はてなキーワード: ダンピングとは
当事者だからひしひし感じるけど、結局アニメ業界の人間ってのは甘ちゃんなんだよな
商業でクリエイターやるならビジネスライクにやらなきゃいけないのに
それが嫌で作家性だとかやりたい仕事ができるような環境を求めている
芸術家と産業の間にある曖昧な業界で、一生モラトリアム続けて適当にやってきたいロクデナシの集まりなんだよ
海外のアニメ製作会社は割り切ってやってるから、仕事のやりがいが少ない代わりにまともに働ける
日本のアニメだって、止絵で持たせたり総集編挟んだりしながらおもちゃの宣伝をやってた頃はもうちょっと環境もマシだった
それが段々ガイナックスに代表されるようなアニメ作りが好きで好きでしょうがないという連中が入ってきてからおかしくなったんだ
80年代のアニメーターの仕事とか、ちやほやされていい気になってるけどあんなんただのダンピングだ
その予算の中で勝手に頑張って勝手にアニメに要求されるハードルを引き上げたのはその後の世代の人間だ
そいつらの大半は売れる作品を作ろうなんて考えは毛頭ない、自分が気持ちよくなりたいということで頭がいっぱいのやつらだ。
注釈しておくとエヴァブランドを思いっきり活用してる庵野はよくやっている。しかし抜け殻のガイナックスがどうなってるかを見れば分かるだろ。
マニアに評価されるもん作っててもしょうがねえんだよ。そんなもん1作たりとも作ってはならない。
だけどヒット作で儲けた金をオナニー作品でチャラにしてしまう会社が大半なんだ。
搾取するまでもなく、やりがいだけで仕事選んでる連中なんだよ。
どれだけ待遇が悪くても、自分たちが好きなアニメを作れなきゃ生きてる意味がないという狂人連中なんだ。
しかしそれはただの自己満足だ。そんなのは、商売としても芸術としても間違っていて、そこを間違えるから人が死ぬんだ。
結局アニメクリエイターたちが誰かに搾取されてるなんてことはない。自分たち同士で互いに首を絞めて苦しんでるだけなんだ。
しかも本来それを止めるべきプロデューサーやらスポンサーまで一緒になって首絞め大会に参加してるから手に負えない。
【インタビュー】字幕翻訳者・戸田奈津子さん「エッ?と思う字幕は、どこかおかしいの」
https://www.buzzfeed.com/eimiyamamitsu/interview-with-natsuko-toda?utm_term=.bhpJ8y62dK#.pf3GDwzR2e
を読んだ。全体的には一方的な自己弁護を垂れ流すだけの提灯記事だが、インタビューという性質上これは仕方のないことなのだろう。この記事の良い点は、戸田奈津子という人の見当違いな自己顕示欲を浮き彫りにしているところだ。
「叩く扉もなかった」字幕翻訳という仕事に、その道の第一人者に直接食らいつくようにして取り組んでいった前半生は感動的でさえあるし尊敬もしよう。しかし一人前として仕事を任され、一定の地歩を固めつつあった頃には、質的な研鑽よりも量的なアピールに重きを置く仕事ぶりだったことがよく分かる。
それは時代というか当時の映画産業の要請でもあって、戸田個人に責任を帰すことも出来ないだろうが、何度も立ち止まるチャンスが有ったにも関わらず、過剰な自信に満ちた「職人魂」みたいなもので自分を虚飾したい一心で、本質的には作品に奉仕するべき字幕翻訳者のあり方を歪めた自己像を描出し、直そうともしなかった。それがこのインタビュー記事で表現されている「字幕翻訳の女王」の実態だ。彼女はことあるごとに「文字数は自由だし調べ物にもゆっくり時間をかけられる文芸翻訳とはわけが違うのよ」式の言い訳(師匠の発言の一部を都合よく切り取ったものだ)をして、質を犠牲にしてることを棚に上げて早業自慢を繰り返すが、この記事もまさにその例を一歩も出ていない。ほとんど馬鹿の一つ覚えだ。
せっかく日本一名の売れた字幕翻訳者になったんだから、個人の早業を自慢するよりも、字幕の質的向上のために制作・配給側が用意する時間や予算の拡充をアピールするのが筋なんじゃないのか? と私などは思うのだが、そんなことは自己否定になりかねないのでできない。映画や観客より自分が大事だからだ。徹底して裏方仕事に向いてない性格なのに(だからこそ喰らいついていけたとも言えるが)、なぜか字幕翻訳者になっちゃった人で、その上根っからのダンピング体質なんである。広く「第一人者」と呼ばれるものの最悪の事例として歴史に記録されるに値する人物だろう。
