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はてなキーワード: 言論の自由とは

2022-07-09

言論の自由

言論の自由ってのはこういうショッキング事件が起きたり戦争が起きたりすると急に攻撃されてしまものだ。皆の感情が高ぶっている時が言論の自由の一番のピンチ。そりゃアベガーとかなんだの言ってたクソ左翼は品が無いでしょう。酷すぎることも言っていたかもしれないでしょう。だから何なんだよ。お前らプーチン死ねとか言ってたじゃねえかよ。偽善者がよ。

2022-07-08

自民が勝ちすぎてたね

民主主義言論の自由も壊されて、もはや暴力しかないと思い込んでしまったんだろうな。

勝ってるんだからルールは守るべきだったよ。ルール破壊したら誰も言論に期待しなくなってしまう。それは良くなかったね。

安倍晋三が死んで嬉しいって書ける国

これこそが言論の自由であり、表現の自由だぞ

表自戦士たちよ、わかるか?

お前らが守りたいのは単なるエロ文化オタク文化だぞ

テロが多発するんだろうな

暴力性のヤバイのは元から増えてたけど復讐ていう最適な言い訳が出来ちゃった

警察もこの先は要人警護に人的リソースもってかれるだろうし取締りは期待できそうにない

言論の自由を守る土台がみごとに粉砕されてきますねえ

安倍元首相銃撃、雑感

ニュースを聞いてぱっと思ったことを記録しておこうと思う。

  • ついに日本でも、弱い者ではなく、(ある種の)強者を襲撃する奴が出てきてしまった。
  • 何故2回目の銃声で?1回目の破裂音はSPの注意を引くための陽動?

追記

書き忘れてた、昼の時点で思ってたこと追加。

  • (死んでしまったが)死なずに生きて疑惑を解明し、クロならきちんと裁きを受けて欲しい。私刑しか裁けなかったのなら、それは法治国家の敗北。

トラバに。

政治じゃなくて悪事に対して向けられてテロ行為だよ 頭が安倍総理みたいで賢いな

反射的に外形的な面から政治に対するテロ」って言葉が出てきてしまったが、一方でこれは政治思想や政策ではなく政治腐敗に関する数々の疑惑に向けられたものではないか直感が言っていて、その意味するところが自分の中でまとまらず定まらないまま書いた。

ただ、現時点でも犯人動機は分かっていないと思っている。政治か、悪事か、別の何かか。NHK報道によれば、

現場逮捕された41歳の容疑者警察の調べに対し「特定団体に恨みがあり、安倍元総理大臣がこれとつながりがあると思い込んで犯行に及んだ」と供述しているということです。

だけど、これが本心だと判断するのは時期尚早だろうし、本心ではないならなおさら、隠してる動機は謎。

そして、世間がこのテロをどう受け止め、その行為を(犯人自身意思を離れて)どう解釈してしまうのか、それが何を社会に何をもたらし、何を引き起こすのか。実際には犯人の単なる勘違いが原因だったとしても、これを悪行に対する天誅だと思う人が少なくなければ、その中から次の私刑計画・実行する無敵のフォロワーが出てきかねない。それは連鎖するかも知れないし、挙句暴走するかも知れない。

暴走する正義ほど恐ろしいものはない。

2022-07-04

anond:20220703120023

あるいは、「萌え絵性犯罪と地続き」と主張するのは自由だ。現在法律上、誰かの権利侵害しているという扱いにはならない。

ただし当然ながら、『その主張はおかしい』と批判する自由もある。

ここはそうなんだよね。

言論の自由範囲とはいえ、宇崎ちゃんや戸定梨香の広告が「女性尊厳を傷付ける」とか「女性蔑視的表現である」とか「社会に悪影響を及ぼす」といった批判を飲んでしまったら、国が規制するとか関係なく「流通が許されないもの」というレッテルを受け入れることになる。

「この広告女性蔑視だ」という批判は、ただ不快だと表明するのとは全く違う。

たぶん表自側がこだわっているのはここで、宇崎ちゃんも戸定梨香も見ようによっては性的に見えるというだけで、特段メッセージ性があるわけでもないこれらのキャラクターから女性蔑視」を読み取るのは、明らかに過剰な批判だろということなんだよ。

その過剰さがどこから来ているかというと、乱暴記号化なんだよね。

「胸の強調/へそ出し/スカートの皺」イコール性的客体化、イコール女性蔑視…は、いくらなんでも乱暴過ぎるし、むしろアップデートされてない保守ジジババの感覚だ。

いったいいつの時代コードなんだよ。

anond:20220704142738

自分たち」って何?まさかフェミニストアンチフェミニストリベラルアンチリベラルという二分法でしか世界を見れてないの?

言論の自由市場で負けたのが悔しいのかもしれないけど、それがおかしいと思うなら言論で対抗できるというのが言論の自由市場の考えだよ。

と言うか、話を逸らすだけで結局エビデンス提示できないんだね。あわれあわれ

2022-07-03

anond:20220703231209

ベースケインズ主義で、何を政府がして何を政府がしないかを様々な検証をしていくことだと思うよ。

教育すれば良いと言ってもその知見が正しい保証はまったくない。これからもまだ探し続けるだろう。

万人の万人に対する戦い→絶対王政自由主義ケインズ革命→新自由主義ときて、なにを政府がして何を政府がしないか永久検証し続ける。そして間違ったら批判して修正できるようにするがための言論の自由民主主義。最も間違った批判にその批判は間違いだとはねのける力も必要

続・表現の自由についてのメモanond:20220702054142追記

anond:20220702054142追記。基本引用元は元記事ブコメhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220702054142)。

