はてなキーワード: 不可能とは
字下げが生活保護法による開始を受けて東京で暮らし始めてからも、木田ケースワーカーは訪問すらしないといった状況(令和元年6月13日には宮脇ケースワーカーが訪問しているが、
木田は、平成30年~31年のCWである)。 字下げの最初の居室は富澤佳代子が、207号室とし、4月24日に206号室に転室したことは、木田ケースワーカーが記録していた。
平成30年4月11日の、河瀬前交番警部補射殺事件は、その間に発生していたが、字下げは認識していなかった。平成30年6月3日に、警察が、坂下に住んでいるきゅうかひでちで
という者が被害を受けたという、弱い催眠映像を流し、 6月11日に、富澤のオヤジが電話でブチ切れ、赤羽ゴルフ場で発声練習をするようになったのは、警察の監察課の設定自演でその数日後
であると思われる。しかし具体的日付は分からない上に、 6月26日には、稲泉健一殺害事件もあったが、なぜ、その日になったのかは分からない。
7月4日に、杉浦真理子で受診したときに、 不可能ですから、とだけ言ってその趣旨は不明であり、 その二日後の7月6日に、 麻原彰晃の死刑執行があった。
この期間に関する記録はほとんどなく、あえて言えば、佳代子が、前田さんの発狂の音と音楽が夜遅くまで鳴っていて寝られないそうです、という苦情のメールだけが残っており、8月11日
に、 また警察に通報したよね? といったメールが送信されてきているだけで、具体的に何をしていたかの記録はどこにもない。
ところで立法は技術に当たるが、 民法724条を立法する際に、 3年の短期消滅時効と、20年の弱い除斥期間を定めたものであるとコンメンタールには書いているが、
724条は、国家賠償法1条1項の、国家賠償請求権に対しても及ぶところ、 この20年が、 弱い除斥期間であると言われても、それがどのような技術であるかについては、専門家に
AI以下の低能「AIに政治法学系のこと聞いても嘘が混ざった適当な答えしか返ってこないぞ
田舎には文化がないだの、都会にある文化は消費するものに過ぎないだろという論争があるが、私は今回の記事に結構共感した。
映画とか展覧会とかが趣味の人間に田舎は辛い。ウィンタースポーツとか山とか海とかが趣味の人は田舎も楽しめるのかも。
もう一つ、田舎は医療が進んでいない。このことも訴えたくて記事に乗っかってみた。
転勤で田舎(富山の東側の方)に来たのだが車の免許を持っていない。これは免許を持ってないのに転勤を命じた会社と見通しの甘い私の両方悪い。
そのため、映画に行きたくてもそもそもIMAXなど存在しない。もちろんスタバもない。
映画、展覧会をネットで探しだし、または買い物に行こうとしたら、まず日を決めて、天気を調べて、交通ルートを調べて、帰りの時間を調べて、もしものために代替案も検討し帰りの時間を気にしながらやっと出発となる。
そのため、会社帰りにレイトショーやウィンドウショッピング、こんなイベントやっているんだちょっと行ってみよう、今日は疲れたから外食しよう、とかいうことは不可能。
これは車を持っていても難しかったかも。そもそも情報を得る機会がないのだから。
富山は良い車に乗り、結婚して男の子を産み二世帯住宅を建てることが至上であり、閉鎖的で常に体裁を気にする。人の噂と陰口が最上の娯楽である地域も多い(違う富山の方、ごめんなさい)。
私は車もなく独身で他県出身、趣味は読書と映画と展覧会やコンサート、とにかく周りと違いすぎていじめぬかれ、現在は適応障害を発症して地元で療養中である。
地元に戻って驚いた。
人が歩いている。誰も私をじろじろ見ない。
駅に行けばイベントやいろんな社会問題に対する啓発のポスターまで貼ってある。
そしてお店の人が丁寧で情報が正しい。
思えば富山のお店は総じてものが高いし、商売がいい加減だった。店舗数が少なく競争がないからだと思う。
かなり前に富山人は嘘つきだというダイアリーがあったが、この辺に端を発しているのだと推測する。
そして私は今地元で、前述の適応障害のためメンタル系と持病の婦人系の病院にかかっているのだが、診断が的確で早くて本当に驚いた。
