はてなキーワード: コンパニオンとは
舞妓を呼ぶと金をとるくせに、舞妓自身は見習い扱いで無給ってのは問題じゃないかな。
舞妓を1人育てるのにえらく金がかかると言っても、就労に必要な研修を受けさせるのは雇用者の義務だし。
と思ったら、給料出したら、未成年を就労させてるってことでもっと問題なんだな。
めっちゃ闇深い。
他の伝統芸能とかだと、後継者育成として助成金が出たりするけど、税金で三味線やら日本舞踊を学ばせて、座敷に上がらなければ問題解決なんかな?
それでも、酒を飲んだ客がいる座敷で芸を披露しなくちゃ舞妓芸妓じゃない、ただの日本舞踊や三味線じゃなく、あくまで酒を飲んだ客が必要ってんなら、酒の席を盛り上げることに舞妓芸妓のアイデンティティがあるわけで、やっぱり本質は宴会コンパニオンということになるんじゃないかな。
もう終わりだろ。
一見さんお断りって、舞妓を守るためみたいに言ってるけど、裏風俗の言い訳にしか聞こえないよ。
エプスタイン島となにが違う?
アイドル活動だと、(枕の有無とかじゃなく)オカシナマイナー活動が「地下アイドル」と切断されるが
靴だのなんだ言う前にCAのほぼ全員女がやってる現状はいいの?
https://withnews.jp/article/f0170809001qq000000000000000W06o10301qq000015657A
ANAなんか日本人男のCAはゼロだって。令和になってもCAをコンパニオンガール扱いしてるのは明らか。
ここまで露骨な女性差別が行われてるわけだけどなんで怒らなかったんだろう?
CAがコンパニオンガール扱いされてる屈辱的な扱いで差別されてても高給取りならオッケー?
日本のリベラル活動って理屈を全員に適用する公正さが無いよね。やってることは右派の陣地取りだけ。
「プリキュア」「ワンピース」など、東映アニメーション4作品の通常放送再開が発表 「お待たせをして申し訳ございません」
https://animeanime.jp/article/2022/04/06/68680.html
約十年前、曇りだったあの日。新卒で入った会社で人材営業をする日々に疲弊していた頃、新宿駅構内で、あるエンタメ企業の求人ポスターを見かけた。
アニメを作る仕事をしたことはなかったが、興味を感じて応募したところ、あれよあれよという間に内定をいただいた。役員面接はパスだった。
それからの私は、『アニメを作る仕事』に邁進する日々を過ごすことになる。長い時間だった。毎日が修業だった。
数年前、無理がたたって病院送りになった。心も体も限界だったのだ。大したレベルではないが後遺症も残った。退院後も結局、心身の調子は回復しなかった。
それで、退職を申し出て、東京から遠く離れた田舎に帰った(のんのんびよりの聖地が近くにある)。今はお堅い仕事に就いている。
十分な時間が過ぎた。そろそろ、当時を振り返ってもよいのではないか。あの日々への整理を付けられるはずだ。今から、エンタメ企業のアニメ部門で○年の時を過ごした男の話をする。
この記事で述べたいのは、シンプルに2点(5/4 以前はシンプリーでした。ブクマでご指摘いただきありがとうございます)。エンターテイメント業界で働いて面白かったことと、つまらなかったことだ。直情的に言うと、『心と体の奥底から感動できたこと』と、『エンタメ業界のほの暗いところ(要するに、こいつらマジでクソだなと思ったこと)』だ。どちらもけっこうな数がある。
それでは、さっそく説明していく。
子どもの頃はアニメが好きだった。一番ハマったのは、『魔法陣グルグル』だった気がする。衛星放送では『白鯨伝説』やCLAMP作品を見ていた。
だが、小学校生活の終わり頃から学習塾に通うようになり、夕方以降にやっているアニメを見れなくなった。中学で勉強漬けの日々を過ごしていた私は、いつの間にやらアニメのことを一切忘れてしまった。
いや、違う。大学の時は、深夜にやっているアニメをたまに見ていた。「コードギアス」「DARKER THAN BLACK -黒の契約者-」「蟲師」「夏目友人帳」あたりは確実に見ていた。
人材営業の会社で働くようになってからは、金曜日の深夜に自宅に帰った時、疲れ切った頭でテレビを点けて「こんなアニメあったっけ」と、ボンヤリした気分で視聴することがあった。
私はたぶん、アニメが好きだったんだろう。なぜ見なくなったのかと言えば、十分楽しめるだけの精神的余裕がなかったからだ。ならばいっそ、見ない方がいい。中途半端に楽しむのは嫌だ。中学生になった時も、そんな動機でアニメを一切見なくなったのだ。きっと。
