はてなキーワード: 反動とは
http://mechayaba.kondoyuko.com/
座右の銘:「俺はまだ本気出してないだけ」「俺は海賊王になる!」
2005年:岡山県立岡山城東高等学校卒業する夢を見る
2011年:東京大学大学院工学系研究科建築学専攻の人とTwitterで会話する
増田太郎は一つの性質では掴みきれない。オタク的であるどころかオタク、右脳と左脳の違いはそもそも分からない、外見は老けているが中身は幼稚。それは増田太郎にはアイドルの絶対領域に興味があり、その空間をチラ見しただけで興奮する力があるからだ。
おちこんだりもしたけれど、増田太郎は現金が好きです。就活する気がなくてこんな記事をつくるぐらいだから・・・
増田太郎のフットワークのなさは尋常じゃない。興味を持ったことには(親のお金と俺の時間の許す限り)その機会を逃さない貪欲さがある。自宅管理でもいろんなところにフィールドワーク(台所やトイレなど)に行くし、脳内旅行も大好きだ。現実と非現実をよく往復しており、ゲームの世界へはなんとボタン1つで行くことができる。親におやつと漫画の手配を頼むこともしばしばで、その様は「太郎は自分からはなかなか動かない食い倒れ人形」と例えられるほどだ。
増田太郎は芸術に深い造詣がある。美術や音楽、演劇を問わず色々とネットで見に行く。最近印象に残ったのは某AV女優があえぐ様で、若い女性の体がまるで花火のように花開いてとても感銘を受けた。
増田太郎はお風呂に入っているアイドルが大好きだ。疲れた時にはよくアイドルのイメージDVDを見る。去年の誕生日でアイドル風呂めぐりを企画した際には吉原(ネット上のアイドルがお風呂に入っているシーンに興奮する愛好家の隠語)というお風呂屋さん密集地域をフィールドワークしたほどだ。
増田太郎は歌が好きだ。個人練習も余念が無い。裏声がキモイ。振付は完コピ。
リクナビに登録しようとするも、空白期間の説明に頭を悩ませて挫折する。
合同説明会@ビックサイトに行った人のブログをリサーチ。思ったとおり就職活動は嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。リクルートスーツを買いにいくのも恥ずかしい。ネットの採用情報見たら「成長できる環境があります!」と拳をつきあげている写真があったので、「この人たちとは根本的なところで合わなそう」と悟る。
失敗を乗り越えた経験というのがどうしても思いつかない。本質的でない細かいことを誇張して書くのはいやだし。諦めと反動の歴史でしか無いな。いや、まておっかけしていたアイドルが急に結婚したときは涙してその場に崩れ落ちた俺だが、その後、別の子に鞍替えしたじゃないか。これは失敗を乗り越えた経験と言えるのではないだろうか、いや、言えるであろう。
某企業の採用広報イベントに参加しようになるが、今は未だその時期じゃないと思い直して直前に断念する。
……。
親が死んだ。もう生きていけない。さようなら。
途中空白期間があって終業後に週3回くらい皇居を1-2周するようにしてたのが2年前、
また空白期間があって去年の10月ごろからnike+を使い出して累計470kmくらい走っている。
この1-3月は生活環境の変化があったり寒かったりでほとんど走らなかったけど、4月からまた再開。
そんな、断続的なランニング習慣を持つ男、29歳。185cm,約90kg。
(体重約90kgというのは生涯最重量。重たすぎるしみっともないので
走ることでどうにか痩せたいという思いはある。
加藤嘉一氏の今日のダイヤモンドオンラインの記事にあった184cm,68kgという数字に自分はひどく打ちのめされた。
私は、身長と年が近いということもあり一方的に負けたくない気持ちがあるようだ。大負けだが。
先月は150km走った。だいたい週に4回くらい走ってて、ペースは平均して6分/kmくらい。
何で続けられているのかよく分からないが、わりと義務的に走っている感じ。
1週間のノルマを消化しないと気持ちがわるい。
少なからず達成感を感じている。
しかし、よくある劇的な体の変化というのはまだ無くて、
体重はぜんぜん減らないし、体力は多少は付いてきたなあと思う程度。
あと2ヶ月くらい継続するとなにか変わるかもしれないけれど、
1ヶ月続けられた理由をよく整理して、今月も継続していくための何かを見出したい。
他のことに応用が利くかもしれない。
ランニングとは息を切らしながら、辛い思いをしながらやるものだと思っていたから
走ることを習慣にしようとしていた頃は、正直、走ることには抵抗があった。
しかし、評判の金さん(金哲彦)の本を読んで学んだ、
LSDという、息が上がらない程度にゆっくり走るというトレーニング方法と、
それらを実践してみたら、想像以上に楽に走れるのにびっくりしたことがあった。
なお、やっぱり寒い日、暗い日、雨の日はまだ走ることに気合がいる。
走ることは楽しいかというと、最初は楽しいけど、すぐ飽きる、というのが
去年からひどく風景の良いところに転勤となって、また、出張が多いので、
自宅の家の周りを走るだけでも楽しいし、
しかし、少なくとも自分の近所を1ヶ月も走ると、正直な話、飽きる。
飽きたからといって走るのをやめるのもバカらしいので
週末は車で近場まで出て、違ったところと走ると目先が変わってよかった。
どこを走っているのか分からない、ちゃんと帰れるのか分からない、というどきどき感があるのが
nike+の自分のランニングのペースを見てもあまり改善が無いのを見ると、
何のために走っているのか分からず、モチベーションが落ちることがある。
ちゃんとストレッチをして疲れを残さないようにして連日走ってもタイムが
落ちないようにすることや、
メリハリをつけて、早く走る日、ゆっくり走る日、と目的を持って走ることで
走行時間にモチベーションが左右されないようにすることが必要だと思う。
