はてなキーワード: 大卒とは
既卒3年以内だし職歴なしだからどこかあるって思ってこの3月から職安経由で探したものの、
世の中そんなに甘くなかった(文系院卒、男性)。新卒の時はあんなに、来て来て!て誘ってくれた企業さんも既卒になると門前払い。
分かってたはずなのに楽観視してた俺。
小町や2chや知恵袋などで「新卒以外で正社員目指すのは無理!」ってのをどこか軽蔑の眼差しで見てた新卒時代。
大学院で研究してたことが、大卒でもそうだけど、仕事では全くほとんど活かせない事に気付かされて30社目。
頼みのシンクタンクもバイトでなら!ってことで研究職での正社員の道はほぼ閉ざされた。
だからこの9月から気分一転してアルバイトやパート労働者として、社会経験を積むために始めた職探しだったが、
バイトやパートだと意外にすぐ見つかり現在はそこで働いている。
でも、こんな所で社会経験を積んだところで何の役に立つっていうんだろう。
それに既卒というネック、職歴なしだとどこも雇い入れてもらえない。
ハローワークが出す求人の敷居の高さ。ハロワ求人の約7割の名のある正社員登用の会社は、最低でも1年以上(通常は3年経験して社会経験者という)の社会経験を積まないと門前払いを食らう。わかものハローワークの職員もどこか他人事で冷たいし。他人事なのですが。また、マイナビやイーキャリア、リクナビなど就職サイトですら既卒には厳しい。アルバイトやパート、派遣では非常に甘いのに正社員となると厳しくなる世知辛さ。
2chなどに見られる「未経験歓迎、誰でも簡単にできます」の甘い売り文句には要注意との文字通りに危ないブラック求人が山ほどあって、
そこから未経験(バイト経験だけがあって)でもやって行ける、けどブラックじゃなくて、小さい会社でもいいから、長期に渡って働くことができ、会社に愛着を持てて、自身の環境も安定させられる、それぽっちの願いも叶えられない。
これは既卒だと贅沢な悩みなんだろうか。
既卒は就職できないの?中小ですら相手にされない……ことはないですが、正社員ともなるとハードルがかなり上がりやっぱり無理です。
今続けてるパートをこのまま続けて職歴になっても、逆にそれがネックとなる可能性もあるんじゃないか、と疑心暗鬼してる今日この頃。
9月末までは正社員は今後やればいいや!と鷹を括ってましたが、やっぱり今からでも正社員を探したほうがいいんじゃないか?
そんな気持ちでいっぱいになるのは変なのでしょうか。また、これから探すというのは遅いのでしょうか。今、人生の分岐点にいます。
真剣に考えすぎですよ。
例えば
・ 無料で自宅でやりなおす→小学校の算数から大学数学までweb上教材をリストにした 読書猿Classic: between / beyond readers
上記を読んで、実践した人は1%もいないでしょう。
ライフハックではないとツッコミを受けそうですが、似たようなものでしょう。
通販で注文する瞬間が気持ちいいように、ブックマークした瞬間が気持ちいいのです。後は放置です。
そんなもんです。
まともに大卒で、かつまともに企業に就職し、いま現在も働いている人たちは、文句を言いながらもサラリーマン生活を続けています。ライフハックも勉強もしていません。
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20121011/1349961364
これ読んでた。
んで、ふと思った。ふつうの勤め人ってこんな難しいこと考えねえと仕事できないんだろうか。
それなりのあいだはてなにいて、ホッテントリ読んだりなんだりしてるんだけど、なんかすごい。交換不可能性がどうこうとか、それ働く人間が考えなきゃいけないことなのか。
俺自身は低学歴で、かつ低学歴でもやれる仕事で今日まで食ってきてる。たぶん明日も明後日も、おそらく1年後も同じ仕事をやって食っていっていると思われる。そういう人間と、たとえば大卒で「まともな」企業に勤めてる人間ではそれほどに「働く」ということに関して考えなければならないことの質が違うのだろうか。
英語や中国語が使えたほうがいい、というのはなんとなくわかる。俺の仕事には関係ないが、使えたほうが有利になる局面が多々あるだろうことは想像に難くない。業種によっては必須で、そしてそういう業種のほうが将来性があるだろう、ということもおぼろげに想像がつく。
しかし、交換不可能性とは。
そしてあの強迫的なライフハック記事の群れだ。人間の24時間は絶対的に有効に活用されねばならぬ。人間には無駄はあってはならぬ。無駄があるのだとしたら、それは次なる有益のためでなければならないとでも言いたげな一連のライフハックどもだ。
もちろん「現実にはできていない」からこそああした記事が読まれはするのだろうが、それにしたってそうした価値観が内面化されている、という事実は見逃せない。
多くの仕事は、たとえ大卒でなければなれない職業であろうとも「働きはじめてから」覚えるものだろう。だとすれば、それは決して人間ができないようにはできていない。にもかかわらず、人が仕事に関して自分の存在意義をからめて考えたり、あるいは24時間すべてを有効活用して仕事にかからなければならないのだとしたら、それは、人間の限界を越えた仕事が質量ともに個人のうえにのしかかっていることを意味するだろう。
このへん、どうなのだろう。
俺は現場からの叩き上げで、そのままその業種で自営になった人間だから、勤め人の実際というものを知らない。自営ともなれば、ときには寝食投げ打ってでも働かなければならないときもあるし、トータルでいえば負担はおそらく勤め人より重い。上がいない、という気楽さはさておき、それだけに自分の手で切り開いていかねばならぬ局面、解決すべきことは多い。しかしそれは決して「難しい考え」を要求するものではない。必要なのは熟慮することと、人に当たること、そしてリスクを把握したうえで実際に行動してみることだけだ。現在自分の前にあるタスクは、かならず過去の延長線上にある。経験がものをいう、ということで、経験で補えないことはもちろん学ぶしかないわけだが、必要性は目の前にぶら下がっている。なにを学習すればいいのかは自明だ。学習しても及ばないのなら、その仕事の単価は上がるだろう。自分にできることは大方ほかの人もできるのだし、逆もまたそうだからだ。