1. 表現の自由私人間で問題となる場合はどんなものがあるか

frothmouth 公権力でないか規制でない、ってのも今の時代実態にそぐわない気がするなあ。キャンセルカルチャー批判とか考えるとね/真面目に書いた増田に「精液で全身ドロドロ〜」みたいなブコメ付けられて気の毒

 ここで問題にしているのは一般人の抗議運動ボイコットのことで、その手のものは「規制」と考えることは不適切だということである公権力でないか規制ではないとは言っていない(私人間効力の論点はもう半世紀以上前からある)。せっかくだから書いておこう。

 2022年現在公権力以外の「規制」を論じる意味があるとすれば、デジタルプラットフォーマー問題だろう。我々の言論はあまりにも出版放送通信インフラ依存している。たとえばツイッターフェイスブック、「マンガアニメ」の類を配信しているプラットフォームpixivなんかの同人投稿サイト。こうしたプラットフォーム言論依存しているので、もはや作者の書く自由擁護するだけでは何の意味もない。その手のプラットフォーマー恣意的管理をすれば言論は生き残れない。一方で、こうしたプラットフォーマーもまた出版自由を有するから、「持ち込まれ言論絶対出版しなければならない」義務政府が課すことは許されない。そして実例として、SNS各社はプラットフォーム内でのヘイトスピーチ禁止しているし、pixivも同様である。みんなプラットフォーマーというとGAFAしかイメージしないが、もっと小規模なレベルプラットフォーマーに目を向けるのが大事だ。

ピクシブ株式会社サービス利用規約14条

23 極端な思想反社会的行為を賛美・助長する表現投稿または編集する行為

24 人種信条職業性別宗教などの差別を賛美・助長する表現投稿または編集する行為

言論流通過程全体を保護するためには―わかりやすく言えば2chの削ジェンヌみたいな滅茶苦茶な「管理」をされないようにしないとけない―プラットフォーマー私人はいっても、その行動を公権力によって規制する必要が出てくる。そしてプラットフォーマーもつ出版自由との慎重な調整が必要となる。その繊細な調整が表現の自由論の課題ますますなっていくだろう。

 なぜ繊細慎重な調整と必要となるか。DPへの介入は、プライバシー名誉毀損にあたる言論裁判所差止めるのと同じ構図だし、言論の分野ではないが、旅館業法が、ホテル旅館(これも私人だ)に宿泊者を原則として拒否できないとする義務を課すのと同じ構図がある。似たような調整はこれまでも行われてきたわけである。ただ、後者営業自由は、もともと社会権保障したり公平な自由を確保するために制限することが幅広く認められると観念されているのと違って、前者は、差止めの要件がかなり厳しく設定されている(『宴のあと事件などを見れば明らか)。それは表現の自由がそれだけ「重い」権利だという観念があることによる。プライバシー名誉毀損営業に対する介入を比較すれば分かるように、表現の自由就中送り手の自由)を重視すればするほど、プラットフォーマーもつ表現の自由」へ介入するのは困難となる。ブコメした多くの人が「表現の自由」はとにかく大事なんだという観念を持っているようだが、果たして一般論として表現の自由称揚すればするほど、プラットフォーマー地位が向上していき、利用者立場は低下していく関係にある。DPに限らず、出版社も独自ポリシーを持っていて、刑法175条の要求とは別に原稿に対していろいろな要求をして、修正しないなら出版拒否する。表現の自由称揚し、表現の自由地位を向上させればさせるほど、出版拒否に対して裁判所が介入するのは困難となっていく。皮肉な話である。「表現の自由」を称揚すればするほど、公権力以外の「規制」はつよくなりうる。私人間同士の対立場面で「表現の自由」を登場させないことには、それなりの理由がある。

 なお、私は一般人の抗議運動を「規制」と言っているような人に調整作業やらせたいと直感的に思えないところがある。その人こそが削ジェンヌになるのではないか

2. 規制とはなにか

minominofx66 まずは宇崎ちゃんしろたわわにしろ萌え絵アニメ規制されるべき「エロ」なのか、健全表現範囲内なのか、この際だから徹底的に議論して白黒はっきりさせるべきだと思う。

 第一に、さしあたって規制されるのは「わいせつ」(刑法175条)である。「エロ」ではない。そして「エロ」とか「健全」かそうでないかという問題は、表現の自由擁護する上でどうでもいいことである重要なのは「不健全」でも公権力によって規制されないということではないか。「不健全」なら規制しても良いという観念が前提にあるように見えるのは驚くほかない。アニメマンガの類の少なくない作品が不健全とか不道徳とか退廃的とか言わざるを得ないのは確かだろう(少なくともハード・コア・ポルノ的なものなら、だいたいどれかには当てはまるだろう)が、だからといって公権力刑罰をもって発売頒布禁止することは許されない。それが表現の自由論ではないの。

 第二に、「規制」がどんな規制かも考えなければならない。仮に刑法175条が廃止されたとする。そうすると性器修正処理などは全廃されるだろうが、成人向けの書籍ビデオ等は依然として年齢制限が課せられる(公権力法律条例をもって年齢制限を課すこともあれば、出版業界の内部協定として行うこともある)。販売頒布禁止されなくても、流通過程制限されることがある。それは言論の内容に着目したものではなく、付随的害悪(たとえば見たくない人の目に偶然触れるのを防ぐため)の阻止するための規制(内容中立規制というやつだ)である一般論としてそのような規制は認められなければならないだろう※。付随的害悪を阻止するための規制もいっさい認められず、街路に成人向け書籍広告を出したり、街頭モニタービデオを上演したりすることも制限なく認められなければならないというのなら、もはや見解の相違としか言えないが。

