はてなキーワード: 言論の自由とは
追記:
書き忘れてた、昼の時点で思ってたこと追加。
トラバに。
反射的に外形的な面から「政治に対するテロ」って言葉が出てきてしまったが、一方でこれは政治思想や政策ではなく政治腐敗に関する数々の疑惑に向けられたものではないかと直感が言っていて、その意味するところが自分の中でまとまらず定まらないまま書いた。
ただ、現時点でも犯人の動機は分かっていないと思っている。政治か、悪事か、別の何かか。NHKの報道によれば、
現場で逮捕された41歳の容疑者は警察の調べに対し「特定の団体に恨みがあり、安倍元総理大臣がこれとつながりがあると思い込んで犯行に及んだ」と供述しているということです。
だけど、これが本心だと判断するのは時期尚早だろうし、本心ではないならなおさら、隠してる動機は謎。
そして、世間がこのテロをどう受け止め、その行為を(犯人自身の意思を離れて)どう解釈してしまうのか、それが何を社会に何をもたらし、何を引き起こすのか。実際には犯人の単なる勘違いが原因だったとしても、これを悪行に対する天誅だと思う人が少なくなければ、その中から次の私刑を計画・実行する無敵のフォロワーが出てきかねない。それは連鎖するかも知れないし、挙句暴走するかも知れない。
あるいは、「萌え絵は性犯罪と地続き」と主張するのは自由だ。現在の法律上、誰かの権利を侵害しているという扱いにはならない。
ここはそうなんだよね。
言論の自由の範囲内とはいえ、宇崎ちゃんや戸定梨香の広告が「女性の尊厳を傷付ける」とか「女性蔑視的表現である」とか「社会に悪影響を及ぼす」といった批判を飲んでしまったら、国が規制するとか関係なく「流通が許されないもの」というレッテルを受け入れることになる。
「この広告は女性蔑視だ」という批判は、ただ不快だと表明するのとは全く違う。
たぶん表自側がこだわっているのはここで、宇崎ちゃんも戸定梨香も見ようによっては性的に見えるというだけで、特段メッセージ性があるわけでもないこれらのキャラクターから「女性蔑視」を読み取るのは、明らかに過剰な批判だろということなんだよ。
その過剰さがどこから来ているかというと、乱暴な記号化なんだよね。
「胸の強調/へそ出し/スカートの皺」イコール性的客体化、イコール女性蔑視…は、いくらなんでも乱暴過ぎるし、むしろアップデートされてない保守ジジババの感覚だ。
ベースケインズ主義で、何を政府がして何を政府がしないかを様々な検証をしていくことだと思うよ。
教育すれば良いと言ってもその知見が正しい保証はまったくない。これからもまだ探し続けるだろう。
万人の万人に対する戦い→絶対王政→自由主義→ケインズ革命→新自由主義ときて、なにを政府がして何を政府がしないかは永久に検証し続ける。そして間違ったら批判して修正できるようにするがための言論の自由と民主主義。最も間違った批判にその批判は間違いだとはねのける力も必要。
anond:20220702054142の追記。基本引用元は元記事ブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220702054142)。
frothmouth 公権力でないから規制でない、ってのも今の時代の実態にそぐわない気がするなあ。キャンセルカルチャー批判とか考えるとね/真面目に書いた増田に「精液で全身ドロドロ〜」みたいなブコメ付けられて気の毒
ここで問題にしているのは一般人の抗議運動やボイコットのことで、その手のものは「規制」と考えることは不適切だということである。公権力でないから規制ではないとは言っていない(私人間効力の論点はもう半世紀以上前からある)。せっかくだから書いておこう。
2022年現在、公権力以外の「規制」を論じる意味があるとすれば、デジタルプラットフォーマーの問題だろう。我々の言論はあまりにも出版・放送・通信のインフラに依存している。たとえばツイッターやフェイスブック、「マンガ・アニメ」の類を配信しているプラットフォーム、pixivなんかの同人投稿サイト。こうしたプラットフォームに言論は依存しているので、もはや作者の書く自由を擁護するだけでは何の意味もない。その手のプラットフォーマーが恣意的な管理をすれば言論は生き残れない。一方で、こうしたプラットフォーマーもまた出版の自由を有するから、「持ち込まれた言論は絶対に出版しなければならない」義務を政府が課すことは許されない。そして実例として、SNS各社はプラットフォーム内でのヘイトスピーチを禁止しているし、pixivも同様である。みんなプラットフォーマーというとGAFAしかイメージしないが、もっと小規模なレベルのプラットフォーマーに目を向けるのが大事だ。
言論の流通過程全体を保護するためには―わかりやすく言えば2chの削ジェンヌみたいな滅茶苦茶な「管理」をされないようにしないとけない―プラットフォーマーが私人とはいっても、その行動を公権力によって規制する必要が出てくる。そしてプラットフォーマーのもつ出版の自由との慎重な調整が必要となる。その繊細な調整が表現の自由論の課題にますますなっていくだろう。
