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はてなキーワード: セルフサービスとは

2024-10-29

外の世界って無限トラブルの種が潜んでですごすぎる 通りすがりの人に急に殴られるかもしれないし、車運転してたら急に追突されるかもしれないし自分アクセルブレーキ踏み間違えるかもしれないし、食べ放題セルフサービス料理を運んでたらうっかり落としてしまうかもしれないし、鳩のフンの当てにされるかもしれないし。対して自室は平和すぎる

2024-10-24

カスハラはなぜ問題化している?対策は?

カスハラ」(カスタマーハラスメント)は、顧客企業従業員に対して行う過度な要求暴言暴力などの不当な行為を指します。日本では特に近年、社会問題として注目されており、以下のような条件で発生しやすいとされています

 

1. 日本サービス業の「お客様神様文化

日本には「お客様第一主義」という文化が根強く存在し、特にお客様神様」という言葉象徴するように、サービス業における顧客至上主義従業員に強いられることがあります。この文化顧客に対して無理な要求を許容する土壌を作りやすく、カスタマーハラスメントが発生しやすい要因の一つとなっています

 

2. 労働環境ストレス

サービス業接客業では、従業員長時間労働低賃金に悩まされるケースが多く、精神的・肉体的に疲弊やす環境にあります。このような状況下で、理不尽顧客対応に直面すると、従業員がよりストレスを感じやすく、カスハラが大きな問題として浮上します。

 

3. 地政学的な特徴:人口密度都市集中

日本都市部に人口が集中しており、特に東京大阪などの大都市では、サービス業需要が非常に高くなっています。これにより、接客業従事者の業務量が増加し、顧客の多様な要望に応えることが難しくなります人口密度が高い地域ほど、顧客からの過剰な要求が頻発しやす環境になっていることもカスハラの一因といえます

 

4. 高齢化社会顧客対応

日本世界でも有数の高齢化社会であり、高齢者によるクレーム理不尽要求カスハラの一因とされています。年齢や経験を背景に、自分要求を過度に押し通すケースが増えており、これもサービス業におけるハラスメントを助長する要素の一つです。

 

対策として望まれもの

 

1. 従業員保護制度強化

企業従業員を守るための明確な指針やガイドラインを整備し、カスハラが発生した際には適切に対処する必要があります。具体的には、従業員顧客に対して対応拒否できる権利付与したり、ハラスメントを防ぐための教育研修を行うことが重要です。

2. 法律規制の整備

カスハラに対する法的な枠組みがまだ十分に整備されていないため、ハラスメント行為に対しては、より厳しい法規制必要とされています労働基準監督署などが介入することで、従業員権利保護されやすくなるでしょう。

3. 社会的認識の向上

カスハラ問題に対する社会全体の認識を高めることも重要です。メディア教育機関を通じて、過度な顧客対応社会的に許容されないというメッセージを強く発信することが必要です。

4. テクノロジー活用

AIを使った自動応答システムセルフサービス技術の導入は、従業員が直接顧客対応する場面を減らし、カスハラの機会を抑制する可能性があります。これにより、サービス提供効率化が図られ、従業員負担も軽減されます

 

日本社会環境文化的背景が、カスハラの発生を助長する要因となっていますが、適切な対策を講じることでこの問題対処する道が見えてきます

2024-10-13

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

2000年代になると、日本映画ドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマ陳腐ものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理人情世界観でつくられた恐らく最後ドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸系譜なのである

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-09-06

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く

6月から見始めたおしん。ついに最終回に到達した。全297話を一気見して感慨深い。おしん明治に生まれ大正昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女の一代記である

これまでも2019年頃に再放送された際に断片的にはみていたのだが、フルバージョンで通してみたのは今回が初。全篇を通してみて、いろいろと誤解していたことも多いことに気が付いた。

おしん」に対する誤解、それはおしんは辛抱する女であり、苦難に耐えて自らの努力と才覚で成功する物語であるという誤解である

全く違った。もちろん困難に負けないといった不屈の精神みたいなテーマもあるし、海外ではむしろそこが受けたのだろう。しかし、おしん本質はそこだけではないというのが全話みた感想である

