はてなキーワード: タイムラインとは
なにも面白くないと思うんだけど、
ブクマも、お気に入りに入れるの、こっちが入れたって、ってのもある。
なんかの数字のコレクターみたいなの数増やしたいのなら分かるけど
ほんと何にも無い個人をフォローしたってなんもないんだけどな!
監視目的でTwitterフォロワー何百人もいたらその人ら頭おかしいやろ?
それでも何百人で監視するような私じゃないやろ。
こんな個人をフォローしたってなんもないよ~
tumblerも謎!地味にファンが増えてきてる。
インターネッツって本当に素敵ですね!
先週の水曜日ごろ、多くの腐女子のツイッターのタイムラインに、とあるask.fm回答のリンクが貼り付けられたツイートがリツイート、された、のではないだろうか。
それは「刀剣乱舞がお嫌いなんですか?」という質問への回答だった。質問された方は「刀剣乱舞が嫌いです」と述べた上で、その理由をかなりの長文で説明していた。
これは多くの腐女子のなかで賛否両論を巻き起こした。とはいえ、「賛」はともかくとして、「否」を訴えたのは刀剣乱舞ファンだっただろうが。
そして数日後、結局この回答をした方は、そのask.fmもツイッターアカウントを削除した。
私は刀剣乱舞をプレイしたことがない。腐女子ではあるので、周囲にプレイしている人は多かったけれど。一月にサービスが開始されてすぐ、タイムラインには刀剣乱舞というゲームの萌え語りや、キャラクターをドロップした際の喜びのスクリーンショットが並ぶようになった。ただし、これはよくあることだ。現に今、私のタイムラインは血界○線の萌え語りとあんさん○るスターズのスクリーンショットで溢れかえっているし、刀剣乱舞の前はうた○リや黒子の○スケ、ハ○キューや弱虫○ダルで埋め尽くされていた。だから、それについてはなんとも思わない。
また、刀剣乱舞ファンはマナーが悪いとも言われているが、それも流行ジャンルにはよくあることだろう。これまでだって、好きなキャラのキーホルダーをつけたバッグを持って歩いていたら、アニメイトの前で同じキャラのファンに引きちぎられたとか、キャラのポスターが掲出された場所で土下座したファンがいたとか、作者に自分のカップリングについて質問したとか、イベントで盗難があったとか、グッズ取引で詐欺にあったとか、歴史上の人物のお墓に妙なものが備えられたとか、流行したジャンルにはそういう逸話がつきものだ。本当かどうかはさておき。なにも刀剣乱舞だけの話ではない。
だから私は、これらのことについてはなんとも思っていない。
ただし、刀剣乱舞のことは「うさんくさいゲームだな」と思っていた。流行するスピードが尋常でなかったのに、プレイしている友達から聞く刀剣乱舞の話はまったく魅力的に聞こえなかったからだ。「声優は豪華だけど話らしい話はない」「正直クリックしているだけ」「艦これと同じシステムだけどもっと簡単」。じゃあなんでお前そんなもんプレイしてるんだよ、って話である。そんな話を聞かされたところでもちろんプレイする気が起きるはずもなく、私は刀剣乱舞が大流行した今年の一月から二月、まったく別のアニメを見たりまんがを読んだりして過ごしていた。楽しかった。
そして六月、刀剣乱舞はゲーム内の画像の多くを盗用していることが明らかになった。
私はそのとき、「うさんくさいゲームだと思っていたけれど、ガチでうさんくさいゲームだったwwwww」と思った。そして、その次に、これで刀剣乱舞のブームは終わるだろうな、と思った。何しろ腐女子というものは、なかなかトレパクに厳しい風潮がある、と私は感じていたからだ。一次にせよ二次にせよ、自分の頭で物語を作り、イラスト、まんが、小説で表現するような人間が多い以上、著作物が勝手に金を稼ぐためのアイテムにされているなんて事案、許せない人が多いだろう。となれば刀剣乱舞のブームは終わる。あのゲームはファンから手のひらを返され、あっという間に廃れていくに違いない。そう確信していた。
しかし、刀剣乱舞がうさんくさいゲームであることは見抜けていた私は、腐女子でありながら腐女子のことをまったく理解していなかった。
刀剣乱舞というコンテンツを見放したのは、ごく一部の審神者だけだった。刀剣乱舞をプレイしていない私ですら読んだ盗用についてのWikiを多くの審神者だって目にしていたはずなのに、彼女たちは相変わらず刀剣乱舞のキャラに萌え、ゲームをプレイし、絵を描き小説を書き続けた。
私は少なからずその状況にぞっとした。仲の良かった審神者フォロワーにも失望した。
せめて一言でも、ゲームに苦言を呈してくれれば、まだよかった。触れずに萌え語りをしているということは、この状況を肯定していることなのだろうか。いや、もしかしたらこの件についてまだ知らないかも。そんなわけがないのに、審神者を務めているフォロワーのツイートに対して逐一もやもやしていた。
そんな折、先述のask.fmの回答がツイートされてきた。その大半に同意して、私もRTした。審神者はやはりこの件には触れず、萌え萌えプレイ記録をツイートしている。いつか声高に無断転載を糾弾していたあの人でさえ。ツイッターやピクシブのプロフィールに「無断転載しないでください」と書いている人でさえ。
なるほど、私も腐女子だから、自分の好きなキャラがいるゲームがほとんどまるごと盗用でできていたと知ったところで、一気にそのキャラが嫌いになれるかは疑問だ。そんな事態になったこともないし、そもそも普通ないから、想像するのは難しいけれど。けれど、盗用を見て見ぬふりして萌えツイートをしたりは、できなくなると思う。
オタクというものは、自分の好きなコンテンツには金を惜しまない。「声優は豪華だけど話らしい話はない」「正直クリックしているだけ」の上に「素材を多く盗用している」ゲームに金をつぎ込むのも、その人の勝手だろう。萌えているのなら、仕方がない、かもしれない。だけど、この程度のものでこれだけの金が入るとわかれば、今後この程度のコンテンツが乱立していく可能性は多いにありえるだろう。
