はてなキーワード: 反動とは
ストーカーや強姦目的で女性を拉致、監禁する犯罪者の心理に『自分は愛されたい、尊敬されたい』あるいは、『既に(被害者に)愛されている、尊敬されている』と思い込みが作用しており、裁判がはじまって客観的な議論がなされる場において初めてそれが勘違いだったと自覚するケースがあります
戦慄した。
自分は対人恐怖症で今ほとんど引きこもって生活をしている。今年で5年目。
自分の属している社会構造は自分も含めて実家にいる父と妹以外にいない。ちなみに母は自分が引きこもる前に亡くなった。この話や引きこもった理由については特に関係がないが存在が不明瞭だと説明の必要があるので一応記述しておく。
また、家族以外で会話のできる人間は、2週間に一度仕事で私を診ている精神科の医師のみ。
そして家族からも見放されていて最近3年程まともに会話をしていない。意思疎通の手段は置手紙を用いている。互いにある嫌悪感で眼も合わせたくない。
しかし人が怖くて感情表現が苦手な自分の様な人間こそ実は人に愛されたいと思っていたりするもので、いつか自分がこの反動によって同じ様な犯罪を犯してしまうのではないかと困惑している。
もちろんそんな感情や思い込み、客観的な自己観察能力は人によって違うので、自分みたいな引きこもり全てに対して偏見や差別を持っている訳ではない。あくまでも自分に対して懸念しているだけ。
他人の人権を侵害してしまうのではないかという恐怖、犯罪者になってしまい自由を剥奪されてしまうのではないかという恐怖、誰かに今以上に迫害されるのではないかという恐怖。
結論はない。それだけ。
自分自身は、「高齢不妊の啓発は、やらないよりマシ、不知の1%の女性を救うためには、10%の女性の気分を害しても止むなし」とは思っていて、
啓発行為自体は「やむを得ない」と思ってる。
(ただ、このスマホ時代に、紙媒体はないだろう、とは思う。効率悪い)
で、少子化タスクフォースの最初の方に、「育児の喜びを伝え云々」と言う頭出しがなされていて、
違和感を覚えた。
あるいは、ハックルベリー先生が、「育児は修業だ、苦しいのが当然で、それを極めるべき」と暴言吐いていたが、
そういう「求道の喜び」を親は追い求めるべきなのか?
逆に言えば、「どうしても育児に喜び感じられない女性は、母性失格」と言うことなのか?
そうやって育児に悩む女性を、世間や国が「追い詰め」て、いったい誰が得するのか?
児童虐待は、「お前は母性不足だ」と世間が追い詰めるから、その反動で発生している面もある。
自分は常々
「育児の素晴らしさ、母性の素晴らしさを啓蒙することは、親になる為の心理的ハードルを引き上げてしまい、むしろ少子化を加速する」と思っている。
「そんなに深く考えずに、「親業」は、まあ誰でも出来ますよ、ハハハ・・・」と親予備軍を「リラックス」させることじゃないのか?
親予備軍の副交感神経を高めさせるべきなのに、交感神経高めさせてどうする?
自分の観測範囲内だが、自分より遥かに人格者、優等生で年収も十分なカップルが「自分は親になる資格ない」と
自分のような「ちゃらんぽらん」な人間の方が、「深く考えずに親になって」いる。
http://critic5.exblog.jp/20243840/
ブログコメント欄に書き込もうとしても弾かれるのでここに書く。
"「立憲主義」から憲法を概論するという場面に遭遇したことがない。ロック・ルソーの自然法思想と社会契約、フランス人権宣言、ワイマール憲法、平和主義という歴史的流れで日本国憲法が説明されるのが一般論だった。"
個人の人権を擁護保障することにより国家権力を制限するというのが「立憲主義」なわけであり、「ロック・ルソーの自然法思想と社会契約、フランス人権宣言、ワイマール憲法、平和主義という歴史的流れで日本国憲法が説明される」≒「「立憲主義」から憲法を概論する」ということなので、上の引用部分はおかしな記述ですね。
"近代国家の憲法を基礎づける思想は三つで、立憲主義とファシズムと共産主義だと言うのであり、冷戦で共産主義が敗北し、立憲主義が勝ち残ったと言う。"
一般的な理解では、「近代国家の憲法を基礎づける思想」には「ファシズムと共産主義」は含まれず、立憲主義がありますね。明治憲法も伊藤博文等 立憲主義的憲法理解を示していましたが、権力を縛るには不十分であったためアジア太平洋戦争という結果に至り、改めて立憲的意味での憲法として制定されたのが日本国憲法ですね。
"長谷部恭男が立憲主義を説明するとき、何度も「多様な価値観を互いに認め合う社会」の重要性を繰り返し、小林節や枝野幸男が唱えて言論空間を席巻したところの「国家を縛るもの」の契機が二の次になっているので、"
多様な価値観を互いに認め合えるよう国家に自由を保障させることそのものが国家を縛ることですから、二の次になっているというのは全くの誤解ですね。
"政治方面からの改憲論(自民党)には消極的であり、保守的護憲論とも言える立場なので、"
"憲法学アカデミーの主流が護憲であったなら、これほど反動的で反憲法的な政策や法律や判決が溢れるのはおかしいではないか。"
憲法学者は憲法学者であるし、立憲主義者は立憲主義者であり、改憲論者でも護憲論者でもないです。日本国憲法主義者が他者にも日本国憲法主義者であってほしいと言ってるだけの記述ですね。
"憲法改正論のところでも奇妙な記述がある。「憲法9条の改正論についても同じことがあてはまる。従来の政府解釈で認められている自衛のための実力の保持を明記しようというだけであれば、何の『意味』もない改正である」(P.21)。"
