はてなキーワード: 運命の人とは
生まれてから社会人数年目まで、人を好きになるという現象を理解できなかった。
人として好き、はわかる。この人が好き、がわからない。こんな感じ。
人間関係は狭く深く、共依存ほどの親友が1人、なんでも話せるしバカになれる友人が2人、地元の腐れ縁が1人。
あとは気軽に声をかけれるが深い話はいっさいしない知人が複数。
けっこう十分だが、私がいなきゃダメな人はいなくて。いつも虚しかった。
周囲が唯一と出会っていく中、私は死ぬまでひとりなんだと覚悟していた。
誰かを好きになることもない、もし誰かに好かれても、それは世間体のためによく見せてる私をすいてくれてるだけ。せめて素敵な老後ホームで余生を.......と貯金をしていた。
ところがどっこい、奇跡的に巡り会った。運命の人ってやつだと思う。
マッチングアプリで知り合い、なぜか好かれて、毎度の如く酷い自分を嫌われるようにさらけだしたが、なぜかさらに好かれた。
いつの間にか私のほうが好きになった、なお、好かれ続けている。不思議だ。地球が存在するくらい不思議。
見事に世界が鮮やかに見える。幸せだ。固執してた趣味も仕事も、正直どうでも良くなった。適度に楽しめるのだ。
ちょっと寝過ごして遅めの朝ごはんを食べながら、もうお昼ご飯だねって笑うだけで、今死んでもいいくらい幸せになる。
こんな素敵な日々、私知らなかった。
私はマッチングアプリで30人以上に会った。100人以上とはメッセージのやり取りをしたし、街コンにも何回が参加した。
健闘を祈る。
きっかけはテレビでたまたま見たことだが、ドはまりしたので、Twitterのその趣味専用アカウントを作った。
年齢層はちょっと自分より若いくらい(2~3個下)から、ひとまわり下くらいまでの男が中心だったが、数人ばかりアラフォーもいたので、かろうじて輪には入れた。
オフ会にも行ったし、そこで仲良くなった人を中心にプライベートなことをSkypeで話すこともあった。
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でも内心、前提の違いとかも感じた。
まだ学生の子たちが、社会人5年をすぎた自分よりも遥かに、お金を使っている。
自分はどこかセーブしていた。節約云々と言い訳してたが、ヲタ活前は趣味もなく、残業と休日出勤も多く、それなりの貯金もあったのに。
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数年経ち、自分も三十路にさしかかろうかという頃、その中で出会った大学生の子(男ですよ)とよくリプやDMで話していた。
就活控えてたということで、こっちとしても相談に乗るのは悪くないので、自分なりの考えを話した。
大学のときどんなだったとか、なぜ地元で就職したのかとか、なぜ今の会社を選んだのかとかもだし、いざ働いて分かったことも正直に伝えた。
その一方自分の現状も話した。
ヲタ活の趣味から完全に離れる必要までは考えてないけど、少しずつ縮小していること。
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ヲタ活はどうなったかというと、グッズは途中で人に譲ったり、処分したりで既にない。Twitterにもあまり顔を出さなくなってたが、結婚したことだけは報告した。例の学生だった子も社会人になってたが、ネット越しにおめでとうと言ってくれた。
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さて、彼は俺のことを、どう見てたのだろう。
鬱陶しいおっさんに付き合ってただけなのか?
信頼できる先輩のように思っててくれてたのか?
実はよくわからない。
まだ、高校生といえばそれまでですが、もう高校生です。1回も男性とお付き合いもしたことのないまま終わりゆくのか…。付き合うとかそういう前にそもそも異性の友達がいない…。本当に喋れる男子なんて1人もいない…。異性なんて父親と担任以外喋らないぞ!という感じです。
私は俗に言う陰キャ、今っぽく言えば女版チー牛と言ったところでしょうか。(チーズ牛丼なんて頼んだことないですが)周りがどんどん垢抜けていく中、いつまでも小学生のような服装を極め、メイクはしたことがない…。(服は一応気にかけていますがメイクしないといつまで経っても小学生のようです)
正直恋愛とか結婚とか言われてもわかりません。でも何故か、結婚願望があります。とある独身の女性の方に「君はきっと結婚できないよ」と言われてからでしょうか。失礼極まりない発言ですが、その方が独身なだけに説得力はとてもありました。嘘でもいつか素敵な人に巡り会えるよ、くらい言ってくれたらどうでしょうか。その時から絶対に結婚してやる…!と、あなたとは違った幸せの形を掴み取ってやる!と考えるようになりました。
シンデレラコンプレックスてやつでしょうか、いつかは運命の人が現れる!と思います。現実的には無理そうですが。高校生なんてまだ世界が狭い!これから!と言われたらそうですね、としか言えないのですが、今後自分がいきなり積極的になり男性に話しかけにいくとも思いません。出会いってなんでしょう…。大学になったら同棲の友達すらできるか不安です。
それだけは嫌ですね…。批判とかそんなのじゃなくて、単純な疑問なのですが、婚活、というものをして出会い、お互いを尊敬し会える関係にどうすればなれるのですか…?言い方きついですが余り物同士(将来自分が余り物になるのかもしれません)が出会ったところでどうなるのでしょう…。
お互いが尊敬し合う関係の方と結婚したいです。顔は(自分の嫌なタイプでなければ)イケメンでなくてもいいし最低限の生活ができれば高収入じゃなくてもいいので賢くて(学力の話ではありません)尊敬できる、価値観の合う人に自然に巡り会いたいです。これが理想が高いというやつか。
いきなりですが、これを読んでくださっている、いない歴=年齢or恋愛経験の少ない独り身社会人男性の皆さん、
仲良くなって好きになった女性からこのようなことを言われたことがないでしょうか?
