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2013-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20130617185322

「高い金払って養成所で習得するスキルとやらは本当に必要なのか?」「声優スキルって養成所経由じゃないと学べないもんなの?」という程度のもんだよ

従来型声優へのニーズがこれに対する反論の根拠になるのは「今ニーズのある従来型声優たちは、養成所で培ったスキルのおかげで活躍できている」という証明ができてからだな

ホリエモンのアレって

実際には「養成所」に文句つけてるだけで、今声優が持っている能力ケチをつけてるわけではないのでは。

 

  1. 養成所に通ったところで、実際に(食っていける)声優になれるのは結局ごく一部の才能と運のある奴だけ
  2. それじゃ現状の声優って、養成所のおかげで声優になれたんじゃなくて単に本人の才能と努力・運の結果じゃね?
  3. となるとそもそも「養成所で習得するスキル」なんてもの声優になるのに必要なのかわからない。
  4. 養成所って高い金取る割にただ才能のある人を選別してるだけじゃね?

 

という流れから

高めのオーディション参加費で自信とやる気のフィルターをかけつつ、オーディションもっと手間をかけて光る才能の持ち主を見つけよう

というものではないのかな。

養成所期間の『経験』は自己流訓練と場数で補えるだろう」という理屈のもとで。

http://anond.hatelabo.jp/20130617171459

とりあえず、

ほりえもんが従来の声優スキルや育成やキャリアを否定した

声優ニーズが終わってる

これがそもそもホリエモン発言の誤読に起因する藁人形しかいから全体がおじゃんだよ。

「現行型声優ニーズがない」なんてホリエモン一言もいってないんだよね。従って賛同する元増田の発言もそういう意味ではない、と考えた方がいいんじゃないの?

 

養成ビジネスを経由する必要はないんじゃないの、養成所でなければ習得できないスキルなどというもの必要なのか、そもそもそんなものはあるのか

というだけの話でしかない。

まだ相手しなきゃいけないのかなこの幼児を?

相手にしてられないと思ったらいつでも黙ればいいだけのことじゃないか増田で言い争い始めたら反対者がゼロになるまで書き込むこと」と言いつけられでもしてるの?

http://anond.hatelabo.jp/20130617165117

まず、発端としてほりえもんが従来の声優スキルや育成やキャリアを否定したわけよ。

声優って実際そんなにスキルいるんかえ?って身も蓋もない話もあるし。」

養成所に入ってスキルあげなきゃってのは悪い意味での日本的真面目さなのかなと。

と。

その根拠は

実際売れてるタレントさんには常に声優オファーはあるんだよね。

俺にすらあるからw

だと。



で、それに賛同する元増田

馬鹿にされた声優側が、一層馬鹿晒してるだけに見える。

http://anond.hatelabo.jp/20130617112325

っていうモノを書いた。

いわく

実際問題声優の「実力」云々ってのは、特定のゲームや特定のカルチャールールやら秩序やらの中での話なわけで、それが、マネーの流れから言って変わりつつあるからとっくに終わってるゲームルールにたらたら従ってないで現実をよく見て投資の仕方変えていこうやって話だろ。

と。


で、それにツッコミを入れてるのが俺。

「どんな根拠だ」と。

「現に現行型声優にはニーズがあるし、どう終わってるのかさっぱりわからん」と。

タレント吹き替えだのジブリアニメだのAKBアニメだのを根拠にするが、それむしろ少数・稀有な例じゃねーかと。

AKBアニメみたいなものばっかりに出来るつもりならやってみろよ」と。

「お前らの例示は声優ニーズが終わってるっつー根拠には到底ならん」と。

ほりえもんはわざとだとしてもフォロワーのお前はただの馬鹿だろ」と。


したら段々言葉少なになった元増田が居なくなって、

恒例のさんが現れて、

ジブリは売り上げが高いぞ!無視していいのか!」となんだかピントずれたことを言い出す。


それも潰されたら今度は「100%かー」「絶対カー」「完全に無視していいのカー」という小学生みたいな論法で食い下がる。


まだ相手しなきゃいけないのかなこの幼児を?

声優スキルいらないはある意味真実

今のアイドル崩れの声優もどきブヒブヒ言ってるオタどもを見てると、

あながち声優スキルはいらないって言葉事実なように思えてくる。

ベテランの方の技術力には敬服するけどね。

ホリエモンもそういう人らには話はしてないだろう。

問題は養成所に入らなきゃろくにオーディションも受けられない癒着めいた構造じゃないのか?

2013-05-29

まねして本の紹介 その1

http://yuma-z.com/blog/2013/05/student_books/ という人のエントリを見て、自分も(学生じゃないけど、)読んで楽しかった本をまとめてみたくなった。

この長い本の紹介を読んで、読んでくれる人や、ほかにおもしろい本を紹介してくれる人が続いてくれたら自分はうれしい。まだ微修正中で、加筆・修正するかもです。

これから紹介する本の順序について、あまり意識していないけれど、なんとなく読んでいる人が多そうな順。下に行くにつれて、読んでいる人が少なくなっていくと(書いている自分は)予測してます

このエントリで紹介するのは以下の本です。つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

火車

宮部みゆきさんの小説。一人の女性が婚約後にいなくなってしまう。主人公はその女性の捜索を頼まれて、懸命に消息を追う。そして、調べていくうちに、現代資本主義社会の底しれぬ闇が見える――。

とても有名な作品で少し前にテレビドラマにもなったようだ。物語の始まりが冬の寒い時期のせいだろうか、自分は冬の時期に読みたくなる。三日間くらいで読了できるとおもしろさが持続すると思う。

読まれる方は、Wikipediaのあらすじにネタバレの要素があるので注意されたい。Amazon書評にも、ややバレる要素があるかな。この小説についてはあまり詳細について語ると魅力が半減してしまう気がする。読まれる方はできる限り事前の情報収集を避けて読んでください。

フェルマーの最終定理

1995年にそれまで350年にわたり証明されなかったフェルマー予想が証明された。そのフェルマー予想をテーマにしたノンフィクション。著者はサイモン・シンさん。翻訳は青木薫さん。

著者のサイモン・シンさんはこの後紹介する「ビッグバン宇宙論」においてもそうだが、説明がとても丁寧だ。わからないことを教えてもらおうとして、わかっている人に聞いたときに下手な比喩でたとえられて、全くわからないという経験をした人は自分以外にも大勢いるだろう。サイモン・シンさんの比喩はわからないという気にならない。なぜなのだろうか。

数学テーマにした本なので、数学が嫌いな人は手に取ることもないかもしれない。しかし、そういう人もぜひ読んでみてほしい。というのも、この本は数学の「問題そのものを解く」ということが主題ではないから。むしろ数学の問題はどのように生まれるのか、それを解こうとして350年にわたり数学者たちがどのような試行錯誤を続けていったのか、そのもがき苦しんだ歴史の本だからだ。