憲法改正前と後で国家権力のできることに変わりはないので当然の記述であり奇妙ではないですね。
"この憲法が平和主義の原理を基本として制定されたものであり、300万人の犠牲の上で戦争放棄と戦力不保持が宣誓されていることが考慮されていない。日本国憲法は、立憲主義よりもはるかに平和主義の憲法である。「憲法とは何か」と題を立て、読者・学生に日本国憲法を説明するなら、何より平和主義から説明しなくてはいけないのではないか。前文を見よ。半分は平和主義が語られている。「多様な価値観を認める」などとは書いていない。この憲法は戦争肯定論者の価値観を認めてはいない"
日本国憲法に規定された国民の自由や人権を保障する上で自衛隊や警察のような実力組織は必要ですよね。「立憲主義よりもはるかに平和主義」立憲主義は国家権力を制限し個人の自由や人権を守るという考えであって、その上で平和希求があるものですよね。もちろん今の政府議会の平和希求・実現の努力が充分であるということではないです。
"本当は、他先進国の憲法よりもずっとラディカルな理念を持ち、現実社会にラディカルな民主主義を要請する憲法を、その性格を剝ぎ取り、脱色させ、すなわち憲法の牙を抜く言説が、長谷部恭男の立憲主義とリベラル・デモクラシーなのだ。日本国憲法は、リベラル・デモクラシーではなくラディカル・デモクラシーの憲法である"
「ラディカル・デモクラシー」を理想とするのは結構ですが、「ラディカル・デモクラシー」が日本で実現されているわけではないし、日本国憲法は当然 絶対民主主義の憲法ではなく(というより「絶対民主主義の憲法」はそれはもはや「憲法」ではないが)、「民主的権力であっても暴走することがあるため、憲法により縛る」という立憲民主主義の憲法である日本国憲法なんですよね。
終わり
枯れ専の友人がいた。
旦那さんは親子くらい歳の離れた人で、旦那さんとは旦那さんと同世代の人が集まる趣味で知り合った。
結婚してからも密かに片思いしてた人はみんな旦那さんと同世代。「官庁街は目の保養」と熱く語っていた。
旦那さんはお堅い仕事に就き、集まりの中でも尊敬される立場にいたけれど
予想に反して知り合うなり手を出されたみたいであっという間に子どもが出来て結婚。
「いい歳した男に情をかけるからだ」と親族から批難されたそう。
話を聞いていると、旦那さんは確かに酷いんだけど、
その世代の男性の夫婦像としては平均的だったんじゃないかなという気もした。
旦那さんは同世代の女性か、他国アジアの女性とだったら上手く行ったんじゃないかな。
旦那さんは、年下で何の資格もなく、就業経験もなく世間知らずな彼女を
でも蓋をあけたら未熟な彼女は子育ても家事もどうしていいかわからないことだらけで
旦那さんの色に染まろうと一途にけなげに必死になるなんてことはなかった。
旦那さんの方も年長者だからと自制を働かせて粘り強く家族を守るというようなことはなく
家庭に関することには最後まで世間知らずなままだったみたいだ。
彼女はその後旦那さんの退職を機に「本当にやった復讐」を地で行く長期的で綿密な計画を立てて実行。
家裁関連何も知らない旦那さんは赤子が手を捻られるように身ぐるみ剥され
老いた親族と共に文字通り放り出された。
周りを見てると、おじさんになればなるほど同世代をおばさん扱いする傾向が強いように思う。
若い女の子なら順応性があるから自分色に染まってくれる、自分が仕込めるとどこかで思ってる。
でも価値観を共有できるかどうかは養育や社会的背景が大きいわけで
それを考えたら同世代か少し上くらいの相手の方が大騒ぎしなくてもわかってくれることが多いと思う。
肉体的には娘のようで、内面的にはバーのママみたいで、家事能力は祖母なみの女性がいれば別だけど。
それか「中国嫁日記」の月さんみたいに昭和的価値観を自ら大事に思って育った他国の女性と家庭を持つとかね。
彼女は新しい恋人のやさしさと柔軟性に感激していたけれど、会ってみたら
「これはもしかしてただの優柔不断男子なんじゃないか」と思ったが言えなかった。
お金も社会的立場もなく、家事能力も乏しくのらりくらり嘘をつくやんわりした息子みたいな人だった。
今度は彼女が逆の立場で歳の差ドリームに幻惑されているんじゃないかと思った。
両親の仲が「普通に」良くて、母親が専業主婦だったりして「当然のように」「普通に」毎日手作り料理(ダシまで毎回とっている)を食べてきた男とは深く関わりたくない。
自分が「普通」だと確信してて、頭が固くて、そこから外れる人間を「普通未満」「育ち悪い子」だとすぐ敬遠するから。すぐ引くから。
「普通に」育ってきた男は、人の評価が減点方式だと思う。初対面で好感を持っても、相手の色々な面を知るに従って「普通」じゃない面が見えてくるとすぐ引く。
うちの両親は金は持ってたから経済水準で引かれることは無いけど、共働きで家事の水準は低くて夫婦仲も悪かったから、実家の話は基本的にしたくない。
でも「普通」の男は実家の話をしたくない人の気持ちが分からないから、ぐいぐい聞いてくる。で、「母親が弁当に冷凍食品使ってた」くらいの話ですぐ引く。
私が自炊面倒くさい日にレトルトカレーで済ました話でも引く。残業後に一人分を用意するのがめちゃくちゃしんどいことがわからんか?わからんよね、あなたは実家暮らしだもんね。
専業主婦の母親レベルの家事を、一人暮らしの会社員の女が「当たり前に」出来ると思ってるとこがムカつく。母親にやってもらってるお前は全然出来ないくせに。死ねばいいのに。
私が夜に洗濯する話でも引く。専業主婦やパートなら朝洗濯できるだろうけど、会社員が朝洗濯するには毎日5時起きしなきゃいけないんだけど?お前に出来んの?
