はてなキーワード: ゲーテとは
「江戸の(あるいは日本の)レオナルド・ダ・ヴィンチ」とも言われる平賀源内。
しかしダ・ヴィンチを引き合いに出すまでもなく、その博覧強記な多才さと比べて、残した結果はなんとも少ない。
土用の丑の日が、後世ウナギを絶滅の危機に追い込んだことだけは凄いが、他は本当に「手を出してはみたけど当たらなかった」ことだらけで、
モナ・リザ以外にも(というかモナ・リザを筆頭に)様々な業績を残したダ・ヴィンチには遠く及ばない。
それこそダ・ヴィンチのライバルだったらゲーテのほうが妥当じゃね?ゲーテは絵画の才能なかったけど、その代わり文才だけで歴史に名が残るレベルだし。
中には源内を「早すぎた天才」「時代が彼の才能に追いつけなかった」なんて言う人もいるけど、もし源内が現代日本に生まれていたら、かのスティーブ・ジョブズくらいには活躍した可能性あるん?
どうなんでしょ?
最近よく見るので記録していこうと考えた
飽きなければ更新していく
①
大田区議会議員「リョナ、良いじゃあないですか。TPOはありますがね。私は好きですよ。」リョナ=主に女性虐待拷問コンテンツだが大切な『表現』だ。
↓
https://b.hatena.ne.jp/entry/4710144933054854466/comment/by-king
誰かが受け入れられないものが存在することを許されない世界では、同性愛だって当然許されないでしょう。
②
↓
https://b.hatena.ne.jp/entry/4710317388968603298/comment/kotobuki_84
ポルノやオタクコンテンツには軽々しくゾーニングしろって言うし、それは差別でも排除でも無いらしいやん。じゃあ障碍者も移民もホームレスも全部ゾーニングしろって言えばいい。ゲーテッドタウン作ろう。
kotobuki_84
自分はたぶん一般人寄りだと思うけど、表現の自由規制は議論すらも反対派。アニメは話題になってるのをときどき見る程度で二次創作は特に見ないし、Twitterも趣味(植物栽培)のアカウントをフォローしてるくらい。この騒動までそもそも子どものエロ絵みたいなものの存在もきちんと認識してなかった。普通の映画のキスシーンとかもなんか苦手なのでエロを極限まで規制されても困らない立場ではある。
それでも反対する理由は主に2つある。
1、これは共産主義との闘いだと思っているから。私は共産主義者に乗っ取られてしまった国に住んでいる。ゲーテは性差別的だからダメ、ショパンは愛国的でナ〇スだからダメ、三つ編みのおさげはダメ、トランプはキチ〇イ、みんな真面目にこういうことを言うし、そしてそれを外国人の私にまで押し付けてくるほどの全体主義っぷりなのに、「我々は個人の自由を尊重している」と叫ぶ。過去の文化は否定して、今はただ文化的砂漠が広がるばかり。一歩でも下がったらさらに一歩後退させられ、気付いたら日本がこの国みたいに何もない灰色の国になるのではという心配が強い。一歩も下がるべきじゃない。
これに付随してだけど、「国際的な批判があるから規制すべき」みたいな意見があることにもウンザリする。まず『国際的な批判』って具体的にどの国の人がどれくらい言ってるのだろうか。「世界」からしたらすごく少数だと思う。少数のクレーマーの意見を日本が国として聞く必要性はない。特に、自国の文化を相変わらずの集団ヒステリーで破壊して相変わらず「我々は正義」みたいな顔してるマヌケの意見とかこの世で最も聞く価値がない。ヨーロッパの大都市どこでも子どもが道端で乞食とか詐欺とかしてるし、日本の未成年の扱いをごちゃごちゃ言う前に目の前で乞食してる移民の子を救ってやれよと思う。日本は欧米が未だに中世マインドで生きてる野蛮人だとちゃんと認識してスルーすることを覚えて欲しい。
2、『議論』なんてものが行われたとしてもフェミ・リベラルを名乗る人々が大声で喚いて「はい、規制」って結論になる気がしてならないから。
いつだったかタイツ屋が燃えててるのがたまたまTLに流れてきて、燃やされてる中に可愛いイラストがあった。イラストレーターをフォローした。数日後、何も悪くないのにその人は謝罪していた。その後、フェミニストたちを観察していた。共感できる部分もなくはなかったけど、ほぼほぼ意味不明だったし、結局いつも声のデカい人たちでイチャモンつけて捨てアカで攻撃しまくってるだけ。これは『議論』じゃなくて、共産主義者の十八番のリンチでしょ。一般人は表現の自由戦士に引く前に、自称リベラル・フェミに引いてる。