辛抱する女であるという誤解。

いや、もちろん少女時代奉公先での過酷な試練は、おしんイメージともなっているし、全編通して苦労が絶えなかったのは確かである。それに耐えようとする根性もみせた。しかし、おしん最初奉公である材木問屋からは逃亡しているし、佐賀豪農の嫁となってからは、姑の嫁いびりに耐えきれずに幼い一人息子を奪うようにして家出している。7歳のおしんが座木問屋で受けた仕打ちにしても、24歳のおしん佐賀の田倉家で受けたイジメにしても、視聴者から見るに堪えないとのクレームがあったほどのもので、おしんが耐えきれないのも無理はないものである特に壮絶だったのは、妊娠したおしんに対する佐賀の姑の仕打ち。まかり間違えば自分が命を落としかねない危険死産経験したおしんはついに、佐賀の家を離れ東京行きを決意する。朝ドラとしては、佐賀時代は1ヵ月以上もあり、視聴者にとってもきつかっただろう。なにせ毎日いびられ、佐賀時代おしん笑顔を見せることはなかったのだから。朝から気持ちを明るくさせるという朝ドラの使命を真っ向から放棄した凄まじく理不尽な展開だった。

後年、佐賀の姑・清を演じた高森和子は、こんなことを言っている。

佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だからまれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わずしたこともあったようだ。(NHKアーカイブより)

さほど厳しいと思っていなかったという回想は、放送から40年後に、おしんを視聴した私にとってはむしろ衝撃である。なるほど、あの姑・清の行動にリアリティがあるのはそのためか。清の役柄を完璧理解してこその発言であるプロしかいいようがない。おしんの娘が死産した際、ほぼ同時に出産した娘・篤子には乳が出なかった。困った清はおしんの乳をもらえないかと頼む。清は授乳するおしんの姿に慈母観音をみる思いだと感動し、死産した娘に愛と名付けていたことを知った清は、自分の孫に愛という名前をもらうことにした。もとはと言えば、おしん死産は田倉家での嫁としての過酷な日々により体力が奪われていた結果である自分の孫に愛と名付ける姑の無神経さもさることながら、こんなところにいたら殺されてしまうという思いがおしん東京行きを決意させた。その際、一粒種の息子・雄を清の手から盗み取って、自立しようと家出するおしんを手助けしてくれたのは、田倉家長男の嫁・恒子。恐らく当時の日本全国の農家の嫁たち(視聴者)は恒子の行動に大きな共感をもっただろう。誰しもおしんのように行動はできない。つらくても長男の嫁として根を張って生きてゆくしかない。真の意味で辛抱する女は恒子である

おしんに対する二つ目の誤解は、自らの努力と才覚で事業家になった、というもの

これは半分は正しいが、半分間違っている。確かにおしんは、9歳から16歳にかけての酒田の米問屋加賀屋奉公した際、大奥から見込まれお茶料理裁縫などありとあらゆる花嫁修業のみならず帳簿の分析の仕方など商いのイロハを徹底的に仕込まれた。これは加賀屋を継ぐことになる孫娘加代が商売に何ら関心がなく、将来とても加賀屋を任せられない不安から、加代をバックアップしてくれる存在としておしんに期待していたかである

しかし、全編通してみると、おしんの才覚はむしろ夫の事業や息子の事業サポートするために発揮されていることがわかる。10代の頃に加賀屋奉公時代に培った経験は、のちに田倉商会の旦那結婚し、田倉商店を支えようとするときに力を発揮する。帳簿をみて夫の田倉竜三の経営能力の弱さを見抜いたおしんは、そのを不安を源じいと相談する場面がある。源じいは佐賀本家から三男・竜三のお目付け役として東京で同居していた使用である。夢ばかり膨らみがちな竜三の経営には源じいもハラハラしており、おしんの商才を見抜いていた源じいは、おしんが竜三坊ちゃんを支えてくれるもの安心していた。しかし竜三は甘く世間知らずだった。田倉商店詐欺あい、あっけなく倒産してしまう。