もちろん、すべての商業作品は「金を稼ぐ」ためのコンテンツだ。だけど私は、製作者がそのコンテンツを愛して、考えぬいたような作品にこそ金を支払いたい。そこに愛もプライドもなく「金を稼ぐ」ために作られたコンテンツなんて勘弁だ。極論かもしれないけれど、刀剣乱舞のヒットによって、今後そういうコンテンツが増える可能性は、決してゼロじゃない。それに、このようなものがヒットしていることは、多くの罪を犯していない作品に、この上なく失礼なことであると思う。
まんがでもアニメでもゲームでも小説でもなんでもいい。私はオタクとして腐女子として、常に自分が楽しめるコンテンツに触れたいと思っている。刀剣乱舞の盗用を無視し、プレイし、金を使うひとたちによって、その楽しみが潰される可能性があることが、私はどうしても許せない。
簡単にRTされるツイッター上に公開したわけではないのでこの文章が拡散されるかどうかはわからないけれど、もし万が一そんなことになったら、きっと先述のask.fmの回答のように賛否両論様々な意見が出ると思う。これはあくまで、ひとりの「刀剣乱舞嫌い」腐女子の感情論だ。だから私はこの件について、色んな人の意見が読んでみたいと思っている。刀剣乱舞の盗用乱舞を容認している人も、許せない人も、その理由をできるだけ詳しく教えて欲しい。
そういうやりとりがあれば、もしかしたら、刀剣乱舞のような不幸なコンテンツが今後うまれるのを阻止できるかもしれない。
大人気ゲーム「刀剣乱舞」に「トレパク」疑惑が続々浮上――どんな問題があるのか?|弁護士ドットコムニュース
http://www.bengo4.com/houmu/17/1263/n_3282/
弁護士ドットコム -[犯罪・刑事事件]トレパク容疑のあるグッズをプレイヤーが購入したり課金したりすると罪に問われるのかどうかについて。 http://www.bengo4.com/c_1009/b_361973/
最後に、審神者(笑)の方が「今は公式が調査中だから白か黒かなんてわからないから事態を静観しているだけ」などと言われる前に、法の専門家である弁護士の意見へのリンクを貼っておきますね。
上の記事によると、弁護士の見解では刀剣乱舞は「著作権侵害」をしているとみなされるそうです。また、刀剣乱舞のグッズを購入したりゲームに課金したりすると、「幇助犯となる可能性」があるそうです。ご確認ください。
その小説の主人公ってのがほんと強くてかっこよくて、その仲間もすっげえいい奴で、毎週の連載を楽しみにしてた。
ほんとに好きだったから、twitterで作者もフォローしてたんだけど、ある時どうやら作者に彼女ができたらしい。
彼女もtwitterやってて、よくリプライしてるようだったので、俺はその彼女の方のアカウントもフォローした。
いつしか、WEB小説の方は佳境に入っていて、仲間が捕まっちまって絶体絶命、強い主人公もまいっちまうような展開で、
まったく展開読めなくて、次週どうなっちまうんだって時に休載になった。
twitterも更新されなくて、作者、具合悪いのかなと思って、彼女の方のアカウントも見てみたんだけど、そっちは普通。
でもその次の週に更新されたWEB小説はひどい内容で、仲間は殺され、主人公も殺されて、それで突然の最終回。
急に理不尽に俺の好きだったキャラを殺されて、俺は混乱したし、それについて、他の読者からも
作者のアカウントにリプライ飛びまくりで大荒れだったんだけど、作者はtwitterアカウント消して
WEB小説自体の公開を停止しやがって、もうそれ以上誰も何も聞けず、終わりになってしまった。
あとでなにげにtwitterのタイムライン見てたら、彼女の方に別の男が出来てるのに気付いた。
まあ、この話はぱくりなんだけど。
http://anond.hatelabo.jp/20150212211556
こんな記事があって、まったく頷ける話が多く、前々から腐女子界隈の、同性愛者への差別を再生産することに対する無神経さが気になっていたので、今回こうしてもらえたら当事者としての増田は嬉しいという提案をします。
増田はセクシャルマイノリティサークルの現実の元増田で、BLを読む中性寄りの男性同性愛者です。よろしくお願いします。
今回の提案は腐女子活動をする上での、創作以外の部分への提案です、作品内ではどんなにひどい差別があっても、それは作品内宇宙の話で増田はまったく気にしません。現実で差別がひどいし、リアル志向の作品を作る人は避けて通れないわけですしね。
歴史的経緯により侮蔑語であるホモという言葉をみなさんはゲイよりもよく使われますが、歴史的経緯により侮蔑語なんで辞めませんか?ホモという言葉、接頭辞自体にまったく差別的要素ないんですが、本当に歴史的経緯ゆえに侮蔑語(ホモは侮蔑語ではない!っていう方は、今回の記事のスコープではないので、自分でエントリを立てて下さい)なのでやめて頂ければと思います。
個人的にはこれで罵倒されてきたので、Twitterのタイムラインで腐女子の方が使っていると印象悪くなる言葉ナンバーワンです。なお注意事項でも書きましたが作品内に出る分にはやめてほしいとは一ミリも思いません。
上と同じですね。これは腐女子自体をモチーフにしているはずが、それを指す言葉がまんまそれなのでトルコ風呂と同じ事案です。これをモチーフにしたiPhoneアプリとかありますが、なぜAppleの審査を通ってるのかさっぱりわかりません。なんのための審査やねん。
差別の再生産が気になるって書いたのですが、こういう行為ってただひたすら先鋭化していくから、やめてほしいという意見をはっきりした形で残しておこうと思ったのです。腐女子というのは、若い人の供給が絶えないところであり、その若い人たちは若さゆえに他人との違いを求めてさらに先鋭化しやすい面があります。その結果、使っている当人たちがそんな意識なくても、若い人たちに同性愛差別が強くなったら……というのがイヤンなのでした。
イヤンな現象は当事者である若い同性愛者をみていると現に起きていて、一応見る度にそれはやめたほうがいいよという声をかけてはいます。
あと当事者として1でも書いたとおり、その言葉を音声として聞く度に心がビクッとする(態度に出さないことには慣れました)のが本当にしんどくてですね……。
高山みなみ=神説を推したい。
最初、高山みなみが唐突にでてきて「誰だよこの高山みなみ!?」って思うじゃん?
