はてなキーワード: 周知とは
「ミンス政権になったら、地方公務員の仕事は楽になる。だから地方公務員はミンス支持」とか言っている方がいますが、そんなわけがない。
正直、仕事の楽さだけを考えたら、政権交代なんてしない方がいいに決まっているんですよ。
例えば民主党は
を、訴えてましたが
その前に、概要
老人保健法を改正して生まれたのが、「高齢者の医療の確保に関する法律(高齢者医療法)」
これにより、「75歳以上は市町村単位の老人医療から、県域単位の独自の医療保険にしよう!」とか「メタボ健診をしよう!」となりました。
これが、廃止されるとどうなるか
法律一つが廃止になっただけで、通常業務に加え、これだけ(まだまだありますが)やることがでてきます。考えただけで恐ろしす。
というわけで、大事なことなので2回言います。
おそらく本当のことなのだろう。
ただ、自分はこのやり方を見て、この人のやり方・啓蒙の方法を受け入れる事はできないと感じた。
事実に基づきより悪印象を持たせるというやり方だけではなく、これは相手を詰みにかけている。
相手はこの事実を完全に無視するやり方を取るしか次の手は打てず、何らかの形で認めてしまえば、よほど開き直らない限りその活動を続けることは非常に困難になる。場合によっては自動的に社会から抹消される。啓蒙を行った本人は一切手を汚さずに。(それは、相手の自爆なのだから当然と言えば当然なのだが)
相手の次の反応を想定して事を起こすのは当然のことであるが、その上でわざわざ波を起こしてでも周知させるような選択をとる人を、自分は受け入れることができない。たとえそれがもっとも効果的で早期に決着を付ける方法であったとしても。
と言う反発を見越して啓蒙活動を行っているのだから、よほど様々なことを学び訓練して努力してきたのだと思う。しかし、このやり方に賛成はできない。
みなさん、こんにちは。
7月も残り一週間となりましたが、なかなかすかっとした真夏日とはなりませんね。毎年この時期は全国至る所でお祭りです。働くことの好きな日本人もつかの間のゆとりを見いだすときでしょう。私も久し振りに地元の洞爺湖畔や登別のお祭りに参加してきました。登別の豊水祭りでは浴衣を着て踊りに参加してきました。楽しかったのですが、その後遺症で今でも腰が重いです。着替え部屋にはストーブが焚かれていました。
そんな浮いた気分が一瞬に消えたのは社民党の辻元前議員の逮捕でした。このニュースを聞いたみなさんは一様に「なぜ、今頃になって?」と、訝しく思われたに違いありません。しかし、私は以前から、なぜかつて民主党にいた山本譲司元議員は逮捕され、実刑判決を受けたのに、辻元さんや他の同様の行為を行った議員たちは逮捕もされずにいるのか、不思議でなりませんでした。
あのとき山本元議員は、秘書給料を私的なものに流用したとされて、国民的にも「けしからん」という空気が醸成され、逮捕も当然との雰囲気が出来ていたように思います。ただ、これは余り知られてはいないのですが、その後の裁判で、山本元議員が秘書給料を私的流用していた事実はないことが明らかになりました。すなわち、山本元議員と辻元前議員の行っていた秘書給与の流用の行為は質的にもほぼ同じなのです。
苦しい台所事情がなせる業で、本人が詐欺行為をしていたとの意識がなかったのは事実でしょうが、結果として詐欺行為を行っていたのですから、逮捕されるのは当然なのです。問題は、なぜ今頃なのかということです。どうやら、辻元前議員の事情聴取を通じて、詐欺罪には当たらないとの主張を曲げず、否認をしたから逮捕に至ったということのようです。
しかし、一方では選挙が近づいてきているため、政治が動いたとする見方も消えていません。この見方を消すためには、この種の捜査が辻元前議員の秘書給与流用疑惑事件のみに留まらず、田中真紀子前議員を始め、同種の疑惑事件を起こしたすべての(前)議員に及ぶことが不可欠です。辻元前議員一人を挙げて終わりとするならば、政治の匂いを消し去ることはできないでしょう。
それにしても不可解なのは、土井たか子社民党党首が辞めないことです。今回の件では社民党関係者が4名逮捕されています。その中心人物は土井党首の秘書の五島昌子で、彼女が辻元前議員を始め、新人議員の指南役で、秘書給与を流用するという詐欺行為も教えたとされています。私は政治家と秘書は同罪と考えます。政治家は金銭に絡む疑惑事件が発生すると、しばしば「あれは秘書のやったこと」と嘯(うそぶ)いて、自らの責任を逃れようとしますが、とんでもないことです。
政治家は基本的に金銭に関わる部分は秘書に任せており(そうでない政治家もいるようですが)、秘書が犯した罪は政治家が罰を受けるべきなのです。まして土井党首と五島秘書とは尋常ならぬ関係で、五島秘書は土井党首と同等の力を持っていることは、周知のことでした。同じ野党の立場から申し上げにくいことではありますが、国民のためにも、そして社民党のためにも、土井党首は身を退かれるべきではないでしょうか。敢えて苦言を呈します。
メールマガジン「はあとめーる」2003年第29号
!!実在の人物・出来事とは関係ありません!!
