はてなキーワード: ミクロとは
自己責任っていうか当時の政治屋達の手腕がすごかっただけだろ。
国民をまず世代で分断し、次に同じ世代内で格差を作り、最後には残った奴ら同士をラットレースで潰し合わせることで団結されることを回避した。
勝ち組は下手に負け組を助けて自分も巻き込まれたくないから関わらず、境界線にいる奴らは線引を強烈にして自分を安全圏に置くために負け組を蹴落とし、結果として孤立した負け組は政治的発言力を持つことなく底辺をさまようしかなくなる。
これは大不況時代の中で同和政策を完璧にやってみせたということだよ。
結果として全世代が失われた30年という膨大な負債を負うことになったが、当時のお偉方が老衰で死ぬまでの時間稼ぎとしてだけ見れば完璧だった。
当時権力を握った悪党が悪党として有能だったことを認めるしか無いんだよね。
まあその悪党に権力を握らせることだけで自分たちだけでも助かろうとした連中が卑怯者だったのは事実。
まあでも当時本当にやばかったのが日本国民全体の5%だとしても、元気な20代の若者が本気でデモ活動をしてたら世論は動かざるを得なかったと思うよ。
そういったマクロな努力を諦めてミクロな生存戦略を得ることを選んだ人間ばかりだったことによる思想的敗北でしょ。
この点については自己責任を問うていいと思う。
つまりは半々かなあ
良いね!その質問は、実に好ましい。なぜなら、統計学が意味をなさないことが多いのに、なんで勉強するか疑問だろ?そりゃ、統計学が『ノイズ』を除去するからだよ。統計学は N/A とかあるのに、P値だ言って誤魔化しているのに、いざ自分たちの理論が破綻したら「シックス・シグマ的にありえない!」とか言って逃げるだろ。バブルも、リーマンショックも、自分たちが都合の良い数値を適当に取り繕って、レバレッジをかけて破綻していった。そうだよ、大きく社会学といったら会計学も経済学も「左辺と右辺が一致する」という数学の理論を無理やり当てはめて、一致すると安堵するということを繰り返しすぎなんだよ。違うね。社会学においては「左辺と右辺が一致しない」ということに意味がある。例えば、昔の人間と DNA的には同じだろうが、社会は常に変化していくのだ。まさかだけど、資本主義があるから共産主義があるとか思ってないか?違うぞ。共産主義がおこって、資本主義というレッテルが作られたのだよ。マクロ経済学があるから、ミクロ経済学があるのか?違うよ。最初は、ミクロ経済学なんてなかったんだよ。なぜに、人は「反対のもの」を探そうとするのかね。おかげで、ミクロを積分するとマクロになるという研究に一生を注げてしまう人が出てきた。可哀想にね。今では、合成の誤謬とか言うがね。世の中は、シンプルじゃないんだ。今では、複雑系という領域が勃興したおかげで、(古典な)物理学や(過去のデータを扱う)統計学、そして数学のテクニックを社会学に応用して「未来を想定する」という学問は死に絶えつつあるのさ。間違っているのは、私立文系の教授たちであって、自分達の地位が規模に依存していて、学生を無意味なテキストを買わせるだけの私立文系と芸術学部(市井の画家とかは除く)がイキっているアホしかいないのに、拝めているのだよ。特に、日本銀行券にのっている「日本のボルテール(大爆笑)」さんの大学とかさ、みのもんたや石原慎太郎の子弟とか、統計学を使うと「慶應義塾大学の受験なんてしないと、有能になる」ということを「信頼区間的には、棄却される」としか出せないだろ。ウケるw。文系は無理して数学を使役しようなんてするのではなくて、本や資料、そして『リアル』に触れる機会を徹底的に増やしていくべきなんだよ。一橋大学に文学部を作って、早稲田と慶応は文系人員を減らして、国立の理工学のリベラルアーツ教育の復興を目指すべきなのだ。根拠は、私立文系は「既卒は採用されない」という現実に向き合うべきだろ。まだ、四十路で看護学部にいった方が就職があるって変じゃないか?あれだけ数学を否定して入学させて、あまつさえ本人たちも得意でない統計学やデータサイエンスを教えるなんて、教育者として失格だろ。ちゃっちゃと、似非・数学者はくたばってください、としか思わねーよ。