はてなキーワード: 吉田兼好とは
こんな増田の戯言信じて「家建てる時参考にする」とか言ってるブコメ、大丈夫?
自分で信用できる筋を見つける気力すらなく誰とも知らない人の言い分を鵜呑みにしちゃうのにその勢いで一生で一度あるかどうかの高い買い物をするなんてやばいよ。
高気密高断熱には意味がある。
https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/content/001323205.pdf
本当に家を買うつもりがあるなら、一回だけでもいいからパッシブハウスについて勉強したほうがいいと思う。
だが、叶うなら高機密高断熱に越したことはない。
どうも。今回は18歳になったので行かないといけないなという使命感から初ソープを経験してきたので徹底レビューします。参考にどうぞ。
「行こう」と決めたのは前日。なんかムラムラしてきて抜くのだりぃなとなったところ、「そういえばソープ行ってなくね?」となり、いそいでggって予約。
なんやかんやありながら新宿歌舞伎町の某店に決定。価格帯としては安い方だったので、パネマジ上等と思いながら、巨乳の子を選んだ。
70分コースと90分コースがあり、「初回だし長めに取っとくか」と考え90分コースに。(この選択は正しかった)お値段3万円である。(格安店)
予約には電話が必要だった上に、俺が選んだのは人気嬢だったので電話必須。IRの人間に電話するなみに最初緊張した。反社会的勢力の可能性を考えて偽名で登録しようと思うが、パッと思いつかなかったので、「吉田謙」で予約。吉田兼好と言いかけたところでストップしたのでこうなってしまった。
電話前はヤクザ出てくるんだろうな〜と思っていたが、意外と普通の人だったので安心。ただ、予約が遅かったが故に嬢の出勤開始から2番目の時間になってしまったため、前の謎客の謎チンポと謎のまま間接キスするハメになる。
そして当日、何事もなかったかのような顔で大学の授業を受け、颯爽と新宿へ向かう。爪を切って死ぬほどやするべきなのはソープも普通のエッチも同じだった。
ここからが本題である。古臭い店なんだろうと勝手に想像していたら割と入口は綺麗だった。2階まで上がって受付へ向かうと、スーツを着た明らかにごっつい男4人が俺をお出迎えしていた。
この時点で帰宅を真剣に検討したが、ここでドタキャンしたら更にごっつい男が後ろから援軍してきそうなのであえなく断念。
しかし、このごっつい男、いや漢4人は俺にありとあらゆるおもてなしをしてくれた。待合室で嬢が来るまで待機するのだが、マジで1分に1回くらいお茶とおしぼりを新しいのに変えようとしてくる。淫夢よろしく睡眠剤でも入ってるのではなかろうか。「足の爪お切りしましょうか?」と言われた時は流石に絶句した。
待合室にはテレビと新聞、雑誌、嬢の写真などが用意されていて、普通に落ち着ける空間だった(ちなみにここでごつい男Aが集金。ぼったくりも予想したが予約した金額通りだった)。
さて、10分くらい待合室で待った後(ちなみに向かい側にチビ・デブ・ハゲのおっさんが待機していた)、嬢が俺をお出迎えしてきた。化け物が出てきたらその場で帰ろうと思っていたが、顔は普通に可愛い感じで、年齢は20後半くらいといったところ。Gカップという文字を見て即選んだので、顔に関しては素直に期待以上であり、ツイたなぁと思った。
お出迎えされた後、嬢と2人で長い廊下を歩き、所定の部屋に到着。マスクを外すと嬢がいきなり「えっイケメン!!!若い!!」と驚嘆していた。そら待合室にいたチビデブハゲのおっさんばっか相手にしたらそうなる。嬢の促されるままにベッドに2人で座ると雑談タイムが始まった。嬢にソープが初めてであること、大学生であること、興味本位で来たことなどを伝え、適当に話す。5〜10分くらい。
※ちなみに、ここまで読んだ人向けに補足しておくと、嬢のコミュニケーション能力は鬼高い。距離の詰め方もうまいので(新人は知らん)、つんく♂以外は、会話パートで困ることはほぼないと予測される。
さて、ここからの流れを説明する前に、基本的なソープ事情を解説しておきたい。ソープランドは、その価格順に高級店(6万〜)、中級店(4.5〜6万)、大衆店(3.5〜4.5万)、格安店(2〜3.5万)に分別される。
当然種類ごとに受けられるサービスは違っており、格安店・大衆店では基本的にゴム必須であり、即即(シャワーなしでフェラ・本番のこと)も受け付けない。また、格安店ではマットプレイができる嬢もかなり限られているらしい(後述するがこれはかなり問題)。
つまり、風俗初心者で主導権を嬢に握られていることを考えると、生中出し・即即・マットプレイをしたいのであれば、最低でも中級店以上(推奨は高級店)には行かなければならない。
はずである。
本題に戻る。
そこそこいい雰囲気になり、嬢が「キスしよ」と言ってきたので応じる。好きでもない人とキスするのは特に興奮せず、Dキスも死ぬほど上手いかと言われるとそうでもなかったというのが正直な感想。