戸田字幕の具体的な問題点については、今ではある種のネットミームと化していて、山のように検証を綴ったページがヒットするので、ここでいちいちあげつらうことはしないが、この記事を読んでそれらガッカリ字幕の根本的な原因を確信できた気がする。戸田奈津子自身の映画作品に対する理解力が低いのだ……というのはあまりにも失礼なので、観客(想定読者)の理解力を低く見積もりすぎ、と留保つきで言うべきなのかもしれないが、とにかく画面に映っているものや脚本に対する読解力が低い翻訳をしてしまっている。軍事用語や「指輪物語」の専門用語に通じてないせいで勝手流に造語しちゃうみたいなことは、専門の監修者をつければ(それさえ不服のようですが)済むことだが、理解が浅いまま手癖で字幕をつける悪癖についてはせめて直そうとする姿を見せてほしいと思う。
どんな作品であれ受け手によって読み出せる情報量は変わるものだが、戸田字幕はその理解力の設定が最小限になってるみたいな字幕なのだ。そんなとこを端折ってしまったら、まるで子供の頃に見た「大人の映画」のように途中で筋が追えなくなるだろうな、と思うことさえある。一通りセリフが聞き取れるとか、背景知識も揃っているような人間が見ると「エッ?」となるような訳を乱発してしまっているのである。これは映画字幕という表現媒体そのものの制約なのだろうか? 単に投下すべきコスト(時間と人員)をケチってるだけじゃないのか? なにしろ理解力が乏しいゆえにかえって回りくどい表現をして、大切な字数を浪費している例さえあるのだ。単にこなした本数が多いから下振れが記録されているだけと擁護することも出来るが、それを言うとかえって早業自慢の露悪性が強調されるというものである。
そして戸田字幕に感じる理解力の低さ、雑さの遠因が、このインタビューでは明らかにされている。ただの映画ファンとして、「作品のファン」としての経験を積まずに映画を見まくった原体験が、映画を十分理解せずに、ざっくりと筋がわかれば(たまにそれにも失敗する)いい、という仕事を次々とこなすことを良しとする「映画字幕の女王」を産んだのだ。それは映画というものの立ち位置が変わってしまった現在には全くそぐわない態度であると私は思う。
多くの人が週末には何かしらの映画を見て、学生なんかは金の続く限り映画館に入り浸って、それ自体が楽しみで、何度かに一回面白いものがあったら儲けもの、といった時代はとっくに過ぎ去った。多少荒っぽい仕事があっても、「まぁそんなこともある」と納得してすぐにまた映画館に足を運んでくれる観客は絶滅危惧種と言っていい状況で、「とりあえず筋の追えるものを今週中に」みたいな品質でつけられた字幕を使う理由はほとんどないと言って良いんじゃあるまいか。なにもタコツボ化したマニアだけが字幕翻訳者の理解不足を責めているのではない。字幕でスクリプトの情報量を100%伝えろという不可能を要求しているのでもない(そんなことを言ったら、原語が完全に理解できても伝わらない部分は常にある)。娯楽が多様化する中で、金と時間を使うに値する丁寧な仕事で競争できているかが問題なのだ。
そもそも多くの映画は長い時間をかけて作られるものだ。製作に着手してから数年かかることはザラだし、驚くべき短期間で撮影が終わったというような作品でも、原作を読み込んで脚本化するのに何十年もかけていることだってある。そしてそれを待つファンも何十年越しで待っていることだってある。それだけの労力と期待を集めて公開される作品の最後の工程に、パッと見の印象を伝えるので精一杯みたいな字幕がついていて良いのだろうか? 日本人の英語力の向上には役立つかもしれないが、自分で聞き取れるようになったからといって問題が無くなるわけではない。「自分は内容がわかっても、あまりにも作品に無理解な字幕がつけられていることに耐えられない」という作品のファンの心理を考慮せずに仕事を続けることは、今や娯楽の王座から落ちて、比較的嗜好性の強いものになった洋画のファンには悪印象しか与えない。それに洋画ファンだけの問題でもない。どんなジャンルの仕事であっても、雑な仕事というのはそれに初めて触れる者に「なんとなく面白くないな」という印象を与えてしまうものである。それを防ぐために必要なのは、十分な準備期間と作業時間を用意することによって得られる翻訳者の深い作品理解だ。翻訳者に十分な時間とリソースが与えられ、一つの作品に使える労力を拡大することのほうが誰にとっても良いことなのではないか? すべての原因を「文字数の制約」や「納期の短さ」に帰することが出来るという甘ったれた足かせを自慢できればそれでいいのか?
