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2011-03-08

二大政党二院制議院内閣制ってうまくいくんですか?

自民民主もどっちでもいいんですが,野党はどうしたって与党の足を引っ張るわけじゃないですか.

もちろんそれが仕事なんですが,行政なり立法なりのチェック機関として機能すべきところが,

与党多数決で勝てる=野党は口しか出せない=口だけで効果がある=揚げ足取り,になるわけですよね.

そもそも頑張って議論していい法案に仕上げて与野党一緒に法案通したところで

議会の功績=与党の功績になるわけだから,そりゃ野党もやる気出ないですよね.

なんでこんな安定与党と騒ぎ立てる道化としての野党(それはそれで価値がある)という構図以外では

機能しない,つまりねじれた時点で機能不全になる仕組みがまかりとおっているのでしょうか.

他の国のように二大政党制に,なんて話だった気がするのですが,

何かシステム的に抜けているところがあるのでしょうか.

つまり一党優位用の仕組みを二大政党時代に利用しているのが問題だと.

それとも二大政党制の作法を政党国民マスコミも知らないのが問題なんでしょうか.

後者なら時がたてば解決するのかもしれませんが,前者だとさっさと直さないと時間無駄ですよね.

誰か詳しい人,教えてください.

2010-12-15

三次元は糞だし二次元にも夢はな

二次元女の子はめちゃくちゃ可愛くて、処女で、ウンコしなくて、武術の達人とか宇宙人とかだったりしてかっこよくて……それでも……愛せない。

人は言う。欠陥だらけの三次元を捨てて理想だけを集めた二次元を愛せばそれで幸せになれると。

かに彼女達は優れていた。あらゆる点で三次元を凌駕している。

でも……優れているから、何だって言うんだ?

問題は二次元三次元どちらが優れているかなんてことじゃない。

俺が二次元の女を愛せるかどうかって所にに本当の問題がある。

俺達の資質の問題だ。お前は居もしないものを愛することが出来るのか?

二次元三次元より優れていると言う。

しかし愛せない。二次元の女を愛そうとすればするほどますます道化じみてくる。クリスマスを二人で祝ったケーキの半分を、

二次元の女が食べたものとして捨てた所でゴミ箱には誰も食わなかったケーキが残る。

彼女ケーキがおいしいと言っていたさ」とうそぶいても、頭は現実に向けて冴え渡る。虚しさから目をそむけることはできない。

発狂でもしない限り……。

結局俺は二次元の女を愛することはできなかった。

そんなことできなかった。

二次元の女を愛せ、だって? そんなもの、絵に描いた餅を食うようなものだ。

居ないとしか思えないものはもうどうしようもない。彼女達の磨きぬかれた美点も俺の努力も全ては無駄だった。ケーキ無駄だった。

1クールアニメが終わって少しした天使ちゃんマジ天使と発言する奴が消えてゆくのを止めることはできない。嫁の名前は三ヶ月で変わるし、

圧倒的な現実要請は俺の認識を曲げさせようとしない。虫歯の痛みは人を病院に駆け込ませずにはいられず、二次元の女は愛せない。

俺のつまらない思い込みは孤独を紛らわせてはくれなかった。

したり顔のバカがお前の愛でているものは絵でしかないなどと言いだすずっと前から何もかもはっきりと解っていた。

二次元の女が存在しない以前に、二次元の女を愛せるような狂った人間存在していなかった。

俺がまともな人間である限りこの壁は乗り越えられない。限界は女の側ではなく俺の方にあった。

二次元が勝とうが三次元が勝とうがまるで関係ない。

涙は追いつけない。

2010-11-07

映画しんぼる」の正しい解釈ネタバレ

松本人志監督作品の映画しんぼる」を見た。以下「しんぼる」及び「バベル」の相違点について言及しているため、両作品のネタバレ含むので注意。






松本人志テレビで見せるフリートークと、コントで演じる役とのギャップが激しい芸人である。フリートーク自我を全面に押し出して、コントでの演技は別人格かのような憑依型。この二つを偏らず両立させて、しかも成功している。

映画しんぼる」においてもまた、見た目奇抜だが、無口で平凡な思慮の浅い男(それでいてどこか狂気をはらんでいるような)男を自分に憑依させて演じようとしている。

では、何故見た目を奇抜にする必要があったのか、果たしてこの主人公があのような服や髪型のチョイスをするような人間だろうか?

見ているとそのような矛盾や違和感が何度も起こる、矛盾や違和感だけを繋げて映画にしたといっても良いぐらい出てくる。しだいに全てに何か理由があるんじゃないかと思うようになり、どうしてもそれを考えてしまう。最終的に「くだらない」が「面白い」って事ね、という所に一応行き着くが、やっぱり「で、それが何なの?」という疑問の答えにはなっていない。

この映画が、観客の解釈や理解をうながす為に作られているのは間違い無い。「もっと理由や意味を考えてみて!」と言われているような、そうやって考えるのが面白いという事だろうか。その結果裏切られてしまうカタルシスを楽しめ、そういう作品なのかもしれない。


解釈や理解しようとする事自体を楽しめ、というテーマだとして、ではその映画に正しい理解や解釈の正解は存在するのか? 存在しているはずだ。その方が面白いから。

という訳で、正解を探す事にする。

僕が考えた正解なんじゃないかと思う答えを検索してみると、バラバラの要素としては既出なのだが、統一されたものが無いのでここにその解説を書いてみよう。

タイトルを付けるなら「小日本人」

しんぼる」は、日本人海外に対するコンプレックス表現した作品だ! と強く断言してみる。


しんぼる」は、2006年カンヌ国際映画祭監督賞を受賞した「バベル」という映画を非常に意識した作品である。

バベルネタバレになるが、バベルメキシコ出身の監督脚本家による映画で、ナショナリズム的な視点から観ると、思慮の浅い日本人のせいで、モラルの無いモロッコ人の子供が銃を使い殺され、それに巻き込まれた白人自分達の事しか考えない。それにひきかえ他民族子供低賃金で助けるメキシコ人は陽気で善人だ、という解釈が出来る。松本人志ナショナリズムが強い思想の持ち主なので、バベルを観てメキシコ人ふざけんなよと、日本馬鹿にすんなと怒ったはずだ。

だからしんぼるでは、同じ文脈で皮肉たっぷりに、思慮の浅いヘンな日本人のせいで、メキシコで不条理な出来事が起こり子供が不幸になる、バベルと同じくそ因果関係に理由は無い。また物語舞台となる国の数も同じ。バベルアメリカモロッコで起こる出来事と違い、しんぼるでのロシア中国で起こる出来事は不幸ではなく、ただくだらない出来事なのだが、これはバベルの偶然性による不幸に対する皮肉なのだろう。バベルの偶然性による不幸が、メキシコ監督恣意的なナショナリズムにすぎない事への批判である。

さらに、映画撮影の仕方も同じで、カットバックを使った演出もさる事ながら、しんぼるにおいてメキシコの場面での映像は、ドキュメンタリーのような手ぶれのあるハンディカメラ映像なのだが、これはバベルが終始そのように手ぶれのある映像だからである。


次いで、上記のバベルに対する皮肉を、さらに拡大して日本の文化による世界に対する皮肉、あるいはバベルを絶賛したカンヌフランス)のアートシーンに対する皮肉として、現代アートの文脈でアイテムが構成されている。

まず主人公の髪型衣装は、フランス芸術文化勲章を持つ海外でも評価の高い草間彌生の格好で間違いない。脱出劇としては広すぎるあの白い部屋もインスタレーションそのもの。飛び出てくる意図的に日本の物に偏ったアイテム、それを使っての笑いは日本の文化の文脈のようでいて海外向けの笑いでもあり、これは海外でウケる日本現代アートのコンセプトそのものである。

バベルカンヌに反発を覚えながらも、欧米文化の中で迎合して同じ舞台に立たないかぎり世界的に受け入れられないというジレンマを抱え、それに対して下ネタパロディという形で皮肉をこめ、彼らの持つ日本人イメージを利用して、滑稽な道化のふりをして笑いを取り、しっかり世界にウケる現代アートの文脈にそって作品を作っている。

そして映画クライマックス最後最後に、神のような姿になった主人公の背後の壁に立体的な世界地図が現れる。多くの日本人は何の疑問も持たないと思うが、外国人にとっては違和感のあるシーンである、その世界地図日本が中心となっている。


このように「しんぼる」という映画は、日本日本以外の世界意識した作品である。世界に向けて表現しながら、媚びずに日本的であろうとした訳だ、しんぼるというタイトルも、英語ひらがな表記であるのはそういう理由だろう。