拝啓
平素より格別のお引き立てを賜り誠にありがとうございます。
この度は貴著にありました通り、弊社○○店代表の××より大変失礼な対応があったとお伺いし、また詳細について齟齬もなき事を社内的に確認した上でご迷惑をおかけした事、心よりお詫び申し上げます。
○○店では常日頃よりお客様のお持ちしたお飲み物・お食事の店内での喫食はご遠慮お願い申し上げておりましたが、この度テーブル担当の△△がお客様のご希望について問題ないと申したにも関わらず、弊社○○店代表の××がお客様に対し無礼な態度を取り、尚且つ幣方の事情によりお客様を不愉快にさせるような内輪での話がお客様のお耳に入ったという事実に関して今一度深くお詫びを申し上げたく存じます。
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090808
私たちはいちおう事情を言った。この人は、こういうわけでもう日本にいなくなるのです。その本人がおみやげとして海外から持ってきた特別なお酒なんです。どうしてもだめでしょうか? いくらかお金もお支払いしますから……。
店長には言わなかったが、もっと書くと実はそのワインはその子の亡くなったご主人の散骨旅行のおみやげでもあった。人にはいろいろな事情があるものだ。
~中略~
もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。それが成功する人のつかみというもので、本屋さんに行けばそういう本が山ほど出ているし、きっと経営者とか店長とか名のつく人はみんなそういう本の一冊くらいは持っているのだろうが、結局は本ではだめで、その人自身の目がそれを見ることができるかどうかにすべてはかかっている。うまくいく店は、必ずそういうことがわかる人がやっているものだ。
そしてその瞬間に、彼はまた持ち込みが起こるすべてのリスクとひきかえに、その人たちがそれぞれに連れてくるかもしれなかった大勢のお客さんを全部失ったわけだ。
大変深く参考にさせて頂きました。不快な思いの原因になったにも関わらず、冷静な描写については感謝以外の言葉も出ません。
私どもの対応が不適切だったのは申すまでもございませんが、お客様のご意見を深く理解させて頂いた上でも店内での持ち込み物喫食不可という方針に変わりがない旨、この場をもって確認させて頂ければと存じます。
僭越ながら当方の意見もご理解頂きたく、あえて当方の不手際についてしばし筆をあげたまま以下の文章をしたためる次第です:
おのおのの個人が可能な限り自由に生きるような社会の設計を私も切望してますし、その点についてはお客様・サービス提供者の双方とも、理解を深めた上で「自由」であるべきだと常日頃より感じる次第です。
一部の高級料理店・パブなどにいわゆる「ドレスコード」なるものが存在するように、私どもの店は持ち込み物喫食が不可である旨、確認次第周知させて頂いております。つまり、暗黙的なご了解を頂いております。
もちろんお客様ご自身が持ち込まれたお飲み物などについて「抜栓料」を課す飲食店様についても飲食店としてのあり方について決して否定するものではありません。
多様な飲食店の中より、歳月の審査を経たお店が次代ものれんをかかげているというのは自明の論理かと存じられます。
本件については飲食店の利益確保など様々な理由を想像されますかと思いますが、そのような事は本質にあらず、ご理解頂きたいのは当店の「方針」であるという事です。
その点についてはお客様のような「かなりの人脈をもっている」方たちのご希望を袖にして、「大勢のお客さんを全部失った」というお客様からごらんになれば経済的には不合理な判断からみても本件に関わる金銭的利益一般についての判断ではないとお分かり頂ければと希望する次第です。
テーブル担当の△△はお客様のご期待に添うべく、グラスを提供させて頂いたのですが当方の方針が周知していなかったこと、また事後の説明について○○店の××が礼を失した態度をもってお客様に説明したという事実に関しては改めてお詫び申し上げると共に深く反省させて頂く次第です。
今後、本件のような不愉快かつ無駄なお時間をお客様に提供せぬよう私はもちろん、○○店代表の××・本件のテーブル担当でした△△を含めたすべてのスタッフが一丸となってありうべきサービスについて追求させて頂きます。
今回のように失望される事のないよう、再度お引き立て頂けるよう重ねて用心したくここに記させて頂きます。
このたびは貴重なご意見、本当にありがとうございました。
敬具
株式会社xx 代表 zzzz
特定の事物を極力広めないようにするにはどうすればいいか?
「メジャーになると消費され使い古されてしまう」というアンチ消費主義思想の俺にとって、このことは重要な命題だ。
なるべく周知させない活動のことを仮に「逆宣伝」と呼ぼう。逆宣伝するには、どうしたらいいか?
これは実に難しい。なぜなら宣伝活動であれば、他者がどんなにあがこうと、ある程度のレベルまでは達成できる。
例えば、お金を沢山使うことで周知させたりできる。しかし、逆宣伝の場合、他者がクチコミなどで宣伝してしまうリスクがある。
いくら頑張ろうが、有志の手で周知させられる恐れがあるため、「いかに人々の宣伝活動を抑制するか」が上記の命題達成のためのサブ課題となる。
また、「情報を一定の会員の内部だけで流れるように囲い込むこと」も重大なサブ課題である。
ちょっと考えてみて欲しい。
いまの世の中はネットがあるため、ネットで誰かが晒す(ネットでクチコミすることをあえてこう呼ばせてもらう)ことで、
たちまち広まってしまい、良質なもの・興味深いものであれば、いとも簡単に周知されてしまう可能性がある。
その結果、我々が普段接している良い商品やサービスというのは、大多数が宣伝により周知され消費され使い古されたものである。
大衆の手垢のついていない、純粋な意味で良質な商品やサービスというものが皆無に近い。
ビジネスロジックに乗っかった、一般人の要求に迎合したような商品やサービスばかりで、まったく吐き気がする。
オカネや多数決に支配されるとワンパターンになるしロクなことがない。
よくネットの人が「オープンは正義」的なことを言っているけど、共有というと聞こえは良いが、ぶっちゃけそれ大衆化でしょ。
時代は「集団能力」だ。知能も集団知能として評価されるべき。個々の構成員が優れていても連携が取れないとダメという至極簡単なことだ。
大前研一さんも仕切りに集団IQに着目せよと説いている。日本人の集団IQはなぜ低いかというと同調圧力や規範意識が強いから。
もうどうしようもないくらい雁字搦めになっている。マスコミや声の大きい人が号令をかけて、右へ倣えになっている。
