はてなキーワード: 行使とは
http://netgeek.biz/archives/105253
私個人としては、憲法9条を改正する流れは憲法9条を改正しなければならない、という考えに基づかれているの
ではなく、憲法を試しに改正するのに取っつきやすい条文であるからだと思っております。なので、改正しても
いいですが、改正の有無問わず大差ないのではないかと思っております。
改正するのであれば、個人的には安倍さんの案ではなく、石破さんの案を推す部類です。というか、石破さんの
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第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武
力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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憲法9条は、上の条文となっています。考え方は色々ありますが、現状の日本では、戦力は保持してはならないが
自衛力は保持していいということになっています。また、侵略戦争は放棄しているが、自衛戦争、制裁戦争までは
放棄してないという考え方に基づいて、日本は自衛隊を運用されています。
日本は、軍事力がなく、自衛力しかないから自国を守れない、という意見をしばしば目にします。しかし、本当に
そうでしょうか。
自国を守れないほどの自衛力しかないのであれば、守れるほどの自衛力は保持しないのでしょうか。むしろ、自衛
として機能していないのであれば、憲法13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の
福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」という文言に反しているのではない
でしょうか。別に自衛力しかないから自国を守れないのはつながらないでしょう。
次に中国などの周辺国が軍事力を上げ続けているにもかかわらず、日本は9条のせいで自国を守りにくくなっている
というのは本当でしょうか。専守防衛であるから手を出せずに侵略されているという意見もあります。
では日本が軍事力を上げれば解決できるのでしょうか。始まるのは軍拡競争です。領土問題でメインに揉めている
のは、中国だと思われます。その中国に軍拡競争で確実に勝てるでしょうか。そういった意味で軍事力を上げれば
いいという話ではないと考えています。
自国を守れるほどの自衛力を保持すればいいと、軍事、自衛力を上げても解決できない問題もあるというジレンマ
はあると思います。
次に専守防衛についてですが、どこにそんな言葉あるんでしょうか。あくまで、専守防衛を謳っているのは政府解
釈です。
自衛するための自衛権の中には、先制的防衛も含まれているのではないでしょうか。
正当防衛を例に挙げます。正当防衛はある種、自衛権の行使といえます。相手に銃を突き付けられた人が、銃を持
っている相手を先に殴って気絶されたら、正当防衛は否定されるでしょうか。そうではないでしょう。
自衛権の中に先制的防衛を除外しているのは、政府自身なので別に憲法9条を改正する云々にはつながらないと考え
ています。
最後に書くのはいわゆる集団的自衛権についてです。これは非常に微妙なラインです。個別的自衛権を有している
国が、侵略戦争を仕掛けられた場合、行使するのは確実です。日本国民の生命、財産に危害が加わりかけている状
態で、国がそれを無視するというのはないです。あるかもしれないと仮定するほうがナンセンスだと思います。
集団的自衛権は必ず発動されるか。これが問題で、必ず発動されるという保証はないです。集団的自衛権の行使を
では、イラク戦争であったときはどうであったか。アメリカ側の要請で集団的自衛権を行使した国はありましたね。
イラク側の要請で集団的自衛権を行使した国はありましたでしょうか。
答えは、いないです。
