はてなキーワード: 道化とは
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140511/1399809440
今の日本でこのようなことを指摘しても無駄だとわかっていますが、アベという名の麻薬による幻覚から覚めて更正する際の助力にでもなるかも知れませんので一応書いておきます。
真の革命家であるアベの言動と比較すれば、この哀れな少数派の滑稽さは浮き彫りとなる。
昨日も述べたとおり、アベのなさんとするところは、おそらくは多数派も望まないであろうことである。
その点において、アベもまたこのid:scopedogと同様に少数派であると言える。
であれば、scopedogとアベとの間に本質的な差異はない。
scopedogは自らの麻薬によって大衆を支配し、望む変化を実現すればよいし、またそれに挑むべきなのである。
ところが、scopedogは「今の日本でこのようなことを指摘しても無駄だとわかっていますが」などと自嘲するばかり。
これは、アベに戦いを挑みながら、同じく少数派であるアベにできることが自分には出来ない、自分はアベよりも無能であると自白するに等しい。
これを道化と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
今夜もケンミンショーで大阪が異様なものとして映される時間がきました。
あのさ、皆あれはテレビ用に編集してあることはわかってるとは思う。
でも、もっともっと深いものが潜んでるってことを最近気づいたから言わせて。
たとえば、「たこ焼き好きですか?」「好きや!」の間に一体大阪人の頭の中でどういう思考過程があるかというと。
大阪人「(たこ焼き?そりゃ好きやわ。いや、よく考えたら別に普通やけど、大阪人にたこ焼き好きと聞いてくるということは、こりゃ当たり前に好きや、という答えを求めてるんやな。しかも、これはお前らたこ焼き好きちゃうんか?っていう俺らがたこ焼き好きなのは常識やと考えて、大阪の常識は世界の常識やと考えているという非常識さを出すところまで期待してるわけやな。これは好きって答えなアカン。俺らにとってはたこ焼きとかまぁふつうやし、気が向いたら近くにあるから買うだけやけど、たこ焼き好きや言うてほしいんやろなー。おもっきり大阪人として答えたらなあかんな。はぁー、面倒臭いわー。しゃーない道化になったるか。毎回毎回疲れるんじゃボケ。)好きや!」
ちなみに()内の思考は光の速さで、<無意識>に行われてるのね。
そう、大阪人は大阪人としてインタビューの答えるとき、異様なまでに思考を働かせる。それも無意識で。
だから皆、今度からケンミンショーを見るときは心して観てほしい。大阪人がインタビューに答えるとき、そこには多大なる思考の過程があるんだよ。
その行間を読み取ってほしい。
まぁ、ほんまかどうかは知らんけど。
折からトルメキアの王都トラスから戦線の崩壊に業を煮やしたヴ王がシュワに向けて自ら出陣していた。彼もまた墓所を狙っていたのである。敗走した生き残りの兄皇子たちもまた、国境警備を命じられたものの、ヴ王の目を盗んでシュワに向かう。そして偶然ナウシカは兄皇子たちの斥候部隊と遭遇する。嬉々として彼らを撃滅する巨神兵を制止したナウシカは、彼を立派な人になるようにさとし、エフタル語で無垢を意味するオーマと名づける。
名を与えられた巨神兵は急速に知能を発達させ、自らを調停者と称する。ナウシカは巨神兵についての伝承に疑問を抱く。巨神兵とは単なる兵器ではなかったのではないだろうか?
一方難民終結地は一瞬即発の危機状態にあった。クシャナによる、ナウシカを追ってシュワに行く為の船を貸してほしい、との要請が火種になり皇帝と僧会という重石がとれ権力の真空状態にあった土鬼難民の間に、侵略者トルメキア軍への憎悪がクシャナを標的として再燃する。クシャナももはやかつてのような攻撃性は失ったものの、自体を平和的に打開する手を打つでもなく、「所詮血塗られた道か・・・」と呆然とすべての終わりを待っているだけであり、
チャルカもまた圧制者たる僧会への民衆の憎悪をなだめるのに手一杯で後手に回ってしまう。しかしユパがクシャナを殺到する兵の刃から身を持って庇ったその瞬間、マニの僧正の霊が彼の体を借りて再臨し、人々の憎悪は打ち消され、衝突は回避される。「そなたには王道こそふさわしい」と言い残しユパは死に、「友達になろう」と差し出されたチククの手をようやくクシャナはとる。
ナウシカとオーマは兄皇子たちの艦隊に合流するが、ナウシカの身体はオーマの発する「毒の光」によって衰弱しきっていた。テレパシーで伝わったユパとほぼ同時に、彼女の旅にずっと同伴してきたキツネリスのテトも死に、テトを埋葬する為ナウシカはオーマとともに艦隊を離れる。ナウシカを逃がすまいとする兄皇子たちはオーマの「裁定」により艦隊から引き離され、身一つでナウシカに伴わなければならなくなる。
テトを埋葬するために降りたオアシスでナウシカは奇妙な牧人に救われ、彼の庭園の館で治療を受ける。彼女の身体はみるみる回復し、とうに滅びたはずの動植物をヒドラの農夫が世話するこの館で、彼女はくつろぐと同時に記憶をなくしていく。しかし同じように記憶をなくし、かつての権力への妄執から解き放たれて別人のようになった兄皇子たちの奏でる、「火の七日間」以前の古典音楽の調べが呼び覚ました「青き清浄の地」のイメージとともに、彼女は忘却から醒め脱出をはかるが、牧人に制止される。
目覚めた彼女は牧人のテレパシーによる誘惑をもはや受け付けず、牧人に真実を語ることを求める。しかし牧人は、二百年ほど前にこの庭を訪れた「そなたに良く似た少年」のことを語る。彼はやがて人類を救いたいと書き置いて、ヒドラを連れて脱出し、初代神聖皇帝になった。「そなたのしようとしていることはもうなんども人間が繰り返してきたことなんだよ」。
くじけそうになるナウシカのもとにセルムがテレパシーで救援に駆けつける。しかし、牧人もまた一種のヒドラであることを指摘するセルムの前でも、彼(彼女)の奏然たる様は揺らぐことはなく、逆にセルムを問い詰める。「青き清浄の地」に今の人間は適応できずに死んでしまう。そのことを森の人は知っておきながら何故それを希望と偽るのか、と。
しかし、問答をきっかけにナウシカは一気に自体の真相に肉薄する。実は「腐海」の地球環境浄化機能は、自然にできたものではなく人為の所産である。そして腐海の周辺の汚染された環境に対する人間の耐性もまた、人為的な改良の所産である。つまり産業文明末期、「火の七日間」の前後に巨大な地球環境復元プロジェクトが組まれ、そのために「腐海」という人工の生態系が創造され、プロジェクトの期間中、「腐海」が副産物として生成する毒物に耐えて生延びていけるように人間も改造されたのだと。
そしてこの庭は復元された環境の中に開放されるべきものたち、農作物や家畜、文学や芸術を保存したタイムカプセルのようなものなのだと。
「この庭にあるもの以外に次の世に伝える価値のあるものを人間は造れなかったのだ・・・」つぶやく牧人にナウシカは「何故墓所には伝えるに値しない技が遺され死の影を吐き出しているのですか?」と問う。答えない牧人に「沈黙もまた答えです」と言い放ち、牧人ももはや彼女を止めようとせず、「そなたのためにこの庭はいつも開けておこう」と別れを告げる。そしてナウシカは館を脱出し、ガンシップで追ってきた風の谷の従者たち、蟲使いの若者たちと合流する。すでにオーマは、病んだ彼女を置いて一人シュワに出発していた。ナウシカたちはシュワに急行する。
シュワにはすでにヴ王の軍勢が到着し、制圧を完了していたが、墓所の門は閉ざされたままあらゆる攻撃を跳ね返し、逆に激しく反撃してくる。そこに到着したオーマは裁定を申し入れ、墓所に対して門を開くように通告し攻撃を加える。これにさしもの墓所も損壊するが、反撃でオーマは傷つき倒れ、シュワの市街ともどもヴ王の軍も全滅する。辛くも生き残ったヴ王とその忠実な道化の前に、門は其の新しい王を迎えるためついに開かれる。