戸田字幕の映画理解力の低さが、意図的に設定されているものではないと疑う理由がもう一つある。戸田は字幕翻訳が単独作業である理由として、「セリフの言い回しやリズムを統一するのに余計な時間がかか」るということを挙げている。そんなことを言っていたら、作中でセリフの言い回しやリズムを敢えて変えることで、登場人物の心理的変化や場面転換を表現する映画は原理的に字幕に乗らないことになる。これほど馬鹿な話はない。「こいつは最終的に悪ものになるやつだから、最初は丁寧にしゃべってても荒い口調で統一しとくのが親切」みたいな字幕が付けられた映画を、誰が見たいだろうか? 一つ一つの映画作品の性質をよく理解しないまま、ちぎっては投げみたいな仕事を続けてきたせいで、どんな映画も同じような構図に当てはまるよう訳すのが当たり前になってしまっているからこそ、セリフの統一感があることが「透明な字幕」の必要条件だという勘違いを起こしてしまうのだろう。映画が転調したときには字幕も転調するのが「透明な字幕」で、そのためには複数の視点が必要になることだってある。脚本や演出の意図を読み違ったまま、理解をし損なうことは避けられないからだ。いつまでも「一人の字幕翻訳者が短い期間で理解できた範囲」としての映画字幕が作られ続ける状況を肯定することは、この人の取るべき道ではない。それは決して映画のためにはならない。
「ロード・オブ・ザ・リング」の第二作以降は、原作の翻訳者がスクリプトの全訳を事前に行った上で、それを参照して戸田が字幕を作成し、改めてチェックを受けるという体制が敷かれたようだ(インタビューではその経緯をまるっきり無視していて、結果的に監修者の仕事を貶める傍若無人ぶりが表れている)が、これに似たことが常識的に行われるように働きかけしているんですよ、といった風のアピールをするほうが、「第一人者」としての尊敬を集めるのではなかろうかと私は思う。
現在の洋画の年間公開本数は80年代末以来の第二のピークを迎えている一方、戸田の仕事は当時の1/5近くまで減っている。文芸関係に限って言えば50歳ごろに確立した仕事のペースを守っている80歳なんていくらでもいるので、年齢のせいばかりでもないだろう。その事自体、戸田が翻訳者の待遇改善に取り組んだことの証左だと弁護することも出来るかもしれないし、実際にセリフを聞き取りながら見て「ここをこうやってまとめるのか、上手いなぁ」と思える翻訳者が増えてはいるので、まぁ戸田奈津子の問題ある訳というのも、そろそろ過去の話だよね……と最近は思っていたのだが、私はこのインタビューを読んで気が変わってしまった。やはり早いとこ全面的に後進に道を譲って、ご自身は字幕翻訳の質的向上のために翻訳者の待遇を改善する言論を起こされるなどしたらいかがだろうか。それが名の売れたものの使命と思ってはもらえまいか。いい年してよいしょインタビューに答えて、自分の大ポカで迷惑をかけた監修者の名誉を傷つけるような非道い言い訳を垂れ流している場合ではない。
今さら早業自慢を封じられるのは、自己認識からすれば転向に映るかもしれない。ひょっとしたら一気に老け込んじゃうかもしれない。しかし、昔よりずっと観客同士の横のつながりが強くかつ広範囲で、作品についての情報も手に入れやすい今だからこそ、字幕翻訳に要求される水準が上がっていることを認識し、それに適切に対応するように送り手たちに働きかけをする姿は、映画ファンの心に強い印象を残すはずだ。個人的な快刀乱麻の仕事ぶりを自慢するのはもうやめて、業界全体で作品の質に貢献する、充実した作業環境を残せるよう声を上げる好機なのではないか。それでこそ「字幕翻訳の女王」としての尊敬を集められるのではないか。今のままではせいぜい良くて「時代の徒花」といったところである。
http://anond.hatelabo.jp/20161107104928
どうも日本では「ブラック企業」「長時間労働/サービス残業」に対する認識がきわめて甘い。近年、特に甘くなっている気がする。
労働賛美的な考え方と、権威に盲従する姿勢と、前近代的(「自分くらいはいいだろ」)メンタリティ。それらに支えられて蔓延するこれらの存在は、日本の労働環境を他に例を見ないほどひどいものにしている。
「潰れろと言うのか」とおっしゃるが、ハッキリ言ってそれは泥棒が「飢えて死ねと言うのか」と開き直っているようなものだ。そもそもが違法行為であり、食えない先・潰れた先をどうするかという話は人権的な問題であって、雇用・労働政策とは別の次元の問題だ。それは泥棒していい理由にはならない。
なぜブラック企業・サービス残業が違法かというと、そういう行為を放置すれば市場原理がはたらかなくなって健全な市場経済が運営されなくなるからだ。泥棒行為が蔓延すればセキュリティリスクが許容を越えて社会が崩壊する、それと似たようなものだ。ブラックにならないと経営できない企業をつぶさない限り、その陰であおりを食う良心的でまともな経営努力の会社は市場から撤退していく。ブラック企業や違法労働は、それ自体がまともな会社や労働者を潰し、殺しているも同然なのだ。強圧的に労働力を買い叩く企業も、ダンピングして労働力を売りまくる奴隷労働者も、市場経済からみれば等しく不正行為者であるという認識が必要だ。そこのところを放置する限り、よりよい社会、富の適正配分は実現されない。
もちろん「ソフトに」潰すようにはした方がよいと思う。その程度の現実的な運用は、当然必要だ。だが、根っこのところで勘違いしている限り、問題は解決しない。
「潰れろと言うのか」? まさにその通り。むしろ「潰さなければならないと言っている」のだ。そこのところをぜひ認識していただきたい。
もし彼らが電通社員のように高級取りならば、彼らの死は喜ぶべきである
なぜなら、彼らは我々の通常の倍の仕事を独占した業突く張りであるからだ
もし彼らがすき屋のアルバイトのように正当な報酬をもらえてないものならば、彼らの死は喜ぶべきである
なぜなら、彼らの働きかたは給与相場をを下げるダンピング行為であるからだ