結局のところ、自衛に資さない場合も十分に考えられるので、同盟国の危機に日本の利害が絡んだ上で行使を決定
する集団的自衛権は、確実に行使される個別的自衛権とは別の分野な感覚があるので、なんともいえないところで
す。
ただし、その権利がどこまで他の権利と比べて優先順位があるかは別の問題です。
たとえば、人には行動の自由がありますがそれでも他人に性器等を見せつけると公然わいせつ罪になるわけです。それはつまり、『望んでもいないのに性器などを見せられたくない権利>行動の自由』だからです。
他人の権利が優先した時点で、その権利は「ない」「行使できない」状態だよね。
こういうのを詭弁という。
「権利はあるけど認めない」と「権利はない」は事実上なんの違いもない。
それと比較した時、「オタクコンテンツを見たくないという主張を見ない権利」と「オタクコンテンツを見たくないと主張する自由」は両方存在しますが、前者の方が優先されるとは考えません。
なんかまだコメント欄で議論が続いていいるようなのでコメントを。
https://togetter.com/li/1227347
個人の権利を重視する立場と、行使される権利の総量を重視する立場の対立に見える。
交通で例えると、自家用車を所有している人が都心などの混雑が予想される場所に車で出かけることに対して、個人の権利を重視する立場からそのような行為を規制する法律はないなどと擁護する立場と、渋滞することが予想されるのだから公共交通機関を使うことを勧める立場。
当初、2次創作であった漫画を1次創作に変更して商業出版することも別にそのこと自体はとがめられることではない。でも、名前だけ変えればいいんだという認識が広まってしまうと、ファン活動とは言い難い2次創作が広がって、権利元が態度を変えるかもしれない。だから、一旦、2次創作として出した以上は商業出版にするべきではない。
こういう、総量が問題になる件に対処するのに、法律とか権利とかルールって、あまり役に立たない。権利元が、年間に数冊くらいなら2次創作ベースの商業出版があっても許容範囲だと思っていたとして、それを具体的なルールとして文章にすることができない。2次→商業をOKですと明文化してしまうと出版数を制限することができず、2次→商業をNGですと明文化すると年間数冊なら許容範囲なのに過剰な規制になってしまう。
結果、空気を読むとか、ファン活動の矜持とか、学級会みたいな話になる。今回のこの本については、かなり著作権的に白いから、商業出版しても大丈夫なんじゃないかなとは思うけれど、2次から商業に移すことを一律自粛するのも、安全運転に徹するという意味でありうる立場ではある。
モヤモヤするなどといった、個人的な悪感情をTwitterに投稿すること自体、汚い言葉を使わずに抑制的に行えば別にとがめられることではない。でも、その不満の感情がたくさん集まって、作者の目に触れる規模にまで増えると困るから自重しておいたほうがいい。といった風に、総量規制を主張している点か。
小学生の課題のようなものを、まじめに考えてみた。主権国家同士の交戦権行使に基づいた戦争・戦闘行為について述べる前に、分かりやすい身近な例で考えてみたいと思う。
仮定の話として、私はとある一軒家に住んでいるが、隣の家と土地の境界線を巡って紛争状態にあるとする。私も相手側双方も、土地の境界線のラインが外側にあると主張していて、どちらも譲歩や妥協をする気が一切ない。そこで、現実の社会の中であれば、裁判所に頼めば双方間の調停をやってくれるが、国際社会にはこの裁判所のような存在がない。なので、問題の当事者となったら自分の力だけで解決しなければならなくなる。
私一人だけで解決するのが難しければ、隣近所の人たちと徒党を組む(=同盟・協商)ことによって、紛争相手に譲歩を迫ることもできるだろう。それでも話し合いや圧力で相手が折れなければ、最終的には武力行使によって解決するしかなくなる。それが「戦争」である。
戦争が起こる原因について考えてみると、突き詰めてみると「話し合い」で解決できないから戦争が起こるのである。隣近所との境界線(=国境線)の話でも何でもいいが、「話し合い」で解決することができれば、最初から戦争や紛争は発生しない。それは自分か紛争相手が譲歩するからである。