愚衆という言葉が似合う国、ニッポン。一人一人の知能が高くても、一貫した統制が取れていなければ、全体としては全然ダメだということが
全くもって周知されていない。終わってるよこの国。
先行き不安な今必要なのは、高IQ集団ではなく、「高集団IQ集団」である。全体として強くなくてはならない。
一人一人が凄くても、全く意味がない。各所で部分最適しまくっても全体最適を意味しない。企業理念に沿った仕事を皆がしなくてはいけない。
これが分からない頭の硬いトップが多すぎる。
「ミッションやビジョンの共有」はチームマネジメントで頻繁に言われているが、それがうまく実現されている例は殆ど見たことがない。
http://anond.hatelabo.jp/20090728122637
いや、彼らはイデオロギーを周知させるつもりなんてないと思うよ。
ネットプロレス愛好家なんだから、派手な技を繰り出して、はてな村で
俺最強、刃向かう奴はみんなバカ、とばかりに賞賛を集めれば満足なんだろ。
http://mainichi.jp/select/today/news/20090719k0000m010108000c.html
これには笑った。彼たちの投じた票が、予想通りの展開をしていると言うことだ。絵に描いたようななんちゃって二大政党人形芝居のはじまりだ。そもそも今時、この国の出生率など本気で気にしている層があるのだろうか?あるとすれば朝廷以来実質的には何ら異動のない某国の政府か、もはや投げちゃった者、当事者ではない高齢者らだけではないだろうか。少なくない現役世代にとって、そもそも家庭を持つことからして絵空事でしかないのは周知の通りだ。ふざけろという話である。
そもそも1975年に合計特殊出生率が2.0を割って以来大した改善がないのがこの国だ。過去34年間、結果がなければ何もしなかったに等しい。これは単純な話、1カップルが2人を産まなければ人口は減る、という意味の数字である。つまりそれ以上の出生を、そもそも集団としての国民が総体として「望んでいない」という方が正しい。
以前より違和感があったが、34年にわたって長々と出生率2.0を割り込んでいたにもかかわらず、政治はその他の問題にご執心で、目立った方策もなく、少子化が問題にされたのはごく最近で、その出だしも唐突であり、あまつさえマスメディアは皇室報道と出生率の関連付けなど離れ業も見せる。これが何かというと、自分には老人性のヒステリーとしか思えてならない。つまりは論理性がないし、そもそも少子化と書いて自分には茶番としか読めない。
あるいは単に票集めのお題目だろう。よく若年層の投票率が低いといわれるが、そもそもの絶対数が少ないし、もはや人口の逆ピラミッド構造は覆しようがないから、若年層に訴える政策など、与党連にはないに決まっている。なんだかんだと理屈を捏ねて、そもそも未だに選挙にネットが使えないなどと触れ回っているのは、いったいどこの田舎国家だろうか?要するに現行の選挙制度自体がとっくに破綻しているとも言えるが、多少とも見られるものになるには、現状のままでは少なくともあと300年はかかるだろうし、自分の手には余るとして、
子持ち世帯の優遇は大いに結構だ。子持ち世帯の優遇は大いに結構である。二度言ったが、しかし、身体的な理由やその他の事情により子供が持てない者を(あるいは信念に基づき子を得ない者をも!)結果として負担増によって排除しようとする、この案のいったいどこが民主的なのか??どこぞの大国の人口政策を髣髴とさせるものがある。候補者および有権者は再度検討すべきだろう。もちろん「彼ら自身の問題」としてではない。彼らのほとんどは既に当事者ではないのだから。
臓器移植法A案可決に関する反応にも見られたが、政策的に同意しがたいため、却って否定的な行動に出る市民も少なからずいる(このような経緯であるからして、私は署名を拒否する等)ということが、恐らく彼らには理解できない。自分の思考の射程の外にある者への想像力が徹底的に欠けている。結局他者など理解できないと言えばそれまでだが、制度設計とは本来そうした他者にも手を伸ばそうとするものではないのか。
結局、勝手にするやつはてめえの勝手で産んだり死んだりするのである。およそ政策とは事前にどうこうするよりも、そうしたことを事後的にフォローできなくてはならないのではないのか?そこでいかに自分事から離れて考えられるが問題となる。すなわち「あなたのために」という政策は一切が一切信用ならないし、する必要がない。国家百年の計と言うが、少なくとも300年後を考えろと言うのである。まあ、言うてもそれは無理か。
だが幸いにして、過去34年間にも及び、不断の努力によってだかなんだか、この国は成熟社会、衰弱社会として持続してきたわけである。いま改めて適度に規模を縮小し、人口減を前提としつつ持続可能な国家を目指すことに、つまり国家単位のゆるやかなリストラを行なうことに、何の異論があるのだろうか。殊更に少子化を殊更に喧伝する為政者、およびその本意としての朝廷以来実質的には何ら異動のないという某国の異常な政府においては、思考の停止した幼稚な恐怖しか見ることが出来ない。「奴らは恐れている」。たぶんこの辺りで「人口減歓迎」の施策を打ち出した者は、一躍英雄となるだろう。何かに恐れて言えないだけなら尚更である。
(http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/today/news/20090719k0000m010108000c.html)
あまりネット上で語られていないみたいだし、とても重要な部分だと思うのでちょっと投げてみます。
そんなのみんな知ってるぞと突っ込まれそうですが、ネット上ではこの部分を理解し切れていないと思われる書込みが多々見受けられます。この規制が、どのようしてに子供たちを守る事になるのか。 この部分を論議している人があまりにも少ない。 私は立法の専門家ではないので実際の法案文に対する意見は出来ませんが、思うところ書き連ねてみます。
拒食症や過食症という精神疾患があります。思春期の女性に多い疾患です。なぜでしょう?wikipediaを読んでもはっきりとした原因は書いてありません。精神疾患ということなので全てのケースに当てはまる原因を特定することは不可能と思われるので、次の話は「話半分」でお願いします。
とある国のとある町に、とある病院の拒食症、過食症専門の分院があります。重度の摂食障害患者さんが入院することができて、長期にわたって介護・治療を行うところです。 以前、そこの臨床医の方と話をする機会がありました。その方曰く、そこの病院の拒食症入院患者のほとんどが十代の女性で、その中のほぼ100%が幼少時に性的虐待を受けたことがあるとの話でした。