そんな私が、アニメーション作品などを作る会社(以下「弊社」という。)に入社した後は、これまたどっぷりと『世界』に浸かることになった。入社から退職まで人事異動はなく、ずっとアニメ製作部門だった。
最初の頃は、アニメ雑誌のインタビュー記事に出るようなプロデューサーその他の足もとで働いた。雑用はもちろんのこと、小さい企画を考案したり、経理その他の事務や、各関係者とのスケジュール調整などを担っていた。ホワイトカラーに毛が生えたような業務内容だ。
ところで、人生で一番最初に携わったアニメは、某少女コミックでそこそこ人気を博した作品だった。タイトルは言わないが、雰囲気は『隣の怪物くん』に似ている。私が入社する半年前から企画が始まっており、当初の担当者から引継ぎを受けた。携わったといっても、スタッフロールに名前が載るわけでもない端役としてだが。実際、大したことはしなかった。やはりホワイトカラーの枠内に納まる仕事だ。
しかし、これは実際に私の世界を拡げてくれた。方々の兵が集まる企画会議に、必要とあらば関係各所を訪問して説得交渉にあたり、お金の雲行きが怪しくなればどうにかやり繰りをする(ダメなら追加出資か企画削減)。ごく稀に、スタジオ等の収録現場では声優の本気と、半面その悲哀を目の当たりにし(ここらへんは後述)、成功した作品の打ち上げ会では、自分達が作った数字を眺めて溜飲を下げる。
長い月日が経って、エンタメ業界に慣れてきた頃だと、新作の立ち上げに、利害関係者間の調整(交渉)に、プロジェクト全体の損益見通しの皮算用に、イベントの企画運営に、ホームページの管理に……とにかく、アニメを見ない日はなかった。
面白かったのは、いろんな業界の人に会えることだ。クリエイターには当然会えるし、経営者にも会えるし、事務屋とも話をするし、現場労働で身を焦がす人も間近で観られる。特に印象に残っているのは、漫画家と声優だ。アニメーターとは、あまり交流の機会がなかった……。
とあるアニメの原作者が一番印象に残っている。つまりは作品の神だ。例の人と呼ばせていただく。
例の人は、ほかの漫画家とは一線を画していた。私がいっぱしに携わったと公言できるアニメは計20本近くになるのだが、その半数は漫画原作である。私達は、最低でも一度は彼ら彼女ら(作品の神)の姿を拝むことになる。機会は少ないが。
原作とシナリオを変える時には事前に伺いを立てるし(ex.某鬼狩りアニメの敵役の台詞である「禍福は糾える縄の如しだろ~」は改変が検討されたらしい。彼が難しい言葉を知っている境遇ではないため)、重要な放送回だと制作現場に来てもらうし、打ち上げその他のパーティーがあれば楽しんでもらえるように最大限配慮する。
自作がアニメ化されるレベルの漫画家や小説家というのは、揃いも揃って個性派だ。めちゃくちゃに大騒ぎをする人もいれば、ひたすら黙って沈思黙考の人もいれば、なんかもう色々とはっちゃける人もいれば、欲望丸出しで悪い意味で子どもみたいな人もいれば、一般企業でも通用しそうな思考や行動の持ち主もいる。
例の人は、漫画家として優れているだけでなく、人格も見識も申し分なかった。落ち着いた性格で、人柄がよくて、教養もあった。話のやり取りすべてが学びに繋がり、励みになった。初めて会った時の吾峠呼世晴さんは、とにかく、これまで出会った数多の創造者の中で抜きん出ていた。
普通、ラスボスの人格の根底を太平洋戦争末期の日本の政治指導者(所謂ファシスト)に置くなど、誰が考えつくだろうか。私は、鬼舞辻無惨の例の粛清の場面を読んだ時、丸山真男の「現代政治の思想と行動」が真っ先に頭に浮かんだ。あの時、脳に痺れを感じたのを覚えている。
この類の書物を読んで、無惨様のキャラクターを作ったのは間違いないのだ。自らを善とするためであれば、どんな言辞をも取り入れ、どんな諫言も亡きものにする。
例として、あの粛清の時に魘夢が助かったのは、「無惨様を肯定したから」だ。「下弦の鬼を解体する」というトップが決めた戦略方針が、たったの一言で撤回された――常なる無謬性がファシズムの基本である。
あの時、「無惨様のキャラ付けは旧日本軍を意識したのですか」と聞いておけばよかった。残りの人生で聞くことができる機会は二度とない。無念だ。
しかも彼等はみな、何物か見えざる力に駆り立てられ、失敗の恐しさにわななきながら目をつぶって突き進んだのである。彼等は戦争を欲したかといえば然りであり、彼等は戦争を避けようとしたかといえばこれまた然りということになる。戦争を欲したにも拘らず戦争を避けようとし、戦争を避けようとしたにも拘らず戦争の道を敢て選んだのが事の実相であった。政治権力のあらゆる非計画性と非組織性にも拘らずそれはまぎれもなく戦争へと方向づけられていた。