まあ、絵を見て「わぁ、小学生とヤりたいな♪」って思考になっちゃう人が出てくることが心配なら、未成年のエロ絵にはすべてタバコのパッケージみたいに警告文書いておけばいいんじゃないかと思う。ただ、絵を見て「わぁ、略」ってなっちゃう人は絵を見るまでもなくそうなっちゃうと思うし、子どもを守るために取るべき対策は創作活動の制限ではなく、子どもの使用済みパンツを購入した人の監視とか?じゃないのかとも思う。
もしも「シェークスピア、バイロン、シェリー、ブレイク、コールリッジ、ワーズワース、テニスンの詩なんか学校教育で教えるのは無意味」とか言う英国人がいたとして、それを見たら、英国人じゃない自分でも「うわ……」と感じるだろう。上の例でピンとこない人は、ホメロスなり、ダンテなり、ゲーテなり何なり、適当な人名に入れ替えて下さい。
実際は、欧米の政府首脳や政治家は、演説で聖書の一節、ギリシャ/ローマの古典、有名な詩人の詩から引用することが珍しく無い。そういう場面を見ていると「風雪に耐えて残った古典」の価値を見抜ける/理解できるような頭の持ち主でなければ、国家百年の計と云う長期的なプランを建てる重職を任せられないと云うコンセンサスが、政治家や有権者の間に有るように見える。
また、古典は宗教その他の思想的バックボーンを反映しているものなので、良かれ悪しかれ国民性を反映している。政(まつりごと)をするには民の心を理解して掴まねばならない。したがって、為政者は和漢の古典を読み、よく人の心を学ぶべしと云う旨を、江戸の学者は説いていた。昔の中国でも、知識人は同じ旨を説いていたと思う。それらは理想論に過ぎなかったのかもしれないけれど、理想を失くしたら人間は御仕舞だと私は思う。
自民党の政治家もそうだし野党の政治家もそうだけど、日本の政治家は古典を引用した演説をしない(できない)。それを見ると、この人たちは、行き当たりばったりで長期的に物事を見る能力に欠けている、その場凌ぎ思考の人間ばかりなんだなと私は思う。五十年〜百年経ったら、後は野となれ山となれと云う考え方の持ち主なのだろう。
虚偽答弁をする政治家に対して、対立政治家が「いつはりの無き世なりせば如何ばかり人の言の葉嬉しからまし」とか知的で洒落た皮肉を言えたら、グッとくると思う。しかし、現実の日本の政治家は、バラエティ番組的な物言いをする人間ばかりである。
古典に関する教養は、即物的な意味で役立つ訳ではないのは確かである。けれども、頭の中身や心が貧しい人間か否かを見抜くためのバロメーターにはなり得ると思う。心が貧しい人間が政治家をすると、人間に対して酷薄な政治をすると思う。例えば、麻生太郎の言動を見ると、そう思わないだろうか?まあ、野党の政治家も五十歩百歩なのだけれども。
少なくとも、口先だけは愛国心を説くくせに日本の古典に対する教養を持たないような政治家を、私は信用できない。そして、それを国民が見抜ける状態でいるためには、やはり古典に対する教育は必要なのだと私は思う。
芸術の力、すばらしさ(コロナ禍の中で)、みたいな話をチラホラ見かけるけど、自分は全くそう感じなかった。
ただの、ナポレオン・ゲーテと同時代を生きたベートーヴェンの話。
上田氏自身は、芸術は基本的にはなんというか虚業だと思っていると思う。でもこの時代に生まれた人間として文化芸術を愛していて、作る側・守る側になる道を選んで。守るために、意義あるものにするために、と考えて作っているんじゃないかと思っている。
「音楽の力」「音楽でやる」っていうのは、今考えてみると歌でトップの座に上り詰めた望海さん自身のことのようにも思えてくる。頭身バランスや華やかさではなく、歌でやる、歌の力。
最近は出羽守が大人しくて、10年以上も神州日本を毛唐かぶれどもの文化侵略から護る聖戦をネット上で繰り広げてきた僕の生き甲斐が無くなってしまった。
コロナ以来、白人や黒人の八つ当たりでぶん殴られるチビで醜い犬以下のアジア人の立場になった欧米在住日本人たちは、すっかり自分たちの小さな世界に閉じこもるゲーティッド・コミュニティの住人と化してしまった。(僕らのクオモが老人をコロナで殺処分するセクハラ野郎だったのも痛手だったようだ)