改めてググって見ると、様々なサイトで拒食症と性的虐待の関連が指摘されています。私がそれらのソースを知る由はありませんが、医学統計であったり、医学論文であったりすることが推測されます。米国のサイト、http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/2602570 によるところ、似たような問題を抱えた精神疾患患者のうち、摂食障害を訴える患者の性的虐待経験率50%に対し、摂食障害を伴わない患者の経験率は28%であったそうです。
そんな統計が取れるほど、実際の性的虐待の被害者は多いのかもしれません。
実の親や近親者が加害者というケースが一番多いとの話もあります。
私の知り合いの女性の経験者は、一緒に寝ている父親にいたずらをされ続けたそうです。「いやでいやでたまらなかった」事と、「死ねばいい」と思う事しか出来なかったそうです。 幼少時の精神発達過程に性の対象とされる事がその子に与える悪影響を知っていたら、きっとその父親は自分の性欲ぐらいは抑えられたのではないでしょうか。
このような近親者からの密室で行われる行為を防ぐことは現実問題としてかなり厳しいと思われるので、児童ポルノ規制という「法律」が直接このような被害者を救うことは出来ないと思います。しかし、精神発達途上の子供を性の対象とすることを法律をもって禁止し、明文化することは、実際に被害者がいる以上必要なことです。子供の人権といわれる部分です。また、そのような人間の精神活動を法律で禁止する事は不可能な故、「行為」を禁止する他に方法はありません。ゆえに法律詳細において無理や理不尽が生じる事は避けられません。しかし、ここでの被害者は「口がきけない」子供です。ましてや加害者が自分の親であったらなおさらです。この場合、無理や理不尽を負うべきは子供ではなく、大人であるべきです。さら誤解を恐れずに言えば、子供には将来がありますが、大人にはありません:)
法案内容による弊害が多々指摘されていますが、ネット上で読める情報の大多数は、「思い出の得ろ本をどうすればいいのか」とか「俺のハードディスクのなかの大事なおかずコレクション・・・」、「趣味のお絵かきの自由はどうなるんだ」とか、最悪の場合、秋葉界隈やネットショップで売られている商売としての「商品」、はたまた「権力の横暴からの保身」といった、大人の行動・利便を守る為の意見だったりしています。
幼児性愛者が自分の性欲を実際に行動に移すと子供がどのような被害を被るのか?この論議がもっとあって然るべきだと思うのですが、皆さんはどう思われますか?
本当に守るべきは何であるのか? なぜこの法律が必要なのか。現状の法案でそれらのことを国民に理解・認識させることが出来ないのであれば立法する意味がないのかもしれません。
日本にこのような被害にあった女性がどれだけいるのか皆目見当がつきませんが、何事も穏便に隠し通す文化・お国柄等を考えると、実際の被害に被ったがいるのではないでしょうか?
勝手な推測ですが・・・ 国もその辺をわかった上で、取り敢えず抑止力としての法制化を急いでいるのかもしれません。さらには周知活動自体が実際の被害者の傷を広げてしまうことも防がなくてはならないし・・・。
最終的には、時間をかけて学校教育等を通して行っていくのしかないのかもしれません。文部科学省とか厚生労働省の方々は何か手を打っているのでしょうか? 知ってる方がいらしたら教えてください。
蛇足ですが、あるヨーロッパの国では幼児に対する性犯罪者の家には「心意気」のある方々が平気でレンガを投げ込むとか。卵ではなくレンガ・・・・
左翼には、マスコミと検察という二つの根源的な原因があって、マスコミについては周知の通りで、
検察についてもホリエモンが『徹底抗戦』で明るみに出したでしょ。
簡単に触れると、検察は悪を証明するのが仕事みたいなもので、悪者を作り出すために必死になってる。
あれも悪い、これも悪いなんて考えしているうちに、左翼に傾いていくということだね。
公安と似ているようで実は正反対なんだよね。
どちらにせよ、利権がらみで対立して躍起になっていることには変わりない。
頭が硬いというのもあるが、根源的には利権がらみだから仕方ないという部分が大きい。
昔はそういうお固い体制に対して義憤を感じて活動している熱血漢がいたものだが、今は皆無に等しい。
で、革新の場合は、マスコミだとスポンサーや視聴者からの信頼、検察だと仕事になるかどうかというように、
保守の場合は、あんまり具体的な利権がなくて、曖昧模糊としてる。
早い話が、革新の根源的な部分にいる人は、革新してないと食いっぱぐれかねないが、
保守の人ってのは別にそうでもない。具体的利権はあまり無く、曖昧な国粋主義で成り立ってる。
別に、だから良いとか悪いとかは言うつもりないけれども。
同性の友人がいない女は、色んな意味で注意したほうがいいというのは、割合周知の事実である気がする。思春期の頃とかは痛い子が主にそういうカテゴリに属するが、段々とビッチ女にシフトしてくる。狭いコミュニティ内で女友達の彼氏を奪ったり、異性の前で露骨に態度が変わるので、基本的な信頼関係に欠けるのである。
しかし気づけば自分にも同性の友人など殆どいないという事に気づいた。
その傾向は高校くらいからあった。授業では理系クラスに所属。4分の3くらいが男子だった。あと、(身バレするかもしれないが)小さい頃からそれなりに本気で野球をやっていた為、男子に混じって野球部に所属していた。この点でまず浮いたし、もともと群れるのは苦手としていて、「いたらいたでそいつと話す、メシ食う、寄り道する」の男子の関係が好きだった。なんか、「一緒に音楽室行くって約束だったじゃない」みたいなのが苦手だった。
大学でも、学部では男子の方が多い環境である。高校よりはドライな関係になるから、同性の友人のなさは加速している。野球はやめて、文化系サークルに入った。若干女子が多い。もう薹のたった学年なので、たまに部室に遊びに行く程度。今日も帰りにふと立ち寄った。数人とお喋りしながら、それが全部男の後輩である事に気づく。女の後輩は、離れた所で別のグループを作って喋っている。ふと目が合うと、とても鬱陶しそうな表情をしていた。その光景が自分にはすごく衝撃だった。今まで意識しなかっただけでずっとこうだったのだろう。外から見たら、ビッチと変わらなかったのだな、と思った。
女捨ててるかと言えばそうじゃない。おしゃれも化粧も好きだ。ネイルに何万もかけたり合コンで谷間を見せたりはしないけど、彼氏に手料理を作るのがとても幸せだ。知り合いの彼氏を奪いたいとか寝たいとか思えない。異性の友人は多いけど惚れる対象とそれ以外の境界は知り合って数ヶ月で決まって、彼らと恋愛に発展する事はなかった。そんでも私に同性の友人はいない。私は、いやな女か?