今まではとりあえず走ることが第一の目的だったので、足の疲れなど関係なく走っていた。
一時はそれと思われる感覚を覚えていたが、
最近はあまりそういうことは無いので、ランニングハイを味わいたくて
走るわけではないと思う。
TBSラジオJUNKのポッドキャスティング。これは聞いてて楽しいが、
走る楽しさとは直結しているのか、疑問。
ただし、何かしら愉快なものを聞いていないと走れない。
加藤嘉一氏に言わせると、英語のニュースを聞いて英語を勉強して中国人に伍せ、ということになるのだろうが、
正直、退屈で、ランニングをする気をそぐような気がして気が進まない。
フェイスブックに今週走った距離を載せていて、ありがたいことにそれなりに反応がある。
それを達成しないと恥ずかしい気持ちになるので足りなさそうなときは週末に
まとめて走ったりしている。
しかし、平日に30km、週末の土曜に10kmであれば自分には達成が難しい距離ではないので、
だいたい余裕をもって達成しているのでたのしく皆さんに報告している。
また、単に走った距離とちょっとしたコメントを投稿するだけでは
やはり反応が薄いし、いいね!してくれた人にもなにか申し訳ないので、
なにかしらネタを走りのトピックに絡めようとちょっとした目的ができるので
それが自分の中で飽きる気持ちを軽減させているのかもしれない。
NIKE+のGPSの機能を使って走った軌跡で絵を描いてみたり、
どうやら酒を飲むため、飯を食べるための罪滅ぼしとして走っている気がする。
自分への餌としては良いのかもしれないが、本末転倒もいいところだ。
ダイエットのために走っているという目的を完全に見失っている。
走っていればそのうち痩せるだろう、いくら食べても大丈夫だろう、
という根拠の無い思い込みがあってのことだと思う。
150km走っても、12,000kcalしかカロリーは消費しておらず
ほぼ毎日飲んでいるワインを1本(570kcal)飲むのをやめると逆にお釣りすら来る計算だ。
体重が減らなくてもモチベーションが保てているのが正直不思議なところだが、
痩せるという目に見えるフィードバックがあればもっと走るモチベーションも
上がるだろうし、体も軽くなれば走力も上がるはず。
食事内容はもう少し意識しないとならない。
しかし、この食い物という餌、モチベーションを無しにしてしまうと、
レコーディングダイエットなり、節酒なりを取り入れないと
今月もカロリー収支は大負けすることになると思う。
レコダイ、やってみるか。どうせ続かないが。
走ること自体はイヤではない。自分が飽きないための工夫。
毎週末は遠出して走る。
あたらしい良ポッドキャストを発掘する。
あたらしいトレーニング方法の検討。ペース走とか、ビルドアップ走とか?よく分からんが。
など。
いきなり食うものを減らすのはレコダイ的には反動があるはずなので、
まずは、気にする。気にする習慣が出来たら削ることが出来るものから削っていく。
こんな感じ。また来月も書く。
いや、全身全霊で働いて金を稼いだと思ったら反動で高速老化してて、せっかく稼いだ金は全部老後の生活費に消えててむしろ病気とかしたら金足りないってことに気づいて困ってるってところじゃね?
ああ、そういえばドイツにはあったね。「自発的去勢法」という制度がね。
あの制度は、ドイツ国内では、本人がそう望めば自発的に去勢できる制度という位置づけだから、ドイツの政治的な認識では「罰」ではなく「自発去勢」ということになっている。
しかし、今年の2月22日に欧州評議会反拷問委員会で、ドイツの「自発的去勢法」の停止を求める決議が採択されたことが話題になったことから理解できる通り、本人が同意していても、懲罰的に断種が適用され、優生学的に人種差別を実現する結果を導く事実に違いは無いから、実質的には罰であり、かつ、レイシズムだ。
そして欧州は、性犯罪を名目とした去勢罰を、決して容認しない。
ドイツにおける断種は、かつては「治療」ではなく優生学的な民族浄化措置として考えられていた。ナチス時代には優等民族を保護するためにT4作戦やレーベンスボルン計画などの積極的断種措置が実施された。(余談だが、ドイツの自発的去勢法の制定に参加した反性犯罪主義者の一部は、ナチス福祉局の関係者もいたという情報もある)
http://de.wikipedia.org/wiki/Aktion_T4
戦後はナチズムへの反省から、優生学的な措置の廃止が進み、自発的な性器切断は反ナチスの観点から違法になっていた。
しかし1960年代にドイツでリベラリズムが勃興し、「性の解放」の潮流が生まれると同時に、その反動としてネオナチも勃興し、性犯罪者に対する敵視傾向が保守派を中心に強くなり、性犯罪者撲滅の運動が形成された。
ドイツで性犯罪者撲滅運動が作られる中で、「性犯罪者は断種してこそ社会で受け入れられる」という妙な主張が広まった。
その妙な主張には、科学的な根拠は無かったのだが、ドイツ世論にはウケて、結局、1969年、26歳以上の性犯罪者が 「さらなる刑事上の犯罪を犯すと考える根拠となるような異常な性的衝動を示す」 場合にのみ去勢手術の対象になり得るという「自発的去勢法」が成立し、ナチス時代以来非合法だった去勢が合法化された。
ドイツのネオナチやレイシストたちは「断種などなまぬるい。ドイツ人としてふさわしくない異常性愛者はガス室で安楽死させて処分しろ」と主張し、ナチスの復権を声高に求めているが、一般のドイツ人は彼らを白い目で見ているのも事実である。
年に数件の「自発的断種」の実績が、今後増える見込みはまったく無く、ドイツの制度が外国に拡散する可能性も無い。まして欧州評議会が、ナチス復権を危惧しているならなおさらだ。
異常性愛を踏み台にして人種差別を実現しようとするいかなる努力も、最終的には無駄な努力に終ることは間違いない。
増田のような人が、すごく危ないように見えるんだ。経験則ですけど。