海外の本はしばしば翻訳調とでもいうべきか、文が堅く読みにくい感じがすることもあるけれど、この本はとても翻訳が丁寧で読みやすい。青木薫さんのすばらしい仕事だ。

自分は単行本ハードカバー)で読んだ。文庫版だと新しい翻訳者あとがきなどがついているかもしれない。

一九八四年

ジョージ・オーウェルが書いた小説ユートピア物質的・精神的に豊かになる、健康長生きできるといったような人間社会幸せで良い方向に向かう社会小説の反対、ディストピアを描いた小説

ここまで暗く描かれるとむしろ読む方の気分は明るくなるような、そんな気にすらさせてくれる小説。ただし、それは読後の感想であって、読んでいる最中は暗いままだけれど。

村上春樹さんの1Q84はもしかしたらこの小説に関連があるのかもしれない。今ググったら、どうやらそうらしい。自分は村上さんの方は読んでいないので何も言えません。(すみません

この小説が書かれた時期も意味があるし、この小説の中で登場するニュースピークという言語体系の設定は、そもそも言葉とは何なのかを考えるきっかけにもなるだろう。

火車と同じくWikipediaはあまり見ないで読み始めた方がよいだろう。

将棋の子

大崎善生さんの小説純粋小説というよりも何割かはノンフィクションかな。

自分は将棋のことは駒の動き方くらいしか知らないのだが、羽生善治さんやほかにも何人かくらいは将棋指し(棋士)の名前を知っている。この棋士の方々は、奨励会という将棋プロ養成する機関の中で勝ち上がってきた人たちだ。勝ち上がってきた人は晴れて棋士になるわけだが、では、「敗れ去った人たち」はどうしているのだろうか。その人たちをテーマに据えた小説だ。

この小説はけっこうずしりとくる。最初に挙げた宮部みゆきさんの「火車」は小説範疇ということもあるせいか、なんとなく怖さを感じることはあるが、現実的な切実さ、哀しさまでは感じないかもしれない。この「将棋の子」は、何かを一生懸命やってうまくいかなかった人の哀しさがよくわかるし、そういう体験をしてきた人(あるいは今そういう一生懸命何かに取り組んでいる最中の人)にはこたえるものがある。

冗談でしょう、ファインマンさん

ファインマンというアメリカ物理学者自伝エッセイ集。著者はリチャード P. ファインマンさん。翻訳は大貫昌子さん。この本もすばらしい翻訳だ。

エッセイ集ということもあって、好きなタイトルから読み始めることができる。エッセイ集なんてつまらんだろう、などと思っている人は読んでみてほしい。物理学者とは思えない言動の数々と、物理学者からこその言動が少々。そして、その間に驚かされるような洞察が垣間見えるのだ。場合によっては論語みたいな読み方もできるかもしれない。

全般に明るく楽しく描かれているけれど、これは意図的なものだろう。第二次世界大戦のロスアラモ時代には、自分の心にとどめるだけの悲しい出来事も数多くあったのではないか、と自分は想像している。

最後の「カーゴ・カルトサイエンス」の節はできれば最後に読んでほしい。この節だけは特別だ。物理学がわかれば、もっとファインマンさんのことをよく知ることができるのだろう。それができないのは残念だ。

プー横丁にたった家

プー横丁にたった家」は「くまのプーさん」の続編だ。「くまのプーさん」というと、単なるハチミツが大好きな黄色っぽいクマだと自分は思っていた。そうではなかった。

この本は子供向けの童話だと思われるかもしれないが、読んだことのない大人の方も読んでみてほしい。自分も大人になってから読んだ。著者はA.A. Milne。翻訳は(童話ジャンルでは高名な)石井桃子さん。

プーさんはもともと、著者が自分の息子に聞かせるためのお話だったようだ。こんな話を子供時代に聞かせられたらすごいことだ。

ところどころでプーさんが代弁する著者の考え方は、Amazonレビューにもかかれているけれど中国の思想家のような、どこか超然としたところがある。このクマがほかの動物たち(と一人の子ども)に向かって話しかける姿が良い。それとプーさんと行動をともにするコブタピグレット)が健気だ。自分は大人になってから読んだせいか、出てくる動物たちの役割に目が向いた。すなわち、物語の筋よりもおのおののキャラクター人間のどういう面を強調したものなのかを考えてしまいがちだった。子供の頃に読んだならば、もっと無邪気な読み方ができただろうと思う。

ビッグバン宇宙論

サイモン・シン氏の2作目の紹介になる。翻訳も前に紹介した「フェルマーの最終定理」と同じ青木薫さん。(本自体は「フェルマーの最終定理」→「暗号解読」→「代替医療トリック」(共著)→「ビッグバン宇宙論」、で四冊目だ)

大人になるにつれて、子供の頃に「なぜだろう」「どうしてだろう」と単純に不思議に思えたことへの興味がだんだん薄れていくと思う。すくなくとも自分はそうだった。どうして鳥は飛べるのに人間は飛べないのだろう、なんでお風呂に入ると指がフニャフニュになってしまうのだろう、どうしてテレビは音が聞こえたり絵が見えるのだろう、泥だんごはうまく丸くなってかちかちに固くなることもあるけど、そうでないこともあるのはなぜだろう、カブトムシはかっこいいけど、クモはすこし気味が悪いのはなんでだろう…、などなど。

そういう疑問の中で、人間がずっと追いかけて考えてきた疑問の一つが「この人間が生きている空間はどういうものなのか」だろう。その考え方の歴史をまとめたものがこの本だ。この本をひもとくと、この百年の間に予想もし得ないことが次々に見つかったことがわかる。ビッグバンという言葉ほとんどの人が知っていて、宇宙は一つのから始まったと言うことは知っているだろう。意外に思えるけれど、今から百年もさかのぼれば、ビッグバンという言葉すらなく、そう考えている人も科学の世界において異端扱いされていた。

宇宙論という非常に大きなテーマを扱っているため、「フェルマーの最終定理」よりも分量があって読むのが大変かもしれない。ただ、自分が読んだ単行本ハードカバー)には各章にまとめがついていて、おおまかな筋はそこを読めば追えるように配慮されていた(これはうれしい配慮だ。)文庫版のタイトルは「宇宙創成」のようだ。

読み終わったら、ぜひ上巻のカバーと下巻のカバーのそれぞれの色に着目してほしい。

モンテ・クリスト伯

今まで見てきた本を読むとわかるかもしれないが、あまり自分は昔の小説を読むことがなかった。一つには風俗文化が違いすぎて、いまいちぴんとこないからだろうか。そう思って昔の小説を読むことがほとんど無かったけれど、このモンテクリスト伯おもしろかった。著者は三銃士でおなじみのアレクサンドル・デュマ。翻訳は竹村猛さん。自分は上に挙げた岩波少年文庫版を読んだ。

