はてなキーワード: セカンドオピニオンとは
http://takimoto-shika.com/index.php?QBlog-20211213-1
「いい歯医者の特徴
専門外の治療は専門医に紹介してくれる(セカンドオピニオン)」
……と、あるけれど
これって全部、実際に行ってみないと分からない事じゃねーか。
こっちは時間もお金も限りがあるんだから、最初に行った時点で「いい歯医者」に診察してもらいたいんだよ。
なのに行った後の話をされても初診料がかかって無駄じゃん
そもそも全ての歯医者が「いい歯医者」でない事自体がおかしい。
人の身体に関わる問題なんだから全ての歯医者が例外なく「いい歯医者」であるべきだし、そうじゃないのは異常事態だろう。
求めているのは「いい歯医者の見極め方」ではなくて
半年ほど前、私は匿名掲示板にとあるオリンピック選手の悪口を書き込んだ。周りがものすごい勢いでたたいていたので、私も一緒になって書いてしまったのだ。
ほどなくして、アスリートへの誹謗中傷がテレビで取り上げられるようになった。自分の書き込みを見返してみると、結構キツイことを書いていたことに気が付いた。「被害届が出れば警察が対応」というニュースまで流れてきて、これはマズいことをしたなと震え上がった。
Twitterであれば、アカウントごと消してしまえば逃亡できるだろうが、匿名掲示板の書き込みを自分で消すのは極めて困難だ。どうすればよいか分からなくなり、とりあえず「掲示板 自分の書き込み 削除」とググってみた。すると、「インターネットに強い弁護士があなたのお悩みを解決!」などとうたう法律事務所のサイトがヒットした。どうも、弁護士なら掲示板の自分の書き込みも消せるらしい。私は藁にも縋る思いで電話をかけた。
自分の書き込みのURLをメールで送るように指示されたのでその通りにすると、「これとこれとこれはアウトでしょうね。民事訴訟のリスクがあります。お力になれますよ」と言われたが、削除には1投稿当たり12万円ほどかかるとのことだった。ものすごい金額だが、裁判に巻き込まれたり、家族や職場に迷惑をかけるよりはマシだと思い、50万円弱振り込んだ。投稿は1週間ほどで消えた。これで一件落着だとホッとすることができた。
同時に、私はこの法律事務所の対応に不信感を抱いた。50万円も払ったのに、電話対応するのは弁護士本人ではなく事務員なのだ。さらには、自分の投稿がなぜ法律違反なのか、弁護士本人からの説明すらない始末だった。自分の書き込みは本当にマズかったのか?時間が経つにつれて疑問が膨らんでいった。
書き込みが消えてから数か月、いてもたってもいられなくなり、他の弁護士にセカンドオピニオンを求めることにした。5chで評判のいい有名なインターネット専門の弁護士二人に連絡をとってみると、一人からは「違法性を問える可能性は低いが、世間の流れから考えると相手が強行してくる可能性はないとは言えない。そもそも開示拒否されるだろうが、万が一裁判になってもまず負けないだろう」、もう一人は「なんの違法性もない。開示請求のとっかかりがない」との趣旨の回答が返ってきた。
アスペルガー症候群(以下ASD)の者は定型発達者が繰り出すある種のコミュニケーションに反応できなくてバグることがある。
タイトルはもう大分昔に読んだ発達障害についての本で出てきたエピソードで、詳細は正直忘れたが
宿題を忘れたか出来なかったかしたASD児童が教師に叱られる場面で皮肉でこう言われるのだが
ASDには教師の意図が読めず、しかし教師が本気でそう思っているわけではないということだけはかろうじて分かるため
「自分は宿題をやってきたがそれを犬に食われたわけではないということを説明すべきか否か」考え込んでしまい
まさかそんなことで悩んでいるとは思わない教師に更に叱られる、というやつである。
んで本題は棘のこれ https://togetter.com/li/1779562
いわゆる感動話だが、ASD者である俺、客の立場だったらこのフリに反応できないなあと思ったのでつらつらと書く。
この話の「お客様が来る前娘さんが来て半額払った」というセリフにはASD者が死ぬ要素がこれでもかってくらい詰まっている。
まず第一にASD者は予想外の出来事に弱い。突然会計が半額になった時点でかなり焦る。
次に突然娘の名前が出る点だ。ここは多分定型のこのおっさんも戸惑っているし、ASDは正味関係ない。
ASD者であっても平常時なら、突然娘の名前がバーテンダーから出ても「あれ自分が漏らしてたかな」くらいの
推測は可能だが、定形であっても理解が遅れる処理量はASD者にも同じだけ負担となる。
そして問題のセリフだが、もし俺がこのおっさんだったらと考えると、
まず名前の件から復帰するのにおっさんと同じかそれ以上。そして冗談ではなく