 第三に、宇崎ちゃん欠缺ポスターやたわわのポスターに対する抗議や批判は、いかなる意味でも規制ではない(国連からという声もあるが、それは「日本の」公権力ではないし、日本国に対して強制力を持ったなにものでもない)。批判や抗議は、表現の自由がもともと予定するものであろう。「不健全表現規制せよ」と主張することすら(私はそうは思わないが)、表現の自由である。それに反論するのも自由だが、そういう主張自体が「規制」と言うのは馬鹿げている。

 とはいってもこれがかなり厄介で、そのような規制によって出版社に過剰な経済的負担を課し、実質的に内容規制をしていこうという方法がないではない。しかし、付随的害悪の阻止のために合理的規制を行うことは、一般論としては認めなければならないだろう。あとは個別事例による。

3. 雑多に。

(1)

daydollarbotch 用語はそれっぽいが内容が所々おかしい。嫌がらせがあるなら不法行為たり得るし、間接適用説の下で表現の自由考慮され得る。判決引用部分では特にわいせつ表現表現の自由保護範囲外とは読み取れない(2階へ

①「わいせつ」に該当してもただちに保護範囲外にならないと最高裁認定しているという趣旨か。だったら以下は何なのだろうか。なお、これはわたしあなたが考えているところのあるべき「わいせつ概念ではなく、最高裁判例法理では「わいせつ」がどういう扱いを受けているかという問題である

ところが猥褻文書は性欲を興奮、刺戟し、人間をしてその動物存在の面を明瞭に意識させるから羞恥感情をいだかしめる。そしてそれは人間の性に関する良心麻痺させ、理性による制限度外視し、奔放、無制限に振舞い、性道徳、性秩序を無視することを誘発する危険を包蔵している。もちろん法はすべての道徳や善良の風俗を維持する任務を負わされているものではない。かような任務教育宗教の分野に属し、法は単に社会秩序の維持に関し重要な意義をもつ道徳すなわち「最少限度の道徳」だけを自己の中に取り入れ、それが実現を企図するのである刑法各本条が犯罪として掲げているところのものは要するにかような最少限度の道徳違反した行為だと認められる種類のものである。性道徳に関しても法はその最少限度を維持することを任務とする。そして刑法一七五条猥褻文書頒布販売犯罪として禁止しているのも、かような趣旨に出ているのである

チャタレイ夫人の恋人事件最大判

②間接適用説のもとで「誰の」表現の自由考慮するかが問題である。抗議者の言動裁判所差止めれば、それこそが表現の自由制限となるから裁判所差止権限行使するにあたっては、表現の自由趣旨を取り込んで適用しなければならない、というのが間接適用説だろう(ドイツリュート判決はこれとそっくりな構図だった)。表現の自由私人間効力は、抗議者に対して、一般論として相手表現を一切抑制しないように注意する義務を課すものではない。もしそうだとすれば、あらゆる抗議の類が不法行為になるはずである

嫌がらせがあるなら不法行為なのは違いない。それは個別事例による。

関連して。

type-100 175条にしても猥褻物の作成・所持を禁じているわけではない。猥褻性を持つもの表現言論自由保護を受け、他の権利との綱引き規制されている。

 確かに刑法175条はわいせつ文書・図画等の作成・所持を禁じていない。その限りであなたのいうとおり、「保護を受け」ると考えてみよう。しかし、販売頒布禁止される。警察刑法175条の取締り方針を変更して、性器露出したり、性行為描写するあらゆる作品を取り締まったとする。そこで作成・所持だけが保護されたとして、何の意味があるのか。「保護されない」という言い回しが気に入らないなら、「保護レベルが著しく低い」という風に言い換えた上で読んでいただきたい。加えて、最高裁作成・所持の禁止まですれば違憲となる、とも言っていない(アメリカなら、Stanley v. Georgia, 394 U.S. 557 (1969) 判決がそう言っているが)。

(2)

CocoA "一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずである"<-えっ、廃止に賛成している表現の自由戦士たちを知らない・・・

 「戦士」なら刑法175条を廃止する署名運動なり政治運動なりをやるべきであろう。あるいは「戦士」とはただのネット弁慶か。廃止提案されたら賛成するが、そうでなければ特に何かしないのか。

(3)

hom_functor これだけ長文書いても表現規制する合理的理由絶対説明しないんだよな。「抗議をやめる~ように請求する法的資格を有する」なんて見かけない主張を創作したり反論やすブコメチェリーピッキングするだけ

 「規制」なのかという問題か否かを読み取っていただけてないらしい。上記で書いたように、抗議運動なりボイコットなりは「規制」ではない。政治道徳的な観点からそれに理由があれば正当だし、理由がなければ不当だというだけのことである。むろん嫌がらせの類は、不法行為である。抗議運動なりボイコット理由があるかという部分はともかく、「規制」というおかし問題設定をしていることが馬鹿げているということだけはくみ取っていただきたいのだが。

(4)

sirobu 表現不自由展に対する街宣カーも自由制限する不当な圧力だと思ってるんだけど、増田はそう思わないってことかな?

 あなたが街宣カーで街宣される時点で表現の抑圧だと考えていることはよく分かった。そういうレベルから見解が異なるのなら、議論がかみ合うことはないだろう。以下は参考まで。街宣カーで道路を走りながら何か言うだけなら、それは自由である馬鹿なことを言っているなとは思うが)。問題は街宣カーそれ自体ではなく、殺害予告だったり大量電話のような嫌がらせだろう。また、名古屋市長支出拒否しかり、大阪府知事の会場施設利用許可しかり、公権力規制に乗り出していることを考えれば、表現不自由展では「不当な圧力」どころか、ズバリ規制」が問題だった。公権力嫌がらせを煽っていることも見逃せない(特に名古屋市長愛知県知事リコール運動)。

(5)

thesecret3 憲法法律ではないので専門家判決がどうでも各自独自解釈で主張してもいいと思う。自由保障すると言ったら基本は保障されなければならないのであって政府邪魔しなければいいってもんではないと私は思う。

 それは畢竟独自見解ですね。

 なんか進次郎構文っぽいトートロジーが・・・。

2022-07-02

anond:20220701074807

表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。

下ネタ禁止」は、確かにそれ自体言論の自由規制であるが、それを放置すると言論の自由行使男性に圧倒的に偏ってしまう点で、言論の自由にとって必要ものである

これ笑うところ?