なぜ繊細慎重な調整と必要となるか。DPへの介入は、プライバシーや名誉毀損にあたる言論を裁判所が差止めるのと同じ構図だし、言論の分野ではないが、旅館業法が、ホテル・旅館(これも私人だ)に宿泊者を原則として拒否できないとする義務を課すのと同じ構図がある。似たような調整はこれまでも行われてきたわけである。ただ、後者の営業の自由は、もともと社会権を保障したり公平な自由を確保するために制限することが幅広く認められると観念されているのと違って、前者は、差止めの要件がかなり厳しく設定されている(『宴のあと』事件などを見れば明らか)。それは表現の自由がそれだけ「重い」権利だという観念があることによる。プライバシーや名誉毀損と営業に対する介入を比較すれば分かるように、表現の自由(就中送り手の自由)を重視すればするほど、プラットフォーマーのもつ「表現の自由」へ介入するのは困難となる。ブコメした多くの人が「表現の自由」はとにかく大事なんだという観念を持っているようだが、果たして一般論として表現の自由を称揚すればするほど、プラットフォーマーの地位が向上していき、利用者の立場は低下していく関係にある。DPに限らず、出版社も独自のポリシーを持っていて、刑法175条の要求とは別に、原稿に対していろいろな要求をして、修正しないなら出版を拒否する。表現の自由を称揚し、表現の自由の地位を向上させればさせるほど、出版の拒否に対して裁判所が介入するのは困難となっていく。皮肉な話である。「表現の自由」を称揚すればするほど、公権力以外の「規制」はつよくなりうる。私人間同士の対立場面で「表現の自由」を登場させないことには、それなりの理由がある。
なお、私は一般人の抗議運動を「規制」と言っているような人に調整作業をやらせたいと直感的に思えないところがある。その人こそが削ジェンヌになるのではないか。
minominofx66 まずは宇崎ちゃんにしろたわわにしろ、萌え絵やアニメが規制されるべき「エロ」なのか、健全な表現の範囲内なのか、この際だから徹底的に議論して白黒はっきりさせるべきだと思う。
第一に、さしあたって規制されるのは「わいせつ」(刑法175条)である。「エロ」ではない。そして「エロ」とか「健全」かそうでないかという問題は、表現の自由を擁護する上でどうでもいいことである。重要なのは「不健全」でも公権力によって規制されないということではないか。「不健全」なら規制しても良いという観念が前提にあるように見えるのは驚くほかない。アニメ・マンガの類の少なくない作品が不健全とか不道徳とか退廃的とか言わざるを得ないのは確かだろう(少なくともハード・コア・ポルノ的なものなら、だいたいどれかには当てはまるだろう)が、だからといって公権力が刑罰をもって発売頒布を禁止することは許されない。それが表現の自由論ではないの。
第二に、「規制」がどんな規制かも考えなければならない。仮に刑法175条が廃止されたとする。そうすると性器修正処理などは全廃されるだろうが、成人向けの書籍・ビデオ等は依然として年齢制限が課せられる(公権力が法律・条例をもって年齢制限を課すこともあれば、出版業界の内部協定として行うこともある)。販売頒布は禁止されなくても、流通過程が制限されることがある。それは言論の内容に着目したものではなく、付随的害悪(たとえば見たくない人の目に偶然触れるのを防ぐため)の阻止するための規制(内容中立規制というやつだ)である。一般論としてそのような規制は認められなければならないだろう※。付随的害悪を阻止するための規制もいっさい認められず、街路に成人向け書籍の広告を出したり、街頭モニターでビデオを上演したりすることも制限なく認められなければならないというのなら、もはや見解の相違としか言えないが。
第三に、宇崎ちゃんの欠缺ポスターやたわわのポスターに対する抗議や批判は、いかなる意味でも規制ではない(国連からという声もあるが、それは「日本の」公権力ではないし、日本国に対して強制力を持ったなにものでもない)。批判や抗議は、表現の自由がもともと予定するものであろう。「不健全な表現は規制せよ」と主張することすら(私はそうは思わないが)、表現の自由である。それに反論するのも自由だが、そういう主張自体が「規制」と言うのは馬鹿げている。
※
とはいってもこれがかなり厄介で、そのような規制によって出版社に過剰な経済的負担を課し、実質的に内容規制をしていこうという方法がないではない。しかし、付随的害悪の阻止のために合理的な規制を行うことは、一般論としては認めなければならないだろう。あとは個別事例による。
(1)
daydollarbotch 用語はそれっぽいが内容が所々おかしい。嫌がらせがあるなら不法行為たり得るし、間接適用説の下で表現の自由は考慮され得る。判決の引用部分では特にわいせつ表現が表現の自由の保護範囲外とは読み取れない(2階へ
①「わいせつ」に該当してもただちに保護範囲外にならないと最高裁が認定しているという趣旨か。だったら以下は何なのだろうか。なお、これはわたしやあなたが考えているところのあるべき「わいせつ」概念ではなく、最高裁の判例法理では「わいせつ」がどういう扱いを受けているかという問題である。