復讐劇の代表的な作品だそうだ。「それってネタバレでは?」と思う方もいるかもしれない。そうと知っていてもやっぱり楽しい。引き込まれるようなおもしろさがある。

少し前に「レ・ミゼラブル」が映画になって、そちらの原作も良かった。境遇何となく似ているのだけれど、「レ・ミゼラブル」が愛の物語なのに対して、モンテ・クリスト伯純粋復讐劇だ。その痛快さ。モンテ・クリスト伯超人的な活躍が楽しい

自分はまだ一回しか読んでいないせいか、下巻の最後の方のあらすじはうろおぼえになってしまった。もう一度読む楽しみが増えた。今度は岩波文庫版で読もうかな。

喜嶋先生の静かな世界

森博嗣さんの小説。もともと「まどろみ消去」という短篇集の中に「キシマ先生静かな生活」という短編があって、それを長編ににしたものだ。

(科学系の)研究者世界とはどういうものなのかを丹念に追った小説であり、若干の事実が含まれているのかな?と思っている。森博嗣さんは某大学研究者であった(今では退職されたようだ)人で、その知見がなければ書けない小説だろう。

Amazonレビューを見たら、「自分には残酷小説だった」というレビュー内容もあった。自分は、心情、お察しします、という気持ちだ。ただ、主人公は喜嶋先生と出会えたことは僥倖だったに違いない。この小説の中で登場する喜嶋先生名言は、本家よりもむしろ心に残る。

自分の中では「将棋の子」と双璧をなす青春小説だ。

謎のギャラリー

北村薫さんが選ぶミステリーを中心とした選集。あるテーマを設定して、そのテーマの中で北村さんが編集者と対談形式でさまざまな物語を紹介していく形式だ。テーマは「リドルストーリー」であったり、「中国の故事」であったり、「賭け事」であったりと様々だ。

編集者との対談は実際の編集者ではなくて、北村さんが頭の中で生み出した架空の「編集者であるけれど、この対談がとても読んでいて楽しい気持ちにさせてくれる。いろいろな本が紹介されて読みたくなる。そういう罪深い(?)本だ。これを元に幾冊か叢書が組まれた。

その叢書の中で、自分が気に入ったのは「私のノアの箱舟」と「なにもない猫」だ。このシリーズはまだ全部読んでない。だから、気に入ったものは変わるかもしれないし、増えていくだろう。

自分は中国の故事や旧仮名遣いの本は読みづらく感じてしまうので、「真田風雲録」は読めないかもしれないなあ。

伝記世界を変えた人々 (いろんな人の伝記 図版が多く読みやすい)

海外の人を中心にした伝記シリーズ。主に子供を対象としているためだろうか、シリーズ全体として、文は平易で図や写真を多用している。そう書くとありきたりな伝記に思われるかもしれないが、装丁、ページの中の文と写真の配置の良さが際立つ伝記集だと思う。

全体として、割とマイナーな人も取り上げていたりするし、平和に貢献した人たちを取り上げている点も特徴だろう。気になった人がいたら、その人を読んでみてほしい。

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一は、多くの人がショートショートと呼ばれる一連の作品群で読んだことのある作家だろう。その人の評伝だ。著者は最相葉月さん。

星新一さんはその作品を読むとところどころに冷徹さが垣間見える。その冷徹さがどこから生まれたのかがわかるだろう。もともと幸せ境遇に生まれ育ったが、途中からどうしようもない災厄に見舞われるからだ。それだけが冷徹さの理由ではないだろう、ほかにもこの本を読めば思い当たる点がいくつかある。それらも書くと紹介としてはやや度が過ぎるのでやめておく。

最後の方で著者は有名な芸能人にもインタビューする機会を得て、実際に星新一さんについて尋ねる。そこも印象に残る。その芸能人はちょうど星新一さんの逆の人生をたどるような状況になっている。

自分はこの評伝を読んで、がぜんショートショートに興味を持つようになった。

リプレイ

SF小説はあまり読んだことがないのだけれど、この小説は良かった。著者はケン・グリムウッドさん。翻訳は杉山高之さん。

SFのよくある設定として、「もし過去に帰ることができるとすれば、その人の人生はどう変化するのだろうか」というものがある。その王道設定を利用して、すばらしい小説になっている。

この小説が書かれた時代1988年なので、やや風俗文化の描写が21世紀の現代と比べて現実離れしている点があるけれど、それを差し引いてもすばらしい小説だ。

まりあらすじをかかない方がよいだろう。http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で紹介する「心地よく秘密めいたところ」と全然違う話なのだけれど、自分には似たものを感じる。

自由への長い道

この本は近年読んだ中で最も良かった。

自由への長い道は南アフリカ共和国アパルトヘイト人種隔離政策)が撤廃されるまで闘った人々のノンフィクションだ。著者はネルソン・マンデラさん。翻訳は東江一紀さん。

アパルトヘイトという言葉とその意味何となく知っているけれど、それが具体的にどんなものかを説明できる人は日本の中で多くないのではないかと思う。ネルソン・マンデラさんとその仲間たちは、それをなくそうと政治活動を繰り返す。そしてその度に時の政府の激しい妨害に遭い、その結果そういったグループを作ること自体が違法になり、グループの首謀者たちは収監されてしまう。そこからが圧巻だ。

いかにしてそういう逆境の中で自分の政治信条を保ち続けるか。自分たちの仲間を増やして支持を広げていくか。そして時の権力機構に対して、アパルトヘイトの「非道さ」をアピールし、撤廃にこぎつけるか――。

仲間の反乱分子スパイへの対処国際社会へのアピールなど、常人には思いもよらない方法アパルトヘイト撤廃に向け前進してゆく。ところが、前進したと思ったら後退したりすることが何度も繰り返されるのだ。

この本はネルソン・マンデラさんがアパルトヘイト撤廃後の大統領に選出された直後に出版された本なので、結末に近づくにつれてかなり筆が鈍って、慎重な言い回しが増えていく。現在進行形のことを縷々書くと信用問題になるからだろう。それでもこの本は読んでいて楽しい

この本を読んだ人は「ネルソン・マンデラ 私自身との対話」もぜひ読んでほしい。自分もまだ途中までしか読んでいないが、より素直なネルソン・マンデラさんの言葉と考え方がわかると思う。(「自由への長い道」についての言及もある。)

ほかにも映画インビクタス」や、「マンデラとデクラーク」など、映像作品もある。後者の「マンデラとデクラーク」は「自由への長い道」と同じテーマだ。ついでに、youtubeにあった国連広報映像日本語訳付き)もリンクしておく。


つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

2013-05-20

教育はべつに人を生かしてくれるわけじゃあない

http://anond.hatelabo.jp/20130520041232

教育論なんて仰々しくいうけど、パワプロと同程度なんだよね、やることは。

ただの戦略。基本的には「長所を伸ばす」っていう。

もちろん「短所を減らす」っていう

オールラウンダーを養成するのもひとつなんだろうけどさ。

とりあえず塾の講師程度じゃ、

「将来を見据えて子供パラメータを調整する」

なんてこたあ考えないだろうね。

あと

また『そのままのわたし』は認めてもらえないという認識を持ってしまう恐れがある。

ってのはツッコミどころなんだろうけど、

正直、動物として生まれただけで命を食いつぶさにゃならん業があるように、

この世に生まれた時点で、とりあえず生きる権利はあるわけよ。

人はこの世に生まれたというだけで、ただ生きていていい。なんの業績を残さなくても。

それを言い換えれば、「生を認められている」と見なすこともできるんだけど、

他人がどう認識しようが動物は生きる権利があるんだから勝手に生きて死ねばいいもんだ。

逆に言やあ、「生を認める」という底の薄っぺらーいものを認めてなけりゃ

自分の生も他人の生も受け止められんよ。

まあそんなことより、

他人を認める責務を果たしてこそ、認められる権利があるってもんだ。

どうせ自分の子供が志望校に受かるためなら、

平気で別の子供の不幸を喜ぶんだろうから

その程度の幸福ですよ、自分家族さえよけりゃいいっていう。

なにより、日々を生きる望みを失わず

学ぶことへの意欲を持ち続けることができれば、

塾でうんたらとか受験でどうたらとか、

そういうパラメータはそこまで、わあきゃあ言うもんでもない。

パワプロで育ててた選手自殺しちゃ意味ないようにね。

2013-05-02

「危ない一号」第2巻より

数年前、まだサラリーマンをやっていた頃、そこの社長が「デルモン!お前も商いのイロハ根性を学べ」と派遣されたのが、ある経営診断士の講演でした。そのセンセイは午前と午後の六時間をひとしきり語りくさった後「それでは、この映画を観て商人の心を学びましょう」と見せてくれたのが確か「こぶしプロ製作の「てんびんの詩」というメンソレータムでお馴染みの近江商人物語でした。年端もいか子供丁稚に出されて朝も早よから廊下をヌカ入り袋でピカピカに磨き上げ、そこの主人や先輩に玉毛を剃られるようなシゴキを受けながらも「これが商人や、商人の心や」とジコマンな解釈をして目をキラキラさせるという歯車社員養成ギブスのようなものでした。僕はランゲルハンス島の辺りが痛くなりましたが、他の参加者は皆一様に感動したようで、ウンウンと頷きながら小鼻をふくらませたり、前立腺を硬くさせたりしているようでした。このように心の持ちようによっては同じ作品が素晴らしかったり、ローゲだったりするわけですが、

ここではなるだけ、みなさんの賛同を得られる作品を紹介したいと思います

で一番最初の紹介映画がコレ

悪魔のしたたり』

たぶん全ての人が潰れる作品ではないでしょうか?小人奇形がうじゃうじゃと登場して女を犯したり殺したりしますが、目玉を掘ったり頭蓋に穴を開けてストローチュルチュルするところなんぞは強烈!何の啓蒙テイストもない東映エログロ路線の母親のような作品。

その頃付き合っていた彼女と一緒に観たら「こんな仕事ビデオ紹介)やめて!マトモになって」と言われた覚えがあります

キ過ぎ。

2013-04-30

脳内イメージとのギャップ

http://anond.hatelabo.jp/20130430134002

俺は芸人からジャンル違いだって言われたらそれまでなんだけど。

元増は、脳内で構想練ってる時のイメージと、現実に作り上げた時の作品のギャップ萎えちゃうんじゃないの?

頭の中で考えてる時って一番楽しいけど、いざそれを形にしようとすると考えてもなかったハードルボコボコ現れたり、

地味で面倒くさい作業の連続だったりするじゃん。

それで「あれーこんなはずじゃなかったのになぁ」っつって未完のまま投げ出しちゃうパターンって、

表現系の初心者が一番陥りがちな落とし穴なんだよね。

下手に目が肥えてるから自分の作品に満足できないの。

延々と1を1.1にするような作業を繰り返して、いつまでも完成しない。

お笑い養成所なんか行くと、一本もネタ披露せずに辞めてくやつゴロゴロいるよ。

みんなお笑いが好きで、こんなネタがやりたい、アイディア豊富にあるんだっつって夢持って入ってくるけど、

いざコント一本書く段になって、理想現実ギャップに耐えられなくなるのよ。

でもその脳内イメージ現実作品のギャップって、どれだけ技術が向上しても埋まるものではないからね。

埋まってなくても、どっかで見切りをつけて披露しなきゃいけない。

個人的には、そのギャップが埋まらないと分かりつつ、ギリギリまで地道な作業を続けて戦えるかがプロ素人の違いだと思う。

立川談志ですら、高座終わって袖に引っ込んだときに「死にたい」って言うんだぜ?

メモ癖あるぐらいだから創作欲はあるんだと思うよ。

でもちゃんと発散させて、人の評価に晒されるって事をしないと、

「俺は才能ある」って勘違いした、こじらせたオッサンになっちゃうよ。山月記の虎みたいな。

あと、「分業を模索した方がいい」とか「俺は原作向きタイプ」とか言ってるトラバあるけど、

こういう言説は無視したほうがいい。総じて苦手分野を努力したくない、ただの怠け者。

2013-02-20

おいでよ ピペドの森2 ~バイオ生物系)の進路・就職について~

http://anond.hatelabo.jp/20130220004202

の続き

進路に関するQ&A

ここはぼくが今までの経験から進路について思うことをQ&A方式で書いておくね。

もちろんぼくの個人的意見から絶対に正しいとは言い切れないけど、結構参考になると思うよ。

少なくとも、単に合格実績を上げたいだけの予備校進学校進路指導よりは何倍もいいと自負しているよ(笑)

Q.バイオを学ぶにはどういう学部学科があるの?

A.バイオ系は広い。

対象は野山に出て動物植物を追いかける研究もあれば、研究室毎日細菌相手に実験ってのもある。

また、研究目標も基礎研究と応用研究がある。

基礎研究は「生命現象の追求」が目的

一方、応用研究とは、「基礎研究で得られたものを利用して人類利益をもたらすための研究」のこと。

応用研究をメインにしているのは、医療系(医学部保健学部薬学部歯学部)・農学系・工学バイオ系。

基礎研究をやっているのは主に理学部だけど、理学部だけってわけじゃなくて、応用系の学部でもそれに近い研究室はある。

から基礎は応用系の学部学科に行っても学ぶことは可能だよ。

逆に、理学部では応用は絶対に学べない!これは要注意!!

また、よく基礎研究高校勉強で言うところの「基本」と勘違いしている人がいるけど全然違う!

