自分が自分でいられなくなったこと。それは、私が常に周囲に気を配り、他人の目を気にし、自分がどう行動すれば良いかを考え、演技して来たこと。それに気がついた時、私とは一体、何だったのだろうかと思った。私は私で無かったことに気がついた。それは、誰かの期待に沿うように生きて来たのにも原因があるように思える。その根本的な原因を探ると、やはり、両親にそれを見出す事が出来る。私の両親は喧嘩することが多かった。些細な事で怒鳴り合い、憎み合っていた。小さい頃の私は、何とかして両親が仲良くなってくれはしないかと、道化を演じたり、また、良い子になろうと努めようと生きてきた。冗談を言ったりして、わざと笑いを誘うように、そして、喧嘩から私へと関心が移るように努力してきた。私に目が行っている間だけは、両親も仲が良かった。私もとても嬉しかったし、幸福だった。こんな幸福がこれからも続けばと良く願ったものである。しかし、中学生になる頃には、それをするのも煩わしく思うようになった。両親は一向に仲が悪くなる一方であった。そうならそうと、早くに別れてしまえば良いと思って、不良を演じるようになった。成績も悪くなった。おかげで、ますます二人の仲は悪くなった。一体、これは誰が育てたんです?一体、これは誰の子どもなんです?そういう事を言っている両親の声を、二階の自分の部屋から盗み聞きする度に、嬉しく思った。しかし、別れる事は無かった。その事は私に大変な苦痛を与えた。
結局、何をしても無駄だった。
今になって思うこと。私の人生はなんだったのだろうか?常に両親に翻弄されていただけではないのだろうか?私は私の人生を生きて来なかった事を嘆いた。失った時間は膨大であり、貴重なものだった。それに気がついた時、取り返しようもない後悔の念が立ち昇ってきた。
私にはこれに耐えられそうもない。今日も両親はお互いに憎み合っている。父さんは母さんを愛していなかったし、母さんも父さんを愛していなかった。そして、私はその二人によって生まれた子ども。罰である。
私は生まれて来たのではなく、生まれて来てしまったのだ。