はてなキーワード: 低俗とは
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200426-00010000-flash-ent
自分は岡村隆史氏のラジオリスナーではなく、この記事だけ読んだ感想でしかないけど、
深夜ラジオリスナーが公共の電波にのせられるギリギリの発言(つまり下ネタ)を求めているのはあったとしても、叩かれてもしょうがない気持ち悪い発言だな、と思う。
でも、そもそも下ネタって程度はあれどれも女性軽視なものでは?
自分は男性で、学生時代などはそれはそれは低俗な下ネタに興じてきたものだけど、男性が発言する下ネタというのは、女性性を消費するモノとして見た文脈で成り立っていると理解している。
※ミュージカル(広義)巻き込んでごめんなさい
※双方において「一般的」「平均的」「代表的」ファンではない自覚はあります
「君変わってるね〜〜〜」と言われて嬉しかったり煩わしかったりした。
舞台を趣味に挙げると「ミュージカルってなんかいきなり歌うよね笑」
「なんか女の人の趣味って感じ」「なんか無理なんだわ」と
聞いてもいないのに全拒絶されることがあるのですが
深夜ラジオも同じくらい全拒絶されやすいジャンルだと思っています。
俳優でアーティストでさえ下ネタを言うのが粋という世界が深夜ラジオなので。
モテとか考えるなら正直どちらも挙げないのが正解。
ラジオは主に中高生の受験勉強のお供でお世話になり、今はミュージカルに全振りしています。
今日、日本ミュージカル界の豪華メンバーによる動画が投稿されて
その界隈は大いに湧いていたのですが、
私は「自分の応援してる人いねえ・・」「人気者の集まり・・そうですか・・」と
ひねくれたおしていたので同志がいないかと探しに行ったのですが
ミュージカルでは立場の弱いひとや権利や平等を取り上げることが
非常に多いので、今回の発言に関して怒る人が多いのは当たり前です。
それがたとえ「コロナで風俗に行けないのでダッチワイフを買うか真剣に悩んでいる」
というリスナーへの回答だったとしてもアウトだったと思います。
そっかー、そうだよなーと思いながら
そういえばミュージカル(広義)でも
露骨な「オカマ」描写、頻発する「頭がいかれてる」「精神病なんだ」
とかポツポツ思い出す。
でもそこを批判されたら「わかるけど、いやそれはね・・」って
言いたくなると思うんですよ。
で、本当に一緒にするの申し訳ないんだけど
あの薄汚い番組とあの薄汚いおっさんに救われる瞬間も確かにあるんですよ。
テーマが重くて引きずったりして、でも見れてよかったなと帰路についたことも
なんか辛くて寝れなくて25時にひっそりラジオ立ち上げてしょうもない話を聞いて
低俗なネタでゲラゲラ笑って、いつもと変わらない放送に安心して眠りについた夜もある。
そして冒頭に戻りますが
「なんか歌い出すのがさ〜」という外野は
「とりあえず全部聞いて!それから言え!」と思うし
それでもやっぱり無理という人は必ず出てくる分野であり
その人を克服させることはほぼ不可能なので
まあ無理して見なくていいので放っといてください・・と思うのです。
漫画やアニメで定期的に上る乳がうんたら女キャラうんたらの議論のときにも
思うんですけど、何も知らない外野からジャンルごと石を投げられるのって
今回の発言、是非は確実に非です。
IR資料眺めてみたけれど去年の後半からユニークブラウザ数が減少に転じてるんだな。
ユーザー数は増えていると言うけれどどうせ使い捨てアカウントも数えてるんだろうと思ってしまう。
広告収入も14%減。一部のアドネットワークに接続できなかったせいという意味はよくわからないけれど、はてブが低俗すぎて広告配信を渋られたってことなんだろうか。
https://ssl4.eir-parts.net/doc/3930/ir_material_for_fiscal_ym/78937/00.pdf
