2024-07-07

政治の話をもっとしよう!」と言ってる人たちの真意

昨今、職場の人や友人と政治の話をもっと活発にしようという風潮があるが、その裏にある真意に気づいているだろうか。

それは、「推しの話で盛り上がろう」というものだ。

推し政治的な手腕、将来性、他の候補より優れているところを語って盛り上がりたいというオタク気質の発露にすぎない。そして、投票してもらうために、いわゆる「布教」もしたい。「政治の話をしよう」というのは、政治オタクたちの推し活動にすぎないのだ。

これだけだと健全ものにも見えるが、推し活が実態なのにその建前が「活発に議論しよう」というものになってるのが、タチが悪い。

 

まず、こう口では言う人でも、相手の話を聞く気が一切ないと断言できる。なぜなら自分推しを語りたいだけなので、相手推しことなんてどうでもいいし、あわよくば布教を狙っているので、話の方向性は、オタク論破、すなわち、いか相手趣味趣向を変えるかが目的となってるからだ。当然、自分趣味と異なる相手対峙した時、社会政局政治思想の解釈いから、嫌悪感を覚える人も多いし、論理的理性的コミュニケーションには決してならない。これを「話し合い」という体裁をとらせているのが、タチが悪い。

まあ、ほかにも、話し合いという建前なのに、意見の異なる「推し」だった場合人格否定されることや、マイナスレッテルを貼られることのリスクがかなり大きいことや、そもそも政治思想はプライベートな話なので、あまり話したくないという面もあるが、今回はそこは置いておこう。

以上より、「政治の話をしよう」という言葉は、議論という建前をとってるが、その実はただの推しであることがわかってもらえたと思う。

みんなに呼びかけているわりに、「政治の話をしよう」という言葉の持つ、寛容で知的イメージとは真逆で、そこには人格否定レッテル貼り、人間的に見下されるリスクがあるのを隠すのはフェアじゃないと私としては思う。

現代人は、自己評価より幼稚だし、他人へのリスペクトほとんどないので、理知的議論など、ほとんどの人には不可能だろう。

それなら、地道に街頭でのビラ配りしたり、かつてネット揶揄されていた、公明党支持者の「投票先決めた?投票行こう」と直接呼びかける手法の方が、まだストレートで好感が持てる。

  • 知ってる知ってる 政治厨が嫌われるのはオタクキモいって思われてるのと同じなんだよね

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