ところが猥褻文書は性欲を興奮、刺戟し、人間をしてその動物的存在の面を明瞭に意識させるから、羞恥の感情をいだかしめる。そしてそれは人間の性に関する良心を麻痺させ、理性による制限を度外視し、奔放、無制限に振舞い、性道徳、性秩序を無視することを誘発する危険を包蔵している。もちろん法はすべての道徳や善良の風俗を維持する任務を負わされているものではない。かような任務は教育や宗教の分野に属し、法は単に社会秩序の維持に関し重要な意義をもつ道徳すなわち「最少限度の道徳」だけを自己の中に取り入れ、それが実現を企図するのである。刑法各本条が犯罪として掲げているところのものは要するにかような最少限度の道徳に違反した行為だと認められる種類のものである。性道徳に関しても法はその最少限度を維持することを任務とする。そして刑法一七五条が猥褻文書の頒布販売を犯罪として禁止しているのも、かような趣旨に出ているのである。
②間接適用説のもとで「誰の」表現の自由を考慮するかが問題である。抗議者の言動を裁判所が差止めれば、それこそが表現の自由の制限となるから、裁判所が差止の権限を行使するにあたっては、表現の自由の趣旨を取り込んで適用しなければならない、というのが間接適用説だろう(ドイツのリュート判決はこれとそっくりな構図だった)。表現の自由の私人間効力は、抗議者に対して、一般論として相手の表現を一切抑制しないように注意する義務を課すものではない。もしそうだとすれば、あらゆる抗議の類が不法行為になるはずである。
③嫌がらせがあるなら不法行為なのは違いない。それは個別事例による。
関連して。
type-100 175条にしても猥褻物の作成・所持を禁じているわけではない。猥褻性を持つものも表現言論の自由の保護を受け、他の権利との綱引きで規制されている。
確かに、刑法175条はわいせつな文書・図画等の作成・所持を禁じていない。その限りであなたのいうとおり、「保護を受け」ると考えてみよう。しかし、販売・頒布は禁止される。警察が刑法175条の取締りの方針を変更して、性器が露出したり、性行為を描写するあらゆる作品を取り締まったとする。そこで作成・所持だけが保護されたとして、何の意味があるのか。「保護されない」という言い回しが気に入らないなら、「保護のレベルが著しく低い」という風に言い換えた上で読んでいただきたい。加えて、最高裁は作成・所持の禁止まですれば違憲となる、とも言っていない(アメリカなら、Stanley v. Georgia, 394 U.S. 557 (1969) 判決がそう言っているが)。
(2)
CocoA "一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずである"<-えっ、廃止に賛成している表現の自由の戦士たちを知らない・・・?
「戦士」なら刑法175条を廃止する署名運動なり政治運動なりをやるべきであろう。あるいは「戦士」とはただのネット弁慶か。廃止が提案されたら賛成するが、そうでなければ特に何かしないのか。
(3)
hom_functor これだけ長文書いても表現を規制する合理的な理由は絶対に説明しないんだよな。「抗議をやめる~ように請求する法的資格を有する」なんて見かけない主張を創作したり反論しやすいブコメをチェリーピッキングするだけ
「規制」なのかという問題か否かを読み取っていただけてないらしい。上記で書いたように、抗議運動なりボイコットなりは「規制」ではない。政治道徳的な観点からそれに理由があれば正当だし、理由がなければ不当だというだけのことである。むろん嫌がらせの類は、不法行為である。抗議運動なりボイコットに理由があるかという部分はともかく、「規制」というおかしな問題設定をしていることが馬鹿げているということだけはくみ取っていただきたいのだが。
(4)
sirobu 表現の不自由展に対する街宣カーも自由を制限する不当な圧力だと思ってるんだけど、増田はそう思わないってことかな?
あなたが街宣カーで街宣される時点で表現の抑圧だと考えていることはよく分かった。そういうレベルから見解が異なるのなら、議論がかみ合うことはないだろう。以下は参考まで。街宣カーで道路を走りながら何か言うだけなら、それは自由である(馬鹿なことを言っているなとは思うが)。問題は街宣カーそれ自体ではなく、殺害予告だったり大量電話のような嫌がらせだろう。また、名古屋市長の支出拒否しかり、大阪府知事の会場施設利用不許可しかり、公権力が規制に乗り出していることを考えれば、表現の不自由展では「不当な圧力」どころか、ズバリ「規制」が問題だった。公権力が嫌がらせを煽っていることも見逃せない(特に名古屋市長の愛知県知事リコール運動)。
(5)
thesecret3 憲法は法律ではないので専門家や判決がどうでも各自が独自の解釈で主張してもいいと思う。自由を保障すると言ったら基本は保障されなければならないのであって政府が邪魔しなければいいってもんではないと私は思う。
なんか進次郎構文っぽいトートロジーが・・・。
「下ネタは禁止」は、確かにそれ自体は言論の自由の規制であるが、それを放置すると言論の自由の行使が男性に圧倒的に偏ってしまう点で、言論の自由にとって必要なものである。
これ笑うところ?