閑話休題。最初の「社会学や心理学」で統計学が使えないのは何故かという疑問に答えるぞ。わかりやすい例だと、かの有名な「校長」という事例があるじゃん。世の中には「一騎当千の強者」がいて、そういう統計的には「ノイズ」として棄却されるような、通常は起きないけど「未知の未知」という人知を超えた「何か」がいるの。ほら、新型コロナウイルスは「1つの『①新型コロナウイルス』が『②武漢』に生じた」というだけじゃん。これを「①イエス・キリスト、②エルサレム」「①ポル・ポト、②カンボジア」「①スマホ、②シリコンバレー」「①自動車、②ドイツ」というのとどう違うのさ。①から②は成り立つが、②から①は成立しねーよ。そんなのは、「オッカムの剃刀」とかで徹底的に洗い出されているのであって、帰納法と演繹法では「世の中を描けないのだ」よ。つまり、人文系と人工知能のように社会学的な方向に、ベンサムを始祖として常に繰り返されてきた、物理学や数学のメソッドの応用は事故の元です。なぜなら、ヒトは「変わらない」が、社会は「変わる」のです。光の速さは(俺が生きている間は)不変ですが、社会は(テレビ・新聞・インターネットとか出てきたせいで)変わるのです。つまり、統計学のような「観測できなかったことを誤魔化す」「そもそもサンプルが全て出揃うのが不可能」「過去に起きなかったから、未来にも起きないと思い込む」ような、雑な『算数』で「数学を理解していると信じる私立文系ども」はオウム真理教で「サリンをばら撒いた高学歴」と何ら変わらないよー、って言いたいのですよ。天才の麻原がいなかったら、地下鉄サリン事件なんて高学歴の秀才どもが起こすわけないじゃん?(q.e.d)
もう無理だ。正直に自粛してる人が馬鹿をみる世の中すぎるだろ。そのうえ正直者が頭の悪い馬鹿の面倒を見るはめになってるよ。もうだめだ日本は馬鹿ばっか。
これの趣旨はねぇ、感染の他地域への拡大の予防なのよ。具体的には東京とかの大都市圏(すでに流行)から地方へとウィルスを持ち込まないようにすることが目的なの。
当たり前だけど、移動だけで他人と物理的な接触をしなければ移動先にウィルスを持ち込むことはないい。
けど普通帰省したら君ら地元の友達と飲んだり、親戚で集まったりするでしょ?だからもう帰省とかはやめてねって言ってるの。
→他人と物理的な接触をしなければ持ち込むことはないけど、そんな旅行はほぼ不可能なのでは…?旅行に行けば宿の人とか、現地のお店の人とかと多少なりとも接触するでしょ。
だからインスタにたのしそーなご旅行の様子を挙げてる君もその地域にウィルスをもたらしてます。人殺しの顔をしやがれ!
こちらの趣旨は、もう少しミクロな感染拡大の防止。要は人と会ってマスクせずにおしゃべりしたらうつるからやめようねーって感じ。
「黙食ならうつらない」っていうのはたぶん正しそうだけど、この時期にわざわざ人と会ってご飯を食べるような人は黙食もできません。(断言)
場所が問題なわけじゃないのよ。そんなこともわからんか?宅飲みしてる君やカラオケで爆飲みしてる君や河川敷でBBQしてる君のことですよ~。
オリンピックで外国から人がいっぱい来る→新しいコロナの変異株が国内に持ち込まれるリスクが高くなる
これはわかる。今のご時世に世界中から人を集める必要あったか?と思う。
は?何言ってるの?
とくに今回は無観客なので正直地球の裏側でやってようと東京でやってようと関係ないでしょ?
あれか、ひょっとして廊下を走ってるの咎められたら「○○君も走ってたも~ん」って言ってたタイプ?
そう思ったらなんか納得いくな。日本中の小学校に絶対一定数いたもんね。
結局マスクしてる同士が一定の空間にいてうつるリスクはどのくらいあるの?
「満員電車でのクラスターは確認されていない」って、確認のしようがないじゃないの。アホか。
でも逆に誰もしゃべってもない満員電車でもうつるの?それでうつるなら正直もっとどうしようもないことになってるのでは?って気がする。
デルタ株は従来の対策では足りないとか言ってるけど、そもそも単純に自粛してない人が増えてるだけじゃないのかっていう気がしてならないんですけど!