ヴ王に遅れてナウシカも到着し、ともに墓所最深部、主の前に立つ。主はその表面に旧世界の知を記した古文字を浮かび上がらせた巨大な肉塊である。そこから人々(浄化計画を設計した旧世界の科学者達?)の幻影が立ち現れ、「腐海の尽きる日」「青き清浄の地」の復活を予告し、其の準備として用意された技術の貯蔵庫である墓所を守るように要請する。しかしナウシカはそれを拒絶し、「真実をかたれっ」と迫る。
幻影はかき消え主は新たに道化の口を通し、お前は人類を滅ぼそうとするのか、と責めるが、ナウシカは未来と引き換えに現在を犠牲するプロジェクトをあくまで拒絶、かろうじて生きていたオーマを呼び出し、主を攻撃させて破壊する。断末魔の主の反撃からナウシカを庇ったのはヴ王であった。オーマは母の名を呼びながら絶命し、その死を哀しむナウシカはオーマとともに解体する墓所の中に沈もうとするところをアスベルに救われて脱出する。
救出されたヴ王はクシャナに看取られ、彼女に王位とトルメキア再建の責務を託して死ぬ。クシャナは「わたしは王にはならぬ すでに新しい王を持っている だが帰ろう!! 王道を開くために」と、ユパとヴ王の遺志に従うことを決意する。
ナウシカは青き衣のものとして民衆の歓呼に迎えらる。彼女は自分の知りえた真実については黙して語らず、人々を欺き続けることに決める。ただ秘密をセルム、森の人とのみ分け合って。
後日談としてナウシカはその後土鬼の地にとどまり、チククの成人まで風の谷にもどらなかったこと、また一説には森の人の元に去ったとも伝えられていること、そして後に「トルメキア中興の祖」とたたえられたクシャナは生涯王位につかず代王にとどまり、以後トルメキアは「王を持たぬ国」になったこと、が記されてこの長い物語は終わる。
「自分(たち)は浮いた存在である」そんな自覚があるうちはまだ良いのだが、そのギャップを埋めるために何かふざけてみたりジョークを飛ばすという段になると、たとえようもないほどつまらなかったり、ユーモアのセンスが全くなかったり、流れガン無視で淫夢語録を連発するとかで、全般的にお寒いケースがちょいちょいある。コメディが本領ではないからそうなるのも多少は仕方ないけれど、「ぼくらは衆愚より一歩抜きん出た存在である」という優越感を隠しきれていない場合もいくらか散見されて、そんな人達の道化る瞬間、その禍々しさはことばにならない。そんな有り様を見るにつけ、この人たちも浮世で日銭を稼がないといけないのに、こんな浮いた存在で大丈夫なんだろか、大学生なら卒業後の生活はどうするんだろう、などと思ったりもする。肥えたプライドが脳みそに動脈硬化を引き起こさねばよいのだが…。
「ねぇ、あそこってどういう意味?」頭は並/性格も並→友達にしたい
「なにこのクソ映画(激おこ)」頭はいい/性格は悪い→一生関わりたくない
☆追記
同様に「○○してる奴wwww」や「結局モテようとしている!」のような
思慮の足りない人間を叩いて、そうではない自分に優越感を抱いているかしこい方々は、
画面を介さない限り一生お付き合いしたくありませんので、そのまま画面に閉じこもっていることを推奨します。
画面越しに見るあなたたちの滑稽な姿は、その日あったイヤなことが和らぐ程度には役に立っていますので、
むしろ結婚しないこと、友達ができないことに腹を括って道化であり続けることを選んではいかがでしょう。
それでも頭がいいあなたたちが結婚したり、友達を作ったりしようと思ったら、
結局あなたたちが馬鹿にしている彼らの姿を真似して、受け入れるしかありません。
滑稽でも、自分でも滑稽だと思っていてもオシャレしたり、積極的に話しかけたり、モテようとするんだよ!
性格が悪く面も悪い人が、なにもせず面もよく性格もいい人とお近づきになれるという思い上がりが、
あいつらは馬鹿で、俺らはかしこい、だから見下す権利があるという思い上がりが、
ぼくらは釣りが大好きだ。釣りがあるからこのストレス社会の中でも生きていける。でもぼくは思う。食べ放題にルールがあるのと同じように釣りにもルールがあるのではないかと。釣り師が守るべき規範について書いてみたい。
釣り師とは紳士でなければならない。当然誰かを傷つけるようなことをしてはならない。ときには批判することも大事だ。釣りには鋭さも必要だからだ。しかしそれは相手を傷つけることとは違う。ぼくらがしなくてはならないのは相手の不正を暴きだすことなのだ。
勢いに任せた汚い言葉を用いた文体で注目を集めるやりかたがある。たしかにこれは効果的だが、一流の釣り師ではない。一流の釣り師とは穏やかで風のように過ぎ去っていく存在なのだ。軽やかに、颯爽と。
低学歴の学歴コンプレックスを煽る手法として難解な文体を突きつけるというやりかたがある。しかしこれはあまり効果的とは言えない。そもそも釣れない可能性が高いし、釣れたところで相手を疲弊させてしまうだけだ。それでは釣りをやる意味がない。釣りとはみなが幸せになるためのものなのだ。高校偏差値を見てみてほしい。http://kintaro.boy.jp/AW04-010/sozai/html/zenkoku%20kouritu.html これだけの高校があってまだこの表には偏差値67までしか載ってない。はてなーなら偏差値70以上が普通だと思うが、ぼくらは偏差値70に向けて釣りをするべきではない。当然偏差値50に向けてやるべきなのだ。小学生を相手にするように。優しく幼児のおでこをなでるように。
皮肉を書いてもそれが皮肉と受け取られなければ意味がない。世の中には漫画や雑誌以外の本を1年間に10冊も読まない人たちがたくさんいる。そのことを考えてみるべきなのだ。文体はなるべく曖昧な語を使わず詩的な表現を避け簡潔に書く必要がある。フォークナー的ではなくヘミングウェイ的に書けということなのだ。
突っ込みどころをあらかじめ用意しておくというやり方がある。たしかにそれはとても効果的だ。しかしやりすぎると逆効果になる。突っ込みどころが多すぎてどこから突っ込んでいいかわからず、めんどくさくなってスルーしてしまう可能性が出てくるからだ。突っ込みどころはひとつかふたつに絞っておこう(当然ほかの部分はもっともらしく書く必要がある)。そうすれば読者は素早く突っ込みどころに反応し、素早く突っ込んでくれるだろう。相手に対するいたわりの気持ち。紳士なら持っておきたいものである。
これは最低限にして最大のマナーなのだ。後釣り宣言する人がたまにいるが、これは読者との信頼関係を裏切るもので最悪のものだ。読者はそれが釣り(=フィクション)だと知らなければ幸せになれたのかもしれない。それならば紳士が選ぶ選択肢はひとつしかない。釣り師は読者の幸せをつねに考えておくべきものだ。当然、釣り宣言などしてはいけないのである。
釣り師は嘘におりまぜてほんの少しの真実をほのめかしておく。それはほとんど嘘か真実かわからないくらい混濁した状況を指し示すものだが、硬直した現実を解き放つべく生まれた進化の裂け目でもあるのだ。釣り師は人々に「気づき」をうながす。釣りとは啓蒙活動なのである。
釣り師は体制派に属してはいけない。釣り師はいつもアナーキーで魔術的でなければならない。ぼくらは権力者を掣肘する道化であり賢者なのである。
釣りというフィクションを読んで、釣られた読者は心を動かされるかもしれない。そのときこの感情の動きにともなう経験はまさに現実の経験であり、そのときフィクションはノンフィクションに転移しているのである。すぐれた文学作品は登場人物の経験したことを読者にまさにそこにいたかのように追体験させるが、それはフィクションのなかにノンフィクションが含まれるからである。釣りのなかに現実が含まれる。そしてこの釣り的現実のなかで人々は大いに笑うのである。