「本当に娘が来て払った」可能性を考慮するのに多分万全のコンディションでも最低0.5秒は使うと思う。
不意打ちで飲酒時でもあることを考慮するとここだけで10秒くらい止まっても不思議ではない。
もちろん孔明が走らせるアレからガチ心霊現象まで大真面目に脳内検証するのである。
体調が良ければどこかで「そんな訳あるか」とぶった切ってプロセスをキルするのだが、この流れだと出来ないかもしれない。
定型発達者には多分理解できないと思うが、「なぜピッタリ半額だけ払った?」あたりで躓く可能性すらある。
(本当に生前来たとして、注文内容を予測してぴったり半額払うことは可能か?とかまで考慮し始めてしまう可能性だが、
この辺はASDというか、俺の数少ないADHDっぽいところなのかもしれない。しらんけど)
で、紆余曲折を経て「実際には娘は来ていない」と結論を出せたとする。
次に来るのは「このサメはなんでそんな事を言いだしたのか」だが、どう考えても俺はこの場の手札で
「今俺は気を使われている」という結論を導くことが出来ない。
俺がこれに気がつけるとすれば、早くて翌日の昼くらいだと思う。
じゃあどう反応するかというと、まず「娘が来たはずがない」と反論を始めてしまう可能性が50% これは空気が壊れる
1/2のガメオベラを乗り越えて反論を飲み込んだとすると、やはり押し黙ってしまうだろう。
心の理論が弱いASD者は、相手の心情を推し量るとき「相手は何を考えてこの行動をしたか」ではなく
「相手がこの言動により自分に望んでいることは何か」と考えがちである。
あとから一人反省会して、いわば見下ろし視点で考えているときなら「この人が何を考えているか」
という問いはすっと立てられるのだが、FPS視点だと相手の視界を想定しようという発想がなかなか出てこないのだ。
そもそもお会計という定型コミュニケーションに突如割り込み処理が入ってストレスが掛かっている状況である。
頭の中は「損害を出さずにこの場を切り抜ける」で一杯だろうし、ほぼ戦闘態勢と言っても過言ではない。
(余談だが「アスペの奴妙に喧嘩腰になることあるよな」なんて印象を持つことがないだろうか。だいたいこれである)
冷静になれば損害どころか割引を提示されているのだが「嘘をつかれた」「相手の狙いが不明」「自分の取るべき行動が不明」
となると、果し合いの最中に急に相手が武器を捨てて隙を晒したような不気味さすら感じる。
なので不用意なアクションは取れない。脳内で相手の意図を推定するプロセスが延々グルッてるのを感じながら
自分が宿題を忘れた理由に突然飼ってもない犬を持ち出してきた教師に対する反応と、おそらくは同じものである。
漫画のおっさんは「崩れ落ちるように泣き出した」とのことだが、これは国語的に読解すると
気遣いを察した→緊張の糸が切れた→抱えていた物が溢れてきた
ってことだと思う。バーテンダーが娘の名前を出したことに泣いた……とかは×になる筈だ。
俺の場合、最初の気遣いを察するでもうだめなわけだが、緊張の糸が切れる、も無理だろう。
前述のように、俺がこの対応をされたらまず第一にめっちゃめちゃに構えるからだ。
だいぶ打ち解けて会話していたとはいえ初対面で不意を突かれたのに緊張を解いていた、というあたりも
おっさんと俺の違いを感じたし、このおっさんすげぇなと謎な感心をしたポイントでもある。
※予防線
足が不自由で車椅子を使う者がいたとして、その人が小説の中で登山の楽しみを語るセリフにまで文句をつけることは適切とは言えない。
風光明媚な土地を称賛する表現物は視覚障害者への敵対ではないし、それを見られない者への配慮は必要ない。
同様に元漫画についてASDへの配慮を欠くと言うような非難をする気はないし、そうした批判は的外れと考える。
またこの文章は発達障害について周知、啓蒙その他を意図したものでもない。
発達障害は個人差が大きく、また俺はASDではあるがADHD傾向は弱いため発達障害全体においても多数派とは言い難い部類に入る。
本稿は「発達障害者はこういうふうに考える」という紹介ではなく、そのように受け取ると誤解を招く可能性が大きい。
(っちゅうか手帳もなければコンサータとかも効かんから通院はしとらんし、厳密に言うと俺DSM4のPDDだからASDですらない可能性があるっつーか、なんというか
こういうとき民間療法とかあやしげなもんに手を出す人たちって思ってた以上に多いんだよな。患者本人も家族も。冷静で常識的そうな人でもそう。やっぱ相当なストレスなんだろうな。病院で働いてたけどそういう話山ほど聞いたわ。
でも結局は医者の言うことがほとんど正しいし、セカンドオピニオンするにも紹介状書いてもらえるまともなとこしか行っちゃだめだね。マジで混乱しすぎて判断力がゴミみたいになってるの自覚できなくなるみたいだから。