下記のエントリー(anond:20220701074807)で色々と書いてある点について。目下話題になっている「表現の自由」について。自分用の整理として。
目下話題の「表現の自由」は、いかなる意味で表現の自由なのだろうか。それは憲法21条1項に見られるような法的なそれだろうか。それとも、憲法21条1項のようなものとは異なった何かなのだろうか。たとえば、JAなんすんが制作した『ラブライブ! サンシャイン!!』のキャラクターを利用したポスターについて、絵の内容がが性的である※1という批判があった(なお、これや宇崎ちゃん欠缺ポスター事件の余波で、赤木氏らツイッター凍結騒動があったりした。覚えているだろうか?)。
ここで、抗議をJAなんすんが考慮して、ポスターを撤回したとする。すると、「誰の」自由が「誰によって」侵害されているのだろうか。侵害者をざっくりと抗議する者として捉え(本来、ツイッターで批判的な言葉を言っている者、電話をかけて意見を伝える者、付和雷同していたずら電話をする者、大量の手紙を送りつける等のいやがらせをする者等を十把一絡げに全部抗議者として捉えるのは適切ではあるまいが)、被侵害者をさしあたってJAなんすんとして、JAなんすんが抗議者に対して抗議をやめる(たとえば、ツイッターで「ポスターを撤回すべし」等の意見をつぶやくのをやめさせる)ように請求する法的資格を有する、というのが表現の自由主張の趣旨か。
はっきりいえば、そのような主張は法的には認められない。私人間効力の論点を見直すべきであるとしか言い様がない。ここで、抗議をやめるように要求する資格があると裁判所が肯定すれば、抗議者の表現に裁判所(=国家機関!)が介入することになり、それこそが表現の自由の侵害である。この構図において、憲法21条1項が保障する表現の自由の恩恵に浴するのは抗議者の側となるだろう。目下話題の「表現の自由」は、憲法21条1項とは異なる問題であると解するのが相当である・・・のだろう。
元々のエントリーでは次のような言明がある。
言いたかったのは、フェミニストはあくまで「女性の実質的な表現・言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって、「表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。フェミニストやリベラル派が目指すのは、あらゆる階級や属性の人が等しく表現の自由を行使できる社会だ。
これに対するブコメはこう言っている。
preciar おまえ等がぶっ叩いてきた作品のほとんどが女性の手になる物である時点で、ただの妄想というか開き直りでしかない/そもそも平等のために表現を規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ?恥に加えて知恵も無い
後段の「そもそも平等のために表現を規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ」という部分に注目したい。再びポスターを題材とする。「規制」という言葉を使うのは公権力ではないから不適切のように思うけれども、例のポスターに対する抗議は、ポスターを掲示することを抑制しようとする意図を有し、ある一つの表現を抑圧する行動である、という部分を問題として切り出すことにしよう。ここで想起するべきなのは、表現すべてがまったく自由(というより、放縦のまま)とされることなどあり得ないということである。たとえば名誉毀損的な言動は認められない。名誉毀損的言動をしている者を叱りつければ、それは一つの表現の抑圧には違いない。しかし、名誉毀損をされないというのも重要な利益であり、自己表現の利益と考量される対象となる(そうならないという人はいないだろう)。プライバシーも同様である。ノンフィクション『逆転』事件を想起すれば良い。前科を実名で暴露されない利益を重視する見地から、『逆転』における表現が抑制されている(この事件では、慰謝料の請求を裁判所が認めているから、公権力による「規制」ですらある!)。プライバシーの保護のために表現を抑制するべきであるという主張は「規制派」であろうか。
名誉毀損やプライバシーは具体的な個人の利益が問題となっているが、女性蔑視の問題はそうではないと思うかもしれない。しかし、番組準則のように、社会に薄く広く広がる利益保護(たとえば、放送番組の政治的公平性)を保護するために、表現を抑制する(番組編集準則であれば、放送局の自由)ということは、そうおかしな話ではない(なお、憲法学では、番組準則は、それへの違反が総務大臣による放送免許の取消原因になり得る等の効果をもつ限りで違憲であるとしている。)。たとえば、大阪府知事・大阪市長・橋下徹のトーク番組に対して、政治的に公平ではないという批判は、無論番組作りを抑制する可能性がある。実際、激しい批判を浴びて、大阪毎日放送は社内調査を行って検証したのである。これも「平等のために表現を規制しろと言う主張」だから「規制派」となるのだろうか?それはそれで一貫した立場ではある。それこそ「知恵も無い」と思うが。
なお、念のためにいえば、プライバシーも名誉権も日本国憲法は明文で保障していない。そのような利益であっても、憲法21条が保障する表現の自由にとっての対抗利益となることができる。憲法の明文で保障されていない権利は表現の自由の対抗利益になり得ないという考え方は、畢竟独自の見解に過ぎない。
