はてなキーワード: タイムラインとは
http://twitter.com/mememememiti/status/577507216137175040
久谷女子さんこんなん言うて脅してくるからやっぱり反省なんかしとらんみたいやね
強気でいこうってなったみたいやね https://pic.twitter.com/Ar6jhnVkcZ
もし、その久谷メンバーのタイムラインが、あなたを根拠なく誹謗中傷した同人誌久谷女子便り第9号を証拠として転載する事への牽制や脅しと勘ぐっているなら、ひとまず深呼吸して、それは出版各社のtwitterアカウントが相次いで雑誌の無断転載についてツイートしたことに反応しただけ、と見るくらいにしておいたほうがいいと思う。つらいとは思うけど。句読点ないツイートする人たちを見ると心配してしまいます。
この人このまま、ひとりで戦って、大手メディア関係者の集団である久谷女子と、それらと利益供与関係を持つ、いつもだったら揉め事には真っ先に飛びつくようなメディア業界人たちにも黙殺されてジワジワと精神的に殺されそうだな。
寝るか、瞑想してリラックスしたほうがいい。まぁ、リラックスしないと瞑想できないんだけどさ。瞑想は簡単。単純に言うと、瞑想は深呼吸。深呼吸を数分間する。ストレッチしながらやると飽きないし気持ち良い。短くてもいいから、疲れてる奴らは毎日するべき。小一時間、呼吸以外のことは忘れるんだ。
BOTとかは別にして、論旨の一貫性が無い、文意がいまいち不明なツイートをしているアカウントを、ツイッターの自分のタイムラインで見かけることがある。
連続してるツイートの一部だけに反応して、脊髄反射的なトンチンカンなリプライを投げてくるのは、誤読の可能性もあるだろうからこちらとしては放置してる。
困ってるのは、表題にも書いてるような「巻き込みリプライ」をよくやる特定フォロワーのせいで、なぜか自分までブロックされると思われる例が、ここ半年は多発してる事だ。
具体的には、
↓
↓
そのフォロワーが自分のアカウント込みで(ややトンチンカンな内容の)巻き込みリプライをRT先に投げる
↓
自分とそのフォロワー両方(恐らく)がRT先からブロックされる、
というパターン。
この場合、もうハッキリと「あなたの巻き込みリプライのせいで、こちらまで迷惑をこうむっています」と宣言して、そのフォロワーをブロックするしかないのか?
http://anond.hatelabo.jp/20150211212201
App Storeのレビューが極端に低く、最初サードパーティ製アプリかと疑いました。低評価の大部分は管理(質問が消されたなど)やユーザーに対するもので、アプリの品質に関してのものは少ないようです
アプリはLINEと同じようにシンプルで良いデザインですが、かなりGoogle+のアプリに似ているなと思いました。購読したジャンル(購読情報はプロフィールで公開されます)に寄せられた質問がタイムライン形式で流れます
んで中身ですが、まあ小中学生ならこんなものかなあと言う印象です。特に酷いとは感じません。小中学生が皆マトモなら少年法なんていりませんしね、色々馬鹿なことをやって成長していくもんです
「官邸前で後藤さんを救う為に声を上げる」というタイムラインが流れてて、あいにく同じ時間には家の都合で東京の真逆に行くはずだったのでさほど情報の信憑性とか誰が主催しているのとか気に留めていなかった。急遽予定がキャンセルになって、どこかで飯を食って帰ろうかどうか考えているうちに集会のことを思い出して永田町へ向かった。
僕は漠然とイスラム国に対してテロを止めようと呼びかけたり、日本はイスラムの敵では無いとか、表現の自由とかそういうことを訴える集会なんだと思っていた。今から考えれば官邸前でやろうっていう時点でおかしい話ではあるけれど、永田町でやればマスコミにも取り上げられやすいとかそういう動機なのかなと。そんな集会をしてどうなるわけじゃないにせよ、とにかく行ってみようと思い職場から20分かけて官邸前へ。
300mほど離れていても、ある種の政治信条を持った集団だとすぐにわかる安直でテンプレート化された身なり・プラカード・シュプレヒコール。ああそういうことか、と僕はつぶやいてしまった。あまり右とか左などと安易にカテゴライズする風潮は好きではないけれど、まあ左翼な人達です。
100mほど近づいて「脱原発」の文字がうっすら見えた。よくわからない。何の関係があるのか。そういうえば後藤さんのお母さんも会見で原発のことをおっしゃっていた。僕が知らないだけで実は原発がこのテロ事件の鍵を握っているのだろうか。
はっきりと人の顔が認識できるぐらい近づくと安倍総理がちょびヒゲを生やしているプラカードを持っている人がいた。そうか、安倍総理がヒトラーのように独裁を日本国民に強いているからテロが起きたのか。とても勉強になる。僕が思っているより世界は複雑だ。