こういうことを前提としたうえで、俺のようではなく、まともに大卒で、かつまともに企業に就職し、いま現在も働いている人たちに聞きたい。これは俺が知らないので、純粋に聞いてみたい、ということだ。
はてなのホッテントリによく上がるようなライフハックは「本当に」必要なものなのか、そして、たとえば冒頭のエントリに挙げたような、自分の存在をまるごと投げ入れなければならないような深刻な悩みというのは「かならず」仕事についてまわるものなのか。
人間に任されている仕事である以上、それはかならずや人間がやれるようにできている、というごく楽観的な前提すら崩れるくらい、いまの「ふつうの」勤め人の状況はやばいのだろうか。あるいは「働きはじめてから仕事を学ぶ」という前提が崩れるくらい世のなかは逼迫しているのか。
俺は「本当は」人間の悩みというのは、たいてい取るに足らぬ自分自身の問題に還元されるので、それゆえにどうにもならずにあがくものだと考えるのだが、実際どうなのだろう。
率直な意見を聞きたい。
いまいち腑に落ちない。
つまり頭脳労働、事務仕事など男女の身体の違いが業務に影響しない環境以外では、女性は男性よりも高コストで労働力としての用途が狭くなります。
このどうしようもない現実がある限り、全ての男女が全ての業種職種で待遇面で対等になるのは不可能です。
これって肉体労働ではマッチョな女性以外は男性が優先して雇用されるっていう話ですよね。
肉体労働は元々女性があまり進出していない分野だから、そこでの雇用が縮小した場合に主に影響を受けるのは男性であり、女性は「もっと」悪化するという結論は導けないと思います。
肉体労働にあぶれた男性が他業種に行って、女性の雇用を圧迫するということは考えられますが…
女性の非正規率が高かったり、給与が上がらなかったりするのは、出産・育児で退職してしまうこと、女性は管理職にはまだあまり進出できていないことが原因だと思われます。
また、個人的観測範囲での話で恐縮ですが、大卒ホワイトカラーの仕事において、採用の男女比は年々女性が増えているように感じます。
なぜなら、昨今の面接で重要視されるコミニュケーション能力(笑)は女性のほうが長けている傾向があるからです。
よほどビジネスの才があるか、男性で代替が利かないぐらい高学歴(旧帝一工早慶以上)でない女性には社会進出より結婚を薦めるべきです。
これは女性にとって悲観しすぎで、雇用が縮小したらコミュ障の男性・女性が順番にあぶれていくだけだと思いますよ。
大企業の本社や官庁(つまり男女差があまり業務に影響しない、女性でも高収入を得られるホワイトカラー仕事)も男性人口も少ない地方の女性は疲弊しまくってますよ。
今回のエントリはきっとこのへんの実感から書かれたんでしょうね。
女性の社会進出によって女性が疲弊したというのは私もそう思います。
女性の労働力の供給増加によって、女性向け雇用の賃金低下が招かれたためです。(これは男性の賃金低下要因にもなっていると思いますが)
女性サイドの生存戦略としては、男性の所得低下により共働きが当然になっていく世の中ですから、これからも教養レベルを高めて男性から雇用を切り取っていくしかないのではないでしょうか。
雇用にあぶれる女性(男性)に関しては、ワークシェアリングで貧乏生活を送るか、薄く広い生活保護で貧乏生活を送るしかないと思います。残念ながらですが
kiyotune 院試でも横並び教育ですか。正解した2人にアドバンテージあげないと。 2012/09/15
myrmecoleon university, test, trouble なにこれひどい。難しすぎる問題を出題したミスって,正解した受験生いるじゃない。しかも大学院の試験で,全員正解ってちゃんと正解したふたりにひどいわ。 2012/09/14
touchanly 正解者の二人を大事にして欲しい。 2012/09/15
myogab 習っていない事に正解を出せた者に、懲罰を与えるのが、今の日本の教育。そのような教育で選抜されるのだから、新しい物を産み出せる人材が集められるはずがないのよ。 2012/09/15
clclcl これはひどい つまり、特定の研究室の学生にしか解けないような問題を出した、と。問題の漏洩とかも疑う必要があるのでは?本来なら、出題前に別の教員がチェックしておくべきだと思うが。 2012/09/15
bioweb もしや自分の研究室の学生にしか解けないような問題だったってこと? 2012/09/15
Gelsy 社会 普通に考えりゃ正解した2人がかわいそうだろと思うが、たぶん先生が自分の研究室の学生だけに解き方教えてたってのが実情だろう 2012/09/15
近年、大学程度の特にFラン程度の教養はあって当たり前。コンビニのバイトするのに大卒は必要ないだろとかそういう意味じゃなくて、1億全部大卒程度の学力はあっても普通という時代。
ひとつは大卒でも、工場勤務というのが当たり前という価値観が必要。
工場勤務に大卒は必要ないという方が変だろ。国家として教養は高くて困ることはない。
公務員の俸給表をそのまま使ってて、手当も公務員に準拠してて、一年に4号俸ずつ昇給して、ボーナスは夏冬合わせて4.5ヶ月で、残業したら、拘束時間の分だけ100%残業代が出るって会社の場合。
大卒で新卒で入って、30歳で役職なしなら年間400時間残業した場合年収で500万弱ってとこ。
全く残業しなけりゃ400万弱ってとこかな。
派遣の事務だと、誰でも出来る内容なら時給1300円、たまに英語が必要な事務とか、そのくらいの仕事でも時給1800円くらい。
派遣にはあんまり残業させないから、(土日祝日年末年始とお盆が休みで、1日8時間労働の場合、労働時間は年間で1800時間くらいだ)労働時間を年間1800時間とすれば年収で234万~324万。
4ヶ月行って帰ってきたから書いとく。結論として自分の英語は伸びたのかというと、ちょっぴり伸びた。TOEIC800点だけどあんまり喋れない、中級にありがちな状態の人が、日常生活で困らないぐらいに会話できるようになったぐらいの進捗。帰国後TOEICは未受験。あくまで参考程度に。