選挙において「表現の自由」を掲げる政治家がいる。彼らの問題意識は極めて偏頗ではないか。日本の表現の自由をめぐる問題状況は深刻なものがある。ところが、こと選挙で「表現の自由」を旗印にする者の言動を見ていると、選挙運動の規制、公務員の政治的意見表明やストの広範な禁止、放送資源の分配問題、政府情報の保全・公開等々、様々な形で存在しているはずの問題状況が捨象されて、取り上げられているのは「マンガ・アニメ」の自由ということになっている。また、「アニメ・マンガ」だけを対象にしても、取り組む分野が偏っているのではないか。たとえば、これ(https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1542366137979400193)には『国が燃える』事件が入っていないが、右翼の抗議は免罪されているのか。あるいは、最近の『「神様」のいる家で育ちました』も入っていないが、宗教団体からの抗議は免罪されているのか。上記は、批判としてはマージナルかもしれない(忘れていただけかもしれない)が、刑法175条の廃止等(ポルノの合法化;「有害図書」販売規制の廃止ないし合理化)を公約に入れていないのはどうしたことか。
「表現の自由」を掲げる政治家の言動を観察していると、一つ気づくことがある。彼らは、表現の自由を抑制している制定法を改廃するのではなく、規制の対象外となるように関係機関に働きかけを行って「免除」(制定法の外部で活動しているのだから、お目こぼしに近い)するという活動に主眼を置いているようである。念のためにいえば、そういった活動を政治家が行うこと自体は奇妙なことではない。問題は、「表現の自由」といった一般的・普遍的権利を掲げながら、規制の廃止を唱えるよりも、特定の表現に限って規制を免除するように(制定法の改廃ではなく)法執行機関に働きかけをしていることである※4。取締当局に働きかけをして有利な方針を引き出すという方向性は、自由にとって脅威であることに変わりはない。結局、働きかけをする人物の意向によって「自由」の内実が左右されることになるからである。「免除」の仕組みを動かす人物が特定の出版社や特定の作品群を代表している場合、その他の出版社・表現には「免除」を拒否するという形で脅威となる可能性が存在し続ける。政治家の言動をナイーブに受け止めてはいけない。
なお、私は実は「アニメ・マンガ」の中の特定の作品群のみを対象とした偏頗な政治運動自体がけしからんというつもりはない※5。しかし、「表現の自由」という看板は下ろしてもらいたい。
「表現の自由」を掲げる政治家ないしツイッターアカウントを見ていると、「エロ(・グロ・ナンセンス)」の自由を重視しているような印象がある。こういった表現一般について、公権力の介入を排除する防御権があるのは当然だ、という前提があるような気がする。しかし、「わいせつ(obscenity)」にあたる言論は憲法上の権利として保護されないはずである。憲法上の権利として保護されないということは、内容規制をしても合憲であるということになる。日本の最高裁の考え方もそうであろう:
なお性一般に関する社会通念が時と所とによつて同一でなく、同一の社会においても変遷があることである。現代社会においては例えば以前には展覧が許されなかつたような絵画や彫刻のごときものも陳列され、また出版が認められなかつたような小説も公刊されて一般に異とされないのである。また現在男女の交際や男女共学について広く自由が認められるようになり、その結果両性に関する伝統的観念の修正が要求されるにいたつた。つまり往昔存在していたタブーが漸次姿を消しつつあることは事実である。しかし性に関するかような社会通念の変化が存在しまた現在かような変化が行われつつあるにかかわらず、超ゆべからざる限界としていずれの社会においても認められまた一般的に守られている規範が存在することも否定できない。それは前に述べた性行為の非公然性の原則である。この点に関する限り、以前に猥褻とされていたものが今日ではもはや一般に猥褻と認められなくなつたといえるほど著るしい社会通念の変化は認められないのである。かりに一歩譲つて相当多数の国民層の倫理的感覚が麻痺しており、真に猥褻なものを猥褻と認めないとしても、裁判所は良識をそなえた健全な人間の観念である社会通念の規範に従つて、社会を道徳的頽廃から守らなければならない。けだし法と裁判とは社会的現実を必ずしも常に肯定するものではなく、病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医的役割を演じなければならぬのである。
「エロ」の自由を擁護していくとなると、「保護されない言論」の判例法理の桎梏をいかに除去していくかを考えるべきであろう。スウェーデンではポルノも出版の自由の対象とされていることに注意する必要がある。スウェーデンの憲法典の一部を構成する出版の自由に関する法律は、出版の自由を制限できる場合を限定列挙する。児童ポルノは出版の自由を制限できる場合に挙げられている※6が、ポルノ一般は挙げられていない。他方で日本の状況を考えてみよう。もはや何の修正もなく『チャタレイ夫人の恋人』は出版されているが、刑法175条自体は生きている。最高裁は判例を変更していない。捜査機関が取締りの方針を変更すれば、刑法175条でもって再び刑事罰が科されるであろう。他の成人向けのアダルト・ビデオにしても、マンガにしてもアニメにしても同様である。一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずである。しかし、この最大の桎梏の存在を認識していない者も少なくないように思う。もしかすると、このような規制状況はもはや動かしがたいので、所与としなければならないと考え、より低い脅威度のものを優先しているのかもしれない。あるいは、彼らが取り組んでいる「マンガ・アニメ」は実は「わいせつ」にあたらない物件のみで、ハード・コア・ポルノ的な「マンガ・アニメ」は眼中にないのかもしれない。しかし、それでは『チャタレイ夫人の恋人』や『悪徳の栄え』、あるいは『蜜室』に取り組んだ人々と比べてあまりにチャチな取り組みだと思う。