富山でなんとなく診断されたいくつかの病名は、地元の医者に即否定され、早々にカウンセリングの予約もできた。
多分田舎は、科によっては医者自体に実地に基づいた知識が少ないのだろう。
メンタルクリニックならそこにかかるという発想がそもそもなく、症例も少ないのだろう。
ちなみに婦人科の方は、富山に行ってすぐ、私が住んでいた市唯一の産婦人科に薬をもらいに行ったところ、その病気自体医者は知らず、一から説明するはめになった。これも衝撃的な思い出である。やれやれ。
田舎には文化がないだの、都会にある文化は消費するものに過ぎないだろという論争があるが、私は今回の記事に結構共感した。
映画とか展覧会とかが趣味の人間に田舎は辛い。ウィンタースポーツとか山とか海とかが趣味の人は田舎も楽しめるのかも。
もう一つ、田舎は医療が進んでいない。このことも訴えたくて記事に乗っかってみた。
転勤で田舎(富山の東側の方)に来たのだが車の免許を持っていない。これは免許を持ってないのに転勤を命じた会社と見通しの甘い私の両方悪い。
そのため、映画に行きたくてもそもそもIMAXなど存在しない。もちろんスタバもない。
映画、展覧会をネットで探しだし、または買い物に行こうとしたら、まず日を決めて、天気を調べて、交通ルートを調べて、帰りの時間を調べて、もしものために代替案も検討し帰りの時間を気にしながらやっと出発となる。
そのため、会社帰りにレイトショーやウィンドウショッピング、こんなイベントやっているんだちょっと行ってみよう、今日は疲れたから外食しよう、とかいうことは不可能。
これは車を持っていても難しかったかも。そもそも情報を得る機会がないのだから。
富山は良い車に乗り、結婚して男の子を産み二世帯住宅を建てることが至上であり、閉鎖的で常に体裁を気にする。人の噂と陰口が最上の娯楽である地域も多い(違う富山の方、ごめんなさい)。
私は車もなく独身で他県出身、趣味は読書と映画と展覧会やコンサート、とにかく周りと違いすぎていじめぬかれ、現在は適応障害を発症して地元で療養中である。
地元に戻って驚いた。
人が歩いている。誰も私をじろじろ見ない。
駅に行けばイベントやいろんな社会問題に対する啓発のポスターまで貼ってある。
そしてお店の人が丁寧で情報が正しい。
思えば富山のお店は総じてものが高いし、商売がいい加減だった。店舗数が少なく競争がないからだと思う。
かなり前に富山人は嘘つきだというダイアリーがあったが、この辺に端を発しているのだと推測する。
そして私は今地元で、前述の適応障害のためメンタル系と持病の婦人系の病院にかかっているのだが、診断が的確で早くて本当に驚いた。
富山でなんとなく診断されたいくつかの病名は、地元の医者に即否定され、早々にカウンセリングの予約もできた。
多分田舎は、科によっては医者自体に実地に基づいた知識が少ないのだろう。
メンタルクリニックならそこにかかるという発想がそもそもなく、症例も少ないのだろう。
ちなみに婦人科の方は、富山に行ってすぐ、私が住んでいた市唯一の産婦人科に薬をもらいに行ったところ、その病気自体医者は知らず、一から説明するはめになった。これも衝撃的な思い出である。やれやれ。
蓮舫さんの勝手連がシールを貼りまくって迷惑をかけている件だ。
立憲民主党側の一部議員たちも苦々しく思ってるが、選挙期間中に表立った批判はされなかった。
選挙後にようやくごく少数の、野党共闘とは若干距離感のある地方議員達によって苦言が呈され、清掃が進められている程度だ。
常識的に考えてこれが批判を浴び、中間層の批判を招くことは明らかなのに、何故やめさせたり批判することがが出来ないのか。過去立憲民主党の選挙ボランティアに関わった思い出とともに書く。
もともと立憲民主党の選挙の実働部隊(ポスター貼りなどのボランティア)は連合だった。もちろんそんな紐付きではないボランティアも大勢いたが、組織化されており、人数の予測が立てやすいことから主力は連合だったと言って良い。
小選挙区の中で、政権批判票を一本化したいのはわかるし野党共闘を否定はしない。