某電通じゃないけど、世の中には信じられないバカがいてしかもそれがマジョリティなんだからそのバカが自粛できるようにしないとダメなんだよな。
まあそれはおいといて
雑誌全体として論理の整合性をとることを図るのは別の人の仕事でいいと思うよ
俺は漫画の現状が気にかかったからそれについての雑感を吐いただけ。そういう言説で興味外の事象が考慮されないのは当然。
構造化プログラミングという概念もあるんだし、ミクロなことをはたとえば俺みたいな人間が考えて、そういったものをひとまとめにしより大きな類として統合的に考察するのはまた別の人がやればいいんだよ。
弱者に対して、社会がどう向き合うべきかと、個人がどう向き合うべきかを切り分けて考えれば、DAIGO叩きと建設反対運動とは別段矛盾するモノではない。
社会というマクロの単位は弱者を救済するべきであり、社会構成員の一員としてそのために社会保障費の負担に協力する必要がある。
だけど、個人というミクロの単位が納税以上の形で協力をする義務はないし、もしも自分に害しを成してくるのなら弱者だろうがなんだろうが一対一の人間として当然容赦をする必要はない。
そういう風に考えれば、社会による救済を否定するDAIGOを批判するのも、周辺住民にのみ過剰な負担を押し付ける施設建設に反対するのも、おかしなことではない。
よだかは、実に超絶みにくいクソブス鳥です。
顔は、ところどころ、味噌を嫌というほどつけまくったようにきったないまだらで、くちばしは、悲しくなるくらいひらたくて、耳まで60キロ程に超絶さけ倒しています。
足は、まるでクソザコナメクジみたいによぼよぼで、3ミリとも歩けません。
ほかのバリイケメン鳥は、マジでもう、よだかの汚物顔をチラッと見ただけでも、心底いやになって烈火の如くゲロを吐きまくって死に絶えてしまうという工合でした。
たとえば、バカデカひばりも、そんな言うほどあまり美しい怪鳥ではありませんが、顔面土砂崩れなよだかよりは、マジでずっと5京倍は上だと死ぬ気で思っていましたので、20連勤の帰りのバチクソ疲れた夕方など、よだかの顔面テロにあうと、さもさもいやそうに、60時間かけてしんねりと目をつぶりながら、首をそっ方へ捩じ切れんばかりに向けるのでした。ミジンコ程にもっとちいさな、嫌んなっちゃうくらい姦しいおしゃべりのアホ鳥などは、365日年中無休でいつでもよだかの完全まっこうから自殺に追い込まんばかりの悪口をし倒しました。
「ヘン。又また出て来やがりまくったね。まあ、あの目を覆いたくなるようなザマをごらん。ほんとうに、どうしようもないくらい、鳥の仲間のムナクソつらよごしだよ。」
「ね、まあ、あのくちのヤバいおおきいことさ。きっと、ハマダの親類か何か生き別れた遠い遠い兄弟のご先祖様なんだよ。」
もう嫌んなっちゃうくらい、こんな調子が永遠と地球滅亡の日まで続くのです。おお、マジで真剣によだかでないただのバキバキマッチョな鷹ならば、こんなチンケで生なまはんかのミクロ級にちいさい庭鳥(チキン)共は、もう名前をガチの最小ボリュームで聞いただけでも、エグいくらいの超音波振動でぶるぶるとふるえて、顔色をカプリ島の青の洞窟もマジで超灰色に見えるくらい真っ青に変えて、からだをパキッパキに圧縮した羽毛布団くらいちぢめ倒して、草葉の葉のかげにでもマッハでぶっ飛んでかくれたでしょう。ところがどっこい、薄々気づいてたけど夜だかは、ほんとうは鷹の腹違いの兄弟でも親類でもマジで全然ありませんでした。かえってその実、クソブスよだかは、あのアホみたいに美しく艶めかしいかわせみや、きったねえ鳥の掃き溜めの中のメチャクチャ高級な宝石のような蜂すずめのバチボコ兄さんでした。蜂すずめは超高級・花の蜜みつを腹が炸裂せんほど食べにたべ、かわせみはくっせえお魚を一湖まるごと根絶やしにする勢いで食べまくり、一方チンケな夜だかはザコい羽虫をチョロっと取ってたべるってのだけでした。それにクソザコよだかには、超絶切れるカッター程するどい爪も、エクスカリバー程するどいくちばしもありませんでしたから、どんなに悲しいくらいクソ弱い鳥でも、ナメクジの500倍の強さのよだかをこわがる筈はずは微塵も全く全然なかったのです。
