はてなキーワード: アンプとは
他に多くの部品や複雑な回路を必要とせず "マグネトロンだけで強力なマイクロ波が発生できるという特徴" がある。
この事から送信アンテナとチューナーアンプ、電源、マグネトロン、発振パーツなどで簡易型マイクロ波発生器が作れるのではないか…
工作するよりも発生範囲が1mくらいなら電池式の携帯型電磁波発生器(改造)で済むかもしれない。
マグネトロンが発生するマイクロ波は、レーダーなどや、生活に一番身近な場所では、電子レンジに応用されている。マグネトロン電波は1秒間に24億5千回も振動する。
人体の水分に反応し発熱し腹部深部が熱くなったり、脳内に熱を持ったりする。
簡易型マイクロ波発生器で攻撃されると、まるで「ハイパーサーミア」の縮小型だ。
※がん治療などで使われる大型の電磁波温熱治療で決して首から上は照射してはいけない。
マイクロ波聴覚効果あるいはフレイ効果とはパルスマイクロ波あるいは変調マイクロ波によって、クリック音・変調音・単語が誘発される現象である。
これらの音は受信機なしに直接人間の頭の中に生成される。
マイクロ波聴覚効果は、最初に第二次世界大戦中にレーダートランスポンダの付近で作業する人によって1947年に報告された。
これらの誘発音は近くの他の人には聞こえない。
1970年代にNASAによる研究は、この効果が「低電力密度」でも、蝸牛(内耳の感覚器官)の周りの人間の耳の部分の熱膨張の結果として起こることを示した。
その後、信号変調により頭蓋内に発信された音や単語を生成することが見出された。これは、コミュニケーションでの活用可能性のために研究された。
アメリカ合衆国において、マイクロ波聴覚効果を利用した非致死兵器の存在は、(遅くとも)1998年からFreedom of Information Actに基づいて
2006年12月6日に"Bioeffects of Selected Non-Lethal Weaponry"として機密解除されるまで、NOFORNクラスの機密となっていた。
マイクロ波聴覚技術を応用することで、プライベートメッセージの送信を容易にすることができる。
上記文献には「マイクロ波聴覚技術を用いることで、この技術を知らない人を混乱状態に陥れることができる可能性があり、頭の中で突然声が聞こえることにより心理的に壊滅する可能性もある」
と書かれている。
1961年のアランH.フレイにによる発表は、彼の実験では、被験者が、送信機から100mの距離から、適切にパルスマイクロ波放射を聞くことができることが発見された。
以上の文献抜粋内容から判る通り、テクノロジー犯罪被害者の身体的ダメージ、脳内メッセージ混乱、昔からマイクロ波によって研究され解っていた技術だった事が判る。
高強度のマイクロ波には、電子レンジと同様に熱を生じるため生体に影響を与える可能性がある。
この為、携帯電話などの無線機器などでは、人体の電力比吸収率(単位は[Watt/kg])を用いた規定値が欧州の国際非電離放射線防護委員会やアメリカ合衆国の連邦通信委員会などでは決められた
ほか、日本では国際非電離放射線防護委員会(ICNIRP)の電波防護ガイドラインに基づき、周波数 300 GHz (波長 1 mm)までの電波について、人体への影響を評価している。
『電磁波』は波長の長い方から「電波」・「光」・「X線」・「ガンマ線」に分類。
『電波』とは波長が 100μm 以上(周波数が 3 THz 以下)の電磁波すべてを指し、さらに波長域によって「低周波・超長波・長波・中波・短波・超短波・マイクロ波」と細分化される。
『光』とは波長が 1 mm から 2nm (0.000002 mm) 程度のものを指し、波長域によって「赤外線・可視光線・紫外線」に分けられている。
『X線、ガンマ線』は元々はX線は電子励起から発生する電磁波、ガンマ線は核内励起から発生する電磁波というように発生機構によって区分けされているものであるが、
プリセットとネットで見たセッティング丸パクリで漫然と使っていたマルチエフェクターに出来立てほやほやの中本をぶち撒けた。動転しすぎて水洗いしつつ、乾くのを待つ間泣きそうになりながら部屋の掃除をした。シールドとかヘッドホンのとか諸々のコードが絡まってた所にぶっかけて、なんかベタベタが取れない。泣きはしなかったけど、せめて辛旨オイルを入れる前にこぼしていたら、いやそもそももっと部屋を整理していれば、いやそもそも中本を机のキワに置かなければ、とか考えてたら発作的にマジの絶叫が出た。マルチは壊れた。
バラして油取り除けば直るかなと思って分解してみたけど肝心の基板にネジ外すだけじゃ辿り着けないし、その奥でどっかが外れたっぽくてカラカラ言ってる。事態が余計悪化した。
少し冷静になったあとZOOMのサポートページで修理について調べたけど、一回バラしちゃってるし不具合の理由にカップ麺ぶち撒けましたと書くのも恥ずかしい。保証効くのか分からんけど保証書もどっか行った。
仕方なくアンプの埃を払って今となっては物足りない音のギターを弾いている。つまみを捻ってカッティングにはこのカリカリ感が良いかなとか試しつつ、ワウを踏みたくて仕方がない。
エフェクトが恋しくなって、Youtubeで色々と調べた。自分は今恐らく歪みとワウと、出来ればディレイとリバーブを欲している事が判明した。