で、キスしている間に嬢が服を脱がしにかかる。俺がパンツだけになると、ギンギンになった股間を触りながら自分の服を脱いでいく。死ぬほど胸がデカくてこれはかなり興奮した。風俗業界では巨乳=デブらしいのだが、許容ラインだったので初めての選択としては悪くなかった。
が、ここで流れがおかしなことに気づく。普通はまずシャワー・お風呂を経てベッドインするはずである。しかし嬢はパンツを脱がして自分の一物をしゃぶりたそうに眺めはじめ、そしてあろうことか普通にフェラし始めたのである。
つんく♂よろしく、流石に驚きのあまり声が出た。格安店でこちらから何も要求せず、唐突に即尺(シャワーなしのフェラ)してくるのは想定外かつ自分の中では異例中の異例であり、「いいんですか?」と聞かざるを得なかった。いや嬢がそうしてるならいいんだけど。「久々のイケメンの若い子だからしたくなっちゃった」とか言ってた。おじさんにも同じこと言ってそうである。
未体験諸君のために嬢のフェラについて述べておくと、""""ガチで""""上手い。まず歯が一切当たらない。舐めるのもうますぎる。そもそもフェラは手コキとは「舐める」という点で圧倒的な優位性を持っているのだが、その「舐める」という強みが最大化されている。
普通の手コキ・フェラも上手すぎてお話にならんのだが、新体験だったのは玉舐めである。普段からAV・漫画で「玉舐めても気持ちいいわけねえだろボケカスが」と思っていたが、大嘘だった。
そうした嬢の超絶技巧に音速で射精するところだったが流石に耐えると、嬢が「入れたい」と言い出してくる。
多少前戯はしたものの、かなり濡れていてマジで意味不明だった。なんか仕込んでるのかもしれない。
ここまでで、シャワーなしの即フェラの時点で「これは普通じゃない」と薄々勘づいていたが、この嬢の気分の高揚具合はは俺の想像を超えていた。
ゴムをつけようと「ゴムって用意してますか?」と聞いたところ「それなんだけど……生でしない?」と言ってきた。
(1)生でシて後で「生を嬢に強要しただろ?」とごっついヤクザに迫られてぼったくられうること
(3)俺から生を求めていないのに生を希望するとはこの女はイカれているのかということ
これらの3つについて東大入試の時並みに思考を巡らせている際も嬢が亀頭を入り口に擦り付けてくる。「え、やっぱゴムつけませんか?」と言われても、「いや本当普段はゴム絶対するんだけど、イケメンだから特別、むしろ生でしたい」みたいな返しをされ、人間を人間たらしめる唯一の要素である理性が焼却されてしまう。
(1)のリスクは1番逡巡する要素だったが、まぁまだ財布に6万残っていたのでその場はやり過ごせるだろうという判断、(2)のリスクはどのみち生の口でフェラされてるから変わらないという気づき、(3)はこの女がクレイジーだということで片付け、生で挿入した。
人生初生挿入の感想だが、実際確かにゴム有りとは全く異なる。ゴム有りでHしてるときは「なんかよくわかんねえな〜」という感想で終わるのだが、生で入れると温かみを直で感じる。
が、ここで感じたのは、「オナホとほぼ同じやな」ということであり、実際気持ちいいが期待以上かと言われるとそうでもなかった。
そろそろイキそうだなと思い「そろそろイキそうだから…」と言って挿入をやめようとしたところ、即座に嬢がいわゆる「だいしゅきホールド」してきた。そして「中で出して、大丈夫だから本当お願い」とほざいている。
マジか。実際理性は爆発しておりオナホでも当然中出ししかしていない上、実際がっちりホールドされているので中出しするのは避けられない。
もう俺の人生は終わった。ヤクザが後で俺の精子を採取して「嬢に生を強要し挙げ句の果てには中出ししたろ」と言われる確率は百分率で500000000000%である。そう考えながら射精した時の気持ち良さは半端じゃなかった。
中出しした後も普通にチンポは萎えなかったので、挿入したまま2回戦に突入。もう後先考えずまた中出しした。もうここまでくるとやけくそである。2回目が終わった後、よくavであるくぱぁを嬢がしてきたのはなかなか壮観だった。精液が普通に下の口から溢れてきたのを見て笑ってしまったことは申し訳ないと思っている。
さてここまでで30〜40分ほどである。ここからお茶タイム・雑談を挟み、嬢にマットプレイが気になってると伝えると、二つ返事でOKしてもらいマットを用意してくれた。(ちなみに今回行った格安店は多くの嬢がマットできないらしい)
風呂に入って眺めていた嬢の用意が終わると、マットにうつぶせになるように促され、ローションだらけのマットプレイが始まった。ここからは正直説明し難いのだが、これが信じられないくらい気持ちいい。あらゆる場所が嬢の身体によって刺激され、特に嬢が舐めるところがいちいち死ぬほど気持ちいい。
特に気持ち良かったのは背中、足裏、そしてなんと驚きのアナル舐めまでやってきた。全くオプションでも頼んでないのにアナル舐めなんてやるはずないと思っていたのだが、これが死ぬほど気持ちいい。本当に気持ちいい。マジで頭おかしくなるかと思った。