オリンピックがはじまって、楽しんでいる人が日に日に増えていく。
逆にオリンピックに批判的な層は、楽しむ人が増えていく流れに対抗しようとオリンピック批判の口調をどんどん強めている。
そんな中、両者の中間となる立場として、「今目の前で行われている五輪を楽しむことと、五輪の経緯を批判することは別軸だから、両立してよい」という話が語られ、穏健中間な人たちの支持を得ている。
だが、オリンピックの楽しさと運営への批判を分割する理性を持つのは、現実には不可能だ。
私たち人間は、感情や評価を各論点について分離できるほど理性的ではない。
オリンピックを楽しみながら、開催前と同様の批判意識や不満を持ち続けることはできない。私たちは絶対にほだされる。
そのことはちゃんとわかっておいた方がいい。
もしあなた個人はほだされなくても、人間の大多数はそうできていない。
オリンピックに怒りや不満を持っていた人も、大会観戦を楽しんでいれば、次第に、なんとなくまあそこまで怒らなくてもよかったかな、となってしまう。
不満を完全に忘れることはないし、誰かに聞かれれば「開催のゴタゴタひどかったね」とは言うだろうけど、別に追求しなくてもいいんじゃないという態度になってしまうだろう。
確かに、オリンピック運営や政府に怒りがあるからと言って大会の楽しさを拒絶するのは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの典型である。愚かで頑なな考え方だ。
だが、袈裟を好きになると憎んでいた坊主も許してしまうのもまた、人間心理だ。
それ踏まえれば、ミクロ的には愚かで頑な考えこそが、マクロ的にはベターだということになる。
理想的に実行できるなら最高の選択肢だが、中途半端にしか実行できない現実では最悪の選択肢になる、という逆転が起きるのだ。
そして、理屈ではかなり愚かな選択だが、現実では一番マシな行動になる。
ちょっと図解してみよう。
まず、最大目的を、五輪運営の問題点をちゃんと改善するために今後も批判意識を持ち続けること、と設定する。(批判したくてたまらないわけではなく、問題が曖昧に流されるのがよくないため)
五輪を楽しむか否か、運営を批判するか大目に見るか、2×2で四つの立場がある。
このうち「D:五輪は楽しまないが、運営は大目に見る。」は立場は議論に関わってこないので、除外する。
残り3つを評価しよう。
Aが一番望ましい。Bが最悪。Cはギリ及第点。
「大会を楽しむことと、運営を批判することは別の問題だし両立するから、大会自体は楽しもう」という意見は、Aの最高の選択肢を取ろう、というもっともらしい主張だ。
だが、実際の私たちはそこまで理性的に物事を分割できず、大会を楽しんでいれば次第に批判意識が薄れてしまう。
最高のAルートを目指そうとすれば最悪のBルートになってしまうのが現実、というわけだ。
だからこそ、一見愚かではあっても、Cルートを選ぶために大会観戦の楽しさを拒絶する方がまだマシなのだ。
これはかなりシンプルにした話なので、他の考え方もできるとは思う。
だが、大会を楽しみながらも圧力のある批判意識を持ち続けるのはまず無理だ、というのはわかった上で考えてくれ。
この文章では、愚かな頑なさを保つことのほうが結果的にはマシになることもある、という話をした。
だが一般論としては、頑固な態度は、妥協しないし譲らないという考え方になり、議論や交渉のことに繋がる。
楽しさと問題批判を分割するのが人間に無理なように、自分の頑なさをコントロールするのも無理だろということについては……まあ……なんかうまいことやろう。
・"歴史は韻を踏む"、"類似している"と表現し、共通点も具体的に述べ、その上で今後起こるであろうことを類推したまで。安易な"同一視"ではないことが分かるよう、こうして慎重に言葉を選んで筋道立てて書いたつもりだが、伝わらなくて残念だ。
・面白がっているのではなく、今の政権の言動に危機感を抱きつつも、長い目で見た時の社会の良識や自浄作用のようなものをある程度は信じているんだよ。