日本人は20~30代がほとんどで、大抵は超初心者。(60代以上など年配の人はチラホラ。40~50代はあまり見かけない。)TOEIC200~300点台レベルが大半。中1レベルの動詞の過去形を知らない人もいる。1~2ヶ月の留学では気休めにもならない。マンツーマンの先生は進歩をほめてくれるが、内心ではもっと基礎を勉強してから来ないとあんまり意味ないよね…と思っている(複数の先生が実際そう言ってた)。準上級以上の日本人はほぼ皆無。まれに居たとしても、周囲の日本人とレベルが違うため「何であの人ここに留学しに来たの?」状態になっていた。韓国人では上級はチラホラ居たが多数派ではなかった。
せめて高校生レベル、さらに欲を言えばCラン以上ぐらいの大学生レベル(TOEIC400超えるぐらい?)で、「中級以上の文法とスピーキングを伸ばすために、最低でも3ヶ月以上留学する」というのが投資に見合ったリターンを得るのに最も適していると思われた。残念なことにそういう大学生はあまり居なかった。個人的には、とりあえず中学レベルの基礎文法と、DUOとかキクタンとかメジャーな単語本の1冊丸暗記ぐらいは終えてから行った方がいいんじゃないかと思った。マンツーマンの先生たちは皆口を揃えて、初心者を教えるのはすーーーーっごいすーーーーっごい大変だと言ってた。最初の自己紹介すら通じなくてただ微笑んでるだけとか、ほぼ無言とかの状態から始まる生徒も居るんだと。そして先生たちは大抵明るくて話好きなため、ぬっちゃけ、会話が成り立つ生徒のほうがクラスを持ってて楽しいらしい。(もちろん仕事だからどんな生徒でも普通に教えてはくれるが)
ESL学生の大部分を占める韓国人大学生たちは大抵が中の下~上の下ぐらのレベル。文化の違いはあるものの、政治的思想を持ち込むおかしなヤツというのはまず居らず、クラスメイトとして普通に友達になれる。ただし基本的に仲間内で群れるため、輪に入りたければある程度積極性が必要になる。クラブで遊んで女を買いまくってるDQNも居れば、まじめなインテリ学生も居た。留学に来ているのは基本的にそこそこいい家の子ばかりのようで、付き合いに不安はなかった。
日本人では、カナダやオーストラリアへワーホリで行く前の準備段階としてセブに来ているという人が結構いた。セブで3ヶ月程度英語を学んでからネイティブの国へ行き、そこでまた現地の語学学校に通うものの、マンツーマン授業は無いため語学の勉強としてはあまり役に立たないとの経験談を複数聞いた。セブで学んでからオーストラリアへ行ったものの、勉強にならずもう一度セブに戻った韓国人学生は結構いるとのことだった。
どの先生も基本的には真面目に教えようと頑張ってくれる。伝わらなくても生徒の能力を伸ばそうと努力を惜しまず向き合ってくれる。教材も十分ある。訛りの強い先生も居るが、それに文句を言えるレベルの語学力の学生はまず居ない。ただし、フィリピン人先生のクラスの後でネイティブ先生の英語を聞くと、すごくわかりやすく感じることもあるらしい。超絶ビギナーすぎると、ほんの少しの訛りでわからなくなるのかもしれない。(自分はそこまで初心者でもなかったので特に困らなかった)
先生と仲良くなると、一緒に遊びに行ったり、家に呼んで貰ったりすることもある。プライベートな話もよくする。ちなみに自分が通ってた語学学校は安月給(ESLの最低基本給が月額8000ペソ程度、ベテランで11000ペソ程度に皆勤手当て等の数千ペソ付加)なため、自分が受け持った生徒の帰国後に、副業としてオンラインで英会話教室をやっている先生も多い。これは普通のオンライン英会話と同程度の授業料(1時間300ペソ以上)だが、生徒としては気心の知れたプロ語学教師に学べるというメリットがある。自分が行った学校では先生は正社員というよりはバイトに近いような雇われ方をしているようで、健康保険や有給休暇は基本的には無いらしかった(大ベテランのみ?)。病気や急用の時は代理の先生が来た。急に退職してしまう先生もごくまれに居た。
先生は大抵が若い人で、教育学部や看護学部を卒業してそのままESLに就職したか、あるいは数年だけ他の職場で働いたという人が大多数であるため、所謂ビジネス英語や専門的な英語を学ぶことは難しい。教えれる先生がほとんどいない。ESLのうたい文句でビジネス英語「も」学べる!なんて書いているところもあるが、気休め程度とか初歩だけと考えていいと思う。(本気のビジネス英語を学びたがるレベルの学生がそもそも来ないからだろうと思われる)例えば日本人の看護士が留学して、運がよければマンツーマンで看護学部卒の先生を探せるなんてこともあるかもしれない。
ちなみにESLの先生という職は現地ではそこそこ勝ち組な部類とのことで、「ちゃんと英語が話せる」というのは現地でも一応ステータスではあるようだった。タクシー運転手でもなんとなく英語は通じるが、普通に英会話ができるとは言えないドライバーがほとんどだった。現地の大卒というのは日本ほどの価値がなく、ファーストフードやショッピングモールの店員ですら大卒らしい。日本のいい大学を出てるレベルとゆーのは、あちらでは院卒レベルなのかもしれない。
Forestとか薄めの文法参考書と、単語本の2冊があれば十分だと思う。向こうでも教科書買うし。毎日の授業で新しいことたくさん学ぶので、日本から持っていった自習教材でバリバリ勉強しちゃうぜ!という人はあまり居ない。というかそこまでやる気が持つ人が少ない。毎日宿題出す先生も多いし、友達できて楽しすぎるし。そして盲点なのが、本が多いと国際線の手荷物重量で引っかかるとかそっちの心配もある。行きは良くても帰りにおみやげ増えて重量オーバーとか。
日々のレッスンは、何をしていくか先生と相談したりもする。基本的な文法がなんとなくわかってる人は、こつこつライティングの勉強も並行してやると、脳内英作文が早くなるからスピーキングも伸びやすい。毎日作文して毎日先生に添削してもらう。脱ブロークンのためにもオヌヌメ。
女の人は以下もあるといいらしい。
観光、食べる&飲む、クラブ行く、ダイビング行く、買い物するぐらい。正直遊ぶのは2ヶ月で飽きる。フィリピン人の女買う奴も居るけど、ゴムしてれば全部大丈夫とか思ってるアフォが多すぎ。あとオカマ多くてびびる。綺麗なのに・・・なにその喉仏。
行って本当に良かった。色んな人との出会いも良かったが、フィリピン人のテキトーさに触れ、自由を満喫して、日本以外にも生きていける場所が見つかったという開放感がパネェ。何となくいま閉塞してしんどい人も、軽い気持ちで行って見たらいいと思う。大人しくしてれば安全に過ごすことも十分に可能だから。こまけぇこたぁいいんだよ!