田倉の再起をかけておしんは自ら稼ぐことを考えた。おしんは手先も器用だった。17上京した当時、日本髪に弟子入りした経験から、出前の洋髪を始めるとたちまち客がついた。一方、竜三は堕落した。会社員の月給の何倍も稼ぐようになったおしんしり目に、竜三はカフェを飲み歩く日々。完全に髪結いの亭主化してしまう。日本髪のお師匠さんに相談すると離婚してしまえと助言を受けるが、ここでおしんのとった行動がすごい。夫を再起させるために、自ら稼ぐことをやめてしまうのであるおしんが働くのをやめ、ついに貯金がつき、明日の米を買うお金も無くなった。お金が尽きたとお師匠さんに報告した際にいったタカ言葉ダメは男はどこまでいってもダメなんだよ」は自分の胸に突き刺さっていたい。どん底理解した竜三はプライドを捨て勤め人として働きだす。それからおしんは、再び商売を始める竜三に対して、どんなに商売センスがなくても温かい目で見守ることにした。先行きに不安でも、それを表には出さずヨイショを欠かさなかった。夫と一緒ならどんな苦労でもすると明るく振舞う。黙って俺についてくればいいんだと竜三に言わせることで、おしんは夫の背中を押していた。やがて子供服需要に目をつけ、竜三は工場建設に乗り出すも、関東大震災で多額の投資をした工場は瓦解、田倉商店の夢も泡と消えた。失意の竜三は佐賀に帰ろうと言い出す。そもそも三男坊である竜三は実家資金東京事業を始め、失敗し、夢破れて、太い実家をあてにして舞い戻ってしまうような根性なしだった。前述のおしん佐賀地獄はここから始まる。

それから数年、佐賀地獄から幼い息子を連れて脱出したおしんは、東京山形転々とし、最終的に伊勢に落ち着き、魚屋として地道に商売をする日々が続いた。いずれ夫と家族ともに暮らせる日を夢見て。最初の3年は一人で魚屋を切り盛りしていたおしんっだったが、夫の竜三から手紙を出せどなしのつぶて。そんな折、有明海干拓の夢破れた竜三が、満州で一旗揚げると別れの挨拶にひょっこり伊勢に現れた。渾身のタックルで、逃げようとする竜三をつかまえるおしんの演技は、天才女優田中裕子のすごさがわかるシーンである。竜三は自分には甲斐性がないことを承知していた。おしん行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくま干拓に拘っていたのであるしかおしんには会いたい。干拓の夢破れた自分を恥じて、おしんに顔を向けられない。おしんに見つかった途端に逃げ出してしまう竜三。そんな旦那にしがみついて、プライドを捨てて魚屋から一緒にやり直そうと説得するおしんの行動には、ある意味、全篇通して変わらないおしん本質がある。田中裕子の猛烈なタックルをみるだけでも「おしん」を見る価値がある。マイベストシーンといってもいい。

やがて伊勢根付いて20年が経ち、この伊勢の小さな魚屋軍部お抱え業者としての水産加工工場にまで事業拡大させたのは竜三の手腕である

しかしそれも敗戦でなにもかもを失い、夫は自殺する。

竜三と長男・雄を戦争で失い、おしんはもう一度魚屋として再出発する。魚屋を手伝い始めたおしんの息子たちはやがて魚屋アメリカ式レジを導入したセルフサービスの店に転換しようと奮闘する。それがのちのたのくらスーパーの出発点となった。今日ではどんな店でも当たり前のレジによる精算が当時は画期的な仕組みだったというのも興味深い。それまでは品物の中央に座りザルをぶら下げて、商品の受け渡しと代金の受け取りをするのが一般的だったのである

魚屋として地域に根差し、身の丈に合った商売をしたかったおしんは当初は反対していたくらいであり、事業原動力となったのは次男の仁であるおしんは夢ふくらむ仁の行動に不安を覚えつつも、その後の事業拡大を支えていたのは間違いなくおしんであった。しかし、情熱をもって会社リードしていたのはおしんというより次男の仁であったというのは間違いない。