一時期イキってた中国在住日本人たちも、香港・ウイグルと中国父さんのアレっぷりに(今さら)気付いたのか、黙って商売だけできりゃいいやって感じに閉塞してる。
個人的には台湾出羽守と議論したいのだけど、ネトウヨ推しの国なのが気に入らないのか、イマイチ「○○(国名)出羽アレもコレも最高! ソレに比べて日本は最低!」式の攻撃的な出羽守の殴り棒に採用されにくいようだ。
雪組だけに?
これ一幕ものでよかった、と思う。
雪原?ロシア?ロシア。ナポレオンが敗北したロシア。でもサクサク動いてみんなを助けて、いい人なんだなあナポレオンさん。
ここは少し気持ちがダレた。もうちょっと演者側でやりようがあったように感じる。ワンスのマックスやこのナポレオン、月城かなと氏だったらどう演じたかなと考える。city hunterは楽しみにしている。
ベートーヴェン「おれたちは何のために生きてるんだ」
ナポレオン「苦しむためだ」「苦しむためじゃなかったら、おまえは何のために生きてきた」
「人間はあらゆるものを発明することができる。ただ幸福になる術を除いては」不可能あるやん、ていう。
出生名
ナポレオン「そ!こ!そ!こ!」
わらった。
!!ナポレオンてEU構想持ってたの⁈つながった!第九、the European Anthem。なるほど、ヤバ!
音楽は数学だし、昔は世界を解き明かす学問として必修科目だったしね。
再び勝利。
「愚人は才人にまさる大いなる利得を有する。彼は常に自らに満足している」
ナポレオン「生きることは、不幸だ。不幸に敗北するか、それとも不幸に戦いを挑むか、それとも」
ナポレオンが死んだのは1821年。ウィーン会議から6年経ってる。第11場ウィーン会議にロッシーニがいたことを考えると、あそこで1822年ぐらいまで描いていたと考えてもいいのかもしれない(『セビリアの理髪師』1816、『どろぼうかささぎ』1817、ロッシーニウィーン訪問1822)。
謎の女「誰もがわたしを憎む もうひとりのあなたとも知らず 醜い不吉な女だと 憎んで恐れて逃げまどう 憎むほど自由奪われて ただ 死を 待つ」
ベートーヴェンも謎の女に失せろと言った。そして孤独期、曲も作れず、ただ…。
謎の女「死は、救いなの」
ベートーヴェン「哀しく強い、おまえの歌」
あーー。だから、曲、献呈。「やるならやってみろ、運命よ」は1816年の彼の日記のことば。
「今、運命が私をつかむ。やるならやってみよ運命よ!我々は自らを支配していない。始めから決定されてあることは、そうなる他はない。さあ、そうなるがよい!そして私に出来ることは何か?運命以上のものになることだ。」
上田氏の京大講演会「経験の中で一番痛いもの、辛いことが不愉快なものなら、当然、それがなくなることはない」
ここは本当にありがとうと言いたい。望海真彩(あと非常に聞こえづらいけど多分望海の右手)でメロディを歌いながら、真彩の右手がオーボエパート、望海の左手がクラリネットパートかな、をなぞってきっちり3声の対位法をやってのけた。歴史に残るメロディ爆誕の瞬間。1822年。
モーツァルト「不幸と一緒になって、よろこびをうたってる!」
シラーの『歓喜に寄せて』は、もともと『自由賛歌』で、ベートーヴェンが感動して曲をつけようとしたのは『自由賛歌』のほうであるが、当時の体制下で云々。…というのは都市伝説であると、英語版のWikipediaには書いてあるなあ。日本語版の出典のひとつはURLの変更があったっぽく今はたぶんこっち。もうひとつの出典では『自由賛歌』がシラーの作品だとは言っておらず。セイヤー氏の著作が都市伝説の元なのかな。
ベートーヴェン「あー」(A4)
運命「あー」(A5)
1815年の手紙から。日本語訳がピッタリこないけどドイツ語わからないから2つの英訳。
"We finite ones with infinite souls are born only for sorrows and joy and it might almost be said that the best of us receive joy through sorrow."