ここまで分かったからコンパクト買い揃えて並べたい気もするし、金ないからまたマルチ買って安く抑えたい気もする。大枠の欲求は分かっても種別ごとのモデルの違いがほぼ分からんから何を選んだら良いかも判断しかねるし。ワンランク上げてGT-1買っちゃうか、いやそれならコンパクトをずらりと並べるか。
大切なものゎ失って初めて気がつくんだょ、、、
予算3万だとするとqdc superiorと
それをbluetooth化するfiio BTR3Kっていうポータブルアンプがいいんじゃないかな
多分ヨドバシにも置いてるかと
https://av.watch.impress.co.jp/docs/review/review/1518262.html
https://av.watch.impress.co.jp/docs/topic/special/1572043.html
https://ameblo.jp/nightwish-daisuki/entry-12468902193.html
上記の記事にあるようにCDはC2エラーがあると補正をかけるので原音からは劣化してしまう
そのためCDプレイヤーでのデータ読み取りは非常に重要で1bitの誤りもなく読み取りたい
そうしたニーズに応えるために高級CDプレイヤーはあの手この手で高価格化したのだが
読み取り部分と処理部分を分離したセパレートタイプというのが存在する
CDを読み取る部分(トランスポート)で忠実に1bitの誤りもなく読み取り
その情報を高級ケーブルで処理側(プロセッサー)に送ってデジタル処理を施すのである
ちなみにこのトランスポートだけで10万円は平気でするしなんなら100万越えのものもゴロゴロしてる
さて、ではその辺の安物CDプレイヤーでは読み取り時にC2エラーが発生するだろうか?
そもそもC2エラーが発生するのは主にCD側の傷の問題であって読み取り側は関係無い
CDの裏面をガリガリに傷だらけにするとC2エラーが多発するが、多発しすぎてまず再生できない
またそのようなCDはどれだけ高級なトランスポートでも読み取れない
実際に適当なCDドライブを使ってCD-DAからリッピングした場合
何回リッピングしても1bitの誤りもなく同じデータが出力される
実際にはリッパー側が最初の部分をキッチリ特定するので1bitもズレない
この辺は個人的に興味があったのでスクリプトで100回ほどCDをリッピングしてビットマッチしてみたことがあるが
1bitの誤りもなく全く同じデジタルデータが出力された(まぁたまたまだったかもしれないが)
ちなみにC1エラーは多発するし、これはプレイヤーによって差があることは分かっている
とはいえC1エラーは誤り訂正でキッチリ戻せるので多発しても問題無い
ところがPureAudio界隈では
小池百合子知事が麻布十番駅を核シェルターにするとぶち上げて話題になっているが、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/20979db65c4b2665d53884ea0247aa2eac51db19
実は都営地下鉄大江戸線の麻布十番駅は防災拠点として整備されていて、地下に巨大空間があるのだ。
地下鉄の線路は地下6階にあるのだが、駅コンコースは地下4階となっている。その上の空間が備蓄倉庫となっている。
更に鳥居坂のシンガポール大使館下に地下駐車場の入口があるのだが、
https://maps.app.goo.gl/T7BFm9ohKUEZT68J7
この下と道路の下が駐車場で、その下がまるまる防災倉庫+コンコースとして伽藍と開いているのだ。
大江戸線は2000年に開通したが、90年代の麻布十番は延々と工事中で、しかも巨大な縦穴を掘っているのが見て取れた。それは地下鉄だけじゃなくて備蓄倉庫の躯体も作っていたからなのだね。
土木に興味がある人なら、都市トンネルの作り方には上から掘り下げる開削工法と、地下を横に掘り進むシールド工法があるというのは知っている事と思う。
シールドというのは盾の事で、丸盾型の隔壁を全面に置いて開口部から工夫がショベルやツルハシで土を掘ってトロッコで後ろに残土(ズリ)を送る。シールドが前進すると同時に丸いトンネル形状を支える支保工を建てて、そこにコンクリートを流して丸いトンネルにする。トンネル掘削面を切羽というが、都市の地下だと切羽が崩れてくるのを防ぐ為にこういう風にした。150年前のロンドン地下鉄から使われている枯れた技術だ。
このシールド工法、今ではもっと進化して、シールドマシンという機械が自動で掘り進むようになっている。掘ったそばから円形トンネルの外壁を分割したセグメントを組み立てて行く。
http://www.yesemk.com/eng/business/tbm_small.html
が展示されていて、いかにもごつそうなドリルが付いているが、そういうのは山岳用である。
沖積平野地下で威力を発揮するのは実は泥水なのだ。泥水を吹き付けて土を崩し、そろばんみたいなカッターでグリグリやって出てきた残土は泥として後方に送る。
それには泥と水の分離機が必要になる。地下鉄工事や下水管(雨水管)工事の現場でこういうデカいタンクが置かれているのを見た事が無いだろうか?