「何のための増税だ!こういう時のための増税だろう!」という声が聞こえる。そうだったのか。あれは社会保障費などに本当は使われないのだ。これから増えるテロの身代金のためにストックするための増税だったのか。
「アベはオバマと共に退陣せよ!」と叫ぶおばちゃん。とばっちりではない。彼ら二人がテロを招いたのだ。
「何のための沖縄の海兵隊だ!何にも役に立っていない!基地を返還しろ!」そうなのだ。沖縄にあれだけ海兵隊がいてもテロは防げなかった。もう沖縄に基地は必要無いのだ。
「ノー、アベ!イエス、ゴトウ!」よくわからないけど、そうなのだ。ノーアベ、イエスゴトウだ。さあ皆も口ずさもう。ノーアベ、イエスゴトウ。「i'll be back」と書かれたプラカードが僕の目の前でゆらゆらと揺れている。誰かがイマジンを歌い出した。最初はみんな怒っていたけれど、いつの間にか泣いている人や笑っている人ばかりになってきた。怒号は消えてイマジンだ。ノーアベ、イエスゴトウだ。
ぱっと見なんの関係も無さそうなことが、実は裏でつながっているのだ。世界は僕らが思っているより遥かに複雑なんだ。
来週もあるらしいので皆集まろう。
http://anond.hatelabo.jp/20150123205946
これ見て思った事。
(私は腐女子だから腐女子界の偏った情報でしか語れない、と前置きさせて欲しい)
私が中学生の頃インターネットが流行りだし、同時にいわゆる「個人サイト交流」が腐女子界隈でも主流になっていった。
それが何年かして廃れていったのは、SNSが台頭してきたから。
今と昔(だいたいここ10年)で何が変わったかっていうと、いわゆる「人気ジャンル」の流行の仕方がトレンドを模索する形から爆発的な流行、あえていうなら感染型になっているなという事。
増田が艦これについて語ってるけど、現在進行形で腐女子を騒がせている刀剣乱舞も似たような状況になるんじゃないかと思ってる。
刀剣乱舞に関わらずなんだけど、最近の「人気ジャンル」はあっという間に広範囲を染め上げる。それも短期間で。
タイムラインを見てれば多くの人が私も始めた、私もやりたい、とつぶやいている。
中には「みんなとうらぶやってて私だけやってないの焦る」だとか「私はやってないんだけどすごい疎外感」とかなり素直な事を述べてる人も居た。
今と昔を比べるのはナンセンスだろうけど、昔はちょっと違った。
なにより人気の広がり方がこんなに速くなかった。
刀剣乱舞を例に出したのは、このゲームがあまりにも「感染力」が強かったからだ。
私が見る限り配信を開始して数時間後にはTLを埋め尽くしていたと思う。
この流れを見て何かに似ているな、と思った。
何かが流行るとあっという間にクラス中に広がり、流行りに乗っからない子は疎外感から自分も乗っからなきゃ!興味ないけど興味あるフリしなきゃ!と焦りを感じる。
もちろん本当に小学生ではないので、いじめや嫌がらせには発展しない。
でも目の前で繰り広げられている「キャッキャウフフ」を、流行りの輪の外で眺めながら妬ましい気持ちになってる人は確実に一定数居る。
何が言いたいのかというと、インターネットはワールドワイドではない。小学校の教室だ。少なくとも「腐女子のツイッター界隈」は閉鎖された狭い世界なんだと思う。
5時にラジオが入り、NHKの特別番組が流れはじめて目を覚ました。うつらうつらしながら、いくつかの投稿を聞く。家で息子とホームステイのオーストラリア人の青年を亡くした人。二階に寝ていた2人は三階の梁の下敷きになったらしい。建材とベッドの間に挟まれて、ベッドをパタパタと叩く音がしていたという。投稿したお父さんにはどうにもできず、仕方がないので、その息子をそこにおいたまま、近所の家の救出を手伝っていたとのこと。これで、一人分だ。ホームステイの青年の話は出なかった。娘さんは無事で今2人の子供をなしている、という報告も添えられていた。ホームステイの青年はどういう人生を送ってきていたのか、娘さんは震災の後どう生きられたのか。この投稿をされているご本人は。想像を絶する。のんきに生きている自分のような人間とは別の「壮絶な」人生を送られたのだろうな、と心を閉じそうになる。
そこで思い直した。あぁしかし、この手紙はわたしの帳面と同じようなものではないか。布団の中でうつぶせになって寝る前に置いたモレスキンの場所を確かめる。父が亡くなって少し経つが、葬儀を終えたとき、様々な情報や感情がバラバラにわいてきて、これはどこかに拾っておかなければいけない、と思って、新しい帳面を出して、書き始めたのだった。2日前の葬儀のこと、今日の市役所への届け出のこと、父が死ぬ直前のこと、3つ上なのに容色いまだ衰えぬ従姉妹に久しぶりに会って俺脳内掲示板に「従姉妹が美人すぎる件」スレが久しぶりに上がったこと…思いついたものから採集するつもりで、白紙のページに、文やタイムラインや絵で書いた。