https://ssl4.eir-parts.net/doc/3930/ir_material_for_fiscal_ym/78938/00.pdf
そんな低俗な僻み根性を滲ませた批判をしている人がどこにいる。
企業や客の態度が気に食わないだなんて低次元なことを言ってるんじゃない。
利用客が感染することを心配し、また外出を助長して周囲や自分の近くにも拡散されることを心配し、そしてパチンコが中毒性の高い娯楽の皮を被った実質賭博である特性ゆえに客が自制しづらい環境になってしまうことを心配して、事業者側の人間こそ安全寄りの考え方に徹するべきだと考えて、それと真逆の節がある増田に対してみな口を挟んでいるはずだ。バズって吸い寄せられてきた口汚いヤジ連中も、懸念が先に立って絡んできたはずで、言葉のアヤで人格批判やビジネス批判に矛先がそれているだけだ。
それを、正義のフリだの叩きたがりだのと愚弄して、被害妄想にとらわれ、真剣に心配する意見を受けても「それは誤解で、現実の対策はこう」と丹念に説明するでもなく、接触感染や行列などの指摘も、「勝手な根拠」「お花畑」と断じて、クラスターがまだ発生していないんだから余計な心配だと言わんばかりに、死ね、お前ら人殺しだと吐き捨てている。そんな「今まで大丈夫だったから大丈夫」のような薄弱な理屈では拡大を予防できないことが明確に想像できるから、みな自粛している。なおやたらビジネスの正当化に関しては饒舌だが、そこは今は本質ではない、あくまで緊急事態下の振る舞いの話をすべき。ビジネスの是非はさておきこういう事態下で恨みを買っていることだけ真摯に認識してくれれば良いのだが。ともかく書きぶりを見るに、かなり自分勝手で都合の良い受け止め方をしているようにしか見えない。命の選択などと大仰に言って身内の経済的安定を贔屓するばかりで、市民の生命を危険に晒すことには無頓着に感じられる。むしろ市民を恨んでいるせいで自粛要請の意図を理解できていないそぶりがあり、恐ろしい。何度も指摘されているとおり、「日本はクラスターを追ってそこを潰しつつ生活は続けます」というフェーズは終わっている。それでは拡大が止まらない勢いだから国の緊急事態宣言や自治体からの要請が出されていることをなぜ理解しない。そしてその影響はパチンコ店以外の遊興施設も等しく受けている。だから増田の書きなぐっている感情は大衆への逆恨みであり、責任転嫁であり、拗ねているだけだ。むしろ、非公営賭博なのに特別扱いされているパチンコは国(官と議員)との癒着があるからこそ、長いことメディアでは表立って触れられなかった。そのため自粛のムードが迫るのが遅く、周りがみな自粛ムードに移行してもパチンコ店は相変わらずで浮いた存在として目立つようになってからやっと槍玉に挙がるようになっただけで、他業種より猶予期間が長かっただけ恵まれているのではないか?また最初に述べたことと重複するが、ほとんどの国民は、パチンコ中毒者が防疫的に正しい行動を取れるよう態度を改善できるとは思っていない。だからこそ事業者側の増田のような人間が頼みの綱であるのに、はっきり言って増田の被害妄想と自己弁護の強さには失望しかない。業界が増田のような考えの人ばかりでないことを祈るばかりだ。
業界が逆風下にあるなかで、心労の大きさもあるだろうし、常識を外れた荒れた言動になるのもある程度は分かる。けれどそれにしたって、他人を侮り軽んじすぎていないかと思う。その人格をどうこう言うわけじゃない。その素振りが、ともすると営業再開後も隙あらば自粛を無視し対策もなおざりなまま休業を挽回するような性急な営業をするんじゃないかと思えるくらいに、自己正当化が激しい論調だから、これだけトラバやブクマがついている。大手パチンコ店はさすがにまともだと信じたいが、6月あたりに増田のような意識の店長がいる悪あがきせざるを得ない規模の弱小店が下手をしてクラスター発生源になったりしないか不安だ。