しかし、もし譲歩して紛争を解決したとしても、例えば隣近所との境界線の例でいえば、自分の家の敷地面積が狭くなってしまうわけだから、実質的に敗戦と同じである。
相手に安易に譲歩して自分が損をするくらいなのであれば、リスクを取ってでも武力行使を仕掛ける方が合理的である。
※今、北朝鮮の核問題において東アジアが戦争寸前の状態になっているが、北朝鮮の立場からすれば核をすべて放棄する(日米に譲歩する)ということは、自分自身の自衛能力をすべて放棄することに等しい。なぜなら、北朝鮮は国民生活や通常攻撃能力の配備を犠牲にしてまで、核開発に全てを注いできたからである。安易に日米に譲歩するくらいなのであれば、先制攻撃を仕掛ける方が合理的ではないのか。
ここから本題に入るが、戦争をなくすためには、主権国家の仕組みそのものを無くして新しい仕組み(世界政府と常設国連軍の軍備独占)を作るしかない。
世界には多くの主権国家が存在していて、それぞれの主権国家が暴力(警察や軍備)を独占している。その主権国家同士が紛争解決の手段として武力行使を行うから、戦争が発生する。
ならば、世界中の主権国家をすべて廃止して、世界で一つの主権しかない「世界政府」を作る。そして世界各国の軍隊や警察は、世界政府が独占する。これによって世界から戦争はなくなるであろう。
地域間紛争が起きたら、世界政府が作った調停裁判所が解決することになる。
世界中の国家を廃止するというのは荒唐無稽な話に聞こえるが、世界政府の礎となる組織は既に存在している。それはG7のことである。
※国連については、拒否権の問題などで既に機能不全になっているので除外する。
アメリカ・日本・カナダ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリアの経済大国7カ国が、最初に統合して一つの国家となる。7カ国が保有している軍隊や自衛隊は、全て統合して一つの国連軍を作り上げる。そして、近い未来に起こる第3次世界大戦によって、ロシア・中国・中東の列強が崩壊したのち、それらの国々を世界政府に吸収してさらに勢力を伸ばす。
趣旨は上の通り。
自分がオタクだと自認するようになってからこっち、10年以上にわたって、オタク差別けしからんと言い続けてきた。
ここ数年、なんとなくそれに違和感を感じることが多くなってきたけれど、それでもやっぱり言い続けてきた。でも今回はっきりわかった。
オタク差別批判とか、ただの害悪でしかない。もうやめたほうがいい。
差別というのは、権力構造に根差すものであるという話をだいぶ前にツイッターで見た。
つまらない約束事のように映ったけれど、まじめに考えるとこれを踏まえないから、差別を相対化して見せては矮小化や言葉遊びにふけるような態度が出てくるのである。日本人ヘイトだの専用車両は男性差別だの在日韓国人による逆差別だの、差別者以外にとってはおもしろくもおかしくもない大喜利パズルでここ何年かでいったいどれだけ無駄な足止めにいそしんでいたというのか。ちゃんとベースを踏まえてこそ、くだらない袋小路にはまらないで済む。これはちゃんと物理を学んでいない人がブルーバックスくらいだけに目を通しただけで「矛盾」を発見し、相間さんと化すときに似ている。
今まで自分が存在していると思っていたオタク差別は、多分差別ではない。それは、いじめであり、パワハラであり、DVである。
そう視点を変えた方が、いろんなものが整合性をもって見える。中学校時代よくいじめにあっていた同級生は、オタクじゃなかった。正確に言うとオタク「も」いた。
でもそれは、そいつと俺が割と仲が良いから知っていた話で、きっかけは別のところにあった。運動音痴だから足手まといだという扱いだったり、成績がよくて生意気だという扱いだったり、DQN憧れの男の子の彼女だからだったりした。
もちろんきっかけが「オタクだから」というケースもあるんだろう。でも、それはこういったきっかけのワンオブゼムでしかない。それを、民族差別や女性差別と並べるのは、視野が広い人間ではなくただの雑な人間だ。
