はてなキーワード: 原理主義とは
…「悪事だが責めない」と「良い」の区別がつかないとすれば、それは問題では?
と煽り気味に書きかけたが、まあ言いたいことは分かる。「生活に支障をきたすことのみを責めよ」という意見は、容易に「生活に支障をきたさない浮気ならどうか?(よい(=構わない)のではないか?)」という意見に流れそうだという不安があるのだろう。だがちょっと待って欲しい。
現実問題として、『恋愛感情を伴う浮気』なら、生活に支障をきたさないというのはほぼ不可能である。遠からず「あの人と私とどっちが大切なのか」という二択を迫られる場面が生じるだろうから。そのことは、パートナーからの信頼感、子供がいる場合子供の感情など影響を与える部分が多々あることを意味する。従って、現実には一般の「浮気」はおおむね肯定され得ない。パートナーの浮気は婚姻を継続しがたい理由と見なされうるし、継続が難しくなったときその対価は当然「慰謝料」という形で償われなくてはならない。ただし、その人が倫理的に裁かれる訳ではない。これは今日の日本社会における運用とおおむね一致する。「生活に支障をきたさない」ケースとは、たとえばポリアモリーの夫婦が別のポリアモリーの夫婦(いずれも子無しで作る予定も無し)と共同で周囲に秘密にそういうことをしている場合などがこれに当たるだろう。そういう人は勝手にやってくださいとしか言いようがないし、この人たちを道徳的に裁くのは無理だと思う。
また、『恋愛感情を伴わない(一般に「プロ」相手の行為など)』場合、生活に支障をきたす割合は相当少ないことも考えられる(たとえばおっちゃんが小遣いの範囲でこっそり風俗行くとかそういうケース)。これが、一般に「プロ」相手の行為を許容する余地になっているのだろう。だが、それもまた「浮気」であることを私は否定しないし、パートナーがそれも含めて嫌悪感を示すなら当然配慮すべき(でないと生活に支障をきたす)と考える。当然のように風俗に行く「権利」などがあるわけではない。
つまり、原理主義的に「良い/悪い」という善悪論にすることが、かえって「俺は(浮気が)悪いこととは思わない。価値観は人それぞれ(だから浮気してもOK)」とか「風俗は浮気じゃないからOK」といった言い訳を成立させてしまう余地があることを考えてみた方がいいと思う、という話なのだ。現実社会の運用を考えてみれば、結局「生活に実際的な支障をきたす」案件について、その「支障」を問題にする、というスタンスの方が理にかなっているように思う。一夫一婦制を推奨するかの宗教がある程度近代社会の基盤になっている以上、この社会をトラブル無く運営していく上では「みんな悪い。ゆえに罪を憎んで人を憎まず」というその運営指針にも真摯に耳を傾けるべきであると思う。
否。
貞操観念の高さやその場の雰囲気に流されない判断力の有無。これらを持ち合わせた女性を、奥ゆかしく、魅力的だと思うのは当然だろう?
その性質を知る上で、数年という交際期間は短すぎるから、過去の行動も含めて判断材料とする。当然だ。
但し書きしておきたいのは、普通に恋愛すれば性交渉に至るわけで、処女信仰はそうした経験すべてを否定するものではないということだ。
あくまでも、好き勝手放蕩してきて、一つ一つの恋愛を尊ぶことができない自分を経験豊富と正当化し、不可抗力と弁明するような人間をフィルターするためのものだ。
心を通じ合わせて性交渉に至り、何らかの理由で関係が破綻する。これを幾度か繰り返したとして、不自然でない経験人数であるかを問うているだけなんだ。
そうやって相手の過去としっかり向き合い、生涯の伴侶にするか否か悩んでいる人間を、器が小さいと揶揄するのはいかがなものだろうか。
英語だと Austro-Hangarian Empire か Austria-Hungary だがたぶん一番一般的?
