はてなキーワード: エイプリル・フールとは
「日本語ロック論争」は、日本語で歌うべきか、英語で歌うべきかが「議論」された。日本語はロックのメロディーに乗らないという説に、英語派であるミュージシャンは海外成功目標で英語は不可欠という論拠の内田裕也(と、その牽引していたフラワー・トラベリン・バンド)、グループ・サウンズ時代から活動するザ・モップスは英米追随ながら本物のロック音楽志向という立場である。日本語派はっぴいえんどは[注釈 1]、その前身エイプリル・フールから移行発展するなか[注釈 2]うたごえ運動の流れを汲むボブ・ディランらに影響を受けたフォークの岡林信康ら、日本語で歌うアーティストが次世代音楽(ポップス、またはニューミュージック)に進展する中起こった「議論」がある。
誰もが通った道なんや。
タイタニックで日本人乗客の生存者がいなかったら日本の音楽シーンは変わっていたかもしれない - Togetter
タイタニック、テレビ放映してるのを息子が観ている。ちなみに日本人乗客の生存者、細野正文の孫が細野晴臣なので彼が死んでたら、はっぴいえんども、Y.M.Oもティン・パン・アレーもなく、そこから大瀧詠一、松本隆、荒井由実、松任谷正隆という当時の音楽シーンが繋がらなくなるという話。
はっぴいえんど…旧知の大瀧詠一・鈴木茂・松本隆・小原礼で結成。バンド名は大瀧詠一が『多羅尾伴内楽団』と命名する。松本は元々ジャックスの影響を受けていたため、日本語詞を手がけることになるが、そのタイミングは1年ずれる。いわゆる「日本語ロック論争」は、同時期に登場した『あがた森魚とはちみつぱい』のあがた森魚や、元『ザ・フローラル』(細野がいないため、『エイプリル・フール』とは改名されていない)の小坂忠(『小坂忠とフォー・ジョー・ハーフ』)も巻き込まれる。
キャラメル・ママ~ティン・パン・アレー…鈴木茂が『フォー・ジョー・ハーフ(林立夫・松任谷正隆・駒沢裕城・後藤次利)』に合流するが、バンド名を変えなかったため、四畳半フォークを嫌う(フォー・ジョー・ハーフ=四畳半)荒井由実に無視される。吉田美奈子や金延幸子のバックを務めて評判となる。
荒井由実…1stアルバム『紙ひこうき』でバックを務めるのはムーンライダーズ。マニアックなコード進行と演奏で大ヒット。
Y.M.O.…当然結成されるはずもないが、坂本龍一と松武秀樹に、A児(あがた森魚)・矢野顕子を加えた電子音楽/テクノ/ニューウェーブユニットが世界を席巻。先鋭的でニューウェーブ色が強く、日本にもニューウェーブブームが巻き起こる。ここで坂本と矢野が出会い、矢野の離婚→坂本との結婚というイベントが発生。
P-MODEL…坂本/松武/A児/矢野路線とは一線を画した音楽展開で「ジャパニーズ・テクノ」の代名詞となる。
FILMS…ヒカシュー・プラスチックスと共に「ニューウェーブ御三家」と呼ばれる。
遊佐未森…カルト的人気を誇ったFILMS・外間隆史がプロデュースし、中原信雄も深く関与していることから、「ニューウェーブの歌姫」として人気を得る。
安田成美…細野からあんな音程の取りづらい曲を提供されることがなくなり、歌が「風の谷のナウシカ」の劇中で流されるが、特に上手というわけでもないのでかえって印象に残らず、芸能界から消えていく。
星野源…細野晴臣に私淑できないから、たとえ音楽シーンに携わるとしても今のようにはなっていない。必然として新垣結衣は星野源と結婚せず、別の誰かと結婚している。つまり、その「別の誰か」は、細野晴臣が存在したことによって、新垣結衣と結婚する機会を失ってしまい、しかも当人もそのことに気づくことができない。
思いついたら追記する。
このへんかな
http://anond.hatelabo.jp/20160917043430#tb
http://anond.hatelabo.jp/20160923184940#tb
1月 | 一月物語 |
1月の雨を忘れない | |
2月 | 二月病 |
二月の部屋 | |
3月 | 3月のライオン |
4月 | 四月は君の嘘 |
5月 | つきあってよ!五月ちゃん |
5月ドーナツは知っている | |
V.R.デート☆五月倶楽部 | |
6月 | 六月の丘のひなげし |
六月の花嫁 | |
7月 | 世界のすべての七月 |
7月のオーロラ | |
8月 | 皇帝のいない八月 |
8月のソーダ水 | |
八月の濡れた砂 | |
9月 | そして、君のいない九月がくる |
9月のストレンジャー | |
10月 | 神無月の巫女 |
11月 | 11月のギムナジウム |
11月のエイプリル・フール | |
12月 | 12月のベロニカ |
十二月の風に吹かれて | |
天使のいない12月 |
長いこと個人サイトやってて、数年前まではエイプリル・フールに頑張って偽サイトとか作ったりしてた。
だけど今のウェブの中で同じことをする気になれないのはなぜだろう。もちろん今年も何もしていない。
まとめサイトも、盛り上がってる(ように見える)個人サイトも、遊び心を見せている(ように見える)企業サイトも
はてなブックマークでの反応や盛り上がりも、全てに対して違和感というか、しらけた気分がある。
理由はつい数年前と違って、あまりにも恒例行事化して単にネタ発表会みたいになってしまって、
ゲリラ的な面白さがなくなってしまったからなのかな。
もしくは単に自分が年をとってしまったせいなのか、ウェブが変わったからなのか。
それとも両方なのかな。
最近のエイプリル・フールの盛況みて、しかし日本人はこんなにエイプリル・フールがすきだったかしらね、と思ったんだが、あれだな、ネットやメールの普及と関係があるんじゃないかな。書き言葉、というのは話し言葉にくらべてウソ、フィクションを呼び込みやすいと思う。話し言葉のリアルタイム性、表情や身ぶりと言った付加情報は嘘を言う事を難しくさせる。それにくらべて想像力に訴える書き言葉はウソをつくるのに有利だ。だから逆に伝統的な活字の世界は確実性や権威を過度なまでに重んじてきた。しかしネットやメールといった個人的な書き言葉はそういった重さも持たない。カジュアルな嘘、を言うのにちょうどよいメディアがネットやメールなんだと思う。