表現の自由」についてのメモ的なもの

 下記のエントリーanond:20220701074807)で色々と書いてある点について。目下話題になっている「表現の自由」について。自分用の整理として。

1. 表現の自由とはなにか?

 目下話題の「表現の自由」は、いかなる意味表現の自由なのだろうか。それは憲法21条1項に見られるような法的なそれだろうか。それとも、憲法21条1項のようなものとは異なった何かなのだろうか。たとえば、JAなんすんが制作した『ラブライブ! サンシャイン!!』のキャラクターを利用したポスターについて、絵の内容がが性的である※1という批判があった(なお、これや宇崎ちゃん欠缺ポスター事件の余波で、赤木氏らツイッター凍結騒動があったりした。覚えているだろうか?)。

 ここで、抗議をJAなんすんが考慮して、ポスター撤回したとする。すると、「誰の」自由が「誰によって」侵害されているのだろうか。侵害者をざっくりと抗議する者として捉え(本来ツイッター批判的な言葉を言っている者、電話をかけて意見を伝える者、付和雷同していたずら電話をする者、大量の手紙を送りつける等のいやがらせをする者等を十把一絡げに全部抗議者として捉えるのは適切ではあるまいが)、被侵害者をさしあたってJAなんすんとして、JAなんすんが抗議者に対して抗議をやめる(たとえば、ツイッターで「ポスター撤回すべし」等の意見つぶやくのをやめさせる)ように請求する法的資格を有する、というのが表現の自由主張の趣旨か。

 はっきりいえば、そのような主張は法的には認められない。私人間効力の論点を見直すべきであるしか言い様がない。ここで、抗議をやめるように要求する資格があると裁判所肯定すれば、抗議者の表現裁判所(=国家機関!)が介入することになり、それこそが表現の自由侵害である。この構図において、憲法21条1項が保障する表現の自由恩恵に浴するのは抗議者の側となるだろう。目下話題の「表現の自由」は、憲法21条1項とは異なる問題であると解するのが相当である・・・のだろう。

2. 規制概念

 元々のエントリーでは次のような言明がある。

言いたかったのは、フェミニストあくまで「女性実質的表現言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって、「表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。フェミニストリベラル派が目指すのは、あらゆる階級属性の人が等しく表現の自由行使できる社会だ。

 これに対するブコメはこう言っている。

preciar おまえ等がぶっ叩いてきた作品ほとんどが女性の手になる物である時点で、ただの妄想というか開き直りしかない/そもそも平等のために表現規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ?恥に加えて知恵も無い

 後段の「そもそも平等のために表現規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ」という部分に注目したい。再びポスターを題材とする。「規制」という言葉を使うのは公権力ではないか不適切のように思うけれども、例のポスターに対する抗議は、ポスター掲示することを抑制しようとする意図を有し、ある一つの表現を抑圧する行動である、という部分を問題として切り出すことにしよう。ここで想起するべきなのは表現すべてがまったく自由(というより、放縦のまま)とされることなどあり得ないということである。たとえば名誉毀損的な言動は認められない。名誉毀損言動をしている者を叱りつければ、それは一つの表現の抑圧には違いない。しかし、名誉毀損をされないというのも重要利益であり、自己表現利益と考量される対象となる(そうならないという人はいないだろう)。プライバシーも同様であるノンフィクション『逆転』事件を想起すれば良い。前科実名暴露されない利益を重視する見地から、『逆転』における表現抑制されている(この事件では、慰謝料請求裁判所が認めているから、公権力による「規制」ですらある!)。プライバシー保護のために表現抑制するべきであるという主張は「規制派」であろうか。

 名誉毀損プライバシーは具体的な個人利益問題となっているが、女性蔑視の問題はそうではないと思うかもしれない。しかし、番組準則のように、社会に薄く広く広がる利益保護(たとえば、放送番組政治的公平性)を保護するために、表現抑制する(番組編集準則であれば、放送局の自由)ということは、そうおかしな話ではない(なお、憲法学では、番組準則は、それへの違反総務大臣による放送免許の取消原因になり得る等の効果もつ限りで違憲であるとしている。)。たとえば、大阪府知事大阪市長橋下徹トーク番組に対して、政治的に公平ではないという批判は、無論番組作りを抑制する可能性がある。実際、激しい批判を浴びて、大阪毎日放送社内調査を行って検証したのである。これも「平等のために表現規制しろと言う主張」だから規制派」となるのだろうか?それはそれで一貫した立場ではある。それこそ「知恵も無い」と思うが。

 なお、念のためにいえば、プライバシー名誉権も日本国憲法は明文で保障していない。そのような利益であっても、憲法21条保障する表現の自由にとっての対抗利益となることができる。憲法の明文で保障されていない権利表現の自由の対抗利益になり得ないという考え方は、畢竟独自見解に過ぎない。

3. 「表現の自由」は個別的特殊的な権益なのか?