要約すると、松本人志による海外アートシーンを皮肉った「日本最高!」を世界に向けて表現した映画


おそらくアートの文脈を松本人志が知っていたとは思えないので、その文脈を組み込んだのは脚本を共同作成している放送作家高須氏によるものなんじゃないかと思われる。


憶測だが、バベル脚本家監督菊地凛子演じる聾唖女子高生イメージを、例の毎日新聞waiwai事件の、元ネタの記事を見て得たんじゃないだろうか。元ネタ(http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/435.html) 女子高生ノーパン、チラ見せ、男を誘惑、家で裸、という点が同じである。最もリアルに創り込むべき役なのに、日本にそんな女の子居る訳がないというような人物を設定した矛盾。海外受けするメジャーアニメ映画でその様なイメージ女子高生キャラが居てそれの影響を受けたとは思えないんだが、しいて挙げるなら岩井俊二作品の女子高生不安定さと元ネタの記事を合わせた感じだろうか。

2010-08-30

失恋振り切って落ち着いた。

 四ヶ月前に失恋したわけだけど、その頃の俺の精神状態のやばさったら無かった。朝は朝でやる気が起きず、夜は夜で可愛いあの子のことを妄想して眠れない。ぶっちゃけ5kg痩せた。ガリガリです。タダでさえ痩せ型の俺は、それこそマシニストクリスチャン・ベールくらい痩せてただろう。ひゃー薄い薄い、折れてしまいそうだ。

 おい教えてくれ。

 そもそも、なんで恋なんてするんだ。そんなに必要なもんなのか? 人間はどうして恋なんてするんだ。何で他人を好きになるんだよ。俺は一体、何を求めてたんだっけ。一緒にいられる時間が欲しかったのか? どっかに遊びに行って感動を共有したかったのか? たんにキスしたかったのか、身体重ねたかったのか? どーしたかったんだ本当に。だけどきっと、本当は本当に抱きしめたかっただけだった。単純に両腕で受け止めたかった。とか綺麗事が出てくるが、そんなの、きっと嘘だ。多分、前述した理由の全部が本当だったんだ。俺は気付く、彼女に対しては理屈とかじゃなくて、感覚とか理性とか抜きにして、本来的な意味本能が貪欲に求めてた。めっちゃ彼女のことが欲しいと思ってた。俺はきっと、愚かだったんだ。

 彼女メンヘラで俺は共依存の気があって、あっちは男遊びが激しい夜の蝶だが、俺はビールが大好きなだけの梟で、どっちも夜な夜な遊び歩くタイプではあるが意味合い的には180度違う。俺はバタフライを追い掛けて捕まえられない。捕まえられそうなのに捕まえられない、自由奔放な彼女に見取れて、常夜灯に群がる虫みたいに引き寄せられていった。その瞳に吸い込まれた! とか臭いことも言っておこう。寒いぞ、夏なのに。きっと俺は彼女が羨ましかった。

 それじゃ、なんで好きになったのかをちゃんと考えたいと思う。なんたって、いい機会だから。

 俺のどうしても駄目ところは、コレは増田諸氏に指摘を受けたとおりだ。俺は共依存だ。間違いなく共依存体質だ。共依存テストをしたら簡単に共依存判定を受けてしまった。最初精神疾患だと思ったけど、違って、ただの傾向に過ぎないんだけど、俺は自分自分のことをちゃんと認識できたのは良かった。みんなにありがとうと言いたい。俺は共依存だったんだ!

 俺の自尊心が低いのは、きっとまともな恋愛をしていないことに加えてまともな恋をしていないからだと思う。俺が好きになるのはいつもいつもいつもいつも不倫してる女だったり、ドメスティック・バイオレンス受けてる女だったり、セックス依存症だったり、兎にも角にもどこかに問題を抱えている奴ばっかだ。リストカット女子を好きになったこともある。だけど、人は自分の鏡で、俺が問題のある子を好きになるのは端的に俺にも問題があるからだ。なるほど、だって俺には自傷癖がある、リストカットとかじゃあないが、俺は俺を痛めつける。俺はいつだって血を流してる(比喩抜きにして)。

 結局は大切なのは『問題を抱えてる』ってことなんだと、俺は不意に気が付く。彼女を救いたいとか守ってやりたいとか話を聞いてやりたいとか、いつも受け身の立場で、俺は俺の立ち位置を見定めてしまっていた。だけどそれは俺が救われたかったからだろう。救いを求めてない他人を救いたいなんて、馬鹿馬鹿しい道化に過ぎない。救われたかったのは俺だった。そんな俺がいたのは相手の手の届く安っぽい場所。枕元にある目覚まし時計くらいの距離、叩けば止まる。俺はいつだって静止してる。だけど分かって欲しかった。ちゃんと俺の好きだって真っ当な気持ちを理解して欲しかった。だから俺の胸の奥にはそんなふにゃふにゃな気持ちが今だって張り付いたまま剥がれない。

 前に好きになった子が結婚したらしい。俺と同棲してた女だ。俺は付き合ってなかったけど、彼女不倫してて妻子持ちとセックスばっかしてて、妊娠して堕胎して、世界がなんでこんなにワンダーランドなんだって俺に気が付かせてくれて、俺は離れてから別のことに気が付いた。もう恋とかしたくないって。なのに俺は学ばない。好きな子が出来る。出来てしまう。スパンは長くても、どうしても人を好きになってしまう。なんで焦げ付いた気持ちは死んでくれないんだろう。俺はどうして生きたままちゃんと恋をしてしまうんだ。

 人を好きになったら、灼ける。灼熱だ。その人しか見えなくなって、その人のことしか考えられなくなって、ちょっとした会話やメールのやり取りや少なくない時間の享受ってのが俺の目を曇らせる。盲目に好きで好きで堪らなくなる。いつだって結末は後悔なのに、俺は後悔を迎えてからはじめて間違ってたって気が付く。どうしようもないのだ。でもそれがサガだ。俺のサガは変えられない。どうしたって阿呆自分からは逃げられないんだ。俺が俺を変えられないから。

 凝り固まった俺の考えが、誰かと話したときにも噴出する。俺には止められない。A(という女)の話なのだが、彼女処女で、男性と付き合った経験もなくて、とにかく恋がしたい恋がしたいの一点張りで、しかも「したい」じゃなくて実際に『してて』、でもおかしいのは好きな男がコロコロ変わる。なんでだ? 俺が知ってるだけで、そのAは半年くらいで10人くらい目まぐるしく好きになっている。でもさ、俺はやっぱり変だと感じる。これは俺の考えだけど、好きな相手ってそんなにどんどん見付かるか? 恋愛対象一週間に一回も変わるか? なんだよそれ、それは恋じゃなくて「ちょっといいな」って思ってるだけなんじゃないか? でもさ、もしかしたら俺は勘違いしてるだけで、恋なんて崇高なものなんじゃなくて、本当は安っぽくて、ただその「ちょっといいな」ってのが上手いこと結実して付き合ったりしちゃったりして、それから世間一般でいわれる恋が始まるってのが本当は正しいのだろうか……。俺みたいに数年に一回しか恋しないで、それが実を結ぶのを待ってるなんてことが滑稽なことなのだろうか。

 前々から思ってたが、どうしても恋愛話を弄ぶと妙だと感じることがひとつあるんだけど。どうして恋愛をする時ってこんなに世界が狭いんだろう。小さなコミュニティで普段接する人にしか恋が出来ないんだ。たとえば中学生の頃なんか、俺の周りなんてみんな同じクラス女子に恋をしてたよ。でもそれは魅力があるとか、会話が合うとか可愛いとか美人とか気高いとかそういう副次的要素を抜きにして考えてもやっぱり世界が狭すぎる気がするんだ。小コミュニティ恋愛が罷り通るのが、俺は気持ち悪くて仕方がなかったのに、なのに俺はやっぱりそっから抜け出せない。俺も小コミュニティで恋しちゃってる。だが、そんな風に分かってたって無理なんだ。感覚とか思考回路は簡単につなぎ替えることは出来ない。俺は結局、俺を俺自身の手ですくい上げてやらなくちゃいけないんだ。同時に、俺は振られたってことを自分自身で納得して、こっからちゃんと自分の足場を固めて、目覚まし時計みたいなもんじゃなくて、もっと本当に必要だと他人に思わせるような人間に成長しなくてはいけないんだ。俺の世界が狭い、だからもっと世界を広げようと思って最近はなるべく外に出てる。クラブイベントで踊ったり、俺はラッパーだからUMBに出たり、海に行ったり山に行ったり、オフ会に行ったりしてもいい。とにかく沢山の人と出会って沢山の経験をして沢山の思い出を作らなくちゃいけない。方向性だとか、心が打ち震えるような感慨なんていらない。重ねるべくは経験なのだと思う。だから失恋だって沢山したらしただけ成長出来るし、そこで立ち止まってうだうだしてちゃ意味が無い。何も始まらない。ならジョギングとかして少し身体鍛えよう。俺はまだまだ頑張れるはずだ。