長々書いても読まないだろうから、端的に記すね。
・増田にとって就活は、現時点で「失敗の物語」だった。しかし、就活時、就職時と、現在は全然違う。【過去の恋人を忌むのと同じく、過去の事柄を必要以上に卑下している可能性がある】
・軽度のうつ病だった【あるいは、うつ病だったと自称している】
・自分をうまく魅せる事に長けており、一般うけしやすい性格・トークスキルを持っている。【自分の論理・理論を自他に欺く術に長けている】
・うつ病の後、教師を天職と強く判断している。【PC漬けからの反動の可能性は?あるいは、うつ病の時に感覚が鋭敏になって、新職に強い刺激を感じるのでは?】
この文章は、すごくよく出来ています。見事なストーリーテラー。でもね、きれい過ぎるんですよ。それでいて粗がある。
貧しい北朝鮮が、見栄はって、背伸びして、人様向けにきれいなパレードをやっているのと、似たようなものです。
この文章の、隠れた部分、伏せた部分、見えない設定や人物がとても気になる。
増田のような性格の人は、ちゃちゃっと「それっぽい物語」を作るから、安易にうなずきたくなるものです。
でも、この人は最後まで緻密な論理を組み立てるのではなく、最後は「直感」で補うと言っている。これは非常にまずいぜ。
自分の論理・ストーリーのプロットが破綻してるのに、「感情」をオチにしてしまう可能性がある。しかも「自分が思うから、正しい。」って事にすると、やり方しだいで、無敵論理になってしまう。しかも、話作りがうまいから、周囲も破綻に気づきにくい。
これは、よくない。
この人は、「理論」を毛嫌いしてはいけない。安易に答えを出すべきではない。
考えて考えて、自分の「直観」と「直感」を散々疑ったうえで、答えを求めなくちゃいけないよ。
顔色一つ変えずに悪党をこてんぱんにするシチュエーション。もちろんゴルゴ13の大ファン。
母とは逆で、男が力の限り叫んでいるシーンに萌えるらしい。
ちなみに姉の中での「ベスト絶叫」は映画「レオン」でレオンがラストに叫ぶシーン、二番目が映画「プレデター」で中盤にネイティブアメリカンぽい奴がプレデターと決闘する時の断末魔の雄叫びだという(笑)。
母と基本的に同じだが、加えて自分の事を無視する(それでいて相手から想われている)要素も重要だと。要求レベル高すぎだろ。
おそらく長姉の影響。
ボロボロに痛めつけられながらも闘志を失わない姿がいいんだとか。
「這いつくばりながら相手を睨み付けてるシーンにキュンとくる」とは本人の弁。
母と次姉はM、長姉と妹はS。
円高とデフレ。
これがあるから若者の給料は上がらず、国の借金は相対的に増え続け、景気は悪くなり続ける。
なのに、円高もデフレも何も有効な対策を打たないまま、財務省は野田総理をマリオネットのようにコントロールし、消費税の増税を実施しようとしている。借金の実高も、消費の冷え込みも承知の上で、それでも増税をするんだ。なぜ? 貯金も財産もない若者には「死ね」と言われているようにしか聞こえない。
けれど、きっと財務省や日銀のえらい人は、そんな素朴な疑問に対しても、僕の想像もつかないような専門用語で、哀れむように、蔑むように、理路整然と解説して「だからインフレターゲット政策は誤りなのですよ。私たちの啓蒙が足りませんでしたかねえ」というような顔をするのだろう。いや、彼らにそんな暇はない。どうせ説明を求めても「愚民に説明しても無駄だ」くらいの心持でいるのだろう。
そして、今の円高とデフレを放置している理由は、僕の理解を正直超えている。財政なんちゃら学的に見て、それが妥当だからなのか?
それとも、インフレが暴走することで、査定が下がることを恐れているのか?
デフレ政策を維持し続けてきた大蔵日銀OBのメンツを守りたいからなのか?
デフレによって、相対的に自分の給与や退職金、天下り先で手に入る金を維持増加させたいのか?
デフレによって、天下り先が維持される原因が生じ、それこそが彼らにとっての利益なのか?
全くわからない。だが、物心ついたときから、デフレと不況と、財務官僚に国民の声なんか届かないという無力感に、影に日向に僕はさいなまれ続けてきた。
そして、財務官僚は増税反対論を敷くマスメディアや論客に、税務調査で脅しを掛けるという。
権力を使ってまで、若者の雇用を間接的に殺してまで、増税がしたいのか。
この構造は、霞ヶ関の奥の院、密儀の神殿で、長老の如き老人たちの手で行われており、所詮、僕のような若い庶民には、何の異議申し立てをしても無駄なのだろう。
そして、無理に騒ぐ人間には、権力を使って合法的に圧殺するのだろう。そして、彼らは若者の声を「愚民どもが扇動されているな」とあざ笑いながら、政治家を言いくるめ、マスメディアを脅して、増税を押し通し、不景気を招くのだろう。そして彼らは、天下り先で高い給与と退職金を得て、仕事のない若者を横目に「努力が足りない」と呆れながら、安楽な余生を過ごすのだろう。
この20年、好景気とやらを殆ど見たことのないまま、どこかの頭のいい老人たちの手によって、僕らは翻弄されてきた。それに異議申し立てをする能力も手段もないまま。
ハシズムが勃興する理由の一つは、この学習性無力感を癒す可能性が僅かでも感じられたからだろうと僕は思う。頭のいい大学のセンセイなんかは「それはナチスやファシスタ党の勃興と同じ理由だ、眼を覚ましなさい」とご丁寧に忠告してくれるのだろう。
でも、もう遅い。この国に刻み込まれた、学習的無力感の反動が、これから荒れ狂うだろう。暖かい場所で、オーソリティと給与を得てきた大学のセンセイの言葉は、実にむなしく響くよ。
男性差別や男性弱者を巡っての或る日のやりとり - Togetter
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/180876
まずさあ。
フェミ系の人間で、
礼儀正しく接したり考えたりしてる奴、
真摯に共闘を呼びかけてる奴?