「充分に書く」「気が済むまで書く」ことなど最初から放棄していたから、どれも簡単なものだが、そのとき感じたいくつかの微妙な感情を拾うことができた。起きたことのなかに「ここは泣くポイントなのではないか?」という箇所を見つけて、そこをつつくようにエモく書きながら涙ぐむ(複数の時間をまたぐような表現をすると人間は簡単に泣く)こともあった。
わたしは、「はてな匿名ダイアリー」で改行たっぷりに書かれるような自己憐憫の文章が大嫌い(掲示板みたいに対話してる奴はもっと嫌い)なので、書きながら感情に埋没してしまわないように、帳面の構成自体も、書き始めは右のページから書いて左を空けておき、左は後から書き入れることにした。いくつかの声のパッチワークのような使い方をするのが自然に思えた。思春期の若者みたいに、自分が書いたエモいことで盛り上がってさらに書いて、それで方向性が絞られてそこに内面のことしか書けなくなって、じき熱がひいたら内面ほじくるのに飽きて、あとには5ページくらい書いた帳面が残る…みたいなのは、さすがに嫌だ。
極度に飽きっぽい自分の性格もある。深く突っ込まなくていいから、続けることを優先しなくてはならない。日常の時間と並行させながら、父の死やその周辺の時間を記録再生しなくてはいけない。そう思った。だから、いろいろ書いた、とは言っても、それぞれは、思い出しメモに毛が生えた程度のものを、日常の思いつきや飯のおかずメモに交えて、頁のあちこちに、ちょこちょこと書いていったにすぎない。
それでも、自分がウジウジしたことを文字にしたこと、そしてそこを読み返してメソメソできるということが、驚きであった。げぇ、そんなことするんだ、俺が。(あと、仏壇に手を合わせたとき、父に向かって何か言ったりすることがあるのも、われながら驚きだ。)
しかしそれは、やらずにはいられなかったことだ。ラジオで読まれる便りを聞きながら、これはわたしの帳面と同じだ、と思ったのはそういうことだった。死んだ人の人生がどうだったのか、残された人の人生がどれほど壮絶だったのか、知ることは難しい。壮絶ったって20年ずっと1秒も絶え間なく死者を背負ってきたわけではないだろうし、投稿されている文章だって20年かけて整理された心が書いたものなのだ。取捨選択も誇張も忘却もあるだろう。簡単に言えば、死者のことを思い続けるのは難しいことだ。わたしの帳面につまらない落書きや関係ないことが書き入れられ、ページが進むごとに書き物の性質も変わっていってしまうように。しかし、ページをめくって過去をたどると、今でもちょっとは、感情が動かされる。それはわたしに起きたことで、そのことが私を少し変えてしまった、それは確かなことだ。このエモいメモは、ことの一部しか見ていないし誇張ではあるだろうが、ともかくも、わたしはこれを書かずにはいられなかった。
朝、毎日早めに出社するようにしている。だいたい7時くらい。
出社したらまずじっくりと自分のスケジュールをノートに書いて考えるのが理想的だ。
Web系の会社は夜型の人が多く、3時間くらいはほぼ一人で考え事に集中できる。
しかし、二日に一回くらい、「ちょっとFacebookとTwitterみよう」という邪念が生じる。
開く。
「そろそろ仕事のことを考えないと」と思ってFacebookとTwitterを閉じる。
また開く。
SNS単体だけではない。そのタイムラインには面白そうな記事、話題になっている記事がシェアされている。
これぞ純粋なる好奇心。優雅な知の探求と言えずして他に何があろうか。
Social network extravaganceと名付けよう。
仕事にはならないが。
なにか自尊心を守ってくれるものが無いと、他人の自尊心との競い合いになり、泥沼に嵌る。
ふとそう思って、長年続けていたツイッターをやめた。
悩みを吐き出してお互い慰め合うような集団に所属してしまうことで、そういう泥沼の状態に陥っていた。
「世の中にはこんなに情けない人がいる。弱い人がいる。卑怯な人がいる。でも自分は違う」
「自分の顔はこんなに綺麗です。自分の趣味はおしゃれです。ここにたむろっている皆さんよりもずっと」
タイムラインの言葉の端々にそういう背景が見えるのは、自分のツイートがまさにそういうものだったからだろう。
人間誰しもそういう部分があるのなら、それはかまわない。
でも、それが増幅されて見えるのが嫌になった。
最初はそういう使い方をしていなかった。
「人に読まれる緊張感を利用して考えごとを整理する」
何年も続けて、そういう目的は十分に果たしたと思う。