うちの母は直腸がんで死んだけど
医者の余命宣告が誤差1週間以内で的中して(もちろん偶然なのも分かってはいるが)医学ってすげぇなと思った。
もうすぐ死にま~す!って時はもう会話どころか意識がないし
そろそろ死ぬかもって時は体力もないしナーバスになってて会話どころじゃないし
フィクションみたいに病床で感動的な言葉を残すみたいなのは起きないんだな~って思ったわ。
変な民間療法吹き込むと どうせ死ぬなら「リスクのある正規の治療」より「リスクがない(効果もない)眉唾療法」の方がいいか っていう思考になって
セカンドオピニオンとかも一切拒否するようになるから気をつけろよ。
あれは全部死にゆく者がそのコミュニティ内で強固な発言権を得ることに漬け込んだ詐欺で、とにかくありもしない甘言をならべ現行医療をこき下ろすことで死人が易きに流れるようにしてる。
残された家族は「俺がもっとし強引に治療させていれば」って言う自己嫌悪だけが残る、もちろん「どうせ死ぬなら自分で選びたい」と言われれば強引になんてできるわけもないから無意味な後悔だが。
ちなみにうちは医者から「もうマジで死ぬから病室こいや」って言われてから1時間待たずに死んだ。
仕事中で色々片付けてから会社出て病院まで走っても間に合わなんだ、親戚一同揃ってて「息子間に合わなんだの?」って視線に晒され相当気まずいから高速移動の準備はしておいた方がいい。
この一ヶ月は、今まで体験したこともないような幸福感と絶望感を経験した、ジェットコースターのような日々だった。
なんとなく予感がしたのは、ちょうど出張中だった。いつもだったら、アプリの通知とそこまで大きくハズレず生理がくるのだが、その時は来なかった。
出張中はずっと「生理来ないでくれ」と祈り続けていた。時折強い腹痛があったけれど、なんとか乗り越えた。帰りの電車では、ずっと妊娠の記事を読んでいた。
翌日、妊娠検査薬を使ったら、すぐに陽性反応。出社前だった夫にもすぐに報告。初めての妊娠だったので、すごく浮かれていた。
その後すぐに産婦人科で、正常妊娠なことを確認。半分夢見心地のような気分で、家に帰ったのを覚えている。
年齢も30半ばを過ぎて、やっと始めた妊活だった。恥ずかしながら、最初はタイミング法も基礎体温も知らなかった。
いろいろ調べて、ようやっと基礎体温を測りだした矢先、遅れた結婚記念日旅行のときが排卵日あたりになることがわかり、初めてタイミングをみて試した結果の妊娠だったので、もう運命としか思えなかった。
2回めの検査は2週間後だったが、もうその間は幸せだった。つわりで体調が悪いときも、「これが噂の!」と感動だったし、お腹の子が頑張っているんだ(実際は関係ない)と思っていた。
初めてたまひよを読んだし、妊娠アプリも入れて、毎日赤ちゃんの様子を検索していた。「この時期は神経ができる頃なんだって」とか「一日にこれだけ大きくなるんだって」とか、よく夫と話していた。
色々検索するにあたって、やはり流産の懸念はあった。年齢的にちょうどリスクが高まる頃だし、身近にも何人か流産を経験した人もいる。
浮かれまくって子供の名前や、出産にあたって何が必要か、とか調べているのと同時に、流産の記事もたくさん検索していた。次の検査日が近づくにつれ、心拍が確認できなかったらどうしよう、と毎日心配だった。
そして、2回めの検査。胎嚢は大きくなっていたし、初めて胎芽が確認できたのに、心拍が確認できなかった。
死刑宣言を聞いているようだった。手足が震えて、現実を受け止めたとき、涙が止まらなかった。
流産が起こる可能性は20%ぐらいだとも言われている。高くはないけど、低くもない確率。でもその20%になるなんて、思いたくなかった。
本当だったら、その足で母子手帳貰いに行って、両親に報告して、お祝いにケーキ買って…なんてのんきに考えていた自分が情けなかった。
その時点では、まだ流産確定じゃなかったが、もう自分の中では最悪の未来しか想像できなかった。
同じ週にもう一度、今度は別の病院で診てもらうように言われ、紹介状を渡された。
それからは、毎日流産のことを調べては泣き、後で心拍を確認できた人の記事を読んで少し心を持ち直したりしていた。お腹に手を当てて毎日「あなたは強い子だから、大丈夫だよ」と応援していた。
そして今日、大きな病院で稽留流産との診断がくだされた。心のどこかでは想像していたけれど、やはりキツかった。
本当は今日ダメだと言われても、別のところでセカンドオピニオンを聞くつもりだった。けれどモニターに映る胎嚢、胎芽が小さくなっていること、そしてそこに血が通っていない事がわかって、もう受け入れるしかないと思った。
話を聞きながら、号泣してしまった。そばに来て、肩をさすってくれた看護師さんの優しさが、本当にありがたかった。