 今日で25歳になる。もう周りを見渡しても俺は若くない。でもいいから、それでもいいから、もうちょっと人生楽しんでみようと思う。恋なんて人生の一要素だって思えるようになりたいもんだ。

2010-04-01

おれの眼はフシ穴だったようだ。

おれの眼はフシ穴だったようだ…

どれくらいフシ穴だったかというと、ヤツらにとっておれは本当に友人なのか…?と疑問に感じるレベル

以下ほとんど編集も編纂も推敲もせず、書きなぐるだけ書きなぐったクソ長い文章です。

楽しいところなんかどこにもないので、余程の物好き以外はここで帰った方が身のためです。

話は昨年4月に遡る。

高校卒業以来、ほとんど会う機会の無かった友人(以下女1)から突然「じーだぶりゅーに集まろう!」的なメールが届いたのが全ての始まり。

なんで?しかも急に?10年ぶりくらい?と思うも、懐かしいなぁとか思って何も疑問に思うことなく参加することに。

メンツは高校時代のクラスメイト。男7人、女5人の合計12人。ほとんどが高校卒業以来の再会だった。

(ちなみに男友達のうちの2人(以下男1、男2)は卒業後もたまに飲みに行ったりしていた)

この時点では、普通に集まって普通に遊んで普通にメシを食ってオシマイだったわけだが、今にして思えば、これが「序章」だったようだ。

時は流れて7月後半。

ゴールデンウィークで久しぶりに再会して、それでオシマイで当分会うことはないだろうと思っていたのだが、またもや女1から突如メールが。

「前回のごーるでんうぃーくのメンツ中心に、8月夏休みに泊まりがけで遊びに行こう!」みたいなメールが届く。

お泊り…?とか、前回からやけにスパンが短いなー、とか思いながらも、二つ返事で参加することに。

メンツは男7人、女3人の10人編成。前回と一緒じゃないのか?とは思ったが、都合がつかないだけかと思いスルー

まあいろいろあって(遅刻して樹海をさ迷うハメになるなどエライ目に遭ったりしてw)、なんやかんやでこの回も楽しむことは楽しんだ。

誰も寝ずにほぼ徹夜状態でトランプとかUNOしてるとか、なんちゅーか高校生合宿みたいだった。

で、もう終わりも近づいたあたりで、気の早いことにみんなで次のプランを立てるのであった。

そして解散となったわけだが、みんなと別れてから、いや、別れる前からおれの中ではとある疑念が湧いていたのであった。

そう…泊まりがけで男女が出かけたというのに、特殊な関係になったりとか、有り体に言えばカップリングの気配が全くしてこなかった。

それどころか、「そういう類」の、いわゆるコイバナらしきモノすら無かった。男と女の集団が、泊まりがけで、出かけたというのに。

後日、この集団とは別枠のくされ縁の友人(以下ダチ)に土産話として聞かせたところ、

「何も無かったとかどう考えてもありえんやろ」「この歳(20代後半。いわゆるアラサー)になって男女が宿泊旅行を企画するのは、『ソレ』が目的に決まってるやろ」「オーラとか、にじみ出るモノとか感じひんかったん?ガッツキとか。」「おまえら男も女も草食系か。肉食獣はおらんのかい」などとさんざん言われてしまった。

つーか、おれもゴールデンウィークの時からそれは感じてた。むしろゴールデンウィークに集まろうという話が出た時点で、

「なにかドッキリでも仕掛けられているのか…?」とすら思ったほど。

思えばこの時、既に私の眼はボンクラだったようである。

さらに時は移り11月

8月合宿?の終了間際に立てたプラン発動。またしても泊まりがけで旅をすることに。

メンツは8月と同じ…予定が、新型インフルなどにより2名倒れてしまい、男が5名、女が3名の編成に。

おれは「だんだん数が減っていくなぁ…」と思ったとか思わなかったとか。まさか…

この回はごく普通に観光地を巡るプランだったのだが、旅費節約のためどう考えても無茶苦茶な行程を経ることに。行程自体は省略。

このときおれは「旅に出たときにカネをケチったら相当しんどくなるのでは…?」と進言したが、聞き入れられず。別にいいけど。

まあこれは今回の話とは関係ないので割愛。

そして例によってこの回も「何も無かった」。

前回と同じく、ピロートーク系のキャッキャウフフな話など誰の口からも発せられることは無かった。

ダチに話すと、ついに「おまえら、ヘンな集団やな…」という感想になってしまった。

後にして思えば、おれの眼はやはりフシ穴もフシ穴、ヘッポコもいいところだったようである。

そして年を越して、3月の頭。

3月末にまた遠出をしようとのことで、おれに連絡が届いた。今度は男1から。

この時はさすがにフシ穴なおれの眼、おれの耳でも、すごい違和感を感じ取れた。いつものパターンと違うってだけではない、あからさまな違和感が。

男1からの電話は、「遊びにいく日」と「女2と女3(ずっと参加してた3人の内の2人)が来る」という内容だった。展開された情報はそれだけ。どこに行くとか何をするとか、メイン情報は一切おれには伝えられなかった。後述するが当日も、結局最後まで伝えてはくれなかった。

いくら眼と耳がフシ穴でも思い至るわ。「何故女1の名前が一切出てこないのか」と。

いつも3人組で行動してるような中から、「2人しか」名前を出さなかったのは、後から考えれば当然のことだよな。

「もう1人」たる女1の名前を一切出さなかった、本当に「一切」名前が出ることがなかったのは、防衛機制ということだろう。

逆に、物凄く違和感あるっちゅーねん。

その違和感についてはあえて触れずスルーし、さて当日。

前回と同じメンツなのかと思いきや、男2人の女3人、合計5人のメンツに。ついに男女比逆転。

傍目には、やっぱり何も変わらない。至って普段どおり。パッと見では絶対にわからない。

しかし言い知れぬ違和感を感じていたおれは、男1と女1の行動、仕草、言動をロックオンしていた。人間観察が趣味なんです。

…ところが、ロックオンしててもごく僅かしか「それっぽいところ」は出ていなかった。おそらくそうじゃないかと思っても、確信には至れず。

そしてとあるタイミングで、ほんの一瞬だが別行動に。この時すかさず残された2人(女2と女3)に向かって、おれは「…いつから?」とだけ発言した。

そしたらさすがに女性同士での横のつながりは強固なのか、充分すぎるほどウラが取れた、ということ。

そして、知らなかった、いや、「知らされていなかった」のは結局おれだけだったことも判明。なんだそりゃ…

ちなみに、「始まり」は、どうやら8月合宿(?)にて解散した直後だったらしい。

そりゃあそうやわな…何も無い方がおかしい。

しかしヤツらのポーカーフェイスミスリーディングは実に見事だった。

特に女1の方は、毎回仲よさげにトークしていた相手が異なっていた。

8月の時は男3と夜空を見上げながら小一時間もの間1on1トークを繰り広げていてちょっかいを出せる雰囲気じゃなかったし、

11月の時は男2とほぼ四六時中いっしょに行動していた。連絡取るときも男2のケータイに速攻でかけていた。

今年の3月は、当然おれ。なんというスケープゴートっぷり。おれら3人ともいい道化

で、男1の方はというと、おれと月に1度ペースで連絡取ってて、ダチが言ってたような内容(何も無いとかおかしくないか?とか)を言ってたんだが、後から考えるとよく言うわ、よく言ってたなって感想しか無いなまったく。

後でウラを取ったときに聞いたが、8月はもとより、11月の時点でも誰ひとりとして気づいてたやつはいなかったらしい。

おれの眼がフシ穴とかいうレベルではなく、全員をケムにまいていた。凄まじい演技力

ちなみに何故判明したのかと言うと、女1が女2と女3に自分から言ったらしい。それが今年の1月。当然それまで誰も思い至ることはなく。

ここから、おれがヤツらに対して、無性に気にくわなかったことを語る。

くっついていたことを隠していたこと。これはおれにとってはそんなに気にくわないことではない。

半年以上も黙りっぱなし(結局本人たちのクチからはいまだに聞いてないしな)なところは、友人としてどうなんだと思わんでもないが、まあ言いたくないこと、イジられたくないことってのは人間誰しも持っているもんだし、それについては置いておける。

最も気にくわないのは、3月の集まりの時のヤツらの態度。特に男1の方は度を越していた。

3月の集まりにおれを誘ったのは男1で、当日に至るまでに数度電話をもらったのだが、その内容がひどすぎる。

カラクリを知ったあとで反芻すると、あまりにもゲスい事しか言ってない。

先程も言ったが、集まりに関して伝えてくれた情報は、「日にち」と「女2と女3が参加する」の2つのみ。

どこに、何をしに、誰とどれだけの人数で、どうやって…これら普通の基本的な情報を一切言わなかった。

そして、電話の内容は終始「おれに残りの2人、すなわち女2と女3を『あてがおう』」としていた。そのトークばっか。

1ヶ月前くらいに日にちだけおさえられた後は、「女2と女3とキャッキャウフフしたってやー」とかそんな話ばかり。ばかりというか、それのみ。

おれが何を言っても、何を尋ねても、「そんなことはいいから女2と女3と遊んだってや」みたいな返答しか無かった。

悪巫山戯にも程がある。しつこすぎて「もうええわ…」ってなったし。

他に言うことがあるだろうと。伝えることがあるだろうと。最低でもどこに行くかくらい、聞かれたら答えろと。

一言で済むことをなぜはぐらかす。それをはぐらかして何の意味があるのかと。

当日になっても、何故「ガソリンスタンドに行く」だけのことを答えない必要がある。

おれの質問に、いや、他愛も無いコトに対する応対がそれか。ずっとそれか。ずっっっとそればっかか。

そもそもの話、いったい何のために、何故おれを誘った。何がしたかった。

おれがいる意味があったか?本当に「おれと女2もしくは女3と『くっつけ』ようと」したのか?