「よく生きる」とでも言うのでしょうか、日々の暮らし、人生を楽しもうという、そういったことへのモチベーションが極端に低いです。
割と悲観的な物の見方をする性格ではありますが、社会的生活に支障をきたすような鬱ではないと本人は思っています。
会社、隣近所、友人との付き合いにもとくに問題があるとは感じていません。普通に笑ったり怒ったり、感情もあります。
会社では15名ほどの部下がいて、たまに皆で呑みに行ったり。
所属している草野球チームでは月に数回試合をしたり。たまに少年野球の指導をしたり。
ときどき女性に誘われる形で食事や映画に行ったりもします。相手からの好意を感じることもありますが、相手に関わらず私にその気がないので恋愛には至りません。
結婚したら少しは人生観変わるのかなと思うのですが、私自身が自分の人生に関心が持てないので、他人と幸せに暮らすことにモチベーションが沸かないのです。
仕事をしたり、友達と趣味をしたりと、人々がやっているであろう社会的生活はたしかに日々実行しています。
それらをやっているときは、それなりに楽しいと感じるし充実もするのですが、じゃあそれは絶対に失いたくないものなのかというとそんなことはなく、
別に無くてもいいことなんです。本質的には無気力で、全てのことがどうでもいいし、人間とも関わりたくないと思っています。
自殺は迷惑もかけるし禍根を残すのでやりませんが、たとえば飛行機事故とか、天災とか、私の意志ではどうにもならない原因で、早く人生が終わればいいのになぁと思っています。
結局のところ、鬱なんでしょうかね。
■無職になりました
長く勤めていた会社を断腸の思いでやむを得ず退職した場合と比べると、
会社は社員100名程度の製造業。中堅というには少し小さいかな。
社員が300名ほどいたらしいが、リーマンショック時にリストラしたようだ。
30代後半で初めて転職活動をし、
採用内定をいただいた会社の中で、社長の話の内容、見学時の会社の雰囲気、
長く働ける良い会社なら。。。いいな。。。
と、思ったのが間違いだった。
経理財務担当で入社。会社将来を担う管理職を想定して採用されたのだが。。。
盛大に歓迎会を開いていただき、
「○○大卒の素晴らしい経歴の方です」
と紹介され、僕もまんざらではなかった。ヤル気だった。
しかし、
さすがに集計はエクセルだったが、
月別の集計表、取引先別の集計表などそれぞれ個別にエクセルのファイルを作っている。。。
ほとんど手書きで書いたことのなかった伝票を、
使い古されて字が薄くなった科目印を使用し、作成していく。
まあ、給料はそこそこだったし、こういう環境で経理をやることによって勉強になるに違いない、
実力が認められれば、システムを改良していく権限も持てるだろう、と楽観的に捉え、勤めることにした。
そして何日かが経つと、会社についてより多くのことがわかり、また驚いた。
・株をすべて親族が持っている。
資本金が少ないのは気になっていたが。。。
これを自社でやっていないということは、事務処理中心?判断ミス。
パソコンの導入方法もわからないので、自らが知った方法で経理業務を行わせているようだ。
・社長。。。涙
社長は非常に言うことがしっかりしていて、僕がこの会社に入社する要因にもなったわけだが、
その社長だから会社はしっかり堅いやり方をしているのだろう、と思ったのだが。。。
実際は非常に低レベルだった。
ああ。。。涙
社長。。。
当たり前のことだけど、それができていなかった。
■突然の異動
会社に入り、2ヶ月が経とうとした頃。。。
突然に工場に移動するように言われました。
なるほどなるほど。
がんばりますよ。
(実際は睡眠不足で本を読む余裕などなかった)
さて、異動してみましたが。。。
昼飯を食べる暇がない。忙しすぎる。
誰か教えて〜と助けを求めるものの誰も教えてくれない。
初めての生産管理ですが、
取引先や工場の人たちにはそんなことは関係ない。
どんどん仕事は進んでいるのだ。
ヘトヘトになって帰宅したら0時。。。
寝るだけ。
最初は嫁が作ってくれたご飯を食べて寝ていたけど、
寝る直前に食べるのも変だし、そもそも食べる気力がない。
そして朝の5時に起きる。
文句を言おうにも、僕以外の社員は僕よりも働いているわけですよ。
この程度で「大変だ〜」なんて言ったら非難されてしまう。
一度、「僕は経理と労務をずっとやってきた人間なので、生産管理は初めてでまだ慣れず、
すでにご迷惑をおかけしており、一生懸命やっているものの、やっていけるか不安」というようなことを言ったら、
同僚のYさんが近づいて来て、
「僕は時給あたり500円もないんですよ。毎日20時間働いて月25日出勤してますからね!」と言った。
それを聞いた僕は、Yさんよりも遥かに給与をもらっているので何も言えなくなってしまった。。。
そうこうしているうちに、新製品の大量生産が始ってしまう。。。
今は200個だから良いけど、この後、500個になる。
200個の今でも昼飯を食べる暇もなく、みんなバタバタしていて、怒号が飛交ってたりするのに、
500個になったらどうなるんだ。。。
怖い。
営業が契約関係をしっかりしておらず、また僕も日々の経理書類が追いついていないので、
外注先や取引先への支払・請求関係がどうなるか。。。
月末の締め後の対応が。。。。絶対に。。。
怖い。
納期に合わせて発注書を書くだけだから難しくないよ、と言われていた。
納入数が200個なので200個発注したら。。。完成品のうち80個が不良品だった。。。
しかもそれを既に次行程の外注先に納品してしまっているんですけど。
代替品がどうとか、材料がどうとか、もう。。。わかりまへんやん。。。
怖い。
月末が怖い。
絶対に僕の責任にされる。。。
会議が。。。怖い。
ということで今なら円満に退職できる可能性があると判断し、
さあ、次。次はちゃんと会社を選ぶぞ!