今後の流れは、自然に出てくるのを待つか、手術するかの2択だと言われた。
「赤ちゃんが小さくなっていっているので、そこまでの大出血はないだろう」と言われた。
初期の流産は、遺伝子異常で起こることが多く、もう変えられない運命なのだと検索魔になったときに散々読んだ。
強く生きられないから、赤ちゃんが母体の負担にならないように成長を止めるのだと、最後の恩返しなのだと書いてある記事もあった。
それで言うなら、小さくなって、出血量を抑えてくれたこの子は、なんて優しいのだろうと、そう思えた。
不思議と、赤ちゃんに対して「ごめんね」という気持ちは起こらなかった。ただ、自分がもうちょっと若ければ、とか不純な気持ちでいたバチが当たったのか、とは思った。
幸せな未来を想像していただけに、目の前でそれが消えてしまうのが、切なかった。何もできない自分がやるせなかった。
流産してても、まだ妊娠中の症状はある。とても残酷なことだと思う。
従姉妹の第一子は女の子で、最近会っていなかったがもう4歳になっていた。私のことはもちろん忘れていたが、人見知りもせず、私にあれこれと話しかけてくれる可愛い子だった。
彼女が私の膝に頭を預けて寝転んだ時、彼女の顔を逆さまから見下ろした。目元にのりが貼ってあった。アイプチ、とピンと来た。
従姉妹には美人で賢い母親がいた。若い頃は大きな会社で働いていて、美人で仕事ができると有名だったそうだ。従姉妹自身は自分は父親似だと言い張っていた。確かに、上品な美人の彼女の母親に比べると、従姉妹はやや派手な、気の強そうな印象をしていた。彼女の父親がそういう雰囲気だった。でも、全体の顔の作りや体つきなどは母親似で、従姉妹ももちろん美人だった。従姉妹の夫は逞しいラガーマンで、男らしい容姿の人だった。一重の目元も涼しく、張った顎もワイルドでよくモテた。ただ、従姉妹は妊娠中から、「お腹の子が女の子で父親似なら、早くからアイプチして二重にする。それでもダメなら整形させる」と公言していた。そして、従姉妹の娘は父親似だった。
従姉妹は本当に、4歳の娘にアイプチさせていた。娘本人は特に気にする風でもないが、こちらから見ると異様な光景だと思った。従姉妹の胸に抱かれている第二子は男の子で、新生児なのでどんな顔なのかは分からなかったが、どちらに似ても従姉妹的には問題ないんだろうな、男の子だもんな、と思った。
従姉妹は母親を敬愛していて、反面とても憎んでいた。従姉妹は明らかに美人で聡明だったが、彼女の母親が「何もできない」「器量も良くない」と言い続けたせいで、勉強する気力も夢を見る力も奪われているように見えた。一人っ子の彼女は私を姉のように慕ってくれていて、よく母親の愚痴をこぼしていた。その反面、大学の進学、就職、結婚などは母親にのみ相談していてセカンドオピニオンは受けない主義だった。彼女は結果、近所の彼女の学力からするとやや物足りない高校に行き、短大に進み、ほどなく10歳上の今の夫と結婚した。そしてその合間によく浮気していた。そういう話だけ、私にしてくれた。
私からすると可愛らしい従姉妹の娘が、従姉妹のように美しい母親に対して愛憎入り乱れながら結局母親の思い通りに生きるようになったら、なんだかやりきれないな、と思った。私がお土産に持っていったプリンセスの髪留めを従姉妹の娘は気に入ったようだが、従姉妹は「ピンクのプリンセスって顔じゃないでしょ」と笑っていた。
3年前、目眩に悩まされた。日中は常にふらふらするし、夜はベッドに入っても目眩で寝付けないほどだった。
そこで、とりあえず近所にある「神経系も診る」という内科系クリニックに行った。(院長がテレビにも出ており、実はヤブ医者であることをこの時は知らなかった。純粋に近くにあった、それだけで行ってしまったのだった。)
思い返してみると、病院には保険適用外の治療(プラセンタ)のビラや、近隣の民間療法施設のチラシが貼ってあり、この時点で怪しいことに気づくべきだったのかもしれない。
見た目は親切そうな感じの院長が診察し、肩などを触ってから「肩こりに起因する自律神経失調によるものです」と診断を下した。
なるほど、デスクワークばかりで肩は凝っているだろう。そういうのもあるのか、と当時は納得した。
しかし治らない。程度に波はあれど、目眩が続く。治ったかと思えば再発する。良くなったりひどくなったりの一進一退であった。
もう1度病院に行くと、今度は強めの筋弛緩剤が処方された。効きが弱かったのだろう、と。
だが、よく見ると副作用に「めまい」が書いてあり、大丈夫なのか?とちょっと不安になった。
それでも治らないので、自分で自律神経失調について調べ始めた。どうやら「検査しても理由がわからない不調」とかに付けられがちな診断名らしい。「肩こり」ありきで進み、検査すらしてないが大丈夫か?