「〇〇さんは良い人だけど、付き合うとかは考えられない」
「〇〇さんは本当に優しい人だから、私よりもっと良い人と付き合えるよ!」
等々…書いてて悲しくなってきますが、
これらはいわゆる女性の優しいウソ、有り体に言えば社交辞令ってやつですね。
友達としては無しではないけど彼氏にはしたくねーんだよ、っていうのをこっちが傷つかないようにやんわり伝えてくれているんだと思ってます。
こんなこと言われる関係性の女性なんていたことないわ!という男性は、街コンでもマッチングアプリでもいいので行動してみることをオススメします。
そういう方はまだ本気出してないだけで、彼女を作ったり結婚出来たりする可能性が十二分にあります。たぶん。
話を戻しまして、一番最初に書いたようなことを告白後とか、告白前に牽制として言われたことがあるという方たち、
男性を傷つけないようにしてくれているんでしょうが、遠回しな表現をすることで余計に傷ついてしまうんですよね。
なぜこんなことになってしまうんでしょうか。
あまり対策のしようがない顔や身長の話は置いておくとして、服装や髪形にはそこそこお金をかけて気を遣っている。
歯並びも矯正してよくなったし、髭も1日2回ちゃんと剃ってる。歯磨きも1日2~3回くらいしてる。
ジムに通ったり筋トレしたり食事に気を付けたりして体型維持にも努めている。タバコも吸わない。
普通に働いて一人暮らししているし、コミュ障ってほど女性と会話ができないわけでもない。
美味しい店を探して予約もする。連絡もウザくない程度にこまめにしている。
なのになぜ、どうして、あなたは恋愛対象外ですよ。となってしまうのか。
言葉にするのが難しい問題ではありますが、僕はこのように名付けます。
「『オス』としての魅力がない問題」
感覚的な表現ですが、簡単に説明すると、女性に以下のように思われてしまうってことです。
・元カレ(もしくは昔好きだった人)と比べて何かが物足りない
この問題の厄介な所は、具体的な解決方法が浮かびづらいという点です。
清潔感がないんだったら身だしなみに気を遣えばいい。
太っていたり痩せすぎていたりするなら運動と食事に気を付ければいい。
しかし、オスとしての魅力がないという問題に関しては、女性側は「なぜか」「どうしても」「何かが」「なんとなく」等々、漠然とした理由でのNGなため、
どうすれば改善されるのかが見えてこないのです。
たまたまその人と合わなかっただけという考え方もできますが、出会う女性たちに同じようなことを言われてしまうということは、おそらく男側に欠点があるのでしょう。
この問題を抱えた男は今後どうしていけばいいのかという対策を考えてみたいと思います。
一番ポジティブな手です。とにかくガムシャラに体を鍛えたりオシャレを勉強したりしつつ、
アプリなり婚活サイトなり、マッチングサービスを駆使して多くの女性と出会う。陽キャっぽい趣味に手出してみる。
そうこうしているうちに運命の人と出会うことができるかも・・・。
②モテる男の真似をしてみる
彼らの所作や女性へのコミュニケーションの取り方などを真似してみる。
聞くは一時の恥ということで、身近にいればアドバイスを求めてみるのもアリかもしれません。
大して経験もないのに真似だけしても、ドン引きされて終了の可能性は高いので、ハイリスクです。
風俗に通ったりデリヘルを呼びまくるなどして、女性との肉体的接触の回数を増やすという手です。
素人童貞でも風俗マスターのレベルにまでなれば女性と会うとき緊張しなくなって魅力が高まるかも…!?
めちゃくちゃ金がかかる上に快楽に溺れて戻れなくなってしまったら、趣味:風俗通いとかいうド地雷男が誕生してゲームセットです。
一応僕が思いついたのはこれくらいです。
もし他になんか良いのがあったらコメントでもツイートでもしてください。
と、いろいろ逆転できる方法を考えてみましたが、本音を書かせてください。
実はもう自分の中では魅力を高める方法っていうのは思いついてはいるんです。
オスとしての魅力を高めるために最も有効かつ必要なことは、間違いなく女性と恋愛した回数を増やすことです。
しかし、ロクな恋愛経験もなく社会人になってしまった以上、それはほぼ不可能です。
年齢を増すごとに、出会えるフリーの女性の数は減っていくし、お付き合いするうえでも結婚を意識せざるを得ず、
気軽に付き合って経験を増やそう!なんてことができないからです。
そうこうしているうちにどんどん年齢を重ねていき・・・っていう負のスパイラルに陥ってしまいます。
そうならないため、先ほど挙げたみたいに対策をとってお相手を見つけられたらいいんですが、ぶっちゃけ難しいでしょうね。
気軽に付き合ったり告白したりできる学生時代に恋愛経験を積めなかった男が、社会に出てから色々努力したところで悪あがきにしかならないと思います。しないよりはマシですけど。
学生時代の恋愛と将来結婚できるかどうかには相関性があるみたいな研究もあるらしいです。(その研究の真偽はともかくとして、そう思っている大人が一定数いることの証左にはなる)
結局は、人生の早いうちから恋愛に挑んで時に傷ついてきた、バイタリティ溢れる男が「オスとしての魅力がある」ってことになるんだと思います。
イケメンとかガタイがいいとか背が高いとか、生まれつき備わってる要素も重要なんでしょうけどね。
もしこれを読んでる学生さんがいたら、手遅れになる前に勇気を出したほうがいいです。
それで無事カップルになれたら将来の展望が一気に開けますし、たとえこっぴどく振られても、そういう経験をしたことが財産になります。
最後に、ちょっと明るくなる(?)話をして終わりたいと思います。
「オスとしての魅力がない男」だからこそ楽しめるものもあります。
それは何かというと、AVや同人誌で最近流行している、NTR(寝取られ)&BSS(僕が先に好きだったのに)というジャンルで最大限興奮できるということです!
片思いしてたあの子が自分より強い男とかイケメンと結ばれる、なんてめちゃくちゃ心にダメージを受けつつも下半身にエネルギーが満ちてきますよね。
これはモテ男たちには味わうことのできない興奮なのです。可哀想ですね!