「ブログ等のアカウントを削除すると、そのアカウントを悪用される恐れを考慮すべき」
http://d.hatena.ne.jp/TERRAZI/20090310/p1
というエントリがあったのをふと思い出した。
なぜ思い出したのかと言うと、以下のことが思い浮かんだからである。
「新たに発表されたSNSサイト等において、WEB上で知名度のあるIDを本人より先に登録した場合」だ。
これ結構普通にありえることじゃないか?
例えば"id:anonymousdiary"という有名ニュースサイト管理人がいたとしよう。
さまざまなサービスにアカウントを保有し、「またanonymousdiaryか」等と言われながらオフ充生活を謳歌している。
そんなある時、企業Aによって新サービス「増田ホイホイ」がリリースされた。鬼女に目をつけられることもなく、評判も上々だ。
新しいもの好きで知られるanonymousdiaryがアカウントを取得するのも時間の問題と思われた。
しかし彼が登録しようとした時、「既にそのアカウントは登録されています」という表示が出る。
検索をかけたところなんと、自分が多くのサービスで使用し周知されているインパクトある自画像が。
普段自分がtwitter等でよく絡んでいるアルファブロガー達と、「"増田ホイホイ"のanonymousdiaryさん」は
あろうことか代名詞である「またanonymousdiaryか」すら、「私は別人ですよ」の反論なく溶け込んでいたのである。
こういう体験したことのある人も可能性的に当然いると思うんだけど、防御のしようが無いのでは?
と思い怖くなった。
最後に、もしanonymousdiaryさんが実在したらごめん。
「東が宮崎県知事としてどんな実績をあげたんだよ(w)」みたいなことを書いている人を幾人か見かけたんだけど、
http://news.livedoor.com/article/detail/4222853/
そもそも政治家の実績って誰かに教えてもらうものなのか?自分で調べるものなのか?
まぁ誰かに教えてもらうもんだとして、それは大手メディアから教えてもらうのか、詳しい人、研究者とか県民とかから教えてもらうもんなのか、どうなんだろ?と考え込んでしまうんですけどね。
そっから題名の「連想」なんだけど、
戸塚ヨットスクールの校長だった戸塚宏氏の実績って、東国原氏の実績ほど周知されているんだろうか?
“詳しい人”には知られているようなんだよね。また親とか。
http://news.goo.ne.jp/article/php/life/php-20090623-01.html
http://news.goo.ne.jp/article/php/life/php-20090623-02.html
確かに戸塚氏は子どもを死なせた。それは大手メディアが報じた。
その“子どもを死なせた”一点で戸塚氏を完全否定する心情は、まぁ理解出来る。
しかし、東国原氏が県知事として実績をあげたかどうかを“知らない”段階で、自分の調査能力とか教えを請う相手とか態度を考慮せずに嘲笑したり否定するのって、どんなもんなんだろうね?