「差別じゃない」というのは、多分そういうことなのだ。そして、差別じゃないから批判の対象にする必要はないという話では、たぶんない。別の枠組で批判すればいい。
なのにもかかわらず、熱心にじゃああれは差別じゃないんだーという大喜利ばかりをしているツイートばかりが「オタク」から流れてくる。いや、どうしてもそこのところをわかりたくないのかもしれない。
わかりたくないのか、わかろうとしないのか、本当にわからないのか、どれなんだ。
いろいろ、「オタク差別の事例」というのが流れてきた。前なら、そうだそうだと怒りをぶちあげたであろうものがたくさんある。でもそれはどれもこれも、オタク差別の事例ではない。
そういうものを引いて行って、ある程度確実にあったんじゃないかと思えるのは、「マスコミを通じたもの」だと思う。特にバラエティやニュースを通したもの。
それで思い出すのだけど、俺の中高時代はあんまりオタクがいいとか悪いとかいう意識を持つことじたいあまりなかった。今思えば自分の机でいつも小説を読んでいて、たまたまホームページの話になったとき「私も持ってる」と言ったのでURLは?と何の気なしに尋ねたらそれはちょっと……みたいに返してきた女の子なんかはオタクだったんだろう。自分だって漫画は好きだったしオタクだったはずだ、今にして思えば。
じゃあ、そこにどうやってオタクキモイみたいな「偏見」の存在を知らされたかっつーと、漫画だったりインターネットだったり、そして「オタク自身の言説」からなんだよね。
だって、バラエティ番組なんて中二病まっさかり(高校になっても中二だったので)でほとんど見てなかったし。ニュースといってもこの手の話ってだいたいワイドショーである。やってる時間は学校にいるんだから見るわけがない。
金田一少年の事件簿には、小太りですぐキレ気味になる、「オタク」が登場した事件があった。こち亀で、美少女フィギュアを専門とする「色白でアニメ好き」なオタクが登場して、硬派フィギュアマニアのつもりな両津が逃げ出すという展開が「オチ」として機能していた回があった。名探偵コナンのホームズフリークの回は……さすがにこの文脈で語るものではないか(でも動機の酷さは「オタクなんてそんなもんだろう」という共通認識が背後にあるような気がする。知らんけど)。
テキストサイトが一世を風靡していたころ、オタクやオタクに向けられたコンテンツは叩かれる「べき」もの扱いだった。非オタク向けの、スポーツとかファッションを語るページに迷い込んだら叩かれたという話ではない。漫画の感想サイトや、漫画やゲームをメインで扱う日記サイトでの話である。
何を言っているか分からない人もいるかもしれない。例えば、ラブひなやいちご100%やBLACK CATは、軟弱な頭の弱いオタクのためのコンテンツであり、あんなものにゲヘゲヘゆってるオタクマジキモイ。ホイッスルやミスフルやテニスの王子様は腐狙いコンテンツであり、あんなものに(ry そういう話である。この範囲は結構広くて、らんま1/2やH2ぐらいでもオタク向け扱いされることがあった(もちろん、当時これらが連載されてたわけではない。あれってオタ向けの駄作だったよね―みたいな扱い)。
もちろん彼らが持ち上げるコンテンツというのもあったのだが、この文脈で実例を挙げるの風評被害でしかないので避ける。俺の好きな作家や作品も混じるし。
テキストサイトだけではなく、2ch(当時)もそんな感じだった。少年漫画板とかそのへんをよく覗いていたのだが、まあ当該作品のスレは愛読者が集まるのでそうでもないこともあるのだが(そうであることもある)、総合系スレでのオタクコンテンツ叩きはかなり強固だったし、漫画とか関係ないジャンルの板だとなおさらだった。
そういうものにどっぷりつか……もとい接しているうちにオタクというのは叩かれるべき存在であるのだなというぼんやりとしたイメージが自分のなかで出来てきた。これにもう一つ後押しするように影響したのが、自分はオタクだと称する人が、迷惑行為や触法行為のようなものを自慢しながら、「ホラ俺たちオタクだからさ」みたいに語っている文章に接する機会があったのも、ああそういう人がオタクなんだなと認識させられた。