俺の運命の人は君じゃない
生まれてこの方他人を恋愛感情で好きになったことがなく、もちろん性的感情を抱いたこともなかった。
色々調べて、アセクシャルという言葉を知ったが、しばらくは受け入れられなかったが、昨日になって受け入れられるようになったので増田に書いてみる。
アセクシャル(Aセクシュアル)とは無性愛のことで、他人に対して性的感情を抱かない性的指向のことだ。
解釈によっては性愛だけでなく恋愛感情も含む。私は男に対しても、女に対しても恋愛感情を抱かない。
恋愛をしたことがなく、他人と付き合ったこともないので、運命の人とやらに出会っていないからとかそういう可能性もなくはないが、とりあえずアセクシャルと言っておけば現状に納得がいくんだから別に後々誰かに恋愛感情を抱いて実はアセクシャルじゃなかったと撤回してもいいと思っている。
性的指向なんて決めるのは自分なんだから、誰かにそれは勘違いと言われる筋合いはない。
私がしばらく受け入れられなかった理由の1つ目は、そもそも恋愛をしたことがないんだから男が好きか女が好きかも決められないのではないかと思っていたからだ。
両方と恋愛してからでないと恋愛ができない、性的感情が抱けないなんて決められないのではないか。
だが、そもそも恋愛ができない体だと受け入れてしまえばこれはそんなに大きな問題ではなかった。
付き合う以前に、好きにならない。何も進展しない。
万が一好かれたとしても自分にその感情がないのに試しに付き合ってみよう、とは思えなかった。
人と付き合おうと思わない、誰からも思われないのは私の見た目にも問題があるのかもしれない。性格かもしれない。
だが、こんなふわふわした人間と付き合うなんて相手の時間を無駄にしてしまうようで忍びないし、アセクシャルだと認めてしまえば「他人に対する恋愛感情がないのだから仕方ない」で納得できる。私が。
実に都合がいいと、受け入れた今なら思う。
私は幸い毒親に育てられることもなく、親にはこんな私に金をかけてくれたことに感謝しているので、親孝行をしたいとは思っていた。
孫の顔を見せることが最大の親孝行だと思っているので、それは叶いそうにもないのは申し訳ないが、これも「アセクシャルなんだから仕方ない」と納得した。
生まれ持ったものはそうそう変わらないと思うので、仕方ないと思う。それなら諦められた。よかった。
受け入れられなかった理由の2つ目は、私は恋をしている。
他人に恋愛感情を抱かないのは、現実に限った話で、二次元のキャラクターに所謂ガチ恋をしている。もう10年近く片想いをしている。
夢女ではないのでそのキャラクターとどこで出会ったか、どっちから告白したか、デートはどこへ行ったかなどの妄想はしたことがない。
私の好きな人は私のことを知らないし、私は好きな人と知り合いですらないからそんな妄想するのはおかしくないか?と思う。だが片想いをしている。
他人のために無茶をするくせにそれを隠そうとする不器用でかっこつけなところが好きだ。考え方が好きだ。好きな人の幸せを祈ることができるその人が好きだ。
私は恋をしている。永遠に片想いで、好きな人が一生私のことを考えることはないが、私は恋をしている。
二次元のキャラクターとはいえ、恋をしているなら恋愛感情があるのではないかと思ったが、それが二次元のキャラクターを認識している以上、どちらかというと異常性癖にあたると思う。
フェチとか、性癖とかと同じものだとしたら、現実の人間に恋愛感情も性的感情も抱かない無性愛と私の片想いは両立すると思う。
だからアセクシャルだと受け入れられた。受け入れられても恋をしたままでよかったから。
受け入れられなかった理由の3つ目は、有り体に言って、私は自慰をするからだ。
AVも観る。18推シチュエーションCDを聴く。AVは無理矢理シチュや複数も嫌いではないし、シチュエーションCDは和姦が専ら好きだ。初夜が特に好きだ。
道具を使うことはないが、そういったもので性欲を解消している。
これが一番ネックだった。自慰をするということは性欲があるということで、なら無性愛は当てはまらないのではないかと思った。
しかし、無性愛者も自慰をするケースもあるとネットで見た。この衝撃は大きかった。
私は確かに自慰をするが、現実の誰かに犯される妄想をするわけではなく、女優が気持ちよさそうだとか、シチュCDの男が気持ちよさそうだとかでしている。
対象が自分ではない。だが自分の性欲を解消している。それでもアセクシャルだと言ってもいいらしい。
シチュCDは自己投影をして聴くこともないので、シチュCDの男が現実にいたら、というのも愚問だ。私は良い女を好きになって行為をしてるシチュCDの男が好きなんだ。私じゃない。
自慰をしてもアセクシャル。だって現実の人間には恋愛感情も性的感情も湧かない。
だから受け入れたこれからも好きなシチュCDを嗜んで良い。これは本当にありがたかった。
ジャンプで連載中の漫画「ぼくたちは勉強ができない」が今週一つの最終回を迎えたところですが、同時に少年誌では前代未聞のマルチエンド方式であることを発表したことで大炎上しています。
結ばれたヒロインが決定してからそれなりの時間が経ち、荒れかたも落ち着いてきたところでの爆弾投下だったので酷い荒れ方でした。全盛期の頃の俺妹にも負けず劣らずの荒れようで、罵詈雑言が飛び交う酷い有様でした。
純粋に喜んでいる人もいるのでしょうがそういう人はあまり多くは書き込まないので、大抵は今までの鬱憤を晴らそうとする書き込みですね。見るに堪えない人も多かろうと思います。
この方式が嬉しくないかと言われると嬉しい気持ちもあるにはあるのですが、それでも個人的には「ラブコメ漫画」でのマルチエンドには反対です。1話2話程度の完全にifルートと分かるような形式であれば良いのですが、過程も含めて描こうとするのは絶対に反対です。
ラブコメを読むことを競馬に例えることも多いし、その感覚もあるのは否定しませんが、それでも一番は唯一無二の運命の人と結ばれる過程を見たいから読むというようなロマンティシズムなところなんですよ。