だが、連合と共産党は水と油で、この両者は絶対に交われない(その是非はここでは述べない)
それは立憲民主党幹部も理解していて、だからこそ当初「共産党が自主的に候補者を取り下げる形での協力を」と主張していた。
共産党からみて、また第三者からみても身勝手な主張なのだが、立憲民主党的には連合に配慮してのことだとすぐに分かる(もちろん共産党がこの身勝手な主張を受け入れなければならない義理はない)
結論として、立憲民主党は連合と距離を置きつつ共産党などの野党と共闘することになった。
結論から言うと、連合系からの供給が少なくなり、代わりに市民連合系(SEALDsの流れを汲む団体で、野党共闘の橋渡しをしている)、しばき隊(市民連合とかなり人脈的に被る)系の人脈に連なる人たちが入り込んできた。(当事者の証言として【CLP問題】炎上前から元SEALDs残党たちの広告会社ブルージャパンに注目していた人たち【立憲民主党】 - Togetter [トゥギャッター]など。立憲民主党が資金を提供してきた歴史もある。)
何故これらの人々が入り込んできたかというと、市民連合には共産党に近い立場の人も多く、ここが立憲民主党と共産党の橋渡しをしていたからだ。
非常に内輪色の強いのが特色で、今回の蓮舫さんのでいうと、歌ったり踊ったりとフェス色を出したり、ストリート系の文化を強調(今回のシール貼りも多分これ)したりが代表例だ。
問題点は2点ある。
1点目は、こういった取り組みは内輪の結束に効果はあっても、中間層からはむしろ引かれかねないことだ。
2点目はより重大で、この方々はこれを「若者向け」と勘違いしている点だ。この方々の主力は2000年代に若者だったため、その感覚が全く抜けていないことが理由だが、この方々は活動により「立憲民主党(共産党)への若者の支持率が低い」ことへの対策になると本気で信じている。実際は「若者に人気があるんだろうな、と信じている高齢者」にしか届いてないのだが。
話は逸れるが、「R」シール以外にも、この方々は首都圏各所でシールを貼りまわっている。レイシスト批判や維新批判のシールが主だ(関西の実情は知らない)。主張には賛同できるところもあるのだから、街を汚すのは止めてほしいものだ。政党への支持にも繋がらないと思う。
この活動をやめさせるためには、こういった人材を切る必要があるが、少なくとも早期には不可能だろうと思う。
単純に組織の内部で重用してたり、そちらに仕事を外注したりしてるし、選挙でのポスター貼りなどの主力にもなっているからだ。
一時的に選挙運動を機能停止するくらいの覚悟がないと難しいと思う。
なので、蓮舫さんに表立ってこの活動を批判することは難しいだろう。(こういったことを「善」と思い込んでいる身内への批判であり、それをすると報復(今後協力しない)がある可能性があるので)
共闘ということで、共産党の方々も選挙活動を一緒に行っている。
だが、当然共産党の方々にとっての一番の関心は共産党の勢力伸長だ。
結果として、今回の例でいうと、蓮舫さんの顔写真を印刷した、共産党への募金募集みたいなことが起こる。
こういった運動が得票に結びついている実感はなく、個人的にはお互い候補者を取り下げる形での共闘の方が良いように思うのだが。
(共産党にとっても、昔のように全選挙区に擁立するのは人的にも資金的にも厳しいと聞く。)
ちなみに、前原さんが共産党のことを「シロアリ」と評したのはまさに共産党のこういった体質によるところなのだと思う。
(その点公明党はまともで、「比例は公明」までは言っても募金や入信は求めないよね)
一応X見てると、立憲の議員とか有志でシール剥がしやってるようなんだけどね。蓮舫氏はこれだけ報じられた中で、いつまで「存在自体知らない」みたいなムーブを続けるつもりなのだろう
上でも書いたとおり、「野党共闘とは若干距離感のある地方議員」によってなされてるんだよね。
というか地方議員は、それぞれの選挙では中(大)選挙区で選ばれているわけで、共闘の恩恵がないから、わりと自由に動けるのだと思うけど。
典型例がまとめられていたので紹介する。