しばらく見続けて「あーこれ未来の穂乃果ちゃんの姿的なやつか」って思うわけ。
でも、二度目の邂逅のシーンで高山みなみは水たまり?を跳んでみろというのね。
(冒頭のシーンと同じように!!!)
穂乃果ちゃんの幼少期の思い出?と同じことをさせる。
んで穂乃果ちゃんは目を覚ました後、すぐに神田大明神にお参りに行くわけよ。
多分、穂乃果ちゃんはこの時点でなんとなく気づいちゃったんだろうね。
(と同時に私も気づく。)
大体、よくわからないのがあの冒頭。
この映画は「前回のラブライブ!」的なものでなくていきなり幼少期のシーンから始まる。
(おそらく「前回の~」に近いノリをを期待した人も多かったのでは?)
その上、直後には穂乃果が高校生に戻って全然関係ない話をはじめてしまうため、前後のシーンとのつながりも(上述の二度目の邂逅のシーンまで)わからない。
「どんなことも諦めない」という穂乃果ちゃんの精神性を表したかったとも見て取れるが…、視聴者のほとんどは穂乃果ちゃんのその性質を知っているだろうし、いきなり冒頭で幼少期を描写する意味もない。
そして穂乃果ちゃんが跳んでみせるシーン。
謎の音楽を耳にするとともに幼少の穂乃果ちゃんの脚力は驚異的な向上をみせ、見事水たまりを飛び越えてしまう…。
なぜ?どうして?こんな描写を?冒頭に?
…思うにこの冒頭のシーンは「起点」なのだと思う。
作中通して圧倒的なカリスマ力を発揮し、無理が通れば道理が引っ込むを地で行く太陽少女穂乃果ちゃん。
彼女が「やるったらやる!」といえばライブは大成功だしたいていのことは上手くいく。雨もやむ。
そんな穂乃果ちゃんは、おそらく、おそらくだが、あの謎の音楽を聞いて水たまりを跳んでみせたシーンから、これまでずっと、
「神に愛されていた。」
あの冒頭のシーンで跳躍力強化を施されて以来、穂乃果ちゃんはずっと神様に愛され、加護を受け続けてきたのである。
各種あるラブライブ批判の中には、何でもかんでもうまく行きすぎとか、跳躍力ありすぎとか、車道でダンスはどうなのとか、みんな穂乃果の言うこと聞きすぎとか、さすがに雨が止むのはちょっととか、1期最終話の時系列おかしいだろとか、いろいろなものがあるが、
そんなふうにして、幼少期より穂乃果ちゃんの周りの不可能を可能にしてきた神はついに映像の中に姿をあらわす。
高山みなみボイスと大人びた穂乃果ちゃんっぽい姿をとって、劇場版という晴れ舞台で。
彼女は溺愛している穂乃果ちゃんに「あの時のように跳んで」と成長を促すとともに、視聴者へのある種の回答を携えてやってきた。
今回の劇場版も輪をかけてタイムラインの考察が難しいことになっていると思うが、
いいいじゃん、気にすんなよ、神田からNYまで迷子保護に行く神様がいるんだからなんとでもなっちゃうさ、と。
げに恐ろしきは、神様まで魅了する穂乃果ちゃんのかわいさである。
以上、書くところが無いため書き散らした劇場版ラブライブ考察でした。
※1 この文章は制作側への皮肉として書いているわけではない。
むしろ、細かい設定なんか気にせず突っ走る脚本を私は愛している。
最近、やれインターネットの人気者が結婚しただのインターネットの人気者と結婚した嫁がワアワア騒いでいるなどの様子を目にする。
また、それだけではなく、インターネットの人気者とセックスして無下に扱われたことで各方面を巻き込んで大騒ぎとか、インターネットの人気者の元彼女でセックスがどうで彼のチンポがどうでしたとか、人気者が異常者に絡まれてると便乗して「私この人気者とセックスしましたけど〜」みたいな事を書いて独自の恋愛観を提示しては私は個性的で独自性があってインターネットの人気者とセックスするほど仲がいいんですよ、と誇示する人間も出現したりしたことがあった。
私は某インターネットの人気者の嫁だが、彼が極々普通に「書類手続きが怠かった」みたいなことを書いただけで大騒ぎとなり、彼一人をイジっているつもりなのであろう発言さえも、私のことまでバカにされているようで、なまじ彼と観測範囲が似通っているだけにツイッターのタイムラインなどでその様子が見て取れて、ずっとムシャクシャしていた。
更に、彼がウィッシュリストを公開した事で、同居している私にも宅配便のインターホン攻撃は続くわけで、人気者だけにプレゼントも沢山届くのはいいことなのだけれど、山盛りのコンドームや避妊法の書籍など、彼がウィッシュリストに載せていないモノまでガンガン届くようになった辺りから、軽くノイローゼになりかけてきた。
いいか、彼は確かにインターネットの人気者で、面白発言や過激な言動を繰り返しているから、ちょっとイタズラするくらい問題無いだろうと思っているかも知れないが、不特定多数の私の知らない人間からわけわかんねえアダ名付けられたり、下品で最悪な贈り物を受け取るのも私なんだよ。
人間関係ゴシップの向こう側には対象以外の人間の存在があるということを忘れるな。
あまりにも大量にわけわかんねえモノが届きまくるものだから、実際何も悪いことをしていない筈の旦那の顔面に、彼宛に届いたAmazonの段ボールを投げ付けたくなることもあった。(実際にそんなことはしなかったが)