こうしてみてくると、おしん実業家として全く野望を持っておらず、本心は堅実に地域根付いた商売をしたかっただけである

おしんに対する三つ目の誤解は、おしん立身出世成功物語であるという誤解である

極貧の小作の娘から、女一代でスーパー16店舗をかまえる地域実業家になった、というのは筋としては間違ってはいない。しかし、大正戦前戦後とその時代時代おしんがしてきたことは、成功しようと夢見みて危険なかけにでる夫や息子の行動を冷静に分析し、正しく軌道修正しようとすることであった。事業拡大をしようと竜三や仁がいうときおしんはいつも反対してきた。これまで大切にしてくださったお客様など義理人情を捨ててまで商売をしようという考えはおしんには全くない、ある意味とても保守的人間であり、実業家によくある野心家では全くなかった。野心家は夫の竜三であり、その血を引いた次男の仁のほうだった。

もちろん、おしんにはおしん商売に対する信念があった。それは人のつながりを大切にすることであり、恩を大切にすることであるおしんは昔から自分を育ててくれたり支援してくれた人たちへの恩を忘れず、いつでも義理人情に生きようとする人なのである

大正時代に縫製工場を拡大したときも、従業員をこき使おうとする竜三に、社員健康福利厚生の大切さを説いていたおしん。ここにはかつて製糸工場結核になったおしんの姉・はるが使い捨て同然に実家に戻され亡くなった経験がにじみ出ている。伊勢魚屋店舗を構えることになったときおしんはお世話になったお客様を忘れず、なかなか行商をやめようとはしなかった。

またおしんをめぐる当時の関係人物にはそれぞれやはり、一宿一飯の恩義という観念がつよく働いていた。それを象徴するのが、息子・雄の戦友である川村である。雄は南方戦線で亡くなってしまうが川村は戦友に報いるために自分が取得した駅前土地を田倉家に譲渡するという行動に出る。そしてなんといってもおしん人生最大の恩人は16歳のとき初恋相手・浩太である。浩太にとってもおしんは恩人であり、かつ激動の時代を共にしてきた戦友のような存在だった。

おしん物語は、事業家としての成功の一代記というより、ひとの縁と恩を大切にする人生観がより胸に迫ってくる物語である。いってしまえば浪花節である。いやそもそも成功などせず、ほぼ失敗して物語は終盤に向かう。その失敗についても、その救済についてもいろいろと誤解していたことがわかった。

https://anond.hatelabo.jp/20240908082812(その2)へ続く

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911(その3)へ続く

2024-08-22

anond:20240822173629

体力と空間把握能力がない人でも出来る仕事女子仕事と思ってる

サービス業介護保育看護あたりだけは残るけど他の接客とかはどんどん人いらなくなってるよ

なんでかと言うと一般人に金がなくてセルフサービスの方が人気あるから

小売もホテルユニクロやビジホみたいに店員がいらない店が増えてるし

今女でもできる仕事人手不足なのって構造的に賃金上げられなくて腰壊して辞める人が多い介護くらいでしょ

トラック建設職人能力不足で無理な女性が大半じゃん

2024-08-19

anond:20240819090640

家賃なし、配膳返却全部セルフサービスなのでホールスタッフゼロメニューは日替わり2種類のみで

ある程度出る食数は決まってるから廃棄も少ないやろし大きく赤字にならんかったらええだけやから全然いけるやろなあ

2024-07-30

anond:20240729122928

❌「客が」好きな「モノを」焼く

⭕️「客が」好きな「ように」焼く

まりセルフサービス」と同じ用法では🤔

2024-05-13

[]アウフギーサー

熱波師と訳される。

サウナ内で、サウナストーンに水をかけて蒸気を発生させ、それを扇いで客に熱風を送る「アウフグース」を行う専門スタッフのこと。

サウナの本場・フィンランドではサウナストーンに水をかけることを「ロウリュ」というが、

ロウリュではサウナストーンにかける水は比較的少なく、また利用客のセルフサービスであることが多い。

上記のようなパフォーマンスドイツで生まれたため、ドイツ語で「アウフグース」「アウフギーサー」と呼ばれる。

単なる温度調整というよりは、ショーやイベントに近いものになっている。

2024-04-06

婚活で行く店

婚活で安い店でいいのか、高い店に行くべきかで、毎度毎度しょうもない揉め方をしてるけどさ、そもそも婚活で初対面の人と会う店ってカフェとか喫茶店だろ。結婚相談所でもそう言われるぞ。暇なら、一度ホテルにあるカフェとか行ってみろ。明らかに婚活してるっぽい男女が何組かいから