仰向けになるように促されたあとも、パイズリ&フェラ、手コキなど波状攻撃は止まることを知らなかった。一通り終わった後も泡で身体を洗ってもらい、サービス精神とプロ意識に純粋に感心した次第である。
マットプレイは、ソープ嬢にしか頼めない特別な体験なので必ずしてもらうことをお勧めする。そしてそのためには、そこそこな値段するお店にいくことと、しっかりとした時間を余裕を持って撮ることが必要である。これがソープの最も大きな価値であり、マットをやらないやつは金をドブに捨ててると言っても過言ではない。
さて、マットプレイも終わったところでもう90分も終わりそうだったので、雑談しながら最後もう一回フェラで抜いてもらい(これも俺から頼んだわけではない)終了した。
終了後は部屋から出口まで嬢が送り迎えしてくれるのだが、最後の受付でゴリゴリのスーツ男4名と嬢が俺をお見送りする構図には流石に笑いを隠しきれなかった。
部屋を出た後はさながら死刑囚のような心持ちで「いつヤクザが俺にボッタクリに来るのか」とヒヤヒヤしていたが、全くそんな気配もなく、普通に笑顔で男たちはお見送りしてくれた。どうやら本当に嬢が生中出しを純粋に希望した様子である。ちなみに嬢からは「もしクチコミするときも名前を出して生中出しOKだったとは言わないでね」と口酸っぱく言われたので、おそらく全員にはやっていないのだろう。
これが全容である。総括すると、
・そんなにソープは怖いところではない
・マットプレイは醍醐味なのでそこそこの時間とお金を用意しよう
・経験として一回は行こう
「人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」
二つの家族の間を行き来しながら、人間の記憶や、場所への執着を捉えた文章。それはまるで、漱石のいいところだけ抜き出したような文章だった。
ところで、同じ著者の「インドへの道」もいい。これは大英帝国支配下のインドで、未婚女性が現地の男性に暴行されたという疑惑を巡る話だ。女性を守ろうとする騎士道精神と排外主義が結びつき、支配者と被支配者の亀裂が広がる様を描く、不幸にして極めて現代的な作品である。冤罪をかけられたインド人が、「誰があんな不美人な年増を」と心の中で毒づくの、とても嫌なリアリティがある。たぶん、帯を工夫したら売れるし、どっちの「弱者」がより保護されるべきか的な話題で定期的に盛り上がる増田の住民にも刺さるんじゃないかな。
切れた靴紐を昼休みに買うだけの、注釈だらけの何だかよく分からない小説。細やかな観察眼と都市生活者が思わず共感してしまう日々の経験で、要するにあるあるネタで延々と読ませる。すごい。こういうのが現代文学なのね、みたいに一席ぶつのにも使えるかもしれない。
真面目な話をすると、文学にはいろいろな機能があって、それは作者の意図とはかけ離れているかもしれないのだけれども、その結果的な機能の一つとして、その時代で言語化されていないものを文字化するというのがある。だから、文学賞を受賞した作品だからと言って、実は今の自分が読んでも面白いかどうかは全くの別問題なのだ。文章が巧みで、いかにも知的な主人公の知的な悩みを描いた文学だけが主流な時代は終わっているのかもしれない。そういうのが好きな人は古典で充分であるし、逆に言えばいろんな立場の人のきれいごとではないこじれた気持ちが知りたければ現代文学は面白い。
理由は書かないが、自分は周囲の期待を一身に背負っていたエリートが挫折する話が好きだ。前途有望な若者が、将来を棒に振ったり挫折したりする筋書きに対するこの偏愛ゆえに、自分は「ゲド戦記」第一部の前半部分や「スターウォーズ」のエピソード3に対する執着がある。
生きていくとは何らかの失望を味わうことであり、時間をかけてそれらを味わいつつ咀嚼していく過程であるのだけれど、こうした自分のどうにもならない感情を言語化した先行作品があることで、自分は孤独ではないとわずかな慰めが得られる。
「鏡の中の鏡」「魔術」「薔薇の名前」などの元ネタとなる作品を書いた人。「バベルの図書館」は聞いたことがある人もいるかもしれない。
非常に濃密な短編を書く人で、このネタで長篇普通に書けちゃうだろ、みたいなネタをそのまま短篇で調理する。どの作品も非常に濃密で、読み解くのにエネルギーがいる。文体は簡潔で、物語も必要最小限の描写できびきびと進む。ただ、具体的に何が起きているのか、そしてなぜそうなったのか、その設定の意味は何か、を追うには読者に教養が要求される。読破すると、それ以上のものが得られる。読み終わったらカルヴィーノだとかスタニスワフ・レムの「虚数」だとかミロラド・パヴィチ「ハザール事典」だとかそういう沼にようこそ。
キリスト教文学の癖にルシファーがめちゃくちゃかっこいい。地獄に落ちても神への反逆を続けよとアジる場面は音読したくなる。そのくせ、彼の弱く情けない姿もまた魅力的だ。アダムとエヴァが楽園で楽しげにしているところを見て、自分には愛する伴侶もなく、人類に与えられている神からの恩寵も既に失われたことを嘆く場面もまた、声に出して読みたい。そして、彼は人類への憎悪と嫉妬のゆえに、アダムとエヴァを堕落させる。この叙事詩の主役はルシファーだ!