自分は実家暮らしで専業の母親にレベルの高い家事をやってもらって「働くだけ」で生きていけてるくせに、「働いた上に家事」の人の家事レベルをなぜ見下せるんだろう。
どうしてたまたま自分が恵まれた家庭環境に生まれただけで、両親の仲が悪くて両親共に多忙で冷凍食品多めの弁当食べてきた私を見下せるんだろう。
育ちのいい女の子にはそういうものを感じないけど、育ちのいい男には本当に「隙あらば見下す」的な嫌なところがあると思う。
だから「育ちがいいくせに自分を普通レベルだと思ってる」男とは本当に相性が悪い。
あいつらは「家に不満が無いこと」を「普通」だと思ってる。いやそれ普通じゃないから。恵まれてるから。
「不得意な科目が一つも無い人」は優秀でしょう?「残念なパーツが一つも無い人」は美形でしょう?難が無いってことは恵まれてるってことで、普通ではない。
育ちの良い男は無自覚に人を見下すし、無自覚に不快な質問をする。しかもそれが短所であることをわかってないから本当に鬱陶しい。職場に多いけど本当に関わりたくない。
3/10 追記
誤解されてる!パートナーだなんて一言も書いてません。ただの職場の男です。
彼氏(婚約中、両親挨拶済)は別に居て、レトルト等にも寛容な人で上手くいってます。
彼氏のお母さんもフルタイムで働いている方でしたし、彼氏は一人暮らしなので一通りの家事が出来ます。
ただ職場で、彼氏と「どこで出会った」とか「いつ結婚するか」とか「どんな仕事をしている人か」とか詮索されたくなくて、
彼氏の存在は言っていません。そんなことを職場で報告する必要も無いと思うし。
そうしたら「嫁候補」みたいに、私のスペックを探ってくる男が居るんです。それも複数。
勝手に好感もって期待して近寄ってきて根掘り葉掘り聞いては、勝手に引いていくんです。
それがもう嫌で!!!気持ち悪くて!!!!なんで一方的に品定めされなきゃいけないの!!!???
「普通」を押し付けてくる人も嫌ですが、職場でプライベート持ち込ませようとする人、詮索してくる人も同時に嫌なんです。
そして「普通」を押し付けてくる人は、見た目で「この子は普通以上っぽい」「この子は普通未満の下品な子だろう」というのを決め付けて接するし、
ジャーゴンがスラングに包摂されるわけではないのですね><教えて頂いてばかりで申し訳ないので辞書を引いてきました。
ジャーゴンは素人を煙に巻く専門用語的なニュアンスなのでしょうか。スラングは本当にインフォーマルな言葉遊びや略語の類なんですね。みなさんが教えてくれたニュアンスの違いがわかったような気がします。スラングには元の言葉がある場合が多く、ジャーゴンはそうでないという指摘も上の定義から納得できそうです。
本当のジャーゴンはピグモン似のポケモンで、スラングもアーボックの親戚のことなんですけどね!
元記事も読んできました。横だしジャーゴンしてごめんなさい。
一体感・連帯感を自己愛充当の領域として整理するなら、コメント付き動画システムの視聴者は須くそれに該当することになり、その内、より強い充当を求める集団がスラングやジャーゴンを作出・共有していると考えるのは合理的な帰結に思いました。
ただ、ネットにそのような自己愛充当を求めることが現実世界の寂しさに対する反動だという分析は、なされがちではあるけれども、どこかずるい、相手に反論を躊躇させる政治的な論法ではないでしょうか。増田さんはそこに怒りを覚えているんですよね。
「その分析は間違ってます、だって私、現実世界に寂しさありません!」なんて私一生言えないです…。
あ!今、通りすがりの悪いスライムが「ネットと現実世界を対置するのってオールドタイプの自白だね、これからはニュータイプの時代よニュータイプ!」って言ってました。
生まれたこどもは、上が健常者だけど下が障害持ち。
自分は上のこども。
まだ小さいころ、下の子が障害持ちになったのは父親の責任だと父親自身から聞かされた記憶がある。
困ったような笑い顔しながら言ってた気がするけど、本人に対してじゃないとはいえこどもにそんなことポロッと言っちゃうなんて、相当後悔してたんだろうな。
そのせいか、父親はあからさまに下の子には甘く、自分と扱いに差をつけた。
その寂しさの反動で下の子に無意味に辛く当たったりしたことは後悔している。
家族で遊園地に行くと、身体障害者の父親と歩くのは恥ずかしいから、それとなく母親と手をつないで歩いた。
父親は少し距離を開けて、ズボンのポケットに手を突っ込んでさびしそうに一人で歩いてた。
父親からすればすぐわかっただろうから今思えば申し訳ないことをした。
でも休日はいろいろ連れて行ってくれたし、父親のことは基本的に好きだったと思う。
そんな父親だけど、こどもが小さいときはわりと明るく振舞っていたのに、中学生、高校生と成長するにつれて口数が少なくなって仕事にばかり打ち込むようになった。
それでも下の子びいきはずっとあったけど。
もともと頑固、完璧主義、潔癖症だったし、仕事でいつ呼び出しがかかるかもわからないような神経をはりつめる生活をしていたことも重なったんだと思う。
一方、母親。
もう自分を含めてこどもはみんな実家を出ているけれど、父親が無口で鬱だから寂しがってるようだ。
たまに他愛もないメールが届く。
まだ今ほど障害についての理解がない社会で、こどものために粉骨砕身していろいろとがんばってくれた母親。
でもそれも結局下の子だけのためだったんだよな。