・とはいえ、日本ほどの高齢化社会は人類史上初の事態だ。ピラミッドどころか肩の張りだした壺のような形になった人口構成は、日本社会が危機に対応する力、危機から立ち直る力を急速に奪っていく。中国の覇権主義も日本にとって脅威となる。内憂外患は当分晴れそうもない。四半世紀単位で見れば、最悪の場合、日本では財政危機が起きたり、民主制が消滅したり、戦争や内乱で国家が分裂したり消滅したりする事態もあり得ると自分は思っている。もっとマイルドな未来が実現してほしいと願っているが、高度経済成長期のような右肩上がりではなく、最善でもどちらかといえば右肩下がりの時期が続くことはまず間違いない。
日本人が一個人として出来ることは限られていると自覚した上で、個々人は身の振り方をよく考えるべきだろう。ミクロな現象はマクロな現象に対して正面からぶつかったら勝てないのだから。政府の馬鹿げた言動には可能な限り掣肘を入れていく一方で、いざという時にどこでも暮らしていけるような備えと強かさが欲しい。
【同一視】
《名・ス他》差があると考えず、おなじと見なして取り扱うこと。
Oxford Languagesの定義
【類推】
《名・ス他》一方が他方と似る(幾つかの)点に基づいて、(既知の一方から)他方の有様を全体的に推し測ること。類比⑵。アナロジー。
「―解釈」
Oxford Languagesの定義
なんか事あるごとに旧日本軍の失敗事例持ち出すのってどうなんですかね。右も左も日本はあのころから何も変わってないみたいなことばっかり言って、政府批判して面白がってる。インパールがどうのとか言うのって聞き飽きてきたな。安易にあの時代を現在と同一視していいのかな。
この人と、主と、この人の指摘している人で、この話題に置ける「良い」って言葉の細かい意味やそれを取り巻く前提が異なるからすれ違ってるだけだと思うんだよな。
この人は「ナチスを肯定するかどうか」という意味で「良い」という言葉を使っていて、対するほかは「ナチスかどうかは置いておいて、それら一つ一つをミクロ的視点で見た時の単純な業績。」として「良い」という言葉を使っているわけ。
まあこれくらいは大体の人はわかると思う。
ここから更にこの人は「そのミクロで良く見える事自体が自体がナチスのプロパガンダの手法」「ミクロで良くても、結局元々の目的が非人道的行為や差別主義なのでそもそも褒めちゃ駄目」という前提があるのよ。
これらが真かどうかはおいておいて、「これらの前提がある」って考えたらそんなに破綻した事言ってないんだよねこの人。
これは自分もこれを見た時に「?」ってなって、この人の認識とかを色々確認して得たものなので気になるんだったら確認してほしい。
これらの前提とかは、この文章には無いのよ。結論ではなく、細かい前提だから。
なんだけど、その細かい前提がわからないと読み手の人間は勝手にその前提を埋めるしかないじゃない?
その時に違う前提を当てはめるから「この人頭おかしいんか?」ってなるのよ。
このあたりは研究者の人とかは誤解を生む表現よくするのよ。なんでかっていうと、ある程度前提が「学問」という形で共通している人同士で話すから。
それを部外者が見ると前提がそもそも共通してないから大ズレしているように見える。
前提が共通の人同士の批判だったら「あーなるほどね、そういう考え方ね」ってなるんだけど、
前提が違う人からの批判って言語の意味がズレてきちゃうから、「何いってんのこいつ?」って態度になっちゃうんだよね。
今回のこの人と主だと「良い」「褒める」あたりの単語がメチャクチャズレてんのよ。これは辞書的な意味でズレてるってことじゃなくて、文脈的にズレてるってことね。
じゃあどっちが正しい意味で言葉を使っているの?ってなるかもしれないけど、ここで大事なのは「どういう意図で使っているか」なので辞書的な意味を追求してもそんなに意味ないかなという感じ。
そもそも辞書に書いてない文脈の部分がズレてんだからあんまり言語のマクロな正確性を求めもしょうがないけどね。
私もこの先生に関してポリコレのくだりとか普通に賛成できなかったけど、「こいつ大丈夫か?」って思ったら持ってる前提が違うって思ったほうがいいよ。
じゃあ、相手が君のことを好きになっても「将来君以外の人を好きになる可能性もあるから付き合えない」って言って断るの? それは相手を傷つけることにならないと?