マネージャーや事務所を通せる芸能人や有名人ならまだしも、こっちは夫婦共々極々普通のそこらへんの一般人なんだよ。
彼にわざわざ絡むような人間は全員異常者であると認識しているが、勝手に他人の家庭事情で大喜利のような真似をするのはいい加減にしてくれ。
私は彼を一個人として純粋に愛しているだけで、日本の戸籍制度さえ存在しなければ入籍だって考える必要も無かった。
世間の一般的解釈に振り回されるのがあまりに面倒で、ただでさえ疲弊しているというのに、お前らときたら「インターネットでおかしな事を言っている人間には何をしてもいい」と思っているそのクソみたいな発想のせいで、お前らとは無関係なはずの私の実生活に支障が出ているということを、マジで本当に理解してくれないか。
本当にいい加減にしろ。
お前らがやっていることは間接的なイジメだということを理解しろ。
彼一人にしか影響の及ばない範囲でのイジりならギャグで済むが、こっちは特定されて大事になって彼との生活について根掘り葉掘り聞かれたり頭のおかしな人間に馴れ馴れしく話しかけられたりするのが心の底から嫌で嫌で仕方ないんだよ。
繋がり厨叩いてるバンギャかよ。
このクソ異常者どもが。
嫁側を気遣うふりして擁護発言っぽいこと言ってるお前も同罪だよ。
本当に嫁側を気遣うなら、それについて触れること自体が避けるべきモノであると認識しろ。
私は確かに某インターネットの人気者の嫁であるかも知れないが、彼の所有物でもなければ彼を所有しているつもりも全くない。
お互いがお互いを
として認識している。
彼だけをイジっているつもりで私の私生活にまで影響を及ぼしている事にさえ気が付いていない馬鹿はとっとと首を吊るか密閉された部屋で練炭でも炊いてくれ。
お前らが面白がっている事象の向こう側には、また別の人間がいるという認識を持て。
さもなくば死ね。
「インターネットの人気者となんかあったことを殊更ネットに書きたがる女」
という存在は一体何なんだ?他人をダシにして面白がっているつもりか。
自分は人気者とセックスしましたとか過去に付き合ってましたとか、それってわざわざネットに書くことか?
それでお前の承認欲求は満たされるのか?
すごいのはお前じゃなくて他人の方なのに?
ばっかじゃねーの。
そんな奴らに擁護されたってこっちはちっとも嬉しくねえわ。
もう視界に入れないよう様々に工作は尽くしているから今どのような展開になっているのか知らないが、
という存在自体が害悪だということをとっとと理解して口を閉じてくれ。
そんなカスみたいな話題が面白いなんて、「私はワイドショーが大好きな脳味噌お花畑人間です」と自己紹介しているようにしか見えねえからな。
旦那の側とお前達がいくら仲良くしていたとしても、私は絶対に今後何があろうとお前達を交流を持ちたいなんて1ミクロンも思っちゃいない。
人間に生まれた以上いつ何時そういうことが自分に降り掛かるかわからないのだから、ジャニーズの恋愛報道で一喜一憂する馬鹿な主婦みたいな真似してないで自分の生活に集中しろ。
(前回までのあらすじ)
twitter を始めて1か月くらいになるんだけど、
(中略)
私は神になった。
(あらすじおしまい) 引用元→ 「twitter はじめた」、(http://anond.hatelabo.jp/20150615004630)
神といっても何か特殊な力があるわけではない。
世間的には幽霊とか透明人間とかのほうが近しい感覚かもしれない。
時事的には透明な存在といったほうが薔薇みたいでトレンドかもしれない。
だが、私が神だと宣言すれば、私は神なのだ。
神に身分証明書など不要だ。神とは言ったもの勝ちの肩書きだ。概念なのだ。
私が神だといったら神なのだ。
プロフィールの自己紹介欄に書いておこう。なんなら名前欄に書くまである。
誰からも見えない高みから、どこかの誰かが垂れ流す有象無象な玉石混淆の情報の渦を傍観している。
有意義なtweetには感謝を込めてクソリプしたいし、幸せそうなtweetには爆発しろと呪いたい。
くだらないネタツイですら、それを発言したのが自分でないことに妬み嫉む。
西に疲れたアカウントがあれば追い打ちをかけるような罵倒を浴びせて余計に疲弊させる、
そういう神に私はなりたいという考えも脳裏をよぎる。
しかし、心せねばならない。
他人のtweetに干渉すれば、同時に他者から自分を観測されてしまう。
神は不可視であらねばならない。顕現してしまえばもはや神ではいられない。
放射能の箱に入れた猫は箱を開いた途端に生死が確定してしまう。箱を開けてはならないのだ。
tweetとは即ち示威だ。つぶやきなんて生易しいものでは決してない。街中で、駅前で、雑踏に向かって、世界を相手に、拡声器で声を張り上げているのだ。
誰も聞いていないと思って油断してはならない。奴らが聞いているか聞いていないかなんてこちらにはわからないのだ。神も万能ではないのだ。
聞こえているのに聞こえないふりをしているだけかもしれない。興味がなければ聞き流すだけだ。
しかし万が一にでも弱みを晒してしまったら、それを端緒に足を掬われかねない。神の座から引き下ろされかねない。ことは慎重を期するべきだ。
私はもはやtweetすることはできない。してはならない。