そんな鬱陶しいことをされて本当に「くっつく」とでも思ったか?逆にめんどくさくなるっちゅーねん。

正直に思うに、「言いたくないこと」っていうのは、ある。

おれにだってトップシークレットはある。サイトやってることとか(ショボイなw)。

それをほじくられて、うっとうしい、言いたくないっていうのはわかるし、言わんでも良いと思う。

そもそもの話、言ってしまえば「何も無い」コトの方がおかしかった中でのヒメゴトなのだから、ある意味当然の流れ、当然の結果、なるべくしてなったコトである。だからそこに関しては何も問題はないのである。

要は、当時のおれ(たち)の眼がフシ穴、ボンクラ、ヘッポコだった、それだけの話。

そこに関してはどちらかと言うと賞賛に価する。「友人」としてはどうかと思うけど。

まあ、それについては別にいい。どこで何をしようが、普通意味でもゲスい意味でも何をやってようが一向に構わん。

それこそ好きにしたらいい。それに別段興味も無い。

何が腹の虫が収まらんって、そこじゃないんだ。

最低限の連絡も無く、最低限の情報すら伝えずに、最低限の尋ねにも答えず、ただただ振り回すのみ。

そんな風にスッとぼけられて、そんな風にはぐらかされて、しかもそれが終始となると、友人以前に人間の対応としてどうなんだ。

秘密主義もここまで来ると呆れを通り越す。

アンタらの脳内ではプランカンペキに出来上がっているんだろうが、それに振り回されるこちらの身にもなってくれ。

そんな態度を取られて、相手はどう感じるとかってところに思考は回らんのか。回す必要も無くなったか。

そして、そもそも最後の3月のやつ、何故おれを誘ったのかがいまだにわからん。「半年もの間何も伝えられていなかった」おれを。「その時まで本当のことを何も知らなかった」おれを!

おれを含む、「残された3人」の三角関係でも見たかったか。そのためにおれに「2人」をあてがおうとしたのか!?

スケープゴートにせよ緩衝材にせよ、何にせよおれが道化であることに、おれが道化になることに変わりはない。

邪推しようと思えばいくらでもできてしまうんだぞ。

10年来つるんできて、「関係」を言わないのはまだいい。そっちはさっきも言ったがどうでも良いし、なるようになれば良い。

そんなことよりも、3月の集まりでヒトとしてどうかと思うような態度を終始取りやがったのが本当に気にくわない。

高校を卒業した直後に「前科」があったことを思い出してしまったじゃないか。

あの時も、おれとダチの2人に対して意味不明な態度を取ったものだが、今ならあの時ダチがブチギレて半分絶縁状態なってしまった理由と感覚がわかってしまう。そりゃあ間違っても気分の良いものではないわな。

こんなところでひとりで吐き出しまくっているおれの方が、本当の意味で下種いことはわかっている。

しかし、本気でおれもアイツらに対して取る態度を考えないといけないのかもしれない…と感じてしまったのである。

まあ、今でもアイツらのことを友人だとおれは思っているから(向こうがどう思っているかは若干不安になってきたが)、

良くないところはたしなめるべきなんだが、この内容をそのまま伝えてしまうと本当に交友が壊れかねない。変に邪推が入っている可能性もあるし。

それに、こんなくだらんことで壊れるのはさすがに悲しい。それはイヤだ。

だからこそ、一度吐き出し尽くして、臓物に漂うドス黒い、暗い、闇の拘泥を薄めたかった。

ここに、マスダイアリーにこんなことを書いた最終的な目的は、それだけだった。

こんなクソ長い、クソみたいな、クソ同然の文章を、世に出してしまって本当に申し訳ありませんでした。

4月1日。完。

2010-03-31

離党

逃げまくってたところを、無理矢理入らされた団体を離れることにした。

いまだに、名簿は握ってはなさんぞという勢いで、名前はのったまんまかもしれない。

どうしようもない。

紙切れそんなに大事か。「大事じゃ」。よかったね。ばーか

ところで、堪忍袋が最終的に切れたのは、以下のメールによる。

独立開業に関して、祝い金orカンパとして、100円でも1000円でもいただけまいかというお願いにたいする、地区委員会からの返信。

ぼくはやさしすぎた。羊の皮をかぶった資本主義者の道化



それでカンパの件やけど、はっきりいうとかないといけないと思って連絡するけど、

私は個人的に応援するつもりをしている。仲間として夢の実現を喜んでる。

だけど、党や他団体に要請するのはやめてください。筋が違う。

困っている人などに支援をすることはあるけど、会社を起こしたからと個人的なことで、カンパに来られても困る。それをするとみんなにカンパしないといけなくなりキリがないし、党は慈善団体ではないからね。

だから、カンパ要請で事務所のファックスも使っていたけど、私的なことには本来使わないので、今後の私的な使用はやめてほしい。

きつい言い方で申し訳ないが、はっきりさせるとこは、はっきりしている方がいいので、連絡しときます。

竹田○○



さようならニッポンきょうさんとう

さようなら竹田なんとか氏

PS この数日後、中央委員会にもシイ委員長公式HPにもメールした。無視。

2010-03-01

弔い問答 その2

ttp://indai.blog.ocn.ne.jp/osorezan/2010/03/post_82b7.html

南 もっと問題なのは、おそらく『クレヨンしんちゃん』以降には家族マンガはでませんよ。だってここから先、一人しかいないもの。あれは大変な問題なんです。

 家族マンガというのは、およそ三十年間近く『サザエさん』が独壇場だったんですよ。ところがその後、一九九〇年代に『ちびまる子ちゃん』が出たんですよ。この二つの決定的な違いは、じいさんの存在感なんです。波平さんと舟さんは家長としての存在感を持っていますが、『ちびまる子ちゃん』のじいさんは、からかわれる道化みたいな役になっています。でもまだ一応三世代なんです。事実上核家族ですが。

 ところが次の『クレヨンしんちゃん』が団地住まいの三十歳前後夫婦に、五歳の手に負えない息子がいるという完全な核家族。ここから先に家族はいないですよ。

 『サザエさん』には構造的に非常に優れたところがあって、あのマンガは、日本人が必ずどこかに自分を位置づけることが出来る。そのポイントは、マスオさんです。マスオさんは婿ではない、フグ田なんだから。だけど、あたかも婿であるかのように振舞っている。ということは、婿入りした男は全部そこに引っかかっている。『サザエさん』には、じいさん、ばあさん、親子関係、兄弟関係もあるが、実は叔父や姪と甥の関係もある。タラちゃんは弟じゃない。すると日本家族構造として必要な要素が、全部そこで見えるようになっているんです。これはもうないんですよ。そして『クレヨンしんちゃん』の先はない。

 『サザエさん』に対応していたのが、日本仏教伝統的な教団で、おそらく事実上核家族である『ちびまる子ちゃん』と『クレヨンしんちゃん』の世代に対応したのが、たぶん創価学会立正佼成会などの新宗教ですよ。

 その後、家族がなくなったところ、つまり単身者みたいなところに、もろにコミットしてきたのがオウム以降です。オウムの特徴的なのは「出家」と言うでしょう。鎌倉時代以来初めて、日本宗教者が出家ということを真っ向から言った特異な例なんです。

 私はオウム問題を、未だに完全に処理出来ていないんです。とても重要な問題で、日本仏教は逃げまくっていると思いますからね。「オウム仏教じゃない」と言っただけではダメなんです。「仏教じゃない」とは言いがたい側面があるから、ちゃんと処理しないといけない。