結局のところ「相手を思いやってる風」に言っていても、君は本当はただ「自分」のリスクテイクをしているだけなのでは。
結婚って、別に100%自分のためにするものではないでしょ。たとえばボランティアって「自分個人」だけを基準に見たら不合理な活動だけど、社会全体とのかかわりの中の私、という立場からみるから、そういう存在も必要であり不可欠であると分かってくるようなものだよね(単純な、漠然とした「善」概念でやってたら、長続きしないか宗教になるしかないよね。あるいは「自己満足ですっ」って開き直るか。)。合理的選択としてボランティアに取り組む人にとって、基準は「個人」ではなく「社会」にある。これは、自己の定義を「自分」と言う個人の殻の外へと拡張しないと、理解できないことだよ。局所局所における部分最適(個人の利益の最大化)の総和は必ずしも全体最適(社会全体の利益)にならない。ミクロでもなくマクロでもない中ぐらいのサイズを基盤にするとき、そういう現象が発生するよ。たとえば近所の公園の清掃をどうする、ぐらいのサイズのときね。
同じように、結婚も、自分より尊重できるだろうと思える他人が現れて、その人が自分との未来を望むとき、その「二人の未来」のために自分の人生を賭けてもいいなと思うから結婚するのであって、「自分個人」という殻の中でものを考える限り結婚が合理的選択に見えないのは当たり前だと思う。あ、別にそれがいいとか悪いとか偉いとか偉くないとかいう話をしたいんじゃないからね。そうではなく、あなたが結婚というものを理解できないとしたら、それは結婚する人と自分とではそもそも前提としているものの見方が違うのかもしれない、と考えてみてはという話。
19日にキングオブコントの札幌予選を見てきた。会場はHTBと同じビルの中にある、札幌市民交流プラザのクリエイティブスタジオという小劇場。
MCはモリマン。出場組数36組(公式サイトでは37組いるが、1組棄権したらしく出ていなかった)。
全員のネタは覚えていないが、覚えているところを書いてみる。ネタのタイトルはこちらで仮につけたもの。
・やすと横澤さん
「プロ野球選手のお見舞い」
フリー。Yes!アキトと仲がいいことで知っている。最初のボケ、妙に間あったけどひょっとして飛ばしかけてた?
・ユーバーレーベン
「刑務所」
アマチュア? 設定は面白かったけど半分くらい台詞が聞き取れなかった。
「サプライズ」
アマチュア? 男女コンビ。一発芸をコントに落とし込むフォーマットで、この日初めて明確にウケをとった。
・みこはち
「札幌の名水」
・まごのて
太田プロ札幌。M-1グランプリ2020札幌予選3位通過コンビ。ツッコミのキレがよかった。
「神頼み」
太田プロ札幌。男女コンビ。男女コンビって声量に差があるから、どっちかに耳の水準を合わせるとどっちかに合わなくなっちゃいますね。
・ミクロポエジ
「合格発表」
札幌吉本。1人コント師どうしのユニット。劇場のせいなのか知らないけどなぜか下手寄りでネタをするコンビが多かった中、しっかり中央でやっていたのが印象的だった。なんか「プロだな」と感じさせた。
アマチュア? ある意味今日の主役。最高にバカなネタで大ウケしていた。しかも相方が当日の朝まで決まっておらず、この日が初舞台という噂もきいてなおさら驚いた。最初は「何を見せられてるんだ」と思ってたけど、だんだん「この人たちに勝ってほしい、東京の人に見てもらいたい」と感じるようになってしまったから不思議。当日決まった相方さんが奇跡的に、役柄にぴったり合ったルックスだった。
・TOMATO
札幌吉本。日本人とアメリカ人のコンビ。日米コンビには珍しく、アメリカ人がツッコミ。
「喧嘩」
太田プロ札幌。ピン芸人同士のユニット。男女コンビ。設定がとてもよかった。もっとウケててもよかったと思う。
・コロネケン
「予告編」
札幌吉本。現在の若手エース格的なコンビ。この日唯一の拍手笑いを獲得。圧巻のイチウケ。
・オレマカ
「強盗」
ウェイビジョンというところに所属しているトリオ。トリオであることをちゃんと生かしているし、台本がとても綺麗なコントだった。
・アヴァンチュ~る
「借金取り」
アマチュア。M-1グランプリ2020札幌予選のナイスアマチュア賞コンビ。最初のボケの間が素晴らしかった。