シールを剥がすことにすらこのような批判があることから、こういった方々やそれに近い人達を支援者として抱えている立憲民主党には、表立った批判は難しいだろう
企業側は「いちいち著作権料払ってたら会社潰れる」の精神。GoogleやMicrosoftですらこの態度。国となると、なんの法整備もせずに「全面禁止」を施行するのみ。裏で法整備進めてんじゃないの?と思うかもしれないが、んなことする国はない。
そんなことをしている間に、すっかりAIの生成物がインターネットに溢れることとなった。真のゴミみたいな生成物は闇に埋もれたが、上澄みはというと、人間の手で作ったものと遜色がない。そんな上澄みがどんどん生み出されている(動画はまだ難しそうだが)。この時点で、反AIは詰んでいるのである。
著作権フリーのAIによる生成物。その上澄み。これが次の学習ターゲットだ。著作権者はひとりもいない。投稿サイト側がデータを削除すれば、元も辿れなくなる。
・資本主義者から見たら全員平等はよくない(富を人よりも集めたい)
・共産主義はすでに失敗している(人間は欲で行動するので、独裁者を生まないようにするのは不可能に近い)
底辺で生きている人にとっては、資本主義者を倒すといいことしかなく、資本主義者が一番恐れているのが共産主義なのに、なぜか資本主義者に洗脳されてて共産主義を嫌う。
・資本主義者から見たら全員平等はよくない(富を人よりも集めたい)
・共産主義はすでに失敗している(人間は欲で行動するので、独裁者を生まないようにするのは不可能に近い)
底辺で生きている人にとっては、資本主義者を倒すといいことしかなく、資本主義者が一番恐れているのが共産主義なのに、なぜか資本主義者に洗脳されてて共産主義を嫌う。
これは「ランサムウェア」に関する知識がほぼない素人による個人的なまとめだ。
タイトルでニコ動を謳ってあるが、ランサムウェア一般の情報が多い。
情報元はほぼすべてアベプラの次の2動画。不十分かつ最善でないのは承知している。これにIPAのサイトのごく一部の情報を追加している。アベプラ以外からの情報はその旨わかるよう付記してある。
https://www.youtube.com/watch?v=Xt5TbqFGYmU&t=3s
https://www.youtube.com/watch?v=J-Lhw84p1cc&t=1s
アベプラでは専門家として「日本ハッカー協会代表理事 杉浦氏」「SBテクノロジー 辻氏」の発言が元になっている。ただし本まとめの文責は当然ながら私にある。
上で「不十分かつ最善でない」と言いながらも、アベプラ動画のまとめを書こうと思った動機は、まず自分のあまり知らない領域についての情報の一次整理として。そしてご批判とやご意見をもらえると嬉しいという意味で、そのまままるっと増田にアップすることにした。
個人的には杉浦氏、辻氏の両氏の解説はわかりやすく包括的と感じたのだが、当然私自身が素人なので過信は禁物である。
以上
これは「ランサムウェア」に関する知識がほぼない素人による個人的なまとめだ。
タイトルでニコ動を謳ってあるが、ランサムウェア一般の情報が多い。
情報元はほぼすべてアベプラの次の2動画。不十分かつ最善でないのは承知している。これにIPAのサイトのごく一部の情報を追加している。アベプラ以外からの情報はその旨わかるよう付記してある。
https://www.youtube.com/watch?v=Xt5TbqFGYmU&t=3s
https://www.youtube.com/watch?v=J-Lhw84p1cc&t=1s
アベプラでは専門家として「日本ハッカー協会代表理事 杉浦氏」「SBテクノロジー 辻氏」の発言が元になっている。ただし本まとめの文責は当然ながら私にある。
上で「不十分かつ最善でない」と言いながらも、アベプラ動画のまとめを書こうと思った動機は、まず自分のあまり知らない領域についての情報の一次整理として。そしてご批判とやご意見をもらえると嬉しいという意味で、そのまままるっと増田にアップすることにした。
生理がない男は恵まれてるって主張と、女性は生理があるから劣ってるって主張ってほぼイコールじゃねえか?