 しかも特徴的なのは、「出家」を言った指導者が、出家者じゃないというのが日本的なんです。麻原は在家修行者です。人を出家させても、彼は結婚して、子供をつくっている。非常に日本的なんです。一方、同時に出た「幸福の科学」というのは、全国統一神理学試験というのを教師の選抜にやっていたんです。あれは共通一次テストモデルです。学生みたいな人間信者に想定している。つまり学生とは何か。家族を持たない世帯者ですよ。

2010-02-19

どうせ俺はリア充になんかなれないし、こうして道化に徹するしかないのさ。

2010-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20100203192746

素晴らしい。

あなたは、私がインターネット世界に触れるようになり、数多の人と触れ合った中で、久しぶりに頭が良いと感じた人です。

こう言うと、「頭が良い私が、あなたも頭が良いと認めてあげている」といったように受け取られるかも知れませんが、そういう意図ではないので、誤解しないでください。

別に私の頭が良いか悪いかといった話は、私が元エントリからこのエントリまで含めて、言いたいこととは全く関係がないですから。

エントリで書いた私の考えは、釣りネタではなく、本気で思っていることに変わりはありません。

そして同時にまさにあなたの言う「反論ヒエラルキー」のパッチテストような効果も、期待していました。

無知な私は反論ヒエラルキーという言葉は知りませんでしたが。

そこを見事に看破された以上、この効果は期待出来ませんね。

そして、トラックバックをくれた皆さん。

エントリが煽るような文章ですから、イラっとして脊髄反射的に書いてしまった方もいると思いますが、「相手の発言・論法を理解せずに発言してしまっている」という点で、あなたたちは私の考える「馬鹿」です(もちろん全てのトラックバックがそうだというわけではありませんが)。

私が、常日頃から「抹殺されれば世界が良くなるのになぁ」と思っている対象です。

ですが、少なくとも今の日本では、それは許されていません。私は馬鹿は抹殺された方が良くなると思っていますが、そう思わない人の方が、数の上でも権力としても強いのでしょう。

ですから、私は「馬鹿」であるところのあなた方に対し、何も出来ません。

馬鹿」であり「愚民」である所のあなた方の勝利です。

私に出来ることといえば、こんなエントリを書いて「馬鹿」であるところのあなた方に、せめて「馬鹿」であることを自覚して貰うくらいしかないのです。

そうして「馬鹿」であるところのあなたたちの機嫌を損ねないよう、最後にはこうして道化になるしかないのです。

私は「馬鹿」である所のあなたたちがいなくなれば、とこれからも思い続けます。どうぞあなたたちも大いに私を馬鹿にしてください。

2010-01-14

スルー力って懐かしいなあ

結婚したけど一回もセックスしてない2

http://blog.livedoor.jp/roadtoreality/archives/51459042.html

↑読んだけど、この>>1スルー力が足りない。スルー力って、懐かしい言葉だけれど、俺なら上のような状況では料理家事自分のことは自分でする。と思った。離婚前提の結婚なら寧ろそれが望ましいし、相手の幸せを望むならそれがいいんじゃないだろうか。

といったことを以前の自分と照らし合わせて思ったりした。


かれこれ自分のことを思い出しても、俺は非モテで、給料も悪いし、身分も安定しない状況である女性と付き合いかけたけれど、結局相手のことを考えれば自分と一緒になるべきではないので、仕事を変えて遠くへ逃げた。連絡はしなかった。知人を通じて情報が相手に渡って問い合わせが来たけれど、スルーした。

自分みたいなのと付き合ったり、よしんば将来的に結婚することになったとしても俺の稼ぎや仕事では彼女幸せに出来ないのは分かり切ったことだったので、その選択はそれなりに妥当だったと思うし、行く先々のことを考えれば俺の取れる最善の選択だったと思ってる。

結局の所、随分前に彼女は別の相手と結婚したことを聞いて、妙に安心した。どういう相手かは詳しくは知らないけれど、自分よりは遥かにいい相手だと思う。


でも先頃、彼女と俺の共通の友達で酒を飲まないかという話があったけれど、俺としては普段通りに道化を通せる自信があったけど、直前になってどうにも目から汗が流れてきて結局いかなかった。そういうことだったんだなあって思った。

これまでの所の俺のミスは俺が彼女を好きになってしまったことと、彼女と迂闊にも仲良くなってしまったこと。怪しいと思ったタイミングはあった筈で、気がついたときに何か手を打てばもっと良い結果になったと思うのだけど、結局俺もこの>>1と同じでスルー力が足りなかった。

違いはというと、>>1は嫁が好きで>>1は嫁が好きだってことと、俺が彼女を好きだけど、彼女が俺を好きかは分からないということと、>>1と嫁は結婚生活継続して、俺は逃げたこと。どちらが相手にとって良かったかは分からないが、俺は自分なりに頑張った。金もないから>>1のように経済的なサポートはできなかったけど。だから>>1は偉いよな。

そういうことで、こういう話って案外世間では多いのではないかと思う。結局どっちがいいのかは俺は本人ではないから分からないし、男だから女性がどう思いがちかということは益々推測しづらい。ただ本人にとっては自分を中心に世界は回っているってこと。自分が相手のためと思った所で、自分は相手ではないからどうするのがいいのか、どうすれば良かったのかなんてバッドエンドじゃ分からない。ただ俺が彼女に対していうことがあるとしたら、好きになってごめんなさいということ、女性としての大事な時間無駄に使わせてしまって心から申し訳ないと思っていることと、今のお相手と末永く幸せにということ。まあ>>1はせいぜいお幸せに。俺はこれからも1人で生きていきます。そして彼女とのことで女性に近寄らない方がいいと学習したのでその辺に気をつけつつ。

2010-01-07

ココロを売るという事について

Twitter女子高生であることをアピールし、ネットアイドルを自称している奴がいる。Twitterというサーカスで、裸で逆立ちしているのだ。それに群がるキモオタ共が観客だ。虫唾が走る。反吐が出る。

女子高生である事以外に何も価値を持たず(それすら価値と呼べるのか不明であるが、一部の人達にとってはそのようだ)、何も生み出していない人間がどうしてこのネットと言う空間で皆に存在を認められ、受け入れられるんだ。俺なんかどこにも居場所が無いのに。

彼女現実で居場所を持たない。だから、仮想現実道化ることで必死に居場所を確保しているのだ。哀れですらある。

だがしかし君、分かっているのか?自分が何をしているのか。売春より酷い。

そうだ。君の事だよ。君はおそらくここを見てはいないだろうが、一つだけ忠告しておこう。

一度失ったらもう取り返せないものなのだよ、ココロというのは。それだけは覚えておきたまえ。

2009-12-09

たぶんtumblr大嫌いな人がたくさんいる.twitterのRT大嫌いな人がたくさんいる.彼らは思うのだろう:「じぶんの言葉を持たないのか?自ら"コンテンツ"を作れないのか?」.

そんな発言がdsbdに流れるとrebloggerは,reblogしまくるだろう,無言で,ときには「だれもおれをとめることはできない」と放言して.彼らは,ぼくは言葉を持たない,コンテンツを作れない.そして,みずからコンテンツになることもできない.言葉を持ち,"コンテンツ"を作れ,あるいは自らコンテンツになれる人は,純粋嫌悪感を感じるかもしれない.

これだけは言っておこう.*ぼくは嫉妬している*,言葉を持つ人に,こころさぶるなにかを作れる人に,積極的に消費される道化に.そんな才能もなく勇気もないぼくが,満足感に浸れるのが,コレクションであり,reblogなのだ.あるいはそんなぼくの下卑た卑屈な思いが,あなたを不快にするのかもしれない.知ってましたか?世界は気持ち悪いものなんですよ

2009-11-19

ニコニコ動画の「歌ってみた」って道化の極みやね。ようやるわ。

2009-11-14

誰かピエロに「もう道化なくても良い」と教えてやれよ…

2009-11-08

アフロディズニー』に添えて。

人は生まれながらにして猛獣使いである。

如何に自らの精神に巣食う獣と対峙し、飼い馴らすか。

というのが孔子の教え。

精神分析学では「超自我」といった解釈で説明され、

「大人」というのは「超自我を持った人」、

自分の意志とは無関係に言動がコントロール出来る状態を指す。

つまり「大人」とは道化であるが、「子供」と常に、そして既に接近している。

童歌の妙はそこに有ると思うし、

芸術芸能は「大人」と「子供」を撹乱させる事によって起こりうる。

子供が大人達説教を説き、大人達子供に詫びる。

古典的な作法だが、未だにワタシはそれが見てみたいのだ。

こんなご時世だからこそね。

               〜T.H.