「実録菅野家の1日」
札幌吉本。リアル親子コンビ。M-1グランプリ2020札幌予選のトップ通過コンビ。親子のリアルを徹底的に描いたショートコント集。
・つちふまズ
「当てる人」
札幌吉本。ネタバレにならないタイトルが難しいネタ。普段は漫才をしているので、違う衣装を着ていると一瞬気づかなかった。漫才のときもこっちの風貌の方が面白いかも…。昨年も同じネタだったらしいが、ウケていた。
・すずらん
「コンビニ」
札幌吉本。芸歴20年の中堅コンビ。とても手堅いネタという感じでウケていた。
・しょーゆー
「福男」
アマチュア。北海道ではあまり知られていない福男レースを題材にしたことが逆に印象に残った。
「書店」
太田プロ札幌。本を探してるのにすでにその内容に詳しい矛盾が気になった。
「医者」
札幌吉本。普段は漫才なのでコントは初めて見たけど、結構様になってた。
「教育番組」
それぞれ札幌と大阪のNSC出身の女性コンビ。同級生らしい。北海道では珍しく「若手の女芸人!」という空気を発していて、良い佇まいの二人だった。
・しろっぷ
「身代金」
トリプルワン(元札幌吉本)。STVラジオで冠を持つ札幌のラジオスター。ボケがオチ以外声の出演だけというネタだった。
通過予想は、匿名絶望、コロネケン、つちふまズ、すずらん。明確に爆笑が起こっていた4組。
実際の通過はミクロポエジ、コロネケン、つちふまズ、すずらん。4分の3当たった。匿名絶望は通ってほしかったので残念。結果とすれば全員札幌吉本だけど、基礎のしっかりしたところが通ったという感じ。
普通に考えたら、無理でしょ。支持なんて出来ないよ。
アベ政治を許さないと運動していた彼らが同時期に政権を連立でもっていたら、クリティカルなところだけ見ても悲惨なことになる。
集団的自衛権を行使する事が出来ない同盟国の日本は、民主党政権で悪化した日米関係を改善する事も出来ず、今の韓国と似たような立場に置かれているしオバマが広島に来ることもなかっただろう。
日米関係の急速な改善の大きなきっかけになった新安保法案を戦争法案と呼んで忌み嫌っていた共産党は、自衛隊を未だに違憲と言っているし、対中国を意識する局面では最も不適格
この法案に反対していた時点で国防に対する基本的な方針がないか間違ってるという証拠だった。ここで俺は野党に呆れた。
TOC条約に批准できず、国際的なテロの標的になっても犯罪者の引き渡しにすら協力して貰えないカモになる。5輪開催を目前にしてテロのターゲットにされるリスクを軽減すら出来ない。
ISISなど国際的なテロに注目が集まっていた時期に、国際的なテロ対策の枠組みに加わることに反対するとか、あまりにも政権としては不適格
対中国で、日本単独では対抗できない中国が武力をチラつかせるのを目の前にして、自衛隊を違憲といい続けるどころか敵の眼前から米軍基地を取り除く獅子身中の虫は政権には不適格
今でも韓国が好き放題に言ってるだろうね。それを想像するだけで完全無欠に無理。
他にもいろいろあるよね(検査優先でワクチン買ってなくて、今よりも更に遅れてるだろうなとか)。共産党だったら日本終わってたなって言えるだけの理由って、この10年くらいの間だけでもかなりある。
自由で開かれたインド太平洋なんて成長戦略はまず出てきてないし、TPPも発足させてないだろう。これらは自民党(まあだいたいは官僚だろうけど)が描いた日本を成長させるための大きな絵だ。
共産党支持者が共産党を望む理由なんて、労働者(社会的弱者)の保護とか、そんな程度のものでしょ。上記の重要項目に対して仮に政権持ってたら賛成したとかいうなら方針なさ過ぎてかえって信頼できない。そんなのに国を託せないでしょ。
日本と言う住居を破壊された後に、パンだけ配られたって生きていけないので、馬鹿でもなければ共産党を支持する事はないんですよ。
立憲にしても、共産党にしても、この国をどうしたいの?って大きな絵を見せる所から始めないと、任せたら日本と言う家が破壊されるって印象が消えることはないよね。
すくなくとも俺は、そう思ってる。信頼してほしければ、まずはパンより家です。国民ってバカなようでいて、そんなにミクロなところだけに引っ張られている訳じゃないからね。
先を見据える視点がなければ、会社経営、チーム運用など集団を牽引するような仕事は出来ないしな。