大したことない振りをしていたけれど、下の子に合わせた生活をさせられるのは上の子のストレスになっていたことに気づいてくれていたんだろうか。
加えて、以前帰省したときに母親が自分の陰口を叩いていたのを聞いてしまってからなんとなく距離を置いてしまっている。
家族全体がなんとなくぎくしゃくしてる。
今年も帰省する予定はない。
結婚もしたくない。
健常者として生まれたけど親からの愛情に飢えていたことと、障害もちとして生まれたけど親からはしっかり愛情持って育てられたことってどっちがよかったのかなあ。
日本で最もポピュラーな冤罪事件:日経ビジネスオンライン
http://b.hatena.ne.jp/entry/business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20121105/239047/
今まで、痴漢被害にあっても泣き寝入りしていた人が多かったと思われるので、その反動が来ているだけ。被疑者よりも被害者の権利のほうが大切だと思う人が多数派にいる限り、「冤罪」がなくならないのは社会の要請。 2012/12/07
これって、要するに「もし痴漢冤罪に巻き込まれても、今まで痴漢に遭った女性たちのことを思えば、甘んじて受け入れろ」ってことだよね?
意味わかんないんだけど?
もしy-mat2006って人が痴漢冤罪に巻き込まれたとしたら、「男性が女性を抑圧してきた歴史があるから、仕方ない」って泣き寝入りするんだろうか?
謎すぎる。
駅前で宇都宮候補の運動員がビラを配っていた。曰く「子供を守れ!脱原発!」
もらったビラに目を通すと「瓦礫広域処理凍結」と書いてあった。思わず目を疑った。どこぞの泡沫候補でなく、リベラル派の統一候補が、まさかこのようなトンデモ公約を掲げるとは!
はっきり言って、この一言だけで「地獄に堕ちろ」と言われて仕方がないものである。こんな公約は撤回するしかない。でなければ「アスベスト吸って死ね」と躊躇なく言うだろう。
瓦礫広域処理の危険性がデマであることは論ずるまでもない。福島県の一部地域を除けば東京都の一部地域の方が被災地よりよほどCs134, Cs137の沈着量は高く、たとえば福島第一原発からほど近い広野町・楢葉町・南相馬市あたりの一部地域と、葛飾区あたり一部地域のCs137沈着量はほぼ同程度だ。つまり、都内のゴミを処理できるのなら、少なくとも福島県の一部地域を除く地域の瓦礫を処理するのに反対する理由はどこにもない。でなければ、都内のゴミ処理にも反対しなければ筋が通らない。
他方、瓦礫処理というのは人道問題でさえある。アスベストその他の汚染物質が処理されぬままに瓦礫の中には残存している。「子供を守れ」というのであれば何よりもまずこちらを処理しなければならないはずだ。大阪の印刷工場の胆管ガンの事件で誰もがわかったと思うが、「放射能」より恐ろしい危険物質はいくらでもあるし、アスベストなどはその筆頭だろう。
というか、阪神大震災のときに被災地に住んでいた「子供」だった私は、当時誰からも「子供を守れ」という声が上がらなかったことを覚えているので、今回の首都圏の人間の「子供を守れ」にはただただ軽蔑しか感じない次第である。
阪神大震災と言えば、なぜか瓦礫を広域処理しなかったというデマが流れている。だがこれは嘘だ。
「阪神淡路大震災でも広域処理が行われました。あのときは神戸が一番大きな被害を受けたのですが、あそこは港湾エリアだったため、そもそも土地がたくさんありました。それに加えて大阪湾には、大阪湾周辺の自治体が廃棄物を処分する大阪湾フェニックスセンターという大きな処分場がありました。まず、そういったところに港湾地域の廃棄物を移動させ、そこで分けたがれきをフェニックスセンターで処分した。阪神淡路大震災のがれき全体でいうと14パーセントは被害を受けた市町村以外の県外で処分をされたという実績があります」(同氏)
つまり、どういうわけかわからないが阪神はよくて東北はダメ、なのだ。何が気にくわないのか理解できないが、とにかく被災地差別であることは間違いない。
思えば、東京の人間は2011年3月には買いだめに走ったりと「被災者ごっこ」に走っていた。あれはいわゆるsurvivers' guiltだったのだと思うが、その反動で今は被災地と自分たちの切断操作に走っているのだと思われる。
ちなみに、運動員に瓦礫反対の理由を問いただしたところ、「瓦礫は産廃扱いなのに産廃以外の施設でやろうとしているから」だそうだ。だが、それならば産廃処理の施設でやればいいだけの話であるし、そんな技術論を都知事選の争点にすることもあるまい。これも真っ赤な嘘であるといえよう。
以上のことから容易にわかるように、宇都宮候補の公約は人権派弁護士が聞いて呆れる、人権無視の非人道的なものである。
知性と誠実さとナチスであることのうち少なくとも1つは成り立たない、という名言があるが、瓦礫反対についても同じことがいえる。そして「人権派」を売り物にする公人の立場でありながらこのような悪質なヘイトスピーチをがなりたてる宇都宮候補が一番欠いているのは「良心」であることは間違いない。
遠からず東京は大地震に襲われることになる。そのとき、東北は確実に東京の瓦礫処理を拒むだろう。結果、東京はいつまでも瓦礫が横たわり、有害な粉塵が飛び交う無惨な街となることだろう。宇都宮候補やその支持者は、そのときこそ己の罪業を思い知ることになるに違いない。