2009-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20091107004105

劣等感に耐えられないと不安に繋がるんだよ。他の人に流れないかなって。

たぶん、そういうことだと思う。そういう不安を別の部分で打ち消せば続いたと思う。

俺はとことん面倒見て貰いたいんで彼女ランク必然的に上になる。総合的に見ると好きな人ってそんなもん。

だから癇癪おこして当たり散らして鬱になる。どんだけ道化を演じれば気が済むんだろう。

2009-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20091031003415

薬を飲んでいるため文章の保証はしない。学会の話を記す。

学会というのは「講」である。つまり、「講」だ。この時点で、まともな宗教団体ではなく土着の宗教信仰宗教団体である。

つまり、創価学会は「池田先生」なるものを依り代にして集まっている「烏合の衆」であって、宗教的なものを目当てとしない。

よって、中身は基本的に町内会の井戸端になっちゃうんだ。

「三丁目に住んでいる高橋さんの家に会合についてのパンフ渡してきて」

「あ、そうだ。ついでにこの間いった旅行土産もついでに(ry

こんな世界学会だ。創価学会なんてものすごく着飾って言っているけど、ただの中身はこんなもんだ。2chとかと一緒。

でも宗教団体なんだ。だから、変なノルマもあるし、特に「講」という制約があるから近所付き合いになる。

煩わしいと思うのならやめた方がいい。そして近所付き合いである以上、黄金地区に住むなら嫌になる。だから嫌われてるんだと思ってる。

学会の良い点も悪い点も「講」だからだよ。宗教講だったか。集団講だったかでぐぐれ。石仏信仰で出てくるあの「講」だ。

俺は「池田」はいらない。俺は「講」が欲しいけど、「池田」はいらない。

「講」という依り代にいたいけど、そこで「先生凄い」とまではいえない。

しかし哀しいかな、そうしないと「講」として成り立たないんだ。教祖が凄いとやらないと無理。

だからあんな道化に走ってるんだと思う。名誉賞とか、勝利とかってうたい文句はそうしないと講として成り立たないんだ。

よって俺はどこまでいって創価学会は土着の泡沫宗教組織と時代の中に埋もれていく地域集団としてしか見えない。

宗教じゃなくていずれ郷土資料館で話されるようになる程度の集まりなんだよ。日本人らしい集まりだよ。あれこそ。

2009-10-29

まぁそりゃそうだ。

ガキでないとガキの気持ちなんて解りませんからね。

「大人」は演技である。道化に成りきるのは結構大変さ。

                〜T.H.

2009-10-27

キモいってゆーな!!!

キモい」と言われてダメージを受ける心の弱さとキモいと言われる容姿が悪いのか、それとも「キモい」と言う人が悪いのか、どちらなのかは考えるまでもない、と書こうとしたら「おまえの顔がキモいのが悪いんだよwww」という声が聞こえてきてなんかもうどうしようもない。

現実的な対処法が「ヘラヘラ自分を誤魔化して過ぎさるのを待つ」しかないのもどうしようもないし(ここらへんは人それぞれですが)、キモいキモい言ってくる人もどうしようもない。もちろんキモい自分の顔もどうしようもないんだけど。

こういうこと書くと服がどうだの喋り方がどうだの言われそうだけど、昨日までキモいキモい言われてたのに今日いきなり言われなくなる訳はなく、かといって徐々に変えていくのもありえない。いじめられっ子に向かって、ボクシングでも習って勝てよというくらい理不尽。ありえない。それにキモい奴は努力すればするほど好感度じゃなくて道化度が上昇するぞ。

なにもしていなくてもキモいと言われて楽しく生きることができるとは思えない。実際全然楽しくないし。


あと、キモいって言われると死にたくなりますね→努力しろ-→努力で解決したら死にたくならねーよクソが→努力が足りない→アホか→……のいつものパターンを見るたびに、あーこれやっぱり絶対なにも変わらず今後もキモいキモい言われるんだろうなー死にたくなるなー。

2009-09-27

岩手県には、未着工や建築中のダムが4つある(簗川ダム、津付ダム遠野第二ダム胆沢ダム)

群馬県八ッ場ダム熊本県川辺川ダム問題。

民主党マニフェスト無駄公共事業は廃止するとあり、その目玉としてこれらのダムが取り上げられていた。しかし、無駄ダム岩手県北海道にもある。それらには触れず、こっちだけを建設中止するとしているのは、群馬県熊本県自民党地盤であり、岩手県北海道民主党地盤だからである。

底の浅い話に道化が踊っている状態で、真面目に取り上げるのがばかばかしい話なのだが、このネタがさも重要ネタであるかのように考えている人が意外と多く、もっと重要な話が取り上げられないという結果になっている。

マニフェストで中止を主張しているというのであれば、国費の出費を止め、その分を地方交付金として出して地方の事業として完成させるというやり方を取るしかないであろう。無駄公共事業は中止するのではなく、スタートさせないという事で対策するべきである。調査の開始=建設の開始という自民党政権の悪しき伝統こそ、変えるべき点である。

政権交代の度に、出来そこないの公共事業が増えていくというのは、政権交代はさせるべきではないという結果に繋がる。

公共事業を中止するというのであれば、岩手県には、未着工や建築中のダムが4つある(簗川ダム、津付ダム遠野第二ダム胆沢ダム)、北海道にも4つある(西岡ダム、徳富ダム当別ダム、圧幌ダム)、他にも民主党前党首が迂回献金を受け取っていた西松建設がらみで青森津軽ダム山形の長井ダム宮城の二ツ石ダムというネタもある。

これらのダムは必要なダムで、八ッ場や川辺川が不要なダムだという基準は、明らかにされていない。

[2009.9.27] http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html

2009-09-22

ラノベ脳が読んだ『エンジェルハウリング from the aspect of MIZU

このラノベは今から約10年前に始まった全10巻のシリーズです。魔術士オーフェンシリーズで大ヒットを飛ばしていた秋田禎信氏の新シリーズで、奇数巻と偶数巻で主人公が違うという特徴を持っていました。今回話題にしたいのは奇数シリーズのfrom the aspect of MIZUです。

このミズー編、あるシーンが非常に強烈でした。ラノベ脳に染まっていた自分に、もっこりハンマーを実際に食らったような衝撃を与えてくれました。どこがそんなに強烈だったのかちょっと他の人にも知ってほしい。というわけで、その衝撃について解説しつつ語ってみようと思います。

まず主人公は辺境最強の女暗殺者、ミズー・ビアンカ。当然のように美人です。クールビューティーです。裏の情報屋のアジトに向かうときなんか、冷静に見張りに話しかけ冷静に見張りのあごを砕いてアジトに入り込みます。クールです。強いです。そして情報屋ともクールなやり取りで自分の要望を飲ませます。頭も切れるいい女です。そして彼女はある敵に遭遇します。相手は通り魔的な殺人鬼名前ありません。モブです。つまるところやられ役の雑魚といったところなんですが、ミズーさん、彼と戦って勝ちはしたものの左足を負傷し出血多量で昏倒してしまいます。しかし、最強という言葉があまりにも意味をなさない魔術士オーフェンという作品を世に送り出した秋田氏の作品です。このくらいでがっかりしてはいけません。それに、本番はこれからです。

足を怪我して自由に身動きを取れなくなってしまったミズーを助けたのは、アイネストと名乗る青年でした。金髪長身痩躯の優男です。彼は学者らしく、ミズーに興味を持って彼女を観察していた、と言います。クールビューティーミズーさんは超冷たい態度で彼を追い払おうとしますが、なんだかなりゆきでアイネストと道中を共にするはめになります。なんていうか、王道です。ボーイミーツガールです。いや、ガールミーツボーイか。とにかく、クールビューティーで強いお姉様とちょっと間抜けでやわな優男のでこぼこコンビの出来上がりです。王道だ、そう思っていました。

さて、当面の間はミズーはアイネストに冷たいままです。当時この言葉があったかどうか定かではありませんが、いわゆるツンデレです。いったいいつミズーはアイネストにデレるのかな?それを楽しみに巻を読み進めていきました。

続く3巻では間抜けに見せかけておきながらガチでミズーのことを観察していたアイネストに、ミズーは心の弱いところを突かれます。ここもニヤニヤしながら読んでいました。あー、アイネストはなんだかんだいってミズーのことよーっく判ってるんだなー。ミズーからしてみたら今のアイネストは怖いだろうけど、でもそのうち頼るべき人になるんだろーなぁ。いつその時が来るのか、楽しみだなー。なんて思っていました。