ちょっと話はずれるけれど、当時は、オタクとマニアの違いなんていう言い方があって、オタクはそういう迷惑なものを抱えた側の人間やハマりすぎて社会に順応できなくなっている人間、というような線の引き方もあった。
これは、あくまで俺の話である。だから、他の人がどう偏見を植え付けられたかは、また別の話があるかもしれない。でも、オタク差別を煽ったものとして、「漫画」「インターネット」「オタク自身」という声を、この話でオタク差別に怒っている人の口から出てくるのを見ないのだ。
ここで挙げたのは、知る人ぞ知るみたいなのじゃなく、だれもが知る有名漫画、リドミで上位常連の大手サイト、オタク文化人として今でも名前を出せば通じる、みたいなのばかりを念頭においている(まあ当時のインターネット文化がそもそも、知る人ぞ知るなものでしたけど)。みんな、俺とは違う漫画やインターネットを見ていたんだろうか。ワイドショーやバラエティばかりを見ていた「オタク」がそんなにたくさんいたんだろうか。
本当に不思議なのだ。あそこでこんなオタクへの偏見に満ちた報道があったんですよっ!というようなツイートは大量に流れてくるのに。
これが本当に、ここ数年で疑念として大きくなった末に、今回愛想がつきた一番のポイントなんだけど。
オタクが差別を受ける構造が、あったとする。それは、ネットで語られているほどは大きくないかもしれないけれど。
それで、今、オタクってなんなんですか、と。特にネット上では、強者、抑圧する側、差別を行使する側の「集団」として機能してませんか、と。
腐女子叩きは昔からあったけれど、女叩き、中韓叩き、などは当たり前のように横行している。時々流れてくる、弱者の権利をなんとかして奪ってやろう、人権思想じたいを矮小化してやろう、という意気に満ち満ちたツイッター漫画は誰によって大量RTされているのだろう。俺のところにはだいたいオタクさん経由で回ってくるんだけど。
趣味、という切り口でみても、オタク文化を愛好する人が自分たちと関係のない趣味なら平気でdisる光景というのはそんなにたぐいまれだっただろうか。インスタ蠅なるイラストが回ってきたことがある。そもそもインスタに投稿するのが趣味になっているような女性を叩くようなツイートが回ってきたことがある。鉄オタは「池沼」「ガイジ」であるなんて言い方もある(「」内は原文の表記を尊重)。ゴルフや車などを老害の趣味だとバカにしていたりもする。そうそう、スイーツ(笑)なる言い回しはいったいどこのどういう人によって流行したんだろうか。「リア充爆発しろ」というフレーズに何げなく込められた、自分と関係ない集団への軽視に、どれだけの人が気づいてたんだろか(だって「爆発しろ」だよ。あの連中、有明に15万人集まったタイミングで奴等爆発四散しねえかなーって非オタな人が言ってそれがそっちの界隈で大好評を博したら、インターネットな皆さんの間でどういう反応が起こるか考えてみたらいい)。
そんなオタクばかりじゃないというのは分かる。というか俺がこういう文章を書いてる時点で分かれ。でも、個の話じゃないのだ。集団としての性質の話である。あれだけ、全共闘や学生運動について冷笑ぶって叩く人が追いのに、そこに気づかないってどうかと思う。あとリア充爆発しろは使ってましたすいません。
それに、そういったところで、こんなふうにちゃんと抵抗して、こんなふうに批判して、中から自浄する動きを作りました、このコンテンツからは離れましたと胸を張って言える事例、どれだけあるんですかね?俺が、ノットオールオタクと言い続けたところで、結局「自分を批判の対象から外してくださいあいつらは関係ない」と逃亡する以外に何の役回りも果たせなかったから、言っているのだ。この記事は違うよなあ~こういう作風は好きじゃないなあ~こういう物言いはよくないよなあ~と個別の案件に不満ごちてみせ、自分は違うと思う、もっというなら思ってみただけで、肝心なところからは目をそらしていたんじゃないか? そう思うんである。