"we mortals with immortal minds are only born for sorrows and joys, and one might almost say that the most excellent only receive their joys through sorrows."
よかったね天国行きだよ!
あー、早霧さんが出てた世界ふしぎ発見でやってた話。
und der Cherub 音楽は おれたちのものだー! steht vor Gott, フォルテー! steht vor Gott, フォルティッシモー! vor Gott, フォルティッシッシモー! vor Gott.
ここだけドイツ語詞で、ケルブ様出てきた。第九の中のここの歌詞の解釈はなかなか大変なようで、まあなんとなく壁・障害・天国/楽園行きを阻むもの・自由を阻むもの、ぐらいで自分は捉えておこうかなあというところ。
今作においては、ベートーヴェンさんお亡くなりになりました、ってことかしら?
そりゃalla marciaには入らないよね。音楽配信も始まってしまったわけだけど、これ音だけで聴いてると爽快にズッコケる、爽快。そのうち慣れるだろうけど。
きたー
ベートーヴェンの葬儀には多くの市民が続々と駆けつけ参列者は2万人、異様な様相、大混乱だったと。
うたえ 生きとし生けるもののうた
なんかここのベートーヴェン(推定54歳)と運命さん(年齢不詳)の振り付けかわいいな。
ぴあの上田久美子インタビュー記事より(2020/3/16 コロナ前)
耳が聞こえなくなって絶望し、一度は死ぬことも考えたけれど、神から与えられた才能は自分だけの物ではないから、身体の中の音を外に出すまでは死ねない、どんなに不幸でも生きていようと思ったそうなんです。すごいですよね。そうやって作った最後の交響曲が第九で、その合唱部分の『歓喜の歌』は、今で言ったら異常に盛り上がるロックみたいな感じだったと思うんです。それを、音楽のために一切の個人的幸福を諦めた人がどうして作れたのか、ぜひその物語を書きたいと思いました。
お見事。
配役を見て?が浮かんでいたところに次々とピースがきれいにはまっていく気持ちよさ。タイトルの意味しかり。
重くなりがちなベートーヴェンの話をできうる限り軽快に描き、新しいベートーヴェン像を見せてくれた(そもそも楽聖ベートーヴェンのイメージはシントラーやロマン・ロランによって作られたもの)。
第14場がコーダっぽかったので、ソナタ形式に当てはめて考えてみた。
*一瞬だがベートーヴェン真ん中でナポレオン、ゲーテが左右におり、謎の女もいるので。
うーん、苦しいか?意外とうまくハマった気がしている。
『風立ちぬ』はシン・エヴァンゲリオンのアナザーストーリーだと気づいた。
以下、エヴァのネタバレは無いが風立ちぬのネタバレはあるので注意。
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1つめは飛行機技術者、堀越二郎の人生。彼は零戦を作ったが、別に妻は結核になってないし、子供も6人いる。
2つめは小説『風立ちぬ』。妻が結核になる話。ただしアニメと違って夫は妻に寄り添ってる。
3つめは宮崎駿の人生。飛行機作り=アニメ作り。妻をほっぽって飛行機作りに熱中する堀越二郎=家庭を顧みない宮崎駿。膨大な予算で国民を飢えさせながら飛行機作りする堀越二郎=ジブリのアニメーターの創造性を犠牲にして自分の作品作りの為に才能を搾り取る宮崎駿。人殺しの道具を作る堀越二郎=アニメに熱中する人間を生み出した宮崎駿。