自分が自分でいられなくなったこと。それは、私が常に周囲に気を配り、他人の目を気にし、自分がどう行動すれば良いかを考え、演技して来たこと。それに気がついた時、私とは一体、何だったのだろうかと思った。私は私で無かったことに気がついた。それは、誰かの期待に沿うように生きて来たのにも原因があるように思える。その根本的な原因を探ると、やはり、両親にそれを見出す事が出来る。私の両親は喧嘩することが多かった。些細な事で怒鳴り合い、憎み合っていた。小さい頃の私は、何とかして両親が仲良くなってくれはしないかと、道化を演じたり、また、良い子になろうと努めようと生きてきた。冗談を言ったりして、わざと笑いを誘うように、そして、喧嘩から私へと関心が移るように努力してきた。私に目が行っている間だけは、両親も仲が良かった。私もとても嬉しかったし、幸福だった。こんな幸福がこれからも続けばと良く願ったものである。しかし、中学生になる頃には、それをするのも煩わしく思うようになった。両親は一向に仲が悪くなる一方であった。そうならそうと、早くに別れてしまえば良いと思って、不良を演じるようになった。成績も悪くなった。おかげで、ますます二人の仲は悪くなった。一体、これは誰が育てたんです?一体、これは誰の子どもなんです?そういう事を言っている両親の声を、二階の自分の部屋から盗み聞きする度に、嬉しく思った。しかし、別れる事は無かった。その事は私に大変な苦痛を与えた。
結局、何をしても無駄だった。
今になって思うこと。私の人生はなんだったのだろうか?常に両親に翻弄されていただけではないのだろうか?私は私の人生を生きて来なかった事を嘆いた。失った時間は膨大であり、貴重なものだった。それに気がついた時、取り返しようもない後悔の念が立ち昇ってきた。
私にはこれに耐えられそうもない。今日も両親はお互いに憎み合っている。父さんは母さんを愛していなかったし、母さんも父さんを愛していなかった。そして、私はその二人によって生まれた子ども。罰である。
私は生まれて来たのではなく、生まれて来てしまったのだ。
小さいころに父親から十分な愛情を注いでもらえず、それを大きくなるまで引きずってしまったために、主人公は人間不信を極めて生きることに苦しんだ。
おぞましい人間界で何とか自分の存在を維持するために、主人公は「道化」を用いて人間と通じようと試みるが、むざんにもその試みは打ち破られ、結局最後は脳病院にまで入れられてしまった。
だが、最後の最後に見られた主人公の心底からの笑いに、俺は心を打たれたようである。
『人間失格』を読んでいると、まるでその中に自分がいるかのような気持ちになる。
自分も昔から他人に対して疑心暗鬼で、何か他人に喜ばれるようなことをしなければ、自らの存在が危うくなってしまうと無意識的に感じながら生きてきた。
中学のころ、クラスに悪戯をする男子がいれば、自分もその悪戯に必死で追従した。高校のころ、周りの友達を喜ばせるために、友達の求めるままに自分の恥ずかしい姿の写真をわざわざ撮って、それをメールで送り、多数の人間に広まって孤立したこともあった。
本当は真面目で寡黙な自分なのに。
つまり、俺は自分の意志だけでは生きられないのである。自分の行為には常に他人の目が付随している。もし他人の目など気にせずに、自分の意志で生きたいように生きて他人の顔色が悪くなるようなことがあれば、自分の存在がどうなってしまうのかが実に恐ろしいのだ。
換言すれば、俺は自分に自信が持てないということになる。
自分で自分を認めてあげることができないから、自分を認めることを他人に対して求めてしまう。
でも人間というものは普通自分のために人生を生きているもので、いくら他人に認めてもらうことを自分が求めても、現実にはそう思い通りにはならない。
他人が自分を認めてくれないとなれば、自分の心は不安でいっぱいになるし、そして他人が怖くなる。
他人が怖くなると、必然の結果として他人と接することを避けるようになる。
このため俺は働いて自活することにさえ及び腰だ。
若くて不器用な自分が正社員として働けば、毎日のように厳しく怒られるだろうし、仕事外でも飲み会などで深い人間関係を築かなければならないだろう。
それが怖くて怖くてもうどうしようもない。
自分にとって正社員として働くことは軍隊に行くのと何ら変わりないのだ。
こんな体たらくになったのは無論自分の責任だけれども、親の育て方にも当然原因はあると思う。
小さい頃は、何か自分が失敗をしたり、わがままを言ったりすると、叱られるというよりも、小さな自分の人間性を否定するような怒られ方をよくした。
「お前はダメだなぁ」、「はぁ」、「○○にそっくりだ」、もしくは、見下したように鼻で笑うか。
また、自分で決めた選択を泣いて否定されたこともあった。日常的な夫婦喧嘩に心を痛めたこともあった。
ああ、俺はなぜこんなところで親の悪口を書いているのだろう。親のせいにしてしまう自分も嫌。
もちろん親には感謝しているし、親が親なりに一生懸命自分を育ててくれたことはよく分かっている。
親も自分に似たところを持っていて、人の目を過度に気にしているし、自己評価が異常に低い。
それはやはり育った環境に原因があり、その意味では彼らも被害者で、子供との健全な関わり方を知らなかったから仕方がないのだ。
いま小さな子供を育てている親御さんは、どうか、子供が自分自身を大事にすることができるような育て方をしてあげてください。自分がかけがえのない存在であることを心から実感できるように。
自分のことを大事にしてあげられる人間は、必然的に他人のことも大事にしてあげることができる。
逆に、自分を大事にできなければ、他人を信頼することができないゆえに、他人を大事にしてあげることなど決してできない。
さすがに万引きした子供を叱らないのは俺もおかしいと思うけれども、何でもかんでも頭ごなしに子供を否定することは、自分のような人間を作る原因になりうると思う。
偉そうにダラダラと書いてすみません。
自分が子供を育てると自分と同じような人間を生み出してしまうと思うし、そもそも子供を育てる自信なんて全く無い。自分が生きることで精一杯。
私はブサイクだ。
自他共にブサイクだ。
小さいころからブサイクと言われ続け、陰口やいじめは慣れっこだ。
「あなたはブサイクで有名ですねwww」なんていう匿名の嫌がらせメールも頂戴した。
それでもオシャレをする。
化粧もする。
流行を追う。
そんな淡い期待は、いつも裏切られる。
化粧に、服に、しぐさに、笑顔に気を付けても、
考えてみてほしい。
写真が二枚あって、
片方は着飾っていないただのブサイク。
もう片方は、妙に着飾った満面の笑みのブサイク。
わかっている。
それでも、諦めきれない思いと、挫折とを繰り返している。
けれども、だれもかれもが節目毎に写真を取りたがる。
あろうことか、それをtwitterやブログにアップしやがる。
その反応もきつい。
一緒に写るかわいい友達には「すごくかわいい~」などの反応がつくが
私には言及しないとか、あってもコミュ障が0.1秒で理解できるレベルのついでのお世辞とか
そんな状態。
別に美人とブサイクで人の対応が異なるのは小さい頃から慣れているが、
なぜ全世界に、自分も他人も見たくねえブサイクな面を晒さなきゃいかんのか。
なぜ聞きたくもない反応で半永久的に公開レイプされなきゃいかんのか。
でもそれをわかってても、いつもカメラを向けられたら、満面の笑みをしなくてはいけない。
その場の空気は崩せない。
記念を形に残したい気持ちもわかる。
それを共有したいのもわかる。
こんな気持ちも誰にも言えない。
というか、写真を撮りたがる人にそんな気持ちは理解できないと思う。
私は例の如く頑張ったのだが、奮闘空しく、ドレスを着たゴリラが写っていた。
勇気を出して、消してほしいと言った。
母はすぐに消してくれたが、「えー、別にいいじゃない、折角綺麗な服着たのに・・・」
昔、その母にブサイクで辛い旨を、少し打ち明けたことがあった。
「言うほど酷くないじゃない」で終わった。
もう諦めた。
気持ちはわかってもらえないもらえないだろう。
そんな自虐的なことを言ったって、引かれるだけろう。
だから割り切って、心を殺して、笑顔で楽しそうに今日も写真に写ってきた。
時々、心が疲れて涙がとまらなくなる。
そして、この年まで、こんなくだらないことで悩んでいる自分にも腹が立つ。
こんな黒い気持ちを吐き出したのは初めてだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/339105
