☆
はてな匿名ダイアリーは、はてなのアカウントとは別に、匿名のアカウントを取得して記事が書けるサービスだよ。匿名のアカウント名は表示されることがないので、安心して投稿できます。
アノニマスダイアリーからマスダの文字をとって「増田」と呼ばれ親しまれています。(以下、増田)
このサイトの右上の「ユーザー登録」からアカウントを取得して、日記を書くことができます。
自分のブログでは書けないような過激な内容、悲惨な出来事、脱糞した経験、日本死ね、様々な想いをここにぶつけてみましょう。
増田を書く人がいれば、それを読む人がいます。増田には匿名ならではの非常に面白い作品があるので、ぜひ読んでみましょう。
増田にはたくさんの名エントリーがあります。最近話題になった名作の一部をここで紹介するよ。
いかに葬儀費用を安く抑えるかが綴られた増田。2000を超えるブクマが付きました。
お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に出来たお話
こちら、宝くじが当たったと言う元増田に対する増田(いわゆるトラックバックというやつ)
http://anond.hatelabo.jp/20151127035944
これが元増田
国会やテレビにも取り上げられ、増田フィーバーを巻き起こした話題作。
増田には稀に名文が投稿されることがあります。これは「増田文学」と呼ばれています。数ある増田文学エントリーの中から一部を紹介しますね。
このエントリーに対するトラックバックが増田文学として人気を博しました。
増田の醍醐味は記事の内容だけではありません。増田がふったお題に対して「これは!」と思われるような面白いコメントを残していっぱいスターを獲得するのも魅力の一つです。
紹介したのは比較的最近の記事ばかりですが、過去にさかのぼるといーーっぱい面白い作品があるので是非ぜひ探してみて下さい。はてなブックマークで検索すると捗るよ!!
増田の面白い投稿を見つけてはせっせとブックマークしてくれる増田ブクマカ(頭おかしい暇人)がいます。彼らの不断の努力のおかげで、増田が盛り上がっていきます。まだ、あまり増田を読んだことはない人達は、ぜひ増田ブクマカ達をお気に入りに登録して、増田の最新情報をチェックしてみましょう。
そして、増田に面白いコメントを残している人達にスターをいっぱいつけてあげましょう。彼らの燃料はスターなんです!
増田は現在11人だけで書き込みされているという噂。他はスパム。
そんな素敵な匿名ダイアリーがTwitterアカウントになったので、みんなで面白い投稿を見つけてブクマしてみよう!
https://twitter.com/hatenaanond
ステマじゃないよーーー