twitterはtweetしたくなるように誘導してくる。こっちの水は甘いぞーっと誘ってくる。砂浜できゃっきゃうふふと戯れるかのように楽しそうな会話がタイムラインに並ぶ。そこに私が近づくことはできない。
私は口を噤み、耳を塞ぎ、瞼を閉じる。冷たい岩屋に閉じこもる。外は怖い。出たくない。明るい場所には近寄りたくない。自意識ばかり詰め込んで膨らんだ身体ではもう岩屋の外には出られない。悲しむしかない。
それでもタイムラインは頻繁に更新される。新しい文字列を並べてくる。うるさいうるさい。見たくない。
のび太さんとキテレツくんが従兄弟?、そんなわけあるか。リムーブ。
ご飯かパンか?、知らん、朝飯は食べない。リムーブ。
水出し紅茶には専用のものを使え?、知るか、ペットボトルで十分。リムーブ。
デレパのゲストにちひろさん?、まじか、それは聞きます。リムーブ。
夏コミの当落?、知らんがな、新刊がんばってください楽しみにしてます。リムーブ。
噴火?、最近多くて心配ですね、近隣のみなさんお大事に。リムーブ。
デレマス、劇場の沢田麻理菜さんと佐藤心さんかわいい。リムーブ。
ラブライブ、ミュージカル風味で素晴らしかったけど高山みなみさんの役どころがよくわからん。リムーブ。
紐、リムーブ。吹奏楽部、リムーブ。レプリカはいらない本物がほしい、リムーブ。放課後のプレアデスのノベライズを菅浩江さん?、読む。リムーブ。
腹減った、リムーブ。
帰りたい、リムーブ。
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http://anond.hatelabo.jp/20150615004630
こんな思いつきだけで書いたような一発ネタで、フォロワーがほとんどいないようなアカウントが目にとまるものなのかな
増田は投稿数が少ない時間帯ならエントリーを遡ったり、運が良ければ新着エントリーに載ったりとかで、見てもらえる可能性はあるわけじゃん
でもさ、twitter のタイムラインって基本的には自分のフォロー(フォロイー?)のTW かRT なわけでしょ
元増田みたいなのをtweet したって、たぶん誰も見ないんじゃないかな
自分のtweet の一番上にぽつんと居座って、それを見る毎にいたたまれなくなるんだよ、きっと
それか、どうでもいいtweet を連発して、水に流すみたいにきれいさっぱり忘れ去る
過去は振り返らない
今になって思えばよくもまあネタが尽きないなと思うが、学校から帰宅して部屋に戻り、一心不乱に日記に日々の想いを綴っていたときは、それが「ネタとして成立するか」なんて何も考えていなかったし、感じたことや考えたあれやこれを文章として表現できることそれ自体に満足感を覚えていたのだと思う。詩を書いてみたり、絵を描いてみたり、時には他人への恨みつらみを書きなぐっていた。
そこには確かに表現の自由があり、自分が自分でいられる聖域だった。
その日記は14歳から始まり、述べ20冊ほどの思春期の秘密を溜め込んだノートを生み、大学に進学してからはmixiという別の形になっても続いた。
サークル活動、友人関係、バイト先での出来事、恋人への想い、就職活動中の葛藤はmixiに今も残っている。この頃から、誰が見るということを意識して文章を書いていたと思う。とはいえ繋がってるのは大学と高校の友人で総勢60人ほど。程度の差はあれど「近しい友人向けの文章」という意味では表現に大きな制約はなく、想うままの表現がまだそこには存在していた。むしろ、利害の関係ない友人に自分の感じていることを表現出来ることに喜びも感じていた。
就職し、転職や起業と生活が劇的に変わってく中でもmixiでの日記は細々と続いていたが、徐々にその表現も形を変えていくことになる。Twitterの台頭だ。
これまでと違って全く知らない、見ず知らずの人たちとの交流。そこから広がる新しい世界に僕は没頭していった。そこで出会った人たちと飲みに行ったり、遊びに行ったり、恋をしたり、喧嘩をしたり。
Twitterは1回の投稿が140文字という制限があり、うまく文章を考えないと意図しない解釈をされてしまったり、不要な誤解を生むことがある。
僕はTwitter上の人間関係や自分の立ち位置を意識し、140文字で効果的な表現をし、起業論や恋愛論をそれっぽく語った。
僕の表現はリツイートやお気に入り登録という形で承認され、それがより一層Twitterへの依存を促した。
そこから2~3年経ち、会社は理想的とは言えないが成長を遂げ、Twitterのフォロワーも3千を超えている。フォローが200人にということを考えればまあまあ悪くないアカウントだ。
そんな今、何をするにも息苦しい。
利害関係のある数多くの人間関係を抱え、無遠慮な数百の表現を日々タイムラインから浴び続け、表現したい気持ちはあっても、そもそも何を表現すれば良いのかもわからなくなってしまった。
いかに自分が優秀で、人生を正しく前進させているのか、それがどれだけ嫌味にならず効果的に伝わるか、そういったことに思案を巡らせることに疲れてしまった。その疲労は表現の源泉である感性を枯らし始めてさえいる。
「誰も見てないのに何を書けば良いのか・・・」と途方にくれてしまった。