以下のURLで確認可能。最後の部分をそのアカウント名に変える。
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現実の男の人が恐ろしい、という感情を、いつから抱くようになったのだろう。
小学校以前、男子と女子の境は、これといってなかったような気がする。
むしろ三人のいとこと共に育った私は、どちらかといえば男の子のほうが、近しい生きものだと思っていた。かけっこや木登りもしたし、保育園の休み時間には活発に遊んだ。おえかきも好きだったけれど、おゆうぎしつが使える時には、そちらへ行った。ずっと教室にこもって遊ぶ女の子たちのことは、少し軽蔑さえしていた。
小学校に入学すると、少し雰囲気が変わった。男子と女子がふたりきりで帰ることは、おかしいことになった。あからさまにおかしい、と明言することは誰もしなかったけれど、やはり、少しだけ雰囲気は変わっていたのだ。
私にとって、小学校低学年の男子と女子の性差なんてないも同然だった。プールの時間に、全員が一緒の教室で着替えていた。ませた女子はきゃあきゃあと騒いでいたけれど、私はやはり、そういった女子を軽蔑していた。休み時間は男子とも遊んだ。体育館でくだらない遊びをするなら、断然男子相手だった。けれど一緒に帰るのは女子だった。放課後に遊ぶのは、女子のほうが多かった。男女一緒に遊ぶことも、確か、あった。
小学校中学年には、あまり外で遊ばなくなった気がする。それは眼鏡を掛け始めたからだったかもしれないし、絵を描くことの楽しみのほうが大きくなっていったからかもしれなかった。あ、それと、木登りをしていて、虫に遭遇したのがトラウマになったのもある。それから、自分の体力のなさを自覚していったから、というのも。平均よりも重い体重は、運動をするにはあまりにも不利だった。
それでも四年生からはソフトボールを始めた。理由はよく遊ぶ友達が始めていたから、という単純な理由だった。私よりも先に始めていた子が、ソフトの練習があるから、と遊びを断るようになって、淋しかったのだ。私はその子のことが、だいぶ好きだったのだろう、と今になって思う。その子の影響で、手話を始めたりもしていた。
さて、愚鈍なる小学生の私は、ソフトボールを卒業まで続けた。俊敏性はなかったけれど、それほど落ちこぼれていたわけではなかった。と思いたい。マラソン大会では決まってドベのほうにいたけれど、ソフトボールはずっと走っているわけではない。練習はまあ楽しかったし、上の学年の人はいい人たちばかりで、下の学年の子たちはかわいい子ばかりだった。と思う。思い出は美化されているので、確かではない。
小学校高学年くらいから、男女は「おつきあい」をするようになった。私は蚊帳の外の人間であった。クラスの中のヒエラルキー上位層の人間たちが、数日や数週間でつきあったり別れたりを繰り返してバレンタインに盛り上がったりするのを、私は少し近いところで見ていた。私が告白することはなかったし、告白されることも当然ながら有り得なかった。私はクラスで二番目に太っていた。私のことを「女子」とカテゴライズすること自体がおかしい。そうだ、そういえば当時の私は、「俺」という一人称であったのだった。
中学校に入学しても愚鈍な私は「俺女」であった。そういった一人称の女子は何人かいた。
入学してすぐに、私は担任に目をつけられる。すなわちいじめの主犯格として。
これについて弁明をするならば、それは「いじめ」ではなく「喧嘩」であった。私が小学校の頃から仲の悪い女子がいて、それは中学校に上がってからも続いていた。私はとにかくそいつがいることが嫌で、それはそいつにとっても同様であるはずだった。すれ違えば舌打ちをした。私はそいつにぶつかった。そういった陰湿な喧嘩の一部を、そいつは教師に告げ口をした。そう、私の行為についてばかりを、切り取った「一部」を。
私が何を言っても私が悪いことには変わりない。それは絶望的な事実であった。事実として、私はそいつの靴を隠したし、そいつにぶつかったし、そいつのことが頭に大を何個つけても足りないくらいに嫌いだった。事実として私はそいつをいじめていたのだろう。そう、つまり私が悪いのだ。私がかつてそいつに幾度となく泣かされていたという事実など、中学校の教師は知らないのだから。
加えて絶望的だったのは、そいつはかわいらしい容姿をしていたことだ。愛想のない根暗な豚と、かあいらしい人間と、どちらの言い分を信じるだろうか。後者だろう。豚は人間を妬み、そして一方的な暴力を振るったのだ。
何も知らないくせに、と豚は叫んだ。同じような豚の教師は、ああ知らないさ、と開き直った。そうか、と私は絶望した。教師は男だった。そうか、何も知らないのに、そいつのほうを信じるのか。私たちのことなんて、何も知らないくせに、知ろうともしないくせに。教師ってそういうものか。中学校ってそういうものか。男って、そういうものか。かわいいほうの言うことを、信じるんでしょう?
男子生徒とは、まあ普通に接していた。おつきあいなどの色っぽい話にはならなくて、ただ、珍獣としてうまくやっていたのではないか、と思う。珍妙な渾名で面白がられたり、怖がられたりしていた、気がする。記憶は薄ぼんやりとしていて不鮮明だ。ただ、ある日いきなり特定の男子から嫌がらせをされるようになって、それだけが、どうしても意味がわからなかった。女子は私にそうした嫌がらせをしてこなかったから、男子のそういった女々しさのようなものがさっぱりわからなくて、見えない悪意が怖くて、怯えた。
高校に入ると男子は別の生きものだった。私は一人称を改めた。女子の側で、女子の振りをすることにした。男子は恐ろしい生きものだった。中学からの友人と一緒にお昼ごはんを食べるために、その子の近くの席を借りた。男子の席だった。昼休みが終わると、その男子は先程まで私が座っていた椅子を、別の席の椅子と換えた。その事実は、友人から聞かされた。知りたくもない事実だった。
友人の話だけを聞いていると、その男子は友人に惚れているようだった。友人は気持ち悪いと言っていたけれど、ばいきん扱いされるよりも好意を寄せられるほうがよっぽど良いはずだった。
高校三年生になった私は、ひとりの女の子とおつきあいをするようになった。それはその子から頼まれてのことだった。それはばかげた話だったけれど、私はかわいいその子のことが嫌いではなかったし、失いがたい友人であったので、それを失うくらいならと、おつきあいを承諾した。その子の他に私を好きになるような人間は生涯現れないだろうという気持ちもあった。私のファーストキスはその子のものだった。性器に指を入れられた。気持ちよくはなかった。
私とおつきあいをした子には、何人かの彼氏がいた。そのことは知っていたけれど、まあ、良かった。いや、良くはなかったか。他の人と別れて、というようなことは、言った気がする。けれど色々あって、その子は結局、一人の男を選んだのだった。
私はただただ道化であった。ばかばかしい話だ。男も女も面倒だ。どうせ誰にも愛されない。ひとりでいるのが正解だ。でも、でもさあ、私だって、まっとうに、愛されたいんだよ。
高校を卒業し、眼鏡をやめ、ダイエットをした。髪を明るく染めた。ナンパをされるようになった。私はすぐに股を開いた。そうする以外に男の人とのつきあい方を知らなかった。好きな人ができた。それでも、きちんと段階を踏んでのおつきあいはできなかった。まずは酔った振りで相手を誘って、セックスをした。そんなことしかできなかった。そうするしか知らなかった。
セックスをすると、男の人は私をかわいいと言った。豚を、ばいきんを、かわいいと言うのだった。そんなことは言われたことはなかった。声を上げてエロマンガよろしく喘げば男の人は喜んだ。きもちいい、と言うと良い気分になるようだった。私の価値は性器と乳にはあるようだった。顔面には、まあ、ないんじゃないかと思う。
男友達を作るといいよ、と、幼馴染が言った。しかし、男の人と何を話したらいいのかわからない。男の人と、セックス以外に、することがあるのだろうか?