(もうブコメ書いてしまったので追記へのコメントをこちらに。ブコメだと字数制限がきつくて書ききれないのもある。)
(以下長いので,面倒な人は まとめ まで読み飛ばしてもらってもかまわない)
元増田は「「労働が長時間かどうか」なんてのは問題の核心ではないのに、あたかもそれを改善すれば問題が解決するかのように」と書いているが,元増田や,今回の電通事件に関するの他の記事のブコメを見てもそういう論調は主流ではない。
セクハラやパワハラがあったことも問題視されているし,その他さまざまな問題も指摘されている。「長時間労働さえ解決すれば全て解決」というようなブコメはほとんどない。
もっとも,長時間労働は今回の事件に関連する問題の主要な一部であるし,日本の労働環境が抱えている大きな問題の一つでもあることに変わりはない。
長時間労働は,元増田ですら認めているように,心身を疲弊させ,場合によっては人を死に追いやる原因になる。
だからブコメの論調は「長時間労働 だけ を解決すればOK」ではなく,「長時間労働 も 解決しないとダメだ」というのが主流だろう。
1. 「度が過ぎた過労や心労がいけないのは当たり前」と書いて長時間労働にも問題があることを認めておきながら,一方で「「労働が長時間かどうか」なんてのは問題の核心ではない」と矛盾する主張をした
2. 「問題の核心」であろうとなかろうと,問題の一部であれば解決する必要があるのに,「核心ではない」=長時間労働を解決する必要はない,という論理の飛躍を行った
先ほど挙げた欺瞞は,まだ論理展開の瑕疵に過ぎず,たいして大きな問題ではない。もっと大きな問題は,これから書く問題である。
元増田では,「長時間労働」という言葉は何度も出てくるが,それが不払時間外労働(いわゆる「サービス残業」)か否かについては一切触れていない。
話を始める前に,まず大前提として,日本の法律では労働時間は週40時間までと決められており,それを超える場合はいわゆるサブロク協定を結んだ上で,超過勤務手当を支払わなければならない。さらに勤務時間が深夜(午後10時〜午前5時)にかかる場合は,深夜勤務手当の支払いも必要である。
元増田は「長時間労働」と書いている以上,それは週40時間を超える労働を指しているのは明白であり,従ってそれらの労働には当然超過勤務手当や深夜勤務手当を含む,いわゆる残業代が支払われていなくてはいけない訳だが,今回の電通事件でも明らかになったように,残業しているのに残業代を支払わない,いわゆるサービス残業が後を絶たない。
従って「長時間労働」を論じるときは当然それも論点になるが普通なのだが,元増田はなぜか全くその点に触れていない。
そこで,元増田に代わって,その点に触れながら「長時間労働」問題について論じてみよう。
今回の電通事件もそうだったが,もうこれは論じるまでもなく「悪」である。
法律違反だからというだけでなく,労働のダンピング=他人の労働の価値の毀損という意味で,やってはいけないことなのだ。
だから,「長時間労働(不払時間外労働を含む)」の場合, 「おれは(給料もらえないなら)がんばらないからオマエも(給料もらえないなら)がんばるな」 (言うまでもないが,カッコ内は自分が追加)という論理は,元増田が何を言おうと正しいのである。
この場合,被雇用者の観点からは,あまり問題がないように見える。
ただし,あくまで 自発的な 長時間労働の場合のみであり,強制される場合は,やはり問題になるだろう。ただ元増田が論じているのは自発的な長時間労働と思われるので,そうするとやはり問題がないように見える。
しかし,経営的な観点からは, 自発的な 長時間労働には問題がある。
まず,先ほども述べた通り,時間外労働には割増賃金を払う必要がある。つまり,コストが増えるのだ。
「3日間徹夜」を例に考えてみよう。
ちょうどまる3日とすると72時間。ただし8時間ごとに最低1時間の休憩時間を与えなければいけないと法律で定められているので,9時間を1単位として割り算すると8になり,72時間中8時間は休憩時間になる(最後1時間が休憩なので,厳密には71時間連勤と考えるべきかもしれないが,その辺は適当に)。従って実稼働は64時間。
1日の通常勤務時間を8時間とすると3日分の通常勤務時間は24時間。残り40時間に対し,1.25倍の時給を支払う必要がある。
そのうち午後10時から午前5時の7時間にかかる部分についてはさらにその1.25倍の時給を支払わなければならない。面倒なので,その午後10時から午前5時の間に必ず1時間の休憩が入っていたと考えることにすると,(7 - 1) * 3 = 18時間が深夜勤務時間となる。
つまり,3日間64時間の勤務の内訳は,通常24+超過22+深夜18 となる。
仮に通常勤務の時給を2000円(相当安いが)とすると, 2000 * 24 + (2000 * 1.25) * 22 + (2000 * 1.25 * 1.25) * 18 = 159250 となる。
一方,これを通常勤務のみでこなすとすると,64時間で, 2000 * 64 = 128000 となる。差し引きは31250円である。
もちろん完成までには徹夜するより時間がかかり,3日間徹夜の場合月曜の朝9時に始めれば木曜の朝9時には「すげーもん」ができているが,通常勤務のみだと64時間=8日間で,土日休むとして,月曜朝9時に始めると翌週水曜の午後6時に「すげーもん」ができることになる。 ちなみにどちらも「すげーもん」ができることに違いはない。
こうなると問題は,「約6日間早い完成」に「31250円」の価値があるかどうかになる。
「31250円? 意外と安いね」と思うかもしれないが,率にすれば約24%増し。約6日待てばその31250円=24%の追加費用を支払わずに,同じ「すげーもん」が手に入るのだ。