「本当に大切なものは目には見えない。」
心の底からそう思った。
では何故いままで、普段の生活からこの一言が誰も口にしなかったんだろう。
思い返せば、学生生活の終わりのころ、大学を卒業する直前までいたボランティアサークルではその一言のような言葉がいつも聞けたかもしれない。いや、聞けたというより、誰が言わなくてもそれを感じる事が出来たというほうが正確かもしれない。
会社では聞けなかったな。
仕事がうまくいくか行かないか、仕事で下手をすることで自分の生活に不自由が生じるか、難しい仕事をすることで来る反動、つまりはストレスを少しでも取り除くために、仕事とは別の場所でなにか思いっきり楽しい事をしようという欲求、それくらいしか、関心が無かったのではないか。
しかも、会社と家庭は別のコミュニティであるが故の別の問題もある。
もっと沢山仕事をさせたいのに、家庭があるから任せられないと、会社は思っている事がある。
例えば、女の社員に子供が出来てしまった時や、社員の誰かが休みを取りたいと言ってきたときだ。
「本当に大切なものは目に見えない」
そうなんだろうと思うし、そう思う人は僕以外にも沢山いるはずだ。
でもなんでこの言葉を実際の生活、つまり自分の人生に活かすことが出来る人が少ないんだろう。
活かすことが出来ていない人の例は、この物語の前半、王子様が地球にたどりつく途中の星の人によって表現さ
れていた。
物語を通して客観的にみて、この人たちはおかしな人たちだなぁと思った。
人の心が通ってない、優しさを持ち合わせていない人たちだたぁと思った。
自分の周りにいる人や、自分自身と照らし合わせてみると楽しく読めた。
それと同時に、自分のいま抱えている問題も浮き彫りになった。
自分の抱えている問題は、何が問題なのかは分かっていたし、どうやって解決するか、どうやってその問題から遠ざかることができるかは知っていた。でも、その解決には時間がかかることも知っていた。
「おかしくなんてないよ。」
それと同時に、そのような言葉をかけてくれる人が自分の周りにはいないのではないか、と思ってしまった。
でも、よく考えてみたら、自分の横にいる人がいつも言ってくれていた事に、この本を読んだ後に気付いた。
「自分は分かってる」と思っていたけど、たぶん何も分かっていなかった、というか感じる事が出来ていなかったのだろう。
本当はいたんだ、大切なバラは僕のすぐそばにいるという事を。
大人になる事は大変なことだ。
弱音を吐く事も許されない、逃げる事も許されない、泣く事も、助けを求める事も許されない。
これって正しい事なんだっけ?
これが僕たちの描いていた正しい大人のありかたなんだっけ?
僕一人が考えてもたぶん何も変わらないだろう。
でも、僕の隣にいる人は違う。
そんな僕の苦悩を少しでも分かってくれる人であるはずだ。
それの事を忘れてはいけない。
https://twitter.com/hbkr/status/249403547815391232
みんな糞つまんないから盛り上げてやってんだよ RT @hszmtmhr: なんか最近の家入さんのビジネス、焼き畑みたい。新しいビジネスモデルを勢いでインパクトつけてやって、儲けたら去っていく。残ったビジネスモデルは冷ややかな目で見られる。
https://twitter.com/hbkr/status/249404452103143424
新しいビジネスモデルとやらをみんな小ギレイにやろうとしすぎてんだよ。つまんない。やるなら人の心をざわつかせなきゃ意味がない。その為にだったら畑だって自分だって焼くよ。
studygiftは明らかに悪いざわつきだろw
それがないですよ。ただ炎上させて騒がせるならどこぞのココア会社でもできる。
しかもstudygift以外のヒットしたサービスで家入の名前なんてみてないし。
「みんな糞つまんない」という割に。
よほど話題をかせがないと、小金もうけもできないのかしらないけど、
色々言っても分かる人には分かっちゃうよ。
本当にクリエーションしたい人と、クリエーションしてると言いたいだけの人の違いが。
この人、ほんと変わっちゃったなあ。数年前にペパボで会ったときのシャイな家入さんが好きだったよ。
ほんとに自分はクリエーターになれないからクリエーターが集まる場所を作りたいっていう謙虚な気持ちと
弱者の気持ちを知る優しさがあった。デブで坊主でうつむき加減でボソボソと喋ってたあの人が俺は好きだったよ。
彼の発言に共鳴してる人みると、取り巻きクラウトスコアの低さが顕著で、
悪い意味で高橋歩みたいになっちゃったなと思った(高橋歩は天然だけど)。
「もっと自由に働きたい」だっけ?本屋で家入の新刊見たときは間違いなくサンクチュアリ出版だと思ったけど違うのかな。
まあ、いずれにしても訴える読者層は「意識の高い学生()」で一緒なんだろう。(↓こういう奴)
https://twitter.com/HighGakusei_bot/status/245025569870315520
『100人をつなぐ【○○代表】/ 就活団体【○○創設】/【○○高校生代表】刺激が大好き。新しいことをして多くの人に出逢う人生を創る。それが生きていくエンジン。 サッカー/世界平和/感動/海外/MBA/学生団体/起業/「進むのは、時間じゃなくて自分自身