https://www.futamoto.com/product/ftu-d/
これは泥と水の分離機で、丸い形状の場合もある。セットルタンクともいう。上に機械が載っている事も多いが、それは脱水機で、振動、或いは遠心力で泥から水を分離して、それをダンプに載せて残土として捨てに行く。
建築現場でも見る事が多い。これは杭基礎工事で潤滑剤として水を使い、杭打機の中の土の掻き出しにやはり泥水吸引を使うので、その泥を水と土に分離して捨てる為だ。
一方、シールド工事ではその残土、排水分離の他に泥を作るという役割があるってわけ。
水じゃなくて泥水である理由は、まずは比重の重さによる破壊力の増加。鉄砲水では橋や堤防は壊れなくても、土石流だと破壊されてしまう。これは泥水の方が比重が重いからだ。
また流動性が水より低い。この為に余計な場所に流れて行ったりしにくい。
また比重の高さにより、切羽が安定する。水だと掘ったそばから土は崩壊しようとするが、泥だと高圧状態が保てるので崩れにくい。
そして泥と別に水も送り、出てきた残土の泥を薄めて流動性を上げて後方の分離機に送るのである。
この為に残土のトロッコやベルコンベアも必要なくてホース数本だけでいい。人員も減るし労災も起こりにくい。
しかもこういう仕組みだとシールドマシンが小型化出来る。人が入れないような径のトンネルを掘る事も出来る。何しろホースと泥水分離機だけでいいのだから。
そういう訳で異常気象で多発してきた排水氾濫に対して雨水幹線を整備するのにも大活躍だ。下水管なら各戸の管を接続する為に露天掘りしか出来ないが、雨水管なら必要ないので小型シールドマシンが使えるのだ。
ってことで、シールドマシン下発進拠点であり工事の要である泥水分離機を稼働させ、残土を搬出する場所が必要なので大きな縦穴を掘る必要がある。この縦穴は最後にただ埋めてしまうと勿体ない。なので駅になる場所がシールド基地となる事が多い。
因みに雨水管シールド工事での基地の役割にはもう一つあって、それは「シールドマシンを押す事」だ。シールドマシンには推進力が無いので基地から油圧で押してやるのである。
で、トンネルが出来たらその上に駅コンコースの躯体を鉄筋コンクリートで作る。それが終わったら土で埋め戻して完成だ。
この辺の構造はみなとみらい線の元町中華街駅とかが判り易いかも。露天掘りで出来た駅コンコースからエスカレータを降りると、丸いトンネルの天辺に出る。この二つは別構造で作り方も別だったのだ。
都営麻布十番駅は地下6階で、コンコースは地下4階、その上はただ埋め戻しすると無駄だ。なので有効活用する為に備蓄倉庫とされる事になった。更にホーム自体は交差点からエネオスのガソスタのあたりまでなのだが鳥居坂の方まで延長されて地下駐車場と備蓄倉庫などになった。確か鳥居坂の方は地下鉄が開通しても工事が続いていた覚えがある。
また、石原都知事は地下鉄開業後に自衛隊部隊を市谷から大江戸線乗車で麻布十番に移動させる訓練を行った。自衛隊を指揮したい、六本木から市谷へ防衛省が移転したのでデモンストレーションしたいという動機もあったろうが、都営の防災倉庫落成のデモの意味もあったのだ。
このように元々防災備蓄倉庫として整備されていたものを核シェルター化するというのが今回の肝なのだが、どうもその辺の背景知識が参照されていないように思える。
更に小池知事はワンフレーズ政治家なもんで、ちゃんと継続して計画策定するのかっていうのが疑問なのだ。山手線2階建はどうなった?