せっかく一人になれる時間を割いているのに、無益な毀誉褒貶のために他人との時間を過ごしているのはあまりにもヘンだ。
そんなわけで、今まではSNSに奪われていた一人の時間を、これからは一人でできる自己満足の趣味とかにもっと使いたいと思った。
というか、自己満足の趣味の一つである音楽鑑賞から、ツイッターでたくさんの同志を見つけてしまい、そこから泥沼に嵌っていったのだった。
ツイッターには、現実の交友範囲だけでは生涯出会えないような、趣味や感性や境遇の理解者がいるような気がして、そこから夢中になっていった。
それまで一人の時間を割いて夢中になったこと以上に、夢中になっていった。そういう本末転倒の事態が起きていた。
好きな本を探す。
好きな音楽を探す。
植物を育てる。
料理を作る。
部屋を飾る。
一人の趣味を極めていくと、人前で言えない恥ずかしいものになっていく。
すると最初に書いた、自分の自尊心を守ることが、趣味の目的になっていく。趣味を楽しむことが、目的では無くなってしまう。
そうなると堂々巡りで、それはもう、楽しみを自足することの限界を超えている。
この先はもう自分だけではなく、他人に楽しんでもらいたい。という領域になっていくだろう。
ツイッターをやめたから、これからは匿名ダイアリーを長文ツイッターとして活用するかといえばそれは違う。
ブログも始めない。コメント対応に追われるくらいならリアルでの交友範囲を広げることに労力を割きたい。
ちなみに、自分の趣味は小説を書くこと。人前で、「小説書くことが趣味です」「きっと面白いから読んでみて」とは、おそらくいつまでたっても言えない。
いや、ちょっと待て。人は見かけで判断しちゃいけないな。ちょっと調査してみるか。
とりあえず記者会見の動画見るか。 Youtube に上がってる?これか。
あと Twitter やってるか検索。うーん、Twitter はやってない。
ほとんど関係なさそうなページばっかりだな。お、これはデザイン会社のサイトか。
ウェブサイトの作りはテンプレっぽいし更新されてないから会社の規模は小さそう。
会社概要どこだ?資本金の表記ないな。なんで隠してんだよ。1円起業かおい?
主要取引先はけっこう大手が混ざってるな。ほー、いくつか有名な賞とかもらってるんだ。
大手で実績作ったエースが独立して個人経営してるってとこか。そこそこ儲かってんだろうな。
お、タイムラインに続報きてるな。
Facebook やってんのか。山登りしてるんだ。妙義山や八海山に登ってる?どこだそれ。すごいのかな。
へー、雪洞作ったり山頂目指したりするのは遭難時のセオリーなのか。アウトドアの達人って言われてるな。
ふんふん。へー。そうなんだ。なるほど。けっこうしっかりしてるんだ。
入山届は出してなかったのか?そこは減点だな。それ以外は慣れてるっぽいのか。なるほどなるほど。
しっかり準備はしてるようだし経験もそれなりにありそうって言われてるな。
服装はちゃらいけどこいつはしっかりしてるやつだ。記者会見でも反省している様子だし。
よし、90点。他人様に迷惑かけてるけど90点なら合格だ。こいつは叩くとこないな。
ただ入山届けの件は問題だな。ここだけは言及したほうが良さそうだ。山を甘く見てるやつらへの警鐘として。
しっかしテレビの連中は会見なんかさせて吊し上げるなんて卑怯だな。外見だけで判断するなんて差別だ。
好きな娘がいる。
その娘とは同い年で、知り合ったきっかけはTwitterだった。
初めて知り合った時はTwitter黎明期だった。最初はなんてことない、ただのフォロワー同士だった。
お互い意識なんてしない、ちょっと話が噛み合ったらリプライを数回やりとりする程度の繋がりしか持っていなかった。
その娘とは趣味が合う。
自分もその娘もコスプレが趣味だった。音楽の趣味も、同じバンドが好きだった。
昨今コスプレ好きなんてごまんといるけど、当時マイナーだったバンドまで好きだったのに驚いた記憶がある。どちらかが相手の趣味に合わせわけじゃなく、ただの偶然だった。
この時、特別恋愛感情はなくて、気が合うフォロワー程度だった。
数年前、就職のために自分は北海道から都内へと上京した。その娘も都内のはずれに住んでした。
急に、会える距離まで近づいてしまった。
けど、急に直接顔を合わせて会話ができる距離まで来た。
実際にその娘と会った。
一緒にバンドのライブに行ったり、プリクラ撮ったり、ご飯食べたりと何度か遊んだりした。
行儀もよく言葉尻も柔らかく、育ちのいい子だと思った。となりを歩いていても恥ずかしいなんてことはまるでなかった。
結論としては自分がヘタレなだけだったけど、言い訳をするならば、その娘の気持ちがわからなかったからだ。
どうして自分なんかとご飯を食べてくれるんだ?