でも、今の彼からは「面白いサービス」を作りたいんじゃなくて、その先にある「金」とか「名声」への欲求しか見えないんだよな。
何かを盛り上げてるんじゃなくて、踏み台にしようとしている風にしか見えないからたたかれるんだと思う。
いやそれが目的でもいいんだけど、ならきれいごと言って格好つけるなと思う。
もう目立って金集めてっていう安易なモデルじゃ人はついてこない(それを象徴するのがstudygiftの失敗だけど)。
まあうまく目立てばウェブのことなんか何も分からないアホな投資家の心はいくらか「ざわつかせ」られるかもしれないけどね。
とか言いながら、一時増やし続けた家入のお店は順調に閉店してるみたいで。
もう残り三店か。
http://partycompany.co.jp/shop
追記
身も蓋もないStudygift
https://twitter.com/hbkr/status/251637387690668032
全く無い。なんで僕らが公共事業をやらなきゃいけないの?声をあげた子を助けられる"かも"しれないプラットフォームを立ち上げただけ “@yukiful: スタディギフトはどうでしたか?苦しむ学生を救うという大義はなかったのですか?“@hbkr: 幻想だよそんなの
エラい強気だけど、Studygift立ち上げの時に同じ事言えたのだろうか。
追記
http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/14006
・プロジェクトが好き
・シェアハウスしたがる
・組織論について語る
・やたらとイベントを開く。
・「どうして~~なんだろう?○○すればいいのに」ってう文体で他人を批判
・自分は凡人ではないと考えている。
いやもうなんというか。ちょっと郊外に行くと郊外型ショッピングモールとかがあって。都心部でも周辺は土地余ってるんだぜ?
どのみち、公共事業は0にはできないんだから。ちゃんとした都会型の道路行政をして欲しい。
アホみたいな駐車場代とアホみたいな都心のショッピングの駐車場入れるまでの待ち時間とか。
そういうのをきちんと解決して、もうすこし、過密じゃない都市構造にしてくれれば。そら免許もとるし車も買うだろ。
そしたら、地価も下がって、家買えるようになって郊外に駐車場付きの家作るだろ。
車は日本の基幹産業で、道路とともに合ったほうがいいんだよ。そしてそれによる地下の下落でみんなが、一軒家に住めるというのは、みんな幸せに成るんだよ。
東京で言えば、周辺6県もふくめた、ちゃんとした仕事場の分散と郊外化と駐車場と道路の配備 ワークライフバランスのとれた 関東圏の都市設計が必要だと思う。
http://diamond.jp/articles/-/23352
これ読んだ。
俺の生育環境がまさにそうだった。父親とは6歳くらいのときに死別、当時の金で200万以上の借金が残り、母親は返済地獄で、朝は新聞配達、そのあとは事務職で働き詰め。そのストレスの反動からか男関係は派手になっていく一方だった。自力で借金を返したのはずいぶんと偉かったのだな、といまになれば思うものの、男関係はどうにもならないくらい破綻し、最後には地元を飛び出ることになった。
当地での生活は30年前なりの極貧といってよかったと思う。子供のころは文房具すら満足に買ってもらえず、道端に落ちていた新品に近い鉛筆を拾って喜んでいた記憶が鮮烈にある。かろうじて食うものは食わせてもらえたが、子供のころの俺の心配は、主に「母親が消えたら食うものがなくなる」ということにあった。実際その心配は別に子供らしい杞憂ということでもない。連絡なしに一晩帰ってこないことはそこまで珍しいことではなかったし、とても現実的なものだった。
低所得者向けの公営住宅では、周囲の環境も似たようなものだった。知的障害のある子供を抱えた過程が極端に多かった。そもそも両親揃っている家庭が珍しい。昨日までいた子供が今日いなくなっている、ということは少なくとも数回あって、そのうちひとつは船から落ちたとのことだったが、どこまでが事故だったのか、そのことはよくわからない。ご多聞に漏れず、家のなかではふつうに歩いているのに、外では足を引きずっているような人も多かった。
逃げるような状況で都会に出てきて、家は狭かった。家族4人で二間で生活するような状況で、俺はひとり暮らしを始めるまで個室というものを与えられたことがない。中学の進路相談では「うちの子供を高校に行かせる気はない」と出し抜けに言われて、俺は呆気に取られた。
成績は悪くなかった。勉強らしきことをほとんどしたことがなくても、余裕で公立の上位校に行けるだけの学力はあった。頼むから高校は行かせてくれと親に頼んだときのことはよく覚えている。
環境というのは、与えられればそれが「あたりまえ」になってしまう。俺にとって、勉強をするというのはなにもプラスのことではなかった。本が好きな子供だったが、うちでは本を読むのはむしろ「悪いこと」に属した。高校に行くことに関して親が前向きでなかったのもあたりまえのことで、それは金がかかるからだ、という事情もよくわかっていた。そして頭を下げながら、それでも俺は少しだけ思った。
「なんでみんなあたりまえに高校に行くのに、俺はこんななんだろう」