就任当初に小池知事は廃校となった都立市ヶ谷商業高等学校跡地を韓国人学校に転用する取決めを反故にした。これは韓国人学校化を約した舛添前都知事の独断の疑いがある事の他に、当時議席もない右翼政治ゴロのような人物を秘書としていて音喜多ら都民ファ議員をパシリにしていて、その影響もあると思われる。
だがその言い訳がヤバかった。保育園にすると言ったのだ。当時「保育園落ちたの私だ」などで保育園待機児童問題が炎上しており、それに乗っかったのだが、こういう時は実地を見てみないとポジショントークになってしまう。
市ヶ谷商業高は新宿区矢来町にあり牛込柳町駅が最寄り駅だ。しかも結構な狭隘路の中にある。学校としての敷地はかなり小さい。だが保育園としては過大な建物だ。
車での送迎は狭隘路の為に不可能だ。また保育園というのは電車で通うものではない。電車で送迎した場合、坂の下にある柳町駅から急坂を登らねばならない。
都市計画法と建築基準法に用途地域というのがあり、地区ごとに建てられる建物の種類が決まっている。例えば商業地域には木造家屋は建てられず、住宅地に工場は建てられない。また工業地域には学校を建ててはならない。これは住環境や教育を保護するための規制だ。
だが保育園にはなんの規制も無いのだ。これは環境がどうこうよりも、保育園は働く人の為の施設でありオフィス労働者、工場労働者が居たら自動的に必須となるのである。
こういう属性を持つので、保育園は遠方に通うものではない。住居か職場に近い場所に開設されるものだ。
矢来町は大きなオフィス街ではない。だから大きな保育園が必要な場所ではない。
ならば住居の方はどうか?この周辺は人口空洞化が進む地域だ。因みに増田の母校はここから徒歩30分くらいの場所にあったが生徒数現象で廃校されてしまった。
故にここに保育園というのはナンセンスなのだ。だがこの時は「場所的にナンセンス」と強く否定されなかった。
その後市ヶ谷商跡地はずっと遊休施設になり、最近に老人施設に一部転用という形になっている。保育園転用の可能性は検討さえされていない。
こういう感じの人なんで、核シェルター化は本気で継続する事業なのか?というのが非常に疑問なのだ。
更に現知事の問題はその問題性を感じさせない天賦のポピュリスト性にあって、市ヶ谷商高保育園転用の時もマスコミに半畳を入れられなかったし、今回も同様だ。なんか、テキトウ言っても通ってしまうという言論空間にいる。長期停電したら水没しますが、ガスタービン発電とその燃料備蓄はどのくらい?と言った具体性に繋がらないで、北朝鮮の核があるから、で通ってしまい、何も事業が進んでないまま皆忘れるというパターンに入ってるような気がしてならない。
コロナ初期のように「三密」「移動制限」みたいに全体の流れを言葉で決定付けるのは非常に高パフォーマンスを出すのだが、その後が続かない。ママチャリにクラリオンの高額なアンプ、スピーカー積んで街宣みたいな感じになるのがいつものパターンというか。
大江戸線清澄白河駅も麻布十番と同じくコンコース上の空間が防災倉庫になっている。だから清澄白河駅でも同じ核シェルター化が可能だ。ここの場合はホームが地下2階、コンコースが地下1階と深さが無いが、その代わりに隣接する清澄庭園にはみ出す形で地下構造物が築造されている(はず。見てない)。
あと、東京都の防災倉庫に指定されていないが、新宿中央公園地下も広い空間が広がっていてシェルター化出来そうである。中央公園の新宿方広場は昔階段や噴水が組み合わされた広場だったが、地下鉄大江戸線工事で巨大工事基地となっていた。
その後広場に何も置かない、噴水も置かないというのは何かの躯体が埋まっていると考えられるのだ。
だからこの二つでも核シェルター化は可能な筈だが、何分にも知事が何処まで本気なのか放言なのか判らないので…
江戸時代の古川改修工事で工区を区切り、○○N番、と書かれて居たのが由来。麻布は十番だったので麻布十番と。これは有名だね。因みに昭和初めまで森本町、山本町、永坂町という感じで麻布十番という地名は無かった。町の合併地名整理で古い呼び方を復活させたのだ。
エネオスのスタンドの斜向かいにマンシーズトウキョウというレストランがあるが、実はここがバブルなディスコのマハラジャ東京の跡地。因みに増田も行った事がある。んでその近くのファミマの隣のPCデポの隣がマハラジャWESTでここも増田は行ったこt
一の橋の交差点の五反田寄りに団地があってその裏の古川べりに広尾公園があるのだ。
これは、江戸時代の古川の改修工事の後にできた、川べりの土地を開墾して田んぼにして、そこを全部広尾と名付けたためだ。つまり、一の橋からずーっと遡り、広尾の天現寺橋までの両岸が広尾。また天現寺橋から北の方に今の外苑西通りに沿って笄川(こうがいがわ)というのが流れてて、その両岸も広尾だった。地名として無茶なのだが、どうもこれは広尾の人らが開拓に駆り出されたかららしい。
後にややこしいので川沿い広尾は近傍の地名に合体させられたのだが、一の橋付近だけはその地名変更前に公園名が付けられて残ったというわけ。
六本木交差点のアマンド横に坂道があり麻布十番まで繋がっているが、元はこの道は都電の線路だった。廃止されて道路になったもの。