当事者の意見なんて知らん!という一種の原理主義者の意見だがあまり聞かない。
厳密にはアウスグライヒ以前だが、以後も含めて使われることもある
オーストリア大公国やハンガリー王国以外にもボヘミア王国やらその他領邦を含む概念で Habsburgermonarchie の訳語。一般にはハプスブルク帝国とも。なかなかの中二力。
カーウントカー。kaiserlich und königlich 英語にすると Imperial and Royal で英国をUK、アメリカをUS と言う様な物だが日本では通常使われない。
自分に自信があるなら、他人に誇示する必要もなく、静かに事実だけを短く言えばいい。
自分の美貌に自信があるなら、顔に塗装するような化粧をする必要は当然ないし、簡単な装いでも多くの人を魅了(魅惑)することができる。
自信がある金持ちは自分を豊かであるように偽装する必要はない。すでに金持ちだからだ。
自分の美貌に自信がある人は、顔を削って修正する必要など感じない。すでに美女だからだ。
自信がなく劣等で無能で醜い者ほど、偽装して整形し、成功した人たちを攻撃する。
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LPOD&mid=sec&oid=001&aid=0009930580&isYeonhapFlash=Y&rc=N
ムン大統領、日本の「歴史無視」を叱咤…「戦争犯罪、言葉では隠せない」
独島・慰安婦問題に対する真の謝罪と反省を促す「隣国と和解・平和共存の道を歩く」…パートナー関係を強調(ソウル=聯合ニュース)
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ムン大統領、臨時政府の正統性を強調して「歴史戦争」勝負(総合)
ムンジェイン大統領が1日午前、ソウル西大門刑務所歴史館で開かれた第99周年3・1節記念式で記念演説をしている。
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半世紀以上も日本人たちは誤解していた。韓国が反日発狂して反日発作を起こす理由について、「日本が間違っていたからだ」と誤解をしていたのだ。
もちろん日本の左翼マスコミがそう誤解するように誘導していたというのも理由の一つだが、最大の理由はそうではない。米国に敗れた後、平和病にかかった日本人が自ら勘違いをしていたのだ。
長い間そういう勘違いをしていた日本人は、今やっと真実を悟りはじめている。
真実は、純粋に自信がなくて劣等感に満ちている韓国が、自分たちの歴史や国になんの自信も誇り(自負心)も持てないことが理由だ。反日を通じて歪曲した感情を満足させるためだったのだ。
近代の価値はどこにもなく、低質な反日原理主義が国家のアイデンティティの韓国は、上から目線で日本を非難しなければ精神を維持することができないのだ。
問題の本質が韓国の根強い劣等感にあるので、日本がいくら援助して謝罪をしても意味がない。
反日が韓国の国家アイデンティティだから、韓国は「日本は当然韓国にお金や技術を捧げなければならない」と思っていて、むしろ日本が今までしてきた援助や謝罪は、韓国の反日原理主義を助長する結果だけをもたらした。
かれらは「金持ちは邪悪なので、乞食を当然助けなければならない」という考え方を持っている。
乞食の考え方を持っている醜い韓国に、自信や価値や誇りなどない。
韓国のように、米国(USA)が英国(England)を狂ったように攻撃して発狂して発作を起こすか?