 ここからは元のエントリーとの関連性は薄くなる。

 選挙において「表現の自由」を掲げる政治家がいる。彼らの問題意識は極めて偏頗ではないか日本表現の自由をめぐる問題状況は深刻なものがある。ところが、こと選挙で「表現の自由」を旗印にする者の言動を見ていると、選挙運動の規制公務員政治的意見表明やストの広範な禁止放送資源の分配問題政府情報保全・公開等々、様々な形で存在しているはずの問題状況が捨象されて、取り上げられているのは「マンガアニメ」の自由ということになっている。また、「アニメマンガ」だけを対象にしても、取り組む分野が偏っているのではないか。たとえば、これ(https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1542366137979400193)には『国が燃える事件が入っていないが、右翼の抗議は免罪されているのか。あるいは、最近の『「神様」のいる家で育ちました』も入っていないが、宗教団体からの抗議は免罪されているのか。上記は、批判としてはマージナルかもしれない(忘れていただけかもしれない)が、刑法175条の廃止等(ポルノ合法化;「有害図書販売規制廃止ないし合理化)を公約に入れていないのはどうしたことか。

 「表現の自由」を掲げる政治家言動を観察していると、一つ気づくことがある。彼らは、表現の自由抑制している制定法を改廃するのではなく、規制対象外となるように関係機関に働きかけを行って「免除」(制定法の外部で活動しているのだからお目こぼしに近い)するという活動に主眼を置いているようである。念のためにいえば、そういった活動政治家が行うこと自体は奇妙なことではない。問題は、「表現の自由」といった一般的普遍的権利を掲げながら、規制廃止を唱えるよりも、特定表現に限って規制免除するように(制定法の改廃ではなく)法執行機関に働きかけをしていることである※4。取締当局に働きかけをして有利な方針を引き出すという方向性は、自由にとって脅威であることに変わりはない。結局、働きかけをする人物意向によって「自由」の内実が左右されることになるからである。「免除」の仕組みを動かす人物特定出版社特定作品群を代表している場合、その他の出版社表現には「免除」を拒否するという形で脅威となる可能性が存在し続ける。政治家言動ナイーブに受け止めてはいけない。

 なお、私は実は「アニメマンガ」の中の特定作品群のみを対象とした偏頗な政治運動自体けしからんというつもりはない※5。しかし、「表現の自由」という看板は下ろしてもらいたい。

4. 「エロ」の規制をめぐって

 「表現の自由」を掲げる政治家ないしツイッターアカウントを見ていると、「エロ(・グロナンセンス)」の自由を重視しているような印象がある。こういった表現一般について、公権力の介入を排除する防御権があるのは当然だ、という前提があるような気がする。しかし、「わいせつ(obscenity)」にあたる言論憲法上の権利として保護されないはずである憲法上の権利として保護されないということは、内容規制をしても合憲であるということになる。日本最高裁の考え方もそうであろう:

なお性一般に関する社会通念が時と所とによつて同一でなく、同一の社会においても変遷があることである現代社会においては例えば以前には展覧が許されなかつたような絵画彫刻のごときものも陳列され、また出版が認められなかつたような小説も公刊されて一般に異とされないのである。また現在男女の交際男女共学について広く自由が認められるようになり、その結果両性に関する伝統観念修正要求されるにいたつた。つまり往昔存在していたタブー漸次姿を消しつつあることは事実であるしかし性に関するかような社会通念の変化が存在しま現在かような変化が行われつつあるにかかわらず、超ゆべからざる限界としていずれの社会においても認められまた一般的に守られている規範存在することも否定できない。それは前に述べた性行為非公然性の原則である。この点に関する限り、以前に猥褻とされていたもの今日ではもはや一般猥褻と認められなくなつたといえるほど著るしい社会通念の変化は認められないのである。かりに一歩譲つて相当多数の国民層の倫理的感覚麻痺しており、真に猥褻もの猥褻と認めないとしても、裁判所良識をそなえた健全人間観念である社会通念の規範に従つて、社会道徳的頽廃から守らなければならない。けだし法と裁判とは社会現実を必ずしも常に肯定するものではなく、病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医役割を演じなければならぬのである

最大判1957(昭和32)年3月13日 刑集11巻3号997頁:チャタレイ夫人の恋人事件

エロ」の自由擁護していくとなると、「保護されない言論」の判例法理桎梏いかに除去していくかを考えるべきであろう。スウェーデンではポルノ出版自由対象とされていることに注意する必要がある。スウェーデン憲法典の一部を構成する出版自由に関する法律は、出版自由制限できる場合限定列挙する。児童ポルノ出版自由制限できる場合に挙げられている※6が、ポルノ一般は挙げられていない。他方で日本の状況を考えてみよう。もはや何の修正もなく『チャタレイ夫人の恋人』は出版されているが、刑法175条自体は生きている。最高裁判例を変更していない。捜査機関取締り方針を変更すれば、刑法175条でもって再び刑事罰が科されるであろう。他の成人向けのアダルトビデオにしても、マンガにしてもアニメにしても同様である一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずであるしかし、この最大の桎梏存在認識していない者も少なくないように思う。もしかすると、このような規制状況はもはや動かしがたいので、所与としなければならないと考え、より低い脅威度のものを優先しているのかもしれない。あるいは、彼らが取り組んでいる「マンガアニメ」は実は「わいせつ」にあたらない物件のみで、ハード・コア・ポルノ的な「マンガアニメ」は眼中にないのかもしれない。しかし、それでは『チャタレイ夫人の恋人』や『悪徳の栄え』、あるいは『蜜室』に取り組んだ人々と比べてあまりにチャチな取り組みだと思う。

 丸山眞男を引き合いに出すまでもなく、日本人は既成事実に弱いと指摘される。いったん規制されると大変だから規制される前に対処する政治家必要であるという言い分を聞くが、既成事実に屈服して「一端規制されると大変」な状況を強化しているのは誰なのだろうか。