だいたい初対面なんて、まずは様子見なんだから軽く話すみたいな感じだろ。なんで、飯を食う発想になるんだよ。飯屋だと必然的長居になるだろ。

様子見なんだからカフェだといつでも切り上げられる体制にできるし、気に入ったならそのままダラダラ長話を続けても文句は言われんからな。

基本的に話すことがメインだからスタバみたいなセルフサービスの店じゃなければどこでもいいよ。一々店も探す手間も省ける。婚活ではコメダはよく使ったな。ジェリコを頼むと話のネタにもなってなかなか良かった。

それに奢るかどうかの話になっても、カフェならコーヒーケーキを付けても、1000円にもならんし、奢ったところで2人合わせても1人分の飯代になるかならんかのレベルからな。それくらいなら面倒だから奢るわ。飯を食うと値段も高くなるし、奢るにしても相手も気が引ける感じになるから良いとは思えん。

から婚活カフェ喫茶店に行くんだよ。間違っても、飯屋なんかに行くな。それは仲良くなってからの話でいいんだよ。

2024-03-31

anond:20240330215908

非表示使わないのが寛容というのがわからん

煽り揶揄whataboutism繰り返すだけのアカウントなんて

目にしてるだけでそのクラスタへのヘイトが溜まって不寛容になる一方だろ

切断処理ってのはセルフサービスなんだよ

2024-03-17

anond:20240317230130

関西とくに京都あと大阪ではキムチは幼馴染みのようなものだぞ

…ワイが某巨大電メーカー工場の工員食堂セールスの帰りにチケットを貰って寄って食べたときセルフサービス方式で保温ジャー白飯→日替わり惣菜→大型バットに大量のキムチ、の順に並べてあって、年配の従業員が手慣れた様子で丼鉢→オカズ小鉢漬け物小皿と手元の御盆に乗せてから白飯惣菜キムチを取り分けてったのを並んでた列から眺めてた、そしたら無精髭に着崩したツナギ若い流行りの顔したアンチャン風の工員は小皿御盆に取らなかったので「あー、やっぱ最近の若者からはもうキムチやらの漬け物喰う習慣は消えたんだなー」とおもってたら何のことはない、アンチャンは丼鉢の山盛り白飯に直接キムチをやはり山盛りにしてよそってたやで

2024-02-18

anond:20240217203534

この増田トップコメ

性交同意の件、女性の多くが明確に同意取る方が誠実で素敵!ってなるなら男はとっくにそうしてるというのが全てだと思う。

女性と付き合ったりセックスしたことない女性恋愛こうすればいいの意見はアテにならん。

なんだけど、これってどういうこと?

・多くの女性は「性的同意を取る方が素敵!」とは思っていない。本当にそうなら、多くの男性女性に合わせてそのように行動しているはず。
女性は(同棲である女性と付き合ったりセックスしたことがない。だから女性意見はアテにならない。

まり

女性性的同意ジャッジは俺たち男にまかしとけ!

ってことなの?(違ったらごめんなさい)

そんで、その女性という存在は一律その通りの性格なの?

え、これがスター付きまくりって…大丈夫??


元増田って、

チアプで出会えた40人のうち10人ぐらいとやれましたって話だよね。ざっくり25%か。

さらに遊び系マチアプとして名高いTinder(おそらく)使用者って、出会いを求める女性の中の何%なんだろうね。

チアプを使う女性そもそも何%なんだろうね。

「暗に"セックス目的の呼び出し"を受けて応じる女性」って、少数派だと思えてならないのは私だけ…?