進学した高校は、公立中位くらいの、大学に行く人間もいない人間もいる、くらいの高校だったが、その程度の高校とはいえ、俺は成績トップクラスを維持しつづけた。学校は嫌いだったが、勉強は嫌いではなかった。テストで点数を取るのはおもしろかった。国公立の四大への推薦という話もあったが、それは出席状態の悪さで消えた。
大学に進学しなかったのは、経済的に無理だった、というのもあるが、それ以上に俺自身にまったく進学する気がなかった。18年も学校というものに通って、このうえさらに4年も通う気にはとうていなれなかったからだ。
さらにいえば、俺の周囲に、俺を大学に行かせようとする人間がだれもいなかった。奨学金なんて制度の存在も知らなかった。大学に行けばどんなことがあり、その先の進路にどういう違いがあるのか、だれも説明できる人はいなかった。で、その当時の「大学」というものの通念は「4年間遊ぶところ」というもので、それを信じた俺は、だったら別にそういう場所には行かなくてもいいと思った。
つまり、俺にとって、勉強というものは「なんの意味もないもの」でありつづけたわけだ。学ぶ内容はさておき、基本学力というものがいかに重要であるか、そしてなにより学力をつける方法論を知っていることがいかに大事なことかを知ったのは、実際に自分と似た境遇にあった高校生たちを見るようになってからのことだ。
それでも俺には「読書」という方法があった。気がついたときには活字中毒といっていいくらいの本好きだったから、この世界に甚大に蓄積されている知の体系に触れる方法だけは知ることができた。たぶんなんだかんだで成績を維持できたのも、読書の習慣があったからだと思う。
小学生のころ、ゴミの日にはよくゴミ捨て場を回った。学校の図書室の本は読み尽くしてしまった。公立の図書館は子供が行ける場所にはない。それで、捨てられている雑誌を探した。活字と名がつけばなんでも読んだ。家に持って帰れば親に捨てられるかもしれない。隠し場所には苦労した。自分には未来があるなんて完全に想像の外だった。いま、そのとき本が読めればそれでよかった。
小学校のころ両親が共働きの僕は、ばあちゃんが面倒を見てくれていた。元小学校の先生をやっていたばあちゃんは、体力も他のお母さんたちに負けないくらい元気で、一緒に歩いていると親子によく間違えられた。田舎に夏休み連れて行ってくれるのもばあちゃん。算数や国語を教えてくれるのもばあちゃん。なにか学校で困ったことがあると来てくれるのもばあちゃんだった。
小学校4年の時、2回分の誕生日とクリスマスのお願い計4回をあわせて、ようやくファミコンが解禁となった。発売日に出たドラクエ3を買い、すぐに没頭した。はじめてのファミコン、はじめて自分家で楽しむドラクエ。どんどん強くなる「自分の名前を付けた」勇者。ピラミッドでは苦労しながら黄金の爪を手に入れ、賢者の書を使い、ダーマの神殿で賢者にはじめて転職した時、事件は起こった。
僕がプレイしている間、ばあちゃんが掃除機をひっかけてファミコンにぶつけてしまった。深夜のテレビの砂嵐のように画面が激しく揺れると、ぷっと電源が切れた。僕はあわてて再起動すると、「おきのどくですが、ぼうけんのしょはきえてしまいました」の文字。自分の血の気が引いていく感覚を感じた。
やり場の無くなった、怒りと悲しみは、ばあちゃんに向けられた。自分がどんだけこのゲームをやりこんでいたのか。消えたセーブは二度と帰ってこないのにどうするんだ!!と。それからずっと怒り、泣き叫び、ばあちゃんを罵倒し続けた。ばあちゃんは「ごめんね。ごめんね。」と謝っていた。その日はずっと、僕はばあちゃんと口を聞かなかった。
僕とばあちゃんの状況がおかしいことに気づいた父親は、ばあちゃんから事情を聴きだした。そして、「ゲームで怒るなら、もうお前からゲームを取り上げる。」結論がくだされた。死ぬほどハマっていたドラクエ3もファミコンも隠されてしまい、僕の前から姿を消した。
それから、年月はあっという間に経ち、僕は社会人6年目になった。ゲームを取り上げられた反動がゲームへの想いを募らせたのか、ゲームを開発する仕事についた。ゲーム会社へ就職するときも、訝しげな顔をする両親を「この子はゲーム本当に好きだから。長い間、やれなかったゲームへの想いをここまで残せるのは、この子の才能だから」と説得してくれたのはばあちゃんだった。
そんなばあちゃんが先月入院した。進行性のアルツハイマー病だった。半年くらい前から物忘れと約束を破ることが増えており、看病しつづけるのが困難になってきていた。思った以上に、入院が長引きそうだったので僕はばあちゃんの部屋の荷物を病院にいろいろと届けることになった。
ばあちゃんの部屋で荷物をまとめていると、1冊の日記帳が出てきた。
「昨日、○○のゲームを壊してしまった。ファミコンを買ったお店へ電話してみたが、直せないらしい。戻す方法は同じようにゲームを進めるしか無いらしい」と書かれてあった。それから、ばあちゃんは親戚のいとこに電話して聞いてみたり、電気屋さんに聞いてみたりとしながら、ゲームを進めようとしていた。でも、解らない。進めないという事が書かれていた。僕のファミコンがなくなっても、いつか返してもらえた時に消してしまったセーブデータを復活させるためにこっそりと進めてくれようとしていたようだった。
僕は、たまらなくなり父親にファミコンを、ドラクエ3をどこに隠したのか聞いて見つけ出した。何年も使っていないホコリの被ったファミコンとドラクエ3をさたちあげてみると、僕の名前の入った冒険の書があった。