そんなことをずっと考えてしまっていた。
「そこまで一緒にしてくれるなら、その娘も君のこと好きなんじゃないの?」
何人か友達にそう言われた。確かにそうかもしれない。
だけど、これまでTwitterでしかやりとりをしてこなかった人間同士が、じゃあ会って飯食って告白して・・・それで相手がOKしてくれても、なんだかしっくりこない。
自分の中で、恋心ってのはインターネット上では膨らませるべきものではないと思っている節があるからだろう。
相手の顔も直接見ず、声も聞かず、触れもせず。
それなのに、相手の上辺だけの情報のみしか知らないのに好きになる、っていう事が自分では出来ない。
今の時代、ニコ生やSkypeなど相手よりリアルなコミュニケーションを取れる手段は増えた。
だけど、やっぱりお互い好きになるには、「インターネットでの知り合い」ではなく直接遊んだりする「友達」になってからスタートを切りたかった。
インターネット上で好きになりたくはなかった。
そんな事を考えているうちに、あの娘はどんどん魅力的になっていった。
コスプレで言えば、出来栄えの良いコスプレをし、知り合いも増えイベントなんかにも行く回数が増えているようだった。
それに伴ってTwitterのフォロワー数も増えていっていた。
気づけば、彼女の中で自分は「フォロワーの1人」でしかなくなっていた。
あの娘は、自分なんかより仲の良いフォロワーと会話していて、自分はタイムラインでそれを流し見するだけ。
すっごい悔しいけど、それを邪魔しちゃいけないことは自分でわかってる。
いわゆる空リプなんてものも送らず、ただただ仲良しそうだなあ、って感情で押さえつけてる。
こちらからリプライを送ることはあっても、あちらから自主的に来ることはめっきり少なくなった。
LINEのIDも知っていたが、こっちはTwitter異常にレスポンスが悪かった。
何度も同じようなことを友達に言われたが、「好きでもない男にアピールされたら余計嫌われるんじゃ・・・」って心情がこれを邪魔した。
まだ好きなくせに、どうせ自分なんかじゃ、って半分諦めてる。
どうしたらあの娘に振り向いてもらえるだろう、って何回も考える。
でもだめだ、彼女は一途に趣味のスキルを上げていっているけど、自分は結構な雑食であれやこれやとやりたいことがあって一つのものになかなか集中できない。
じゃぁ、そこまで好きなんかじゃないんじゃない?
どうだろう。
ひとつ言えるのは、今までの人生の中で最高に人を好きになっている。
その娘のことはすっごい好き。
だけど、なんだかもう振り向いてはくれない感じ。
多分、直接遊んだ時に男をみせられなかったのかなって思ってる。
前に遊びにさそったけど、何かと理由をつけて断られてしまうのでもうだめだと思っている、
まだ全然諦めきれてないけれど、この年が終わったらこの想いがぷっつりと切れてしまいそうで怖い。
だけど、彼氏なんかできちゃったら気が気じゃなくなってしまうかもしれない。
その彼氏と別れた時に慰め役として近づこう、なんて性根の悪い考え方までしてしまう。
なんで好きかって言われると、正直、具体的にはわからない。 多分、今までもこれからも、なんでその人のことを好きになったか聞かれても、気付いたら好きになってたとしか言えないだろう。
やんごとなき事情でPCからはてなライフをエンジョイできない俺がiPhoneで運用しているアプリを紹介するのコーナー。
これは増田アドベントカレンダー15日目の記事だよむきゅー!