米国は英国から独立して生まれた国だが、米国は韓国のように発狂する必要などない。
米国には米国の価値があり、米国のアイデンティティがあり、米国の誇りがあるからである。
自信がある美女は他人の容姿を羨望する必要もなく削り下ろす必要もないのだ。
自らの独立したわけでなく、独立に及ぼした影響はホコリ以下の微々たるものしかなく、自ら近代化する能力もなく、いまだに事大(小中華)の考え方を持っている韓国が持てる考え方というのは、朝鮮ソンビがそうだったように反日をすることだけである。
韓国が自由民主主義の価値を持っていた場合は違うが、現実にはナチズムと同じようなナショナリズム(ethnic)の考え方を持っているのが韓国なので、最初から日本がどういう態度だろうが、韓国の劣等感がなくなる可能性はなかったのだ。
それなのに異常を正常だと勘違いしているので救済する方法はどこにもない。
いくらほざいたところで整形顔は整形顔だ。
整形した顔を正常だと勘違いしている精神病なのだから、自ら変わる可能性などない。
IMFを経たにも関わらず何も気付かず成長を自ら拒否した情けなくて醜い者に、世界は優しい笑顔など投げてくれない。
ソドム(Sodom)とゴモラ(Gomorrah)は浄化される以外、方法がない。
「無明」というブログの人
社会においてある程度の格差は必要だと思うのだが、どうも「格差=差別=悪」という理論で格差無し原理主義を語る増田が多いね。
何か評価する以上は優劣の差が生まれるし、優れたものを称賛するのは社会にとって適切な行為だと思う。
問題は、妥当ではない評価による格差や行き過ぎて流動性のない格差であって、格差自体がダメなのではない。
何事もバランスが大事で、世の中の大半は白黒の二元論では語れない事が多いが、拗らせた人はどうにも汎用性の良い究極理論を求めたがる印象があるよね。
確かに「人を殺してはいけない」とか「金さえあれば何でも出来る」みたいな、世の中の99%ぐらいに適用できるルールもあるけど、100%にはならないからね。
何が言いたかったというと、受かるか落ちるかを誰かのせいにしても、世の中は何も変わらないってことだ。
私は、穏健な△△教徒だ。
しかし現在の首都では、残念ながら、ごく一部の△△教原理主義過激派が、
私自身、原理主義過激派の主張は断固として受け入れられないし、
また、同じ△△教という扱いをして欲しくないとすら思っている。
ごく一部の○○教徒が「外形的に原理主義過激派と穏健派の見分けがつかず、彼らと同じ車両へ乗車するのは不安である」
と主張し、それを受けて鉄道会社は『○○教専用車両』という対策を打ち出した。
私はこれを明確に差別だと感じている。
繰り返すが、私は原理主義過激派ではないし、彼らの主張や活動を断じて受け入れられない。
にも関わらず、私は彼らと外形的な見分けがつかないために、
公共交通機関である鉄道の一部車両に乗車することを制限されたのだ。
以上のような主張を、○○教専用車両導入を訴えた○○教徒に対してすると、
「それよりもまず、今までテロ活動を見過ごしてきた△△教穏健派が、原理主義過激派のテロ活動を抑制するべき」
だからといって、私も原理主義過激派のテロ活動をこのまま見過ごしていいものとは考えていない。
そもそも、△△教原理主義過激派のテロ活動に対して、○○教専用車両は有効な対策なのであろうか。
確かに専用車両は他の車両に比べるとテロの被害に遭遇しにくいのかもしれない。
しかし、現状その専用車両も10両編成のうちの1両程度割り振られているだけであり、
結局は、専用車両以外でのテロ活動は相変わらず発生しており、抜本的な対策にはなっていない。
下手をすると、「テロの被害にあったのは、専用車両に乗車していなかった○○教徒が悪い」
運賃をテロ対策費の名目で、ある程度値上げし、監視カメラや警備員を配置する方針を各鉄道会社は取るべきだ。
その方針の移行期間に、緊急避難的な意味合いで○○教専用車両を短期間設けるのなら、まだ受忍できよう。
しかしその方針を打ち出すことなく、このまま漫然と○○教専用車両を続けるのなら、
やはりそれは明確な差別であり、断固として抗議したい。
いやードエロかったですね!