…、思っていました。話が進むごとにアイネストは道化仮面を脱ぎ捨ててだんだん冷酷になっていきます。ミズーを好きに操るために何重もの罠を用意してミズーを脅したりすかしたりします。ミズーもそれに応じてアイネストへの憎しみを募らせていきます。それでも思っていました。クールな素顔のアイネストもいいなー。相変わらずミズーには嫌われっぱなしだけど、なんだかんだいってアイネストにとってミズーは重要な人みたいだしなー。こういう仲の悪い会話をしておきながらも話が進めばいい感じになるんだろうな、ああ、王道。なんて。思っていたんですが、衝撃の瞬間は唐突に訪れました。

7巻、237ページ。アイネストとミズーの会話シーンで、ビンタが飛びました。ミズーからアイネストに対して?いえ、アイネストからミズーに対して。頭に大きな?マークが浮かんでいるところに畳み掛けるようなアイネストの台詞が。

「まず言っておこう。君と一緒にいるのは、ぼくにとっても甚だ不愉快だ」

もう、このときの衝撃と言ったら筆舌に尽くしがたいです。あれ?この二人って修復しがたいほどに仲が悪いの?アイネストはなんだかんだいってミズーのことが好きで、いつかミズーもアイネストに転ぶんじゃないの?でも、一瞬後に気づきました。ああ、自分はなんて馬鹿だったんだ、と。真面目に考えて、自分のことを利用しようと罠にはめる男に対して恋愛感情なんて芽生えません。真面目に考えて、はなっから自分のことを嫌っていてことあるごとに襟首締め上げてくるような女に対して恋愛感情なんて芽生えません。何夢見てたんだ、自分

いや、そこを夢見させてくれるのがラノベなんじゃないか!ごもっともです。でも、この作品はなんていうか、そういう夢&冒険&恋のエンターテイメントラノベとするならば絶対にラノベとは呼べません。世界観ファンタジーなんだけど、人物まではファンタジーじゃないというかなんというか、徹底的にリアリズムを追求しているというか。話の途中でミズーさん全治3か月の重傷を負って素直に3ヶ月間病院入院してますし。入り口は最強の女暗殺者と最強の精霊を瞳に宿した少女を主人公として2本立てしてとても厨2病っぽい設定だったりするんですけど、中身はまるで違っていてそれがすごいです。

さて、そんなびっくりアタックが待っているエンジェルハウリングですが、じゃあつまらないのか?と聞かれると、そんなことはない!と声を大にして言いたいです。この物語で語られている、信じるものと愛についての誠実な考察はとても面白いです。

12月に発売される秋田禎信BOXにはオーフェンシリーズ後日談とともにこのエンジェルハウリング後日談も収録されています。エンジェルハウリング?知らねー、オーフェンだけ売ってくれりゃいいのに、などとぼやいているそこの貴方!多分この世で1番ラノベらしくないラノベ読了する時間は十分にあります!ぜひ一度このシリーズに挑戦してみてください。

2009-09-08

コミックギア買った

 ちまたで賛否両論、9割否定、と大変話題の雑誌コミックギア」を購入いたしました。遅きに失した感がありますが、ここでダラダラと感想を述べさせていただきます

 このマンガ雑誌の特徴は、漫画家さんだけで雑誌を作っていく、ということ。互いに互いの作品に対してあーだこーだを繰り返して、各々が漫画製作に励むというわけです。では「編集者がいないのか」というと実はそうではなく、公式ブログによると「漫画家全員で意見を出し合って出来たネームを、まとめて編集者に見せる」という形をとっているようです。なんだか詐欺にあったような気がしますね。

 まぁ、そんな作り方などどうでもよいのですよ、読者にとって。ようは、面白ければいいのです。とかく厳しいマンガ世界。あるものは巨万の富を得、またあるモノは借金まみれで放り出される。このマンガ砂漠で生き残れるのは、「面白いモノ」を描いたものだけなのです。あとのモノは砂漠にて自分のひり出しか糞を食いながら水分を補給するような人生を歩むだけなのです。

 ちょっと言い過ぎのような気もしますが、とりあえず個々の作品の感想を述べさせていただきます。べんべん。


ヒロユキ著「スーパー俺様ラブストーリー

 このマンガの凄いところは作者が頭蓋骨の奥に秘めた人類の宝物である脳味噌を一片も使った形跡がないことです。

 「一挙2話、94ページ掲載!」と表紙に銘打ってありますが、94ページも使って進んだのは起承転結の「起」くらい。四コマで言えば一コマ目です。ヒロユキ氏は自作四コママンガドージンワーク」がアニメ化されるほどの人気作家ですが、どうやら同じ手法でストーリーマンガを描こうとしているようです。画期的です。インディーズコミック(?)で活躍なさっている大橋浩之さんの作品に「音楽」というのがありますが、こちらのページ数は100ページほど。その100ページで1時間半の映画ほどのストーリーをやっておられる大橋氏に対してのこのプロの仕打ち。さすが、プロは違いますね。

 あと、これはコミックギアに載っている全ての作品に言えることで、ほかでもさんざん指摘されていることですが、見開きや1ページぶちぬきが実に多い。通常、見開きなどというものは、一つにマンガ作品に一回くらいあればいい様なもの。それをヒロユキ氏は、とにかく乱発しまくっています。しかも、絵はうまいが構図が下手なので、全体的に書きこまれているのにスカスカ感を味わってしまいます。コップ一杯分のカルピスドラム缶で薄めたような味わいが口の中に広がり、さわやかな水を飲んでいるかのような錯覚を味わってしまいます。カルピスなのに。二次元美少女ぶっかけるのに不可欠な白濁色はどこに行ったのでしょうか。

 見開きと云うのは使いどころが難しいもので、例えば現在ビッグコミックスピリッツで連載されている花沢健吾著「アイアムアヒーロー」では、見開きが異常に多用されているシーンが出現します。しかし、スカスカでないどころか、迫力と恐怖がこれでもかというくらい倍増されている。また、「ディエン・ビン・フー」などで知られる大西大介さんも大ゴマ、見開きを多用する作家さんですが、こちらもそれらが見事に活かされています。要は使い方を誤らなければ連発してもよいのですが、ヒロユキ氏のそれは、先ほども言いましたように、「連発」ではなく「乱発」です。これが銃なら大変なことで、マイケル・ムーアドキュメンタリーネタを一本提供してしまうことでしょう。実に恐ろしい結果となります。

 つまり、基本的なマンガの描き方をヒロユキ氏が一切把握していないどころか、そのことに対してなんら疑問も抱いていないのです。実に自信満々に作品を提供しておられる。ヒロユキ氏はインタビューで「自分がつまらないマンガを描くわけにはいかない」という旨の発言をしておられますが、残念ながら収録作品中、一番つまらなかったです。


じゅら著「マシンガンソウル

 ヒロユキ氏の作品をずいぶんと長く言及してしまいましたので、あとのは軽く流していきます。疲れてきましたので。

 この「マシンガンソウル」という作品はダメ傭兵が主人公で、そいつが頑張る、という内容なのですが、こちらも絵はうまいのですが構図の取り方が下手です。79ページの一コマ目などは、あまりに下手過ぎて映画デビルマン」のうんこ演技を思い出してしまいます。「おれ・・・でーもんになっちゃったよ~」とか「ぐわわぁぁ」とかいう、あれです。観ていない人はレンタルして後悔して下さい。

 物語の途中で主人公は負傷した上官と、助けるべき人質を抱えて敵陣をひたすら疾走します。その猪突猛進ぶりや凄まじく、足を撃ち抜かれても崖から飛び降りても止まりませんし、最終的には頭突きで壁を打ち砕きます。その理由が、すべて主人公が持っている「根性」。凄いですね。「元気があれば何でもできる」という某アゴプロレスラー名言を地でいくような主人公です。

 しかし、やはり「根性だけでそんなことできるわけねーじゃん」的な思いを読者に抱かせてしまう。ここはひとつ、次回にて「実は主人公には謎の力があって、それを狙って謎の組織が…」と言った感じに、謎だらけな感じにしてしまうのはどうでしょうか。そうすれば何とか連載も続けられると思いますが、その前に雑誌が終わりそうな気もするので、やはりこのままでいいような気がします。


・若林稔弥著「大魔王ザキ」

 よく作品を評価するのに「主人公にまるで共感できない」などと言った言葉をよく耳にしますが、主人公に共感できない=ダメ作品、というわけではないことを、ここに記しておきます。そもそもまるで主人公に共感できない作品など有史以来、大量に存在し、しかもそのうちの多くが評価を得ていることを考えれば、その一点でもって作品すべてを否定することなどできないはずです。映画ドーベルマン」や山本英夫さんのマンガ殺し屋1」など、どうしようもない人間ばかりでてきますが、高く評価されていることからも、そのことが判るというものでしょう。個人的な好き嫌いはともかくとして。