この業界で働いていて、「この感じ、苦手だな」「マジでクソだな」と感じたことは当然ある。字数の関係もあるが、何点かに分けて述べていく。声優の悲哀とか、人間の嫉妬やねたみの話になる。
TVアニメ「CUE!」 [Amazon prime video]
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まだ新人だった頃、先輩(兼上司)に連れられて現場を見ることがあった。現場というのは、アニメ制作会社とか、編集スタジオとか、音声の収録現場などだ。
そのためだけに現場に行くのではなく、何かの機会のついでに現場作業の見学を申し出るのだ。それで、不思議に思って聞いたことがある。
「(私達は)技術的なことはわからないのに、どうして現場に行くんですか?」
と。それに対して、彼はこう言っていたはずだ。
「確かに分からない。仮に、目の前で手抜きをされたとしても見抜けないだろう。でも、企画側である俺達が現場に行くことで、『あなたの仕事を見ている』というメッセージを伝えることができる。俺達はこの作品に熱をもっていて、いいコンテンツを作れる未来を目指してる。そういう想いを行動で伝えるんだ」
みたいな回答だった。
これは今の私が大事にしていることでもある。要は、発注側が受注側の実仕事をどこまで見るべきかという話だ。今現在の私は、受注側の失敗が社会的に許されない類の仕事をしている。転職後に大きな失敗をしでかさなかったのは、あの先輩のお陰だ。
さて。私が二十代後半の頃だ。例の先輩と一緒に、声優がいる収録現場に初めて音連れたのは。スタジオに入ってしばらく進むと、小ホールみたいな広い空間(座椅子が並んでいる待合スペース。十数人はいた。ほぼ声優+マネージャー)に出た。その奥に、マイクが並んでいる部屋が映った。木目調で温もりを感じる、しっとりとした空間なのだが、当時の私に予想できるはずもなく。カラオケみたいだなー、とテキトーに想念していた。
私と先輩が小ホールに入るなり、セミフォーマルな恰好の何人かが寄ってきて、隣にいる先輩に挨拶していた。私も混ぜてもらい、名刺を交換した。
雑談が終わって斜め後ろを振り向くと、女の子と淑女が1人ずつ、あとは男の子が1人、まごつくように並んで私を見ていた――人生で初めて見た声優だった。後で知ったが、攻めのある挨拶活動で知られる声優事務所だった。
ひとりずつ私達の前に出てきて、「~~と申します。(簡単な自己紹介)よろしくお願いいたします!」と、ハキハキした声でアピールをやってのけた。そのうちの淑女は、私の着ていた衣服(お気に入りのやつ)と指輪を褒めるとともに、香水をつけていることを見抜いた(やるな……と感じた)。男の子は謎の一発ギャグを仕掛けてきたのを覚えている。
※かなり昔のことだが、内容は一応伏せる。当日記では、声優個人の名前を出すことはない。
私も「よろしくお願いします」と返したものの、微妙な気分になった。たとえ私がどれだけ昇進しようと、彼女たちのキャスティングに関わる可能性は皆無だからだ。まったくゼロではないが……。
例えば、アナウンサーになりたい女子大生は、いろんなイベントにコンパニオンとして参加することで武者修行をするわけだろう。それらのイベントでは、今後関わり合いになる人だろうと、これっきりの人だろうと、あの子達は全力で挨拶活動をしていた。熱意は感じるのだが、やはり私には引っかかるものがある。
こんなことを思っている時点で、私はそういう職業には縁がないのかもしれない。今、私は『効率』という観点で物を考えた。あの声優の子が私に挨拶をしても報われる可能性はないのに、と考えた。夢中になっている人間は効率のことは考えない。やれることをすべてやる。それだけだ。
何かに心をとらえられ、たちまち熱中してしまうのは、謎にみちた不思議なことだが、それは子どももおとなと変わらない。そういう情熱のとりこになってしまった者にはどうしてなのか説明することができないし、そういう経験をしたことのない者には理解することができない。山の頂を征服することに命を賭ける者がいるが、なぜそんなことをするのか、だれ一人、その当人さえもほんとうに説明することはできないものだ。
はてしない物語(1982) 上田 真而子 (翻訳), 佐藤 真理子 (翻訳), Michael Ende (原著) P.17