※1 ここで「性的」として批判されているのは、単に裸体だとか性器描写されているという意味ではなく、ほぼ女性蔑視的という意味に等しいことに注意するべきである

※2 書いているうちに思ったが、リュート判決の構図に似ている。

※3 スウェーデンなどの欧州諸国ではポルノ合法化されている。スウェーデン等で購入したヌード写真集日本に輸入して税関検閲に引っかかる、というのが税関検閲事件の流れだ。

※4 なお、児童ポルノ禁止から創作物を除去せよとの主張は、一般的規制問題として評価できよう。

※5 むしろ出版社利益を守るためと考えれば、個別出版について規制お目こぼししてもらう活動大事だろう。だが、あくま出版社権益であり、表現の自由という共通財の問題ではない。

※6 日本出版されている成人向けマンガイラスト児童ポルノにあたるかと言った事件があったのだが、スウェーデン最高裁マンガ表現形態に十分配慮した判断を行っている(NJA 2012 s. 400. 翻訳もある。外国立法255号[2013年]223頁)。このような判断日本最高裁がするかというと、全然しないだろう。

2022-07-01

anond:20220701074807

フェミニストあくまで「女性実質的表現言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって

性嫌悪フェミニスト宗教右翼連帯している理由になってねーんだよアホ

anond:20220701074807

表現言論の自由現実には男女で不均等に配分されているのではないか」ということである。それは国会議員の男女比に端的に示されているし、経済団体会合で居並ぶ人たちは平均60歳以上の中高年男性である一般行政企業会議も、現状ほとんどは男性が仕切っているだろう。

国会議員の男女比がそのまま表現自由の男女の不均等さに現れるというのはどういう理屈なの?

例えば「偉い人」が会議でどの作品ポスター採用するかの決定権があるから表現自由が男女で不均等だというのは、やや無理筋ではないか

別に男女にかかわらず漫画やら同人誌やら書く自由はあるわけで、その中で人気ある作品赤十字やらなんやらのポスター採用するってだけなんだから、ここ論理飛躍してるよね?

男同士のコネ週刊誌に連載するマンが決めてるわけないでしょ…面白い漫画を載せてるだけだよ

女性実質的表現言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。

意味不明。たわわの広告日経に出たら腐女子が筆折るの?

そうした言論表現規制されなければならないと考える。

リベラルフェミニストが「表現自由制限すべき」などと考えているわけがない、だって?お前何言ってんの?

論の筋が通ってなさすぎる。お話にならない

はい全部やり直し

表現規制】単なる妥協戦略を目指す理想みたいに言うのやめろ

anond:20220701074807

フェミニスト問題にしているのは、「表現言論の自由現実には男女で不均等に配分されているのではないか」ということである

それは国会議員の男女比に端的に示されているし、経済団体会合で居並ぶ人たちは平均60歳以上の中高年男性である

一般行政企業会議も、現状ほとんどは男性が仕切っているだろう。

憲法法律女性表現言論の自由規制しているものは全く何もない以上、こうした不平等社会全体の中でつくられていると考えるほかない。


そこでフェミニストは、女性実質的表現言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。

まり女性男性サポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性性的消費の対象であるかのような発言広告である

フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。

これな、経緯がまるっと忘れられて、戦略上辿り着いた戦法を、あたかもそのために活動していたんだとばかりに書いてるんだ

それこそ、エロ表現は、昔っから規制対象だったんだよな

宗教な時もあれば、時の権力者の時もあれば、お気持ちの時もある

けれど、「表現の自由」が発明されて

それが「人権である定義されてから

歴史上の焚書などが問題視され

表現規制を「善い事」として実行できなくなったんだ

例え、非道徳的な内容だとしても

それをやることは、粗野で、人権否定で、進歩的ではないとなった

裁判でも「表現規制」そのものは慎重に扱われるようになり

有識者は反対を述べる

そうすると、別の理由必要になる

それは「名誉棄損」や「侮辱」などの対立する権利である必要がある

生み出されたのは「政治的正しさポリコレだった

それは「差別」であったり

それは「文化の盗用」であったり

これはすごいんだ

公共」を前面に「政治的に正しくあるべき」というべき論で、法律によらず踏み絵を課すことが出来る

この法律に拠らないというのが実に素晴らしい

法廷で争う事もなく「社会合意」によるお願いだ

仮に法廷に訴えられても、この話で対立が起こると、訴える側を「政治的に間違っている事を法律でごり押す」という図式に出来る

なにせ「正義」だ

そうすると、お気持ちの解消を、大手を振って行える

公共にあるには政治的に正しくない」と謳えばいい

これまでは、エロ本やエロゲーを相手販売停止を狙ったが

これからは違う

本屋平積みの表紙

献血所や観光案内所のポスター

販促POP

公式キャラクター

新聞の全面広告

とにかく「公」にあると認められるものに、そこにあってはいけないという様になった

それはとても「許されざる性差別」で「過度な性搾取が行われ」、「女性侮蔑している」が

だが、作品存在しても良いよと

作品規制したいわけではない

性差別だがあっても良いよと

でも「公には出すな」という歪な論に逃げて、勝ちを狙うよになった

狙う先はここだ

表現の自由を守り抜くのは当然だし、児童ポルノを無くせば子どもへの性暴力も無くなるという話ではない。

どう解決していくかはクリエイターも含めて国民的に議論していくべきだ。

具体的には、子どもたちや一般の人たちの目に触れないような場所に置くゾーニングというやり方もあると思うし、

“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、

クリエイターの皆さんも作らなくなると思う

anond:20220701074807

❌そこでフェミニストは、女性実質的表現言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり女性男性サポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性性的消費の対象であるかのような発言広告であるフェミニストはこれらを問題にして、そうした言論表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。

⭕単なる負の性欲の発露

anond:20220701074807

フェミニストは、女性実質的表現言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり女性男性サポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性性的消費の対象であるかのような発言広告である

ここのつながりがよく分からない。「女性男性性的消費の対象である」という発言広告がなされたとしてそれがどうして女性表現の自由を妨げるものになるの?