丸山眞男を引き合いに出すまでもなく、日本人は既成事実に弱いと指摘される。いったん規制されると大変だから、規制される前に対処する政治家が必要であるという言い分を聞くが、既成事実に屈服して「一端規制されると大変」な状況を強化しているのは誰なのだろうか。
※1 ここで「性的」として批判されているのは、単に裸体だとか性器が描写されているという意味ではなく、ほぼ女性蔑視的という意味に等しいことに注意するべきである。
※2 書いているうちに思ったが、リュート判決の構図に似ている。
※3 スウェーデンなどの欧州諸国ではポルノが合法化されている。スウェーデン等で購入したヌード写真集を日本に輸入して税関検閲に引っかかる、というのが税関検閲諸事件の流れだ。
※4 なお、児童ポルノ禁止から創作物を除去せよとの主張は、一般的な規制の問題として評価できよう。
※5 むしろ、出版社の利益を守るためと考えれば、個別の出版について規制をお目こぼししてもらう活動も大事だろう。だが、あくまで出版社の権益であり、表現の自由という共通財の問題ではない。
※6 日本で出版されている成人向けマンガ・イラストが児童ポルノにあたるかと言った事件があったのだが、スウェーデン最高裁はマンガの表現形態に十分配慮した判断を行っている(NJA 2012 s. 400. 翻訳もある。外国の立法255号[2013年]223頁)。このような判断を日本の最高裁がするかというと、全然しないだろう。
「表現・言論の自由が現実には男女で不均等に配分されているのではないか」ということである。それは国会議員の男女比に端的に示されているし、経済団体の会合で居並ぶ人たちは平均60歳以上の中高年男性である。一般の行政や企業の会議も、現状ほとんどは男性が仕切っているだろう。
国会議員の男女比がそのまま表現の自由の男女の不均等さに現れるというのはどういう理屈なの?
例えば「偉い人」が会議でどの作品のポスターを採用するかの決定権があるから表現の自由が男女で不均等だというのは、やや無理筋ではないか
別に男女にかかわらず漫画やら同人誌やら書く自由はあるわけで、その中で人気ある作品を赤十字やらなんやらのポスターに採用するってだけなんだから、ここ論理飛躍してるよね?
男同士のコネで週刊誌に連載するマンが決めてるわけないでしょ…面白い漫画を載せてるだけだよ
リベラルなフェミニストが「表現の自由を制限すべき」などと考えているわけがない、だって?お前何言ってんの?
論の筋が通ってなさすぎる。お話にならない
はい全部やり直し
フェミニストが問題にしているのは、「表現・言論の自由が現実には男女で不均等に配分されているのではないか」ということである。
それは国会議員の男女比に端的に示されているし、経済団体の会合で居並ぶ人たちは平均60歳以上の中高年男性である。
一般の行政や企業の会議も、現状ほとんどは男性が仕切っているだろう。
憲法や法律で女性の表現・言論の自由を規制しているものは全く何もない以上、こうした不平等は社会全体の中でつくられていると考えるほかない。
そこでフェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。
つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。
フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論・表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。
これな、経緯がまるっと忘れられて、戦略上辿り着いた戦法を、あたかもそのために活動していたんだとばかりに書いてるんだ
宗教な時もあれば、時の権力者の時もあれば、お気持ちの時もある
例え、非道徳的な内容だとしても
それをやることは、粗野で、人権の否定で、進歩的ではないとなった
有識者は反対を述べる
それは「名誉棄損」や「侮辱」などの対立する権利である必要がある
それは「差別」であったり
それは「文化の盗用」であったり
これはすごいんだ
「公共」を前面に「政治的に正しくあるべき」というべき論で、法律によらず踏み絵を課すことが出来る
この法律に拠らないというのが実に素晴らしい
仮に法廷に訴えられても、この話で対立が起こると、訴える側を「政治的に間違っている事を法律でごり押す」という図式に出来る
なにせ「正義」だ
これからは違う
販促POP
とにかく「公」にあると認められるものに、そこにあってはいけないという様になった
それはとても「許されざる性差別」で「過度な性搾取が行われ」、「女性を侮蔑している」が
性差別だがあっても良いよと
でも「公には出すな」という歪な論に逃げて、勝ちを狙うよになった
狙う先はここだ
表現の自由を守り抜くのは当然だし、児童ポルノを無くせば子どもへの性暴力も無くなるという話ではない。
どう解決していくかはクリエイターも含めて国民的に議論していくべきだ。
具体的には、子どもたちや一般の人たちの目に触れないような場所に置くゾーニングというやり方もあると思うし、
“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、
クリエイターの皆さんも作らなくなると思う
❌そこでフェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論・表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。
⭕単なる負の性欲の発露
フェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。
ここのつながりがよく分からない。「女性が男性の性的消費の対象である」という発言や広告がなされたとしてそれがどうして女性の表現の自由を妨げるものになるの?