さすがに不安になったので「あまりに治らないのでセカンドオピニオンというか別の病院に行こうと思う。紹介状を書いてほしい」と依頼したところ、院長が明確にイライラしはじめた。
「他の病院に行ってもねえ、精神科の薬を出されて終わりですよ?精神科の薬でいいんですか?」
いや、治るなら何でも良いのだが。精神科にかかるべきならそれでいいのだが。
とはいえあの程度でキレる医師がろくでもないことは判明したので、別の病院に向かった。
一通り問診を受け、念の為脳を見ようということでMRIなども撮った。ただ、その結果としても特に異常は見つからなかった。
異常がないのは嬉しいことだが、また原因不明なのかと諦めかけたところ、「とりあえずこれ出して様子見ましょうか」と目眩を止めるための薬が処方された。あるんかい。
娘を死産してちょうど1年が経った。
お互いに3人兄弟の末っ子で、子どもは最低でも2人欲しいね、なんて話をしていた。
でも子供は何年経ってもできず、不妊治療を始めることになった。
今は夫婦の3組に1組は何らか不妊治療をしているらしい。まったく珍しくもなんともないことだ。
不妊の原因はわからず、結局1年間かけても成果が出なかったので、高度不妊治療に移ることになった。
そして、本当に本当に運よく、1回目の体外受精で妻は妊娠した。費用は合わせて100万円くらいで済んだと思う。
不妊治療はゴールが見えない。何百万円もかけて、結果が出るかどうかもわからない。
多くの場合、不妊の原因すらわからない。あらゆる面で、つらく厳しい治療になる。
夫である僕も何度か同行したが、不妊治療のクリニックの雰囲気は形容しがたいものがある。
あれは本当に強靭なメンタルが必要だ。もしこれを読んでくださっている方で、奥さんが不妊治療をしている人がいたら、ぜひ1度でいいから一緒に行って隣に座っていてあげていてほしい。それだけでいい。
僕たち夫婦は、家族、ごく親しい友人数人に妊娠の事実を伝え、ひっそりと妊娠生活を開始した。
幸い妻にはつわりがなく、安定期に入った。安定期に入っても周りにはほとんど言わなかった。
あの不妊治療のクリニックの雰囲気を見てしまうと、簡単な気持ちで周りには公表できなかった。
少し奮発して、4D超音波エコーというのを撮影した。おなかの中の子どもは、一人の完全な人間の形をしていて感動したことを覚えている。
妊娠して5か月目に入り、妻が倒れた。
急に夜中に激しい頭痛で動けなくなり、タクシーで妻のかかりつけの総合病院の救急外来に向かった。
診察の結果、血圧がかなり高いとのことで、入院して様子を見ることになった。
病院の先生からは、夫婦同席の元、最悪のケースを想定した病状の説明がされた。
なんで医者はこんなに不安をあおるような言い方するのかな、なんて夫婦で話をしていた。
でも、入院して2週間経っても、妻の病状はよくならなかった。
医者から、妻の病状を専門で診られる他の病院のセカンドオピニオンを受けてほしいといわれた。
妻は、小さい頃からお世話になっているこの病院で産みたい、ほかの病院に移るのは嫌だと言った。
僕は、専門の先生に一度診てもらうだけだから、と妻を説得して、紹介された病院に向かった。
病院の診察室に入ると、大部屋に10人くらいの医者が待ち構えていた。
この瞬間、あぁ、妻の病状はかなり悪いんだ、と気付いた。
一番歳がいったベテランの医者から、妻の今の病状について説明があった。正直内容はほとんど頭に入ってこなかった。
唯一覚えているのは、赤ちゃんの命よりも、母体の命を優先する、という言葉だった。
診療が終わり、なんで医者はこんなに不安をあおるような言い方するのかな、と妻は話していた。
もしかしたら、ダメかもしれない、なんて僕の口からは口が裂けても言えなかった。
別の日に、改めて治療の方針について医者から話があった。また部屋には10人くらい医者がいた。
1日でも長く、赤ちゃんをお腹の中で成長させるために、できる限りの治療をする。
妻は泣いていた。
それから妻は、弱音一つ吐かずに、毎日注射をし、薬を飲み、手術までした。
会社の健康診断の血液検査で倒れる僕からしたら、本当に尊敬しかない。
かなり強い治療を続けたが、妻の病状は良くならなかった。
二週間後、主治医から、夫婦同席の元で今後の治療について説明したい、と言われた。
ついに来てしまったと思った。
妻には、一度外で待っていてほしいと伝え、僕が先に個室に入った。
妻が横にいると、僕自身が耐えられないと思った。
最初に治療の方針を説明してくれたベテランの医者は目をつむって部屋の端で静かに座っていた。
その隣で、他の医者から今の妻の病状について説明された。医者も少し涙目になっていた。
もう妊娠を続けることはできない、一日でも早く子供を出さないと妻の命が危ない。