追記を読んでもそういう思考回路であることがよくわかる。本筋の話でないながらも「違法じゃないんだから合法」「俺らだけが依存者をカモにしてるわけじゃない皆やってる」「具体的な健全化は医療福祉に丸投げ」という事を無難な言い回しで言っているだけだ。この我田引水な考えのまま行動するのではなく、感染拡大下では「~だろう」ではなく「~かもしれない」を極力徹底して業務にあたってもらいたい。「みんなで頑張って乗り切ろう」を揶揄しているうちは増田のような事業者はその業態に関わらずヒステリックな反応を受けても致し方ない。多くの企業が身を削りながら守っているものを一事業者のせいで台無しにされる恐怖に、みなピリピリしているのだから。
つまり、ある集団の中でも特に底辺な奴を基準にすることでその集団全体をこき下ろそうとする人間がネット上にはいっぱいいるんだな
特に便所の落書き系サイト(匿名掲示板やらまとめサイトやら)を見ちゃうタイプの低俗で情報リテラシーの乏しい人間はそういう野次馬的で悪意的な認識をまんまと刷り込まれやすい
刷り込まれるだけに留まらず、言いふらして広めたい欲求も持っちゃうのがこのタイプの人々
だから元より公正に判断しようという発想がなく、意図的に悪し様に見ようとする、そう出来るネタを探し回るような情報摂取スタイルになる、というゴシップ脳の申し子みたいな感じで、そういう人間がどんな分野にも紛れてる
アニメ絵の性的な連想をさせるポスターを公的な場所に貼るなんてとんでもない!
風俗店なんて許してはいけませんよ。女性の人権を何だと思ってるんですか。
平然と性的な単語を載せる雑誌の駅広告や、週刊誌の中吊り広告やコンビニ販売は全面禁止。
スポーツ新聞も子供の通る可能性がある場所で売ってはいけません。
不倫だの浮気だのっていう卑猥で低俗な言葉をテレビで流すのも駄目です。ドラマなんか絶対駄目です。放送禁止。
性を強調するような露出の多い服、タイトな服、体を覆わない水着も売ってはいけません。
女性を写真で選ぶなんて最低なので婚活サービスは全面違法にしましょう。
ラブライブ叩きはもう単純に二次元性愛に対する差別と偏見の問題なんだけど、吸血鬼映画の方は少なくとも「中止を求めたくなる気持ちはわかる」けどなぁ。
正直に言えば、私自身も最初は「流石に中止でいいのでは?」と思ってしまった。まあ私も表現の自由戦士の端くれなので、色んな人の冷静な意見を聞くうちに「こんな映画でも自由であるべき。(ただし批判はあっていい」と反省したけど。
もちろん「自由であるべき」という一点では同じだけど、これらを同列に語るのはおかしいとはっきり言いたい。ラブライブの例のパネルは、あんな低俗な映画と並べられるような表現ではない。「表現の自由」みたいな薄い盾一枚で守られるものじゃない。「表現の自由」を盾に侮辱されることだって、簡単に許しちゃいけないよ。
「今週も始まりました、『みんなのアニマルパーク』! 今回は動物に関する映像特集です!」
俺は学校の課題に取り掛かっており、テレビから背を向けていた。
「ん~? なんだこれ~? なんだろう~?」
「うわ~すごいなあ」
強い拒否感を覚えた俺は、咄嗟に近くにあったリモコンへ手を伸ばした。
「別にどうしても観たい、楽しみにしてる番組ってわけでもないだろう」
わざわざ公言することでもないが、俺はこういう動物バラエティが苦手だ。
出演者のリアクション、足されたサウンドエフェクト、ナレーション、ドラマティックなストーリー。
そりゃあ低俗には低俗なりの良さはあるし、必ずしも高尚な作りの方が良いとも思わない。
「兄貴って、こういうの観たがらないよな。ウチだって猫いるのにさ」
「……だからこそ、だ」
ふと同じ部屋にいる、キトゥンに目を向けた。
何食わぬ顔で飯を食っている。
だって、そうだろう?