男の人は私を豚やばいきんにしてしまう。私だって、いちおう人間なのに。そんな人たちばかりではないとわかっている。けれど、私はやっぱり、男の人が恐ろしいのだ。
『下らないからかいや嫌な煽り』レベルじゃないでしょ、彼女がクラスメートから受けた仕打ちは。暴力に近いこと(『本気でキレて机を蹴っ飛ばす』)もされているし。
あと、言及されていないけれど女子からも無視&軽視されていたようだし、そんな四面楚歌の状況で、さらにピエロを演じろ、それが出来ないお前はダメだとでも言うの?
そういう状況下で、不本意とは言え自分に付いてくれた相手を拒めないという彼女の気持ちは痛いほど理解できるし、とりわけ群れることを強要される学校のクラス内という環境下で生き延びる為にはのっぴきならない選択だったのだろう。
もちろん内心で見下していたことは褒められたことではないけれど、いじめる側が彼女のそういう心理まで見越していたなどとは到底考えられないし、本質的な問題じゃない。だいたい、事態が悪化した元凶で有りながら、彼女をかばうそぶりも見せずに1人のほほんとしていた「友達」に対して苛立ちや憤りを感じるのは当然のことだろう。
てか、なんで自分に悪意や嫌悪をぶつけてくる連中に対して、さらに道化にならなきゃならないわけ? 本当に自尊心があればこそ、自分自身が大切ならば、本気で悲しみ、怒るのが当然。
私の場合は、そうやって無視しようとしていたら、さらにエスカレートしてシャレにならない事態に追い込まれたんですけどね。
やっぱり、本当に嫌なことには本気で怒るべき。なんでも空気とやらを呼んで冗談で誤魔化すことばかりしていたら、お互いにとって取り返しの付かないことになる。
性のことは、心の深い部分に影響があるテーマだから、男性も女性もそれぞれの言い分があると思う。
多くの男性が一生のパートナーが、できれば処女だったらうれしかった という風に考えると思う。
そういう男性が多くいることを知らず、処女のまま結婚したことが長いことコンプレックスだった女性の私が
それならもっと、処女を大切にするような文化だったらなあという思いとともに過去を振り返ろうと思った。
本当に、いろいろ悩んでいるので、文章にまとまりはないと思います。
けっこうつらい思いをしたので、つらい想いとともに混乱しながら書いているので
文章が整っていないのはごめんなさい。
まず、処女でコンプレックスだったのは、20歳過ぎて処女はひどいブスだけ、ということをたくさんの男性から言われたこと。
それがコンプレックスだったので、私は、処女だったけど、一生懸命自分を磨いて、結局モデルをやれた。
水着の仕事もあったので、グラビアだったり水着のモデルをやってても、私みたいな処女の人だってそれなりにいるんじゃないかなっておもう。
ここまでかくとオッサン乙、ってことになるとおもうけど
女性は男性ほど性欲が強くないし、一生の相手じゃないと体を許したくないと思う人は多いと思う。
話を戻します。
サークルとか合コンとかでモテるのは、男性受けする女性ですね。
清純派でおしとやかだったり、美人で女の子らしい女性が受けますよね。
で、そういう女性は、女性が憧れる男性からもアプローチされるので
女性は、性欲は強くないけれど、恋愛はしたいと思うものだから、ほとんどの若い女性は彼氏がほしいと思うのが当たり前ですよね。
だから、清純派で、清らかに見えても、だからこそそういう女性は、極端に潔癖でなければ男女交際をするのが普通です。
清純派のおしとやか美女がすごくもてて、いつも彼氏が途切れなくて、
片思いしているイケメンとも付き合えているのを、仲間内では知っているわけです。
そのモテる女性が「清純で、ピュアで男になれていなそう」ということで、さらにモテます。
自分が片思いしたような素敵な男性と付き合って別れたにもかかわらず
何も知らない男性からも「ピュアそうだからかわいい」とモテることになります。
それで、結局は、合コンでも、その女の子が選ばれることになります。
これは、自分のコンプレックスとかバカさを暴露することになるので
もう、叩かれてもいいのですが
自分は、ぶりっ子だったり、清純だったりはしませんでした。キャラが清純ではありませんでした。
嫉妬とか言われても実際そうなので構いません。
私は、自分が好きだなあと思うような男性と複数つきあえているかわいい女性がうらやましかったし
先にも書いた通り、モデルをしたことがあるので、ブスではありません。
でもコミュニケーションは下手でした。
同性からは、「ぶりっ子するな、自分のことをかわいいと思ってうぬぼれるなブス」
そういうことで、女性受けする自分のキャラ、というのを作るのに必死で
道化を演じました。面白い、芸人みたいな、明るい、自分の彼氏を横取りしないようなさばさばした女、というキャラです。
私は、小学生中学生時代に女性から集団で嫌われた経験が強烈だったので
しかも、それが、自分の素のキャラだと思い込むようになっていきました。
で、合コンにいくと
「君は男慣れして遊びなれていそうな感じがするね」
と言われてしまい、男慣れした清純派で非処女の女性に負けてしまうわけです。
男性は、清純な女性が好きでしょう。男性経験が少なそうなおしとやかな女性が好きでしょう。
自分が片思いしていた男性と付き合った後に何人もの男性と付き合ったような女性と比べられて
「あの子のほうが清純で、君は遊びなれてる」
と言われてしまったことかな。
そして自分は処女なのに遊びなれている女性だと思われてしまう。
そういうのがなんだか、とても悲しかった。
自分が片思いした男性が選んでいたのは、非処女だけど清純な女性だった。
それに、誘ってくる男性は、セックスをしない女性だなんて古風でダサイし、ブスしかいないと
散々洗脳してきました。
処女を捨てろ、ダサいといってきたのはむしろ男性のほうでした。
今思うと、結婚ではなく遊び用の女性として、男性たちは誘っていたのでしょう。
しかし、大学生ぐらいだと、そういう男性ばかりではないですか。
今思うと、学生ぐらいだと、童貞を捨てたいだとか、彼女がほしいとか、遊びのためにセックスしたいとか
そういう男性ばかりだったのだと思う。
しかし、何も性知識のない女性は、ああ、性にはオープンなのが当たり前な時代なのかなあと思ってしまいます。
私は、学生生活を通して、
セックスに臆病でいるなんて性に対する偏見だから、早くセックスを知ったほうがいいと
男性からも女性からも言われてひどいコンプレックスを持つくらいでした。
今思うとそれに流されなくてよかったと思う。
処女を捨てなきゃとせかされる環境が、いまでも日本には普遍的に存在していると思います。
将来自分が結婚する女性が処女だとかどうだとかは、あまり考えずに