http://anond.hatelabo.jp/20141130202457
開発:株式会社はてな
アプリ名:Hotentry - はてなブックマークの人気エントリー専用リーダー
開発:DAISUKE YAMANAKA
開発:havas
開発:Naoya Ito
http://anond.hatelabo.jp/20141130202457
はてな匿名ダイアリーは、その名の通り匿名の日記サービスです。説明するまでもありませんが、匿名というのは誰が書いたのか分からないということです。
しかし、誰が書いたのか分からないというのは、なにも匿名サービスだけの特徴ではありません。はてなや、Twitterや、Facebookなどでも、同一アカウントだからといって、同じ人物が書き込んでいる保証はどこにもありません。同一アカウントだったら同じ人が書いているという前提でネットは成り立っているのです。本当に誰が書いたのかを知っているのは当人だけで、基本的に第三者はそれを確認することはできません。
もしかしたら、回線の向こう側にいるのは、知らない誰かなのかもしれないし、ただのプログラムなのかもしれないし、それとも、もっと別の何かなんてことも――。
今年の夏、私が体験した話です。
八月の中頃、時刻は夜の十一時すぎだったと思います。とても暑い夜でした。いつもよりクーラーの設定温度を下げて、扇風機を首振りさせず、直接身体に風を当てるようにしていました。
この時、私は特に何もしていませんでした。メインPCの前に座って、Steamのゲームを触ったり、Twitterのタイムラインを眺めたり、はてなブックマークから気になる記事を読んだり、ゲーム配信を見たり、色々やってはいましたが、ただ暇をつぶしていただけ、これといった目的はありませんでした。
はてなブックマークのリンクをたどっていく内に、はてな匿名ダイアリー、いわゆる増田の記事を開きました。記事は程度の低い釣りでした。反応するのも馬鹿らしいので、私は早々に読むのをやめて増田のトップページを開きました。ざっと流し読みして、面白そうな記事を探しましたが、何もありませんでした。3ページほどで見切りをつけて、何か文章を投稿しようと思ってログインしました。
「あれ?」
一人なのに思わず声をあげてしまいました。日記の一番上に見慣れない記事があったのです。
まんまんまんまるまんこ
なんでちんこはおおきくなるの
それはまんまんまんこへいれるためさ
レッツピストン!
ぬっぷぬっぷぬぷぬっぷ
ずっぽずっぽずっぽずっぽ
どぴゅどっぴゅどっぴゅっぴゅー
当然、トラックバックもブックマークもついていませんでした。タイムスタンプは朝の六時半過ぎです。その時間は寝ているので、私が書き込んでないことは明白でした。
パスワードが漏れて不正ログインされたのか、もしくは、増田のシステムにバグがあって別の誰かの文章が表示されているのか。
私はF5キーを押してリロードしてみました。画面に変化はありません。ログアウトして、再ログインしました。先ほどの文章はまだあります。表示のバグではないようです。
そもそも、はてな匿名ダイアリーは古いシステムです。今になってこんなバグが出てくるとは思えません。つまり、不正ログインされた可能性が高いということになります。
私は、すぐにはてなのアカウントのパスワードを変更しました。ひとまずこれで様子を見ようと思いました。
増田に戻って自分の日記一覧を見ると、あの下らない文章が居座り続けています。だんだんと腹が立ってきました。はてな側に私が書いたと思われるのが苦痛でした。私は編集画面を開いて、何のためらいもなく削除ボタンを押しました。
一秒程度の通信待ち時間が入って、日記の一覧画面へ戻ります。あの文章は消えていました。しかし、一番上には別の見覚えのない文章がありました。
消すなよ
たった四文字でしたが、私は呼吸もまばたきも忘れ、数秒間、その文字から目を離すことができませんでした。少し視線をずらしてタイムスタンプを確認すると、たった今、PCの時刻と同じ数字が表示されています。
編集画面を開いて、削除ボタンを押し、日記一覧画面へ戻るまで、せいぜい五秒程度しかかかっていないはずです。たとえアカウントを乗っ取っていたとしても、私が日記を削除しようとしたことを察知してから、五秒以内に「消すなよ」と日記を投稿することができるはずがありません。
こんなの人間業ではありません。
人間ではない。
急に肌寒くなりました。鳥肌が立っています。私は扇風機とクーラーの電源を切りました。
ウィルスに感染してPCが乗っ取られている可能性も否定できません。私はメインPCの電源を落としてMacBook Airの前へ移動しました。
私は増田にログインして自分の日記一覧ページを開き、「消すなよ」の編集ページを開いて削除しました。メインPCが乗っ取られていたのなら、こちらのマシンからの削除に反応できるはずがありません。
そして、一覧ページに切り替わり、
消すな