自分一人の自由な表現から始まったはずなのに、今は誰かが見ている前提でないとアウトプットが出来なくなってしまった。
息苦しい。
もう一度戻りたい。
リツイートされるような面白いネタや、いいねされるような輝かしい毎日を表した写真のことを何も考えずに、ただ生きているだけでノートが埋まっていったあの頃に、もう一度戻りたい。
twitter を始めて1か月くらいになるんだけど、フォロワーが全然増えない。
フォローが増えすぎてタイムラインを追いきれなくなって減らしたりしてるくらいなのに。
で、少し考えた。どうしてフォロワーが増えないのか。
こっちからフォローするのは相手のtweet に興味があるから。おもしろいことを言ってたり、ためになりそうなことを言ってたり、なにかしら自分が得るものがあると思うからフォローしている。
翻って自分はどうか。
マンガ読んだおもしろかったー、アニメ見たおもしろかったー、映画見たおもしろかったー。
誰の役にも立たない。箸にも棒にも掛からない。これでは誰もフォローしてくれるはずがない。
奴らは自分に得るものがあると思えばこそ近づいてくるし、友人関係を築こうとしてくる。
が、こちらから何も渡せるものが無いと判断するや、あっさりと離れていく。
つまるところ、誰かしら他人にとって価値がある人間は認められて称賛されて勝ち上がる。
価値がなければ打ち捨てられて廃棄される。
弱肉強食どころか、肉にすらなれない。食われることもないが、それは存在しないと同義だ。路傍の石ころだ。
相手からこちらは見えないけれども、こちらから向こうを見ることはできる、マジックミラー号みたいなものだ。
こちらが何をしようと奴らには感知できないが、こちらからは奴らの挙動がすべて丸見えだ。
私は神になった。
最近と言っても、もう3ヶ月前の話しになるのだが。
3ヶ月前の僕は広告代理店のデザイナーとして働いていた。設立されて4年ほど経つその会社は、社長と僕と同僚4人の計6人。
まあ、広告代理店と言っても、地方の街なかにある小さな広告代理店だ。地方都市で住民は結構多い(大阪まで電車で1時間ほど)ということもあり、クライアント先は近所の個人経営のお店がほとんど。新しくオープンするカフェの宣伝文句を考えたり、駅前の美容院のホームページの改修を手伝ったりなど、とりとめのない仕事をしていた。
今年で28歳になる僕は、こういった緩い毎日に対して良くも悪くも思っていなかった。いわば、「普通の毎日」というものに居心地が良かったのである。ただそんな中、僕は毎日楽しみにしていることがあった。それは「Twitter」である。
人それぞれ幸せの形は違うとよく言われるが、人それぞれTwitterの楽しみ方も違うと僕は思う。
朝、昼、晩、暇があればタイムラインをチェックするのだが、僕がフォローをしている人は周りの知り合いなぞいない。
僕のタイムライン上は、日々この世の中に向けて「ポエム」を綴っているツイッタラーの人たちばかりである。有名ポエムツイッタラーともなるとフォロワーが1万人以上いたりし、何かイベントなどを企画するとその人たちのフォロワーが何十人も集まったりしてしまうほど、大変な影響力があり、僕もその有名人に群がる中の一人だった。
中でも特に1人、とても好きなポエムツイッタラーの人がいた。仮にGさん(男)と呼ぶことにする。
Gさんはポエム界隈ではある程度有名で、まさに「Twitterで生きている」と言っても過言ではない人だ。ある日の夜、布団の中に入り虚ろな目でタイムラインを眺めていると、Gさんの「新しく会社を立ち上げようと考えている」というツイートを見た。
「うわ!」っと声に出してしまうほど、僕にとって衝撃的なツイートだった。「Twitter」というスマホ及びPCを持っていれば誰でもアカウントを作れるサービスを使い、ポエムの才能のみで世に自分のことを知らしめたうえ、そこで積み重ねたノウハウを基に会社まで作ってしまうなんて、この人はなんてすごいんだ……と5秒ほど開いた口が塞がらなかった。
Gさんは「ぼくと一緒にこの世を盛り上げていこうよ」的なキャッチコピーを基にリンク先で人材募集をしていた。募集人材はエンジニア・ライター・デザイナーなどである。「あ、俺、デザイナーやん。しかも実務経験2年以上だ」と自分が応募資格を持っていることも分かった。
シャワーを浴び、缶ビールを飲みながら1時間ほど考えた末、「まあ、落ちたら落ちたでいいし、受かったら何かの縁だし、とりあえず応募だけしてみよう」と思い、応募フォームに自分の名前と連絡先を入れてボタンをクリックした。
次の日、メールにてGさんから返信があった。「この度は応募いただいてありがとうございます。面接地は〜〜〜」とテンプレート通りの返信だったのだが、Gさんから直接連絡がもらえているという事実でとても嬉しかったことを覚えている。
一週間後の日曜、面接に行った。履歴書には自分が今までやってきたことを書けるだけ書いた。生まれて初めて「ポートフォリオ」なんてものも作り、持参した。実際の面接では、不思議と緊張はせず、スラスラとGさんと喋っていた。