好きなヒロインは六条御息所。自分の意に反して生霊を飛ばし、他人を苦しめてしまうことに悩むのがかわいそうでならない。今でいうなら、好きという感情をコントロールできなくて、それでも好きな人が振り向いてくれなくて苦しんでいるタイプで、感情のエネルギーが強い自分としては大いに共感する。
他に好きなキャラクターというか、嫌なリアリティがあっていいと思うのは薫で、その優柔不断さがいい。「この子とつきあいたいけど、でもこの子にそっくりな別の子とはいい雰囲気だしなあ」みたいな優柔不断というか欲深さは、男性心理をよく観察していないと書けない。そういう意味で、自分の中では紫式部の評価がすごく高い。
情けない夫が不機嫌な妻に、お前それだけはやっちゃダメだろ的な行為を延々続け、妻から完全に軽蔑され、とうとう上司に妻を寝取られてしまうだけの話で、一人称の視点から延々と繰り返される言い訳はひたすらに情けない。ねえ、僕のこと愛してる? 嫌いになっちゃった? と尋ねまくって、わかっているくせにとぼけないで! 今忙しいから後にして! うるさいからほっといて! もう愛してないったら! あなたを軽蔑するわ! と怒らせるのは、完璧な反面教師であり、ギャグすれすれだ。
しかし、作者は妻のことを相当恨んでたんだなあ。
身体に劣等感を持つ主人公が、付き合うだけで不幸をもたらす浮気性の彼女を振り切って、幸せにしてくれる女性を見つける話。多くの人が何かしらのコンプレックスを持っているし、何であんな自分に敬意を払ってくれない人を好きになったんだろうって記憶を持っていることだろう。王道過ぎるといえばそうかもしれないが、結婚してハッピーになる王道の何が悪い!
ローマ皇帝が自分の治世を振り返る体裁でありながら、欺瞞と自己満足をさほど感じないのは文体のせいなのか。時代も性別も文化も言語も超えて、別の個人に憑依しながらも、己を見失うことなく語る著者の声は、他人の視点に立って(歴史)小説を書くとはどういうことなのかを、これからも厳しく問い続けることだろう。
中年や老人にならないと書けない小説がある。そして何年もかけて書かれる小説があり、構想から数十年が過ぎて着手される作品もある。そうした重みを持つ文学作品がどれほどあることか。
技巧も素晴らしく、文体も素晴らしい。こうした作品に出合えるのは、年に一度か二度だ。
説教臭い頑固おやじのブログ。基本的には仏教説話が多いが、それらに交じって挿入される、「〇〇という迷信には典拠がない」だの「〇〇という習慣は最近のもので、本来のありようや精神とはかけ離れている」だの「〇〇という言葉は語源を考えれば正しくは〇〇と言うべきだ」だのが、まさにその辺のおじさんがいかにも言いそうなことで面白い。
ただ、それだけじゃなくて、第三十九段の「或人、法然上人に、……」のエピソードは、「とりあえずできるところから頑張ればいいじゃん?」的な内容で励まされるし、十八段の「人は己れをつづまやかにし、……」は身軽に生きていくことの幸せさを教えてくれる。
最高だった。ラヒリ大好き。体調崩すレベルで刺さった。アイデンティティの混乱という古典的テーマもさることながら、ラストシーンで過去と不在の人物の記憶が、そして小説の全体が何気ないものによって濃密によみがえってくる様子がすばらしい。そのイメージはプルースト以上に強度があるかもわからない。
これは、インテリのインド系(ベンガル人)移民の第一、第二世代の話なんだけれど、読んでいるうちに海外赴任者の寄る辺なさを思い、つまりイギリスで暮らしていた自分の両親の境遇を勝手に連想させられ、ついつい感傷的になってしまった。随分と勝手な読み方だが、小説の読み方はいつも私的なものだから構わないだろう。
外国では気候も習慣も何もかもが違う。両親の教えることと学校でやることが矛盾していて、両親が里帰りしても子供たちは故郷のノリについていけない、ってのが、すごくパーソナルなツボをついてくる。こういう経験がなくても、地方と都会として読み替えると、増田でいつも議論されている話にも近づくんじゃないかな。
正直なんでこの時代にラブクラフトを読むのか、というのはある。人種差別主義者だし、排外主義者だし、クトゥルフ物はパターンが決まっているコントみたいだし(人類に理解できない名状しがたいものに触れて発狂するのが基本的なオチ)。でも、彼の持っていた宇宙の巨大さと人類の取るに足らなさという感覚は、まさにセンス・オブ・ワンダーだ。そして、「人間の感情の中で最も古くて強いのが恐怖であり、その中で最も強いのが未知のものへの恐怖である」という言葉の通り、究極的には理解できない「他者」という存在の恐怖にまっすぐに向き合おうとしたことを何よりも評価したい。
この作品が好きな理由もまた、不気味なクリーチャーが非常に知的であり、かつ知識欲が旺盛だということによっている。