好きなヒロインがその相手であれば最高ですけど、そうでなくともその運命が美しければそれで良いんです。
恋愛ゲームはいいのかと言われそうですが恋愛ゲームはいいんです。ラノベにもあると言われそうですがラノベも今のところはいいものしか知りません。媒体の違いは大きいです。知ってる範囲で違いを書きます。
漫画でのマルチエンドは少年誌では前代未聞ですが、、青年誌では「すんどめミルキーウェイ」という前例があるそうです。
読んでいないので詳しくは知りませんが、本編のフィナーレ手前からの分岐のようです。読んでいないのでなんともいえませんが、「ToLOVEる」のようなエロよりならありかなと思いますし、そうでなければちょっとどうかと思います。どのくらい続きを書くかにもよりますが。
ちなみにジャンプで連載中の「ゆらぎ荘の幽奈さん」も擬似的なマルチエンドを行っています。一本道の話の中で必然的に各ヒロインのあり得たかもしれない将来を描いているもので、設定的に可能な作品は限られるとはいえ上手いやり方だなと感心します。
ラノベで一番有名なマルチエンドは最近出た俺妹のあやせルートでしょうか。これはゲームのノベライズです。ifなのは明らかなのでこれはいいです。
他にも「ベン・トー」の最終巻もマルチエンドですがこれも短編でそれぞれと結ばれたかもしれない世界を書いてるだけなのでifなのは明らかですからこれもいいです。
ラノベとして一番ちゃんとマルチエンドを書いてるラノベは「お前をオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ」の小豆エンドでしょうか。ドラゴンマガジンで本編と並行して短編連載していたパラレルストーリーをまとめたものですので、これもifなのは明らかですね。時系列的に半年以上かけて別の世界を書いていますし、小説なので描写の密度も漫画よりずっと高いです。このくらいかけていればこういう選択をしていれば小豆と結ばれる運命だったんだなと素直に思えます。
シナリオメインの恋愛ゲームは基本的に出会いとそれぞれの事情を簡単に知っていく共通ルート、個別のヒロインとイベントなどを通して結ばれていく個別ルートに分かれています。「シュタインズ・ゲート」のように実質一本道なものもありますが、恋愛メインならほとんどこういう形式です。
共通ルートと個別ルートの比率は作品によって色々ですが、大抵は共通ルートのほうが短く、個別ルートのほうが長いです。
なぜかといえば、最終的に主人公がどのヒロインと結ばれるにしろ共通ルートでは同じ経験をしているわけですから、その同じ経験の比率よりなぜそのヒロインと結ばれたかという個別に仲を深める比率のほうが高くないと説得力が薄くなってしまうからですね。
個別ルートが1,2時間とかいう作品もありますがそういうものは基本駄作と言っていいでしょう。1,2時間で描写が済んでしまうような運命に説得力などありません。
主人公のした選択によって、別のヒロインと結ばれる運命が生まれる。恋愛ゲームのいいところはあったかもしれない運命をいくつも見られることですね。まあそれをメタるのもまた恋愛ゲームですが。
オリジナルアニメでマルチエンドはないでしょうから概ねこの辺りでしょうか。
「唯一無二の運命の人」という表現ですが、生まれたときから赤い糸で結ばれているという意味ではなく、その場その場での選択によって結ばれる運命となった人という意味で使っています。
ですから今現在ラノベでやったことがあるような方式ですとか、恋愛ゲームならその運命になるだけの十分な説得力があるからいいんですね。
じゃあなんで漫画だと反対かというと単純にそんなに長く描けないでしょ? というだけです。長く描けるなら別にいいと思います。
「ぼくたちは勉強ができない」での分岐は文化祭だそうですが、文化祭は150話中69話目です。恋愛ゲームでいえば共通ルートが69話、個別ルートは81話です。この時点で成幸が誰かに惚れてる感じもしないので分岐するタイミングはいいと思います。だから各ヒロインこのくらい描くならいいと思いますよ。でも81×4って無理でしょ? 直接ルートに関係あるところだけとして適当に半分にしたって約160話、約3年分って半分にしても非現実的じゃないですか。
そうするとどうなるかっていうと今まで描いてきた描写を使い回さざるを得ないじゃないですか。そうする度に成幸が同じ経験をしてきたにも関わらず、些細なことで全然別の相手を好きになりましたってならざるを得ないんですよ。運命の、物語の純度が下がるんですよ。1,2時間の描写で相手が変わるみたいなことになって、成幸の経験が薄く、軽くなるんですよ。
その程度で揺らぐような運命を見たって感動できないんですよ。ていうか一度感動した分今までの感動何だったんだってなるんですよ。
いやまあ使い回さないこともありえますよ。各ヒロイン1,2話みたいな。それはいいんですよ。明らかにifなんで根幹の物語の純度は下げませんから。
でもあの発表の仕方でそれはありえないじゃないですか。それで描写を使い回さないならヒロイン間の描写密度が違いすぎて軽すぎますし、そもそも成幸がそれで惚れるのは解釈違い甚だしいんですよ。それに歯抜けの描写で結ばれても感動のつまみ食いみたいになるの嫌じゃないですか。音楽のサビだけ聞くようなもんじゃないですか。サビだけ聞いたっていい気分にならないわけじゃないですけど、でもその程度で満足できるわけじゃないじゃないですか。
恋愛ゲームと同じじゃないかみたいな声も聞きますが、恋愛ゲームやったことある人間に言わせると違うんですよ。
恋愛ゲームにおける共通ルートって各ルートに共通する設定を説明するパートであると同時に各ヒロインを選択していくパートなんですね。そこで選んだ選択肢によって好感度が上下していき、最終的に最も好感度が高いヒロインの個別ルートに進むんです。