で、ここを都電が走っていたので、その代替都バスもここを走る事になった。なので右折禁止の六本木交差点の真ん中で都バスが右折待ちしているのが見られた。路線は新宿駅東口~東京タワー。
で、都バスは昭和40年(1965年)に車掌乗務から、ワンマン均一料金に転換したんだが、車掌については本人の希望にした。それで殆どの車掌は退職するか配置転換されたのだが、十数人くらいは継続勤務を希望した。因みに狭隘路線などでは今でも補助的に車掌が乗務する路線はある。
この人達が最後まで残っていたのが新宿~東京タワー系統で、1990年近くまで居たそうである。
因みにこの路線は整理されて今では残っていない。
鳥居坂は急坂の下の方を大通りが通り、そこだけ水平なのでサンフランシスコのような光景になっている。なので勢いがありすぎるとジャンプする。というかした。バイクで急いで通ろうとしたらジャンプして転倒しそうになった。減速を心がけたい。
元麻布に登る坂の下にパティオ十番という広場があり、多分これは南部イタリアの街を模して作ったものだろうが、よくフリマが開かれている。麻布十番という下町+オサレな地域に相応しい出品が多くて雰囲気も良いし面白い。
都電廃止後に陸の孤島と化していた麻布十番に南北線と大江戸線が相次いで開通することが決定すると、沿道には「悲願達成!麻布十番に鉄道開通!」という横断幕が方々に掲げられ、まるで冬は雪に閉ざされ交通途絶される雪国のようで苦笑した事がある。
先ほどの飛地みたいな広尾公園から古川を渡ると、三田一丁目というかなり強烈な下町がある。この辺の人も麻布十番居住と言っているはずだから、麻布十番に一番安く住むには三田一丁目に住むのが一番と思われる。風呂が無い家も多いが、実は麻布十番には銭湯が残っているのである。しかもここは温泉が出ている。泉質は南関東ガス田の上なので黒湯である。
六本木のロアビルから曲がり鳥居坂に向かうと、周囲は東洋英和や古い教会などが立ち並ぶ雰囲気の良い地帯である。
ところがこの広大な一帯には再開発が掛かっている。なのでロアビルも廃業して廃墟となっている。ロアビルから鳥居坂まで全てである。
実はこの一帯はロアビルも含めて川崎財閥という財閥の所有地であった。GHQの財閥解体で解散させられたが六本木の不動産はそのまま所有し学校などへ売却されたり共同運営(ロアビル)されるなど管理されていたがその全部を再開発する事になった。デペロッパは当然森ビルである。港区にいる限り森ビルのブルドーザーから逃れられる者は居ないのである。核シェルターもいずれ森ビルのブルドーザーが…。
ジャズはだいたい100年ぐらいの歴史があり、次のような特徴がある。かなりの端折りが入っていることには留意してくれ。
世界最古のジャズのレコードとされているのは1917年。このころのごくごく初期のジャズで、形式や編成には幅があるが、ディズニーランドで演奏されてそうなゴキゲンで楽しげな感じといえばイメージできるかもしれない。
トランペット(またはコルネット)・クラリネット・トロンボーンの3つの管楽器がアドリブを交えながら同時に演奏するのが特徴的なスタイル。
当時の録音ではドラムセットやアンプなどは発展途上の段階で、ドラムはスネアやウッドブロック中心のマーチングっぽい感じ、ギターのかわりにバンジョー、ベースはチューバなどが使われることが多い。
具体的にはこういう感じ。これはヨドバシカメラのCMの原曲である。https://www.youtube.com/watch?v=dsp-cA89Wio これぞとされる名盤は特に思い当たらない。
当時の録音技術はぜんぜん良くないので、古い録音をリマスタリングした音源を聞いても聞きづらいしノイズもひどい。1950年ごろまではおしなべてこうで、それ以降に録音された音源のほうが聞きやすいと思う。
個人的にはSean MoysesのTiger Rag!というアルバムが好きではあるが、ディキシーランド・ジャズといよりもジャズバンジョソローアルバムという色が強い。
オーケストラっぽい大編成によるジャズである。クラシックのオーケストラとは違い、弦楽器セクションがいることはまずない。ドラム・ベース・ピアノ・ギターのリズムセクションと、トロンボーン・トランペット・サックス+クラリネットという編成が典型。
リズムのキメやソリやトゥッティのかっちりとしたアレンジ、分厚いバッキングを背負いながらのソロ回し、大人数による静と動のコントラストなどが特徴である。
バンドリーダーとしてはベニー・グッドマン、グレン・ミラー、デューク・エリントン、カウント・ベイシーの四者が特に有名。どこかしらで耳にしたことがある曲も多数あると思う。https://www.youtube.com/watch?v=aME0qvhZ37o
個人的にはFletcher Henderson - Swing The Thingsというアルバムが好きではあるが、これもまたとにかく録音が悪い。
バディ・リッチや、BBC Big Bandによる後年の録音や、より現代的なビッグバンドであるGordon Goodwin's Big Phat Bandなどのほうが聞きやすいと思う。