誤った言説や差別的な言説がなされたとしてもそれ自体表現の自由を奪われたというのは理屈として通らない。

anond:20220701074807

フェミニスト問題にしているのは、「表現言論の自由現実には男女で不均等に配分されているのではないか」ということである。それは国会議員の男女比に端的に示されているし、~

ふむふむ、つまり男が女性表現の自由を阻害していると。ならば主張は規制じゃなくて徹底的な表現の自由では?

 

まり女性男性サポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性性的消費の対象であるかのような発言広告である

いや表現の自由どこに行ったよ。それは表現の自由じゃないだろ、言ってることが思いっき表現の自由の否定だよ。

これを形式的な「表現の自由」で批判することは可能だが、それは表現言論の自由の全てではない。むしろ形式的表現言論の自由を守るほど、男性マジョリティ発言権ばかりが強まって女性言論表現の自由が抑圧される、という日本社会全体の構造と向き合う必要がある。

「うゎ公共空間に女がサポートとして表現してると自分が思う表現がある、もう表現止めよ...」ってなるってこと?

えらく軽い表現の自由だな

anond:20220701074807

そこでフェミニストは、女性実質的表現言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり女性男性サポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性性的消費の対象であるかのような発言広告であるフェミニストはこれらを問題にして、そうした言論表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。

『ここを是正すれば男女平等につながる』という明確な根拠がない

anond:20220701074807

そりゃまああらゆる問題表現言論の自由の不平等のせいだと言い張ることはできるけど、それ本当に問題解決に役立つの

anond:20220701074807

そこでフェミニストは、女性実質的表現言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり女性男性サポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性性的消費の対象であるかのような発言広告であるフェミニストはこれらを問題にして、そうした言論表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。

ここまでいう奴フェミニストでもそんなにおらんやろってくらい過激表現規制派で草

anond:20220701074807

そこでフェミニストは、女性実質的表現言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり女性男性サポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性性的消費の対象であるかのような発言広告であるフェミニストはこれらを問題にして、そうした言論表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。

そういうものがこの世に存在しないなどとは誰も言っていなくて、「問題である」とするその線引きがまさに『行き過ぎ』やで、と指摘されてるだけなんだよ。

anond:20220701074807

素晴らしい。

そうなんだよな。言論の自由議論司法は常に男性多数の中で行われてきた。その今現在存在する言論の自由の在り方そのもの男性的に偏りすぎてるという話。言論の自由と他の人権折衷について、男性多数の場でしか議論されなかったために枠組みそのもの男性的。

かなりの人が勘違いをしてるし読めてない。

表現自由派」と「表現規制派」の対立など存在しない

参院選赤松健などが「表現自由派」と「表現規制派」の対立存在して、表現自由を守れと主張している、これはそもそもが完全にデマであり間違いである。リベラルフェミニストが「表現自由制限すべき」などと考えているわけがないし、むしろその逆である


フェミニスト問題にしているのは、「表現言論の自由現実には男女で不均等に配分されているのではないか」ということである。それは国会議員の男女比に端的に示されているし、経済団体会合で居並ぶ人たちは平均60歳以上の中高年男性である一般行政企業会議も、現状ほとんどは男性が仕切っているだろう。憲法法律女性表現言論の自由規制しているものは全く何もない以上、こうした不平等社会全体の中でつくられていると考えるほかない。


そこでフェミニストは、女性実質的表現言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり女性男性サポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性性的消費の対象であるかのような発言広告であるフェミニストはこれらを問題にして、そうした言論表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。


これを形式的な「表現自由」で批判することは可能だが、それは表現言論の自由の全てではない。むしろ形式的表現言論の自由を守るほど、男性マジョリティ発言権ばかりが強まって女性言論表現自由が抑圧される、という日本社会全体の構造と向き合う必要がある。向き合う必要性を感じないとすれば、それは実のところ表現言論の自由に関心がないと言うしかないだろうし、日本自称表現自由派」のこれまでの言動を見る限りは、そう言わざるを得ない。


追記

この問題をややこしくているのは、問題になっている広告萌え絵を好むオタクの人たちが、マイノリティ被害感情を抱えていることが多いこと。フェミニストから見れば「女性性的対象にしている広告」でしかないものでも、オタクの人たちにとってはそれを批判されるのは「マジョリティ社会からの抑圧」に見える。発信力のあるフェミニストの多くが弁護士大学教授新聞記者など、社会的な威信地位の高い職業に就いているから、なおさらそう映る。「キモい」という、非モテ男子にとって破壊力の高いワードを無邪気に連呼する一部フェミニストが目立っていることも、オタクの人たちの被害感情を刺激している。

この点については、自分オタクの人たちに同情的であるしかし、だとすれば掲げるべき旗は「表現自由」ではなく、オタク男子に対する自覚のない侮蔑的発言表現自分たちがどれだけ傷ついているのか、ということへの抗議だろう。


追記2)


まあまあ炎上してます・・・。前にも似たようなことなんども書いているのに。

言いたかったのは、フェミニストあくまで「女性実質的表現言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって、「表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。フェミニストリベラル派が目指すのは、あらゆる階級属性の人が等しく表現自由行使できる社会だ。