とはいえ、いつの時代も「思わせぶり」ってのはあるあるじゃん。

元増田自体は、直前に性的不同意を感じて確認し、無理強いもしていない様子なので別に問題ないと思うし、

女性の方も、個人的には変わってるな〜とは思うけど、特定要件を満たしたらセックス実施絶対!というわけでもないので、

コミュニケーション齟齬だね。平和に終わってよかったね。という感想につきるんだけど、

一部ブコメの、性的同意確認絶対取りたくないマンを見て不安になったよ。

全女性を代表する気は無いけど、私は暗に囲い込み(時間密室度、圧力)を決められる前に「〇〇に行くってことはそういう意味で…思ってるけど良いかな?」と聞かれたい。

エッチ気持ちなっちゃった!」って言ってくる人とか、とても断りやすくていいですね。(私の場合は「セルフサービスでお願いいたしま〜す」って明るく返せるから。)

そういえば学生時代を思い返すと、共に実家暮らしの二人がお金を貯めて予定を組んでラブホテルに行っている…なんてのも珍しくなかったしね。

性的同意確認絶対しないマンはさ、少しでも読み違えたら性加害者になるリスクをもうちょっと考えて欲しい。

健康的かつ社会的安心できるセックスなんてそう多く無いはずだよ。

多くの女性宅配、夜道、男性とのコミュニケーションの中で何度も性被害になる可能性が頭を巡ると思う。

同様に、男性ももう少しリスク理解した方がいい。

「こんな女がうるさい世の中じゃ楽しみとしてのセックスもできない!性欲の矮小化!」なんて思わないで。

セックスって簡単にできることじゃないんです。だから風俗店が高額になるんでしょう?

どうか加害者にならないで。気をつけて。

ちなみにもっといえば、「奢られ」を期待する女性は「自分接待を売る(金や物に変える)ビジネス」をしているわけだから同様に先に言えよと思ってる。

まあ実際はこんなふうに「とにかくセックスする状況に持ち込む男」と「とにかく高いものを奢らせたい女」っていうのはあくまで少数派で、こいつら同士で対消滅しろよって感じなんだけど、そう言う手練れは双方が嫌なんだろうね。

情緒を感じながら安くヤリたい男と、とにかく高く接待サービスを売りたい女じゃマッチしないものね。

(正直はてなにいる人々はこれらのどちらでもない羊たちだと思ってるよ。)

なんかそいつらのせいで、女性男性疑心暗鬼コミュニケーションを続けるのってクソすぎるな。

とにかく私は性的意志は明確にしていきますし、このような女がいることも知っておいてもらえたら嬉しい。(あなたがこういう女と出会ってしま可能性もありますわよ)

男女関わらず衛生観念貞操観念には個人差があり、個人の性欲にもその時々のムラがある。性欲開示への忌避感も個人差がある。

そのような個体差理解して、加害者被害者どちらにもなり得るリスクを背負いながら交流しましょ。

最後にもう一度いうけど、回りくどい買春目的の奴ら、接待金銭化を望む奴ら、ビジネスしに来てるなら先に言え!!!

チア会社はこいつらマジどうにかしろ!!!

2024-01-10

「客に全部やらせる」セルフサービスはどこまで行くのか?

人件費削減のため客に色々やらせるのがこのデフレ下で進んできたと思うけど

これどこまでいくんだろうね

日本から成り立ってる気もする

 

実際ライバル会社が何個かあると

人件費削減したほうが安くできるor宣伝できるからそっちのほうが勝っちゃうんだよね

 

学生と客はどれだけ働かせても最低賃金違反にはならない不思議

2023-11-03

クレーマーのワイがクレーマー心理解説するよ☆

英語のclaimは主張するって意味の通り、単に店員に対して主張してるにすぎないんだよね

クレーマー店員だったら、問答無用クレーマー側が悪いという風潮あるけどさ、店員側が悪いケースを想定してないよね?その主張に無理があるか否かはケースバイケースで見るべき

よく自分は客で神様だと思ってるみたいに決めつけられるんだけど、全然そんなことはない。フラット立場でモノ申してるだけだから。なので店員から反論普通に想定してるし、「反論するとは何事だ!態度が悪い!」とはならないけどね

俺がブチ切れるポイントが一つあって、店員に恥をかかされた時ね。別にそうじゃないときクレームつけてるんだけどそこは今回は置いとくわw

例で言うと、俺がたまに行く、手持ちの中で4番手くらいのラーメン屋があったわけよ。そこはいつも店員がお冷持ってきてくれるわけ。で、こないだ行ったら、お冷持ってこないから聞いたら、「セルフサービスって書いてますよね」だって