処女と結婚したいと思う男性が大半ならば、結婚する女性以外とはセックスをしないべきなのに。
極端に乱れた女性でなくても
メディアもそうですし、先述したように遊び目的で性欲を持て余している男性が
結婚なんてずっと先で、青春や若者としての充実が先にやってくるという社会構造だから
処女が減るわけです。
イケメンで、ハーバード大出身で、年収が3000万円くらいの、
姉なのですが。
姉も、まあ兄弟なので若いころはモデルみたいなバイトもしてましたし
それなりにリア充でした。
姉は、特にビッチとかヤリマンとか中古とか、処女厨の人が言うような女性ではありません。
義兄は、処女とかこだわらずに、人柄と容姿で選んだのだと思います。
義兄自身、恋愛経験が普通にあるので、性に対しての極端な汚いイメージがなかったのではないかと思います。
それは、けっきょく、性に対するコンプレックスや過度の執着ではないかとも思います。
夫が初めての人でしたが夫は普通にモテていましたから恋愛経験が私以外に5人くらいありました。
夫に処女をささげた直後は
こんな、セックスという、刺激の強い、おおきなことを
他の女性ともしたことがあるなんて と
とても悲しく思いました。
ということではなくて
やっぱり、セックスというのは、心身ともにとても刺激の強いものですから
だから、こんな深いことを、ほかの女性としたこともあったなんて、悲しすぎる、と思ったのです。
他のひとと、あんなことやこんなことをしたんだと悲しい思いをするのは
処女厨のひととまんま一緒でした。
しばらくたって、慣れてくると、性に対してすごくコンプレックスや偏見を持っていただけで
大切にしようというのがメインになって、過去なんてどうでもよくなりました。
童貞厨てのはすくないけど、私は相手が童貞だったらうれしいと思う。
男性のほうが性病の罹患率が高いわけだし、過去に女性関係があれている人はエイズじゃないか怖いなっていうのもあった。
いわゆる「童貞くさい男」っていうのが「キモオタっぽいさえない男」っていうイメージがあったりするからなのかと思う。
女を口説けない男、みたいな。
処女を続けてきた自分からすると処女っぽい女っていうのも同じくらい恥ずかしいことだった。
好きな男に選ばれない女、みたいな。
そして、処女からすると、相手の過去の性的な関係はとても悲しかったし気になった。
最初のうちは。
性のことについていろいろ悩んだ時期もあって
それでいま落ち込んでいるので、
お読みくださってありがとうございます。
これ、何かに似ていると思った。
昔の2ちゃんねらーへの人間ができ過ぎた対応はどうなったんだ?!と思ったら・・・
乙武さんは、一部の2ちゃんねらにしか過ぎない人を2ちゃんねらだと思ってるし、それを評価してるし、だんだん同化しつつあるようなのを、検索してたらなんとなく感じた。
褒めてたり、煽り耐性がついたとか、ツイッタなんか2chに比べると余裕とか・・・
「若くして世に出てしまった僕に強く物が言える人」で検索すると出る
乙武さんが2chをいやν速を意識してるのがわかるらしいバンド名
http://watch2ch.2chblog.jp/archives/3811689.html
何事に対しても、斜めでやりすごすというのも、道化やふざけ、からかい、中傷で対応する、(時には罵詈雑言) というのも、一種の自我防衛本能ではないかと思うが、防衛しなくてはいけない何かがあるのかもしれないし、それは別の守られ方をした方が良いのかもしれないけど、
何も乙武さんまで真似しなくても・・・ 嫌な事は嫌と言えばいいんじゃないの?
嫌じゃないのかもしれない。本当に好きなのかもしれない。
だから、こういう風に言うのかもしれない
「「2ちゃんねる」において、僕は不思議と愛されているようで、」
http://blog.livedoor.jp/yumemigachi_salon/archives/51422547.html
でも、こんな事↓するくらいなら、名誉毀損で黙らせた方が良かったのではないか?(註あり)
どっちもかまってちゃんなのに、
しかも、彼が取った手法は、3行でで済ませてしまったり、一部を切り取って見せることで、全体をわからなくさせ、物事の本質や深い理解を遠ざけてしまったり、一面的な事実や、一部の義や理によって断罪するやり方 断罪ではない断罪 罪とは言わないがやられた方は、場合によっては、罪のある人と同じような罰を受けたりする事もある。 精神的だったり社会的だったりするが。←これに近いものがある。
ツイッタは文字数が限られているので、そこで話すには適さないことも当然ある。
しかし、逆にそれを利用して、断定的な言い方の多様やイメージ戦略みたいなもので、人々を惑わす人たちもいる。
というか、惑わすと言うと言葉は悪いが、宣伝や営利目的でやっている人や会社も多いだろうし、それを推奨している面もあるようだ。ツイッタの本にもそういう使い方が載っている。スパムはまずいが自然な拡散を狙って宣伝する方法もありますよー登録して下さいよーというふうにツイッタ自身が言っている。
だから、ツイッタ的にはイメージ戦略も大いにけっこうなのかもしれない。もともと商業用だからw というかそれを禁じてるわけじゃないから。
なんだかなあと・・・・
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かまってちゃん というのは、かまって欲しくて悪さする人 のこと 気を引こうとしたり
乙武さんは、かまって欲しくて悪さする2ちゃんねらたちの中に、自分に対して救済を求めるような何かでも感じたのだろうか?
両方ともかまってちゃんだとしても、一般女性の方は、真面目で切実なものがあるかまってちゃんではないのかな
(一般女性の方をかまってちゃんとするのは、異論があるかもしれないが、あのまとめたやり取りに対する見た人や乙武フリークのような人のあの一般女性の捉え方は、「絡んできた人」精神的な問題があるから言ってはいけない事してはいけない事をした人 という捉え方で、彼女が自分のタイムライン(TL)で自分の独白のように吐き出した事も言ってはいけないことのように捉えているから、まあかまってちゃんと仮に呼んだ。)
自分のTLでつぶやいた事で、かまってちゃん認定もすごいと思うが、その意見はそこまで悪いものとして封じられなくてはいけないものなのだろうか?初期乙武批判の2ちゃんねらの何がしかの義に近い論旨で、誰でも言いそうな気づきそうな指摘だった。誰でもいいそうと言うか当然気づく乙武さんに対する矛盾や疑問も含んでいた。言わなくてもいいことだし、言われた方は良い気はしないかもしれない。しかし乙武さんは2ちゃんねらに対しては言われたら不快に感じる誹謗や中傷や人格否定を許しているのはどういうわけだろう?