(逆に良い人だからこそ続けていられるのかもしれないが)
その点は良かったんだけどなあ。
最後の出勤日の帰りは、仲良くなったUさんに車で駅まで送っていただきました。
Uさんは今まで僕のような人を何十人も見てきたらしいです。
「倒れたり、鬱病になっていないだけましですよ〜ははは」
ああ怖い。
中堅企業で、責任ある立場で社会貢献したいという僕の目論みは甘かった。
http://anond.hatelabo.jp/20120725160524
ごめんなさい涙
ならない。
コレに対して、無理っていうと、普通に非コミュが!って返ってくるから苦労するって話でしょ。無理って言ってるんだよね。
それに、それは、説明できたら、説明しなきゃならないってことか?
だいいち、証明自体は公開されているので、大卒のやつなら1年か2年かかる覚悟をすれば誰でも証明できるんじゃないか?
よって、証明できる能力がないは否。ただ、1年か2年それにかけるコストがもったいない。って言ってるって話。
それに対して、1年も2年もかけるのは間違ってる、だってネットに公開されてるだろ。値段吊り上げ用としてるんだろ?だからおまえら非コミュだっていうんだよ。明日か明後日までに証明しろ。
これが、すごい大雑把に言うと、コミュニケーション能力のある人たち。
どこでもいいから、大手の仕事受けてみれば? こういう人ばかりじゃないけど、こういう人いるよね。
コミュニケーション能力がある人たちにとっては、自分たちに都合のいい事=空気を読んでる。 都合の悪いこと=空気を読まない。でしょ。
あくまでも、大雑把な。ここまでひどくはないよ。
すげぇ、大雑把に言うと、たとえば、iPhoneアプリ作ります。何十ページとか数百ページもあります。(例な普通ない) WebではiPhoneのアプリなんて簡単だって書いてあるから5万もあれば出来るでしょ?みたいなことを言う人。
そら、数ページならな。って話。(それ、説明すればいいじゃん・・・え?これ、説明しなきゃいけないような話?)
仮に、なんかの技術で作れると仮定したとしよう。 それ5万で売らなきゃいけないような話? 普通にとっていいだろ金。より高度なことをして、人月かけて普通に作るよりもべらぼうに安く作らないといけないって何事?
商品開発、大卒でも売れないばっか商品企画すればライン行き。
原料購買は、常に長期予測して安く安定して原料を手配しないといけない。出張とか、商談とか、その上語学が必要で大変。
計量場は、計るだけから楽だけど、合着とか殺菌剤とか危ない薬品を吸い込みやすくって危険。
加工場は、原料が重い、煮炊きすれば熱い、冷凍すれば寒い冷たいで大変。異物混入クレームの主原因元。
包装梱包場は、同じ作業の繰り返し、箱詰め、何個入れたかわからなくなる状態、ラインのスピードについていけなければパニック。
生産管理は、日配受注の読み間違い、生産変更で毎度パニック。急な生産変更で足りなかったりあまった資材原料の扱いが大変。
品管は、常にクレーム来るし、現場の作業員は衛生管理指導を聞かないし、怒られっぱなし。
機械メンテナンス班は、修理改造は、営業日にはできないから、常に休日出勤中。稼働日でも電気排水設備常に目を光らせてないといけない。
工場長は常に計画と実際の試算表の差に悩まされてる。損失を出すな、在庫を持つなって上から言われてるし。
楽なのは物流かな、できた製品はパレットごと、リフトで倉庫へ。出荷も指示通りトラックに載せるだけ。
どこ置いてるか一覧あるから迷うことないし、出荷、倉庫入れは生産後もあるから、残業代は常に稼げるし。
先に断っておくが、このエントリでは当事件の事実関係や市や学校の対応、ネット上の意見などに一切関与せず、「いじめ」と「自殺」について個人的な意見を述べるものである。
滋賀県大津市で起きた男子中学生の自殺を巡って世間に様々な声が上がっている。
Twitterを眺めていても、数は少ないながらも多種多様な人たちが共存する僕のTL上ではこの件を巡って、「いじめ」あるいは「いじめと自殺」を巡って活発な意見交換が行われており、日々感服するばかりである。インターネット上において「いじめ事件」が大々的に取り上げられるのは何も昨今に限った話ではない。何年も前から日本の各地で痛ましい「いじめ」についての事件が起こるたびにインターネットではそれについて激しいレスポンスが生まれてきた。それらは基本的に「いじめ」について批判的な意見なのだが、時にそれらは過剰すぎるといっていい反応に発展し、自称「正義の味方」たちが暴走したりすることはあるいみネット界隈においては日常茶飯事であった。僕自身は事件の経緯や事実関係などとはまったく別に、それらの激しい反応が巻き起こるたびに辟易したことを覚えているが、ここ数年でその状況は大きく、とは言わずともかなり変化したと考える。一昔前なら、こういった痛ましい事件が起きた場合、インターネット上での反応はほぼほぼ一種類だった。すなわち、「いじめた奴をぶっ殺せ」である。もちろん、言葉や表現、論調や論点の違えど、その大体は「いじめた奴をぶっ殺せ」だった。もちろん、感情論で言えば、そうだ。だが、はっきり言ってしまうが、今回のような「自殺」というキーワードが俎上に上がるほど苛烈で、悲惨な「いじめ」の事例に関して言えば、そんな短絡的な方法では問題の根は解決しない。
それはなぜか?