「性」と「母」が繋がることをまったく隠すことなく見せつけてくる話でした。
大きな、生命の尊さみたいなものの上に「性」と「母」をどーんと乗せて同列に扱い、なんかイイ感じの素敵なお話にまとめ上げる手腕は流石だなと思いました。
すごいよマリィ。
茅野さんのキャラクターがまあとんでもなくエロいんです。唐突にブチ込まれる寝取られ展開には大興奮しました。
直接的な性表現がないにもかかわらず、妊娠しているお腹を撫でるだけでこんなにエロさが表現できるのかと。
またキャラクターの造形的に身体的な性的アピールが乏しく、服装は露出が少なく、胸部も臀部も特に主張はない分、
やや膨らんだように見えるお腹を愛おしそうに撫でるという行為を引き立てていましたね。
まあこのキャラクターは作中、人生めちゃくちゃになるんですが、望まぬ性行為を受け入れ、望まぬ妊娠を受け入れて母になる強さが描かれていました。
そうして母になったにもかかわらず母らしいことは一切させてもらえず、産んだ子にも会えずでとにかく悲惨でした。
自分を助けに来たかつての彼氏が目の前で殺され(たと思っていた)てからは病みっぷりが進行し、抱くだの抱かないだのでヒスっている姿がかわいそうでとても可愛かったです。
やっぱり天真爛漫でハツラツな女の子が汚され堕ちていく様は魅力的だなと思いました。
このめちゃくちゃな人生の中でどのように望まぬ性行為、妊娠を受け入れていったのか、その過程が見たい。具体的にいうと薄い本で見たい。
そして梶さんのキャラクターが輪をかけて病んでいくんですが、病みすぎて原理主義的なことを言い出すわけですよ。
でもね、それも仕方ないですよ。
自らの手の中にあったあんなにかわいい彼女がさらわれ妊娠させられ、助けに行けば子のため行かないとか言われればそれもやむなしですよ。
それは母として強くなった彼女との対比としてそう描かれているわけですけど哀れでしたね。
後半には生と死の対比みたいなシーンがあるんですが、そこで夜空に響き渡る日笠さんの喘ぎ声とても良かったです。
最近ツイッターとか見てると、”e-sportsは体を動かさないからスポーツじゃない”という主張に対してスポーツはもともと競技という意味だから問題ないんですよ!という話題が流れてくる
まあ実際問題、職業の地位向上を目指すという点でこの反論は大事だし、論理としても通ってると思う
しかしツイッターの闇というか、一度話題が上がるとハイエナのごとき人々がこぞってツイートを始めるんですね
「私の知り合いの外国人が」「英語圏に住んでる友人に」「俺今アメリカにいるけど」などなど
何よりもイタいのが日本人を馬鹿にしているような言い方をしてるツイート
辞書とか翻訳とかが溢れてるから忘れがちだけど、そもそも違う言語ではどうしても齟齬が生じがちなわけ
先人たちが見える範囲で単語を理解して、教えてもらって、その単語を使ってより難しい単語を説明してもらって、徐々に感覚を近づけた結果にあるのが今の言語理解なわけで、絶対的に意味が同じの状態ってまあないわけでしょ
なのに偉そうに「そもそも」とか原理主義的な話をしてもそれは逆に普及は遠のくじゃん、言われた方は気悪いし
ていうかそもそも論ならオリンピアの祭典がクッソフィジカルで始まって今に至ったこと考えるとe-sportsオリンピック採用に関して違和感生じてもしょうがないでしょ
ていうか!そもそもe-sportsオリンピック採用に関しては外国でも賛否両論だからな!googleでe-sports olympics comments とかreactionsで検索すれば色々出てくるから!
あれって聖戦(特攻)的な意味合いで理解されてるけど、本来は「努力」って意味らしいのよ
どっかの記事で見かけたんだけど、最初は近所の人から白い目で見られてたモスク運営してたイスラム教徒の人ができるだけ地域交流して受け入れられるようになった
さらに震災の時にはいち早く駆けつけて炊き出しを100回も続けた
この記事を見てああ、これからは軽々しくジハードだとか言わないようにしよう、とかイスラム教徒ってだけで身構えるのは良くないな、とか思ったんですわ
でもこれを例えばイスラム教徒でもない、ていうかお前誰みたいな奴に日本人は遅れてる、ジハードって別に特攻って意味じゃないしwww的な言われ方したら