僕はわかりました、と言って、妻を呼びにいった。
席に座った妻に対して、医者が話し始める前に「やっぱり、赤ちゃんダメだって」と声を振り絞って、妻に言った。
これからの人生、こんなに悲しいことはもうないんじゃないか、と思った。
でも、妻がもしいなくなったら、もっと悲しい、それだけは確かだった。
妻に隠れて自分も泣いた。
正直、ここから先の記憶はかなり曖昧だ。記憶を消そうとしている自分に抗って、今思い出しながら書いている。
妊娠中断の合意書へのサイン、両親への連絡、会社への連絡、そして休むことなく出産の準備に入った。
この時期になると流産はできず、陣痛を誘発して普通に出産することになる。
違うのは、赤ちゃんは外に出ても自分の力で息を吸うことができない、ということだけだ。
数日後、予定通り娘を出産した。
夫婦と娘、3人で写真を撮り、短い時間だが3人で一緒の時間を過ごした。
息つく暇もなく、葬儀業者に連絡をし、両親を呼び、あっという間に葬儀が終了した。
妻の体調は、入院時の体調が嘘のようにみるみる回復し、1週間で退院できることになった。
妻は、命をかけて娘を産んでくれた。
死なんてものは世の中にありふれている。夫婦にとって特別な死も他人には関係ない話だ。
こんな話、誰かに知ってほしいとも思わない。
でも、妊娠には、あの時こうしておけば、何かしてあげられたのでは、なんてないことだけは伝えたいんだ。
誰も悪くないし、どうか自分を責めないでほしい。
こんな自分勝手なエントリを最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました。
自己判断だけどなんとなく自分はややADHDっぽい性質があると思ってる。20年ぐらい前に安易にリタリン出すタイプの精神科医に生活上の困難を相談したら、あんまり深く検査もしないでADHDでしょうねとか言われたことがあったレベル。でもセカンドオピニオンを求めてちゃんと検査する大学病院行ったらリアルに鼻で笑われたから投薬とか受けてないけど。
社会人になってからタスクの管理が全然できなくてミスして怒られてばっかりで、鬱っぽくなって自分ADHDかも?と疑って受診したのが始まり。何も覚えていられないから細かいタスクまで全部テキストに書いて毎日何度も見返してた。時間感覚が全然ないことにもその頃に気づいて、自分がさっきまで何してたのか、何でこんなに時間たってるのか分からないこともしょっちゅうあった。何時までに何をどれだけやるのかっていう計画性とか時間の見積をする習慣が本当に全くなくて、これを少し身に着けて日々繰り返すことで少しずつ普通にこなせるようなってきた。(でも休日になると子供の頃と同じ暮らしに戻る)
自分の場合はよく過集中しちゃうんだけど、それって「今は先に○○しなきゃ」っていう短期記憶がすぐに揮発しちゃうのも一因かなと思ってる。視界に入ってないものは何でも本当にすぐ忘れる。本読むのが苦手で、前のページまでに何書いてあったか覚えてられなくてストーリーの全体像が頭に入らない。深く練られた物語とか伏線とか推理小説とか大抵くみ取れない。1日3回飲んでる薬があるんだけど、さっき飲んだのかどうか思い出せないことがしょっちゅうあって、飲んだ記憶がさっきなのか昨日なのか本気でわからないなんてのもザラにある。深夜になって、今夜の夕飯が何だったのかを思い出すのも10秒ぐらい悩んで頑張ってようやく思い出せる。
仕事の打ち合わせなんかしてるとき、細かいToDoとか懸念点とかの話がたくさん出てくるけど、3つ目ぐらいになるともうワーキングメモリからあふれるのが分かる。最近では「あっ今何か忘れた」って感覚すらある。(シナプスが切れた感覚とでもいうのかな?)怖くてひたすらメモするからメモが大量に膨らんでそれの整理に追われて疲れ果ててる。毎日何も抜けないようにするなんて無理で周囲からのトレースに物凄く助けられてる。
でもなぜか学歴はそんなに低くなかった。子供の頃は勉強する意味も分かってなかったし授業も一切聞いてなかったし、なんか怒られるからただやってた。テストでいい点とりたいと思ったことも無かったから万年学内で劣等生だったけど、高校卒業してから仕方なく大学受験のために自分で参考書買ってマイペースで独学したら結構楽しくて、人並み程度の点は取れるようになって一浪してちょっとましな大学入った。みんなが言ってる勉強ってこういうこと頑張ってたんだなってここで初めてちゃんと理解した。
思い起こせば幼稚園から大学卒業まで、犬猫みたいに瞬間瞬間を主観的に直感的に本能で生きてて、同級生がそれぞれどんな性格の人だったかほとんどわかってなかったことにも気づいた。他人にも感情があって、他人の立場から見て自分の振る舞いがひどいものだ、っていうことを理解したのは社会人になって数年たったころだった。孤独耐性がかなり強いし友達と呼べる人は今はいなくて、大学の知り合いと年に1回連絡とるかとらないかぐらいしか関係は残ってない。