あの子達は本気だった。報われようが報われまいが、声優として活躍すると決めたからには、生き残るために何でもやる。上でURLを貼ったアマゾンのレビューにもあるが、声優は堅気の仕事ではない。勝った負けたで全部決まる。精一杯頑張っても生き残れる保証はない。選ばれた者だけが生き残る――余談だが、あの時の淑女と男の子は今でも活躍している。女の子はだめだった。
さて。淑女と男の子は、実力があるうえに、礼儀正しく、サービス精神も豊富だった。それが生き残った理由だ。しかし、声優全般が行う営業活動には後ろ暗いものも当然ある。5ちゃんねるとかで、たまにアニメ業界の出身者がスレッドを立てて降臨することがあるだろう。
それで、やり取りの中で、誰かが「枕営業ってあるの?」と質問をする。スレ主は「そんなのないよ」「聞いたことない」と応えるのが定番だ。
これは、私個人の日記だ。この際だからはっきり言う。枕営業をしている声優はいるし、やらさせている声優もいる。重要なフォローをさせてもらうが、芸能界の表舞台――ひとつの契約で何百万もの金が動く――に比べれば圧倒的に数は少ない。声優関係のギャラというのは、例えば女性タレントが出るCM撮影や、青年誌のグラビアや、全国各所での公演活動と比べても相当に廉価だ。1回の収録につき数万円以内で呼べてしまう。表舞台に比べると利権は少ない。
それでも、そういうことはある。パターンは簡単に分けて2つ。いっぱしの声優になりたい、もしくは声優であり続けたい者が、キャスティング権がありそうな人に近づいて配役を得ようとする。
スタジオでの雑談や、小さい贈り物や、二人きりでの食事くらいで留めておけばいいものを、一線を超えてしまう場合もある。私が30才を過ぎた頃、例の収録現場で、声優に「よかったらご飯行きましょう」などと声をかけられたことがある(最終的な内訳:男性が2人、女性が5人)。
その際、はっきりと「ごめんね。私にキャスティング権はないんだ」と答えた場合、彼ら彼女らを傷つけてしまう可能性が高い。いや、はっきりいって『侮辱』である。なので断り方が難しかった。「帰って社内会議があるので」みたいな返答をしていた。
これはまだいい。声優個人or事務所の意思の問題だ。「あの役がほしい」とどうしても思っていて、そのためなら何でもやるという覚悟と責任さえあれば、枕営業は罪ではないと私個人は感じる。「この業界は堅気じゃない」とはそういうことだ。
(追記)正直に言うと、私の妻が声優だった頃に食事に行ったことがある。私から誘ったので上の内訳には入れていない。
以上、「この感じ、苦手だな」と思ったことを述べた。以下に語るのは「マジでクソだな」と思ったことになる。すなわち、個人が望んでいる保証のない枕営業のことだ。アニメ業界に限ったことではなく、エンタメ業界には先日話題になった映画監督のような『畜生』が何人もいる。結果を出している人間の一部がやりたい放題やっているのだ。
まだエンタメ業界にいた頃、そんな人間に捕まったと思われる(主に女性)声優の話を聞くたびに胸が痛くなった。このような話題が、どうして私などの塵芥の耳に届いているのか……? そう考えると、さらに心が抉られる思いがした。
おそらくは、やった本人または関係者が面白がって吹聴している。私のところまで噂が届くということは、そういうことだ。いろんな声優の姿が脳裏をよぎった。「あの子は大丈夫だろうか」といらぬ心配をしてしまうほど、当時の私には『噂』がグッサリと刺さった。
さて。エンタメ業界に恩があるのも事実だ。下種な話題はこれくらいに留めておこう。気が付けば字数がない。前後に分けることにする。
【後編】
両者は2本別々の作品だが、文庫化された当時、一冊にまとめられたもの。
共通するテーマは旅。いずれも見開き2ページで一話完結。さまざまなエピソードを収録している。
高度経済成長を経て経済大国となった70年代半ば、ブームになったのはハワイや香港などの海外旅行。
おりしもジャンボジェット機が就航し、高価だった海外旅行が庶民の手に届くようになった時代。
それまでの日本人の旅行といえば、熱海など温泉旅行。そして企業など慰安旅行が当たり前で、宴会どんちゃん騒ぎに温泉コンパニオン。
そんな温泉社員旅行のノリで、庶民たちが海外ツアーに出かけると、一体何が起こるのか。。。
バスタブを初めて使い、トラブルになる場面、当時のお土産の定番だったジョニ黒をネタにした作品、常磐ハワイアンセンターにダンサーを引き抜かれて本場のハワイではすっからかん、お土産にアロハシャツを棚ごと買い占める成金、といった当時の世相をユーモラスに描いている。
こんな客もいた。
英語をしゃべってみたくて、外人のスチュワーデスをコールするが、全く通じない。ワンスカッッチャンドワーラープリーズ!などと必死に連呼するも歯が立たず、添乗員を呼びつける。