したがって,何らかの理由,例えば納期が迫っているとか,ライバル企業の新製品発表に先んじる必要がある(これとて本当にそれに価値があるのかどうか疑わしい)とかがないと「31250円」の支払いに妥当性はなく,株主に対する責任の観点からは厳密に言うと背任にさえなる。そもそも「納期が迫っている」というのが3日間徹夜の理由だとしたら,それが働く側の「自発的」な労働であるかどうかは極めて疑わしい。
そもそも上の話では1人で3日間徹夜する作業を想定しているが,複数人で3日間徹夜しないと「すげーもん」ができないのなら,上積み費用は 31250円 * 人数分 になる。あるいは本当にそれが1人で3日間の徹夜でできるものなら,3人アサインして3日間通常勤務すれば,上積み費用を払うことなく,しかもより早く(月曜朝9時に始めて水曜日の午後5時には)同じ「すげーもん」を手に入れられることになる。
(上の話にはもっと無理な仮定もある。それは「徹夜で働き続けても睡眠含む休息を十分に取った場合と同じ生産性が維持できる」という仮定だ。しかしそれはまた別の話なのでここでは敢えて触れない)
長々と書いてきたが,要するに何が言いたいかというと,被雇用者には「自発的」に長時間労働をする権利などない,ということだ。何にいくらコストをかけるかは経営側の専権事項である。
8営業日の通常勤務で作れるものを3日間徹夜して作るのは良く言って「被雇用者の自己満足」であり,普通に考えると「ただコストを増やしているだけの愚行」に過ぎないのだ。
いや「納期に間に合わせる」とかあるだろう,と言う反論が出てくるかもしれないので再度書くが,それはもはや「自発的」とは言えない。
元増田は抜け穴を探そうとするだろうからついでに書いておくが,「納期までに少しでもいいものにする」ために「自発的に」3日間徹夜をし,経営側もその分の採算の悪化を妥当とみなすケースはあり得る。
しかしそれが採算を少しでも悪化させるなら,株主に対する背任になりうることに留意すべきだろう。極論すると,株式会社においては,たとえ鉛筆1本でも,それが無意味なコストであれば,原則的には「背任」になる(もちろん可罰性があるかどうかは別問題)。
(だいたいその「納期までに少しでもいいものにする」努力自体 http://monthly-shota.hatenablog.com/entry/2016/10/20/214026 にある通り「もっとくだらなくて、どうでもいい仕事」であることが多いのだが,これもまた別の話になるので,これ以上は触れない)
結論としては,元増田がどうしても「3日間徹夜してがんばったらすげーもんができた!」という自由を欲するのならば,自分が経営者になるしかない。ブコメに「経営者になれ」とか「事業主になれ」とか「フリーになれ」とあるのはそういう意味。
ただ経営者になったとしても,他人に「3日間徹夜」を強制する権利はないよ。
こんなの書いても元増田は考えを変えないだろうとは思う。
ぐだぐだと長時間労働強いるような「頑張る」方向でなく、イノベーション起こす方向で「頑張る」ならいいよ。長時間労働のどこにイノベーションがあるんだ?
老害の固まりみたいな会社にしがみついて、世界市場では戦えないような無価値な企業を、サービス残業という人権的にアウトなダンピング行為で仕入れた労働力でなんとか生き延びさせる…という行為自体が、日本全体からイノベーションやその機会を奪っている元凶だよ。日本に今いる多くのプレイヤー(企業)が、世界標準に適合するように自ら進化/変化するかあるいは退場するかしてくれないと、日本の社会自体がますます世界では通用しない社会になっていく。「沈む沈むって企業の話じゃねえ」とか言ってる元増田は、なぜ自分の話が「企業の話」と取られるかという、そこのところが全然分かってない。遅れた企業などさっさと沈めて市場から消えてもらわないと、日本が沈む。そして長時間労働は、前者に取って益があり後者にとっては益がない話なんだよ。
長時間ダイスキーの人たちはなんか勘違いしてるけど、広告業界や官僚の長時間労働ってぶっちゃけ何の意味もないんだよね。
個人が長時間労働して利益を増やしてくれるのは特定の企業にとっては労働生産性が高い、ということになるけど、日本経済全体にとっては市場内での利益をどこが取るか、という競争でしかないので日本国から見れば労働生産性が低すぎてゴキブリ並にいらないんだよね。
官僚も統計の精査や政治家答弁ばかりに忙しい忙しい言ってるのはただのジコマンなの。
国に奉仕した気分でおしんかよってくらい苦労に酔ってるだけのイタイ連中だって気づかないのはヤバい。
なぜ規制するかというと健康のためにもならんし社会にとっても害だから。
どこででもタバコを吸いたいんだ自由をよこせ、と言ってるニコチン脳喫煙者と同レベル。
タバコを吸いたいって言っても規制する理由があるから規制される、長時間残業もそれとおなじ。
蛇足だけど、希望する業界・職種で長時間労働が慣行としてあるから向いてなかった、って、希望する業界や職種には向いている可能性があるのに長時間労働やパワハラ・セクハラで潰すのを正当化してしまうってちょっと頭おかしいよね。
http://anond.hatelabo.jp/20161018125858
「なんか、まさにいま沈没していってる船の上で「定時過ぎたんでー」とか言ってるアホなバイト船員みたいでほんと滑稽。」「ここでの“船”とは、日本国全体のことを指している」「「長時間労働をすれば船は沈まない」などとは一言も言ってないのです。」「「あんたらのその言い方だと、頑張ろうとしてる人間の足を無駄に引っ張るんじゃないの」と言っている。」
主張に一貫性がないのもまるわかりだし、
「「労働が長時間かどうか」なんてのは問題の核心ではない」とかいうのも国にとって人的資源の毀損や健康面での悪影響の観点からマイナスなので政府が長時間労働を規制しようね、という話をまったく知らない世間知らずのバカである証明だし、「「3日間徹夜してがんばったらすげーもんができた!」っていうのをわざわざ潰す必要はないじゃん。」もダンピング規制と同様だし、「「それをやられるとこっちがバツが悪い」とか言うやつに合わせなきゃならない社会」はタバコをどこでも吸えるようにしろと叫んでる社会的コストを理解していないニコチン脳と一緒。
