差別というのは差別している「敵」を撃ち滅ぼせば終わるという考え方を持ってはいけない。ミクロ的には差別する自由はあるからである。例えばあなたが誰かを嫌いだとして、理由なく不合理に理不尽に嫌いになる自由は有るし、嫌いであることを公言する自由もある。嫌いでいることを許されないなどというやつがいたらそれは「あなたに対して」の差別である。誰もが好みを持つ自由がある。
その一方で、マクロ的には排斥される誰かがいてはいけない。とはいえ、好みが均等であるはずもないので誰からも差別される存在も出来てしまう。その分は社会制度やインセンティブ設計によって面倒を見るのが差別対策の原則だ。
だから差別に抗いたいのであれは社会に対して働きかけなければならないのであって敵と戦おうとするのは徒労だ。
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