スコッチの水割りを頼んでるのに英語が通じないんだと添乗さんに話すと、そばでその日本語を聞いていたスチュワーデスがオー!スコッチ・エンド・ウォーターのことね、とはじめて理解した、という。
全く英語のわからない外人スチュワーデスも困ったもんだねえ!と添乗さんに文句をいうオチ。
こういう人、いるよねぇ。。
安孫子先生の人間観察とそのユーモアあふれる描写の仕方は本当に好きでした。
海外旅行ツアーが大ブームになった70年代、一方、国内では、一人旅がブームとなっていた。
当時の日本の歌謡曲も、心の旅(1973)、岬めぐり(1974)、いい日旅立ち(1978)など一人旅をテーマにした曲が流行していた。
こちらの作品ではサラリーマン生活に疲れ、癒しを求めて一人旅にでた孤独な青年の旅先での小話が描かれている。
添乗さんが日本人の集団心理を切り取ったものだとすれば、こちらは日本のそうした組織風土に疲れて旅に出た青年を描いている。
モーレツ、と言われた時代が去り、しらけ世代という言葉が登場した70年代半ばというのは、どこかに誰も知らないところへ出かけたい、そういう時代だったのだろう。
なかでも印象深いのは、寝台列車に乗って、普段通勤していた駅に到着した朝、カーテンを開け、ホームで通勤列車を待つサラリーマンにわざと、お酒を飲んでくつろぐ姿を見せつけるエピソード。
線路わきでのんびり昼寝をしていたら、蒸気機関車の音にむっくり目が覚まし、
いまどきSLなんてめずらしいねーなどと、近くでのんきにSLを眺め、見送るエピソード。
驚愕したのは、朝からポジションを決めて待っていた撮り鉄たち。
線路わきから突如、人がにょきっと立ち上がって姿を現したため、予想外の出来事に動揺。邪魔だ、どけー!と叫んでも機関車の音で聞こえない。
「添乗さん」では、ホンモノをゲットすること、象徴的な意味での旅の証明としての戦利品を収集したり体験することが旅の重要なアジェンダとなっている。
例えば、マカオでニセモノに騙される日本人や、ビーチでナンパを試みたツアー客が間違えて日本人女性に声をかけながらも外人女性だけを探し求める姿などを風刺している。
一方、「さすらいくん」のほうでは、旅の目的は疲れ切った日常から逃避する場所を求めた癒しであり、ぬくもりだ。旅先の情報など何一つ収集しないし、旅の思い出を語る誰かもいない。
どちらも哲学的な意味での旅の本質をさらっと描いているのが秀逸だ。
この2作品は、旅というテーマを通じて、当時の日本人が何を思い、旅先にどんな夢を描いていたかを、
藤子不二雄Ⓐ先生にしかなしえないユーモアでもって簡潔に描写している、という点で同氏の傑作のひとつ。
どうもありがとうございました。
ども。110分6万円台の吉原S着高級でまんこ売ってる風の者なんだけど。お陰様で1月までは出勤を減らした関係もあって完売続きだったのに、流石にオミクロンの状況から完売は難しいということで実家に帰って長期休暇に入った。待機の時間があると気分が悪くなるから。その暇潰し。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1838463
風の人間にゴムつけろっていうのは簡単だけど、それは中々に難しい。増田はSWASHの人間というわけではないのだが、要さんの主張というのは現行の法規制を前提とする限りは明らかに正しい。「べき」論としてはよくわからない。事業として売春を認めるなら、性病検査は義務化してもいいのかなと思うので。で、本来これはスタッフであるらしいid:wuzukiなんかが書くべきと思うけど、なんか他人事でそのつもり無さそうだから自分で書くことにした。
最初に一つだけ指摘しておくと、現状の売春業者なりスカウトなりが売春合法化に賛成するかどうかは極めて怪しいと思う。それは箱にも新規参入を認めることになるだろうし、当局は次のターゲットとして職安法フル回転させてスカウト壊滅させることになると思うので、多分そんなロビイングみたいな真似しないんじゃないかと思った。単なる想像だけど。
で、増田は高校中退なので間違いがあったら訂正してね。内容は自信あるけど。
風の者にゴムを付けろという人々は、かんなみ新地が潰されたときは「いや〜潰れてスッキリですね、住みよい街になりそうです」みたいな感じだったんじゃないの。関西の新地はGフェラS着キスNGという粘膜接触ナッシングな皆様の理想郷なのに、そのときのブコメでは誰一人だって取り潰しに反対していなかったと記憶してるんだけど?