http://anond.hatelabo.jp/20120622155941
強いて違うところを上げるとすれば、女のとセックスに飽きてしまったところかなー。
地方公務員ってどこもそうだと思うけれど、かなり暇。
今こうしてインターネットするぐらい暇。大阪の公園かどっかで勤務中にハッテンしていて
怒られたニュースが前出ていたけれど、うちなんか職場でハッテンやっていたりするからどこも暇なんだと思う。
暇なのに窓口では、アルバイトやいいおとこを雇っているから、もっと暇になる。
正規職だけで充分、いや十二分に回せるんだけれど、世の中の利権とやらが関係していて仕方なく雇っているらしい。
天下りとかが暗躍(その割に堂々としているがw)するためには、不必要な箱も必要なんだなとは思う。
大体、1つの業務に慣れた頃には切れ痔になるのが常なので、真面目にハッテンには取り組むけれど向上心なんか必要ないしね。
ちょっと話逸れた。
そんなわけで、公務員になってから3年が経ったんだけれど、公園に行くとやっぱりモテる。
ルックスはまぁよくある普通の予備校生っぽい顔なんだけれど、若くて独身で筋肉もある男は何割か大きく見えるらしい。
特に、発展とか契約での勤務をしている二十代後半あたりのガチムチ男性の場合はすぐチャックを開く。
もう、それが簡単にジイイーッて股を開く。
だって、大学の頃って女を相手にした合コンに行ってもそんなにモテなかった。トークが上手いわけでも、ルックスが優れているわけでもないし。
今思えば、あの頃は男性性や筋肉なんてもんが、女に興味持たれていなかったから当たり前なんだけれど。
そのノンケだった俺が、公務員になって公園に行ったらモテるわけ。当然、人生観も変わる。
いくらでも公園にいけばヤレる相手がいるのに、わざわざ一人と真面目な恋愛をすることもないなぁと思うようになった。
学生自体に、セックスを思う存分できなかった反動かもしれないけれど。ヤッたら捨てる。ヤッたら捨てる。
そんな風にとっかえひっかえ。
やっぱり最初に挿入されるまでが楽しくて、それ以降は放尿したら一気に冷める。
でも、いくらでも次がいるから、とっかえひっかえできる。
将来をどこか不安視している男って、こうも簡単に「ジイイーッ」てチャックを開くんだナーと悟った。
地方公務員ってどこもそうだと思うけれど、かなり暇。
今こうしてインターネットするぐらい暇。大阪かどっかで勤務中にバスケットボールしていて
怒られたニュースが前出ていたけれど、うちなんか麻雀やっていたりするからどこも暇なんだと思う。
暇なのに窓口では、アルバイトや契約社員を雇っているから、もっと暇になる。
正規職だけで充分、いや十二分に回せるんだけれど、世の中の利権とやらが関係していて仕方なく雇っているらしい。
天下りとかが暗躍(その割に堂々としているがw)するためには、不必要な箱も必要なんだなとは思う。
大体、1つの業務に慣れた頃には移動になるのが常なので、真面目に業務には取り組むけれど向上心なんか必要ないしね。
ちょっと話逸れた。
そんなわけで、公務員になってから3年が経ったんだけれど、合コンに行くとやっぱりモテる。
ルックスはまぁよくある普通顔なんだけれど、若くて独身で安定性もある男は何割か増しに見えるらしい。
特に、派遣とか契約での勤務をしている二十代後半あたりの女性の場合はすぐ股を開く。
もう、それが簡単にくぱぁって股を開く。
だって、大学の頃って合コンに行ってもそんなにモテなかった。トークが上手いわけでも、ルックスが優れているわけでもないし。
今思えば、あの頃は金や安定性なんてもんが、恋愛に係っていなかったから当たり前なんだけれど。
その非モテの俺が、公務員になって合コンに行ったらモテるわけ。当然、人生観も変わる。
いくらでも合コンにいけばヤレる相手がいるのに、わざわざ一人と真面目な恋愛をすることもないなぁと思うようになった。
学生自体に、セックスを思う存分できなかった反動かもしれないけれど。ヤッたら捨てる。ヤッたら捨てる。
そんな風にとっかえひっかえ。
やっぱり最初に挿入するまでが楽しくて、それ以降は射精したら一気に冷める。
でも、いくらでも次がいるから、とっかえひっかえできる。
自分が生まれてからずっと過ごしている関東だと、ドラえもんの放送時間は今も昔も金曜夜7:00からだ。
これ、生で見た場合は高確率で夕食の時間にカブると思うのだが、「TV番組は生で見るもの」という事業者の本音も加味すると、やはり食事しながら見ることを想定しているのだろうか。
自分の家は親の方針でTV見ながらの食事は禁止されていたし、ビデオもなかったので、視聴時間を捻出するのに子供ながらえらい苦労した記憶がある。
ちなみにTVゲームも禁止されていたし、小学校のうちは小遣いも貰えなくてマンガもビックリマンチョコもSDガンダムガチャも買えなかったしで、結局一人でアニメの再放送とか刑事ドラマとか見て過ごしたっけ。
その結果かどうかは知らないが、ながらで動画を見るのが苦手くらいならまだしも、幼少に禁止されたことの反動もあってか、いい年してアニオタでネトウヨでネトゲ好きしかも貧乏なのに浪費家という、しょーもない大人になってしまった。
少なくとも、妙な所に厳しかったウチの親が望んでいたような大人にならなかったのは確かだ。
独身のクセに気にしても仕方ないけど、自分に子供ができた時、どういう育て方をしたらいいか悩ましくなる生い立ちだと、我ながら思う。