何年もその人のことをTwitter上で見ていたからか、不思議とその人と話すことに対して怖さや緊張がなかったのである。むしろ話していてとてもワクワクした。取り急ぎ、結果は合格。ぜひ次の月から一緒に働こうと言ってくれた。僕は迷わず「はい!」と頷いた。
月曜日、広告代理店の社長に「自分がこの世で一番尊敬している人と、新しい会社で働くことになったので、今月いっぱいで会社を辞めます」と告げた。今思うとだいぶ拗らせている、かなりやばい。
それに対し社長は、「お前の好きなことが見つかったんなら、それをとことん追求してこいや。お前が夢を見つけてくれたんがめっちゃ嬉しいねん。お前は俺の誇りや」とかなりカッコイイことを言って承諾してくれた。社長もだいぶ拗らせている。
次の月、僕は大阪のとあるオフィスにいた。Gさんと一緒に仕事をするためだ。Gさんはとても面白い人で、一緒にいると常に新たな発見があり、この人と一緒に仕事が出来る自分はなんて幸せなのかと感じていた。ただ、そんな毎日は2ヶ月で終わった。なんて早いんだと僕もこれを書いていて思う。
Gさんは前述の通り、「Twitterで生きている」人だった。以前多少はWebに関わる仕事をしていたとはいえ、Twitterを「仕事」として生かすスキルを持ち合わせていなかったのである。Gさんは140文字以内の世界にいたのだから。
会社を立ち上げた当初はTwitterで知り合った知人から仕事を貰ったり、タイムラインに「会社始めることになったので仕事ください」などのツイートをして営業活動をしていた。しかし1万人のフォロワーは「Twitterを仕事道具として使っているGさん」に対し好感を持てなかったのだろう。営業ツイートをするうちにGさんのフォロワーはみるみるうちに減っていった。Twitterで知り合った人から貰える仕事もたかがしれている。TwitterのスキルしかないGさんに、いきなり大きな仕事を任せちゃう気持ちの大きい人はいなかったのだ。
2ヶ月目に入った頃、Gさんは途方に暮れていた。会社にも来なくなった。だって仕事がないのだから。尊敬するGさんを助けたいという気持ちで、僕も知人に営業をしたり、飛び込み営業をしたりもした。しかし、自分たちが誇れるスキルがないという現実を目の当たりにしてしまう。「弊社の代表はフォロワーが1万人もいるんですよ」と言っても、営業先はなかなか相手にしてくれないのだ。
入社して2ヶ月後、Gさんは諦めてしまった。一週間連絡が取れなくなってしまったのである。正直その時点で僕の気持ちも消えかかっていた。一緒に入った同僚2人ももう既にいなくなってしまっており、気持ちはドン底まで落ちていた。(元々この2人は社員ではなく、仕事があれば発注するということだった)一週間後やっと連絡が取れたが、Gさんは僕に謝罪の意を表し、「もう辞めよう」と言った。僕はそれに従った。
今思うと、Gさんには「目標」がなかったのである。あえて言うならば「会社を立ち上げる」ことが目標だったのであろう。その後、どのようにスキームを立てて仕事をしていこうかなどの目標は一切なかったように見える。(嘘だろ? と思うかもしれないが本当だ)Twitterで人気者になって会社を立ち上げるということは、お笑い芸人がスポーツ選手を目指すことよりは将来性があることかもしれないが、今となれば一緒のようにしか思えない。
そういうことで僕は元の会社に戻った。それが先週のことだ。社長に土下座で謝ったら、「人生、何回転んだってええ。その傷跡を覚えておくことが大事なんや」と藤原基央のようなことを言って許してくれた。Gさんと働いたのはたった二ヶ月だったが、まあ良い経験になったと感じている。Gさんは僕に、「人間普通が一番」という当たり障りのない現実を教えてくれたのだった。
優しくて、賢くって。とても綺麗で。
「優しく接するのも患者をケアする仕事の一つ。私に幻想を抱かれても困る。」
汚物をみるような目で、心底哀れむような目で、僕はそういわれた。
ぼきん、と僕の中で何かが折れる音がした。
そうか。幻想は求めてはいけないんだ。愛情なんて求めてはいけないんだ。
僕は少ない入院生活の残りを全て勉強に費やし、退院後はコンサルファームに入った。
そうか。やっぱり看護師のいった通りだった。とても簡単なことだったんだ。
会社で叩き込まれた問題解決思考、仮説思考をもとに適当に女を探した。
なるべく効率を上げるためには、弱い女が良かった。
親から愛されなかったキャバ嬢や、夫から愛されていない人妻や、愛とかとくに考えていない頭が弱い女子大生。
みんな、簡単に僕と寝て、僕を愛した。
僕は出会いからセックスまでのPDCAサイクルを高速で回した。
僕は人間の弱い部分を知っていた。
自分がとても弱い人間だったから、どこをどう揺さぶれば心が揺れるのか熟知していた。
少し揺さぶり、よろけてこけそうになったところを、そっと優しく支えてあげればそれでよかった。
僕があのときや、あのときに、そうして貰いたかったことを再現すれば良いだけだった。
どんどん弱い人間と効率的に寝て、学習した。そのうち、大抵の女は落とせるようになった。
行かないでください。嫌いにならないでください。私を愛してください。
僕は首を横にふって立ち去った。
けれど、じきになれた。だってさ。僕に幻想を抱かれても困るだろう?