高校教科書に出てくる練習問題の基本問題ってのは単に簡単な問題ってこと。

一方、基礎研究とは応用研究に比べて簡単ってわけじゃなくて応用性を持たないってこと。

応用性がある方がおもしろいと思うか、ない方がおもしろいと思うかは人それぞれだからそのあたりは

きちっと考えた方がいいよ。

大学学問は興味がなければ苦痛なだけだから・・・

文句を言ってもそれはきちんと選ばなかった自分が悪いわけだからね。

あと思うのは、最近では「環境」って名の付く学部学科結構あるけど、ぼくはそこには行かない方がいいと思う。

だって中途半端なことしかできないから

18歳人口が減っているのに、大学学部学科が増えているのは単純に収入源を確保したいだけなんだ。

からそういう新設学部に行ってもきちんとしたことを体系立てて勉強するのは難しいし、就職でも企業判断

できないから、かなり不利になってしまうことが多いよね。

きちんと環境について学びたいなら、工学部農学部のような100年以上の学問体系を持った学部に入ってそこで

きっちりと勉強すべきだよ。

そしてそういったことができる企業官庁に入って仕事として環境をよくする方向を目指すべきだと思うよ。

環境系の学部に入ってもう技術は身に付かないだろうからね。

Q.バイオ系の学生卒業後の進路はどうなっているの?

A.医学部以外は基本的には大学4年生になると研究室に配属になってそこで卒業研究をやるよね。

たいていの場合学生は一人では何もできないから先輩から教わりながら研究をやる。

大卒学部卒)で就職する人はこの時期に就職活動をするんだ。

就職活動時期は3年生の後半~4年生の前半だよ。

バイオ系の場合就職先は自分で見つけなければならないよ。

高校生の中には「そこそこ以上の大学なら、理系就職は推薦制度があって特に就職活動をしなくてもあっさりと

有名企業に決まってしまう」と思っている人がいると思うけど、それは主に工学部電気電子機械系で

かつ大学院生場合なんだ。

バイオ系は基本的に推薦制度がないから自分で探さないといけないんだ。

しか大卒学部卒)の場合バイオ企業理系職(研究開発職)に就くのはまず無理だから文系的な職種

公務員教員に行く人だけが大学院に進学せずに就職活動をしているね。

一方、バイオ企業理系職(研究開発職)や国公立研究所研究者を目指す人は大学院に進学する。

このとき就職希望者は大学院最初の2年だけ大学院に行って(修士課程という)、就職していくのが一般的

このとき就職活動時期は修士1年の10月~修士2年の夏くらいまで。

じゃあ、肝心の就職実績はどうかと言えば、これがかなり厳しい・・・

バイオ系の企業って主に製薬系と食品系に別れるけど理系職の採用なんて1社あたりせいぜい

15人程度しかないんだ・・。

そのたった15人の採用枠を巡って数千人が応募するわけだからかなりの激戦だよね。

しかバイオ系の企業自体数が少ないからさらに激戦に・・・

から多くの人は希望通りの進路はとれないんだ・・。

せっかく高校時代に夢を持ってバイオ系に進学したのに6年も経ってから希望が叶わなかったなんてそれはないよね・・。

でもそれが現実なんだよ・・・(汗)。

ほんと厳しい・・・

じゃあ、希望就職ができなかった人はどうするかってことなんだけど、人それぞれだよね。

希望じゃない職種就職する人や無職になる人、仕方なく博士課程まで進学する人。

バイオ系の学部学科HP就職先をきちんと書いていないHPが多いのはこういう理由なんだろうね・・・(汗)。

公立研究期間を目指す人は博士課程に進学する。

3年で卒業(修了)できる場合はかなりのやり手であって、+1~2年くらいは修了は遅れることは

当たり前だと思った方がいい。博士課程はきちんとした研究成果を上げないと修了できない制度から

博士に上がる前に自分の力量をきちんとわきまえておかないと何年経っても修了できなくて

ドロップアウトってことはよくあるんだ・・・(汗)。で、めでたく修了できても就職先はないことが多い。

研究所就職できたとしても、ふつうポスドクって身分になるんだけど、そのポスドクになるのはかなり難関で、

なれたとしてもポスドクは2~3年の任期制からその間にきちんとした研究実績を上げられないと

あっさりクビになってしまうんだ。もちろんそこでクビになったら別の就職先なんて見つけられるわけない!

だって30歳近くになって会社勤めしたことない人を雇いたいって思う会社なんてあるわけないでしょ・・・

ドロップアウトが待っている・・・

基本的研究者世界芸能界スポーツ選手世界だと思った方がいい。

ほんの一握りのできる人だけがのし上がっていけて、他の能力のない人は消されていくんだ・・・

かなりの覚悟必要だよね。

Q.大学院入試院試)は難しいの?

A.バイオ系の場合大学院入試院試)は大学入試と比べるとものすごく簡単。

そのまま同じ研究室で上に上がるだけなら、院試前に1~2ヶ月勉強すればあっさりと受かってしまものだよ。

同じ研究室にそのまま上がっても入学後の1日の生活基本的には変わらないよ。

から、同じ研究室大学生大学院生という身分の違う学生が2種類いることになるんだ。

おもしろいでしょ?

別な大学院に行きたい場合は、行きたい研究室先生と事前にメールとかで連絡を取ってその研究室挨拶に行こうね。

院試も外部受験だと内部で受けるよりハンディはあるけど、研究室訪問をしたときに何とか院試情報を先輩から

聞き出して(先生からは聞かない方がいい)、有利に受験を進められるようにしようね。

注意しないといけないのは、大学院には2種類あって『研究大学院』と『専門職大学院』があるんだけど、

バイオ系の学生が行く大学院ふつう研究大学院研究大学院は「単に研究をのみするところ」なんだ。

一方、専門職大学院とは、最近注目されている法科大学院会計学大学院のように「特定専門職に就くために

いろいろな先生からいろいろなことを学ぶところ」だよ。

法科大学院司法を目指す人を養成するところだし、会計学大学院会計士を目指す人のために大学院だよね。

よくある勘違いは、研究大学院なのに専門職大学院のような期待をして進学することがあるんだけど、

これは大きな間違いだよね、研究大学院はいろいろなことは学べないよ!普通特に資格も取れないよ。

あくま研究第一主義だからね。

Q.バイオ系の教授研究室にいる学生をどう思っている?

A.悲しいけど、ただの「使いっパシリ」としか思っていない先生が多い。

大学先生ってのは自分研究室研究業績が上がることで、自分の名声もあがるシステムになっているから、

できるだけ多くの学生研究室所属させて、その学生にいろいろ研究させたいと思っているんだ。

研究室基本的生活って、毎日に朝9~10時くらいから夜11~12時まで実験ってことが多いから

人を雇おうとしても激務すぎて労働者は寄りつかないし、先生給料を払わなければならいから

タダで使える学生研究をさせて研究室の名声を上げようと考えている先生が多いよ。

先生も安定している職業じゃないから、いい研究成果を出せないとクビになってしまうこともあるからね。

から先生必死なんだ・・・

もちろんすべての先生がそういうわけじゃないから、どの先生につくかはきちんと噂などをゲットして考えた方がいいよ。

失敗するとマジでヤバいからね。

Q.ぶっちゃけ、どういう進路がお得?(またはバイオ系と電気電子機械系ならどっちに進んだ方がいい?)