 この作品「大魔王ザキ」もそうした「主人公に共感できない作品」の一つとして挙げられると思います。しかし残念なのは、作者がそのことを理解していないこと。読者に対して「こいつ(主人公)に共感して下さいねぇ~」と言った感じのオーラを放っています。「どうしようもない悪党が主人公なのに、最後はそいつに同情してほろりと涙してしまう」作品として映画「マーダー・ライドショー2/デビルズリジェクト」がありますが、これは実は高い演出力がないととてもじゃないけど出来ないことなのです。作者のじゅら氏はおそらく何も判らずにその壁にぶち当たって行った。結果、何も判らないまま崩れていったようです。素直に悪党は悪党にしておくか、最初から共感を得やすいような主人公にしておいた方が無難だったと思われます。

 一つ疑問なのですが、物語ラスト。主人公の師匠は主人公を山から降ろさないようにしようと画策していたのに、なぜあっさりと降ろしてしまったのでしょう?「けがをして動けない」と言った描写もないですし(けがはしてるけど、日本の足で立っているのだから、止めることくらいは出来るはず)。どうせだったらベッドにでも縛り付けておけばよかったのではないかと思います。


・ユーゴ著「ゴーストラッシュ

 怪物退治をする潔癖症な主人公とその使い魔のお話。どうでもいいけど、なんで扉に作者の名前がないのでしょうか。名無しですか。としゆきですか。覆面座談会でコミックギアの内情を暴露ですか。ぜひやっていただきたいところです。

 ちょっとホラーな雰囲気を醸し出そうとしていますが、ものの見事に失敗しています。犬を吠えさせ、カラスを啼かせておけばアトモスフィアが形成されると思ったら大間違いなりよ、キテレツコロッケ食べたいなりよ、キテレツ。私、ボディーだけ病気なりよ、キテレツ。言いたいことが他の作品とかぶるので(コマ割りが下手、構図の取り方が下手、主人公に共感できない、それを作者が判っていない)、適当に埋めておきました。

 あ!女の子触手に襲われているのに、えっちぃ絵を描かなかったことは許せませんね!えっちぃのは嫌いか!金髪ぶってんじゃねぇ!俺は大好きなんだよ!えっちぃのも金髪もな!


友吉著「GOOD GAME」

 もう少し少ないページ数でまとめられたのではないかと思うのですが、ヒロユキ氏の作品に触れた後では、ちょうどいいような感じがしてしまいますから厄介ですね。もしかしたらヒロユキ氏は、他の作品を引き立てるためにわざとあのような作品をお描きになったのかもしれません。涙がちょちょぎれますね。嘘ですけど。


・とりねこ。著「ヒヨコ道化不思議な町と」

 タイトルから林静一さんの「アグマと息子と食えない魂」を思い出してしまいましたが、全然関係ありませんでした。

 柔らかくゆったりとした空気感を醸し出す絵柄に、ほんわかとした話。天野こずえさんの「ARIA」を想起させるような作風で、コミックギアの中では比較的読める作品に仕上がっております。「比較的」ですが。

 途中で繰り出されるトリックの謎解きが、いまいちよく分かりませんでした。私がバカなせいでしょうか。いやいやまさか、そんなはずは…


佐藤ユーキ著「デスハート

 女に振られたら死ぬ話。明らかな構成ミスが目立つ作品です。

 主人公は心臓病気を持っているらしく、女に振られるたびに激しい痛みに襲われます。主人公はそれを「失恋の痛みだ」と解釈していますが、いけませんね。異変を感じたらすぐさま病院に馳せ参じないと。手遅れで死ぬかもしれません。

 主人公は友達の女性のことを「まさか俺に気があるのでは」と童貞丸出しな妄想で突進するのですが、実は彼女にはすでに恋人がいます。そのことが序盤で明らかになるものですから、主人公がその女友達に告白して振られることを読者は分かり切っている。それで引っ張るというのは、土台無理な話です。実は作者は「序盤で明らかにした」つもりはなく、「伏線を張った」つもりだったのかもしれませんが、だとしたら伏線の張り方が下手過ぎます。しかも、その女友達彼氏は主人公の友達なのですが、その友達が最初にちょっと出ただけ。一回もアップになってないので、全然印象が薄いです。

 物語の構成の仕方がまるで分かっていない作者だったのでした。いや、コミックギアは掲載作家全員で作品のネームを回し読み、意見を出し合っているのですから、むしろコミックギア作家全員が物語の構成を分かってないといった方が正しいような気もしますが、私はとても心優しく繊細な人間なので、そのようなひどい事は言わないようにしておきます。罵詈雑言は、人の心を荒んだ物にしますからね。


桜井マコト著「アシュラ」

 いきなり盗賊の頭になった女の子の話。これも比較的読める作品だと思いますが(「比較的」、な)、これで連載はちょっと厳しいような気がします。個人的にはコミックギアの中で一番好きな作品なのですけどね。


・九品そういん著「プリンセスサマナー

 カードゲームで闘う話。最近テレビアニメを観てますと「おれのターン!」とか「場に出ているカードをすべてケツに突っ込んでターンエンド!」とかそんな叫びばかり聞きます。流行ってるみたいですね、カードゲーム

 これもその流行に乗っかった作品なのでしょうが、「負けたい」人間と「勝ちたい人間」を闘わせて、それがうまくいかない、という展開は結構面白かったです。コマの使い方も比較的順当で(「比較的」、な)、読みやすかったのもポイント高し。そういえばポイントたかしさんって、まだエロマンガ描いてるんですか?結構好きだったんですけど。

 ただ面白かった要素がこの一話で使い切られているような気がしますので、今後どうなるのか不安です。まぁ、コミックギアの今後の方が不安なのですが。


総評

 「プリンセスサマナー」と「アシュラ」と「アグマと息子と食えない魂」だけは他の雑誌に移行して、あとは全部打ち切り廃刊ザッツオール、みたいな感じです。ヒロユキさんはコミックギアのために自腹を切って仕事場を借りたそうですが、競馬で負けたと思って、大人しく四コママンガを描いておいてください。うまくいけばまたアニメになるかもしれませんしね。知りませんけど。

 しかし、ネットでの評判でシコタマダメ」を喰らったこの雑誌。それによって世間では「コミックギア=面白くない雑誌」という見方が定着してしまったような気がします。一度そういう印象が付いてしまうと、次回でよほど頑張らないと挽回は不可能。次は11月に発売だそうですが、その頃にはどうなっているのか、とても楽しみです。

 がんばれ!コミックギア!負けるな!ヒロユキ先生

2009-07-07

失恋

夜明けだった。始発の電車を僕は待ってた。足取りはどことなく虚ろで、とりあえず惰性で自宅への帰路を選択したに過ぎない。目は充血していた。端的に言えば逃げ出したかったんだと思う。

彼からその事を聞かされた時は、一瞬何も出来なかった。

いつもなら何かしら、表情の演技を欠かさないはずなのに。取り繕う事が出来なかった。僕、上手く笑えてるかな。

友人の幸福を祝う、良い奴のふり、できてるかな。どうやら彼は最近告白されたらしい。全く知らなかった。

そうだったんだ、良かったじゃんととりあえず答える。

まず頭に浮かんだのは、上手くこの場を何も無いように納めるようにしなきゃって事だった。

道化を演じる事。それが僕に与えられたミッション

そして彼女がやってきた。一見つがいのようには見えない。でも多分それはそう見せてるんだと思う。僕とこの二人の間には壁があるように思えた。

何だか、僕、すっごく滑稽だ。まあ、今までだって僕は滑稽だったと思うけど、そんなのってないよ。

幸せそうにしている二人に笑いかけ、酔っぱらったふりをしながら頭の中でそんな台詞を呟く。

長かった、結局夕方の7時から会って、そして終わったのは5時。やってられない、と半ばやけになっていたかもしれない。でも上手く笑えていたと思う。

ものすごくバカな振りをしてはしゃいだりした。なんだか頭の中に鉛があるみたいだ。本当はそうじゃないんだ、もっと別の言葉を言いたかった。

でも幸せそうにしてる二人を見てると、そんな僅かな抵抗心すら挫かれた。その隣に座りたかったよ。でも無理なんだよな。

君は彼を選んで、僕は選ばれなかった。それだけ。それだけなんだ。可笑しいな、僕、いつも取り繕ったり、嘘を付いたり、仮面付けたりするの、すっごく得意なはず、だったのに。

今日は無理みたいだ。いいや、とりあえず帰ろう。寝れば多分、忘れるはずだから。この持って行きようの無い気持ちも、多分取り去ってくれるはずだから。

始発が来た。人はまばらで、乗っている人は殆どは寝ていた。僕は後ろから3両目の電車に乗って、座席の端に座った。

そこで、誰も見てないのに、眠たいふりをした。腕を組んで、瞼を閉じて、頭を少し傾けて。

でも、溢れ出る涙だけは抑えられなかった。抑えられなかったんだよ。

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