自宅に軟禁して代わり映えしない生活を強いて、挙句には去勢するんだからさ。
そんなことをしても問題にならないのは、結局のところ愛玩動物でしかないからだ。
或いは彼らがいう“家族”ってのは、そういう意味なのだろうか。
彼らにとっては“愛しい玩具”の延長線上なのかもしれない。
じゃあキトゥンの飼い主である俺は何なのかっていうと、もちろん例外じゃあない。
飼うようになったのも、そうしなければ駆除される寸前だったからだ。
とどのつまり自分の心を守るために、たった一匹の猫を守る選択をしたわけだ。
それは動物を慈しむ心だとかではなく、極めてエゴイスティックなものに近い。
他の生物と身近になるというのは綺麗事じゃなく、そういうものだ。
あいつにキトゥンという名前をつける前から、俺はそのことに自覚的だった。
だからこそ、ああやって無邪気に動物を弄び、それをさも尊いかのように見せる番組が苦手なんだ。
まあ、共感を得られるかというとビミョーだが。
現に、これについて説明を試みたものの、弟の反応は素っ頓狂だった。
「うーん、よく分からないけど……たぶん兄貴はさ、自分がキトゥンにどう思われてるか自信がないんじゃない? だから、そういう斜に構えた感じになっちゃうというか」
俺の話をどう聞いたら、そういう解釈になるのだろうか。
自信のあるなしなんて関係ない。
「弟よ、お前の言う“自信”ってのはな、ほぼ“幻想”と一緒なんだよ。動物の心情を、人様が都合よく思い描いているに過ぎない」
そう語気を強めて言ったつもりだったが、弟は怯まなかった。
むしろ意気揚々と、おこがましいことを言ってのけ、その勢いで足早に出かけていった。
何かアテでもあるようだが、あり得ない。
それができれば苦労はしない。
おそらく表現規制の最前線にいる人しか分かってないと思うので&『窮鼠はチーズの夢を見る』の修正が話題になっているので。
(太字強調は筆者による)
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律 第7条第6項]
児童ポルノを不特定若しくは多数の者に提供し、又は公然と陳列した者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
電気通信回線を通じて第二条第三項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録その他の記録を不特定又は多数の者に提供した者も、同様とする。
つまり、わいせつな文書・図画や、児童ポルノに関する罪を問われるのは製造者や所持者だけではない。法律上は、販売した者も罪に問われる場合がある。
が、店員にとってみたら『わいせつっぽい物を販売したらある日突然逮捕されるかもしれない』は恐怖である。
そのような販売店の恐怖が『それっぽいものは全部売らない』になるのは商業的にも文化的にもマイナスなので、
ビデオ・映像関係の年齢表示や、成年向けコミックのマークはそのような販売店の声に対し、『自主規制団体が、刑法および児童ポルノ法に違反していないことを確認したと責任を負います』という意味がある。
だからこそ、数年に1度程度の割合で『AV女優が実は18歳未満だった』という事件があるが、そのAVを置いていたツタヤの店員が全て逮捕されるわけではないし、
以前薄消しが流行ってビデ倫の関係者が逮捕されたことがあるが、問題になったビデ倫の作品を扱っていた販売店の関係者は逮捕されていない。
逆に言うと、そういう団体を通していない、いわゆる裏ビデオを分かっていて売ったら店員が逮捕される可能性もあるはずだ。
ちなみに刑法175条が保護しているものはわいせつな図画を見たくない人の見たくない権利……ではなく、『最低限の性道徳』ということなっている。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、筆者もおかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)