そこでは切れずに、(ひろゆきが言うようにラーメンにつばとか入れられたらいやだから会計の時にブチ切れたよね

「お前ら今までお冷持ってきてたよな?なんで持ってこないん?」

「いや書いてありますよね」

「いやいや今までお前らが持ってきてたやん。おかしいやろ。じゃあ逆に教育なってないやん。なんで今までの店員俺にお冷持ってきてたん?」

そしたらなんか忙しいだの店は店長の私一人で回してるだの(←薄々気付いてたけど、今まで俺にお冷持ってきてたやつこいつなんよどう考えても)うだうだ言うから金投げつけて二度と来るかって言ってドアばたんって閉めて帰ったんよ

どう考えても忙しいとかは店側の都合であって俺には関係ない、店側が100悪いってわかるよね?

で、なんでたかがこんなことでプッツン切れたのかってことが本題なんですけど

結局他に客がおったわけですよ。そいつらの前で「セルフサービスって書いてますよね」みたいに、こっちが悪いみたいな言い方されたら、その他の客からしたら理不尽クレーマーやなって思われるわけでしょ?

から、その客がいる前で店長論破したんですよ。俺は「理不尽な」クレーマーじゃないですよ、正当なクレーマーですよってね。

まり一人で勝手無知ゆえに恥をかいたんじゃなく、店員に恥をかかされたんですよってアピールしたいんですね。こっちは被害者ですよと

店員より上に立っていい気分になりたいとか、ストレス発散とか、そんなんじゃないんよ

こないだすき家で何度ピンポン押してもシカトかましてたババアに店内に響くぐらいの怒声浴びせたときもそう。こっちは店側が押せって言ってるピンポン連打してんのやから最初から連打したわけじゃなくて押してもなーんの反応も一向にせんから10押して変わらんのやったらキレよって決めてたよね)

反応ぐらいしろやって話で。シカトかまされとる俺恥かかされとるやん。っていう話

からクレーマーにあったときは、単にクレーマーに当たった不運だったで済ませるんじゃなくて、自分が何かこの人に恥をかかせたんじゃないかということを、全国のあらゆる店員念頭に置くようにw

2023-08-17

三献茶が飲みたい

三献茶とは、石田三成豊臣秀吉に振る舞ったとされる三杯のお茶のことだ。

秀吉鷹狩の折に寺に立ち寄り、茶を所望したという。

そこで出てきたお茶は、大きな茶碗にたっぷり入ったぬるいお茶であり、鷹狩でのどが渇いていた秀吉は一気に飲み干してお代わりを所望した。

次に出てきたお茶は、先ほどの半分ほどの量の熱いお茶であり、秀吉はそれも飲み干してさらにお代わりを所望した。

三杯目に出てきたお茶は、高価な小茶碗に入った舌が焼けるほどに熱いお茶であった。

秀吉お茶を用意した寺の少年の気配りに感心して、小姓として連れ帰ったという。

この少年が後の石田三成であり、この時に振る舞った三杯のお茶を三献茶と言うのだ。

私は三献茶が飲みたい。

暑い夏はたっぷりと水分を取りたいけれども、エアコンの効いた屋内で冷たい飲み物を飲むのは体が冷えてよくない。

さりとて熱い飲み物などは、飲みたくない。

ぬるい飲み物たっぷりと飲みたいところだが、ジュースなど甘い物は口の中がネチャネチャしてのどが渇くし、コーヒーカフェインの取りすぎになるのでこれまたよくない。

水なら悪くはないが、少し味気ない。

やはりお茶が飲みたいところだ。

そうしたら、三献茶の二杯目・三杯目へと飲み進めたくなることは、もはや説明するまでもないだろう。

しかしながら、一体どこで三献茶を飲めるというのだろうか。

そもそも日本飲食店提供される飲み物は茶に限らず熱いか冷たいかの両極端であり、ぬるい飲み物など存在しないのではなかろうか。

無茶な方法を取ってよいのなら、セルフ式の給茶機を用いれば可能かもしれない。

セルフサービスの食堂高速道路サービスエリアなんかにある、コップを置いてボタンを押すとお茶が出てくる機械のことだ。

お茶は「あったかい」と「つめたい」の二種類だが、自前で大きな茶碗を持ち込んで「あったかい」と「つめたい」をブレンドすればぬるくてたっぷりの三献茶の一杯目になるだろう。

