2011-11-26

もはや「真実」の「流行」なんて存在しない

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1679541.html

http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html

俺の周りでは、けいおんも、まどマギも、ボカロ

Sexy Zoneも、Not yet流行ってないし、会話ですらその単語を聞いたことがない。

多分、会話にそれらの単語を出すときには説明が必要となるだろう。

それは別に流行ってない訳じゃなくて、そういったのに興味がある奴が俺の周りにいないだけだ。知り合いのツイッターで話題になってないだけだ。

結局流行ってるもの常識とされてるもの普通とされてるものが、それぞれのクラスターで違うってだけの話だ。

俺は去年帰郷して兄弟と会話したときRadioheadとか宇多丸かい単語自体が通じないことに軽く衝撃を受けたが

そういったことはありふれてる。ちょっとくらい前に話題になった「サイコ2割問題」とそう変わらない話だ。

からテレビで「~が流行ってるんですよ」とか聞いても、そりゃどっかで流行ってるのかもしんないなと毎回思う。

ほんとに流行ってんのか知りたくなったら、データをどっかからググって調べるくらいすればいい。

思ったより流行ってたり、流行ってなかったり、意外な層に流行ってたり、やっぱり流行ってなかったりする。

ここ最近韓国関連のことが流行ってますよとテレビで流れると、脊髄反射のかのように毎回ネットでは反発が起きる。

「そんなの流行ってない!」だとか「そんなの普通じゃない!」とか「そんなの常識ってことにするな!」とか。

で、これはマスコミに対するネットからの批判意識として、3%くらいは評価・共感できるものかもしれないが、97%くらいはうんざりする。

流行ってますよなんてそもそも謳うからいけないんだ!」なんて言うのかもしれないけど

逆に、結局この人達マスコミが担っていた「普通」や「流行」や「常識」に対する信頼を持っていた人たちなのかもしれないという気がする。

オーソリティに対する信頼とでもいうべきだろうか。

普通」も「流行」も「常識」も、クラスターによって違うということがもはや「常識だってことはちょっとネットを眺めれば分かるだろう。

マスコミが死んだ」というのは、かなりの程度事実だろう。

それに従って、「普通」も「流行」も「常識」も壊れてしまった。

マスコミメディアが担保していた共同体幻想みたいなもの一億総クラスター幻想がそれらを作り上げていたし、それが崩壊してしまったのだから

じゃあ何がマスコミを殺したのだろう。

一億総中流的なものから格差社会という流れもあるが、当然ネットマスコミを殺した。

つながりあえる環境「真実」を知れる環境、簡単に島宇宙を形成できる環境、それが可視化される環境マスコミを殺した。

かくして、「普通」も「流行」も「常識」も「真実」も、クラスター別に存在することになった。

それに人間は耐えられるだろうか。

「ほんとう」の「普通」も「流行」も「常識」も「真実」存在しないことに耐えられるだろうか。

多分無理だ。根っから相対主義者だろうと無理だ。

からクラスター別に存在する「普通」や「流行」や「常識」や「真実」を「ほんとう」のことと信じて生きることになる。

ニーチェは「神は死んだ」といった。

「お前たちに言ってやろう。我々が神を殺したのだ─お前たちと俺が。我々はみんな神の殺害者だ」と。

「我々が信じていた真・善・美なる価値基準や権威根底において担保していたものは、滅びてしまったのだ」と。

日本人からしたら、「で?www最初から死んでるしwwwつか日本には八百万いるしねwww」ぐらいのもんで

なんで、そんなことに大騒ぎしたのか分からないところがある。

だけど、「メディアマスコミが死んだ」というのはそれくらいの衝撃が日本人にとってはある。

その影響がじわじわと色んなところで見える。

「みんな」が思ってる一つだけ存在する「普通」や「流行」や「常識」が死んだ。

お前が言ってる「みんな」って「普通」って「流行」って「常識」って何だよってことになる。

それこそ一神教から八百万の神への改宗という衝撃が実は起こったんだということがじわじわとわかってくるだろうと思う。

その過程では、クラスター別に存在する「普通」や「流行」や「常識」や「真実」を「ほんとう」のことと信じることにしたり、

そのクラスターにおける「真実」を盲信して他のクラスターを攻撃したり、クラスター別に違うモードを使い分けたり、

クラスターの中で、あるいは他クラスター同士で「ほんとう」を定めるために対話したり、クラスターを彷徨ったり、

反動として、確固としたオーソリティや序列や権威を求めて、何かに忠誠的になったり、他者に攻撃的になったり

すべてのクラスターに通じるものとして「ほんとう」のことを提唱したりすることが、日常的なこととなるだろうし、すでになりつつある。

表面上は、まとめブログによって、youtube再生回数によって、徐々に「大衆」における「普通」や「流行」は担保されていくことになる気はするが

その根底では、価値観を担保していたもの崩壊が徐々に起こっている。

スピリチュアルでも、自己啓発でも、ノマドでも、愛国心でも、ライフハックでも人生の指針となってくれるものを求めている。

これらの価値観でも、宗教でもなんでもそうだが、人生の指針となってくれる価値観を求める欲望は消せないし、否定すべきでない。

すべての価値観クールじゃないと否定したあとに待っているのは、ニヒリズムか退廃と決まっている。

「ほんとう」の価値観を求めて、匿名コメントで殴りあうことがこれからネット上では続くだろう。

それは価値観の衝突とも呼べるかもしれないし、対話とも呼べるのかもしれない。

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