新しい書き込みがありました。
心臓が激しく鼓動しています。指先が震えてきました。私は混乱していました。電源ボタンを長押ししてmacをシャットダウンさせました。
iPhoneを持ってベッドに寝転びました。ブラウザから増田にログインして編集ページを開き削除。これでもう大丈夫だ。私は根拠もなく確信していました。
ページが切り替わりました。
お前を消すぞ
私はiPhoneを投げ捨てました。そのままベッドで震えながら朝を迎えました。
さいわい、私が消されることはありませんでした。
これを機に、私はネットをやめました。通販ができないのは多少不便でしたが、また同じようなことが起こるのを想像すると、恐ろしくてネットへ接続する気になりませんでした。仕事中も必要な情報を検索する以上のことはしませんでした。個人のメールもブログもSNSも全部放置していました。
今回、私がこうしてネットに繋いで書き込んでいるのは理由があります。
先日、実家から電話がかかってきて、メールぐらい確認しろと怒られました。しかたなく、私はネットに繋いでGmailを開きました。山のようにたまったメールから実家からのメールを探して処理しました。
ふと、はてなから来ているメールに目が止まりました。はてなスターのレポートです。スターが押されたURLからそのブックマークは、ごく最近にブックマークされたことが分かります。
私は愕然としました。
私は八月中旬から今まで、ずっとネットに繋いでいなかったのです。だから、私のaoi_tomoyukiというアカウントは、ずっと沈黙しているのが当然だと思っていました。しかし、私のアカウントはネットに繋いでいなかった期間もそれまでのように、私が書き込んだかのようなコメントを残しているのです。
八月にアカウントを乗っ取った何者かが、ずっと私のふりをして書き込んでいたということでしょうか。なぜそんな意味のないことをするのでしょう。それに、あの時の「消すな」と書き込んだ早さは、人間がやったとは思えません。
いったい、何者が私のアカウントを乗っ取ったのでしょうか。
その何者かは、私が繋いでいない期間、ずっと私の代わりに書き込んでいました。私がいなくても、私のアカウントは平常運行していました。ということは、私は必要なかったことになります。私がいなくても、私のアカウントは活動し続ける。
お前を消すぞ
私のアカウントは私がいなくても存続できる。
私が消えてしまった。
私は誰なのでしょう。
私が偽物なのでしょうか。
おしえてください。
でも、たぶんだけどまわりは、そんなにおまえさんのことばっか考えてないとおもうので時間とともに風化するとおもうよ。
昨日は声優三昧を聞いた。タイムラインでやったらネタになってたので興味が湧いたのだ。まったくしらない曲ばっかりだったのだけれど、その中でとびきり印象的だったのがアイドルマスターのマスターピースって曲だ。はてな民にはサザエさんレベルの常識なのかもしれんが、初めて聞いた。一人一人がたのしそうに歌っていて、強弱、悲しい嬉しいも織り込まれていて、あーなんか声で演技するって歌うときにも色濃く出ちゃうんだなー、と思った。
で、そのままツタヤでどれCDを借りてみるか、としたらものすげーあんのな。
というわけで、識者のみなさん、まず聞くべきベストアルバム、その次、その次の次、くらいまで順番に5枚教えてほしい。5枚借りると1000円だから。
MIT Media Labからシリコンバレーのスタートアップ投資機関まで 「リクルート2週間アメリカ横断インターン」で得たものを参加学生たちに聞く - はてなニュース
アメリカ横断インターンシップを実施したという記事。この会社は、見せかたを大事にするというか、メディア戦略に力を入れているというか、ご丁寧に動画まで製作してて、「スゴいことやってる感じ」を出すのがうまい。(余談だが、メディアが外に発信しようとしているイメージと現場の社員がもっている意識のギャップは大きい。『「エンジニアならリクルートには入るな」のイメージが変わった』というイメージは、リクルートで働き始めたらまた変わると思う)
ここ数年で、IT系のインターンが増えている。Web系の企業は早い時期からインターンを実施してきたし、他にも、広告系(アドテク)や、データ分析に関する募集もよく見るようになった。私自身も、学生のときにいくつかインターンに参加してきたし、社員としてもインターン生と付き合う機会があった。その体験も含めてIT系のインターンと参加する学生に対して思っていることを書いてみる。
先の記事に戻ると、はてブのコメントにもあるように、ちょっと違和感を覚えるひとが多いんじゃないかと思う。優秀そうな学生がアメリカを横断する途中で、様々なスタートアップや観光地の前で記念撮影をしてるだけのように見える。「...が良かった」とか「...がすごい」とか、中学校の修学旅行じゃないんだから。インターン中にグローサソン(そんな言葉があったのか!!)を実施したらしいが、学生が製作したものには、ほとんど触れられていないので、インターンの成果は彼らの「感想」でしか語られていない。おそらく、彼らはインターン生として優秀であることは間違いないと思う。面接をうまく切り抜けた頭の回転の速さとそこそこのエンジニアリングの能力は持っているだろう。しかし、「インターンで優秀」≠「実務で優秀」だ。