つまりその選択肢を選んだ世界だけ見れば、そのヒロインを追いかけてそのヒロインのルートに進むわけですから、主人公とヒロインが結ばれる運命って言われてるほど安くないんですよ。選択肢一つ選んだらそのヒロインのルートに行く作品って全然多くないんです。
バトルとか恋愛メイン以外なら結構あるかもしれませんが、恋愛メインならあまりないですね。恋愛ゲームって女の子を攻略するゲームなんですよ。
じゃあ漫画だとどうかってまた1話からやることありえないですよね? だから漫画では全く同じ共通ルートにならざるを得ません。ですから漫画における共通ルートの価値ってゲームと比べても必然的に軽くなるんです。
ラブコメ漫画って作中の時間は置いといて、リアル時間で何年も掛けて連載を追って、たった一人の相手と結ばれる流れを見守るという点で運命の密度と純度が高いんですね。こればかりは恋愛ゲームは敵いません。リアル時間で匹敵できるのはラノベくらいでしょうが、ライブ感は比較になりません。
そういう意味で「ラブコメ漫画」って唯一無二のジャンルなんですね。漫画以外じゃ代替効かないんですよ。
だからゲームのいいとこを取ろうとこんなサプライズのようなやり方をしないで、「ラブコメ漫画」の強みを活かした作品を読みたかったなあと、今週号を読んで思いました。
ところで文化祭で分岐ということですが実際に連載自体は各ヒロインの長編後から始まると思います。
あしゅみー先輩以外は同じ内容の長編をやることが不可避でしょうし、一度長編をやっているのにもう一度やるのは馬鹿らしいですから。
センター試験あたりからロードするんじゃないかという話も多いですしぶっちゃけそんな気がしないでもないんですが、さすがにこれやったら筒井先生の正気を疑います。
理珠の長編のあとでも成幸の気持ちを動かすのに時間が十分とは言えないと思いますし、ましてセンター真っ只中から受験終了まで恋愛に頭悩ます暇ないでしょうからさすがにやらないと思います。
ルート分岐時点で先にマルチエンド宣言しておくのが誠意だと思うよ。
少なくともルートエンド前でしょう。余韻も何もあったもんじゃねえわ。
最近のネットの論調のせいかと思いますがセンシティブになり過ぎでは……? 個人レベルでのありなしって話なので作者は好きにしたらいいと思います。というか規制どうこうのレベルの話に読めます? まあどっちでもいいんですが読まないでもらえると嬉しいです。
私の中では人類普遍の原理に反する(比喩です)絶対に認めない価値観ではありますがそういう価値観があることは当然でしょう。同意されたら嬉しいですが、されなきゃしょうがないというか当たり前です。
オムニバス形式の一人の主人公がやったところでそもそもの積み重ねが大したことないので……。
enya_r 描写不足には不賛同。ぼく勉って個別ルートのイベントを時系列でザッピングしてきた漫画なんだよ。ヒロイン当番制がむしろ意図通りで文化祭以後も共通ルートじゃなかったわけよ、告知ページの作者コメント読み取るに
これは違うと思ってまして、というのもうるかの待つ空港まで辿り着けたのは、人の心が分かるようになった理珠がうるかと文乃が気まずくならないように私もキスしたいですと言ったり成幸の背中を押したりしたからですし、父親との確執を乗り越えて自分の心と向き合えた文乃が笑顔で成幸を助けたからですし、過去のトラウマを乗り越えた真冬が卒業式に出ることより成幸に手を貸すことを選んでくれたからですし、自分の夢を再確認したあすみが仕事を抜け出してまで成幸のところに駆けつけてくれたからなんですね。
そうやって成幸がヒロインズの問題を解決するのに協力したり交流してきたりしたからこそ辿り着けたわけで、その過程が実は唯一ではなくて他の道に逸れることもあるんですよとなるとその辿り着いた運命の純粋さが落ちるんですよ。だから今まで描いたものを使わないなら長く連載しないと描写不足になりますし、使い回すなら描写不足ではないでしょうけど同じような経験をしたのに別の相手を好きになってしまうわけですから、選んだ運命の純度が下がるという表現をしました。
別に今回で正式には最終回で次回からはifですっていうならいいんですけど、筒井先生曰く結末は読者次第だそうなので。
Arturo_Ui 「前例があるそうです」程度の知識でイキるなよ… // 「過程も含めて描こうとするのは絶対に反対」って、「学園祭の花火」が伏線だった件を増田はどう評価すんの? ていうか「ハーレムエンド」より余程マシだろ。
イキリってあれでですか……? 後段は何言ってるのかよくわからないんですが、ルートによって相手が変わる「学園祭の花火」が伏線だということ自体何言ってんのかなって感じなので評価も何もないです。うるかのやってきたことではなくて花火で全て決まったことになったけどどうなのという意味ならまあゴミですけど、他のヒロインのルートでも外形的にはそんなことやらないと思うのでやっぱりどうということはないです。
キャラとしての一貫性ならハーレムエンドよりマシなんですが、物語としての一貫性だとハーレムエンドのがマシかなあと思います。でもまあハーレムエンドはやらないですからね。どっちも嫌ですが。
tmkyz 最初にマルチエンドですって言ってくれれば良かったのに。うるかルート最終回の余韻を壊すような告知の仕方なのは悲しかった。/ここ数週、全体的に雑だったのも気になる。
最低限事前告知して欲しかったですね……
houjiT なんか恋愛の捉え方が無駄に大長編的で怖い。知り合いでもないのに一瞬で火がつくようなものもあれば、今まで別を見てたけど急に気になることもあるわけで、伏線と展開がなきゃ恋愛と認めない、は視野が狭すぎる
ラブコメ漫画読むのに大長編的に捉えないほうが間違ってると思います。漫画に限らずラノベ含めた恋愛メインの大衆小説一般でも恋愛に伏線と展開は求められているのでは。
isaisstillalive 終始想像だけでディスってる
deadwoodman アリかナシか読んでから決めても遅くはないと思うんだが、ちょっと盛り上がりすぎじゃない?