フェミニストが問題にしているのは、「表現・言論の自由が現実には男女で不均等に配分されているのではないか」ということである。それは国会議員の男女比に端的に示されているし、~
ふむふむ、つまり男が女性の表現の自由を阻害していると。ならば主張は規制じゃなくて徹底的な表現の自由では?
つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。
いや表現の自由どこに行ったよ。それは表現の自由じゃないだろ、言ってることが思いっきり表現の自由の否定だよ。
これを形式的な「表現の自由」で批判することは可能だが、それは表現・言論の自由の全てではない。むしろ形式的な表現・言論の自由を守るほど、男性マジョリティの発言権ばかりが強まって女性の言論・表現の自由が抑圧される、という日本社会全体の構造と向き合う必要がある。
「うゎ公共空間に女がサポートとして表現してると自分が思う表現がある、もう表現止めよ...」ってなるってこと?
えらく軽い表現の自由だな
そこでフェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論・表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。
そこでフェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論・表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。
そこでフェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論・表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。
そういうものがこの世に存在しないなどとは誰も言っていなくて、「問題である」とするその線引きがまさに『行き過ぎ』やで、と指摘されてるだけなんだよ。
素晴らしい。
そうなんだよな。言論の自由の議論や司法は常に男性多数の中で行われてきた。その今現在存在する言論の自由の在り方そのものが男性的に偏りすぎてるという話。言論の自由と他の人権の折衷について、男性多数の場でしか議論されなかったために枠組みそのものが男性的。
かなりの人が勘違いをしてるし読めてない。
参院選で赤松健などが「表現自由派」と「表現規制派」の対立が存在して、表現の自由を守れと主張している、これはそもそもが完全にデマであり間違いである。リベラルなフェミニストが「表現の自由を制限すべき」などと考えているわけがないし、むしろその逆である。
フェミニストが問題にしているのは、「表現・言論の自由が現実には男女で不均等に配分されているのではないか」ということである。それは国会議員の男女比に端的に示されているし、経済団体の会合で居並ぶ人たちは平均60歳以上の中高年男性である。一般の行政や企業の会議も、現状ほとんどは男性が仕切っているだろう。憲法や法律で女性の表現・言論の自由を規制しているものは全く何もない以上、こうした不平等は社会全体の中でつくられていると考えるほかない。
そこでフェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論・表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。
これを形式的な「表現の自由」で批判することは可能だが、それは表現・言論の自由の全てではない。むしろ形式的な表現・言論の自由を守るほど、男性マジョリティの発言権ばかりが強まって女性の言論・表現の自由が抑圧される、という日本社会全体の構造と向き合う必要がある。向き合う必要性を感じないとすれば、それは実のところ表現・言論の自由に関心がないと言うしかないだろうし、日本の自称「表現自由派」のこれまでの言動を見る限りは、そう言わざるを得ない。
(追記)
この問題をややこしくているのは、問題になっている広告の萌え絵を好むオタクの人たちが、マイノリティの被害感情を抱えていることが多いこと。フェミニストから見れば「女性を性的対象にしている広告」でしかないものでも、オタクの人たちにとってはそれを批判されるのは「マジョリティ社会からの抑圧」に見える。発信力のあるフェミニストの多くが弁護士や大学教授、新聞記者など、社会的な威信や地位の高い職業に就いているから、なおさらそう映る。「キモい」という、非モテ男子にとって破壊力の高いワードを無邪気に連呼する一部フェミニストが目立っていることも、オタクの人たちの被害感情を刺激している。
この点については、自分はオタクの人たちに同情的である。しかし、だとすれば掲げるべき旗は「表現の自由」ではなく、オタク系男子に対する自覚のない侮蔑的な発言や表現で自分たちがどれだけ傷ついているのか、ということへの抗議だろう。
(追記2)
まあまあ炎上してますね・・・。前にも似たようなことなんども書いているのに。
言いたかったのは、フェミニストはあくまで「女性の実質的な表現・言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって、「表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。フェミニストやリベラル派が目指すのは、あらゆる階級や属性の人が等しく表現の自由を行使できる社会だ。