逆に、そこに自覚的になったんだろうな、と思える人も何人か知っている。そういう人は、結局C.R.A.C.やツイフェミのようなところに接近し、そのやり方すべてに同意はしないまでも、見解や思想に共感するようになっていく人がほとんどだ。おそらく今回「オタク差別」に怒っている人は、この人たちを敵であり、オタク仲間と認識していないと思う。
つまり、オタク文化の加害者としての側面を見ないふりするか、オタクに勘定してもらえなくなるか、二つに一つということだ。
C.R.A.C.の野間氏は個人的には大嫌いだし、たぶん単にオタクが嫌いなんだとは思う。でも今回ツイートの応酬を見ていて、残念ながら主張にそれなりに同意せざるを得なかったのは、こういう背景について理解できてしまったからだ。そこで突然くっちゃべられる「オタク差別」。真面目に反差別を考えている人にとっては(多分そこは真面目なんだと思う。この人)、筆算の横棒がミニ定規で引かれていないから×、レベルの見当違い感があったんではないか。野間氏の真意など知らないけれど。
そういえばその昔、本田透の「電波男」に感銘を受けながら読み進めていて、後半のほうで腐女子やフェミニストについてはずいぶん切り捨てたような言及の仕方なのに疑問を持ったことがあった。いや、フェミニストがオタクを差別している、という文脈で批判してるなら理解できるんだけど、そうじゃなかったから。権利意識を持つ女性自体が許せなさそうだった。その後「電波大戦」で喪女についての話題が出たとき、対談相手の竹熊氏がわりと真面目に実態について話したりしているのに、「困ったモンですね」で終えているのを見て、クジャクヤママユを盗み出した同級生を見る眼つきになったのを覚えている。だってそこで語られてる喪女、本田氏が救済しようとしてやまない喪男と違わないのに。
そのあとしばらくは新刊も買って真面目に読んでたの、それもどうよって話だけど。
10年くらい前に、俺たちの麻生なるムーブメントがあった。別に政治家を持ち上げること自体は好きにすればいいんだけど、そこでは当人が積み上げた迷言失言差別発言をすべからく許容し、批判したマスコミへの叩きが横行していた。正直、あの政治家のどこがいいのかさっぱり分からなかった。
当時はオタク系個人ニュースが全盛期。そういったサイトの管理人は、麻生氏を擁護するまとめブログエントリを紹介しては、叩かれていて困ったものですねぇ、正論なのに、というようなコメントをこぞってつけていた。オタク気質の知り合いなども、熱心に自ブログで擁護していた。
あれから10年たった今も、麻生氏は差別発言や侮蔑発言を繰り返している。あれを見ていて思うのは、この人は息を吸うようにハラスメントをする人なんだな、ということだ。それは、昔も同じだった。だから、どこがいいのかさっぱり分からなかったのだな、と腑に落ちたのだが、同時に当時持ち上げていた人たちにとっては、「だから良かった」んだろうかしら、とぼんやりと邪推してしまう。
今回オタク差別について怒っているツイッター主の中に、表現規制反対などをめぐっての発言をしばしばしているアカウントがいくつかいる。いずれもその界隈ではそれなりに大物だと思う。そして、俺のチェックしている反対派がぼんくら揃いなのかもしれないけれど、ヘイトスピーチの言論の自由を唱え、ポリコレで何も言えなくなることを憂い、自分に関係ないところでの言論の自由に興味がないかむしろ規制されることを望み、性差別についての提起が出てくるとそれについて考えるより先に提起者の揚げ足を取って袋叩きにするような人たちが勢ぞろいである。さすがに全部きれいに当てはまる人は少数だけれど。そんな反差別運動(別にあの界隈に限らず、そういう発想自体)が大嫌いな人たちが、当然のように主張しだすオタク差別批判、いったいなんなのか。ただ、差別社会の中で特権階級になりたいだけじゃないのか。
そういえば、これはある程度年配のオタクということになるけれど、昔(主に90年代くらい)のバラエティはこんなにおおらかだったのに、今はポリコレがうるさいせいでつまらなくなった、というような声が時々ある。なぜか、そういうつぶやきをしている人が「昔はオタクをバカにする表現に寛容でよかったなあ」と語っている声を聴かない。今回オタク差別が話題になって、バラエティなどでのオタクの扱われ方という話はけっこう出てきているのに、いない。どこへ行ったんだろう。