みたいなのを俺は一度も見たことないんだけどw
居たら教えて。
具体的な名前でな。
笑っちゃうよね。
みたいな男にどんだけの特権が付与されてるの一体?
コンビニバイトに男女賃金格差があるなんて聞いたことないけど。
「同階層の底辺男女で素手で取っ組み合いしたら男が勝つかも」ぐらいか?
百歩譲ってあいつらが特権を持ってるとしよう。ゴミみたいな特権を。
で、それを取り沙汰するのってフェミ世界観にとってどれぐらいの意味があんの?
そんなことやってる間に「強者男性」に果敢に戦いを挑んで「支配体制」を転覆すればいいと思うんですガー?
っていうか俺にはとっくに答えがわかってるよ。
特に弱い奴等の「特権」にばっかり執着してあーだこーだ言いたがるのは要するにさあ
自分が弱そうな奴ばっかり狙って憎しみを叩きつけて回ってることへのいいわけだろ?wただの。
ばれてねーとでも思ってんのかってwww
だいたい「強者男性」っていうのが誰なのかは
それを突き詰めていくと「権力分配」「支配構造」なんていうおどろおどろしいけど中身がよくわからん世界観の出来と向き合わなきゃいけなくなるし、
それにそれに、強そうな男は怖いし、ほんとに怖い相手にはいまいち憎しみが湧きにくいのが人間だしね?w
「私たちを敵だと思うな、ちゃんと強者男性を憎め!」って
それ言ってる奴等自身からして「本当の敵」を回避して弱いとこばっか狙って祟ってるんだから、
おめーらってつまりさあ
昔の中国共産党みたいなんだよ。
看板では「日本軍と戦う」って言いながらろくに決戦するでもなく近寄りもせず、
村々を回って武装もしてない住民を狙い「おまえは日本軍に協力した反動分子だろう!」ってボテクリ回して見得を切る。ちょっとすっきりするし軍資金ゲット。
中国人だけが特別にだらしなくてアホ、とかじゃなくて、どこの国にもこういうのって現れるんだよ。
強大な正面の敵と戦うガッツや戦術を出すのは怖いしダルいし能力が足りないってんで、
「敗北主義者」「裏切り者」「反動」の処刑にばっかり血道を上げる奴。
憎しみが強くて臆病者で、個人的ルサンチマンに大義名分つけて暴走するタイプ。
全共闘世代の左翼なんて、「憎むべき官憲」を殺した数より同じ学生に批判付けて殺した数の方がずーっと多いw
俺はお前らも別に嫌いじゃないよ。
とっても人間くさいと思うし、その情動は手に取るようにわかるし。
でもお前らが「弱者男性」どもの敵じゃないとか、味方だとかいうのは無理ありすぎだろw
当時の中国民衆が共産党なんてただのゴロツキ略奪者だと見抜いていたように、
お前等がストレス解消にせよ権利拡充にせよ、常に「弱者男性」を狙うことで達成しようとしてることぐらいは本能で気付く。
自分へのそういう扱いについては犬や猫だってピーンと感づくもんだ。
仮にお前らみたいな「弱者男性」への嗜虐心を持たない
「公正で私心の無いフェミニスト」っていうのが日本のどこかに現れたとしても
そいつでもやっぱり「弱者男性」から敵だと思われる可能性はあるよね。
そのフェミニストが全ての男を弱らせるようなガスをまいたとして、死んでいくのは弱い男だもんw
よっぽど「強者男性」を狙って刺すような限定的で指向的な攻撃を考えない限りは、フェミニストは「弱者男性」の敵だろう実際。
でも刺すっつっても、「強者男性」という幼稚な概念上の存在がどこにいるかはだれにもわからないとw
しょぼいバレバレ詐術はやめて正々堂々と殴り合ったらいいと思います。
GANTZに呼ばれた人みたいな感じに。
要求するだけなら、実は簡単なんです。例えば、私は耳から聞き取ることが苦手です。だから、「指示はメモやメールなど、目に見える形で頂けると助かります」と申し上げることは出来ます。ただ、「ボイスレコーダーを隣に置いて仕事をし、指示を上手く聞き取れなかったときはレコーダーを聞き直しながら仕事をしてもいいですか?」でもいいと思うのです。また、私が思いつかないだけで、他に配慮して頂ける方法もあるかもしれない。
言うだけ言えばいいんじゃねそれ全部…
その中で、どんな配慮がいい?と尋ねられても……申し訳ないですが、それは私には分からないです。メモを渡す方が都合のいい職場もあるでしょうし、メモを渡す余裕のない職場かもしれない。どんな配慮が出来るかは、職場によりけりだと思いますから。
それはあんたの「言うだけ言う」を受けて職場が考えることじゃね…
また、これは純粋に、他の方からのご意見を聞きたいと思っていることですが、
貴方が面接側の立場だったとして、一方的に「ああして欲しい」「こうして欲しい」と要求ばかりする求職者を採用したいと思われますか?
どうして欲しいかわからない人よりはニーズ述べる人のほうが入れ易いんじゃね…
譲歩するとかしないとかは
互いのニーズすり合わせる段階で(入社した後で)考えることじゃね…
だから、私は障害については出来るだけ説明するようにしており、
意図的だろうとなんだろうと
具体的なことが何にも書いてない&聞くと口ごもる人は採用しづらいよね…
それって「私との連絡は全部テキストベースにして欲しい!ここは譲れません!」よりずっと採用しづらいってわかってる?