戯曲『ファウスト』の主人公は、大学で博士号を取ったファウスト博士で、ファウストはあらゆる学問を学んで知識をつけるが「知識だけあっても、あらゆる人生経験を積んだ訳じゃない」と思い悩む。
そこに悪魔のメフィストがやってきて「お前にこの世のありとあらゆる経験を積ませてやる。その代わり死んだら魂を貰うよ」と持ちかけてくる。
メフィストと契約したファウストはさっそくグレートヒェンという少女に恋をして、彼女と付き合う。その後いろいろあって彼女のお母さんを毒殺し、お兄さんを刺殺し、妊娠した彼女を捨てて、その結果彼女は発狂して自分の赤ん坊を殺してしまい死刑になる。
その後ファウストは違う美女を探しに異世界に行って大活躍し、現実世界に戻ってきても大活躍し、散々好き放題やった末に一生を終える。
ファウストは死後、天国と地獄の中間地点『煉獄』につき、メフィストに「約束通り魂貰うよ」と言われるが、そこにファウストによって散々な目にあった少女グレートヒェンがやってきて、彼女の祈りでファウストは救済される。
『ファウスト』を要約すると、悪魔に魂を売った男が好き放題して最後は地獄に落ちそうになるが、理解ある彼女さんのお陰で天国行けましたという話。
『風立ちぬ』のラストシーンでは、地獄のような光景が向こう側に見える綺麗な丘で、堀越二郎がカプローニさん(堀越二郎をたぶらかした男)、そして美穂子(堀越二郎に人生を振り回された少女)と対話する。
魂を取りにきた悪魔と、そこから救いに来てくれた聖女。これは『ファウスト』のラストシーンと重なっている。
しかし宮崎駿が当初考えていた風立ちぬのラストは、より踏み込んだものだったらしい。
『ファウスト』ではグレートヒェンの祈りでファウストが救われるが、風立ちぬの真ラストでは、菜穂子が「来て」と言った後にカプローニさんが「その前にちょっと話でもしていかないか。美味いワインがあるんだ」と言って堀越二郎を地獄が広がる丘の向こうに連れて行く。これが当初の案で、ギリギリになって修正されたと語られている。
要するに「は?お前何救われようとしてんの?お前も地獄に落ちるんだよ」エンドだ。
この非情な展開を庵野秀明演じる堀越二郎に味合わせるストーリーを考えたのが、庵野秀明の師匠である宮崎駿だ。
庵野秀明は創作に魂を捧げた代償として、地獄に落ちるはずだった。
「どこにいても必ず迎えに行く」と約束されても、宮崎駿にガッチリ肩を組まれて「違う違う、お前が行くのはこっちだぞ?」と地獄に引きずり下ろされるはずだった。
!謎の女は通訳役だったの⁈天才すぎる上田先生。謎の女無駄に歌うまいなぁ。ふた言ほど通訳した後はハミングに切り替えて実際は通訳していることを表現しつつ、劇中のゲーテとベートーヴェンは普通に会話をする。
実際はベタ褒めだったようだけど、なるほど。
有名なエピソードきました。劇中では皇帝皇后カール大公ルドルフ大公メッテルニヒもいたけれど、史実で目にしたのは皇后マリア・ルドヴィカとその取り巻き。
皇后は史実では1807年に2番目の妻マリア・テレジアが亡くなって、1808年にマリア・ルドヴィカになっているけど、劇中では千風さんが通しで演じている。だからこそ配役の名前も「オーストリア皇后」でぼかしてるんだな。
謎の女「過激なことを言わないで」
青木やよひ氏の著書によると、ゲーテはベートーヴェンを直接諌めるようなことはしていなかった。
ベートーヴェン「奴は、負けない」