「はあ?でも911とかテロとかで奴らがジハードとかいって何人も死んでるねんぞ調子のんなハゲこら」ってなるじゃん
なんていうか、外国では〜とか一面的なこという奴に限って英語できないし外国人の友人(一人か二人レベル)な気がする
そして別に日本人のe-sportsへの意見を変えようとか思ってなくて、単にrtが欲しかったり上から目線でモノ言いたいだけだと思う
いつだってことをややこしくするのは当事者ではなくて、調子乗ってる外野だったりするんだよね
・モデルは実物と見分けがつかないリアルな女体や流行りのアニメキャラ、VTuber風の3DCGが主流になる。
・音声はログから抽出されたデータを使い自由に編集、好きな台詞を言わせることが出来るようになる。
・レンダリングはアニメ調からリアル風まで自由に変更可能。これにより二次元と三次元どちらの嗜好にも合わせられる
・めんどくさい人、技術がない人向けにテンプレートや編集済みの動画が販売され、AVは個人が作り売買する時代になる
・一方で三次元女体こそ至高とするAV原理主義派も存在し現在主流のAVも細々と生き続ける
・また声優を使った音声やモーションキャプチャーを使ったリアルな動きなど個人では無理なハイクオリティなAVは企業が主に作っている
無意識に「いただきます」ってつぶやきながら合掌していたのだけれど、
「合掌」は宗教的な動作として、(特に外国人から見たら)なかなか強烈なヴィジュアルだと思う。
もっとも私は無宗教で、別に特定の神に対して祈りを捧げていたわけではない。
弁当を調理した工場の人や、食材の生産に携わった農家や、食べられるために死んだ生き物に祈ったのだろうか。
幼稚園や小学校では、だいたいそんなニュアンスの動作として教え込まれたような気もする。
「お残し」という戒律破りをすると、
どんな悪党でも、心のどこかで多少は彼らに対する罪悪感にさいなまれるわけで、
現に「いただきます」教は、いまでも食品ロス問題への効用があるはずだ。
しかしこの「いただきます」教には、少なからぬデメリットも存在するように思う。
たとえば、
①「いただきます」教の原理主義的教諭による、なかば拷問的な完食の強要。
②食品生産者への盲目的な礼讃により、消費者が「買わない」「食べない」という意思表示を示すことの困難(昨今のウナギ問題など)。
などなど、色々思い浮かんでくる。
左派の価値観(https://anond.hatelabo.jp/20180120234044)を書いたおっさん増田っす。ダラダラ長い補足をつけるのは何なので放置していたんだけど、いくつか気になるブコメをつけていただいたので、続きというわけではなく別記事で書いてみたいと思うよ。
なるべく教科書的なおおよそのところを書くつもりだけど、やはり人間なので私見は入る。明確に個人の意見の場合はマーキングします。また左派/右派って分類は今回の場合そぐわないので、革新/保守と言う表記で書くよ。
『右翼も現状否定では一致してるからな、左翼のそれとなにが違うんだろ』
革新と保守の何が違うのか? どっちも「今の社会をより良い方向に一歩でもすすめる」という点では一致しているのにどこが違うの? っていう疑問はなかなか良い切り口だと思う。
教科書的な答えは「革新は(ある任意の)理想の状況や体勢に跳躍、急進しようとする」「保守は方向に進むにしても一歩ずつ漸進(ゆっくり進む)してゆく」なんだけど、まあ要するに違いは「アクセルの踏み方だけ」。もちろん現実的には進むべき理想の方向や、その方向に進むにしても進む方法の実現手段では様々に意見は割れるんだけど、そんなもの革新と呼ばれる人の中でも保守と呼ばれる人の中でもバラバラなので、革新と保守の違いは? といえばアクセルの踏み方くらい。
でも、「違いは速度感だけ」っていうと、凄く小さいことに聞こえるし、なんでそんなことで揉めてるかさっぱりわからないよね。
「長い歴史と非常に(っていうか非常識なまでに)ユーザーの多い複合型の巨大Webサービスが存在する。日常的なメンテやバックアップはあるのだけど、このサービスに対して現在のユーザー環境や競合サービスを鑑みて大規模改修を加えることになった。