貴方が私の立場なら、どう返答されるでしょうか。
私が貴方なら、自分のして欲しい具体的なことを思いつくだけ最初に全部言います
内容は広く、言葉としては簡潔に
その際の細かいコツとしては
>「指示はメモやメールなど、目に見える形で頂けると助かります」と申し上げることは出来ます。
>ただ、「ボイスレコーダーを隣に置いて仕事をし、指示を上手く聞き取れなかったときはレコーダーを
>聞き直しながら仕事をしてもいいですか?」でもいいと思うのです。
こういうのはあまり良くない
あなたとしては誠実に様々なオプションを示しているつもりであっても、
口頭で聞いてる相手はなにか、扱いきれないほど膨大で煩雑なことを言われてる気になる可能性はある
貴方が言っていたこと全てを含みながら簡潔で、相手も聞きやすくなります
なんでもないような感じに広範な事を要求するのが大事
どう返答されたらわかりやすいものになるでしょうか。
あなたの障害に対して必要なコストが「自分達に対処可能なものか」について気にしてると思います
あなたは自分の障害についてわかってる範囲で「こういうことが必要ですよ」と言えばいい
もっと言えば「それなりの便宜は必要ですけど、あなた達がコントロール不可能なほどの事は何もありませんよ」
と示してあげればいいだけ
まず、私の中では、
障害者=怒られない、は存在しない。また、障害者=必ず配慮されるべき者……ではないような気がする。
そもそも、間違えた部分は、注意されるべきだし、怒られるべきだと思う。指摘されなければ、間違いは分からないのだから。
理不尽なのは、『何故』怒られるのかが『分からない』こと。なぜなら、『分からない』ままだと、『直す』事が出来ないから。そして、直す方法を考える手段がないまま、『直せ』と言われるのは、流石に理不尽だと思う。
ただ、それを説明するのは難しい。なぜなら、これまでの人生で口にした時は『言い訳』としか取られなかったから。
ーーと、その辺の所をぐだぐだ説明した(注:たしか、このあたりで泣き始めた)ところ、
あなたのこれは悪いけど面接という限られた時間、限られた目的のフォーマルなシーンでは真面目すぎるし深すぎる
相手がそういう話を求めてなかったのはその場に居なくてもわかる
貴方にとっては障害が日常であるからそりゃ障害についての考察は深く深くなるだろうけど
相手はその道の初心者だと言う事を貴方の方から配慮しないといけない
他の面接の例にするなら
「在学中に〇〇の研究をしたそうですが、どんなものですか」って聞かれたとして
その会社と関連性のある部分だけダイジェストにして簡潔に喋るよね
その研究の科学史上の深い意義や本質とか、それやってるときの自分史とか、研究完成間近に愛犬が死んだドラマとか、
>「普通の人なら、間違えたら『違うやろ』って叱れる。でも、障害者の人を叱ることは出来ない。
>なぜなら、障害が原因で間違いを起こしていたとしたら、それを叱るのは理不尽でしょう?
>それならば、そもそもその向かない仕事はしてもらわずに、出来る仕事をしてもらえばいい。
>でも、貴方のように目に見えない障害で、何を配慮したらいいか分からないと、こちらもどうもしてあげられない。
例えば
仰るとおり、私の障害は一目で見てわかるようなものではなく、ご心配の趣旨はわかります。
そこで私は本日、自分の障害のある分野を簡単にまとめたレジュメを持参いたしました。
これに目を通していただくことで、私の障害の傾向やパターンのようなものは
どうぞよろしくお願いいたします。」
と述べれば
相手の質問が不明瞭なままでも話の流れはこっちの都合に沿って進むし
相手もそれに沿って会話を続行するよ
「どう思う?」っていう質問は確かに指示方向が広範で、あまり真剣に考え出すと意味がわからなくなる
そういう質問の仕方をする人は、慌ててるか、頭が悪いか、どっちにせよ混乱してる
私はそういう時は全部自分の都合のいい方向に回収して自分の演説おっぱじめちゃうしそれで得をしてきた
ぱっと見ると貴方には「図々しさ」と「相手の立場を読む心」と「適当さ」が足りてないように見える
過去に「図々しい」とか言われた事があってその反動でそうなってるの?