答えは単純である。
たとえ「その子」をいじめた連中が全員死のうが、少年院送りになろうが、ネットで晒し者になろうが、
いじめられた「その子」はもう大概「普通の人生を普通に生きる権利」を奪われているからだ。
何年か前に話題になった「いじめられているキミへ」の寄稿文らしいのだが、思うところあるので引用させていただく。
死なないで、逃げて逃げて
あなたが今、いじめられているのなら、今日、学校に行かなくていいのです。
あなたに、まず、してほしいのは、学校から逃げることです。逃げて、逃げて、とことん逃げ続けることです。学校に行かない自分をせめる必要はありません。大人だって、会社がいやになったら、会社から逃げているのです。
次にあなたにしてほしいのは、絶対に死なないことです。
そのために、自分がどんなにひどくいじめられているか、周りにアピールしましょう。思い切って、「遺書」を書き、台所のテーブルにおいて、外出しましょう。学校に行かず、1日ブラブラして、大人に心配をかけましょう。そして、死にきれなかったと家にもどるのです。 それでも、あなたの親があなたを無視するのなら、学校あてに送りましょう。あなたをいじめている人の名前と、あなたの名前を書いて送るのです。
はずかしがることはありません。その学校から、ちゃんと逃げるために、「遺書」を送るのです。
死んでも、安らぎはありません。死んでも、いじめたやつらは、絶対に反省しません。
だいじょうぶ。この世の中は、あなたが思うより、ずっと広いのです。
あなたが安心して生活できる場所が、ぜったいにあります。それは、小さな村か南の島かもしれませんが、きっとあります。
僕は、南の島でなんとか生きのびた小学生を何人も見てきました。
どうか、勇気を持って逃げてください。
「いじめられる方に問題がある」
最早時代錯誤過ぎて目が泳いでしまうようなおサムい台詞だが、これはわりと最近まで(ここ重要)いじめられっ子に対する教師や親の言葉として一定の説得力を持っていたことは悲しいことながら事実である。
んなワケねーだろボケ!!
「いじめられる方に問題がある」
→まず、これは最も頭が悪い意見だ。が、実際のところ「なぜいじめが起きるのか?」という答えに対して、ほとんどの人間がこの馬鹿みたいな空虚な言葉を目を伏しがちに言うのである。いいか、それは断じて違う。なぜかといえば、この論理は、「いじめられる」と「問題がある」というふたつの出来事が、あたかも因果関係があるかのように触れられているという点だ。「あの子には問題がある」→「だからいじめられる」という理屈だ。だが、こんな馬鹿な理屈があってたまるだろうか。確かに、人間だれしも社会的な人間関係を営むに際して「問題」を抱えているものだ。「空気が読めない」とか「性格が悪い」だとか「ええかっこしぃ」だの、はっきり言って枚挙に暇なんかない。そして、その「問題」を抱えていない人間も、この世界には一人もいない。誰だってできる限息がしやすい場所、陽の光があたりやすい場所にいたいと思うし、少なからず利己的になることだってある。もしくは、そもそも人間関係を営むことについて不得手だったり、嫌いな人間だっている。それは「社会的な(笑)」観点から言えば問題なのかもしれない。気に入らない人間だっているかもしれない。はっきり言えばムカつくかもしれない。だが、それだって仕方のないことだ。どうやっても自分には受け入れられない性格の人間というのは存在するし、そういう人間とどうしてか同じ空間で過ごさなくてはいけない場合だってある。そういう場合はもう、仕方のないことだから、適度な距離をとって「うまくやる」しかない。それはもう、どうしようもないことだ。だが。だが、である。
「(自分にとって)その人に何らかの問題があったから」といって、その人をいじめていい理屈なんかこの世界のどこにもないんだよ。
仮に、ものすごく性格がよろしくなくて、みんなに鼻つまみ者にされている人がいたしても、それははっきり言ってしまえばその人の「問題」だ。
社会的な営みをする以上、共同体において「邪魔」な存在というのはどうしても出てくる。それも仕方のないことだ。
もっと具体的に言えば、共同体において「ぼっち」の存在が生まれてしまうのはごく自然なことであり、それ自体は何の問題もない。
何のことはない、単にその人がその共同体に「合わなかった」だけの話だ。その「問題」ということについてだって、現実世界側のインターフェースが引き起こしたバグのようなものだと考えればたいしたことはない。コミュ障? キモメン? んなことは別に「問題」じゃない。もしそれで自分にコンプレックスやルサンチマンを抱えている人たちがいるのならば、もう素直に意識を別に向けるべきだ。今はインターネットという素晴らしい道具があり、その他にも数えきれないほどの環境や世界がある。はっきりいって現実世界なんかあまたある世界の表層のひとつにすぎず、僕達が保持している肉体はたんなるいちインターフェースに過ぎないわけである。だから、「あ、ここ自分には合わないな」と思ったらさっさと身を引いて別のコミュニティなり世界なりを探すことが自分にとっても相手にとっても健全だ。
だから、もし「いじめ」られている子がいるのであれば、その場から黙って去ることが最善の索なわけである。
僕は、「いじめられる方に問題がある」とも、「いじめる方に問題がある」とも思っていないので、「いじめ」が起こりそうな状況になったらデウス・エクス・マキナよろしく「席替えたーいむっ!」とする方がいいと思っている。
ならばこそ、すべての「いじめ」は上記の引用文のように「逃げて逃げて生きる」ことをすればある意味解決するのではないかと思われる方もいるだろう。
だが、そうは問屋が卸さない。というか、そんなにこの問題が単純であればこんなに酒によった勢いでエントリを書いていないわけで、ここからが本題である。
問題は、「逃げて逃げて生きた」として、その子が「普通の人生を普通に生きる権利」は依然として不当に奪われたままであるという点にある。