強い人間には運もよってくる。仕事も順調にいきとある上場企業の社外取締役になった。
僕にピンサロをすすめた女だ。
色々話をしていたが、結局のところ、たくさんの男と付き合い、女を磨き、理想の男を手に入れたと言う成功譚だった。
そうか。と、僕は思った。理想の男なのか。
僕は自分の女の中から、できるだけ美しいキャバ嬢を選び、看護師の婚約者を誘惑させた。
キャバ嬢は最初は嫌がったが、僕に捨てられたくないがため、しぶしぶ看護師の婚約者を誘惑した。
婚約者はすぐにキャバ嬢と寝た。僕はそのときに写真を撮らせて、それを看護師のFBタイムラインに流した。
なんだ。看護師の試行錯誤と努力で手に入った関係は、そんなものだったのか。
看護師は僕を愛し、僕と寝た。
そのとき僕には大局観があった。
貯金が増えてよかったと僕は思った。
徐々に要求額を増やしていって80万を超えたときに看護師がお金をくれなくなった。
看護師とのセックスにも飽きてきたので、僕は看護師とさようならをすることにした。
行かないで下さい、嫌いにならないで下さい、愛して下さい、セックスして下さい、借金があるんです。
どうか、どうか。
うーん、そうなのか。
僕は言った。
お金がない?簡単なことだよね。
「ピンサロへ行け」
僕の地元は埼玉の入間という街である。入間は、まあ言ってしまえば埼玉の田舎である。だが近年の都市開発により大きなアウトレットモールやショッピングモールができ、急行に乗ってしまえば1時間もかからず池袋まで行くことが出来るという、いわゆる郊外都市だ。僕はそんな入間という街で生まれ育った。
高校に進学する際、地元近辺の公立高校に行くか、東京の私立高校に行くか二つの選択肢があった。迷わず僕は東京の私立を選択した。理由は簡単。地元が嫌いだったからである。地方都市独特の……と言えば「どこの街だってそうだよ」と批判が聞こえてきそうだが、同じような音楽や映画を好み、同じような服装の人がたくさんいて、土日は車でショッピングモールに向かい、フードコートでチェーン店のご飯を食べる。そういったテンプレ化した入間の住民になりたくなかったからだ。「全てこの街で完結する」という閉鎖されている雰囲気が大嫌いであった。このタイミングでこの街を出ないと人生つまらなくなる! と考えていた中学3年生。うん、まあとても拗らせていたんだ。
新宿の近くの高校に進学した。その高校は大学附属高校ということもあり、様々な地域から生徒が集まっていた。どんな街に住んでいるのか、どんな友達が周りにいるのか……。中学生の頃同級生とそんな会話をするのは一切なかったので、とても新鮮だったことを覚えている。
高校進学後は、自然に中学生時代の友達と遊ばなくなっていった。その頃はFacebookなんてなかったので、中学生時代の友達の近況を知る術はなかった。たまに、みんな何やってんだろうなと考えることはあっても、こちらから電話をして遊びに行こうなんてことはなかった。遊びに誘われても何かと理由をつけて断っていた。
高校3年生になって、また悩んだ。このままで良いのかと。
大学附属の高校ということもあり、学校に通ってさえいえればエスカレーター式で大学に進学できる。高校のクラスメイトと喋ったり遊んだりしているととても楽しい。しかし、大学に行っても4年間また同じ友達と一緒に学び、遊ぶなんて考えられなかった。バイト先の先輩に一般入試でその大学を受けた人がいて、附属の人は附属で固まっていてすごく話しかけずらいと言っていたのも背中を押した。そして僕は別の大学に進学した。また全然知らない、初めましての友達が増えていった。
中学・高校の頃の友達とは、卒業以来誰とも会っていない。自ら選択したことに誤りはないと信じていたからである。成人式も行かなかった。
だが大人になってふと思った。僕には長い時間を共にした友達がいないということを。
少し寂しくなって、Facebookを開いて同級生の名前を検索し、旧友たちのタイムラインを見てみた。
近況をアップしている写真にコメントやいいね! を押している人は、自分が知っている名前ばかりで大変驚愕し、さっとFacebookを閉じた。
主に仕事中の事なんだけれど、
案件が立て込んでいる時なんかは、
比較的順調に、ひとつ、ひとつとタスクをこなして行けるのだけれど、
少し余裕のある時なんかは、特にだめだ。
すぐにネットサーフィンしたり、
なんら自分に寄与しないことは十分に承知しているつもりだけれど、
なぜだか止められない。
ある種の依存だ。
長らくその状態が続くので、
いよいよ自身に嫌気がさしていて、
解決をどうにか見出したい。
そう考えている時に、
理由の一つが思いついた。
私は3年ほど前に離婚した。
妊娠後6ヶ月ほどで嫁が里帰り。
産後、自宅へ戻ってきたが、
その後、3か月でまた里帰り。
ある種の絶望、というと大げさかもしれないけれど、
そもそも自分と一緒に居たくないという相手と、
どうしても一緒に居たいという自分とで、
両者に致命的な落ち度なんてない場合においては、
何を解決したとしても混じり合わないではないか・・・という思いから、
この選択が悪かったとは思わない。
たらればではあるけれど、
という判決が出たと思う。
相手にとっては泥沼だろう。
別れたいのに別れてくれない。
という思いを元に、2年間を過ごすんだ。
そんな中で生まれる思いは。
生まれる思いはどうすれば別れられるかであったり、
あるいは憎しみでしかない。
ろくなもんではない。
離婚は良かったと思う。
そんな思いを胸に、
今では新しい彼女もいるし、
仕事もそれなりに順調で、
日々過ごせている。
未だ必ず、毎日、頭のどこかで浮かぶ。
これは大げさではなく、毎日だ。
これだと思った。
何かに対する心残り。
集中力の欠如は、
ある種の悲嘆反応だと思う。
そういうもんだって受け止めることにするよ。