ただし深いレイヤーは避けて、浅く浅くね
ほんとにそんな統計があるなら示して欲しい。
それまとめた奴ムチャするなあw
身長のせいで女にモテなくて、男として見てもらえなかった反動か…
もう本当に修正不可能ってほど性格歪んでる奴ばっかり。
これは少し違うと思うね。
女にモテるとか考え出す以前の時期にまず
男同士の間で彼らは強い抑圧を感じてるんだと思うよ。
腕力で周囲の仲間に絶対的に劣るっていうことについて。
高校生になるとみんな落ち着いてるのにチビ男だけおかしいから浮くようになる。
(年齢的にそれ以上背が伸びる望みが絶たれてくる時期でもある)
相互の体格差も考えずにどう見ても敵わないような相手に喧嘩吹っかけるのもチビ男だった。
考えたこと無かったけど、
確かに一部の狂ったチビは女に変なことしてそうだ。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1679541.html
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html
Sexy Zoneも、Not yetも流行ってないし、会話ですらその単語を聞いたことがない。
多分、会話にそれらの単語を出すときには説明が必要となるだろう。
それは別に流行ってない訳じゃなくて、そういったのに興味がある奴が俺の周りにいないだけだ。知り合いのツイッターで話題になってないだけだ。
結局流行ってるもの、常識とされてるもの、普通とされてるものが、それぞれのクラスターで違うってだけの話だ。
俺は去年帰郷して兄弟と会話したときにRadioheadとか宇多丸とかいう単語自体が通じないことに軽く衝撃を受けたが
そういったことはありふれてる。ちょっとくらい前に話題になった「サイコ2割問題」とそう変わらない話だ。
だから、テレビで「~が流行ってるんですよ」とか聞いても、そりゃどっかで流行ってるのかもしんないなと毎回思う。
ほんとに流行ってんのか知りたくなったら、データをどっかからググって調べるくらいすればいい。
思ったより流行ってたり、流行ってなかったり、意外な層に流行ってたり、やっぱり流行ってなかったりする。
ここ最近、韓国関連のことが流行ってますよとテレビで流れると、脊髄反射のかのように毎回ネットでは反発が起きる。
「そんなの流行ってない!」だとか「そんなの普通じゃない!」とか「そんなの常識ってことにするな!」とか。
で、これはマスコミに対するネットからの批判意識として、3%くらいは評価・共感できるものかもしれないが、97%くらいはうんざりする。
「流行ってますよなんてそもそも謳うからいけないんだ!」なんて言うのかもしれないけど
逆に、結局この人達はマスコミが担っていた「普通」や「流行」や「常識」に対する信頼を持っていた人たちなのかもしれないという気がする。
オーソリティに対する信頼とでもいうべきだろうか。
「普通」も「流行」も「常識」も、クラスターによって違うということがもはや「常識」だってことはちょっとネットを眺めれば分かるだろう。
それに従って、「普通」も「流行」も「常識」も壊れてしまった。
マスコミ、メディアが担保していた共同体幻想みたいなもの、一億総クラスター幻想がそれらを作り上げていたし、それが崩壊してしまったのだから。
じゃあ何がマスコミを殺したのだろう。
一億総中流的なものから格差社会という流れもあるが、当然ネットがマスコミを殺した。
つながりあえる環境、「真実」を知れる環境、簡単に島宇宙を形成できる環境、それが可視化される環境がマスコミを殺した。
かくして、「普通」も「流行」も「常識」も「真実」も、クラスター別に存在することになった。
それに人間は耐えられるだろうか。
「ほんとう」の「普通」も「流行」も「常識」も「真実」も存在しないことに耐えられるだろうか。
だから、クラスター別に存在する「普通」や「流行」や「常識」や「真実」を「ほんとう」のことと信じて生きることになる。
ニーチェは「神は死んだ」といった。
「お前たちに言ってやろう。我々が神を殺したのだ─お前たちと俺が。我々はみんな神の殺害者だ」と。
「我々が信じていた真・善・美なる価値基準や権威を根底において担保していたものは、滅びてしまったのだ」と。
日本人からしたら、「で?www最初から死んでるしwwwつか日本には八百万いるしねwww」ぐらいのもんで
なんで、そんなことに大騒ぎしたのか分からないところがある。
だけど、「メディア・マスコミが死んだ」というのはそれくらいの衝撃が日本人にとってはある。
その影響がじわじわと色んなところで見える。
「みんな」が思ってる一つだけ存在する「普通」や「流行」や「常識」が死んだ。
お前が言ってる「みんな」って「普通」って「流行」って「常識」って何だよってことになる。
それこそ一神教から八百万の神への改宗という衝撃が実は起こったんだということがじわじわとわかってくるだろうと思う。
その過程では、クラスター別に存在する「普通」や「流行」や「常識」や「真実」を「ほんとう」のことと信じることにしたり、
そのクラスターにおける「真実」を盲信して他のクラスターを攻撃したり、クラスター別に違うモードを使い分けたり、
クラスターの中で、あるいは他クラスター同士で「ほんとう」を定めるために対話したり、クラスターを彷徨ったり、
反動として、確固としたオーソリティや序列や権威を求めて、何かに忠誠的になったり、他者に攻撃的になったり
すべてのクラスターに通じるものとして「ほんとう」のことを提唱したりすることが、日常的なこととなるだろうし、すでになりつつある。
表面上は、まとめブログによって、youtubeの再生回数によって、徐々に「大衆」における「普通」や「流行」は担保されていくことになる気はするが
その根底では、価値観を担保していたものの崩壊が徐々に起こっている。
スピリチュアルでも、自己啓発でも、ノマドでも、愛国心でも、ライフハックでも人生の指針となってくれるものを求めている。
これらの価値観でも、宗教でもなんでもそうだが、人生の指針となってくれる価値観を求める欲望は消せないし、否定すべきでない。
すべての価値観をクールじゃないと否定したあとに待っているのは、ニヒリズムか退廃と決まっている。
「ほんとう」の価値観を求めて、匿名のコメントで殴りあうことがこれからもネット上では続くだろう。
それは価値観の衝突とも呼べるかもしれないし、対話とも呼べるのかもしれない。
子供の頃、私はたくさんの習い事をした。しかしそれらは、何一つモノにはならなかった。
やりたくないピアノ、やりたくない体操、やりたくない習字… 全て嫌々やっていたので、身につかなかったのも当然だろう。
頭の悪かった私は、塾やそろばんにも通わされた。しかしそこでも嫌々座っていただけの私は、何も習得する事は出来なかった。
あきらかに素養が無かった私に、なぜ母はあんなにも色々な習い事をさせていたのだろうか?