上で書いたような『わいせつな文書・図画』や『児童ポルノ』は世間で広義で用いられるような意味ではなく、たとえ18歳以上にしか売っていないとしても、売った人は逮捕されるような物の話である。
では、一般的に「18歳未満には販売できません」で書店やアマゾンで売っている商品はどのような法的根拠で売っているか。それが条例上の理由だ。
第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体で倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。
まどろっこしいが、要は『一定の倫理基準に該当する物は、青少年に閲覧・販売できないように努力せねばならない。(そして、成人に販売する分には問題ない)』ということである。
"18禁"などに関する(映像作品やゲームではR-15も一応は存在する)法令上のもっとも重要な(もしかしたら唯一の)根拠はこの前後の条文だ。
この条文があるからリアルでもネットでも、18禁などの作品は自主規制団体や出版元が自らマークを付け、また販売店がそれらを売る際には専用のゾーンを設けなければならない。その区分が雑だという話(特にネットにおいて)はノーコメント。
2で書いたように、自主規制団体または出版社が自ら成年マークをつけたものは『表示図書類』として扱われる。それとは別に、『指定図書類』というものが条例には存在する。
第八条 知事は、次に掲げるものを青少年の健全な育成を阻害するものとして指定することができる。(以下略)
第九条 図書類の販売又は貸付けを業とする者及びその代理人、使用人その他の従業者並びに営業に関して図書類を頒布する者及びその代理人、使用人その他の従業者(以下「図書類販売業者等」という。)は、前条第一項第一号又は第二号の規定により知事が指定した図書類(以下「指定図書類」という。)を青少年に販売し、頒布し、又は貸し付けてはならない。
いわゆる『有害指定』である。“成年マーク付きのものは有害指定されない”と明記されているわけではないが、条文上『表示図書類』と併記して扱われているので事実上棲み分けている。
そして、『有害指定』の対照となるのは、「成年マークをつけなくても大丈夫だろう」と自主規制団体や出版社が考えた本の中で、青少年健全育成会議で指定された本である。(ちなみにエロ以外でも、犯罪や自殺を推奨しているとして指定される場合はある)
さらに言うならば、『表示図書類』は書店やアマゾンでも売っている。だが、『指定図書類』は流通が扱わなくなるため、事実上販売できなくなる。公式サイトからの通販などは可能なのかもしれないが…。
そもそもこのような自主規制団体が生まれたのは1950~60年代に『低俗な本・雑誌が溢れた』ことに対する世論の批判とそれを受けての条例(2や3で書いたのは東京都の条例だが、同様の条例は全ての都道府県に存在する)制定の動きに対してであり、
ビデオやゲームが出た後も法規制の動き(もしくは実際の逮捕事件)を受けてから出版の団体を参考にして自主規制団体が生まれている。
もっとも、出版と映像では少なからず差がある。最大の違いは、出版は成年マークのついていない書籍については一切の表示がないのに対し映像やゲームでは(ほぼ)全ての作品について「審査の結果、年齢区分はこうなりました」という表示があるということだ。
世の中において『私の考えるこれこれの思想・道徳に反する本は全て排除せよ』という日本国憲法ガン無視の全体主義者は少数だが、
「たとえ低俗な出版物であっても、他者の権利を侵害していないならば全て認められるべきだ」というガチの一元的内在制約説原理主義者もまた少数であり、
「低俗な本に対する一定の倫理的歯止めをする制度は必要だよね」という中庸な人がおそらく最大多数だ。
(酒鬼薔薇の本など典型例だ。私の倫理観はあの本が出ることを嫌悪するが、あのような本の出版をどうやって規制するのか、というと非常に難しいよなと思う部分はある)
そういう人たちに対して「いや、一定の倫理的歯止めはかけていますよ」というアピールをして、ひいては条例・法律上の規制をするような世論に持っていかせないという存在としても自主規制団体は役立っており、