A.こういう質問が出るのは将来のことをあまり考えていないからだよね。

そういう場合はまず自分がどういうことをしたいのか、あるいはどういうことをしたくないのかを

きちんと考えるようにすることが先決だよ。もちろん、一人で机に向かって考えるだけじゃ答えは出ないから

いろいろな人と話したり、バイトをして職業について考えてみたり、ネットでいろいろな噂を見て判断してみるのがいいよね。

それでも決められない場合、あるいは同じくらい魅力があると思える場合は、ぼくだったら次のようにするよ。

まず、医療研究がしたいなら、医療系の学部医学部保健学部歯学部薬学部)に進む。

どれも難関だけどね。

医療研究医療系の学部に進学しないとまず無理だからね。

それ以外のバイオ系の学部では人を対象にした研究基本的にはできないから入学

フラストレーションたまるだけだよ。もちろん医療系の学部と言ってもいろいろあるし、学部大学

よってもやっていることが全然うから自分のやってみたいことができるような大学学部を選んでね。

そのための情報集めは怠らないように!!

医療研究に直接興味がないなくて、バイオ系と電気電子機械系を天秤にかけるなら、

何のためらいもなく電気電子機械系に進学すべきだと思うよ。

やはり日本電子立国からこれらの学科だったら就職に困ることはまずないからね。

学生1人に対して求人企業が10~50社くらいあるから引く手あまただし、この系統だったら

推薦制度があるからかなり楽に就職先を決められるからね。

確かに最近は推薦制度でも絶対採用されるわけではなくなりつつあるけど、それでも普通に就職するよりも

はるか楽だからね。

ついでに書くと、機械メーカーへは機械系よりも電気系の方が入りやすいし、

電機メーカーへは機械系の方が入りやすいらしいよ。

まあ、自分が何がやりたいかが大事だけどね。

一番悲惨だと思うのは、基礎研究に興味がないのに理学部に進んでしまう人・・・

別に生物学科に限らず理学部は基礎研究しかしないから、「人の役に立ってこそ研究」と考えている人は

理学部には絶対に行ってはいけない!間違って入ってしまった人は再度大学受験をやり直して応用系の学部に行くか、

2~3年生で応用系の学部に編入する(制度があるかは微妙)。

大学院で応用に移ろうとする人がいるけど、院試の科目が違いすぎてなかなか受からないし、受かっても

就職では企業学部時代にどんな勉強をしていたか大事にするから、かなり不利になってしまうよ。

ぼくの個人的見解としては、基礎研究に興味があっても、学部はとりあえず応用系に進んで、

きちっと技術資格免許を取得したうえで、同じ学部にある基礎の研究室に行くか、理学系に進学するのが

いいだろうね。

基礎しかやらない理学部に入ってしまうと技能とか資格免許は取れないものから教員免許以外)、

将来を考えるとかなり損をしてしまうことになるからね。

もったいないよ、そんな人生は。

以上

おいでよ ピペドの森 ~バイオ生物系)の世界について~

バイオの今までの数年の動向と現状、そして進路について思うことを書いてみたよ。

受験生バイオ系の学生さんに進路を考える点でちょっとでも参考になればうれしいよ。

バイオ時代はいずこへ・・・!?

数年前までバイオがとても注目されて、クローン技術移植医療、ヒトゲノム計画、遺伝子組み換え食品などが

有名になったよね。

マスコミ連中は「これからバイオ時代!」と騒いでいた。

では今はどうかと言えば、そんな言葉見る影もない・・。

あれだけ騒いでいたマスコミ連中は「これからナノテク時代」などと別なことをほざくようになって、

バイオなどどこ吹く風・・・。当時、理工学系の学部で最もレベルが高かったのは紛れもなく「バイオ学科」だったのに、

いまは最もレベルが低い学科に成り下がってしまっているみたい・・・

受験生の間では、

バイオなんて就職がない」

医療系以外の生物系は無職養成所」

「これからナノテク時代からマテリアル系化学系!」

「でも日本電子立国から電気電子系や機械系が最強!」

・・・などとバイオを見捨てているんだろうね。

悲しいけどこれは事実・・・

バイオはあまりに力がなさすぎたよ。

今後もバイオ時代が来るようには全く思えない・・・(汗)。

1990年後半はバイオブームだった!?

1990年後半は紛れもなくバイオブームだったんだ。

クローン羊ドリーの誕生によってクローン技術世界で騒がれ、はたまた脳死患者から日本初の臓器移植、あるいは、

世界規模で行われていたヒトゲノム計画の激化、夢のような食品を作ろうと考え出された遺伝子組み換え食品、まさに

バイオブームのまっただ中であったんだよ。

それと同時に「バイオ倫理観が伴う非常に難しいもの」と倫理性も問われるようになったんだ。

例えば、「クローン技術遺伝子組み換え自然が作ってくれた生物存在根底から覆すものだ!」って

非難を浴びたし、「脳死患者から移植倫理的問題がある」ってお偉い方は慎重だったし、

ヒトゲノム計画は、「それによって人の遺伝子が分かることでその人の人間的な価値まで判断されてしまう!」

なんて言われていたんだ。

これを読んでいるみんなもこれらのことは知っている人も結構いるだろうね。

倫理観まで問われるってことはそれだけバイオが注目されていた証拠でもあるよね。

じゃあ、あれから数年経った今はどうかって言うと、悲しいけど全く言われなくなっているよね。

何でだろう??もう問題点は解決しちゃったから?

それともバイオはみんなを幸せにしたからもういらなくなっちゃったってこと?

ブームの罠

繰り返すけど、1990年後半は紛れもなくバイオブームだった。

でもこの言葉って罠がある。

あくま1990年後半はバイオ"ブーム"ってわけで、バイオ時代が来たっていみじゃなかったんだよね。

ここに大きな問題点がある!マスコミ連中が報じる「これからは○○の時代」って言葉には注意が必要なんだ。

まりマスコミ連中の科学に対する報じ方っていうのは、

(1)今ちょっと話題になって科学のことを集める

(2)それを大々的に報じる

(3)そして世間がそれに食いついてきたら「これからは○○の時代」って報じる

と言うやり方があるんだよね。

から「これからは○○の時代」と言われても本当にその時代が来るかどうか誰にも分からないよね。

確かにそれを報じた時やその数年後はその○○が注目されるけど、それ以降はまた別な◎◎が注目されるようになって、

「これからは◎◎の時代」ってふうに話題がすり替わっているものなんだ。

いい加減だよね、マスコミって・・・

では、この前後科学世界ではどういったブームがあったかを振り返ってみよう。

年代ブーム
1985~1990バイオブーム利根川先生ノーベル賞きっかけ)
1989~1994地球環境ブーム(→農学部の大幅な改組)
1995~1998大型基礎研究施設ブームSPring-8スーパーカミオカンデ地球シミュレーター)
1998~1999ITブーム(正確にはIT革命ブーム
1996~2000バイオブームクローン技術移植医療、ヒトゲノム計画、遺伝子組み換え食品
2000ヒトゲノム計画のドラフト概要)が完了
2000ITバブル崩壊IT不況へ、しかし近年持ち直す)
2001(このあたりからバイオが騒がれなくなる)
2002~ナノテクブーム
2003ヒトゲノム計画が完全終了(しか世間はすでに見向きもしなくなっていた・・・