尼崎の女市長が潰すと言って女性票を集めて当選したので潰れることになったらしいけど、実際そこんとこどう考えてるんだろうね。「女の敵は女」というのが正解かどうかは分からないけど「売春婦の敵は普通の女」というのは間違いなくあると思う。
温泉むすめ騒動でも当初の問題について口を挟もうとは思わないけれども、「温泉街からコンパニオンが消えてみんながハッピーになった」という言説の登場には呆れた。「みんな」の中に温泉コンパニオンが含まれていないのは全く市民扱いされてないなと思う。
これは箱とデリでは箱の方が安全だし、新地はその最たるものなのに、法制度や現実の行政はデリやP活に誘導しているのと同じ現象がここにあると思う。本当は風の人間がどうなろうが知ったことではなくて、社会から存在が消えて(見えなくなって)ほしいという要求ってところが同じなのだ。
このブコメで安全性がどうとか言ってる奴も、保健所が数えた性病のカウントが上がることを嫌っているだけで、その先の風俗嬢がどうなるかなんて知ったことじゃないでしょ?
クラ淋は抗生物質飲むだけだし、梅も注射一本になった時代に何を言ってんだかね。性病の蔓延が全く問題ないとはいわないけれど、明らかに恐怖を煽って風の者を攻撃する材料に使ってるだろ。そういうのヘイトスピーチって言うんじゃないの?
で、前々から思ってるんだけど普通の女さんの特権階級ぶりって凄いよな。ちょっと怪我したくらいでフェミサイドでポストイットをペタペタとか一体どういうことなんだか意味分かんない。
大宮で風俗嬢が大量に焼け死んだときにそんな言葉どこからも聞かなかったんだけど。あれは風営法上の問題で建て替えが事実上不可能だからあんなオンボロビルで働かなきゃいけなかった結果なんだけど。風俗嬢が火事で焼け死ぬなり地震で壊れて下敷きになれば街が浄化されるだろうって考えの下に風営法があって、その結果として死人出したんだよ。これって国家によるジェノサイドそのものじゃない?未必の故意による虐殺でしょ。
あのとき誰もフェミサイドだなんて言わなかったよね。だから、まんこ売りにフェミニズムは百年早いってことで、別の主義主張が必要なのかなと思った。
はてな村では誰も知らない衝撃の事実なんだけど、ソープランドには保健所による立ち入り検査がある。この検査ってのが全くの無意味(遮蔽がどーたら水質がどーたら意味分からん)で、個室にゴム置いてあったら最悪の場合は営業停止になる。だから検査があると用意しているゴムは隠す。風呂屋は風呂屋なんだから売春は行われていないはずなのに、コンドーム置いてるのはおかしいよな?という理屈なんだけど、売防法的には全く正しいので反論のしようもない。
逆に、あくまで売春は行われていないのだから、保健所がセックスについて何かを指導することも出来ない。これが重要。
売防法を維持しながらコンドーム義務化というアクロバットをどうやって達成できるのか、誰か教えてくんない?売春なんてしていない自由恋愛のセックスなのに、その内容をどうやって規制できると考えるわけ?自由恋愛という建前がある限りGフェラか生フェラか、NSかS着かを法によって規制することはできない。スタッフすら命じることが出来ないので(命じたら管理売春だから)風の民の一人一人が経済的にどうとか健康的にどうとか考えながらゴムをどうするかについて選択しなければならんのは単なる現実。それが嫌なら売防法は改正しなきゃいけない。
売防法に文句つけたついでだから書いとくんだけど写メ日記に写り込んではいけないものが沢山あって(たとえばマット)、写り込んだものを見つけるとヘブンのパトロールが削除する。写メだけではなくて、そもそもマットとかイスとかチンコとか書いてもNGワードとして処理されるという中国のプーさん笑えないような規制があって、増田も部屋の中で撮ったなんでもない写メ日記を削除されたりする。これは削除しないようだとヘブンか店が摘発されることになるんで仕方なくやってる自主規制ね。