乙武さんに関して、論理的に冷静にものを考えれば当然気づく素朴な疑問を、言うと、まるで天皇批判でもしたかのように、ν速的手法で断罪されるなんて恐ろしいw
論理的にというほど大げさに言わなくても、子供でもわかる理屈で、「あの人、なんかしたん?」何か具体的に実用性がある情報を提供したり社会に技術的に役立つ情報を発信しているわけではない。ある程度以上の知能はあるにしても学問的に貢献したとか言うわけでもない。
しかし、そういう人は他にもいる。実用的な情報以外流布しなくなったら、すっきりして良いかもしれないが、他に支障が色々出るような気もするし、それはそれで良いと思う。害にならなければ。
女子供が好むものなんて、大抵そういうものだ。と書くと偏見を助長してしまうから良くないが。
和田アキ子さんが昔昼の番組で、乙武さんの就職に関してだったか、本を出した後もメディアに出る方向に進んだ事に関して、ちょっとアレ?っと思ったような言い方をしていたが、そんな事を言う人は今はいないのだろう。
それに、最近乙武さん関係で目にするのは、このようなちょっと残念な事か、気を衒ったような事か、意外性みたいな事が多いような気がする。だから誰もそんな事言わないのかもしれない。
90 :名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/10/12(水) 08:53:46.24 ID:o2kcgtB90 808 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2011/10/08(土) 02:39:28.56 ID:uWF87M8U0 お前ら彼氏の作った曲でライブでハイッ!ハイッ!オイッ!オイッ!って頑張って サイリウム振ってたのかwww 最高に笑えるわwww 108 :名無しさん@涙目です。(愛媛県):2011/10/12(水) 08:54:38.25 ID:YcSnqWf70 >>90 おいおい いくらなんでも言っていいことと悪いことがあるぞ 111 :名無しさん@涙目です。(福岡県):2011/10/12(水) 08:54:53.56 ID:v1UZUDuP0 >>90 (過呼吸) 152 :名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/12(水) 08:57:20.21 ID:0vEVErT70 >>90 。゚(゚´Д`゚)゚。 183 :名無しさん@涙目です。(アラバマ州):2011/10/12(水) 08:58:59.32 ID:5YoMkxnQ0 >>90 糞わらたw 声豚かわいそうすぎるw 269 :名無しさん@涙目です。(庭):2011/10/12(水) 09:03:25.49 ID:WpCIONGv0 >>90 しかもサイリウム振ってた奴らのおかげで彼らは左団扇なんだと思うと爆笑モノだわ 272 :名無しさん@涙目です。(アラバマ州):2011/10/12(水) 09:03:28.30 ID:gRV7bzP2P >>90 哀れすぎるw 283 :名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/12(水) 09:04:05.24 ID:vPEsgL1M0 >>90 道化すなぁw 721 :名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/12(水) 09:28:25.34 ID:i6bIUuJQ0 >>90 泣いている子もいるんですよ!
同級生の持ってる時計の高さに引いた
時計の金額を見ていると婚期逃すよ、と2ちゃんで揶揄されてたけど
同姓の俺が見てもそうなのかなあ
それに比べ俺は給料も増えず、彼女も大学卒業後0、家は無く、車のローンで四苦八苦
ほんのちょっとの差がここまで差がつくかー
どんだけ薄給でも都会にしがみついていたらチャンスが広がっていたのかな?
それはあなたの意思と努力と能力の無いせいだよと言われたら何も言えない
でもそんな強くないよ
今はそんな事する余裕全く無いや
日々の仕事に追われ、日々のストレスに苛まれ、日々ただ過ごすだけ。
年に一度、毎回同期と会うけど、その度にボロボロにされる
昔はそんな俺を弄ってくれて、お前努力家だし、すぐにこっちのステータスに来れる来れる!、とか言ってくれたけど
最近はもう腫れ物に触るかの扱い
大体、会話のレベルについていけない
俺はそんな大層な仕事がある職場でないから、自分を道化にしてなんとか笑いを取っている
いいやつらだし、この縁はずっと続けたいと思っているけど
どうして苦しいことを認められなかったのか。
「かわいそう」でした。
人の世と隔たれた様なアフリカの小さな村での、矮小な自由から別の異質な自由を手に入れた彼等は、かわいそうでした。
彼等は学校に行けません。
彼等は人を愛せません。
彼等は私たちと同じじゃありません。
だからかわいそうでした。
皆大体同じことを考えたと思います。
今の社会では愛や希望と同じくらいに、他人の苦痛が氾濫しています。
そして情報化のおかげで感情というよくわからないものが相対化され、値札がつくようになりました。
違うのです。
周りの人も全然疑問は湧いてないようで、私もそう考えていました。
「苦しい」と言えば、
「お前より苦しい生活している人は一杯いる。」と言われ、
「死にたい」と言えば、
「お前が死にたがっている今日は、昨日死んだ奴が生きたかった明日なんだ」と言われる。
そしてそんな言葉を口にすること自体が恥ずかしく思われる様になり、中二病なんて名前が付けられる程になりました。
私は小学生の時に太っていることを理由にいじめられていました。いじめと言っても一部のクラスメイトなどに「デブ」などと言われるくらいなのでまぁ大そうなものではありませんが。はっきりとではありませんがその頃、デブでスポーツも出来ない私は全く価値の無い人間なのだと考えていたのですが、小学校高学年あたりでそのいじめはなくなりました。
理由は私の兄にありました。
私の兄は、かっこよくて、スポーツが出来て、私みたいに太っていなくて、そして、とてもユーモアのある人でした。
少し我の強い人でしたが、一緒に遊んだ時はなにかと私を笑わせてくれたのでその時の兄はとても好きでした。私はかっこよくないし、スポーツも出来ないけど、人を笑わせることなら出来るんじゃないか、と考えました。
実践してみれば簡単なことでした。
変顔をするだけで笑ってくれるし、デブと言われても開き直ればそれでまた皆笑ってくれる。ああ、自分の価値はここにあるんだなと思っていて、将来はお笑い芸人になろう、などと考えていました。
今思えばここが間違いだった、と感じています。
道化は見世物です。故に私という存在は指をさされ、馬鹿にされ、笑われるべき存在です。
そしてそのピエロは観客の嘲笑に包まれた喜びを糧に生きていくのです。
人の好奇心は底が無く、少しタガが外れれば面白いことならなんでもいい、と考えてしまいます。要するに、面白ければ私には何をしてもいい、という結論に至るのです。
私はそれを苦痛だと考えませんでした。
周りの人が笑ってくれることが喜びであり、それが快感でした。
ただ、やはり好奇心というものは一か所に止まらずに色んな方向に向くもので、自分では飽き足らず、いじめや、危ないいたずらもするようになりました。
私はそれを見ているのがとても嫌いでした。
笑うべきは私の存在であり、どんな下らない罵倒でもそれを身に受けるのは私の専売特許のはずでした。私の生きがいを横取りされたような気持になりました。
それは単純に、私は苦痛を喜びに変えただけであって、他人にとって苦痛はただの苦痛だったのですから。
私は本当にうれしいのか?