なお、この大規模回収にあたってサービスの停止やユーザーに不利益を与えることは許されないとする。また別サービスを立ち上げてのテストやユーザーのサービス間移動も許されない。
方針A:サービスを機能ごとに切り分けて細かい部分を解析して、小さな改修を加えて、少しずつ改善していく。改善を繰り返す。
方針B:機能単位、あるいはサービス単位、あるいはそれらをより大きな範囲でコードを新作してブロックごとまるっと入れ替える。」
方針Aが保守と呼ばれている思想で、方針Bが革新と言われている思想。
こうしてみると「AとBってぜんぜん違うじゃんよ!?」ってなるとおもう。主に現場の悲鳴的な意味で。
他の競合サービスへのキャッチアップや理想の快適サービスを目指すのであれば、たしかにBが良い。最近開発された新技術も突っ込めるし、技術的負債の返済もできそう。だけど、Bでなんかトラブったときの災害ってAの比ではない……。でも競合サービスに勝つため、あるいは環境変化に追従するためにどうしてもBを選ばなきゃならんこともままあるわけで……。そもそもAではなくBでしかたどり着けないサービス設計の方針転換だってある。
じゃあAの、つまり保守の言い分ってのは何なのか? と考えると「人間の集団(および集団の作るもの)なんて絶対ろくでもないアホやアホミスが混じってるものなんだから、いきなりすごいことしようとしてもコケるんだよ。今現在サービスは稼働してるんだからゆっくり進んでいくしかないんだよ」というもの。
例えておいてなんだけど国家というのはWebサービスと違って逃げ場がない。他サービスに移住とか容易く出来ないし、サービスが停止あるいは混乱したらすごい大きな迷惑がかかる。死人とか出ちゃう。だから、ゆっくり行こうぜ。と。
保守のこの言い分は説得力がある。人間は数が増えれば増えるほどカオスになっていっちゃう生き物だからだ。
革新(この場合は左派やリベラルも)は「みんなから見て素晴らしいこの理想を見せれば、その素晴らしさを理解したみんなは協力してくれるから、この理想は実現するはずだ」という理想主義ともいえる無邪気な思いを持っている。それそのものはそこまで間違ってるわけじゃない。明るい未来のビジョンも見せずに人がついてくるかと言えばNoなので、理想を見せるというのはとても重要だ。
その一方で、理想に耽溺しちゃうと説得する手間を惜しむようになる。程度の低いリベラルは「正しい理想はこれなのになんであなたはそれが分からないの? バカなの? 死ねば?」みたいな態度になりがちだ(あえて例は挙げないけどみんな心当たりあると思う)。
そこへ行くと保守というのは「人間は全員バカなので正しい理屈が他者に必ず認められるとは限らないし、ましてやそれが正しい設計や正しい実装として実現されるとも限らない。失敗前提でいくしかない」という、ある現実的な、ある意味非常に後ろ向きとも言える考えを持っている。
だが一方で、保守のその後ろ向きさは「俺はバカだしあんたも多分バカなので、今俺が考えてることを理解してもらうためには手間ひまかけて説得しなきゃならん(それでもうまくいくかどうかは賭けである)」という考えも内包している。つまり、説得したり協力したり、時には泥臭く妥協したり、薄々間違っていると思うことでも頭を下げたりすることを前提としているのだ。
私見だけど、自民党という政党が歴史とか規模において他よりの一歩抜きん出た存在になったのは、まさにこの「説得の手間ひまを惜しまない文化、意見細部は異なる他人同士が同じ舟に乗るというノウハウを持った」という理由によると思う。これがすなわち思想的政治的な正しさを保証するわけではないけれど、多人数が話し合うという政治の現場に対して技術力があるという言い方は出来るだろう。
今の日本は概ね保守な方向の国だと思うのだけど、じゃあ、この記事で説明した保守という思想に弱点がないのか? といえばそんなこともない。
革新が原理主義と相性が良くてダークサイド落ちしやすいように、保守も泣き所がある。それはおおざっぱにいえば「怠惰」だ。
「今現在サービスが稼働してて、変な改修をするとサービスが悪化するかもしれない」という考えは、一歩間違えれば容易く「今動いてるんだからこのままでいいじゃんよ」になりうる。そんな風にメンテをサボったシステムはリスクで膨れ上がる爆弾みたいなものだ。