f_oggy 賛成だなぁ。個別ルートでどれだけ各ヒロインの魅力を引き出せるかが勝負所よ。というか全てが完結する前の論評なんて野暮ってもんよ
はい。
fusanosuke_n 正史を求めたい感じはある。ヒロインAと結ばれるストーリーが本物、正史で他のルートは戯れやファンサービスのifルートですって明言して欲しいっていうか。
はい。
音楽はとてもいいなぁと思いながら聞いているんだけど、言葉のセンスが最悪的に苦手と感じている。
自分が初めて髭男を認識したのは、去年の高校野球だったと思う。
歌詞から推察するに、最初から高校野球に向けてのオファーだったのだろうと思うのだが、非常に気持ち悪い。
奇跡じゃなくていい 美しくなくていい
生きがいってやつが光り輝くから
愚直で確実な守備なんかや、場面場面に応じた集中力の切り替え、走り出す瞬間の判断力。
奇跡や美しいプレイが稀に起こった時に感動はするが、別段、それを求めている人は少数派ではないだろうか。
高校野球に、奇跡や美しさを求めているのではなくて、真剣さとか諦めない姿勢を称賛するのであって、奇跡だの美しさは後付けでしかない。
君の運命のヒトは僕じゃない
自分のコミュケーション能力とか相性の悪さを、運命という言葉で責任逃れしているのが苦手だ。
折り合わなかった悲しさはわかるけど、人生や目の前の決裂の責任を、運命とやらに押し付けるのが非常に傲慢だと思う。
別れるのは運命だったというなら、まだわかる。
しかし、運命の人じゃない、という言い方にすることで、まるで運命の人というものがあたかも存在するような、万能の存在があるような物言いに、そして、それが自分じゃなかったという言い訳は、筋違いというか、真摯に相手に向き合っていたのかと思うと、やっぱり気持ち悪い。
運命だとか宿命だとか、こういう言葉に引っかかる自分とは、運命とか宿命の解釈にかなりズレがあるんだろうと思う。
もやもやをいまだに言語化できないけど、髭男のこの二曲は本当に苦手である。
他の曲は歌詞をちゃんと見てないんだけど、たぶん引っかかるんだろうなぁと思ってるし、配偶者が好きなので、どうしても聞くときはあるし、相手にも苦手だということは伝えてあるし、宿命に関しては同意見だけども、ラジオでかかっちゃうともやもやするので、整理するために、言語化できない部分も含めて、ここに置いていく。
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。
「運命の人」の冒頭部がわけがわからない?とは僕にとって驚愕である。各々解釈の揺れ(それが良い詩の証明だろう)こそあれど全くそのドラマを想定できないなんてことが日本語話者にあって良いものなのだろうか。こうやって個人の妄想でしかないものをもっともらしく解説者ぶって書き連ねるのは、作詞者である草野さんに対する不遜なのは重々承知している。僕自身あまり好きでない類だ。しかし全くわからないという人間を目にしてこの3日心のもやもやは晴れないままだった。心待ちにしたスターウォーズ鑑賞中も頭の中はスピッツだ。夜眠ろうにもはーしーるーはーるかーと頭の中でループする。
もういてもたってもいられない。ここに駄文を書き連ねる。
「バスの揺れ方」というのは不規則でとても強力なものだ。電車のような規則性はなく、タクシーのような微々たるものではない。乗客は常に見当もつかない方向から強い力で揺さぶられときにはその力でよろめく。
続く「人生の意味がわかった日曜日」は、逆説的に言って、日曜日でなければ気がつかなかったということを表している。多くの人にとって日曜日は休日である。つまり平日では行われないことがその日起こり、平日では気にとめなかっただろう些細なことがこの気づきをもたらしたのだ。
そして日曜日は週末である。日々の営みが7日で循環するよう設計された人間社会において、日曜日は一つの区切りになっている。労働や勉学に励む小市民ならば、7日間のうちに起こった悲喜交々はこの日を最後に一旦清算され、人々は次の1週間もまたひたむきに日々を過ごしていく。日曜日を意識するこの歌詞の主人公もまたそんな人間の一人だと言うことが読み取れる。
改めて一文を読むと「バスの揺れ方」が連用修飾語として「解った」に係り、「解った」は続く「日曜日」の連体修飾語になっているため、主人公がバスに揺られていたのは「人生の意味がわかった」のと同じ日であるといえる。それぞれが別の日であるなら、バスに揺られた日を示すためにさらに「バスの揺れ方」を修飾する必要がある。なお、バスの揺れかたはバス内部でなければ感じ取れないので、主人公が日曜日にバスに乗車しその日のうちに「人生の意味」に気がついたと断定できる。
ここで一旦まとめると「バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日」というのは、
「毎日つつがなく規則正しい生活を過ごしている主人公が、休日が故に起きた特別な出来事をきっかけに思慮にふける。彼はこの日乗車したバスの不規則な振動と、不意な出来事に翻弄されることもある社会の悲哀を重ね合わせた。そして『人生の意味』を悟る。」という内容であると推定される。
不可解な点がまだ残るが歌詞の次行に進みたい。
歌詞を読むに彼は「君」の手を握れるほどそばにいることがわかる。注目するのは「でもさ」という否定形の接続詞で、これにより主人公が「君」の手を強く握るという方法で「人生の意味」に抗う姿勢が示された。
話が戻るが日曜日という日は週末であり曜日の中でも特異な地点である。あくまで僕の考えであるが、歌詞の主人公からすれば日曜に思い巡らせたことは月曜にはリサイクルされてしまうので、「日曜日」に発見した「人生の意味」がこの主人公の行動に影響を与えるのはその「日曜日」に限定されるはずなのだ。そういう意味でもなければわざわざ日曜を指定する必然がない。月曜でも水曜でも歌詞は成立する。よって「強く手を握る」ことで「人生の意味」に抗うことが可能なのは「人生の意味がわかった」日と同日であると考えるのが自然ではないだろうか。
とすると彼はバスに揺られた日曜日に「君」と会って過ごしたということになる。おそらく彼と「君」は同じバスで揺られている。
そして「君」がバスの中でよろめいてその手を彼が支えるという場面があったのだろう。彼は「君」が人生に翻弄されてもずっと支え続けていこうと心に決めるのだ。