あれあれあれ??!1985~1990年にもバイオブームがあったんだ~。

実はこれ、利根川先生ノーベル賞を取ったことを機にかなり盛り上がったみたいなんだ。

当時バブル経済まっただ中で、いろいろな企業もこぞってバイオ研究をするようになっていたんだ。

電機メーカー線虫っていう虫の脳神経を調べたり、神経細胞が伸びていく方法を利用して半導体

回路の作成研究をしてみたりってふうにね。

でも、バブル経済崩壊したらそれらのメーカーバイオ研究をやめちゃったんだ。

バイオ研究って他の分野の研究とは違ってきちっとした方法論が確立されていなくて手探りでやるから

ものすごくお金時間を要するから

本業で稼ぐのが一番ってことで電機メーカー撤退しちゃったんだ。

1989~1994年環境ブームも"クセモノ"だよね。

なんでクセモノかって?それはウサンくさいから(笑)

その理由はQ&Aで書いておくね。

その次の1995~1998の大型基礎研究施設ブームっていうのは主に物理学世界で、宇宙とか素粒子

原子構成しているもの)を研究するのには大型の研究施設必要ってことで各地に建設がされたということだよ。

1998~1999年にはITブームがあったよね。

当時マスコミ連中が言ってた言葉は当然「これからIT時代」。

でもそれも2000年崩壊しちゃった(苦笑)。

1996~2000年バイオブームがまた来ているよね。

これがぼくがさっきから言っていたバイオブームのことだよ。

2000年にヒトゲノム計画のドラフト完了したことで、当時マスコミ連中はバイオ倫理について大騒ぎしたんだよね。

でも、これを境にだんだんバイオが騒がれなくなっていったんだ・・・

これとは対照的2002年くらいからナノテクだんだんと報じられるようになってくる。

2003年にヒトゲノム計画が完了したときにはもう誰も世間の人は見向きもしなくなってしまっていたんだ・・・

何でだろうね・・!?

ブームが終わるってのは2種類の理由があると思う。

1つはそれが完全に終了してしまって次がない場合

2つ目は同じことの繰り返しで真新しさがなくなってしまった場合

1つ目にあたるのは、ヒトゲノム計画だね。

当時は人の遺伝子が全部分かれば、病気の原因も分かるようになるって注目されたけどそんなことは全然ないよね。

結局、遺伝子解読したから何が分かると言えば、その遺伝子配列が分かっただけ。

それ以降には全然進まない。

だってどの遺伝子が原因は結局は実験をしてみないと分からないものから

ヒトゲノム計画は学問的にも産業的にも利用価値がなかったってわけ・・・

ヒトゲノム計画の時にアメリカのある企業ががんばっていたんだけど、終了後はこの計画にあまり意味がないことに

気づいて今は全然違うことをテーマにしているらしい(苦笑)。

ヒトゲノム計画はそんな程度だったみたいだね。

2つ目の理由に当たるのは、クローン技術脳死移植遺伝子組み換え食品だね。

その後はあまり技術的な革新はないからクローン技術はその対象を広げたけどそれ以上はないし)、マスコミ的には

もう意味がなくなったってことなんだろうね。

何かフタを開けてみるとあっけないよね・・・

それにしてもいろいろなブームがあったんだよね(皮肉/苦笑)。

ブームってのは確かに山があって頂上まで行ったら後は滑り落ちるだけってのは分かる。

でも科学世界ってそんな短期間で語れるようなブームで動いているわけ!?答えは「それは正しくない」よね。

今まで言ったように科学世界ブームは単純にマスコミが作り出しただけで、実際の科学研究もっとコンスタント

行われていて、確かにある分野が注目されるときはあるけどそのあとは見向きもされなくなるなんてことは変なことだよ。

だって見向きもされなくなるってのはその研究価値がなかったってことが分かったってことなんだからね。

でも、世間の人はそういうたった数年のブームにのせられてしまうし、多感な受験生なんてそれだけを信じて進路を

選んでしまうことが多いから要注意だね。

「これからは○○の時代」ってフレーズに載せられてその○○の分野に入学しても自分がいざ研究就職

しようとするときには世間は完全に見放していたなんてことになったら、いったい何のためにその分野を

選んでしまたかからなくなってしまうよね(苦笑)。

さあ、次はどんなブームが来るんだろうね!?皮肉/苦笑)