共産や立憲に大きな絵を示されて信頼するまでの時間は、これまで蓄えた不信感の分だけ長いと思うが、まったく歯牙にもかけないって事はないだろう。選挙のたびに方針や行動が変わらないかは見られるよ。
そうしたら20年くらいのちの支持率は10%くらいあるかもね。
現時点で消費税5%、所得税実質免除なんて言って支持して貰えると考えてるんだとしたらピュアすぎるよ。我が家を壊した後に廃材売ってパンを配る約束したって支持するわけないでしょ。
まずはこの国をどうしたいの?って所から始めてよ。当たり前のことしか言ってないけど、立憲共産の支持率が2.9%と1.7%ってのはそういうことだよ。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021061800828&g=pol
ごく当たり前のことを言ってるだけなんだけど、それにも皮肉か攻撃でしか返せない、立憲や共産の支持者を見てると、普通に働いてる社会人がいいなって思える所にはもういないよね。
インド太平洋の途上国を発展させて先進国も旨味を吸おうって戦略は、とても良くて、だからアメリカ、イギリス、フランスまでもが軍艦派遣したりしてコミットメントする意志を示してるんだよね。
政権を担うならアメリカと基地を敵視し自衛隊から防衛する力を奪って破滅に追い込もうとする意志ではなく、こういう成長戦略なりを示してよって、そんなに突飛なことですか?当然の要求だと思いますよ。
testangle これに対して元増田や自民に対する批判や嫌みしか出てこないの最高に野党しぐさで笑う 国防はどうやっていくつもりなの?経済はどう発展させるの?相手の批判じゃなくて自分達の意思を聞かれてるんだよ
結局これだな。いろいろブコメやトラバもついてるけど、実のある反論が出来る支持者が一人としていないのは、党そのものが持ってないからでしかないしね。
立憲共産連立政権なら、100%アベノミクスはなく、今も平均株価は8000円くらいだったのでは?って考えるだけでも無理なのに、またアレを望んでくれって国民に期待するのは無理ってものでしょう。
あの時代に戻りたいですか?
そんなミクロなことが同志的になるんだろう
セレブバイト問題は、マクロな社会構造で見ればこれは完全にジェンダー差別の問題。これは絶対に否定できないし、すべきではない。これは強調してもしすぎることはない。
ただミクロで見ると、男性が一方的な加害者で支配者であるかのような議論も明らかな間違いである。「主婦/夫でセレブバイト」という人生の選択肢は、女性は消極的には存在するけれども、男性には消極的にすら存在しない。「博士号をとったのに無職」という人で、女性と男性とで向けられる視線は明らかに違う。どんなに「リベラル」な人であっても、「博士号の無職男性」に対して、「男のくせに何やってんだ」というネガティブな感情を持つなというのは難しい。百歩譲って研究の世界では理解してくれる人が多いとしても、家族や親戚からの視線はきわめて厳しい。女性にも全くないとは言わないが、「職がないこと」に対する差別的・侮蔑的な視線は男性の側のほうに圧倒的に強い。
そもそも、正規・常勤職の世界と、非正規・無職の世界は分けて考えたほうがいい。日本でこの二つの世界が分断されていることは誰もが知っているのに、なぜかジェンダーに関する問題を議論すると、みんなの頭から抜けてしまっている。繰り返すように、正規・常勤職の世界では、女性は圧倒的に差別・排除されている。しかし、非正規・無職の世界になると、逆に男性の方が差別的な視線をはるかに受けやすくなっている。つまり非正規・無職の世界の男性から見れば、「女性は恵まれている」ように見えるのはごく当然なのであって、それを単なるジェンダー的偏見として切り捨てるべきではない。
オッカム氏の間違いは、フェミニストに突っ込まれないようにジェンダー問題ではない、などと言ってしまったこと。非正規で将来が不安だった時代に、「セレブバイト」の女性を見て、それが男性と違って社会的に完全に許容されていることについて、理不尽さへのモヤモヤした感情が沸き起こるのはきわめて自然である。これはジェンダーの問題にほかならないのだから、正面からジェンダーの問題として論じるべきだったと思う。