つまり「バスの揺れ方で〜」のまとめで述べた"特別な出来事"は、「君」と休日の行動を共にしていることなのではないだろうか。普段ならバスの揺れに不快な思いをしているはずなのに、君がいるときはなんだかそれを感じない、そのことが彼の日曜日を特別にしたんじゃなかろうか。
出だしの2行を僕なりにまとめると
「週末に『君』とのデートをとりつけ心が弾む主人公。普段なら不快なバスの揺れも『君』が側にいれば全然苦でない。そのことに気がついた彼は、小市民として淡々と日々を過ごしているはずの自分にも時々ハプニングが降りかかるその人生の理不尽さと不規則で激しいバスの振動を重ね合わせた。『生きていて辛いことがあっても傍らのこの人がいればそんなことは全然気にならない。』彼はそれを確信する。その時またバスは揺れて『君』が大きくよろめいた。すかさず『君』の手をキャッチした彼。彼自身はその揺さぶりに動じないとしても、この相手は『運命の人だから』挫けることがないように支えていかなければならないと決心する彼であった…」
なお直後3行目の「優しいだけじゃなく偉大な獣」は、この優しく相手を守り支える姿と、揺さぶりに翻弄されず過酷な環境であっても生きていける野獣のようなタフネスという二面性を集約した言葉だと考えて僕は納得した。
確かにこれらには何の確証も論理性もない。しかし聞き手の中にファンタジーを想像させられれば詩はそれでいいんだと思う。
まだまだ書き続けたいが時間がないので書き控える。
ちなみに僕が好きな歌い出しはBLANKEY JET CITYの「ガソリンの香りがしてる」だ。何もわからない。
余談だがスピッツの2ndアルバム「名前をつけてやる」にはその名も「日曜日」という曲が収録されている。「運命の人」が可愛く思えるほどに奇々怪々な歌詞で「晴れた空だ日曜日戦車は二人をのせて」と言葉で歌は始まり、サビで「蜂になろうよ」と相手を誘う。それから6年が経ちデートはちゃんとバスを使うようになり、蜂への変身願望から偉大な獣になる誓いをたてるまでに成長したんだと思うと、なんと立派になって…と親戚のおばさんのような気分にならないこともない。
小説の書き出しを愛でる、という趣向がある。例えば、フランソワーズ・サガン『悲しみよこんにちは』の書き出し、
「ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。 」
であれば、楽曲の歌い出しを愛でる風潮があってもいいじゃないか。というわけで、いくつかいろいろな意味で気に入っている歌い出しを挙げていく。
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。飛躍も飛躍。猛スピードで爆走するバスが聴き手を置いてけぼりにしている。行間を読む力が試される。
さらに難解なのは、次段である。「でもさ」と逆説になっている。そこにいるのは「運命の人」である。運命に対して逆説で語るかね。ちょっとした諦めみたいなものさえ感じられる。果たしてこれはラブソングなのか?
だいたいにして、歌詞の序盤で唐突に出てくる「運命の人」という重要且つ雑なフレーズについて、以降の歌詞で全く説明されない。繊細な歌詞を書くスピッツのことだから、これは意図的にやっているとしか思えないのだけれど、だとすればますます謎は深まるばかりだ。
スピッツ屈指のポップな名曲だが、歌い出しからしてわけがわからない。それを含めて名曲たる所以なのかもしれない。
「あたしの髪が伸びて驚くほど久しぶりになってしまわぬ様に
昨日より少しだけ多めにあたしのことを考えてほしい」
aikoは曲も素晴らしいが、歌詞も素晴らしい。一番好きなのがこの曲である。
歌い出しの部分、要するに「ずっと好きでいて」ということを言っている。西野カナならそのまま「ずっと好きでいて」と歌うか会いたくて震えるだろう。だが、aikoはたったそれだけのことを、これだけの文量で詩的に語っている。胸に迫る。
その続き、
「初めて逢った日にもう一度逢いに行って そしてまた同じ様に
ぎこちなく合った目の奥にいるあたしを愛して欲しい」
これは要するに「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」ということを言っている。実際に西野カナは「トリセツ」で「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」と歌っている。しかしaikoはたったそれだけのことについて、何でこんな奥行きのある言葉が思いつくのだろう。
ちなみに、私は西野カナのことが嫌いなわけではない。西野カナはメロディーにいい感じの歌詞を乗せる技術に関しては天才的だ。BGMとして心地よく聴ける。
「酒、飲ます」
アルバム『GO』の一曲目の歌い出しでいきなりこれである。聴きながら「おや、歌い出しが『酒、飲ます』って聞こえるな」と空耳かと思って歌詞カードを確認したところ、紛れもなく「酒、飲ます」であった。助走もなくいきなり飲んでる。
ついでに言えば歌詞の続きは「学校は最近どう?」であり、誰に酒を飲ませているんだ。
もう食べられるところはないんだ」
最近一番インパクトがあったのはこれである。爆笑した。巨大生物って何だね。メロウでバラードと言ってもいいほどの楽曲で、タイトルに「Confession」とか仰々しく付けられているにも関わらず、歌い出しでこれ。
ももすももすという人は、メランコリック写楽というバンドの元ボーカルももすのソロ名義である。メランコリック写楽時代を含めてほぼ全ての楽曲で作詞作曲編曲をこなしている。それにしたってメランコリック写楽とは何だ。ももすももすってなんだ。ロンゴロンゴかよ。
余談だが、相対性理論以降、ポップな楽曲にかわいい系のボーカルが意味不明な歌詞を乗せることを特徴とするアーティストが散見される。最近だとネクライトーキーとか。もしや遡れば椎名林檎「丸の内サディスティック」に行き着くのかもしれない。何だ歌い出しの「報酬は入社後」って。
こういうジャンルにそろそろ名前が欲しいと思うものの、名前をつけてしまったら陳腐だなとも思う。
You say stop and I say go go go.」
ポール・マッカートニーの作品である。甘くポップな曲調に、上記のような特に意味のないような平易な歌詞が乗せられる。
この曲に対してジョン・レノンが「君の曲には主義主張ってものがないからだめなんだ」みたいなことを言ったらしいけれど、個人的に、音楽は主義主張を抜きにしてポップであればあるほど好ましいと思っているので、この曲は私の中でポップ賛歌みたいな位置づけとなっている。