一巻から三巻までは、ゲドという人物の自我の確立に始まり、他者を助けることや世界を救う英雄的行為が扱われる。しかし、実はゲド戦記は第四部からが本番なのだ。あらゆる魔法の力を失い無力な存在となった彼が、魔法のある世界でいかに生きていくか。これは、老いに直面する男性の物語だ。
そして第五巻! ゲドの生涯で一番の功績が、実は重大な誤り、人類の傲慢に過ぎなかったのではないか、という仕事に生きてきた男性には非常に厳しい可能性が示される。
しかし、ル・グインはゲドにとてもいい歳の取らせ方をしている。果てしなく努力をすれば、男性が女性を、女性が男性を理解できるのだと作者はどこかで述べていたが、その希望を見せてくれるし、そこに女性作家を読む喜びの一つがある。
いわゆる毒親について書かれた小説なんだけど、ねちねちしていなくていい。文体は軽く、描写も簡潔。だからこそ、彼の育った環境の異常さが際立ってくる。なんでこんな親子関係になっちゃったのかについて掘り下げられることもほとんどない。
そして、暗鬱なだけの作品にならないのは、にんじん少年の異常なたくましさだ。ひどい目に合っても受け流し、冷淡な母から何とか愛されようともがいている。読んだときの年齢によって、感想は大きく変わるだろう。
みんな外断熱+熱交換器+low-e複層ガラスの優秀さが分かってない。技術的・商業的には既にゼロ・エミッション住宅は完成してるのに。結露や夏場の暑さ、湿気にも強いのに。
内地の建築士は特に意識が低い。北海道の技術屋は「吉田兼好の呪い」といってる。
札幌市では、小学校の体育館をまるまる外断熱施工して、人の体温だけで暖が取れるようになってるとこもある。大災害時の避難所になるから。
断熱厚さ300㍉のゼロエミ住宅を見学したことあるが、外は氷点下10度なのに15人ぐらいで内覧してたら暖房なしでどんどん暖かくなり、みんなコートを脱いだ。
千歳の外断熱改修した分譲マンションは、1月で寝る前室温26度に上げて、暖房切って寝て起きたら21度ぐらいやと。
課題はコストだが、普及すれば劇的に下がる。やり方は簡単で、新築にlow-eと外断熱の断熱厚さを義務付ければよい。効果はEUで証明されてるし、FITより楽チン。
制度化できないのは、普及させたくなくて抵抗する業界が強力だから。具体的には石油・電力・ガス
ブログ名に「徒然なる・・」をつけてるブログ、内容ろくでもない説卜部左兵衛佐兼好「同感だ。俺様の経験から考えても、たいていは碌でもないことしか書いてない」2016/06/13 01:13
誰それ?
風巻景次郎は、尊卑分脈の系図の記載によって、吉田家傍流の兼顕の子で、後二条天皇の六位蔵人となり、ついで五位に叙され、左兵衛佐に任じたと推定し(『西行と兼好』角川選書 角川書店 昭44。初出昭27)、これが通説となってきた。しかし、拙稿「卜部兼好伝批判―「兼好法師」から「吉田兼好」へ」(国語国文学研究〔熊本大学文学部〕49、平26・3)で考証した如く、この系譜と経歴は、戦国時代の吉田家の当主、兼倶(一四三五~一五一一)が捏造したものである。兄弟とされてきた大僧正慈遍とも血縁はない。兼倶はなんらかの方法で兼好が一時卜部氏を称したことを知り、自らの家系に取りこんだらしい。吉田の家号は室町期に入って用いられたので「吉田兼好」の称が不適当であることは既に指摘されているが、兼倶以前に兼好が卜部氏であることに言及した者はいない。「兼好法師」の称を用いるべきであろう。
エビオスは便が柔らかくなるんですよね。
自分も時々危なくなりました。
それ以外でも自分は緩めで、3時間毎とかよくトイレに行くことが多かったのですが、
新ビオフェルミンS錠を朝昼晩10錠飲むようにしたら普通に日常を送れるようになりました。
これの摂り始めは便が硬く、一日一回か二回、朝か夜しか出なかったので便秘かな?と思ったけれど、
それ以上になることは無くて、そもそもその硬さと回数が普通なのだと気づくのに一ヶ月かかりました。
一ヶ月してお腹が安定したら通常の量の朝昼晩3錠にして大丈夫だと思います。
乳酸菌サプリ摂ってないものと仮定して書いてるので、違ってたら申し訳ないです。
以下、調子に乗ってお腹ゆるめの人のための乳酸菌サプリ(プロバイオティクス)レビュー
ビオフェルミンS :
手頃で安価です。
吉田兼好さんも言ってましたが変に遠くの凝ったモノを使うよりも身近な物が楽で一番です。効果も十分。
新ラクトーンA :
エビオスの成分が含まれてるので増田さんには取っ付き易いでしょう。
ただビタミンB等も含まれているので純粋な乳酸菌ではなく上記のように過剰に飲むと栄養過多の恐れがあります。
ミヤリサン :
確かうしじまいい○さんも愛用。これは人によるかと思います。自分はだめでした。お尻が緩くてどひゃーでした。多分便秘の人用。