文字通り大規模案件に人を派遣するのだが、派遣の仕方がブラック過ぎるのだ。
というわけで、まあ都内だったらどこにでもありそうな弱小IT系だ。
そしてタイトルにも書いた通り、こういうブラックな部署が社内で最も数字を稼いでいるのだから始末に負えない。
「ブラックは人をダンピングしているから強い」の一番身近な例だったり。
そして儲かっていることもあり、心ある人が「それで辛い思いをするのはあなたの可愛い部下なんですよ?それどう思ってるんですか?」と働きかけても、改める気配は全く無い。
勿論、送り込まれた社員が潰れ辞めてしまうのはしょっちゅうである。
お陰で、その部署のリーダー格(つまり生き残り組)は全員リーダー失格な奴しかいないというか、そもそもリーダーとしての自覚が皆無だし、じゃあ技術はあるかというと、丸投げだけが得意の元コボラーみたいなジジィばかりである。
大規模SIは基本的に評判悪いけど、俺は本当にこういう業種そのものが無くなってしまうことを切に願っている。
何しろ、ウチのクソな社内事情に加え、決められない大手、人を詰めるしか能のない大手の子会社、極めつけは非協力的な客まで、大抵漏れなくセットでついてくるのだ。
なんなのこの業界。
阪口代表幹事は、「住民訴訟に至る前の住民監査請求では委託料10万円が適正としていたが、デザイナーの方の意見も参考にして、訴訟では30万円に引き上げた」と話している。
「デザイナーの方の意見」が実際どういう内容だったのかは書かれてないから
「参考」がどの程度の参考なのかはうかがい知れないけどね。
10万と思ってたけど100万が妥当と言われてちょっとだけ上方修正したって、「参考」とは言える。
仮にこの「デザイナーの方の意見」が30万だったとしたら、俺はこのデザイナーも批判するよ。
個人的には、
だから世にはびこるギャラが雀の涙の賞金だけ、みたいな公募はみんなウンコだと思ってるよ。
わかってくれたかな?
「断りゃ仕事が来なくなる」とか「営業が悪い」「下請け末端だからどうしようもない」って、それ会社なのか?
起業して1年2年ならともかく。
さすがにどっかで「状況改善のための意思決定をする」「体質強化のために組織化する」ってことをやんないとダメだろう。
それぞれの事情が厳しいのかもしれないが、
「ダンピングをするブラック企業が悪い」ってのが、「ウチはウマくやってるけど他社みると忍びないね・・・」じゃなく、マジで「他所が悪い、ウチはどうしようもない」で、そのダンピングにつき合ってるなら、それこそその会社もダンピングに飲まれてゾンビ化して全体を地盤沈下させるより、本来は市場から退場すべき企業じゃねーかなと思う。
その会社でないといけない独自性が、価格(長時間労働も含めて)以外にないとするなら、価格競争に巻き込まれて規模の小さい所は、手数勝負、稼働率勝負のブラック起業化していくんだろうな。
ダンピングという言葉については了承。サービス価格を破壊しているぐらいの意味合いで使ってただけなので。
相場より高い金を払うのはその後のサービスの値段もこみだからという意識が客にあれば良いのだけど、結局安い値段でも同じようなサービスを求めるのが客の現状だからなあ。
ダンピングというのは日本語では不当廉売といい、公正取引委員会の定義では継続して採算割れの状態で提供する事を言います。
件の電気屋はこれで十分に利益が出ていてずっと商売やってるから、問題ないかと。ダンピングでは無いね。
買ったエアコンでも、ネット安値より1万円ちょい高く、取り付け工事費が仮にその前のエアコンと同じ8千円だったとすると、2千円程度は高くなってる計算になる。
しっかり取られてるわけね。
メーカ希望価格って実売価格よりかなり高く設定されている。あれって何の意味があるかというと、このような、メーカ希望価格で販売し、追加料金を取らずにサービスも一貫して提供する商売をそもそも念頭に置いて設定されてるんよ。日本ではサービスに対して金を払うという行為が難しいので、こういったやり方でペイできるようになっているというわけ。
「副業すれば月○円でいいよね~」という募集に対して、実際にそれでいいと思えば就業すればよいし安すぎると思えばやめればいい。あるいはマネージャーが言うとおり「嫌ならバイトして足しにすればいい」。当然、一銭にもならない「サービス残業」など拒否で。それは「副業禁止」に反対する理由にはならない。
社会全体で見れば「サービス残業」は、事実上「副業をボランティアで賃金ゼロでやらせる」のと同じなわけ。社会全体での仕事の総量は同じ、でも大半が無賃。こんな労働力ダンピングを野放しにしているから、日本で労働力市場における価格設定が適正に働かない。それより「副業禁止」を禁止して、その分の労働に適正な「価格」をつけさせることが重要。そうすれば、「サービス残業」を強要しようとする会社は「いや、私も生活があるんで…」と、副業したい社員からの抵抗にあい、市場から撤退するか「適正な残業代を支払う」ホワイトなプレイヤーになるしかなくなる。「副業禁止」は、副業する社員だけに有利なのではなく、そのまま普通に働いている社員が、働いた分だけ適正な賃金を得られるようにする上でも非常に有利に働くんだよ。
大事なことなのでもう一度。「サービス残業」は労働力ダンピングであり、健全な市場経済を破壊し、長い目で見れば少子化など私たちの社会そのものすら破壊する行為なのです。
たとえばオリンピック。
ドーピングは、単に「ズル」だからやっちゃダメなのではない。一つには、やる人の体に(将来的に)悪い影響があり、これを認めると「未来の自分から体力を借りてくる競争」になっちゃうから。そういうことを許したら「健全な競争」じゃなくなる。また、ドーピングばっかりやってると、本来の体を鍛える競争でなくて「ばれないようなドーピング開発競争」とかそういう競争になっちゃう。結局、競争に意味がなくなり競争自体がつぶれてしまう。だからやっちゃだめ。OK?