スーツを着たジャズメンが4〜5人程度でバーやナイトクラブで演奏してしそうなジャズをイメージしてほしい。だいたいそれがモダンジャズである。モダンと銘打ってはいるが、70年ぐらい昔の音楽のスタイルである。
ビバップ、ハードバップ、モード・ジャズなど演奏理論の違いによって通常さらに細かく分けられるが、全体的な構造や編成として大きな差はあまりない。
イントロ→テーマ→アドリブソロ回し→(バース)→テーマ→アウトロ という構成で進むのは変わらないまま、どのように斬新なソロをとるか?という音楽理論が30年かけて煮詰まっていった思っておけばよい。
チャーリー・パーカーはビバップの代表的奏者であるが、当時の録音も良くはなくソロも音感が強くないとぜんぶ同じに聞こえてしまうと思う。1950年代後半あたりに聞きやすいアルバムが多くある。
具体的にはMiles Davis - Bag's Groove,Sonny Rollins - Saxophone Colossus, Sonny Clark - Cool Struttin'、Art Blaky - Moanin'など。この4つは一般的にも名盤とされているし個人的にも大好きである。
1965年前後あたりのマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンのアルバムはだいぶ煮詰まっていてよりエクストリームになっていて、これはこれでまた独特の趣がある。
独特の趣でいうと、ジプシージャズ、マヌーシュスウィングというスタイルもある。
これはジャンゴ・ラインハルトの一強で、ギターとバイオリンの存在や独特のメロディセンスが特徴である。https://www.youtube.com/watch?v=gcE1avXFJb4
また、フリージャズという既存の音楽理論的制約を無視した……平たく言えばめちゃくちゃやってるだけじゃねーのか?という演奏スタイルも勃発した。
ノイズに近い激しいロックなどが好きな人はこれを好みがちという印象がある。
モダンジャズでジャズという音楽は完成してしまい、以降は主流のスタイルとして盛り上がっている新しい形のジャズは特に思い当たらない。
1970年以降はおもに別ジャンルの音楽(ロック、ファンク、電子音楽、民族音楽、ヒップホップなど)の要素をどのように混ぜ込むか?という発展の仕方をするようになった。もちろん伝統回帰する派閥もある。
ジャズという大木の成長は1970年で打ち止めになり、いろんな枝が沢山伸びていて全方位のジャズを把握している人間は極めてまれというイメージである。
ジャズ・ファンクの名盤にはHerbie Hancock - Head Huntersがあり、個人的にも好きである。
フュージョンでは、伝説的な天才ベーシストであるジャコ・パストリアスが在籍していたことで有名なウェザー・リポートというグループが有名である。
日本でもフュージョンブームがあり、1979年デビューのカシオペアは今も現役で活動する大御所フュージョンバンドである。
民族音楽・変拍子を取り入れたジャズにはAvishai Cohen -Continuo などがある。アヴィシャイ・コーエンは同姓同名のベーシストとトランペッターがいるが、これはベーシストのアルバムである。
ある意味電子音楽を取り入れたといえ演奏にはこのようなものがある。https://www.youtube.com/watch?v=KbvCgqTkj64
これは電子音楽の大家エイフェックス・ツインの曲のカバーであり、ブレイクビートという電子機器を使用してドラムの録音を分解して貼り直して作られた複雑怪奇なリズムを人力で演奏しているのが聞き所である。
ただしジャズといわれた場合はアドリブソロが組み込まれることが通常のため、これはジャズかと言われると微妙ではある。
the Bad Plusの他にも現代的なピアノトリオにはGoGo Penguinなどがいる。電子音楽の複雑怪奇なリズムを人力で再現する高い技量を持ったドラマーは他にはJojo Mayer,Louis coleなどがいる。
エレキギターが単に弦の音を拾って大きくするんじゃなく、ギターを電気信号の入力端子として使うのって尋常じゃない発想だと思う。
アコギと弾いてる姿も最終的な目的(演奏というデカい括りでは)も同じなんだけど、その意味が根本的に違う。
タイプライターとか電卓がパソコンに進化したのは何となく分かる気がする。なんというか扱うのが数字や文字だし、文章書くのとかただ計算するのだけじゃもったいなくね?色んな命令を出来るんじゃね?みたいな事は普通の人でも頑張れば思いつけそう。地道な進歩の中の寄り道でゲームとかインターネットとかに目的が拡大したのも何となく理解出来る。
でもギターはいくら形を変えても、演奏のための楽器という機能は変わらない。
ずっと演奏という同じ方向を向いていながら、弦の発するものを音ではなく電気の発生源として捉えて、コイルを置いて発電してそれをごちゃごちゃいじくってアンプに出力すればいいんじゃね?って発想が出てくるのは天啓でも受けたんじゃないかって思う。
