この一ヶ月は、今まで体験したこともないような幸福感と絶望感を経験した、ジェットコースターのような日々だった。
なんとなく予感がしたのは、ちょうど出張中だった。いつもだったら、アプリの通知とそこまで大きくハズレず生理がくるのだが、その時は来なかった。
出張中はずっと「生理来ないでくれ」と祈り続けていた。時折強い腹痛があったけれど、なんとか乗り越えた。帰りの電車では、ずっと妊娠の記事を読んでいた。
翌日、妊娠検査薬を使ったら、すぐに陽性反応。出社前だった夫にもすぐに報告。初めての妊娠だったので、すごく浮かれていた。
その後すぐに産婦人科で、正常妊娠なことを確認。半分夢見心地のような気分で、家に帰ったのを覚えている。
年齢も30半ばを過ぎて、やっと始めた妊活だった。恥ずかしながら、最初はタイミング法も基礎体温も知らなかった。
いろいろ調べて、ようやっと基礎体温を測りだした矢先、遅れた結婚記念日旅行のときが排卵日あたりになることがわかり、初めてタイミングをみて試した結果の妊娠だったので、もう運命としか思えなかった。
2回めの検査は2週間後だったが、もうその間は幸せだった。つわりで体調が悪いときも、「これが噂の!」と感動だったし、お腹の子が頑張っているんだ(実際は関係ない)と思っていた。
初めてたまひよを読んだし、妊娠アプリも入れて、毎日赤ちゃんの様子を検索していた。「この時期は神経ができる頃なんだって」とか「一日にこれだけ大きくなるんだって」とか、よく夫と話していた。
色々検索するにあたって、やはり流産の懸念はあった。年齢的にちょうどリスクが高まる頃だし、身近にも何人か流産を経験した人もいる。
浮かれまくって子供の名前や、出産にあたって何が必要か、とか調べているのと同時に、流産の記事もたくさん検索していた。次の検査日が近づくにつれ、心拍が確認できなかったらどうしよう、と毎日心配だった。
そして、2回めの検査。胎嚢は大きくなっていたし、初めて胎芽が確認できたのに、心拍が確認できなかった。
死刑宣言を聞いているようだった。手足が震えて、現実を受け止めたとき、涙が止まらなかった。
流産が起こる可能性は20%ぐらいだとも言われている。高くはないけど、低くもない確率。でもその20%になるなんて、思いたくなかった。
本当だったら、その足で母子手帳貰いに行って、両親に報告して、お祝いにケーキ買って…なんてのんきに考えていた自分が情けなかった。
その時点では、まだ流産確定じゃなかったが、もう自分の中では最悪の未来しか想像できなかった。
同じ週にもう一度、今度は別の病院で診てもらうように言われ、紹介状を渡された。
それからは、毎日流産のことを調べては泣き、後で心拍を確認できた人の記事を読んで少し心を持ち直したりしていた。お腹に手を当てて毎日「あなたは強い子だから、大丈夫だよ」と応援していた。
そして今日、大きな病院で稽留流産との診断がくだされた。心のどこかでは想像していたけれど、やはりキツかった。
本当は今日ダメだと言われても、別のところでセカンドオピニオンを聞くつもりだった。けれどモニターに映る胎嚢、胎芽が小さくなっていること、そしてそこに血が通っていない事がわかって、もう受け入れるしかないと思った。
話を聞きながら、号泣してしまった。そばに来て、肩をさすってくれた看護師さんの優しさが、本当にありがたかった。
今後の流れは、自然に出てくるのを待つか、手術するかの2択だと言われた。
「赤ちゃんが小さくなっていっているので、そこまでの大出血はないだろう」と言われた。
初期の流産は、遺伝子異常で起こることが多く、もう変えられない運命なのだと検索魔になったときに散々読んだ。
強く生きられないから、赤ちゃんが母体の負担にならないように成長を止めるのだと、最後の恩返しなのだと書いてある記事もあった。
それで言うなら、小さくなって、出血量を抑えてくれたこの子は、なんて優しいのだろうと、そう思えた。
不思議と、赤ちゃんに対して「ごめんね」という気持ちは起こらなかった。ただ、自分がもうちょっと若ければ、とか不純な気持ちでいたバチが当たったのか、とは思った。
幸せな未来を想像していただけに、目の前でそれが消えてしまうのが、切なかった。何もできない自分がやるせなかった。
流産してても、まだ妊娠中の症状はある。とても残酷なことだと思う。