「体に良いとうたうゲルマニウム使用のブレスレット(商品テスト結果)_国民生活センター」のブックマーク
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.kokusen.go.jp/test/data/s_test/n-20090625_1.html
で、id:guldeenさんが「ニセ科学が止まらない理由の一つに「儲かってるんだからいいじゃん」というのがある。たしかに規制を厳しくしすぎると、正月の神社仏閣での「護符」の販売に支障をきたすので、サジ加減は難しい。だがこれは…。」と書かれていて、ブクマで自分も書こうとしたのですが、長くなりそうなのでこの場をお借りします。よしこです。
他にも護符に言及されている方がいましたが、おそらくこのブレスレットを批判されている方のほとんどは、護符については規制すべきではない、と思っておられるでしょう。わたしも直観的にはそう感じます。
しかし、そもそも「ゲルマニウムブレスレットはダメだけれど、護符なら良い」という線はどこから来るのでしょう。
「ゲルマニウムブレスレット(あるいはマイナスイオンでも何でもいい)は『科学的根拠』を謳っているから、その虚偽性が問題である」というのも一つの答えでしょう。
しかし、たとえばどこかのカルト宗教が「ありがたい壺」を売りつけているとしたら、おそらく彼らは「科学」は持ち出さず「祖先の呪い」とかそういうお話をしていることでしょう。これについても、ゲルマニウム批判者の多くは憤りを覚えると思います。わたしもそうです。
ゲルマニウム問題と壺問題は、別問題なのでしょうか。つまり「ニセ科学」と「カルト宗教」という、別々のお話で、絡めるべきではないのでしょうか。そうかもしれません。
それでも、これらの中で、護符だけが免罪符をもらっているのは、不思議な気がします(護符が免罪符って一体・・)。
護符を信じているがゆえの宗教的バイアス? いや、まったくそうではないでしょう。本気で信じている人も世の中には沢山いらっしゃいますが、ゲルマニウム批判者でかつ護符擁護者の多くは、護符の効果を本気で信じたりはまずしていないでしょう。
だとしたら、護符には十分な歴史があり、既に文化・伝統の一部となっているからでしょうか。これは比較的妥当な説明に見えますが、何かお茶を濁しているような印象がある。大体、「文化の一部」って何でしょう。第一にどこまで行ったら「文化の一部」なのかよくわからないし、第二に「文化」だとなぜ良いのか、第三にそもそも「文化」って何やねん、とイカガワシイポイントが沢山あります。
とりあえず、現状として、ゲルマニウム問題を批判できる程度には「合理的精神」を植え付けられた人々の多くは、「護符はインチキだ! 規制すべきだ!」と言われていたら「何を言ってるねんアホか」とツッコめる。これは非常に微妙な判断のはずで、もしかするとこの判断は正しく見えて単なるバイアスかもしれないのですが、そこは問われることがない。もし護符を売っているのがカルト宗教だったら、同じように養護はしないでしょう。いや、これも微妙ですね。もしカルト宗教が300円くらいで護符を売っていたら、そんなに怒らないかもしれない。少なくともわたしはそんなに怒らない。値段の問題なのでしょうか(笑)。
早急に結論を出そう、というつもりもないし、世の中というより自分自身の感じ方について好奇心を持っているのですが、ざっと見ただけでも、
①「科学」を称することの問題(科学とは何か、という科学哲学的問題は一旦保留します)
②営業手法の問題
③値段の付け方の問題
が混ざっているように見えます。他にもあるでしょう。
神社が500円で護符を売っても成り立つのは、十分な既得権益を受けているからです。それがズルとは即断できず、彼らが「楽な商売」をできるのは、多くの人が彼らに「楽な商売」をして欲しかったからでしょう。少なくともある時代、「神社仏閣に商店と同じ基準を課すのはちょっと変じゃないか」と思う人たちがそれなりの数いたから、そういう仕掛けができているわけです。
どこまで行ったら詐欺なのか、というのは微妙な問題で、どこまでもグレーゾーンが残ります。詐欺すれすれの営業でも営業技術のうち、とも言えるわけです。「ズルい」と思う人もいるでしょうが、ばかしあいで勝つのも世の中で生きる技術の一つです。
個人的には、グレーゾーンはあってよろしい、と思っています。ゲルマニウムすら、値段が安かったら別に怒りません。「それで治ると思っている人がいるならいいじゃない」とすら思います。プラシーボか何かで本当に治る人もいるかもしれない。というか、値段が高いと高いだけで何か効果ある気がしてくるし、そういうパワーも馬鹿にならないと思う。一慨に叩けばいいってものじゃない。
ゲルマニウムやマイナスイオンを批判する人がいなくなってしまうのは、もちろん問題です。ただ、別に喧嘩や議論をしたくはないのですが、ニセ科学批判をしている人の一部に、何だかカルト宗教と五十歩百歩の凝り固まった精神が感じられる時があるのは、わたしだけではないでしょう。
個人的には、ゲルマニウムに関する今回の報告のようなものは、多いに周知されるべきだと考えます。一方で、それを根拠に法的規制をかけるべきかというと、躊躇します。「すべての人に情報リテラシーがあるわけではない」と周知だけを批判する向きもあるでしょうが、そこまで面倒みるべきなのか、法の元に回収すべきなのか、微妙なラインだと思います。
世の中には怪しげな仕事で生計を立てている人がそれなりな数いて、というか「まっとう」に見える仕事だって、一枚皮の下は「なんだかなー」というのが沢山あるでしょう。自分の業務範囲は白くても、辿って行ったら黒いことも沢山あります。むしろそんなケースでは、自ら手を汚している方が潔いようにすら感じます。
一方で、怪しげなものを信じて生きている人もそれなりにいて、そもそもわたしたちの多くが信じているものも、怪しげといえば怪しげです。信じているから怪しいと思わないだけです。「だまされた!」と怒る人がいるのは、怪しいからというより、騙し方がマダマダだったというだけです。カルト宗教は、一生信じきれるくらい、壺パワーを増強しなければならない(笑)。
ポルノ業界は少し「怪しげ」だけれど、詐欺をしているとは誰も思わない。でももっと根本に帰れば、女の裸の何がいいんだ、と言われたらよくわからないでしょう。いやまぁ、わたしは買わない側にいるからそう思うだけかもしれませんけれど。「遺伝子に組み込まれているんだ!」というのはウソに決まっていて、まぁいろいろなパワーがないまぜになった結果、若い特定の形をした女の裸には特別な価値があることになっていて、おばあちゃんのヌードが売られていたら「なんちゅう商売や!」と思う人も、グラビアには文句を言わないのでしょう。これは怪しくないというのではなく、怪しさが極まって、もう誰も怪しいと思わなくなっただけかもしれません。
結局「やり過ぎるな」というオチになってしまいそうで、なんだかショボいお話ですいません。別に何か結論を言いたいわけではなく、「なぜ護符ならまぁいいかと思えるのか」という、自分の感じ方への素朴な疑問から書きはじめたことです。
ただ、ゲルマニウムにしてもマイナスイオンにしても、あんまり熱くなって批判するのはどうなのかな、とは思っています。笑える余裕を失って批判している人の話は、わたしなら聞きません。「なぜそう判断するのか」というのも、また面白い問題ですけれど。
いわゆる会社における雑用。
まぁ、古い、でかい会社なので、建前上は色々男女平等なことやってるけど実情は男社会。女ではマネージャー(課長級)より上の人見たこと無い。
数年前のある日、一息ついてちょっと暇になった時期に、社員のお茶会をまとめてくれてる女の子が「ここ1年ぐらい収支が赤字で貯金が尽きそうなんです。」と相談してきた。せっかくなんで会費値上げのお願いを一緒にして回ったのだが、そもそもなんでこの子がたった一人でお茶会まとめてるのか?という疑問がわき、暇だった勢いで何を血迷ったか女子にやらせていた雑用(お茶以外にも色々ある)を男子もやるようにしましょうと偉い人に進言してしまった。
建前上は男女平等で働きやすい職場を標榜しているわが社の偉い人がそれを拒否できるわけもなく、すべては私のほうで取り仕切りますからということで「職場改革」の大義名分を得た俺は早速状況調査にかかった。
○そもそもその雑用をなぜ女子だけがやっているのか?