いつだって最初は楽しい。ギターポチって、届くまではYoutubeの初心者向け動画を漁って、エアギターなんかしちゃって、現物の到着を待ち詫びる。
エフェクターについても調べてみて、少し面倒臭そうな話が出ると飛ばし読みして、なるほどこれがツウ好みなんだななんて思う。ロクに練習もしない機材厨になっちゃうと困るからな、と調べ物を中断する。
やっと届いたギターを一目散に開封する。メルカリで売る事になったらこのダンボールも捨てずに……と一瞬よぎった考えを捨て去るように、ダンボールをへし折って束ねる。
アンプに繋いで音を出す。騒音トラブルはゴメンなので一緒に買ったモニターヘッドホンを繋ぐ。おお、エレキギターだ……
ローポジションのCメジャースケールとCコードだけは手が覚えている。ボヘミアン・ラプソディのギターソロは全く思い出せない。
2年前にも一連のこれと全く同じ体験をしている。強敵と名高いFコードに息巻いて、割とすぐ抑えられるようになった。ちょっとセンスあんじゃね?と浮かれたけれど、セーハなど数ある難所のほんの一つでしかない事を知って投げた。厳密には徐々に触らなくなって、埃をかぶっていく挫折の象徴が目に入るのが不快でメルカリ行きになった。
前回の反省を踏まえ、アンプラグだけではなくちゃんと10Wのアンプを買った。のちにマルチを買い、別にアンプは要らなかった事を知る。
そしてどんなに飽きようとも、毎日必ず基礎練だけはやろうと固く誓った。
ようやく楽器が届いて、待ち侘びた基礎練を試してみる。中々上手くいかないけれど、やりたい事が出来ない苛立ちよりメキメキ上達する楽しさがまだ勝っている。指が痛むけれど、この痛みが練習の勲章だと思わせてくれる。まだまだ浮かれている。
好きな曲の好きなフレーズを繰り返し再生しながら、自分がその音をかき鳴らす姿を妄想する日々。それは昔からだけれど、今はわずかながらも実現に近づいている事実にニヤつく。
基礎練習の練習を終え、ようやくまともな基礎練が出来るようになった頃、少し調子に乗ってOMOIDE IN MY HEADのイントロのリードギターに挑戦してみる。出来そうな部分だけを数小節ずつほどつまみ食いしているので、当然少しは弾ける。サマになってるじゃん。
でも数小節弾けた喜びは数小節分でしかなくて、それよりも以前は辿り着くことのなかったミュートの難しさに気付き、道のりの長さに気が滅入る。
カチカチになった指先が脱皮した頃、基礎練にはすっかり飽きた。もはやアンプに繋ぐのも面倒で、生音で弾いてばかりだ。
成長のボーナスステージは終わった。長い目で見れば今も猛成長中かもしれないが、そんな事は今のおれにはどうでもいい。牛歩も牛歩だ。
さりとて曲を弾くこともままならない。きらきら星や好きな曲のメロディを単音でなぞるくらいなら、まだ基礎練の方がマシだ。
Youtubeで憧れの曲のTAB譜を調べてみても、基礎練には出てこない技術ばかりで全く歯が立たない。少し挑戦しようとして、すぐ投げる。新宝島を弾こうと息巻いて買ったカポは、届いた翌日以降たまに使うおもちゃにしかなっていない。
全く楽しくはないが、基礎錬だけはやる。もはや新しい練習に移ることもなく惰性でしかないが、それでも毎日やる。触らない日がない訳でもないけれど、ほぼ毎日といっていい。
夏休み、ギターを触る時間の20倍スマホをいじっていた。田舎の祖母宅に行った時、せっかくだからアンプを持っていけと言われた。別にマルチにヘッドホンでいいけどな……と思ったけれど、一応持っていった。
フルテンで適当なコードをジャーンと鳴らしてみて、死にかけていた初期衝動がやや蘇る。
つまみ食いで覚えたOMOIDE IN MY HEADや閃光少女のフレーズを鳴らしてみる。気持ち良い。生音とは比べようもない。これはどんなに言葉を並べようが、体験しなければ分からないと肌感覚で理解した。
田舎でやる事もなく暇なので、スマホポチポチゴロゴロとギター練習を交互にやる。徐々にスマホの比率が増えるが、それでも日頃の練習時間とは段違いだ。
祖母宅にいる間の課題曲として、リライトに挑戦した。以前初心者向けの簡単な曲と聞いて挑戦したが、どこが初心者向けだよとキレて一瞬で諦めた。
かまいたちの番組観ながら延々と練習していたら、拙いながらもオクターブ奏法が出来るようになっていた。
完成はしないまま帰る事になったが、ギターへの意欲は復活した。
意欲だけは蘇ったものの、やはり好き放題弾ける訳ではない。
音楽映画の天才少年とは違って、デタラメに弾いても本当にデタラメな音しか出ない。よほどの天才でもなければ、即興演奏にはそれなりのセオリーを知る必要がある。お勉強は大嫌いだ。音楽がしたいのであって、音学がしたいのではない。
「ペンタトニック」で検索したタブはどのサイトも開かないままもう数ヶ月経つ。
体系的に学ぼうと息巻いていたコード理論は、もはや虫食いの知識でおおよその理解を迎えていた。理屈を知ってあとは抑え方を覚えるのみだが、やはり面倒臭い。
目指すものの輝きに目をくらませて、途中の退屈な道のりまでもを楽しめるよう錯覚する事は出来ない。