ナポレオンを完全に否定しきれていないというのは、かげはらさんの記事と同じ。
実際はその後和解してた模様。
1812、1814。
葬送行進曲は、若干不吉さを増すオリジナルパートが加えられているか。
百日天下飛ばされたけどウィーン会議きたなあ1814年、退団の煌羽さんがメッテルニヒだしな。
青木やよひ氏の著書では、ゲーテはナポレオンの後継者をメッテルニヒに見出したとも言われるらしいが、イェナ大学監督官の職を固辞。それは事実上の監視役であることを察知したからでは、と書かれている。これや。
ふむ、ベートーヴェンの2歳下。彼の窮状を救うようメッテルニヒに訴えたという話を見かけたからそれ絡みかなあとも思ったけど、単純に宮廷側。(なおサリエリ も、ベートーヴェンの《ウェリントンの戦い》1813の演奏会で打楽器だかで出演という話もあったけど、単純に宮廷側の模様。)実際ロッシーニはウィーン会議にはいなかった、かな。ウィーンでロッシーニ人気が吹き荒れるのはウィーン会議後か。
されど進まず。
監視社会。
史実ではゲーテはテプリッツの時点でベートーヴェンの耳のことを知っていたよう。
メッテルニヒ「彼らはただ腹を満たし、あたたかいベッドで眠りたい。そのためなら革命の大義も唱え、それでも不満なら変節して皇帝を支持する。彼らにとっては、革命でも、皇帝でも、音楽でもいいのだ、楽になれたら。さあ曲を書きたまえ、国民が日々の憂さを忘れるような」
痛烈。
謎の女「イギリスへ行きましょうよ」
お?
うん。家政婦と通訳するうちに情が湧いたのかな。
「ほんとうに、聞こえてないのか」
「彼は終わりですな」
映画『不滅の恋』ではピアノ協奏曲第5番が崩壊し、アンナ・マリー・エルデーディが助けるシーンがあるけど、曲がなんだったにせよこんなことあったのかな。
去っちゃうのー⁈最後まで援助してたルドルフ大公も。とことん追い込むやつね。
夢白さん美しい。耳が聞こえない怖さを感じたシーンはこっちだったかな。
おう、帰るんか。ほんとは一回も帰ってないらしいけど。
3拍子かと思ったら4拍子。オリジナルか。
おおーー、うーん、これもとことんベートーヴェンを追い込む設定か。実際はベートーヴェンより後に亡くなってる。じゃあさっきベートーヴェンに話しかけたエレオノーレは過去の幻影というよりも天国に行く前だったか。
小さな炎の健気さ、好き。
テプリッツから戻った1812年の秋から6年ほど、"傑作の森"期を抜けたベートーヴェンはまた孤独期に入る。《ウェリントンの戦い》やウィーン会議での成功も彼にとってはなんでもなかった模様。交響曲については1812年7番、8番ときて、次の9番1824年完成までは10年以上開く。
不滅の恋人Aとの破局、ナポレオン失脚、急激に悪化する耳(1812年時点ではまだ道具に頼らずとも会話ができていた)、パトロンたちが亡くなり経済的に困窮。甥カールの親権問題なども。これが劇中では、ナポレオン失脚は同じとして、ゲーテとの決別、難聴を暴かれ演奏会で失敗、ルドルフ大公も去り(パトロンがいなくなるという点では一致)、そしてロールヘンの死(不滅の恋人との破局にあたるか)、になってる。
野外コンサートだったのかぁ。歌詞で言ってるのね。うんもうちょっとがんばってほしいぞ。いや素人っぽさがよいのか。
ベートーヴェン野外コンサートなんてしてたのかな。チラッと調べた限りでは見つけられず。
できましたか(1808)。かっこよいアレンジ。冒頭ヴェルディの《運命の力》かと思った。あ、運命つながり?