確かに、いじめられて、その結果自ら命を絶ってしまう事例があったとしたら、そんな悲しい話はない。
だが、それにもまして「逃げて逃げて生き抜いた」としても、そんなものは「死ぬ」のちょっと手前くらいの選択肢であり、最後の手段なわけである。
一口に「逃げる」と言っても実に様々な手段がある。
不登校になる、引きこもる、グレる、転校する、引っ越す、留学する……いろいろだ。
だが、どれにも共通しているのは「確実に人生が狂った」という厳然たる事実だ。
もし「いじめ」なんかがなければ、「その子」の人生が外的要因によって狂うことはほとんど無かったはずだ。
自分の命に対する自衛手段として、上記のどの手段をとったとしても、その子の人生はその時点を以てルナティック・モードにとつぜんモードチェンジする。
不登校にしろ引きこもりにしろ、その延長線上にあるのは学校の中退であり、すなわち人生の落伍である。「学校を辞めたくらいで『人生\(^o^)/オワタ』だなんてとんでもない!」とおっしゃるかたもいるだろう。じゃあ逆に言ってやる。あなたも、今の仕事なり学校なりを今すぐ辞めてみろ。転職のあても、転校のあてもなく、たったひとり殺伐とした世界に取り残されたとして、「よーし! 人生これからだぜ!」と思えるというのか。ただでさえどん詰まりの袋小路に迷い込んだこの現代日本で、大卒の就職率が5割だとか6割だとか言われている時代に、無職の高校(中学)中退者が「普通の人生を普通に生きる」ことができるというのか? 立場を変えて発言しよう。僕が中小企業の採用担当だったのなら、昼食無職職歴なしの人間なんか、なにがどうあっても採用したくない。感情論なんかじゃない、ごく合理的な数理的な判断だ。
転校だって引越しだって、かなりハードルの高い「逃走手段」である。というのも、なによりもまず、家族の協力が必要不可欠だから。
親御さんだって、もしかしたら仕事を辞めざるを得ないかもしれないし、お金の問題だってある。少なくとも「普通の人生を普通に生きていたら」かかる必要のなかった負担を負わなくてはならない。要するに、この時点で「いじめ」というのは「いじめっ子」と「いじめられっ子」の問題ではなくなるのである。ちょっとした「ムカつき」や「面白半分」が、一人、ないし数人、いや、ともすればもっと大規模な人間の「普通の人生」を狂わせるのだ。これが「いじめ」が「普通の犯罪」なんかよりも数段質の悪い点だ。「窃盗」であれば、早い話盗まれたお金が戻ってきて、犯人が警察に検挙されればひとまずは解決する。「器物損壊」だって、家裁か何かで妥当な損害賠償が請求されればそれ以上の発展はない。被害者にとってはたまったものではないが、少なくともそれ以降は「普通の人生」を送ることは可能だ。だが、「いじめ」に関しては――はっきり言ってしまうが――いかなる手段をもってしても、すでに起こってしまった「いじめ」を、それが発生するより前の状態に復元するのは不可能だ。いや、これについては語弊がある。「いかなる外部からの干渉をもってしても」いじめの根本的な問題は解決などしないのである。教師がいじめっ子に謝罪をさせたり、クラス替えをしたり、退学や停学処分をしたとしても、「いじめっ子」が「いじめ」たという事実は消えやしないし、「いじめられた子」が「いじめられた」という事実だけは覆しのしようがないし、取り返しも、補填も、まったくできやしないのだ。
「いじめた側が、本気で反省して、その後の人生のすべてをかけていじめた子が『普通の人生を普通に生きられる』ように全力で奉仕する」
より陰湿化が進む現代のいじめにおいてこんな奇跡みたいなことが果たして起こるのかどうか、僕は知らん。多分、99%の確率で起こらないだろう。
世の中の90%のいじめは、「なんとなく」「特に理由なく」「おざなりに」して、審判のホイッスルなくして「終わったっぽい」感じで終わる。
理由は分からない。とりあえず、台風が温帯低気圧になって北海道の上の方に消えて行くように、いつの間にかなくなってたりする。
残りの9%は「いじめられた子」の自殺なり「逃走」によって終わる。なんとも救いのない話である。
もしあなたがいじめられていることに対して何か負い目を感じているのであれば、とりあえずそれは忘れてください。
自分がいじめられることに対して、「仕方ない」だとか決して思わないでください。
あなたも生きている人間ですから、人間関係について至らない点、至らなかった点だっていくつかあるでしょう。
ですが、はっきり言いますが、そんなことで、地球上の誰一人だってあなたをいじめていい理由なんかにはならない。
あなたが、あなたの人格や過去の行動、家庭環境や趣味嗜好、思想信条によって、いじめれていい理由など、これっぽっちも、ありません。
そして何より、あなたは、「普通の人生を普通に生きる」権利を持っています。
そりゃあ、誰もがオリンピックに出たり、アイドルになったり、東大に入ったりはできないのも事実です。
ですが、本当はそんなことはどうだっていいんですよ。
あなたは、学校帰りに友達とマックに行ってダベっていいし、家に集まってモンハンをみんなでやっていい。
絵を描いて褒められていいし、ご飯が美味しいと感じていい。かわいい女の子を、かっこいい男の子を好きになっていいし、告白して振られて泣いたっていい。
好きなアニメを見て、好きな本を読んで、好きな場所へ行って、眠くなったら寝て、眠くなくなったら起きて、生きて、生きていいんです。
普通に勉強して、普通に進学して、普通に就職して、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に子供ができて、普通に生きて、普通に生きて、普通に死んでいいんです。
もし普通が嫌なら、人一倍頑張って、自分が特別だと思える人生を手にいいれればいい。
ですが、それ以前に、あなたは、およそこの国の人間が「普通だ」と感じているあらゆることを手にする権利を持っています。