また同じように「更新を停止して監視が緩んだシステム」は既得権益の温床になる。特定ユーザーが利益を受けたり、地位に居座ったりすることが固定化されてしまう。
この怠惰は話し合いの場にも及ぶ。「アホ同士の話し合いなんてどうせ完全な合意や完全な正解はないんだから、話し合いの内容なんて適当に打ち切って地位が上の人の命令に従えよ」という怠惰は、本当に発生しやすい。妥協が必要だっていうのは保守の言い分なのだけど、妥協し過ぎという怠惰には目も当てられない。
これらの怠惰と保守思想は本当に相性が良い。世襲制や不顕性のつい良い地方農村的な自治体とか、血族経営の企業とか。
しかし、左派がそうであるように「保守の綱紀を引き締めるのもやはり保守」であるはずだ。
そもそも、保守の真骨頂は「たゆまぬ、あきらめぬ」ことにある。
「社会をより良い方向に一歩でもすすめる」に関して、その理想の輝かしさは革新>保守だ。実現の確度を度外視して「一番良い理想をくれ!」で動ける革新に、保守はキラキラでは勝てるはずがないのだ。そういう革新の優位性にたいして保守ができる返答は「たゆまぬこと、あきらめぬこと」でしかない。
一歩一歩は小さくても、「ずっと歩き続ける」「不断の改善を続ける」「さぼらない」ことが保守思想の本質的な光だ。
その意味保守は「議論をつくす」と胸を張るべきだし、自分がメンテするシステムの監視を厳しくすべきだ。「相手が自分とは全く思想の違う存在でも、ギリギリのギリギリまで説得を続ける」という汗のかき方が保守の美徳であるはずなので、保守的には「むしろ議論バッチコイ!」くらいが健康的だと思うよ。
左派(あるいは革新)って思想的使命として守旧の政策や思想を変更していくわけでしょ。そのとき変更する方向をさだめる価値観として「より公平に、より豊かに、より合理的に、より正しく」っていう羅針盤を持っているわけよ。これはどうしたって必要なんだ。じゃないと「なんで既存の方針を変更しなきゃいけないの?」っていう問に答えられなくなっちゃう(=存在価値がなくなる)から。「より良くするために変更しなきゃならない、そのより良さとはこういう未来ですよ!」っていうのが価値提示なわけね。
左派はそういう運動をするわけなんだけど、その思想に価値があるってことを証明するためには、その価値観を全方向に向けなければならない。例えば保守の政策Aにたいして「それは差別的で公平ではない!」と批判を加えている左派が、自分たちの政策Bの差別性とか不公平性にだんまりしてたらダブスタでしょ? そんなことしてたら、左派のいうことは利益誘導でしかなくて、正義はないってことになってしまう。これはゆるされない(実際にはそういうことも割とよくあるんだが)。
左派が思想的な優越性を喧伝するためには、その思想的な潔癖さを他者と同時に自分にも向けなきゃならないわけだ。
それはつまり彼らの思想には構造的に「自分自身も、あるいは自分自身こそ厳しい批判の対象にする」って言う特徴があるってことなのね。左派を批判する代表勢力は、左派なわけ。
多くの学生運動や共産運動が内ゲバ(内部に党派が出来て互いに批判を繰り返す状況)になっていったのは、ゆえないことじゃなくて、左派の思想にそういう性質がすでにあるからなんだよ。
もちろんこれって別に悪いことじゃない。反省したり自己改革できるのは、そうでないよりよいことだ。自浄能力ってのはある方が絶対に良い。
そもそも政治運動の価値は「今の社会をより良い方向に一歩でもすすめる」ことにあるわけなんだけど、左派の唱える「より公平に、より豊かに、より合理的に、より正しく」って言う価値観を闇雲に信じる(=原理主義)になると、「唱えた正義を守るあまり、社会は窮屈で住みづらくなる」「絶対正義の断罪し過ぎで参加者全員血まみれで倒れる」みたいな状況が発生する。山荘での凄惨な殺人とか、紅衛兵による自己批判処刑とかもそうだし、言葉狩りとか、行き過ぎたPCなんかもそれで、つまりそれらは目的を見失った原理主義の起こした悲劇なわけだ。
一方これらの行き過ぎた(=原理主義の)左派にたいする批判ってのも当然にある。気の狂った左派を批判するのもまた左派の役割だから。まあ要約すると「加減しろバカ」って話だよね。