1 Jarrow Formulas, Jarro-Dophilus EPS, 120 Capsules
http://jp.iherb.com/jarrow-formulas-jarro-dophilus-eps-120-capsules/7006
2 Healthy Origins, Probiotic, 30 Billion CFU's, 60 Vcaps
http://jp.iherb.com/healthy-origins-probiotic-30-billion-cfu-s-60-vcaps-ice/19518
3 Nutrition Now, PB8, Original Formula, Pro-Biotic Acidophilus, 120 Capsules
http://jp.iherb.com/Nutrition-Now-PB8-Original-Formula-Pro-Biotic-Acidophilus-120-Capsules/5931
この3つが有名所です。どれも安めで乳酸菌の量も多め。さすがサプリ大国。
ただ2は高温に弱く、3は冷蔵庫での保存推奨なので、夏の輸送の際、熱で劣化してるかも。
自分は冬買ったけれど、どれも強力に効きました。
ただビオフェルミンでも十分間に合うのでこれらは最後の手段かと。
ちなみに安価で有名なnow foods社も出してます。自己責任で試すのも面白いかもしれません。
http://jp.iherb.com/Now-Foods-Gr8-Dophilus-60-Vcaps/635
//医薬品
ビオフェルミンR :
強力です。当然病院で処方されます。これがあると旅行の際に便利です。
以上です。
なんだかんだでビオフェルミンS過剰飲みがコスパ効果共に一番です。
それでも治らなければJarrow社。輸入だから面倒くさいけれど一日2~4錠飲めばすぐ治ります。
乳酸菌の過剰はリスクは全くなく、あっても軽い便秘ぐらいです。
丸一日便が出なかったら減らして調節してみて下さい。
丸一日は一度もなったことは無いですが念のため。
寝なきゃ。お子さんいいなー
これを読んでいたらもやもやしてきたので書く。
4つだけは本当だということじゃない。
8つすべては「真実」に近いと思う。
実践できれば楽に生きれると思う。
それがいいとか悪いとかいう問題じゃない。
ただ、この理論だけでは結果的に不十分だとおもう。
いったいなにを欺いているのか?
リンク先で語られている内容よりも
語られなかった内容に注意してほしい。
1、今に生きる
過去を悔やんでたらればを繰り返したり、起きてないことをあれこれ憂いたりするのは時間と労力の無駄遣いで非生産的。
2、人や社会に期待をしない
求めたり「こうあるべき」とイメージを持ったりすれば、現実との差異にがっかりすることになる
自分が見ている他人は、他人という物質に反射して映った自分だと考える。
その出来事を通して味わいたい思いや学びたいことがあるからそれを引き付ける。
こうしなきゃ、こうでなきゃ、というのは自己満足であって、大抵の場合は不必要
6、ワクワクするものごとを選ぶ
選択の連続の人生で、自分の心がワクワクする方を正直に選ぶのが一番スムーズ。これができないと葛藤やジレンマに苦しむ
7、自分の行いは必ず帰ってくる
きちんと受け止めないでぶつかった時に、痛いと言って責任転嫁しようとしても事は進まない。
自分が受けたい言動をとればそのまま返ってくる。
8、物事は全て中立
「悪い出来事」「縁起の良い場所」なんてのは本当はなくて、全て中立な物事に自分が意味付けをしてるだけ。
たとえば同じ場に居合わせて災害にあったとしても、ある人はたまたま見舞われたと感じるし、ある人は自分の宗教の教えを遵守しなかったからと捉えるかもしれない。
ぐうの音もでない。
いろんな本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりすれば
わりと納得できる考え方だなーと。
(というかこれがわからないとしんどい)
しかし、正しいということとそれが妥当であるということはまた別の問題だと思う。
でも、とりあえず
ということはほぼ間違いないと思う。
世界じゅうの人がみんな
この方法を身につければ
きっと生きやすい世界が目の前に広がると思う。
ちょっと想像してみよう。
(親、兄弟、親戚、同級生、上司、同僚、社会のしくみ、政府、日本、テロリスト、なんでも)が
もし、これらの特性を身につけたならと考えてみよう。
こりゃパラダイスだ!
ぼくたちはお互いがお互いを認められるような
真に寛容な社会を実現できる!
誰と遊んでいようが楽しい!
よーし!あの丘の上まで競争だ!