いや、やっぱりだめだ。

自前の茶碗を持参するなどあまりにも不審者じみている。

せめて、備え付けのコップで熱いお茶と冷たいお茶の二杯を用意するのにとどめるべきか。

いや、それもだめだ。

熱いお茶と冷たいお茶を交互に飲むのもやはり不審者じみている。

右手熱いお茶左手に冷たいお茶を持って同時に飲めたらいいのだが、不審者を通り越してもはやメドローア修行だ。

そもそも自分で用意したら、三献茶の「献」からは程遠い。

やはり飲食店で客として注文するだけで、後は店員お茶を持ってきてもらいたいところだ。

2023-08-11

文化ってなによ?

先週の休みに、香川に行ったとき讃岐うどんを食べた。

あちこち讃岐うどんの店があるし、社食みたいなセルフサービス形式だったのに驚いた。

うどんの値段も1玉300円というおやつ感覚で食べられる少量も売っていて地元高校生サラリーマンでにぎわっていた。

また地元のひとに「うどん文化すごいですねー」というと不思議な顔をされた。

文化ってほどではないけど…」ということらしい。

しかに。

例えば俺は大阪人だけど「笑いは大阪文化」と言われると違和感がある。

大阪人からすると、ボケツッコミの掛け合いやオチのある話というのは別に文化というほど高尚なものではない。ただの日常会話だ。

同じように香川の人からすると俺から見た特殊形態うどん店は当たり前にあるものなんだろう。

見る人によって文化に見えたりそうでなかったりするもの。それが文化なんだと思う。

俺が香川うどん特殊に見えたり、非大阪の人から大阪人コミュニケーションが独特に見えたりそういうことが起こる。

一方で着物みたいに日本人からしても外国人からしても文化だとみなされるものもある。

外国人から見たら極東島国文化だろう。

また日本人から見ても着物日常ではないだろう。夏のお祭り成人式といったハレの日だけに着る文化だと思う。

日常から消えてしまいそうになって、それを大切にしようという意識が生まれた時が日常文化に変わるときなのではないか

そんなことを考えた。

2023-08-06

大阪讃岐うどん

讃岐うどん香川のものだろう

と思うかも入れないが「大阪 讃岐うどん ランキング」と検索すると上位の大半の店が讃岐うどんをうたってる。

そのくらい大阪讃岐うどんは浸透してる。

ただ香川讃岐うどん大阪讃岐うどんは随分違ってる。

コシがある麺は共通だけど、大阪のほうがより弾力のある麺になっている。

あと香川出汁イリコ出汁だけど大阪出汁は醬油ベース

香川のほうが優しい味で麺の風味が楽しめる。一方大阪触感も味もガツン!というインパクトのあるうどんになっている。

大阪うどん外食しにお店に行こうというハレの日のご馳走的なものに対して、香川讃岐うどん生活の一部になっていて小盛が一杯200円とかセルフサービスでさっと食べられるようになっている。

どちらが旨いかというとやはり香川讃岐うどん

香川の麺は食べるとふわっと小麦香りがする。

おいしいフランスパン小麦香ばしい香りがするのに似てる(うどんフランスパン小麦と水から出来ている)。

それが味わいたくてたまに四国まで行く。

「わざわざうどんの為に?」と笑われるけど、大阪から北海道の海産を食べに行くよりお手軽に、同じ程度の食の感動が得られる。

夏休みに予定のない人は香川に行ってみてはどうだろう。

2023-08-05

anond:20230804232647

セルフサービスの店に入ったらうどん玉を湯がくのも客がやるタイプの店で「セルフってそういう……」となったりした。

セルフうどん自体はすでに茹でて絞めてあって、丼に入れる前に湯通しして温めるだけでしょ?

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