それは「娘のため」ではなかったと思う。
母は娘を何者かに育て上げ、それによって自身の遺伝子の優秀さを証明したかったのだと思う。
子供の頃の母は、貧しく、習い事など何もしていなかったらしい。貧しかった母は、平凡な学校を卒業し、平凡な就職をし、平凡な家庭を持った。
しかし母は、チャンスさえ与えられれば自分が何者かになれる素養があると信じていた。自分は本当は特別な人間だという確信。それを証明するのが、自分の娘の存在だったのだ。
私の娘なら、ピアノを習えば世界的なピアニストになるかもれしれない
そんな期待が、娘に次から次へと習い後をさせる原動力になったのだろう。
娘を憎むようになったのだ。期待が過剰だっただけに、その反動も大きかった。期待を裏切った私は、それはそれは母に辛く当られた。まさに、身内ならではの愛憎劇である。
幸い私には出来の良い弟がいたので、それによって母の矜持は保たれていたようだ。
「娘は自分の優秀な遺伝子を受け継げなかったが、息子は自分の優秀な遺伝子を受け継いだ。不出来な娘は自分の分身ではない。優秀な息子こそが自分の分身だ。息子によって自分の遺伝子の優秀さが証明された」これが母が子育てで得た結論である。
私の母は極端だと思うが、親というものは多少なりとも自分の子供を自慢したいと考えているのではないだろうか。
優秀な子供や美しい子供を自慢したいという心理は、自身の遺伝子の優秀さを自慢したいというエゴに繋がっているのではないかと思う。
親達は口をそろえて「子供のため」と謳うのだが、私の考えは穿ちすぎなのだろうか。
単に、自分の知らないところで、男に裸を見られるのが嫌なんだと思う。
自己中だねーw
あくまで自分が隣にいれば普段着ないミニスカ履かしてもいいと思ってんだw 可愛い可愛いっておだてれば着ちゃうタイプなのかな。
バストがボリュームあるとか、身体が判りやすく女性的な女の子は下手にいやらしくならないようにファッションに気使うことって多いもんだけど。
つーか知らないところで見られるのがイヤなら一緒にサンバのスクール通ってショーに出るとかの選択肢もあるじゃんw
要は彼女さんが「オレのキライなものを好き」なのがイヤなだけでしょ。
議論になった時の覚悟はしてるよ。
むしろ、彼女がどのくらいの覚悟でやってるのかによる。
嫌われてでもやりたい、むしろその趣味を含めて私だと思って理解して欲しい、
ただ、習い事とかイベントとか、何となく楽しみでやってることのひとつなら、
こちらの意志を尊重して欲しい。
なんで「覚悟」とかいって、苦行みたいな側面見出そうとすんの? 楽しくてやってんだから、それでいいじゃん。
だいたい「楽しみでやってる」か「覚悟がある」かどうかの判定ってどうやってつけるの?
プロとしてお金稼いでるとかの判りやすい指標がなきゃ、何であっても「楽しくてやってる習い事」の範疇から出られないんじゃない?
つまり自動的に「=オレのためにやめてほしい趣味」ってことになっちゃうじゃん。ずるくない?
最初から結論ありきで、結局「話し合って、受け入れる」っていう過程なんかない。
「自分がイヤなんですううううう」っていうのを押し付けてるだけでしょ。「嫌いになっちゃうよ、いいの?」って甘えてるだけだよね。
彼女さん、ダンスも好きだけど嫌われたくない…ってなったら、その葛藤を自分ひとりで引き受けて、しかも場合によっては即答しないといけない。
大人しくて可愛くて良い子なんだろうなあ。
「その趣味をオレは受け入れられません、キミがそんなのやってるのスゴくイヤです」って、緩いけどフツーに脅迫なんですけどw
彼氏が大好きだから尽くしちゃう感じで受け入れちゃうのかなあ。自分の好きなもの曲げるのは尽くすときはいいけど、冷めたら反動凄いからなあ。
先日、とある方とゲームの話になった。その方は二児の母であられるのだが、お子さんがゲームばかりしている、という話からである。僕は小さい頃は親が厳しくてなかなか思う存分にゲームをさせてもらえなかった反動か、今でも年甲斐もなく貪るようにゲームばかりしていると笑いあった。
その時も話したのだか、ゲームに打ち込む姿勢は決して悪いものではないように思う。
コンピュータプログラムは決して裏切らない。ゲームの中でキャラクターが死んでしまったら、必ず自分の操作なり攻略法なりが(例え理不尽な理論でも)間違えているのだ。その間違いや経験不足をただし、反省し、攻略に向けて違うアプローチを探したり、腕を磨こうとする姿勢はとても善良で正しいと言えると思う。高校以下の学校教育の教科書から学ぶことでこの方法で解決できない問題はないように思う。
だが世の中に出てみれば、バグやチートで溢れていて、決してクリアできるゲームだけではないのも事実だ。
これについては今のゲームだけでは学べないと思う。
ところで、散々議論されていることだが、残虐性の強いゲームの教育における有害性であるが、これについては正直僕はわからない。どちらでもあると言える。
腕がもげる、血が飛び散る、女性が犯される、それらの表現の残虐性について理解していない子供に繰り返しそういう映像を見せることが精神に影響を及ばさないのかと言われたらそれはそうかもしれない。
せめてこれは悪い行為だ、これは残虐な行為だと理屈でいいからわかるようになってから遊んで欲しい。
勧善懲悪で帰結するストーリーならまだ救いはあるかもしれないが、そういうものばかりではない。
逆説になっていないが、だからといって、そういうフィクションを取り上げれば良い子に育つかというと当然そうではないし、実のところ僕はそういう映画やゲームが人間がもつ残虐性の受け皿になるという考え方には賛成だ。
僕は変わった少年で、ガンケシやキンケシと言われるゴムの人形の頭をもいだり、爪楊枝で串刺しにして並べているような子供だったらしい。らしいというのら本人は記憶に無いからだ。平たく言うと異常だった。
知人のA氏は、幼稚園の頃から好きな子をエレベーターに閉じ込めていて、こっぴどく怒られたことがあるらしい。笑い話であるが、笑い話ではない。
攻撃性、残虐性、独占欲、性欲。