これらの方法に従うことで楽に生きられると思う。
でもそれは「従うことができれば」の話。
実際、どこの場でも目にする。
「人生論」でも、「大往生」でも、「論語」でも、「エセー」でも、「徒然草」でもなんでもいい
長く広く読まれている「人生の教え」的な本を読んでると
最後にはだいたい前の8つくらいに収まる
(代わりにどっかの社長の話を聞いてもいいし、テレビで美輪明宏さんの話を聞いてもいい)。
昔の人は偉いなあと思う。
そういう感じの本はいろいろ読んだ気がする。
もちろん、まだまだ読み足りない。
なにせぼくはまだ今年から活字に触れはじめたばっかりだ。
きっと死ぬまで読んでも読み足りないのだけど
個人的には、ぼくの考えを
そういう本が「間違っている」と指摘してくれることを期待して
今のところ、ぼくの考えを「否定してくれる」本は見つからない。
いや、正確に言うと、否定してくれはするけども
それが納得できないのだ。
ぼくの読解能力がないだけならそれでいいんだけど
もしヒマならちょっとぼくの考えを聞いてほしい。
まず1つめのウソ。
ぼくが言いたいのは
すべての人間がこれらの方法を実行するのは不可能だということだ。
古今東西のえらい人がみんな同じ結論にたどりつくなら
さっさとそれを実行すればいいのに
なんで同じ内容の本ばっかり書かれていくんだろう。
それが人間全体に広くみられる普遍的な問題だからじゃないかなあと思うけど
じゃあ、なんでその普遍的な問題が
大昔から今まで解決されないままなんだろう。
般若心経の新訳を読んだ。
ぼくらはなんで2000年も前の真理がいまだに実行できないの?
そりゃあれじゃないの?
大笑いしながら観ていた。
その中の一作で寅さんの「おいちゃん」が
実は若い頃は文学をやりたいと思っていたと話すシーンがある。
おいちゃんは父親にこう言われたらしい。
「団子屋に文学なんか必要ない」
団子屋が文字を読む必要がないなら、
本なんてまったく読まない人がいてもおかしくないんじゃないだろうか。
これは団子屋だけの問題か?
かなり多く存在してるんじゃないのか?
それでなんの不自由もなく生きていけたなら
感覚だけで生きていくことを恥じることもない。
それどころか、論理的なことをバカにさえするかもしれない。
難しいことはわからない。
バック・トゥ・ザ・フューチャーを何十回も観てるのに
なにがどうなっているのかいまだに理解できてない。
でもそれがどうした?
バック・トゥ・ザ・フューチャーの理屈がわからなくてもなんの不自由もない。
熱心な仏教徒や
わかりにくいな…。
その最初の救いを信じていたら
いつのまにか犯罪者の仲間入りをしていたことだってあるみたいだ
(オウム真理教の元信者のそういうエピソードを読んだことがある)。
「念仏を唱えれば救われる」って
そそのかされただけじゃないのか?
バック・トゥ・ザ・フューチャーがわからないお父ちゃん。
念仏を唱えるだけの百姓。
そういう人たちがいるかもしれないと思ったことは?
つまり、ぼくが言いたいのは
読めない人がいるかもしれないということだ。
読んだ人に待ち受けているのは
でも、読んでない人はどうすりゃいい?
で、その論理を理解できなかったら?ほったらかし?
そりゃあもう素晴らしいことになるとおもう。
でも、現実はそうじゃない。
何を語っていないかをもっとよく考えたほうがいい。
この人生訓がなぜいいのかということを
絶望的なまでに理解できない人がいる。
そういう人たちは人生訓が提示されるたびに足場が少なくなっていく。
要するに勉強ができない、感覚で生きている人たちをないがしろにしているのだ。
このたぐいの人生訓すべてが。
掛け算までしかわからない子どもに、方程式の素晴らしさを説いているようなもんだ。
上から目線で「こうしたらいいのに」と言ってしまってることになる。
いつまでも掛け算のところでつまづいて
文句ばっかり言ってる子どもはほったらかして先に授業を進めるべきなの?
掛け算のところに戻って教えなおしたほうがいいんじゃないの?
やっと言いたいことの一つが終わった。
冗長になりそうだけど
もうひとつ言いたいことがある。
更に絶望的な想定だ。
さて、こんな文句をどこかで見たことがあるだろうか。
(まちがってたら言ってください)。
なんかさぁ…
内容自体はそんなに変わらないのに
急にうっとうしくなった気がしない?
どこかで見たことあるなあ…
これどこで見たんやろう…
ああ、そうか
「これ、うちの経営理念やわ」っていう人いる?
その時どんな気分がした?
殺したくなった?
泣きたくなった?
正義づらした誰かに強制されるのだ。
それが「楽に生きる」とは真逆の事態を連れてくる。
この想定のたちの悪いところは
その大義名分が「間違ってない」というところだ。
誤解なら間違ってると指摘することはできるけど
ほぼ正しいと思う。楽に生きるためならね。
え?
間違ってないなら実行できない人が無能で怠惰なんだから仕方ないって?
wikipediaによると2009年の時点で日本のニート総数63万人
彼らがみんな死んでしまえばいいと思うの?
賢くて強い人だけ生き残ればいいと思ってるの?