民主主義の世の中においてそのような団体の存在意義は一概に否定するものでもない。
今の日本で、『わいせつな図画』(=刑法175条的なアウト)と『18禁コンテンツ』を区分ける基準は”性器をはっきりと描写しているか”である。
法律上明記されているわけではないが、事実上そのようになっている。
これに関しても過去には(主に写真集絡みで)争いがあった。具体的には以下のような流れだ。
警察「アンダーヘアが見えたらアウト」→写真家「じゃあパイパンならOKですね」
→警察「性器が完全に露出していたらアウト。なお、アンダーヘアも性器の一部とする」 →写真家「じゃあパンツはかせます。アレ、少し透けてるような気もしますけど、着てるからセーフですよね」
→警察「じゃあアンダーヘアはOKだが性器そのものが見えたらアウト」 →写真家「ヘアヌードはOKですね」 →警察「一応セーフにしておくか」
ということで、現在では成人を撮影した物については性器そのものは写さない、もしくはモザイクなどの修正があればセーフということになっている。(児童ポルノは別である)
だからAVやエロ漫画では性器にはモザイクをかけなければならないとなっているし、
逆に性器が写っていないヘアヌード写真集はわいせつな図画には該当しない(から、書店で普通に販売されている。18禁ゾーンの先であることが基本であるとは思うが。)
ちなみにこの点において男性器と女性器は平等であるから、AVなどでは女性器だけでなく男性器もモザイクがかけられている。(ちなみに2020年1月末現在、肛門はセーフのはずである。)
また、保護するものはあくまで『最低限の性道徳』であるから絵であってもアウトであり、だからこそエロマンガやエロゲでもモザイクは必要になっているが、十分に抽象化されていればセーフである。
初期のドラゴンボールは悟空のチンコを一応描いているが、それが理由でわいせつ図画に該当することは価値観の大転換でも起こらない限りは無い。
一方、『18禁』と『18禁ではないけどエロいコンテンツ』の区切りがどこにあるかはよくわからない。
上述したように最終的には東京都の指定を免れることができればそれでいいものでしかないので結局は東京都と版元の空気読み合いだが、
性器をモザイク付きで描写しているか、肛門が描かれているか、それを含めて性行為が描かれているかなどが一つの目安だとは思う。
ちなみに上で例に挙げたドラゴンボールではブルマ(キャラ名)が何度か脱がされているが、股間部には特段、何かを描いてはいなかったはずである。
”女性の股間部に何も描かない”というのはドラゴンボールに限らず、Toloveるや青年誌(ヤング〇〇掲載作品)などR-18ではない男性向けちょいエロではしばしば採用される手法である。
BLやレディコミではその辺どうなっているのかは知らない(筆者が男性であるため)が、謎の光などを描いて男の股間に何も描かなければ、BLでもR-18指定は免れ得るはずだ。
これは無論、”性器をリアルに描いているものは全てわいせつ図画であり、刑法175条違反だから作成・販売自体が違法”ということを意味しない。
当たり前の話だが、医学書は実写で性器を掲載してもわいせつ図画にはならない。
とまあ、医学書ならば流石に目的ははっきりしているが、”芸術”と”性欲”を厳密に線引きすることは困難だ。
悪徳の栄え事件の最高裁判決でも「文学性や芸術性が性的刺激を緩和することはあり得るが、文学性や芸術性がある文書(・図画)が同時にわいせつ性を持つことはあり得る(意訳)」としている。
Q1:エロ同人は?
A1:性器を無修正で描いたらわいせつ図画になりますが、コミケット準備会は警察とほぼ同様の基準に従って修正させています。無修正・修正が甘いと見本誌を提出したときに販売停止になるはずです。
Q3:裏ビデオは?
Q4:無修正の性器が違法でない国からの、インターネットを介した配信は?
Q4:サーバーの所在国の法律で取り締まるのが原則だとは思いますが、正直なところ何ともいえません。
Q5:ろくでなし子さんは?