何が問題になっているのかをわかりやすく例えて言えば、男性8:女性2という構成の会議や討論会で、その中で声の大きい饒舌な男性が軽い下ネタでその場の爆笑をとったとしよう。これだけで女性が発言することが圧倒的に困難になることは、容易に想像できる。吉野家の元常務は、まさにこうした話術で会議の場の空気を支配する名人だったのだろう。フェミニストは、こうした環境が日本の社会全体に薄く広く存在していると考えているのである。「下ネタは禁止」は、確かにそれ自体は言論の自由の規制であるが、それを放置すると言論の自由の行使が男性に圧倒的に偏ってしまう点で、言論の自由にとって必要なものである。
現在、テレビの情報番組から帯ラジオのMCまで、日本のメディアを支配していると言っても過言ではない「お笑い芸人」たちは、最近は女性も若干増えつつあるとは言え、圧倒的に男性中心である。特にお笑い芸人にとって、あけすけな下ネタトークは必須である。女性でも下ネタを嫌がらない人は確かにいるとは言え、平均的な女性にとっては明らかにハードルが高い。結果として、男性が仕切る、男性目線で構成された番組だらけになり、女性はそれに相づちをうったり、あるいは「天然ボケ」を男性MCに突っ込まれたりするだけの存在に成り下がる。
いま番組を文字通り仕切って自己主張を展開できている女性というと、和田アキコはまあ例外としても、ラジオのジェーン・スーぐらいしか見当たらない。国谷裕子や小島慶子は戻ってこないだろうか・・・。
君たちがスルーしてれば少なくともはてな民は赤松健の発言なんか読まないのに。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/KenAkamatsu/status/1542366137979400193
tekitou-manga ディストピア実現しようとする党の尖兵がディストピア煽りで票集めとか地獄感ぱねぇぞ。オラわくわくしてこねえだ
warp9 表現の自由と言いつつ、規制側で立候補する意味は?俺には理解できない。
nowa_s ネットは広大だから、Twitter辺りではイラストだけが「表現物」で、表現の自由の対象だと思ってた人もいた。そういう人にとっては、例えば批判的言論は表現じゃないんだよね。赤松候補がそのレベルじゃないといいけど 表現の自由
Arturo_Ui それ保坂展人や枝野幸男の前で言える? マジレス
tokatongtong で例えば 「ぶっかけられた精液で全身ドロドロな、化け物レベルに胸強調された少女体型の童顔女性」みたいな表紙絵の同人誌があるんですが、そのような表現物の無制限的公共露出についても守るべきとお考えですか?
haruyato 赤松支持者の大半が表現の不自由展を批判していそうなのがなにより怖ろしい。赤松本人に表現の不自由展への意見を誰か聞いてくれ。
2022/06/30 リンク yellowyellowyellowyellowyellowyellowyellowyellow
yabusaki アトムもやり玉に挙がった1955年の悪書追放は政府が先に動きだしたとも言われていて、当時の政府与党は自民党の前身の日本民主党と自由党。「中から変える」ができるほど聞く耳を持ってるなら入る必要もないのでは
cj3029412 何ひとつわかっていない……「一切の表現の自由を守る」とか。
2022/06/30 リンク yellowyellowyellowyellow 1 clicks
haniwa 赤松さんが言うからにはこの国ではそれが信実なんだよ。逆らう人間は現実が見えてない。そういう国なんだ。
izure この人の街頭演説野次ったら、安倍晋三の時みたいに警察に排除されたりするのかな。
BigHopeClasic 刑事裁判で国と戦った伊藤整や澁澤龍彦の墓前でそれ言ってどうぞ 憲法
cartman0 いい加減、公共の福祉にも触れればええのに
cha9 表現の自由戦士が自民党候補に投票するディストピアを超える場面って歴史上そうそうないと思うやで。あ、年代表最後に2019年山田太郎規制派寝返り出馬と2022年アカ松健カン違い出馬が抜けてる。自民は規制派だからね 規制の歴史がまた1頁…
tobalno1 これらの批判が全部難癖で表現の自由は全てに勝るって言うなら、選挙カーにコンビニエロ本の表紙印刷して走ってみてほしいわ。別に自分の漫画のエロいコマでもいいけど。
meowcatwings 「『一切の表現の自由』を守る」というのは、ゾーニングやレーティングも撤廃したいということなのだろうか。 考える
demakirai Twitterは140文字まで投稿できるんですけども、冒頭20文字ちょいですぐバレる嘘つくのやめてもらえます?
grdgs いや君や山田を含め表自戦士が、いつでもどこでもエロ表現の自由しか興味ないことはわかりきっているのだが。はてなの表自戦士も、市民から企業への批判は悪だとして、言論の自由を抑え込むのに躍起だし。
urandom たぶん極端に視野が狭いか、何が表現で何がそうでないかを判定する目線だから一切の表現の自由を守る(!)というすごい言い切りができるんだろうなあ。頼むから表現の自由という用語を使わずやってほしいなあ。
yas-mal
2022/06/30
cinefuk 2002年のビューティ・ヘア事件(松文館裁判)の契機となったのは自民党「平沢勝栄」によるもの。今まで「自民党を内部から変える」と主張した人で、改革に成功した人は存在しない https://www.amazon.co.jp/gp/aw/cr/486086011X 表現規制 自民党
mn36555023 とりあえず 赤松健