こういう頭の悪さって家庭環境とか遺伝も関係あるのかなと思う。父親はかなりアスペ疑惑の強い友達いない嫌われ者だし、母親は部屋散らかってて掃除しないAC気味で離婚した。兄弟はDVキチガイでこれまたアスペ疑惑で20年ぐらい毎日自分が殴られてた。こんな家庭出身で自己肯定感は地に落ちてるし子供とか死んでも要らない。相方はいた方がいいとおもうけどまあどうでもいい。生きていくのしんどすぎわろた
子育て中の親が「うちの子が脱線ばっかりして宿題しない」とかいうのを目にすると、例えばこんな感じで無自覚に記憶が飛んでるのかなと思ってる。自分がいつもどんな行動パターンで時間を無駄にしたり何かを忘れたりしているのかを、まず本人が時系列で振り返って自覚したり、それを改めたいと自発的に思わない限り改善は難しいんじゃないだろうか。
軽度ではあるものの、人生初のうつ病の診断を受けて休職期間を経て会社を辞めることになった。一応復帰することができたので、振り返りも兼ねて経緯を記しておく。
私のうつ病は仕事に起因するものなので、同じように仕事で悩んでいる人や、実際にうつ病で休職している人の参考になれば幸いである。
(自分のスペックは世間一般的には高いほうだと思うので、そういう意味では参考にならない部分もあるということは前もって断っておく)
【私のスペック】
・男 30代
・旧帝大卒
・職歴:中小企業2社、大企業2社(システムエンジニア、事業会社で企画・開発などを経験)
スペックを見てもらえばわかる通り、飽きっぽい性格のためか同年代と比較して転職回数は多めだと思う。
ちなみに過去の転職理由は、年収を上げたいとか、業界を変えてみたい、という理由によるもので、今回のようなネガティブな理由によるものではなかった。
直近の会社の在籍期間は3年ほどで、過去の会社と比較すると一番長く勤めていた。
主にDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進するような部署に所属しており、私はデジタルやデータ活用に関わる施策の企画・開発に携わっていた。
それなりに成果も上げて役職も上がり、2年目くらいまではまぁまぁ充実感を得ながら働くことができていたと思う。
体調、というか精神面に異常を来すようになり始めたのは3年目くらいからである。
人手不足もあったことで担当する業務領域が増え始めたことと、役職が上がったことでより厳しい成果のハードルを課されるようになったことで、だんだんと精神的につらく感じることが多くなってきた。
これまでは自分の手を動かしていればある程度うまくいっていたことが、利害関係者との調整・偉い人への根回し、といったような難しいコミュニケーションが増え始め、なかなかスムーズにことが運ばないことに不安や苛立ちを感じるようになってきた。
コロナ禍でリモートワークがメインになったこともあり、直接会話すればすぐに済むようなこともチャットを何往復する必要があったりと、そういったこともフラストレーションをためることにつながったかと思う。
次第に以下のような症状・変化がみられるようになってきた。
・本が読めない、資料も読めない(文字は入ってくるが、理解ができない)
・趣味もやらなくなった
・日曜日は翌日のことを考えて何もする気がおきない(ずっとベッドのうえ)
会議をさぼるようになると他人の仕事にも影響が出てしまうので、「これはさすがにまずい」と思ったものの、だからといって会議に出れるようになるわけでもなかったので、とりあえず上司に相談した。
最初は業務量を減らして様子を見ることにしたが、それでも自分の仕事へのモチベーション低下や、思考力の低下は改善することがなかったので、
(ちなみに「軽度」としているのは、一般的にはうつ病になると性欲や食欲の低下も見られるらしいが、私の場合はそこまでには至らなかったので「軽度」とされた)
しばらく薬物療法で仕事をしながら経過を見ることになったが、どうにも仕事に手がつかなくなってしまい(がんばって働く意義を見出せなくなり)、また妻からの勧めもあり、私から「休職したい」と申し出て休職することになった。
病院では上記のような症状を伝えただけで「うつ病」と診断されたので、要因は自分で「これではないか」と考えたものである。
(他の病院でセカンドオピニオン的なものを受けたわけではないのでなんともいえないが、患者の言動をもって「うつ病」と診断するのはあまり科学的ではないし、仮にも医者を名乗っているのにそんなんでいいのか、とは思った。本筋ではないのでここでは深入りしないが・・・)