ルドルフ大公(歌)「奇跡のスピード 次々生み出す 交響曲 協奏曲 未知の大きさ 新しい音 今こそ 目覚めた かく めい かー」
モーツァルト「どれも傑作だぁー」
ハイリゲンシュタットの遺書を書いた後10年間ほど(1802-12)はベートーヴェン中間の充実期とされている(傑作の森)。実際は交響曲第3番《英雄》が皮切り。《運命》は"傑作の森"期の後半に入るころの作品で、ここまでにヴァイオリンソナタ《クロイツェル》、ヴァイオリン協奏曲、ピアノソナタ第23番《熱情》、交響曲は第5番《運命》と同時に作られた第6番《田園》までかな。
かわいすぎる。
あらま!改訂中?それともまだ完成前だった?あらま!望海氏弾いてる!生観劇時も配信も同じところでミスタッチ?わざと?
げー、無声口唇破裂音(p)ってあんなに速く出せるものなの?そして望海氏はダブルタンギング要らずの人か(t)。うーむ、滑舌の訓練のたまものなのかな。管楽器かじった人間として恐れ入る。
ヴェーゲラー夫妻は1807年からコブレンツに移り住んでたようだけど、まあボンとそれほど離れてないか。
「もし対位法と同じぐらい戦術に精通していたら、目に物を見せてくれように」
ナポレオンウィーン侵攻中、謎の女が《運命》を献呈されつつ家政婦としてがんばっててかわいい。
ナポレオンとゲーテの場面きた。史実では1808年の諸侯会議の場で、日を接して3度会っているとのこと。ちょっと遡ってるのか。ナポレオンはウェルテルの愛読者で、エジプト遠征中(1798-9)に7回読み返ししたという。
「これこそ人間だ」「ここに人有り!」ナポレオンがゲーテを見るなり言った。
ゲーテはナポレオンに傾倒していたとのことで、ほんとはこんなこと言ってないと思われるけど、なるほど。
ナポレオンの理想を認めつつあくまでその達成手段には否定的な本作のゲーテ。主人公ベートーヴェンとの現実の関わり度合いからしてなぜゲーテが2番ではなく3番なのかと思っていたけど、ゲーテがナポレオンの心の代弁者の役割か。まあゲーテとは年齢も開きすぎか。
ナポレオン「余を毎夜さいなむ問いは、進むべきか、否か」
ベートーヴェン「否ー!」
再び盆が回っての見事な場面転換。あれ部屋きれいだ。
かいがいしく世話してる笑。家事からきしダメだったけどがんばったのか、掃除も食事も。なんでがんばってんだ笑。
ベートーヴェンの部屋はずっと汚かったっぽいけどな。ごはんも食べずに、とかはどうだったかなあ。食事に招いても現れずに作曲に夢中になっていたというのはNHKのプロファイラーでやってたか。
ベートーヴェン「なんだその格好は」
ツッコんでくれてありがとう気になってた気になってた!
謎の女「これ?すてきでしょう?あたしを見てどう感じる?」
なんかここ、市原悦子みがあった笑。家政婦だけに?
ほう!
ベートーヴェン「お前は、俺の才能なのでは⁈ もしそうだとしたら、まさにお前という才能こそが、俺の、恋人ということになる」
配役になかったしベッティーナは飛ばしますわね。そしてゲーテとベートーヴェンがテプリッツで会ったのはまあ一応偶然だった模様。
1812年きてる!
《悲愴》1798が今きた。難聴に苦しみ出したころの作品、と思うと、エレオノーレの語ることばとシンクロする。
ナポレオンのウィーン侵攻から3年経ってるから、エレオノーレは2人目の懐妊?