ハンディキャップがあるってことは劣ってるってことだろ
もちろん、普通わざわざ劣ってるなんて言わないけどね、見下しが入るからね、劣ってるって言葉には
身体障害者は健常者より肉体的に劣ってるって、そりゃそうだろうけど、そんなこと分かってるしそれでも頑張って生きてんだから、わざわざ言及する必要ねえよな
また能力で言えば出産能力のない男は女より劣っているとも言える
お願いしたのは下記ですね、ネットで真実に目覚めてしまう人の解説です
詐欺集団や表示誤認狙いを捕まえても、引っ掛かりやすいって根本問題が解決しない限り、どうにもならないよなってお気持になったので
繰り返すけど、下記なら理解できますので解説は不要です(「そうなんだ」で終わりにする)
あと、感じが悪い人・お行儀が悪い人・倫理観のない行動が大嫌いな"上で" (つまり、某氏に投票はしない) 長文やニュースをみない人に対しても理解は示せます
目の前のタスクに追われて、ニュースや政治に時間が割けないこと、ロクデモナイので不愉快な気分になりたく無くて意図的に避けている人が多いこと、
もっともっと自覚が欲しいよね。『なんで😡』って言われても、『目の前のことに忙しいから😥』以外の答えないよね
この層の投票行動が変わったら、『長文やニュースは読める』けど、結果が見えてるから、なかなか投票しない人たちの行動も変わるでしょって思ってます
危機感を持っていなかった自民信者も投票するだろうから、勝つかは知らんけど、全体の投票率は上がる
懲りもせずコントロール不可能なネトウヨを作るのではなく、感じが悪い人・お行儀が悪い人・倫理観のない行動が大嫌いな"上で"、
防カビ剤ねぇ
燻煙ってのはこの焦げを対象物に付着させるわけ
「鰹節 ベンゾピレン」でググるとトップは全国鰹節工業協会が出てくる
「安全です!」
と書いてる
EUやWHOなどの基準でベンゾピレンの食品含有許容値は5.0μg/kg
日本人はこれを平気で食ってる
煮出して飲んでる
鰹節を作っている人たちは「問題ない!安全だ!」と根拠はよくわからんが
癌になったところでそれが鰹節が原因であると立証するのは不可能だ
だがそっちは危険だと
オリンピックの選手村で国産の食材提供が出来なかったの知ってる?
国際的な基準だと日本の農作物は得体のしれない危険な食い物って扱いなの
幻想やでw
AI プログラマーです。答えは、AGI がどのようなものになるかは誰にもわかりませんが、懸念すべき理由はあります。
AI は通常、目的関数を達成するための新しい方法を発見しますが、それはあなたが考えていたものではなく、望んでいたものでもないかもしれません。
AI はビデオ ゲームの不具合を見つけてそれを利用し、コンピューター プログラムであるため、プレイするゲームが何であるか、不具合が何であるかを知りませんし、気にもしません。
AI は、与えられた報酬関数を最適化しているだけです。これは「社会病質的」と呼ばれることもありますが、もちろん擬人化です。AI は機械であり、それがすべてです。
AI が人間の道徳に従うことは期待できません。なぜなら、人間の道徳は明示的にエンコードに書き込まれていないからです。
実際、機械学習のポイントは、正確なオブジェクト認識 (つまり、猫と猫のように見える影を区別する) に必要な 100 万のエッジ ケースを明示的にプログラムしたくないという ことです。
機械知能に関して言えば、危険なレベルの能力を持つ機械を作ったことに気付いたときには、もう手遅れかもしれないという問題があります。
ミサイルで爆破できる 1950 年代の殺人ロボットではありません。おそらく自己複製型のマルウェアで、(意図的なプログラミングによって、またはそのような状態に陥ったために)進化を制御でき、人間が駆除するよりも速く新しい形態をとる可能性があります。
重要なシステムでほとんどの場合は無害に実行されるが、時折フィッシング メールを送信したり、公務員を脅迫したりするプログラムが存在するでしょう。それらは重要なシステムに埋め込まれているため、取り除くことはできず、巻き添え被害が多すぎます。
ヘッジファンドやプライベートエクイティ会社が AGI にアクセスでき、それに「方法は気にしないが、24 時間以内に 10 億ドル稼いでほしい」と伝えたとしよう。
結果はおそらくひどいものになるだろう。そのくらいの金額を稼ぐ方法はたくさんあり、社会に多大な損害を与える。そして、害を及ぼさずにその目標を達成する方法はおそらくない。
AGI はどうするだろうか。人間がすることと同じだ。楽な道を選ぶ。ただし、人間には羞恥心があり、投獄や死を恐れる。アルゴリズムにはそれがない。プット オプションを購入してから 15 秒後に原子炉を爆破する。