何が問題になっているのかをわかりやすく例えて言えば、男性8:女性2という構成会議討論会で、その中で声の大きい饒舌男性が軽い下ネタでその場の爆笑をとったとしよう。これだけで女性発言することが圧倒的に困難になることは、容易に想像できる。吉野家の元常務は、まさにこうした話術で会議場の空気支配する名人だったのだろう。フェミニストは、こうした環境日本社会全体に薄く広く存在していると考えているのである。「下ネタ禁止」は、確かにそれ自体言論の自由規制であるが、それを放置すると言論の自由行使男性に圧倒的に偏ってしまう点で、言論の自由にとって必要ものである


現在テレビ情報番組からラジオMCまで、日本メディア支配していると言っても過言ではない「お笑い芸人」たちは、最近女性も若干増えつつあるとは言え、圧倒的に男性中心である特にお笑い芸人にとって、あけすけな下ネタトーク必須である女性でも下ネタを嫌がらない人は確かにいるとは言え、平均的な女性にとっては明らかにハードルが高い。結果として、男性が仕切る、男性目線で構成された番組だらけになり、女性はそれに相づちをうったり、あるいは「天然ボケ」を男性MCに突っ込まれたりするだけの存在に成り下がる。


いま番組文字通り仕切って自己主張を展開できている女性というと、和田アキコはまあ例外としても、ラジオジェーン・スーぐらいしか見当たらない。国谷裕子小島慶子は戻ってこないだろうか・・・

2022-06-30

なんではてな左翼ってこんなにスルー力ないの?

君たちがスルーしてれば少なくともはてな民赤松健発言なんか読まないのに。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/KenAkamatsu/status/1542366137979400193

実際、はてな左翼の人しかはてブしてないしね。

学校裏サイトでのいじめを見たような嫌な気分になるわ。

tekitou-manga ディストピア実現しようとする党の尖兵ディストピア煽りで票集めとか地獄感ぱねぇぞ。オラわくわくしてこねえだ

warp9 表現の自由と言いつつ、規制側で立候補する意味は?俺には理解できない。

nowa_s ネットは広大だからTwitter辺りではイラストけが表現物」で、表現の自由対象だと思ってた人もいた。そういう人にとっては、例えば批判言論表現じゃないんだよね。赤松候補がそのレベルじゃないといいけど 表現の自由

Arturo_Ui それ保坂展人枝野幸男の前で言える? マジレス

tokatongtong で例えば 「ぶっかけられた精液で全身ドロドロな、化け物レベルに胸強調された少女体型の童顔女性」みたいな表紙絵の同人誌があるんですが、そのような表現物の無制限公共露出についても守るべきとお考えですか?

2022/06/30 リンク

haruyato 赤松支持者の大半が表現不自由展を批判していそうなのがなにより怖ろしい。赤松本人に表現不自由展への意見を誰か聞いてくれ。

2022/06/30 リンク yellowyellowyellowyellowyellowyellowyellowyellow

yabusaki アトムやり玉に挙がった1955年悪書追放政府が先に動きだしたとも言われていて、当時の政府与党自民党前身日本民主党自由党。「中から変える」ができるほど聞く耳を持ってるなら入る必要もないのでは

2022/06/30 リンク yellowyellow

cj3029412 何ひとつわかっていない……「一切の表現の自由を守る」とか。

2022/06/30 リンク yellowyellowyellowyellow 1 clicks

haniwa 赤松さんが言うからにはこの国ではそれが信実なんだよ。逆らう人間現実が見えてない。そういう国なんだ。

izure この人の街頭演説野次ったら、安倍晋三の時みたいに警察排除されたりするのかな。

BigHopeClasic 刑事裁判で国と戦った伊藤整澁澤龍彦の墓前でそれ言ってどうぞ 憲法

cartman0 いい加減、公共の福祉にも触れればええのに

cha9 表現の自由戦士自民党候補投票するディストピアを超える場面って歴史上そうそうないと思うやで。あ、年代最後2019年山田太郎規制寝返り出馬2022年アカ松健カン違い出馬が抜けてる。自民規制派だから規制歴史がまた1頁…

tobalno1 これらの批判が全部難癖で表現の自由は全てに勝るって言うなら、選挙カーコンビニエロ本の表紙印刷して走ってみてほしいわ。別に自分漫画エロいコマでもいいけど。

meowcatwings 「『一切の表現の自由』を守る」というのは、ゾーニングレーティング撤廃したいということなのだろうか。 考える

hitoyasuhitoyasu 自民党Twitter

demakirai Twitterは140文字まで投稿できるんですけども、冒頭20文字ちょいですぐバレる嘘つくのやめてもらえます

grdgs いや君や山田を含め表自戦士が、いつでもどこでもエロ表現の自由しか興味ないことはわかりきっているのだが。はてなの表自戦士も、市民から企業への批判は悪だとして、言論の自由を抑え込むのに躍起だし。

urandom たぶん極端に視野が狭いか、何が表現で何がそうでないかを判定する目線から一切の表現の自由を守る(!)というすごい言い切りができるんだろうなあ。頼むから表現の自由という用語を使わずやってほしいなあ。

yas-mal

2022/06/30

cinefuk 2002年のビューティ・ヘア事件松文館裁判)の契機となったのは自民党平沢勝栄」によるもの。今まで「自民党を内部から変える」と主張した人で、改革成功した人は存在しない https://www.amazon.co.jp/gp/aw/cr/486086011X 表現規制 自民党

mn36555023 とりあえず 赤松健

2022-06-22

anond:20220622100307

ツイフェミさんちーっす

 

今日複勝してくださいね、さんはい

言論の自由とはお前が批判されないことではない」

リピートあふたーみー

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