だから、あなたは自分を責める必要などまったくない。あなたは何も悪くない。もっと言えば、あなたをいじめた人間すら、悪くないのかもしれない。
僕には起こってしまった「いじめ」を解決する魔法のような手段はしらないし、これから起こるであろう「いじめ」を未然に防ぐ奇跡のような手段も知らない。
だけど、あなたが、「いじめられて損なわれた」からといってあなたが「普通に幸せと感じられるような人生」を生きる権利を失ってしまったわけではありません。
だから、自分勝手なことを言えば、本当はあなたは「逃げて、逃げる」必要なんてないんだ。表面上は「戦略的撤退」をする必要があるかもしれないとしても、
あなたの人生が「嵐のような不運」によって損なわれ、汚され、失われる必要などない。
それどころか、あなたは、その「普通の人生を普通に生きる権利」を人一倍、もっともっと今まで以上に傲慢に、尊大に主張していいんですよ。
「いじめられた」ことを理由に、あなたが自ら自分の可能性を閉じてしまう必要なありません。
もっと自分勝手に、生きればいい。でも、引きこもってもいいことは「何も」ないので、何かしらのキッカケで外にでるといいと思うよ。
そんでいまいじめてるお前。
まー今のお前なんかには分からないだろうけど、お前のやってることはおよそ人間がなす行動のうち、もっとも悪辣で、非道で、無意味なことだからな。しかし人間ってのは残酷だよな。自分の利益にならないことでも、何かのキッカケさえあれば、人を嬉々として苦しめることができるんだからな。俺はお前のことなんか知らないし、お前の生い立ちや人生観なんか知らない。お前が何かお前の中で正当な理由をもって「それ(とあえて言う)」をやってるとしても、それも知らん。だが、結果としてお前はお前と同じ、一人の人間の「普通の人生を普通に生きる権利」を「奪いかけて」いるということを考えろ。今日お前が美味しいと感じた夕食、今日お前が面白いと感じたテレビ番組、今日お前が楽しいと感じた帰り道。その子のそれら全部を、他ならぬお前が奪おうとしているっていうことを考えてみろ。俺はお前なんかに同情しない。お前の中にどんな理由があるにせよ、それはお前が「それ」をやる理由にはなりえない。なんの妥当性もないし、なんの解決手段にもならない。だからといって、お前が考えてること、感じていることがまったくの間違いであるとも言えない。だが、「それ」と「これ」とは別問題だ。お前の中でいかなる繋がりを持っていたとしても、それは、本質的なところで無関係だ。だから、やめとけ。お前がそいつのことを嫌いならそれはそれでいい。だったら関わるな。何もするな。意識を別のところに集中させろ。暇だったら黙ってオナニーでもして寝ろ。そんで、もしお前がかつていじめられっ子だったのなら、なおさら、やめろ。お前にも色々な事情があるのか知らないが、それはもう忘れろ。許さなくて良い。ただ、忘れろ。それ以外は何もするな。そんで、自分の好きなことだけ考えてろ。好きな本だけ読め。好きな音楽だけ聞け。好きな場所にだけ行け。好きなやつとだけ絡め。だから、決して「それ」を生きるモチベーションなんかにするな。そんな人生、悲しすぎる。
どうか気負わないでください。それを自分のせいだと思わないでください。
自分を無力だと嘆かないでください。自分を卑怯者だと罵らないでください。
何か特別なことをする必要なんかないんです。ただ、黙って、普通に、普通に接してあげてください。
いじめられている子が何より苛まれているのが、「ひとりぼっち」という孤独感です。
どんな暴力や陵辱よりも、「ひとりぼっち」というのは辛いです。
誰も味方がいない、誰も自分のことを助けてくれない、そういう状況こそ、危険です。
過剰なことなど何も必要ありません。ただ、声をかけてあげてください。
人の目が気になるのであれば、メールでも、なんでもいいです。
とにかく、その子を孤独にさせないでください。その子が、そこにいていいことを、示してあげてください。
女性が男性と恋愛や結婚をせずに子供だけ作り育てるにはいくらかかるのか試算してみました。
Recipient registration(精子バンク登録料)7700円
Donor Sperm(精子代)2万円~3万円
Shipping Fee(日米往復送料)4万円
Tax(入国時の税金)2万3000円
人工授精 6000円
合計すると約10万円。
1回で妊娠するケースは少ないので、多めに見積もって5回人工授精したケースだと、約20万円。
安くはない金額ですが、男性が卵子を購入し代理母出産を依頼する場合の費用が平均1600万~1800万円であることを考えると、まあ出せる金額かなという感じですよね。
卵子提供を受けるには一回100万円ほどかかりますし(摘出するのが本当に大変なのだそうです)、他人の子宮を10カ月借りるわけですからやはり相当な金額がかかります。
出産には危険も伴いますから、代理母への危険手当的な意味も含まれたこの金額なのでしょう。
精子の値段に幅があるのは、洗浄処理などの加工を行った精子の場合や、詳細プロフィール付きでの精子提供の場合、それぞれ料金が上乗せされるからだそうです。
また精子をアメリカから輸入するのはその方が却って手続きが簡単である(日本の精子バンクは未婚女性に精子を提供しない)のと、
値段が安価である(日本で精子を購入すると値段が5倍になる)ことを考慮した結果です。円高が追い風ですね。
同性婚などの議論がさかんな北米では精子バンクを気軽に利用するレズビアンカップルもおり、需要は多いそうですよ。
精子バンクではドナーの学歴や容姿などでどの精子を購入するか選ぶことができます。
ハリウッド女優のジョディ・フォスターが、精子バンクで学才・運動能力・容姿にすぐれた男性ドナーの精子を購入し、子供をもうけた話も有名ですよね。
子供を22歳(大卒年齢)まで育てるのにかかる養育費は、食費や医療費など全て合計して約1700万円だと試算されています。
それと別にかかる学費が、全て国公立でも幼稚園から大学までで約1200万円。
合計すると2900万円です。