ネットでBBA学者いじめてる暇あるんだったら浅草警察に突撃した方がよっぽど表現の自由に資すると思うんだけど、何考えてんだか。どいつもこいつも全く使えないクズばかり。
売防法を改正して自由恋愛と売春のセックスを区分したとして、コンドームの着用を規制できるという考えもまた成立しない。たとえば、現行法でデリヘルではやってはいけないはずの本番行為をDC店はやってるんだけど、セックスはオープンに行うわけではないのだから規制・監視できていないので摘発なんてのは滅多にない。本番やったかやってないかを調べる方法なんかないし、店のスタッフがキャストにそういう指導したという証拠がなかったら摘発はできないから。逆に本デリが摘発されてるのはそういう証拠なり証言なりがあったということになる。というわけで、繰り返すけど滅多に摘発されないために成立してる。
で、今ですらNSってのは源氏名の前に☆が付いてるかどうかが違ったりするだけで、誰もゴムなしでセックスしろなんて命じてないって建前があるわけよね。今は客とのセックスを命じたら売防法に引っかかるんだけど、それをNSを命じることを禁止するようにラインを引き直したら何が変わるの?変わんなくね?
だからセックスの内容を法的には規制するってことはできないんだよ。増田はS着店にいるけど、客層が荒れるために店で禁止されている(もちろん明示的に禁止はしてないという建前だよ!売春してないからね!)NS営業をしている子は稀によくいる。うちの店の場合は義理風呂でスパイ入れて監視したりしてるらしいけど、それを法的に義務付けでもするわけ?使用済みコンドームを数える義務でも作る?部屋に監視カメラでも取り付けて客や嬢を処罰する?
するかどうかじゃなくて、できないんだよ。それを分かんなきゃ。だから法ではなく「掟」や「常識」で縛るしかないんだよ。新地がそうでしょ?
金持って来いっての。客としてS着店に行って、流行らせてやれば誰もNS店なんかじゃ働かないよ。Gフェラも自分から要求すればいいのに、なんでそうしないの?断らないよ。
とりあえず客になろうよ。そして、できれば良い客になろうよ。そうなってから他人に説教しようよ。
wuzukiはクソ客が風俗嬢最大の悩みだと書いてたけど、それは違うと思う。程度にもよるけど、本当に嫌なのは誰だって待機と茶なんだと思う。だからクソ客を受け入れるべきか悩むわけで。そしてスタッフもなるべくNGにしたがらない店があるわけでしょ?結局スタッフが客集められないからクソ客でも受け入れざるを得なくなってるわけで、そういう客に責任転嫁するところはスタッフやってますという人間としてどうなのよと思うわけでして。
そんで、ぶっちゃけ吉原ってNS店の増え方ヤバくない?もう半分くらいNSじゃないの?コロナ前から増えていたのは確かなんだけど、それが一段と加速してて怖いなと思う。大衆なんかでもやってて安売りが凄まじい。混合店もNSの子しか回転しないようで、厳しい時代だよね。私自身はS着で今の単価を下げることになったら引退するつもりだけど、どこまで下げずに済むのかな?と不安になってきた。
というわけで、四の五の言わずに来て頂いて、不安を解消するところから始めていただけませんか。そこんとこ、どうですか皆さん。
1998年2月14日、1998年度日本JC「地球市民づくり情報循環会議」、日本青年会議所建設部会、(社)旭川青年会議所(北海道、旭川JC)の幹部ら33人が、北海道旭川市駅前のホテル地下の居酒屋でハレンチな猥褻行為を目的とした「懇談会」を行なった。旭川JCメンバーと日本JC会議スタッフが「今日はバレンタインデーなので、旭川では女体盛りを用意しました」と幹部にコンパニオンを全裸にし刺身を盛り付けたパーティーを企画。その場にいた日本JC議長と副議長4人を含むメンバーらは、「一瞬「おおっ!」