歌詞も気が抜けていていいじゃないか。ゴーゴーゴー。何も考えずに聴けて幸せになれる珠玉の一曲である。
※
この歌い出しが好き、意味わかんない、笑える、などあれば教えてほしいです。
12月ももう終わる。忙しいけどもどうしても一年の総括をしたくて書き始める。
当方極小企業の薄給アラサーサラリーマン。趣味は仕事。ただ仕事しかしない。
そんな私にも長い付き合いの彼女がいる。
しかし、周りから「なぜ付き合い続けているの?」と言われるくらいに性格が合わないのでよくケンカをする。そしてお互いに結婚するつもりはない。さらにいうとお互いに支えあうつもりもほぼない。本当になんで付き合い続けているのか今でもわからない。
彼女への関心や興味も薄れるどころか全くなくなってきた。ダラダラ付き合うのも良いことが無いと思い、周囲の言うとおりに今年中に別れようと思っていた。
先に話しておくと、私は1月から6月までの半年間、ほぼ毎月別れ話を持ち出していた。
でも彼女からは「別れたくない、絶対わかれない。」の一点張り。仕事だけの男の何がそんなに良いのか。
そこまで言うならこちらとしても考えがある。別れはしないかもしれない。でも、思いっきり遊ばせてもらおう。と。
ようは、浮気だ。
相手は職場の先輩。すこしぽっちゃりしているけど凄く美人。仕事も出来る。彼氏はいた気もする。
私からは全く意識をしていなかったが、相手からのアプローチがきっかけ。
願えば叶うというのか、意識の力って大きいのだなっていうのを実感。
もちろんこちらに彼女がいることは伝えた。先輩は、「それでもいい、仲のいい友達として遊んだりする関係でいい」というので、まぁそれならいいかなと。
今思えば、辞めておけばよかったと思うけども、後悔はない。
先輩との相性はよかったのだとおもう。一緒にいるだけで心地よいし、波長もあう。ああ、運命の人ってこういう人なのかなって強く思った。匂いも好きだしハグしたときの抱き心地のよさ、腕枕されるもするもとても安らぐ。たぶん相手も同じように感じていたようだ。
はじめは一緒に散歩にでかけたり、買い物にいったり、ご飯を食べたり。
でも気が付いたらホテルにいることもあった。
いいのかなと思うこともあったが、手を出さなければいいだろうと。はじめの2か月はただ抱きあったりなんとなくキスしたり、それだけでも凄く幸せだった。
4月のある日、いつもと同じように散歩をしたあと、先輩からホテルに誘われる。
いつもは、どうしようか?と二人で話をしていくか決めていたのに、その日だけはなぜか先輩からのお誘いが。
何か外では話しづらいことでもあるから、個室のほうが良いのかなと思い了承する。
その日は雨も降っていたし、室内のほうが良いのかなとも思った。
毎度、ホテルに着いたらお互いに足だけは洗っていた。さすがに足が匂うままベッドに入りたくもないので、自然とそうなっていたのだろう。
「もう我慢できない。やりたい」と。
いやいや、ちょっとまって。あなた彼氏いるでしょう?何をおっしゃっているのかしら?
なんて考えをする前に服を脱ぎ始める。そして脱がされる。
こうなったらもう止まらない。けど、セックスはしなかった。いや、出来なかった。
なので、その場では発展することは無かった。そして、何事もなかったかのようにその一日は終わった。
拙い文章でもうしわけない。そして、ここまで書いたけど、体力が尽きてしまった。風俗のことすら書いてない。続き読みたい人がいたら一生懸命書くけど、そうでなければ心の奥底にしまうことにする。ただ気が向いたら供養しにくるとはおもう。
一見まともに生きてる。大学も出てるし、仕事もそれなりにこなして人並の稼ぎもある、結婚だってしてる。見た目だって別に悪かない。
でもそんな世間的な評価とは別に、俺はまともじゃない。大体女性関係だ。寝た女性とはキレイに終わった試しがない。
その人の全部を欲するか、あるいは何も要らないかの二択しかないからだ。全部が欲しくなれば手段を選ばず感情さえ自分のものにしたいし、何も要らないならセックスすら気まぐれになるからセフレさえ続けられない。ついでに女性と仲良くなると寝ちゃうから女友達すら持てない。
一度だけそんな俺の女版みたいな女性と関係を持ったこともある。強すぎる感情を抱かず、ただお互いのことが結構好きで、それ以上のことを求め合わない。そんな関係だったがそれもダメだった。精神的な共感が先にあったせいかちょっとした嘘が許せなかった。
人間誰しも欠けている部分はあると思うから、自分が特殊だとは思わない。でも俺は未だに自分に欠けているものが何かわからない。それがただ辛い。
もしかしたらこの欠けた部分を埋め合える人のことを運命の人と呼ぶのかもしれない。でも俺はもう歳を取りすぎていて、そんな夢を見られるのはアルコールの酩酊の中を漂っている間だけだ。白馬の王子様はバーの片隅に座っていないし、眠り姫は夜の街には居ない。
俺はここにいる。でもどこにも行けない。
おはようです🌞憂鬱な朝から漫画を読んでました( ∩ ˙-˙ )⊃📕 映画化された「ストロボ・エッジ」「アオハライド」の咲坂先生の新作!先生の作品はキャラの心情がリアルに書かれているので好きです! pic.twitter.com/e27z4nF0Li— SIGN(サイン) (@sign_of_me) March 1, 2016
アオハライドって女の子の夢背負ってるよね😂
なんのハプニングもなくくっついちゃうともの足りなくて、
絡んでくる人間事情とか、心情とか
すごいリアル
だから、アオハライドはうれるんだよね💕#アオハライド pic.twitter.com/XtEByZAzpH— ふうか (@rom4_m_fuuka) November 23, 2014
君に届けの番外編の運命の人、めちゃめちゃいいし女の子の心情がリアルすぎ
本編読んだ人は必ず読むべきだし番外編からでもいけなくもない、、
読んだ人は是非語り合いたい
こういう時に語彙と表現力が乏しいと上手く伝えられないのが悲しくて勉強しなきゃなあってなるよね✍🏻 pic.twitter.com/4f56TDjyhn— □ (@IuanOd) November 2, 2019
僕等がいた久々に読んだらもう号泣 😭😭
キャラクター1人1人の言動とか心情の変化がリアルで😢
モノローグも深くて素敵😳
久々に泣きました😂 pic.twitter.com/tdhz3L63yF— てぃむ (@AoharuRena) August 20, 2015