A5:『でこまん』はセーフで3Dプリンターのデータはアウトなんでしたっけ? 増田はでこまんを見たことが無いのではっきりとしたことは言えないのですが、流石にでこまんは最低限の性道徳には触れないという判断だったんでしょうねえ。
A6:流石にアレは性欲を刺激しないという扱いなんでしょう。
作者のブログに今回の決定について書いてある。
増田はコミックの方の中身は見たことがないが、現在販売されているものも含めてどうも元々年齢指定は無かったようである。
それがR-15で実写映画になり、それに伴って若い読者が増えることを想定してコミックの方も性描写の修正を強め、旧バージョンは今後は販売しないという扱いらしい。
男性向けで例えるなら、『ふたりエッチ』がR-15で実写化され、それに伴い今以上に修正を強化し、旧修正バージョンは今後は販売しないようなものである。
正直、そこまでする必要があるのかと言うならば疑問ではある。
ヤングジャンプやヤングマガジン掲載の性描写ありラブコメ、たとえば『源君物語』や『なんでここに先生が!』がR-15で実写になったとして、集英社や講談社はそこまでしないだろう。
青年男性向けで小学館が出しているマンガならば、というと増田は現時点でビッグコミック系雑誌を定期購読していないのでそのような『性描写あり恋愛もの』が掲載されているのか自体を知らない。
どのみち、タイトルの後ろに『for Ladies』のように付けて旧修正版も併売すれば良いのではないか、と思うが、出版社がどのような理由で今回のような判断をしたのかはわからない。
『BLを実写化するならもうちょっと原作も修正を考えろ』という東京都青少年健全育成審議会からの無言の圧力があり、出版社が忖度したのだろうか?
丸山穂高が北方領土で問題を起こし話題になったとき、丸山と同じ西大和学園出身の同僚が「あいつは西大和にはざらにいるタイプ。表に出しちゃいけないんですよ」と言っていた。勿論西大和の学生全てがあのような人間ということはあるまいし、自虐的な冗談であったろう。ただ、ある種の真理でもある気がする。それは西大和に限った話ではなく、男子校全般にいえることだ。
私も西大和ではないものの男子校に身を置いていたのだが、学生時代を思い返すと実に低俗で卑しい会話の花があちこちに咲いていたものだった。ネットに詳しい奴がもてはやされていたが、その当時のネット社会は差別を差別とも思わずにネタとして浪費する倫理観の欠けたものであり、毎日のように眉を顰めるべき「ネタ」が教室に輸入されていた。情報の時間には首切り動画を流す奴がいたし、著作権などという概念もない。そしてネトウヨだらけだった。
ネトウヨになる入り口は色々とあるだろうが、当時は圧倒的にネットの情報が元だろう。なまじ勉強だけできる分読解力は中途半端にあるからそうした文字情報を吸収しやすいのである。考えるに、それまで訓練されてきた国語力は与えられた文章の真偽を判断せず、寧ろ正しいと前提した上で情報を処理するものであり、資料批判は含まれていない。だからネトウヨの怪文書でも鵜呑みにしてしまう。
それでもまっとうな倫理観が備わってさえいれば不謹慎ネタでバカ騒ぎするようなことはしないだろうが、中学高校というのは倫理観を養う時期であり、未熟であるのは仕方がない。そして、倫理観とは他者を意識してこそ育まれるものだと私は思う。思春期において最も意識される他者とは何者か?常識的に考えれば異性であろう。
モテたい、と思えば節度をもって振舞うはずだ。少なくとも生半可な知識で、会ったこともない人々を口汚く罵る真似などしないだろう。差別は悪である、その程度の認識すら持たずに現代社会において成長することは不可能だろうから。
男子校ではー女子校もそうかもしれないがー、最も他者を意識すべき時期に、その他者のいない空間で一日の多くを過ごすのである。そうして育った学生が政治家になる。幼いのも当たり前ではなかろうか?
女性差別にしても、男のほうが迫害されている、などとのたまう連中は、小学生男子のまま成長した感がある。振り返れば小学生のころ、女子のほうが優遇されているという不満は男子によくあるものではなかったか。勿論共学の出身者が全員成熟しているとは言わない。しかしあまりにも低俗な大人の存在は、彼らが倫理を育むべき時期を経なかったことを、如実に示していると思えるのだ。