ニートだけじゃない。実際働いている人でも
(実際これだけの説教レパートリーがあれば人格を破壊するには充分すぎるとおもう)。
(統計を出すつもりはないけど)。
1つめのウソで言及しているような
感覚で生きていて、なおかつこういう人生訓に苦しめられている代表選手は
2つめのウソで言及しているような
こういう人たちはまとめて死ぬべきなのか?
損する人のほうが多くないか?
そう考えたら、「人生を楽に生きる8つの方法」が最後の答えだと思えない。
この考え方を否定してもらいたくてそういう本を読んでいた。
でも納得できない。
これでは救いにならない。
でもいつまでも状況に進展がない。
だれか否定してくれよ。
「おまえ間違ってるよ!」って。
1つめのウソについては別の解決策が見当たらないし探そうともしてないけど
そして、その解決策をこの場で披露することを許していただきたい。
枠組みを作ろうと思う。
ほとんど働かなくてもいいような枠組み。
楽観的な言い方をすると、これは収益を生み出せるかもしれない。
そうして、口やかましい人たちを黙らせる
http://auauai.tumblr.com/post/9080858048
これはブログでも書いてるけど
やりたいことはphaさんのギークハウス構想に似てると思う。
優しくて閉鎖的な空間だ。
個人的にはなるべく一人でいたいんだけどそのためのコストが高い。
そういう人と連帯を組むことはしたくない。
じゃあ、ぼくが怖がらずに近づけるのは
そういう人たちととりあえずお互いを認め合う。
自信を少しずつ取り戻す。
まずはそこからだ。
誰だって生きていていいんだという相互理解をつくることだ。
心底、世の中に絶望していた。
どれも納得できなかった。
共感をもたらしてはくれたけど
やっぱり現実はしんどいままだった。
山の中に草庵でも建てて住もうと本気で思っていた
(いまでもその選択肢を考えてる)。
いくら本を読んでも
現在の恐怖と、わずか数年後の不安を解決してくれるものすらなかった。
でも最近考え方が変わった。
それもやはり本を読んで変わった
(次に挙げるだめ連の本とはまた違う本だ)。
だめ連の本によると
連帯すると分散される(当たり前か)。
家賃10万円の家を10人で借りたら一人1万円だ。そういうことだ。
近隣の人の援助もあったらしい。
それはちょっとできるかどうかわからない。
でもぼくらにはインターネットというツールがある。
レゴ作って2chにスレ立てるだけでプロビルダーになる人がいたり
自分の顔を毎日撮って繋げただけの動画がYoutubeで何万再生もされたり
「ありがとごじゃいます」って歌って動画として公開するだけでテレビに出演できたり
要するに「好き」とか「やってみた」とかの
ということは
そういうしょーもないアイディアが収益化する可能性があるのだ。
ちょっとでもおもしろそうなことはなんでもやってみりゃいいのだ。
社会不適合者が集まっているということだけでもちょっとおもしろいかもしれない。
誰が許さなくても本当は関係ないんだよね。
心苦しさを飛び越えるほどの、欲求があればぼくらは動ける。
外にある楽しいことに手を出すのは怖いしめんどくさいけど
ネトゲくらいならちょっとやってみようかなーなんて思える。
とりあえずヒマならその家に集まってみて
生きるのに向いてない人がリラックスできる場をつくる。
なんかちょっとやる気出たり、アイディアわいてきたら
そういう人たちの「好き」とか「アイディア」を片手間でネットに発信してみる
(ぼくもいくつかアイディアがある)
奇しくもこの考え方は
楽しいことだけを追い求めて生きていくことが可能かどうか確かめたいのだ。
しかし、生きるのに向いてない人がラクになれる場所
(SNSでの付き合いで世界のツラさを「ごまかす」だけじゃない場所だ)
これができるだけでも意味はあると思う。
もうだから早く家借りよう。
とりあえず、ツイッターかmixiかメールかなんでもいいから連絡をください。
http://twitter.com/yukkun1986/
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=25533767&from=navi
breed0902@gmail.com
(悪いことをまったくやってないってことじゃないけど)。
たすけてくれよ。「私も怖かった」って言ってくれよ。
怖いよねー(*´・ω・`)(´・ω・`*)ネーって慰め合おうよ。
別に住まんでもいいのよ家には
慰めとか遊びとかアイディアの拠点にするねん。
もう疲れた。
もう待てない。
もう泣きたくない。
誰かが泣くのも見たくない。
きみは死ぬな。
それでも生きれるようにしたいのよ。
ぼくもきみも。
これがぼくらの「楽に生きるための一つの方法」じゃないかと思うんだ。
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なげーよ。
ごめんなさい。短くしようともしてませんでした。
短く的確に書ければいいなと思います。
書いていくだけでその練習になればいいななどと虫のいいことを思ってます。
誰も強制してないし、できない奴を馬鹿にしてもいない。自意識過剰/自分以下を眺めて満足したいだけでは?/「5. 自分がいなくても世界は回る」の「自分」は語り手を選ばないからこそ「楽」につながる