つまらないものはつまらない。でもステージでギターをかき鳴らす姿はかっこいい。フジロック出てェ〜
と口にした所で冗談と思われるか苦笑されるだけだが、割と全然マジで思ってる。実現するかなど些細な問題だ。
惰性にまみれて弾き続ける中、リライトを通しで弾いてみた。拙いながら、マルチのリズム機能を使ったらなんだかそれらしく思えた。その達成感といったら、快感といったら、映画やマンガやサウナや美食にかまけるそれの比じゃない。そこまでの過程を考えれば極めてコスパは悪いが、日々の糧、気晴らし程度の趣味からは得られないものがある。
およそ中級者の壁というものを超えた事がほとんどない。初期衝動に任せてえいやと通り一遍の技術を身に着けて、あとはそれなりに楽しみながら地道に……というのが出来ない。勢いに乗り切れない。最初だけはちょっと上手く行っても、すぐに飽きてしまうダメなタイプの器用貧乏だ。
「本当に好きな人は……」なんて言う人もいるが、他の人がどうだろうがつまらないものはつまらない。でもこのつまらなさを耐えた先にあるものがどうしても欲しい。前回投げた時とは違って片鱗を味わえたのは少し進歩だ。
Unbrave call
後半最後の日本のスコアになったPG選択だ。4トライでのBPは取れず、おそらくチリに大勝するであろうアルゼンチンとの最終決戦に、引き分けという選択肢はなくなった。
もちろん勝つべきで勝利だけを目指して試合に臨むべきだが、戦略的に重要なオプションを失ったのは事実だ。
その前にサモア陣ゴール前のモールアンプレアブルでトライチャンスを逃したのが大きいが、その後にショットを狙うのであれば、あのラインアウト選択は「一貫性」という意味では疑問だ。もちろんモメンタムがあったのでああ判断した、というのはわかるが、個人的には14人のチームを相手にするならあの場面は人数差を優位にしやすいスクラム選択だったと思う。7人で組んでくれば押せる、という状況でもあったし、サモアはその方が嫌だっただろう。
時間の使い方としても、最後のPG選択は誤っていると思う。結果的にサモアにもう一度攻撃するための十分な時間を与えてしまった。
2015の南ア戦、後半遅くに南アがPGを狙った時、堀江は「相手が退いたな」と精神的優位を感じたという。それが歴史的な逆転勝利に繋がったわけだが、メンタルという面では、あのPG選択はサモアに息を吹き返させてしまった。
PGを狙わずにあそこで4トライ目がとれていたかはわからない。
ただ、ジャパンのあの選択は「弱さ」をサモアに、ひいてはアルゼンチンに見せてしまうものだった。
あの選択は、失敗。私はそう考える。
それはギター。
しかしギターは一人でも楽しめるし、人と一緒でも楽しめるという点でもとてもいいと思う。
さすがに会社で弾きまくるは無理だけど家の中ならちょっとした隙間時間の遊びにちょうどよい
今まで隙間時間の遊びといえばスマホでゲームしたりネットで動画見たりが多かった。
これだと頭も体もなかなか休まらない。
ギターだと体の使う場所が変わるからか、すごくリラックスできるしいいリフレッシュにもなる。
これは好む音楽スタイルにもよるんだが、俺の場合目指したいのは一人でそれなりに上手く弾くことだ。
完全に自己満足だし誰に聞かせたいとかもないが、こんな風に弾きたいという目標があるので少しでも上達したらそれだけで嬉しいし楽しい。
俺自身はギターコレクター的な考えもその資金もないけど、色んなタイプのギターがほしいなとは思う。
見た目が好きなギターってずっと見てられる。見ててうっとりしちゃう感じは車のそれと似てるかもしれないが、車よりはずっとコスパがよいし場所も取らない。
ギターはまあそれほどいじるとこはないんだけど、好きな人はこのネックの木材は~でとか、ここのパーツは変えてこっちのにしたとか、
色んなこだわりでカスタムする人もいたりするらしい。
またアンプやエフェクターなんかも揃えだすとさすがに沼る可能性高いが、自分の場合はギターで出したい音は限られてるのでちょうどいいバランスになりそう。
爺さんになってどのくらい弾けるのか分からないけど、たまによぼよぼ爺さんが弾いたりもしてるの見たことあるのでまあいけるんじゃないか。
逆にギターやっとけばボケ防止にもよいんじゃないか。あとギター弾いてる爺ってかっこよくないか。
ちなみに今までハマってきた趣味として、カメラ(及び写真)、テニス、自転車、キャンプ、登山などもある。
いずれも細々と続けてるといえば続けてるんだけど、以前ほど散財はしなくなったし、たまにキャンプとか行ければそれでいいかなくらいの熱量。
ギターに関してはとにかく練習が必要なのだが、他の趣味がスケジューリング、新しい機材などへの気移りなど煩わしい面があり、
その点ギターに関しては恐らく最初に1本それなりのものさえ変えば、少なくとも今後1~2年くらいはそのギターを弾きこなすという目標だけでやっていけそう。
そしてアウトドアではないので来月のこの辺の週末を狙って予定してとか段取りも必要ないのも良い。
まあギターにかぎらず楽器演奏みたいなことならピアノでも管楽器とかでもだいたい当てはまりそうだけど、お手軽さで言えばギターはかなり始めやすい部類だと思う。