なお3楽章はショーで使われるのでした。
エレオノーレ「耳のことを隠して」
ベートーヴェンっていつまで難聴を秘密にしてたんだっけか、少なくともハイリゲンシュタットの遺書まではそうだとして。
謎の女「いいの?帰らなくて」
悲しいゲームの話をしよう。
つい最近サービスが開始されたばかりなのに、知名度が低い作品。
自分が遊んでみて、結構好みなんだけど売れそうにないゲームの話を。
「咲うアルスノトリア」。
ニトロプラスがシナリオを作り、グラサマのシステムにそれを乗っけた悲しきキメラの話だ。
◆悲しいその1 ウマ娘の直後に始まった
これだけでも説明は十分だろう、話題はすべてゴルシにかっさらわれた。いや、ゴルシだけじゃないけど。
巨大な花火が打ち上げられた直後に、たとえ観るべきところがあっても小さな花火は誰も見てくれない。
◆悲しいその2 システムが古い
観た感じ画面はグラサマ。システムもだいたいグラサマっぽい。グラサマやってたわけじゃないんでどこまで一致とかは言えないけど。
これは何かというと、システムもUIもだいたい3~5年くらい前のソシャゲな感じ。
◆悲しいその3 ガチャが渋い
キャラと武器(ここではシジルといわれる)の混合で、キャラの出る確率は3%。渋い。
最初に固定キャラ1+確定2で3キャラは確実にいるのだが、初期石と初期ログインボーナスで80連を回せるとしても、キャラが出ない可能性がそこそこある。
自分は初日に1体来たので4キャラとなり、フレンドを入れないとバトル枠が埋まらない……という事態は避けられたが、それ以降出てこない。
しかも、このシステムメインストーリーを進めるほどガチャにキャラが増える(FGOのストーリーガチャと同じ)タイプだった。
また、キャラによっては周回ドロップ(艦これのレア堀り)もある。
なので、初日にキャラをたくさんそろえて……というゲームではない。先に言え。
◆悲しいその4 育成がだるい
FGOで言う種火もQPもすぐ枯渇する。種火周回には消耗品が必要で、なくなったら補充方法が課金しかないっぽい。
……と思ったら、係活動(艦これで言う遠征だ)でじわじわ集めることもできるっぽい。先に言え。
ニトロが噛んでるから当然といえば当然なのかもしれないが、ストーリーの見せ方は良い。
グラフィックも、ゲーム部分を除けば悪くない(メインキャラのデザインはリゼロの人だ)し、背景や模様のデザインはいい感じだ。(その分UIが古く見える)
・戦闘中にカットインが入って、セリフが入ったりする。チュートリアルだけかと思ったらそれ以降も時々ある。
バトルの最中に敵が話しかけてくる(戦闘が一時中断する)とか、なかなか見ない演出だった。
・チュートリアルで意味深かつ不穏なムービーを見せて、「敵(騎士/全員イケメン)」と「味方(全員少女)」の関係性を見せる。
で、なし崩しになんか記憶があいまいになって話が進むのだが、女の子たちとのゆるふわ日常生活の合間に、騎士側のストーリーがちょこちょこ挟まれる。
ここでムービーシーンが入るのはまぁわかる。が、ここでさらにオープニングムービーが流れてくるとは思っていなかった。チュートリアルと第一章は長めのアバンタイトルだったのだ。
おそらくニトロ側の要求じゃないかと思うが、話を見せるための演出は古いなりに結構いい感じなのだ。騎士側の話も並行して進んでいくみたいだし。
これが今風のシステムに乗っていればなぁ、とも思うがなんか時間かかったらしいので仕方ない。
これは正直おまけだけど、女の子たち(ペンタグラムと呼ばれてる)はかつて実在した魔導書の擬人化だと思われる。
タイトルにもなっているアルスノトリアは「アルス・ノトリア」、レメゲトン(FGOでも出てきたゲーティアがこれにはいてる)と呼ばれる魔導書の一つ。
他のメインキャラであるアブラメリン、ピカトリクス、小アルベールも何か聞いたことがあったり調べたら出てきた。
で。
メル……わからん。
「メル 魔導書」でググったらメルカリが表示された。魔導書売ってるのかメルカリ。
学校NPCのソロー(ソロモンの鍵?)、ハミット(ハーミット? 魔導書じゃない気がする)、ベルデラだかペルデラだか(ワインか、スペインの地名かアメリカの殺人犯の名前だった)、ヴォイニー(こいつはヴォイニッチ手稿だろう)もわからん奴多い。
あるいはどこかの攻略サイトに載ってないかな。ユーザー数少ないから難しいか。
これ、2019年に出てればなぁ……リボ8とかラスクラの時代なら……あとはDQWがあったくらいか?
その時期にこれで出てればそこそこ客が付いたような気がしなくもないんだが。