さて「値引き」というのもそれと同じで、卸が利益を得られないような極端な値引きをしたらどうなるか? 当然、そこまで値引きできない小さい会社は値引き競争から撤退することになる。会社もつぶれてしまうかもしれない。そうして、利益を得られない値引きをする会社は市場を独占し、最終的に利益を独占することで、最初の値引きでの損を回収することができる。これ、「つぶれる小さい会社」にとっても「最終的には値上げされるあなた」にとってもよくないね? そもそも健全な競争とは言えないよね。だから、後先考えないで値段を引くことは市場を破壊する行為として、ルールで禁止されてる。みんなの利益にならないからね。
このような、利益がでない不当な値引きを「ダンピング」と言います。高校の公民で習っているはずなので、知識を現実に合わせてアップデートしましょう。
気が晴れない時におすすめです。
例えば
xevra 馬鹿か、叩いた方が面白いからみんなで叩いてるだけ。馬鹿で生意気な狸が火のついた薪を背負って登場したからみんなで油かけまくって遊んでいたんじゃないか。どんどん燃え上がるから楽しくて皆でもっとかけたんだよ
という感じで主張していきましょう。
3. それでも気が収まらないときは相手をうつにするテクニックを交えてコメントするといいでしょう。
例えばこんな感じです。
xevra 仕事ができない人はメンヘル。メンヘルを追い込んでも病状を悪化させるだけなので逆効果。仕事ができない人は病院へ送って心の在り方から丁寧に再構築させないと本人も周りも不幸になる。心の病気の人が多すぎる
xevra 悪口を言うような奴はメンヘル。批判するのであれば社会が良くなるための視点と代案が必須。それがなく単に溜飲を下げたいだけの罵声はメンヘルの症状。メンヘルの罵声はスルーするより他ない。
xevra ブラック社員はブラックの共犯者。労働力のダンピングで真面目な人や会社を追い込む犯罪者だという視点が欠けてる。迷惑だから即刻辞めろ、やめさせろ
xevra ホームレス、ニート、ブロガーは社会の三大底辺で人間のクズ。折角人間に生まれてきてなぜブロガーになどなるのか。恐ろしい恐ろしい
それに はてなスターが付けば自己顕示欲も満たされ「自分は正論を言った」と思い込める勘違いもできて一石二鳥です。
自分のコメントで人気になれば説得力も増します。はてなスターが貰いやすくなってさらに自己顕示欲や自信を満たせます。
ちなみにxevraという人は瞑想を薦めていることで有名で、
に対して はてなスターを付けて本人は「ホント」と答えていますが、
「メンヘルを追い込んでも病状を悪化させるだけ」とわかっていながら辛辣なコメントを当人にしたり、
「批判するのであれば社会が良くなるための視点と代案が必須」と言いながらレッテル貼りなコメントで終わったり、
わかってていてもやってないし。瞑想もたぶん口だけなんでしょうね。
イライラしてコメントを書き込むぐらいなら自分で推してる瞑想をして頭冷やせばいいのにと思います。
たぶんしてないでしょうね。
あとxevraっていう人は運動も推していましたが、運動というのはたぶんSEXのことなんだろうと思います。
あと瞑想と運動のほかに はてブコメントやブログでもそういうような考えを発信していて、
なんて言っていますが、
やらないで良いのにやるのは「余計」かつ「エゴ」だろうと思います。それならまだやらない方がマシです。迷惑です。
「周りの人から良く思われないのではないか?」と思われるかもしれませんが、
こうやればいいのです。
xevra ズィヴラ゛ と、読んでね(´ω`*)
こんな風にかわいい顔文字をたまに使うコメントをしていけば問題ありません。
xevraという人は時々顔文字を使いますが、あれは人当たりがいいと周りの人に思われるためで
「普段 はてブコメントで厳しいことを言ってるけど本当は優しい人なんだな」と、
ああやって人柄を誤魔化すことができます。
致死量の毒を混ぜてるんですけどね。
たまに はてブコメントで記事についてや書いた人を褒めたりしていますが、あれも似たようなようなことで
アメとムチとかツンデレというのは、
時折厳しくて、時折優しいというイメージがあるが、
19回厳しく接して、1回だけ優しいというパターンだという。
あとはずっとムチという状況が最もアクティブに動く。
しかし後ほど解剖をしてみると、
つまり、たまに優しくされる人程、
身体的ストレスがあるのに本人は幸せと思い込んでしまっているという。
https:www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=654918807858541&id=654870034530085
まあ、このことがバレなければ自分に付いて来る人が出てくるでしょう。
以上の書いた方法を実践して自分がメンヘルにならないようにしましょう。
それでも「瞑想のほうが効果ある」と反論意見がある方はまず自分が瞑想をやっていることがわかるように証明してから反論してください。
それ以外は反論を受け付けません。
あと、この記事に書いた方法をやり続けると将来はボケやすくなると言われていますけどね。
http://www.asahi.com/articles/ASJ7663TXJ76UTQP026.html
ブコメ読んで気になったので持論を整理した.