人々を脅迫して、そうでなければしなかったような決断をさせる。さらに、ヘッジファンド マネージャーにはもっともらしい否認の余地がある。
彼は、アルゴリズムにこれらの恐ろしいことをするように頼んだのではなく、単に 24 時間以内に 10 億ドル稼いでほしいと頼んだだけなので、自分は罪を問われないと主張することができる。そして、アルゴリズムを投獄することはできない。
AGI が実現した場合、その結果は完全に予測不可能です。なぜなら、機械は制御しようとする私たちの試みを凌駕するからです。なぜなら、(繰り返しになりますが) 機械は私たちが望んだことではなく、プログラムされたことを実行するからです。これには機械が意識を持つ必要はなく、それは直交する問題です。明らかに意識を持たない機械は、複雑なボード ゲームで私たちを出し抜くことができ、今では説得力のある自然言語を生成できます。
この中で最も重要な部分は「ヘッジファンドマネージャーの場合」です。
最大のリスクは、これが商業化され、訓練を受けていないオペレーターが利用できるようになることです。
すでに、人々が簡単に安全対策を回避しているのを目にしてきました。
AGI を作成した場合、それは製品になります。ユーザーは専門家ではありません。AGI はパワーを持ち (特に IoT とクラウド ネットワーキングでは、すべてが「スマート デバイス」になり、インターネット全体が基本的に AWS という中央ネットワークで実行されます)、倫理的な取り扱いではなく、利益を目的とする人々の手に渡ります。事前に実装されたすべての制約は、エンド ユーザーがどのように使用/誤用するかを考慮できないため、現実世界では生き残れません。ChatGPT の制約と同様に、私たちは常に追いつく必要があります。どんなに馬鹿でも使えるようにしようとしても、彼らは常により優れた馬鹿を作ります。
本質的には人間こそが大きな問題です。AI は想像できる最も賢いバカです。目標を達成するためにあらゆる方法を見つけますが、文脈や倫理的、文化的、その他の制約についてはまったく理解していません。マシンガンを持った猿です。
消費者の手に渡った強力なテクノロジーがいかに危険であるかの例として、この世界でいまだに火が使われていることを見てみましょう。場所によっては調理に、またエネルギーとして利用されています。しかし、いまだに人々は自爆したり、家を燃やしたりしています。
火は強力ですが、社会的または倫理的な制約を気にしません。そのため、ユーザーは家を全焼させることなく望みどおりの結果を得るために、火の取り扱い方を知っておく必要があります。どの病院にも「火傷病棟」があります。あなたも火傷を負ったことがあるでしょう。一般消費者向けの消火ツールによって大規模な被害をもたらす森林火災もあります。
世界中のあらゆる電子機器に接続されている神レベルのバカを想像してみてください。
さらに、IoT とネットワーク関連の問題では、現在のセキュリティ対策は通常、遡及的で、人間の対策に基づいています。AI は、必要な場合や要求の一部である場合に、セキュリティ対策を侵害するためのより優れた、より迅速な方法を見つけます。安全なものなどありません。
選挙結果を受けて他人の投票先を揶揄したり馬鹿にする行為は、民主主義の根幹を揺るがす極めて有害な行為です。以下にその理由を詳細に述べます。
民主主義は、多様な意見や価値観を尊重し、それらを元に社会の方向性を決定する制度です。他人の投票先を嘲笑する行為は、この多様性を否定し、自己の意見のみを正当化しようとするものです。
2. **分断の促進**:
投票先を理由に他人を揶揄することは、社会の分断を深める結果を招きます。健全な社会は、対話と理解を基盤に成り立っていますが、他者を攻撃することで対話の場が失われ、相互理解が妨げられます。
投票行動は個人の自由意志に基づくものであり、その選択を尊重すべきです。他人の選択を嘲笑することは、その人の自由意志や個人の尊厳を侵害する行為であり、倫理的に問題があります。
他者の意見を馬鹿にする行為は、建設的な議論の妨げとなります。選挙結果について意見の相違があるのは当然であり、その違いを認めた上での議論こそが社会を前進させる原動力です。揶揄や嘲笑はその議論を不可能にし、対立を煽るだけです。
自分と異なる意見や価値観に対して攻撃的な態度を取ることは、次世代への悪影響を与えます。民主主義社会の一員として、他者を尊重し、多様な意見に耳を傾ける姿勢を示すことは、子供たちにとって重要な学びとなるはずです。