バイオ人間の考え方

バイオ研究者生物をどのように解析するか?それは文字通り「ただやみくもに」って言葉がぴったりな方法なんだ。

びっくりしたでしょ?ぼくはバイオ研究問題点は3つあると思っているよ。

1つ目は、生物学研究方法では他の分野(特に物理学化学工学)のように原理原則を見いだそうとは

されていないこと。だから生物学研究方法はまるで『錬金術』のように「訳の分からない遺伝子をやみくもに入れてみたら

どうなる?」とか、「この薬品とこの薬品を入れてみたらどうだろう?」ってふうに原理原則を見いだそうとせずに、

結果さえよければそれでいいって感じでやっているのが現状なんだ。

錬金術ってのはみんなが小学校中学校で習ったと思うけど、昔の人は金属ごとに違う原子でできていることを

知らなかったから、鉄やアルミニウムから金を作ろうと必死にいろいろな方法を試していたんだ。

これらの原理原則を知っている現代の人から見ればバカバカしいことだけど、残念ながら生物学研究現在でも

この錬金術のような方法をとっているんだ・・・

2つ目は1つ目とも関連があるんだけど、生物学の源流が『博物学であるから、その博物主義的な発想から

抜け出せないところ。みんなも博物館に行けばいろいろな昔のものが陳列してあってどの時代にどのようなもの

あったかよく分かるよね。でもそれが分かったところで今の自分生活には活かせないでしょ?それと同じで生物学も、

その対象動物植物から細胞分子レベルにまで移ったのに、やっていることは昔の生物学者がおもしろ生物種を

追い求めて野外を駆けめぐったように、今の生物学者も同じ発想で遺伝子細胞の中で働いているタンパク質

発見することに全力を注いでいるよ。そしてそれに名前を付けて陳列して「どうだ!オレはこんなにたくさんのもの

発見したんだぞ」って威張っている状態なんだ。

から、そこから一般的原理原則を見いだすことはないし、それを何かに役立てようって雰囲気も全くないんだ・・。

3つ目は生物学者の頭は完全に文系であるってこと。

表向きは生物学理系に属しているけど、理系らしさの証でもある数学物理学化学を駆使して数理的に

解析するなんてことは絶対にない。

そういった解析をしている学者生物学者ではないんだ(苦笑)。

確かに生物と言えども自然界に存在するものはすべて物理化学法則に縛られているから、その方向から

解析が必要になるはずだけど、生物学博物学の流れを持っているからそのような部分には生物学者は

見向きもしないんだ。

文系でも経済学心理学社会学では数学結構使うから生物学者は文系以上に

理解析をしないってことになるよね・・・

それだったら何のために大学入試数学理科をやってたんだよって感じだよ。

しかも、生物学研究には多くの機械を使うけど、生物学者は機械原理や中身の動作については

全く分かっていないんだ。機械ボタンを押せば何か分からないけど目的研究ができるってふうにしか

機械を捉えていないから機械がうまく動かないとき自分で直したりせずに修理を頼むんだ。

その間はだたぼぉ~って待つだけなんだ(笑)。他の理系研究ではまず考えられないことだよね。

大事なのは世界バイオ機器を支えているのは電気工学機械工学で、この2つがなければバイオ

ダメになるということ。でもバイオの人たちは、自分研究電気工学機械工学に支えられていることに

全く気づいていないんだ。それなのに自分達だけでバイオ研究をしているって勘違いしている部分がヤバいんだよね。

バイオ人間もっと発想を変えて、理系らしくすべきだと思うけど、みんなそんな意識はなくて毎日から晩まで、

時には徹夜実験をして喜んでいるだけなんだよ・・・

これはマジでやばいって!

続きは

http://anond.hatelabo.jp/20130220194940

2013-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20130117124228

教授はぜったい研究者養成所だと思ってるよね

パンフにはそうは書いてないけど

番組内容

スポ根アニメの名作「巨人の星」から筋トレに注目する!主人公星飛雄馬は、父・一徹から野球英才教育を受ける。飛雄馬は「大リーグボール養成ギプス」を着用。過酷筋トレが始まる。筋肉は体を支えるために重要特に体を支えるのに大事なのは、おなかや胸、背中、おしり筋肉だ。

https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20121027-33-34166

http://anond.hatelabo.jp/20130117123614

全員が研究職になりたくて大学院言ってるわけじゃないだろ。

それとも大学院とはただの研究者養成学校だったのか?

2012-12-18

日本の男女待遇差の根本的原因

日本は働く母親冷遇 OECD報告

http://www.47news.jp/CN/201212/CN2012121801001186.html

子育て男女給与日本が最大

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121218/k10014259781000.html


これね。

結局は、社会の仕組みを決めるエリート側(官僚政治家経営者など)に女性が少ないから変わらないよね。

なんでそうなのか。

日本ではエリート養成する教育機関に明確な男女差があるから

まり中高一貫男子校の力が強すぎるの。

灘、開成筑駒、麻布、ラサール東邦武蔵、聖光、東大寺・・・上位はほとんど男子校

これらと対抗できるレベルの共学、女子校なんて筑附、桜蔭くらい

アメリカトリニティスクールもホーレスマンスクールフィリップスアカデミーフォーブス誌による上位3校)も共学だよ?

でも、この格差を問題視する進歩的文化人ほとんどいない。

なぜか?

彼らの母校だから

母校を批判するのは自分アイデンティティを攻撃するようなもんだから

無理だね、こりゃ。

2012-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20121207033354

自分も昔はそういう「弱者擁護の主張をする人が別の弱者に冷たい」ことに対して憤慨していました。

でも結局人間ってその程度だと気づきました。

上野千鶴子女性であってゲイではないのだから女性のことは考えるけどゲイのことなんか考えないのです。

あらゆる弱者を救済してくれる神様のような人間はいないのです。

それだけです。

ゲイ自分たちの社会的立場を向上させたかったら、「ゲイ界の上野千鶴子」を生み出すしかないのです。

自分たちの利権を主張してくれるオピニオンリーダー養成するしかないのです。

所詮この世は弱肉強食です。喧嘩うまい勢力が勝ちます

から遙洋子東大上野千鶴子喧嘩を学んだのです。

ゲイのみなさんもがんばってください。

わたしは何もしません。ゲイではないので。

2012-08-22

はてな村ネットアイドル養成

はてな村に見出され一定のファン(アンチも含む)を得て、Twitter戦闘値と名声値を高め

叩く側から叩かれる側に回りそうになったらはてな村卒業の頃合

ネットは常にハイエナイナゴが歩き回るサバンナ

誰かを批判する事で名声値を得て金にしている人は、他の名声値を得たいと願っている人達disられるのを覚悟

しなければならない 何歳でも容赦してくれない 隙を見せたらdisられる  拡散力は諸刃の剣

から増田は居心地いいサバンナの中のオアシス

ソロ活動頑張ってください 辛くなったら増田においで

2012-08-08

底辺高って軒並み暴力団養成所なんだろうか。

頭悪くて弱い奴が入れる高校と

頭悪くて暴力団養成所な高校と分けることできないもんだろか。

無駄だよな。

2012-07-09

 今年、一年間の浪人生活を経てようやく大学に進学することが出来た。

私の進学した大学はいわゆる「高学歴」といわれるような大学であり、生徒数も全国でも有数のマンモス校である

なれない大学生活もあっという間に過ぎ、前期も終わりに近づき、学内には期末テストで終われる生徒の姿を見かけるようになった(かくいう私もその一人なのだが)。

過去問探しに奔走し、必死友達にすがる。私の通う大学には付属校があるため、そこからエスカレーター大学入学した人は

先輩たちも多く重宝されるのだ。そんな時ふと思うのが、「友達って一体なんなんだ」ということである

自分友達が少ないほうだと思う。お昼ごはんを一人で食べることも少なくないし、休日は一人で本を読んですごすことが多い。

だが、お昼ごはんを食べる人間が、休日を一緒に馬鹿騒ぎしてすごすことが出来る人間友達なのか。

それってただの知り合いじゃないって思っちゃうわけです。

だれでもいいわけでしょ。寂しさを紛らわせることが出来れば。寂しいのがいや。そういう感情があるから、群れたがるわけでしょう。

から入学当初に必死アドレス集めに奔走するわけでしょう。では、あなた。その手に入れたアドレスの中に今でも連絡を取っている人が何人居ますか?と問いたいわけです。

からない。園感情がまったく理解できない。うわべだけ、寂しさを紛らわすだけの存在なんて友達って呼べますか。

ただのレスポンスがくる人形しか思っていないわけでしょ。

そんなことを考えながら、大学内の集団をみてると怖くなる。寂しいという感情に支配された人形たちが、狂ったように下品な笑い声を上げているわけです。

ホント、怖いBGMでもつけたらホラー映画の完成ですよ。

あの大学人間を減らすべき。少なくともいらない学部2、3個はあるでしょ。クズ養成所としてしか働いていないよ。学内に居ると実感する。

きらきらした目で学校見学している高校生とその府警方を見ていると、「絶対入っちゃだめだぞ!こんな大学クズしかいないからな!」と叫びたくなる。けどそれは出来ないチキン

2012-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20120701035647

いまの子らって、アンチ詰め込み教育によって、知識よりも「生きる力」を養成されてるんでしょ。

高学歴で職がなかった程度じゃ揺らがないくらいの「生きる力」持ってるって大丈夫

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