色々聞いて回ったが、一番の古株に聞いても「前からそうだったので・・・」という回答しか得られなかった。
そしてそんなルールが明記された発行文書も無い。(何十年も前にあるかもしれないが、少なくとも閲覧できる履歴の中には無かった。)
こうした結果を踏まえ、雑用を女子だけがやっている正当な理由はありませんとアナウンスしたところ、誰からも反論が無かったので具体的な作業分担を行うこととした。まぁ、表立っての反対ではないものの、特に50代のリストラ対象者に限って「なんでワシがそんなことせにゃならんのか?」という意味の非常に遠まわしなメールが帰って来てはいたが。(笑)
まずは、定期的に発生する作業。これは当番制で全員がローテーションに入る事とした。どうしてもやりたくない人は支援金として毎月1,000円支払えば免除することとし、宴会・慶弔の口座に入れることとした。これにより、事実上課長級以上に毎月1,000円課税できることなり、親睦の促進が期待された。(笑)
次に、随時発生する作業。これは原則発生させた奴が行うこととした。これも支援する人を何人か予め決めておき、丸投げしたい人は課税することとした。これによりさらに親睦が深まるのは間違いなかった。(笑)
これらのことは、すべて公開議論にして決定した。内心文句垂れ垂れのリストラ対象おやじ共も最終的には承諾したし、雑用から開放される女子からも大歓迎された。
2週間程度の周知・移行期間を経て、いよいよ運用が開始された。
とたんに男子がボロ見せ始めた。普段やり慣れてないせいでミスを連発した。すっぽかす奴も居たが、それでも、それなりにお互いフォローをしつつなんとか軌道に乗り始めた3ヶ月後・・・
お茶会の女の子と、一番喜んでたはずのEちゃんが二人で俺のところにやってきてもごもご話し始めた。
なんだか的を得ないので、会議室に行ったところ、「やっぱり元に戻しましょう!」「あなたたちには任せてられない!」と言い出した。
それ以外にも「業務が滞りがちで・・・」とか理由をつけていたが、根掘り葉掘りと突っ込むと・・・
「私の仕事がなくなってしまったので元に戻してほしい。」
ということだった。
「いやいや、そんなことは無いでしょ。そんな雑用よりせっかく浮いた時間で利益につながる本来の業務を手伝えばいいだけじゃないの?XXさん忙しいからそっちフォローしてあげるとか。 評価も上がって一石二鳥。」
といったが、どうやらそれは困るらしい。
とにもかくにもそれから1ヶ月ぐらいは、実運用を踏まえて制度の再検討ということで女子と話し合いを持ったのだが、いや、全員ではなく女子と話し合うということがすでにおかしいのだが。結局2ヵ月後には女子の強い申し出により制度開始半年も経たずに元に戻ってしまった。
なんだ、骨折り損のくたびれもうけではないか。
しかしその過程で色々と面白いものが見えてきた。
女子が雑用をやっていた本当の理由は、実のところ、言い方は悪いが、社内生活保護的な意味合いによるものであった。
大した仕事したくない人が時間をつぶすために簡単で苦労も無く、時間もかからずすぐに終わる雑用を引き受けることで、くびにならない程度の存在感を維持する口実になっていたというのが実態だったのだ。いつしか、何十年もかかって、それが女子社員の中で既得権化して雑用したくない男子社員とも利害が一致し、お互いにまったく無意識のうちにそういう風に制度化されていたというのが本当のところだったのだ。
これを悪く言うつもりは全く無い。実際問題、雑用係はありがたい。会社として雑用係という役職が無い以上、誰かが自発的に引き受ける必要があるからだ。
だから、女子でも仕事バリバリやっている人なんかは、最初はなんとなく女子だからという理由で同じようにやらされるが、だんだんとそっち側の人のほうに雑用が引き取られていくらしい。
そうであるならば、同じ考えの男子がいてもそのポジションに入れずに、成果主義から逃れマッタリとしたサラリーマン生活を送るすべを持たないというのは逆差別なんじゃないかなと思う今日この頃。
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51259975.html
たまに定期的にこういった話題が出るんだけど、そのたびに三木道三ファンとしてはいたたまれない気持ちになる。
そもそも「一発屋をからかう」とはどういうことだろう?