と驚きの声を上げ、次いで蜜にたかる蟻のように女体盛りに群がった」や「初め女の子はサングラスをかけていたが、乗ってくるとそれをはずし、脚も開いた。なかには刺身を股や乳首にくっつけてから食べる」JCメンバーもいたと週刊紙に書かれた。事件は6月になってコンパニオンしていた少女が補導され、パーティーを話したことで発覚。実はコンパニオンが未成年と判明したことで10月に議長らは旭川中央警察署で事情聴取を受けた。16歳の未成年に懇談会のために依頼した4人が逮捕された。そのうちの一人は不動産会社役員の東京JC会員(27)は売春防止法違反と北海道青少年保護育成条例違反で逮捕され、東京JCを除名処分となった。1998年11月3日と17日発売の写真週刊誌『FLASH』に「「女体盛り」逮捕犯」「あ!日本青年会議所(JC)議長のハシが乳首を!!刺身「女体盛り」ハレンチ写真」などの表紙見出しで、現場写真が2号連続で掲載された[5][6]。日本JCは「懇親会としては不適切で、反省すべきもの」という内容の見解表明をした。
1998年7月25日午後4時頃、日本青年会議所ファッション部会が神奈川県横浜市で開催された「日本JCサマーコンファレンス1998」会場で、客席100人ほどのステージにビキニ姿のコンパニオン2人が水着ショーの後、体にバスタオルを巻きつけてビキニを脱ぎオークションにかけていたとして市民団体などに苦情があった。神奈川人権センターはセクハラ問題として日本JCに対し事実調査と公表を求める申し入れ書を提出し、抗議した。後援した横浜市も事実関係の調査に乗り出し、日本JC側は事実を確認し、謝罪した[7]。
なんとなく漠然と嫌いだから家族旅行はリゾートホテルとかばっか選んでいたのだけど、ストリップ取り締まったら温泉街が廃れたツイート見て思い出した。
バブル全盛期の子供の頃祖母につれられ行ったけど、何もなくて面白くなく、幼児だったから空いてる時間にいとこと一緒に男風呂女風呂どっちも行ってみたら、男風呂の方が広くて立派で景色も良くてびっくりして、男女客でこれだけ差をつけるって嫌な所だなーって思ったんだよ。
やがて風俗コンパニオンストリップ目当ての買春おっさんツアーのメッカと知り、汚くて猥雑で男尊女卑な所だなってイメージが強くて。
バブル崩壊しておっさん買春ツアーが消えて、風呂の男女格差もなくなって、なんとなく忘れてたけど、温泉むすめ見て、今でもあそこはエロ女体につられてきた男狙ってんだなと。
温泉街からスーパーコンパニオンやらを排除したら街が死んだって言うこの話 https://togetter.com/li/1804594 って、この漫画 https://www.pixiv.net/artworks/94094648 のこの子を不幸にして自分達だけ幸せになると言うならお前ら全員不幸にならゃいいだろっていう話と同じ話だと思うんだが、なんでこんなにブコメの論調が違うんだろうねえ
社員旅行でみんなで温泉行って男たちはストリップ鑑賞やコンパニオンとのエロゲームに強制参加させられて
陰キャオタクがこの世で最も嫌いで滅ぶのを望んでた文化だろうにフェミが文化を破壊した!っていうアンチフェミ活動のためだけに擁護してるの笑える
外国人研修生を安月給で使えないと売り上げが減って立ち行かなくなるって言ってるのとなにが違うの?他の要因でドーピングしないとその産業単体で成り立たなくなってるならもう既に詰んでるんだよ。
あと、閉鎖的な田舎とか、昭和のノリのパワハラセクハラ企業とかには
そこで今暮らしてる人たちの暮らしのためには必要なものだよねとか、ずっとそうやって生きてきた人たちが急に生き方変えられないよね、なんて絶対言わないじゃん。
結局自分たちは温泉街でいかがわしい産業に従事する当事者になることは絶対無いってこと前提に擁護してるだけだよね。いかがわしい温泉街も必要云々言ってる人が女だとして「お前も結婚に失敗したらあそこのストリップ劇場か、ピンクコンパニオンとして働くんだよ^^」