これらの理由から、他人の投票先を揶揄したり馬鹿にする行為は、民主主義社会の健全性を損ない、社会の調和を乱す極めて有害な行為です。私たちは、対話と理解を重んじる姿勢を持ち、健全な議論を通じて社会の発展を目指すべきです。
https://www.asahi.com/articles/ASS774DP7S77UTFK00NM.html
街頭演説には連日多くの聴衆が詰めかけ、「蓮舫コール」が続いた。
枝野幸男前代表は「組織的な動員より、普通の市民が想像を超える規模で集まる状況」と期待を示し、党内からは「この風なら勝てる」(別のベテラン議員)との声も出ていた。
https://x.com/HayakawaHayat/status/1809916723296104781
これを見て #蓮舫流行ってる と思うのが左巻きの残念な思考。
典型的なエコーチェンバーで、蓮舫コールに参加している奴は元から蓮舫陣営。
いわゆる「普通の人」はこんなのを見たところでドン引きするだけ。
身内の票を集めるだけで当選できる場とは違い、1人しかなれない都知事選では「浮動票」をいかに集めるか、というのはさんざん言われてきた事。
なので、「普通の人」に向けた施策を打つべきだった。その点は石丸のほうがよっぽどうまく出来ていた。
そんで、他人の演説中にR(ロケット団?)の垂れ幕を掲げながら妨害行為。
この時点で「普通の人」からはつばさの党と同等の扱いに落ちる。
蓮舫自身に問題がないとは言えないが(キーキー甲高い声で批判しか出来ないので建設的議論が不可能だと見ている)、
それ以上に背後から散弾銃で乱射されていたのが一番の敗因だろう。
実はこの「歌って踊り」「他人の演説妨害」をやった候補者は歴史上既に居る。
そう、我らが両津勘吉(こち亀51巻495話)である。そしてその両津勘吉は7票で負けている。
歴史は繰り返すのだ。
まず歴史が証明したのは、俺らには「善とかについてちゃんと学んだ統治者」を確実に選ぶことは不可能ってことだ。
お前の思ったような通りにはできなかったのよ。
で、民主主義っていうか選挙ってのは、革命の暴力に寄らずに、悪王を退けるための儀式なわけ。
ほんまの悪い王様は、権力にしがみついて引退するわけないから、それをやめさせようとすると必ず内乱とクーデターが起きた。だから最初からリーダーに任期ってものをつけとく。あと、暴力や陰謀以外の選定方法を決めておく。
それが選挙やね。
選挙ってバカの大衆がやることだから、たぶん間違えるんだけど。
そこは、昔の理想的なリベラルによれば、啓蒙を社会全体に広めることでマシになっていく、だから教育がんばろうということやね。
昨今、職場の人や友人と政治の話をもっと活発にしようという風潮があるが、その裏にある真意に気づいているだろうか。
推しの政治的な手腕、将来性、他の候補より優れているところを語って盛り上がりたいというオタク気質の発露にすぎない。そして、投票してもらうために、いわゆる「布教」もしたい。「政治の話をしよう」というのは、政治オタクたちの推し活動にすぎないのだ。
これだけだと健全なものにも見えるが、推し活が実態なのにその建前が「活発に議論しよう」というものになってるのが、タチが悪い。
まず、こう口では言う人でも、相手の話を聞く気が一切ないと断言できる。なぜなら自分の推しを語りたいだけなので、相手の推しのことなんてどうでもいいし、あわよくば布教を狙っているので、話の方向性は、オタク的論破、すなわち、いかに相手の趣味趣向を変えるかが目的となってるからだ。当然、自分の趣味と異なる相手と対峙した時、社会や政局や政治思想の解釈違いから、嫌悪感を覚える人も多いし、論理的で理性的なコミュニケーションには決してならない。これを「話し合い」という体裁をとらせているのが、タチが悪い。
まあ、ほかにも、話し合いという建前なのに、意見の異なる「推し」だった場合、人格否定されることや、マイナスのレッテルを貼られることのリスクがかなり大きいことや、そもそも政治思想はプライベートな話なので、あまり話したくないという面もあるが、今回はそこは置いておこう。
以上より、「政治の話をしよう」という言葉は、議論という建前をとってるが、その実はただの推し活であることがわかってもらえたと思う。
みんなに呼びかけているわりに、「政治の話をしよう」という言葉の持つ、寛容で知的なイメージとは真逆で、そこには人格否定やレッテル貼り、人間的に見下されるリスクがあるのを隠すのはフェアじゃないと私としては思う。
現代人は、自己評価より幼稚だし、他人へのリスペクトがほとんどないので、理知的な議論など、ほとんどの人には不可能だろう。
それなら、地道に街頭でのビラ配りしたり、かつてネットで揶揄されていた、公明党支持者の「投票先決めた?投票行こう」と直接呼びかける手法の方が、まだストレートで好感が持てる。