スポーツで汗を流して忘れさせるか、ゲームや映画で一時的に発散するか、どちらが良いのかはわからないが、必ずそれは存在するところにはするし、一つ言えることは、無いことには出来ない。
教育というと、なにか良い光を当てることだけを連想するが、負の感情や悪の意味を教えることも立派な教育だと思う。
人が殺されるシーンや、女性が犯されることに興奮する人間はいたって平凡な悪人である。不思議でもなんでもない。残虐な行為に興奮できるのは、その人間が事の残虐性を理解しているからであると言える。
また、血や、死体に美を見出すような人物もまだ幾分かは理解できる。ただ美的感覚が一般人と違うだけである。
最も異常だと思うのは、最も恐ろしい人間は、なんの感情も持たない人間である。
食事をするように他人を殺し、髪をかき上げるように異性、同性を犯すことができる人間がいたら、それは異常だと思う。
理性でも、本能でも良い。そのどちらでも残虐性を理解していない人間がいたらそれは恐ろしい。
そして、そういう人物とゲームの関係性は、今のところ無いように見受けられる。
これに尽きると思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E7%94%B0%E5%BD%B0
長いけど引用。
人文知の現在については、『表象』no.01(2007)における松浦寿輝との対談において、「プラグマティックな工学知とそれによる利潤追求がすべてだ」(テクノキャピタリズム)という発想の全面化により、「人文知の成立する余地が失われた」。「いまや国家もハイ・カルチャーに興味をなくしつつあるし、オタクあがりのIT成金もハイ・カルチャーに興味をもっていない」。残っているのは、「日本における動物的スノッブあるいはスノビッシュな動物としてのオタク、その幼児的倒錯」しかないように見え、実際、「幼児的退行を売り物にするカルチャーが、日本的なオタクの特殊な表現であるということで、世界的に売れてしま」う。「2000年前後に、ドラスティックな変化があった。それまでは近代文学というものが辛うじて生きていた。しかしいまやそういう意味での文学とは違うところ、いわゆるライトノベルやケータイ小説、アニメやゲームのほうが、主流になってしまった。文学もそういうふきさらしの荒野に出てしまったと言う感じははっきりする」
しかし「素直に言って、僕はそういうものは最悪だ」と思うし、「市場の論理がすべてだとは絶対に思わない」。とはいえ、それらへの「反動として、ヨーロッパ的(あるいは東洋的)な古きよき教養に戻るというのも望ましくもなければ可能でもない。亡命知識人の体現するヨーロッパとアメリカの臨界に、20世紀の人文知の最大の可能性があった。それを21世紀にどうやって取り戻せるのかというのが、ひとつのモチーフになる」と述べている。
この鋭さはやはりすごい。
これについこの前の内田樹の話がかぶってくる。
http://blog.tatsuru.com/2011/08/01_1108.php
こちらは引用しないけど、ネット上の言論が暴力的になってきているという彼の印象と、それについての言説。
で、
サブ・カルチャーが社会において力を持つということは社会の教養レヴェルが(全体的に)落ちたということではないのか?
教養の不足、というのは、他者との距離感を錯誤する。わたし、と、あなた、の違いが曖昧にしか感じられなくなってくる。
総理大臣に『バカッ!』ということが、冗談でなくて本気で彼に伝わる、そんな感覚さえもつようになるのでは?
そして政治家もまたひとしく教養を欠き、彼らの十八番であった言葉遊びができなくなって、記者会見で泣き出す?
政治家でない私が政治家と違うのは、互いの囲まれた環境(circumstance)が違うのだから当然で、彼の言葉を理解できないから『理解しようとする』。
今そういうことを皆できなくなってきてるのではないか。
『おマエ氏ね』と書き込むひとは、案外以前より一層、本気で書くようになってきたのではないか。
二人のコトを読んでそんなことをぐるぐる、もやもや、考えた。
米国とカナダの研究チームがそんな調査結果を社会心理学の学会誌に発表した。
調査は、米ノートルダム大学と米コーネル大学、加ウェスタンオンタリオ大学
の研究者が実施した。その結果、男性の場合、協調性が高いという意味での
「いい人」は同僚に好かれるなどの利点もあるものの、
協調性の高い男性はそれがあだとなって「給与明細に反動が出る」といい、
「協調性という点での人の良さは、給与には直結しないようだ」としている。
一方、女性の場合、協調性のない態度が男性のようなメリットには
結びつかないことも分かったという。
この研究は各国で反響を呼び、例えば、オーストラリアのシドニーからは
「企業社会では無情になる必要がある。弱い所を見せれば付け込まれる。
それが現実だ」との声が寄せられた。
なんかすげー一家が出て来た。電気代が毎月1,800円とか。
まあ8割がたヤラセだと思うけど、もし本当に実践してるとしたら奇人変人の部類。
まず家の電球、一部屋を除いて全部外してる。なので日が暮れたら完全に真っ暗。夜は太陽光充電式のランタンを使ってる。
テレビも常時押し入れに収納していて、必要な時だけ取り出すらしい。
エアコンは勿論なし。お風呂の水は、黒く塗ったペットボトルを外に置いて暖めたやつを使う。
スタッフが節約の理由を尋ねると、おばさんは「(家電製品を)必要だと感じないから」「何となく」「趣味で始めたら止められなくなった」と。
家自体も、築50年近くの年代物でタダ。家具含めて居抜きで、払ったのは土地代だけらしい。
そして何より驚いたのは、子供が二人居るという点。1歳と4歳。
それを見た嫁、「この人、子供の教育費とかもケチりそうだよね。『必要無いでしょ』って言って高校にも行かせてくれなさそう」「女の子がいたみたいだけど、結婚とか出産の時どうするんだろ」「成長した子供が外の世界を知った時の反動が怖い」。
「いやいや、そういう人なら最初から子供なんて産もうとは思わんでしょ。子供達の将来のために節約してるんだと思うよ。多分」と一応返しておいたが…。