実は、参加者のひとりに見覚えのある顔があったが、以前、某WEB系のインターンで、私がお手伝いしたプログラムに参加していた学生だった。直接面倒を見たわけではないけど、ちょっとコミュニケーションに問題があるとそのチームのメンターが嘆いていた。コードが書けない学生より、そういう学生のほうが、印象に残るものだ。Androidアプリを作成するプログラムだったが、その学生はバイト先でフロントエンドの開発経験があり、他のスキルがなかったので、フロントを担当したらしいが、自作ライブラリを利用する事に固執してしまって、最後の最後まで、フロントの実装がボトルネックになったそうだ。(インターン中、自作ライブラリを利用する事の意義をメンターに説いていたらしい)。インターンに参加するには、面接を数回行うだけ、コーディング試験等はなかったので、研究やバイトでそこそこ経験があるっていうだけで、参加できちゃう学生もいるんだなと当時は思った。
ちなみに、そのプログラムは複数会場で90人程度が参加していた。終了後に、優秀者へのご褒美として、とあるニューヨークの企業でのインターンの機会が与えられた。10日間くらいの開発の貢献度や、実際に製作したアプリの完成度を評価するので、ある程度開発できる学生が優秀者に選ばれたが、その学生はもちろん選ばれなかった。ニューヨークでのインターンの目的は、その年の、そして次年度以降のインターンのための広告塔だったわけだが、わざわざ海外へ行かなくても学べること、作れるものばかりだった。(アメリカ横断インターンの記事を見て、ああ、あの学生でも参加できるものなんだと思ったことと、私自身がニューヨークでのインターンに参加していたことが今回書く動機でもある)
おそらく、アメリカ横断インターン生の中には、参加前に想定していたこととのギャップに気づいている人もいたと思う。「なんだ座学だけか、自分の研究やバイトを休んでまでやることじゃないな。まぁタダで旅行できるし、今後の就活でアピールにはなるかな。」という感じで。とはいえ、お金をかけて企画した採用担当としては、「ぼちぼちでした!」なんて感想をメディアに載せるわけにはいかないし、そんなこと考えてる学生が、のこのこ顔出しのインタービューに参加するわけもない。
私は数学科出身なので、インターンの場でしか情報系の学生と関わる機会がなかったのだが、口で言っていることに技術が追いついていない学生は多い。もちろん本当に技術があって、(プロマネ的な観点で)気配りが上手な学生もたくさんいる。そういう学生は、数学や統計学、物理学などのバックボーンがあり、「Railsが使えるだけ」とか「スマホアプリ作ったことあるだけ」という、なんちゃって学生プログラマとは違い、意識の高さもだいぶ抑えられている。プログラミングはただの手段だよねっていう認識をもっていた思う。
口ばっかりの学生は、いわゆる「意識高い系」が多い。インターンに参加しない学生をdisることで、おれは行動している(だから将来成功する)ってことを主張したがる。あと、ジョブズやザッカーバーグの話をするのが好きだ。彼らに哀愁があるのは、バイト先など、小さなコミュニティで頭ひとつ抜ける程度には優秀であるが、ジョブズにはなれないこと、それにはまだ気づいていないけど、いつか絶対に気づくことだ。そして「(学生にしては)優秀だねぇ」という言葉をもらいながら、どんどん意識が高くなっていく。こういった「優秀な」学生が、実際の業務でも優秀かというとちょっと怪しい(弱い相関はあるかもしれない。ブログの更新が多い学生は要注意)。私が一番苦手なのが「分からないから教えてください」ではなく、「専門じゃないです」と言う学生(新卒)だ。専門という言葉は、知らないことの免罪符にはならないと思うのだが、これまでの輝かしい「インターンの実績」がそう言わせるんだろう。
「プログラミングで世界を変えたい」とか「新規事業をバンバン作りたい」という志があること自体はいいことだと思う。しかし、実際の現場では、プロジェクトが既に回っていることがほとんどだ。安定した運用を続けることや作り手にしか変化が分からないような改修作業をすることだって多い。学生に夢をもたせるインターンは、やはり人気があるのだが、夢や志を入社前に与えすぎると、業務の地味さとのギャップが大きすぎて、「これじゃない」という気持ちから数ヶ月で辞めてしまうことだってある。本来のインターン(就業体験)ではなく、人集めのパフォーマンスになってしまうと、学生にとっても、現場の社員にとっても、時間と機会の無駄になってしまうのではないか。