読者も三木道三がどういった人物か詳しくは知らない人も多いと思うので、先ずはWikipediaのリンクを張っておきたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E9%81%93%E4%B8%89
1990年代初頭というとまだバブルの余韻をひきずってトゥナイトとかでお立ち台ギャルがTVに出てた頃。
クラブというと六本木の高級クラブが世間一般常識の頃に、アンテナの高い若者に支持されていたクラブミュージックがレゲエ、ヒップホップ、グランジだった。
(もちろん他にもロカビリーとかテクノとか、それぞれ好き好きはあったけどとにかくファッション&ミュージックはTVで全く取り上げられないほどマイノリティだった)
関西ではいろんなミュージックが試されていたけど、その中でも三木道三の歌う「ド演歌+レゲエ」スタイルは飛び抜けてうまかったんだ。
当時の関西がそうだったのか、今で言う「フィーチャリングなにがし」だったり「コラボレイトなにがし」だったり、仲間や後輩と一緒に組むスタイルも、関西のクラブシーンを熱くさせたし社交性や面倒見の良さが評価された。
この頃の三木道三のインディーズレーベルを知らない人は、ニューミュージックが好きならきっと損してると思えるくらい、すばらしい楽曲を提供してくれてる。
(「MIKI-FM 1997ヘルス」とか「MIKI-FM 1998メガヘルス」とか)
そのご「キミにミキ」みたいな楽曲をメジャーでも提供できたらひょっとして三木道三って全国でも通用するんちゃう??っていう関西の人たちの期待もあって、三木道三はメジャーレーベルと契約を交わす。
三木道三はやってくれた。きたいどおりに「Lifetime Respect」という名曲を生み出した。
今までマイノリティだった関西クラブシーンはこの曲を一斉にFM802にリクエストする。
もともとが名曲なので、FM802で聞いた他のリスナーも三木道三のファンになってリクエストはさらに伸びる。
(ちなみにFM802とは関西圏のFMラジオでアイドルの曲は一切流さないという関西の音楽ファンにとっては聖地のようなラジオ局)
あとのシナリオは皆さんもご存じ、三木道三は変に肩肘を張ったのか名曲を生み出せずその後はヒットに至らないわけだが、
関西クラブミュージックシーンで三木道三ほど音楽に貢献した人を誰一人悪く言わないのに対して、カウントダウンチャートを上からとりあえず聞いてる「自称」音楽通に限って一発屋の三木道三をバカにする両極端な土壌が出来てしまった。
ここから僕は「そもそも一発屋とは何か」というのがわからなくなってしまった。
そもそも、なぜ、みんなは一回でも「音楽的表現の流通」に成功した人を笑うの?
なにを笑ってるの?可笑しいのは「音楽」なの?「表現」なの?「流通」なの?
音楽を芸術から商品に貶めたのは他ならぬバイヤーなのは周知の事実だけれども、
そもそも音楽を商品として扱ってきたのは消費者なんじゃないの?
バイヤーはその期待に応えるのは人類歴史上連綿と続いてるだけじゃないの?
音楽を上から下まで「売れる」商品を集めてるだけで満足してるのは消費者で、
そういう行為が「日本のレゲエ」っていう音楽的文化を殺してるのに気付いていないの?もしくは気付いてるけど黙認してるの?
(べつにここがレゲエじゃなくても「日本のロック」でもなんでもいい)
欲しくなければ買わなければいい。
流行ったからつられて買って、あとになって「一発屋一発屋」とからかう創作活動のどこに未来はあるのか。
「一発屋一発屋」というけど一発でも当たった凄い人をお前達は尊敬しあがめよ、とは言わない。
中には自分も2発目、3発目と当てるように努力してる人も居るだろうし、そうでなくても一発当たった人はやっかみの対象になるのも理解の範疇だ。
だけど、三木道三ほど日本の音楽文化にレゲエという要素を取り入れて貢献した人に対しても、メジャーレーベルでしか評価できなくて、その評価が一律「一発屋一発屋」というからかいがほとんどな現状を見ると、良質な音楽との接触の機会を自ら狭めているのはこういった「カウントダウン上から下までそろえておけば大丈夫」な層なのかもしれない。
録画を消してしまって、youtube に上がってた録画は瞬殺された。以下うろ覚え。
無知は罪とばかりに関心がない一般人までまとめて感情的にバッシングするから反発を買う。
はたからみればまるで優越感ゲームで、一般への周知よりも「理解してる特別な自分」を持続を優先してるようにみえる。
一般層の理解を得たいのであれば感情を隠して叩きではなく提案をしなければならない。
「南京大虐殺を認知しても謝罪や賠償を要求されるだけ、いい展開なんて思い浮かばない。
なのにこの人たちは感情的に理屈を並べて攻撃してきてキモチワルイ」
もっとぶっちゃけてなぜそうしたほうがいいと感じるのかを話せばいいと思う。
それが綺麗事と受け取られることなく伝われば共感を得られ状況はもっと変わるんじゃないだろうか。
なぜ南京大虐殺が起こったことを否定するか。それは、南京大虐殺があったことを知ってるから。
どう傷口をえぐれば相手(例えば中国の人)が痛がるか知っていて、相手が痛がる様子が見たいからこそ、正確な知識に基づいて傷口をえぐる。
相手のことが嫌いだからじゃない。相手は誰でもいい。他人が痛がる様子を見るのは楽しいというだけ。たまたま近くにそいつがいた。それだけのこと。
だから、数々の資料を提示して南京大虐殺があったことを否定論者をやっつける活動をしている人々には、「そんなことあんたらよりも知ってるよ。知ってるからこそ否定論やってんじゃん」としか思わない。
・・・という考え方を持っている人間がいることは、どれくらい周知されているのでしょうか。
そして、そういう人間を何とかするにはどうしたらいいのでしょうか?
CarpentersのClose To Youがなんかエロゲで聞いた気がするなーと思ったら
http://www.youtube.com/watch?v=V3gCc3tOuM4&fmt=18
イントロ部分が痕の初音の曲とモロ同じだった。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6010434
有名例)AIRの青空とBette MidlerのThe Rose