仕事から離れて時間的・精神的な余裕ができたことで、過去の自分の心理状態を客観的に振り返ることができたのはよかった。
今冷静になって考えてみると、うつ病の直接的な要因となった業務内容(利害関係者との調整など)はリーダーやマネージャーであれば普通にやっているようなことである。
にもかかわらず、精神的に不安定な状態となってしまったのはなぜか。(自分にリーダーやマネージャーの適正がなかった、ということも考えられるが、それだと解決にまで至らないのでいったんそれは置いておく)
今までの人生でもそうであったが、私は他人の言動に惑わされることが多いように思う。つまり、「他者の領分を自分の領分にまで侵略させてしまう」といったようなことだ。
具体的には、自分のやり方を批判されたり注意されたりすると自分自身が責められているような感覚に陥ったり、他人の要求を(それが理不尽なものだとしても)突き返すことができなかったり、などがあった。
これはいわゆる認知心理学的な話で、ネットやいろんな本を読んでみたところ解決策としてはマインドフルネスだとか感情ノート(自分が感じたネガティブな感情をノートに書いてみて、あえて肯定してみるトレーニング)が多く挙げられていた。
とりあえず実践はしてみてはいるものの、今のところ効果があるのかはよくわからない。(もしいい解決策があったら教えてください)
・コントロールできないことにこだわりすぎた
上の話から派生するものかもしれないが、自分ではコントロールできないことにこだわりすぎたように思う。
結果にこだわってどう動けばいいかだんだん分からなくなっていった。結果や評価というものは結局他人が決めることで自分ではどうしようもないことだと早く気付くべきだった。
自分は自分が考える最善のプロセスを踏むしかない、とある意味開き直ることが大切だったと今は思える。
コロナという状況で外出する機会が減ったおかげもあり、読書やネットでの情報収集を通じて上記のような思索ができたのは良かったと思う。
【その後について】
これまで真面目に働いてきた反動なのか、結局半年ほど休むことになった。次第に精神的に安定もしてきて、薬の服用も少しずつ減らすことができている。
うつ病になった経緯とその要因について振り返りたかったので、その後については本筋ではないものの、一応復帰はできたという事実は伝えておく。
復職することも考えたが、さすがに休んでいる期間が長かったので戻りづらいという気持ちが勝ってしまい転職活動を始めた。
もともとキャリアを通じて積み重ねていたことが時流に沿っていたこともあり、求人もたくさんあり転職活動はほとんど苦労しなかった。(特に聞かれもしなかったし、休職していることは伏せた)
結局いくつか内定を得ることができたので、転職をすることにした。
現状より高い年収を提示してくれる企業もあったが、あまり高いハードルを設定するとまた同じことを繰り返しかねないとも思い、お断りさせていただいた。
余談だが、今回、学歴や職歴が人生におけるリスクヘッジになることを改めて痛感した。
少なくとも書類選考で落とされることはほとんどなくなるし、「いつでも転職できるし辞めてもいい」という感覚を持てるのは今後の仕事人生でもプラスになると思う。
もし学生の方でこれを読んでいる人がいたらこれが一番伝えたいことかもしれない。
以上です。
正直最後のほうは多くの人参考になるものではなかったかもしれないが、こういう人もいるんだよということで同じように悩んでいる人の参考や助けになったのならうれしいです。
そういえばさ、
事務所内にいたらなんか関節が痛み、
外に出ると痛みが和らぐと言うことは、
事務所内にいるときは常にストレスがかかっているかも知れない説。
不穏な空気に関節は敏感なのよ。
きっと。
なるだけ動かずに過ごして本当に早く100パーセントまで腰パワーもっていきたいところね。
で、
これ前に書いたっけ?
ちょうど腰やってるの2年前の今頃で
逆に言うと2年周期なの私の腰?って恐怖心に炙られて秋の秋刀魚ちゃんのようにこんがり焼けてしまうわ。
力はあるのよ力は
って権力的な話しじゃなくて、
腰に聞くかは分からないけど、
ああいう所でやったりする
骨をバキバキにしてもらった方が
一発で治ってる感じがするから
それも分からないわよね。
前回は1週間程度で回復しきった感じがあったけど、
カレンダー見てみたら3回通ってたのよね。
今回は4回通うから
これは明らかに治りが、ってことになるわよね。
もうちょっとは大人しくしておかないとってことかもしれないわね。
大人しくしておくわ。
と言うか久しぶりね。
冷えてると駄目みたいね。
うー。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!