中学生になり、地元の学校だったので小学校のほとんどの生徒が同じ中学校に入学しました。思春期ですのでこの頃から自分の体型にコンプレックスをもつようになり、友達に部活の入部を勧められて、これは良い機会だと思い、サッカー部に入りました。
そうするとやはり、私を知らない人達も私を私として扱うのです。
わたしは結論しました。
部活に入ったお陰で自分でも見違える程痩せることが出来ました。しかし二年生になってすぐやめてしまいました。原因はいじめもありますが、何より私はスポーツのセンスが無いようで、後輩に馬鹿にされるのがこわくてやめて、というのが一番でした。
こう書いていると私はいつも教室の隅に追いやられているような生徒に感じると思いますが、私は交友関係が広く、人気もそこそこありました。情けないことに、私こそ周りの人達と同様に私を私として存在させていたのです。
何故なら、私はその私しか知らなかったからです。それに、今の私をやめてしまえば私の価値はどうなるのだろう、何か残るのだろうか、と考えていました。
中学生にもなると、いたずらなどを楽しむより、好奇心の側面としての、暴力的な行動が盛んになります。それで中学二、三年生では私はサンドバックでした。どこかで会う度に殴られるようになり、私のクラスでは暴力をけしかけるような人はいなかったので、教室の外へ出るのが恐くなりました。
勿論初めのころは抵抗していました。しかし、毎日、毎時間と続く暴力と、自分が未だに道化でいるという立場のせいで怒りを露わにすることができないという下卑た矜持と、そして何より、彼等の私に対する態度に絶望しました。
私が少しふてくされると、彼等は「ごめん」と言ってくれました。しかしすぐにまた同じことをするのです。その度に彼等は謝り、謝罪という行為の中に含まれているであろう自省や克己を蔑ろにして、5分前の誓約を堂々と捨てるのです。
一度、本気で怒ったことがありました。その日は珍しく喧嘩別れになったのですが、翌日にその人物は私に少し沈鬱な面持ちで謝罪してきました。私はその言葉を信じていました。しかしその翌日には何も変わってない、彼等と私の関係が在るだけで、自分が激怒した様子を真似された時は、名状しがたい、確かな殺意と、他人に対する恐怖と、途方もない呆れがないまぜになった感情で吐きそうになりました。その時、自分は人に怒ることはやめて、諦念が纏わりつくようになりました。
ただの暴力は一部の人間には大変興が乗るようですが、大半の人は一歩引くのが普通であって、いくらなんでも、やり過ぎではないのか、何故こんなことをするのかと聞くことにしました。この頃は最早彼等の前での私が思う私はただのいじめられっ子でした。
彼等いわく「お前を見ているとむかつくから」とのことでした。
なるほど私を見ていると苛立つのですかそうですか、じゃあ私はどうすればいいのだろうか、私という存在がむかつくのですかじゃあ私が消えればいいのですね。
彼等は私を少しも憎んでいないというのは知っていました。週末になれば遊んだりもするし、私を殴る以外にもコミュニケーションをとろうとするからです。一方私は殺意を持っていましたが、彼等に対する好意も持ち合わせていました。何故なら、暴力的じゃない彼等は面白くて、自分と対話してくれるからです。そして彼等は私をいじめていると考えていないのです。
限界はどうしても来てしまうものです。三年生頃には、家に帰って布団の中で泣くことが多くなりました。何故自分がこんな目に、自分は悪くない、やりかえそう、殺そう、という感情が渦巻くのですが、不思議なことに翌朝になると何事もなかったかの様にすっきりとしてしまうのです。一人で絶望を反芻する度に決意し、忘れる、ということを繰り返していました。同時に、私は学生生活を楽しんでいました。私でいることを楽しんでいたのです。
そして学校で面白い奴でいる私と家で惨めに布団にくるまって泣いている私とで、完全に乖離しました。
しかし私は希望も持っていました。自分の様子が変だと気付いた母親に尋ねられ、私は「馬鹿で嫌なやつがいる」とだけ言いました。すると母は、高校生にもなればそんなやつはいなくなる、と言ったので、私はなるほどと思い、多少の虚脱感と戦いながら勉強に励みました。高校生になれば自分は変われる、と信じながら。
勉強のお陰で、それなりの、県内で指五本のうちに入るか入らないかというレベルの高校に入学出来ました。少し離れたところにあり、何より自分を日常的に殴っていた人達はその高校に全くいなかったのでとても喜びました。
人格は変えることができませんが、キャラのようなものなら簡単に変えられると思っていました。しかし私はそこでも私を私として存在させたのです。
何故そんなことをするのか、私はいつまでも子供ではなく、自分の思考、行動の原因がわかるような年齢になりました。
私なりの結論でした。
そしてそれは正鵠を得ていました。
教科書を破られたり、靴を捨てられたり、落書きされたり、チョークを食べさせられたり。一日そんなことが無いと、何故か残念な気持ちになるのです。そして、私が望んだ苦痛を与えられると、不快な感情と同時に、安心できるのです。高校生にもなって、いじめられている悲劇的な私が好きなのです。皆から同情の目線で見られている私が好きで好きでしょうがないのです。しかし絶望もします。私は変わることができなかった。私は悪くないのに惨めなままだ、それは他人が無知蒙昧であるからだと怨み言が頭に並びます。
この頃、自殺願望がありました。しかし実際は死にたくなどありませんでした。何故なら私はまた、今の私を楽しんでいたのです。
高校三年生頃になると、受験シーズンとなり皆が勉強に励むのですが、私は中学生の頃の 様に大学に希望を持つことが出来ませんでした。それ以前に、普段の勉強からしてやる気になりませんでした。たまにやる気になって休み時間などに勉強していても、クラスの人が辞書を投げてきたり教科書を濡らされたりして勉強になりませんでした。
全てが嫌でした。
惨めに耐えているだけの自分が嫌でした。
こんな恥ずかしいことで頭がいっぱいになっている自分が嫌でした。
死にたい、とか、何故生きているのか、とかは子供が持つ感情であり、十八にもなった男子が持つべき感情じゃないのです。何より私は毎日学校に通えて、屋根のある家で寝食が出来て、家族がいるので、とても恵まれた人生を送っているのです。
私より不幸な人は世界中にいっぱいいるのです。私は、私の苦痛を認めることなど許しは出来ないのです。
二律背反の、板挟みの状態がずっと続きました。
学校で笑います。家に帰って泣きます。猿の様に自慰をします。寝ます。さっぱりして学校に行きます。この頃は寝ることと自慰行為が喜びでした。
私はそれでも狂えない。皆の前では面白いやつで、先生の前では立派なクラス委員です。おかしいはずなんです。頭が焼き切れるはずなんです。
しかし生きることを望みたくないのです。私が悲劇的であるためには。
生きることも、死ぬことも、選びとらずに責任を放棄したのです。
結局これが私の思春期の全てでした。
大学生になりました。
冬に勉強をそこそこにして、なんとか国立の大学に入り、親の前での面子を保たせました。
大学は県外で、更に海を渡ったので、実家に帰るにも一苦労なところまで来ました。と言っても別にその大学に行きたかった訳でなく、県外であり、かつ自分の学力で行ける範疇の大学を選んだだけでした。やりたいことも無ければ、大学生の遊びを謳歌したいわけではなく、またしても選ぶことをやめたのでこの結果になったということでした。
大学生にもなり、皆、落ち着いた行動をしている。それに慣れていなかったので戸惑ったのと同時に、自分の知っている自分がいないことに気付きました。
しかし確実に私と違うところがありました。
彼等は正常でした。
彼等には目的があり、良心があり、喜びがあり、夢があるのです。
彼等は何の疑問を持たず勉学に励むのです。
思い切り殴られた時より、制服をびりびりに裂かれた時より、この目を見るのが苦痛でした。
苦痛の得ることの出来ない私は、更に酷く、目を覆いたくなるようなことをするようになりました。
自分の苦痛を認めずに、自分をいじめた人間に同情をし始めました。彼等を誰も止められなかったのがいけないのだ、彼等の行いは環境のせいでありもし自分が彼等ならば同じことをしていた、と。傍観して楽しんでいた人達も同様に立場が逆なら私もそうするだろう、と。
苦痛の無いことが私には苦痛なのだ、苦痛を失えば私は私でいられないのだ、と。
使用期限の過ぎた苦痛に、記号と化してしまった過去の苦痛に相変わらず縋りついています。
行きたくは無かったのですが、身体が限界の様なので、最近になって心療内科に行ってみました。どうやらパニック障害のようです。しかしその症状は殆ど昔からあるもので私には馴染み深いものでした。この機会に精神科に行こうか、とも考えたのですが、この頭を治す気にはなってないのでやめておきました。
私は毎日働いて生きていくことに魅力を感じませんが死にたくはありません。生を望み、相も変わらず自慰をして寝る生活です。
結局私はいつまでも私なのです。変わることなど出来ませんし、忘れることも出来ません。意志も薄弱で、一人の大人としての責任も持てません。
しかし案外明日には希望を持って歩き出すかもしれませんし、誰かと衝撃的な出会いをして価値観が180度変わるかもしれません。
こんな人間になってしまいました。多分私は誰かに決めて貰うのを待っているのでしょう。そしてわかったような顔をして卑下をしながら斜に構えていればいいと考えるのでしょう。
私の苦痛は私だけのものです。他の不幸や苦痛と秤にかけることなど出来ないんだ!、とでも思えばよかったかもしれません。
でも結局子供ですし、そんな考えにはなかなか辿りつきませんよね。大変です人生は。
なんか最後の方で口調が変わっている気がしますし、長ったらしく冗長とした文をたっぷりと書きましたがこれもオナニー好きな私のオナニーです。不幸自慢みたいなのって気持ちいいですよね。書いたら少しすっきりしました。何も解決してませんが。