ボランティアの本質は志願者の自主性であり,募集者と応募者の契約だと考える.従って,どんなに条件が厳しく,かつ無償のボランティアの募集をしたとしても,その募集に違法性がなく,かつ自主的に応募する者がいる限り外野が何かを言うことは基本的に意味がない.
また,募集者側が一方的に莫大な利益を得て,応募者に配分されなかったとしても,契約が成り立っている以上そのことを批判するのは筋が通らない(納得できないのであれば応募しなければいいため).
従って,他者に対してボランティアすることを指示したり,強制したりすること,及びボランティア精神が足りないと嘯くことは原義に反する.
そのような場合は「無償労働」「奉仕」「奉公」のようなより適切な表現をすることが望ましい.
同時に,オリンピックのような大規模かつ成功させることが必須となるイベントにおいては,国民のボランティア精神のような曖昧なものに頼るのことはそもそもおかしい.
仮に無償ボランティアであることを押し切った結果人材不足となりイベントが失敗に終わったとしても,その責任は全て運営者に帰するものであり,ボランティアを呼びかけられた側に一切の非はない.
生活がかかっておらず,時間に余裕がある学生によく見受けられるが,無償あるいは格安でいいから働きたいという人がいることがその関連分野の衰退に繋がるということがボランティアに限らず考えられる.
これはある意味ではダンピングであり,「他の人は同じことをもっと安くやったのになぜやってくれないのか」という一部のクライアントが常用するロジックに繋がっていく.
そのような意味では,労働に対しては(正当な)報酬が支払われるべきという資本主義の原則に則り,募集者,及び応募者を批判することは正当である.
報酬を支払うということは労働に対して責任を負わせ,報酬を貰うということは労働に対して責任を負うことである.
応募者の精神という比較的曖昧なものに則った無償ボランティアは必然的に責任の所在が曖昧になるため,追加労働や契約履行等の「お願い」は出来ても「強制」は困難である.
そのようなリスクを回避したい場合,そもそも無償ボランティアに頼るべきではない.
法に従っており,募集に対し自主性をもって応募者が契約を結んでいる限り,根本的にはそのことに対し何かを言うことは意味がない.
しかし,その契約が応募者の見込み違いや錯誤によるものだとすれば,外部のものが応募者に対し制止の助言をすることはそうおかしいことではない.
直感的に言えば,奴隷募集に対し自主的に応募した応募者に対し,本当に奴隷になっていいのか,奴隷を甘く考えていないか,あるいはBのような関連分野に対する影響を指摘することはできる.
冒頭の朝日新聞のような場においては「そもそも、ボランティアとは、社会のために自ら進んで、無償で働くもの。」と言われることが多く,日本においても大多数の認識はその通りであると考えられる.
しかし,非営利団体が営利を目的としなければ金銭のやり取りをしていいように,自主性という原則さえ守られていれば,交通費,宿泊費といった実費のやり取りをすることや,最低限の報酬を支払うことも立派なボランティアであると考えられる.
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
これを効率よく、安定して、かつ高いクオリティで作り上げるならば2人は欲しい。
もしそれで作り上げた商品で儲けたい場合、かけたコストを考慮してかなり高く売らないと駄目だ。
だが、その値段ではほとんど売れない。
ではどうするか。
方法はいくつかあるが、その商品が安くなれば売れるという確信があるならば、コストを減らすことが一つの解決法だろう。
短絡的だが、2人で作っていたものを1人で作ればコストは大幅に減るわけだ。
……「効率よく、安定して、かつ高いクオリティで作り上げるならば2人は欲しい」んじゃないかって?
当然、今まで2人でやってきたことをそれ1人でやるのだから、かかる負担は大きくなる。
もし負担を減らすならば、効率、安定、品質などを下げる必要があるわけだが、それはしない。
人件費の圧縮が目的だから、2人でやっていたことを1人にやらせたとして、賃金を2倍にしたりだとかもしない。
それでも働こうとする人がいるのかって?
もし、そういう人間がいないなら、企業で育成すればいいじゃないか。
即戦力を求めたい気持ちもあるが、理想の人材を求めるなら企業が率先しないとな。
それで経営が上手くいくかといえば、まあ上手くいっているように見せることはできる。
大抵の場合どこかで綻びが生じてくるだろうけれど。
「それでも働く人がいる」なんて、雇用する側にとってこれほど都合のいいことはないだろう。
もし正当な労働条件で、それに見合った報酬を支払っている企業と、人件費を圧縮している企業が同条件で競合すれば、有利なのは後者だからな。
まあ、労基とかの労働法が邪魔に感じるかもしれないが、あんなもの有名無実だから。
労働力の買い叩きなんて古今東西、国を越えてやってきたことだ。
商品だって労働力が関係しているのだし、それら成果物を買い叩いてよいのなら、労働力だって直接買い叩こうじゃないか。
ただ、最近は労基が思い出したかのように機能し始めているから、目立たないようにしないと厳しいかもしれないな。
長い目で見ればそっちの方が安上がりだ。
機械には労基がないし……ないよな?