てなわけで、左派が批判されている現在ってのは、実は全然悪い状況じゃないんだよ。批判を受けない思想なんて生かしておくと害悪そのものだ。そもそも「批判が自由にできる環境」そのものが左派の求める人権的な宝の一端なわけで。「批判をたくさん受けて精錬されていくこと」は左派の望みなんだよ。
もちろん「叩きと私怨と炎上の血に酔ってる人」なんてのは左右にかかわらずWebにいるわけだけど、多分そういう人らはこの記事読まないと思うし届かんのであんま関係ないよね。
だから「左派は叩かれすぎ」なんて心配はいらなくて、むしろ「ばっち俺を叩いてくれ! その焰の中からリベラルは復活するんだぜぇ!」くらい言っといたほうが健康的だと思うよ。
再来週にもう発売なので、とりあえず1巻を予約した。
人形ダンス等の手間を考えると、誠実にクソアニメを作ろうという姿勢が感じられる。
とはいえさすがに内容がどうでもいいわけではなく、9話くらいまで見て十分楽しめる出来だったので安心してポチった。
Aqoursはラブライブアンチやμ's原理主義者から攻撃されてるので、俺が応援しなくてはという気持ちもある。
ライブは6日間もあるので4巻の大阪2日目しか応募しない予定。なのでそれ以外の巻はチケット目当てではないよ。
終わり方に批判もあるけど、大きい政治の中での末端スパイの話と思えば悪くないんじゃないか?
特典にあった細かい設定や作業の話を見ると、もっと売れて欲しかった。
1~3部は買ってなかったけど、売上が下がってきたのと4部が好きなので買った。
ツイッターで「大金払わないと岸辺露伴を見られないなんて酷い!」とか言ってるアホがいたけどほんと死ねばいいと思う。
ただ円盤の売り方には大いに不満がある。
まず買おうと思った時点で1,2巻は予約締切済みで、3,4巻しか買えなかった。
一応3巻のバーゼは組んでみたが、大きい机がないから床にパーツ広げるしかないし、腰と肩が痛くなるしで散々だった。4巻の轟雷改は駿河屋に売った。
そしたら数ヶ月経たないうちにBD-BOX発売ですよ。最初から売れよ!
製作がプラモ屋だから仕方ないのかもしれんが、プラモ自体の印象が悪くなるのはマイナスだと思うのだが…。
単純に笑えたので買った。
こちらもコミックスとのセット販売だったけど、原作に良い百合があったから許す。
最近じゃないけど、予約状況が致命的に悪いと聞いて同情心から買った。
低予算とはいえ十分面白いし、爆死するのはおかしいんじゃないかと。
結果は686枚の大爆死だったが、その後に謎の流行でBD-BOXが5700枚、OVAが9500枚売れたのは周知の通りで、喜ばしい限りである。
私立の幼稚園だか小学校だかの受験で必要書類として母子手帳(のコピー)が求められる件を思い出した。
学校側が何の為に母子手帳を要求して来るのか明かさないので、受験希望者の保護者達の間で憶測が飛び交う。
出生時の記録を抹消・捏造or最初から記入しない事を産科医に求めたりとか。
原理主義的自然派育児を行って来た保護者が、私立校受験のために情報収集してみて初めて、母子手帳のワクチン接種欄が全くの白紙であることをリスクに感じて、慌てて予防接種をさせ始める(が、今度はワクチンのロット番号が気になって仕方ない)とか。
私立校が保護者達を操っているのかどうかは定かではないが、保護者達がほとんど自主的にけつに火が点いたようにテンテコダンスを躍り狂っていることは確か。
と、似たような感じで、内申書にも生徒やその保護者達が過度に踊らされている感があった。
私が中学生時代はもうずいぶん昔の話であるけれど、普通に学生生活を送っていれば内申点が悪くて進学に響くというような事はないという感じで、内申書が問題になるのは元増田の話のようなケースとか、不良が起死回生をはかる時とか、そういう場合くらいな訳で、特に何の問題も起こさない生徒が内申点を上げる為にする努力というのは基本的に無駄、という感じだったので、内申書=悪とまで言うのはどうかと思う。
しかしブコメ見ると教師に嫌われたせいで内申点下げられたとかいう経験談があったりなどし、本当にそこまで恣意的な制度なんなら、ヤバいな。