オタクと差別、という組み合わせでオタク文化っぽいものを思い返してみると、そんな案件ばかりが、思い出されてくるのだ。
反差別のために立ち上がったオタク、というのはそれなりの数知っている。そういう人はオタクかそうじゃないかを越えたところのつながりで、反差別をやっている。でも、オタク差別けしからん以外の「反差別」がオタク文化の中心的な動きとしてあったところを、見たことがない。差別を煽り、偏見を煽り、強者に諂い(自分たち以外の)弱者を嘲笑する、そんな動きならいくつも思い浮かぶのだけど。
あ、一つ思い出した。(反差別とは少し離れるかもだけど)フリーチベット、フリー東トルキスタン。
残念ながら、反中のダシ以上のものであった記憶はないけど。ああいうの、真面目なチベットや東トルキスタンにおける人権運動家に失礼だったんじゃないか。
こんな「オタク差別批判」に大真面目に同意したところで、反差別には一ミリもつながらなさそう、むしろ後退させる役割しか果たせなさそうである。メディアを通した差別はもうかなり減ってるといわれるし、それ以外のものはオタク差別というくくりより別のくくりで論じた方が有意義でより広い被害を論ずることができるようだ。となるとオタク差別なるものに拘る理由はない。
もしかしたら、こんなことは本田透の2冊目の著書におかしさを感じた時点で、たどり着かなければならなかったのかもしれないけれど。
アメリカ・EU諸国と、ロシアの2国間における、シリア内戦を巡る対立が激化している。
今更こんなことを言っても仕方がないけど、国連は役に立たない。
常任理事国が一国でも拒否権を行使すると国連は何もできないことは冷戦時代から指摘されていたけど、今になってその弊害ばかりが大きくなってきている。
アメリカ・EUとロシアは双方とも核保有国同士だけど、核を持っていても、今のような戦争寸前まで行きついてしまうということなのだろうか。
今現在の世界情勢は、1914年に起きた第一次世界大戦前夜と似た状況になってきている。
1900年代初頭の欧州では、二つの大きな軍事同盟が存在していた。
イギリス・ロシア帝国・フランスの「三国協商」と、ドイツ・オーストリアハンガリー・イタリアの「三国同盟」の2陣営。
今現在に当てはめてみると、前述の通りアメリカ・EU陣営と、ロシア陣営と見事に2陣営に分かれている(ちなみに日本はアメリカ・EU陣営)。
そして、第一次世界大戦の前段階である1900年代には、欧州各国が軍拡競争を進めていた。
現在もアメリカもEUもロシアも、そして日本も軍事予算を増やしているのはご存じの通りである。
アメリカのトランプ大統領は軍事予算を増額させているし、欧州では徴兵制を復活させる国が相次いでいる。日本は空母の配備まで始めた。
元々シリアという国のある場所は、昔は「オスマン帝国」と呼ばれていた大国の一部の地域だった。
第一次世界大戦でオスマン帝国が崩壊して、欧米に占領されて、分割されたりして・・・、色々なことがあって現在のシリアとなっている。
シリアは、欧州と中東を結ぶ街道上に位置している国家であり、あの場所が政治的に不安定になると、周辺地域全域が戦争の危機にさらされる場所なのだ。
信用されていると思えば、うれしくなると思う。
だがな。
その報告は重い…
正直動転した(今も動転している)。
だが、その理由が尋常ではない場合は、真っ正直に言わなくもいいと思う。
むしろ、言って欲しくない。
交際相手がトラブルに巻き込まれたので休みが欲しい、と部下は言った。
それも「ただ」のトラブルではない。
報告を受けた時、かなり動転してしまった。
シャレにならない内容だったため、「なぜ自分に相談する…」と思ったのも事実。
気質が子供で、コミュニケーションがうまくできない部下だ。それで周りとの軋轢を生んで、戻れないところまできつつある。
あまりの態度の悪さに、直接の上司ではラチがあかず、幾度か面談を行った事がある。
単に「気をつけろ」ではダメなので、実際の事柄を例に出して頑張ってみようと諭した。
でもまさか、こんな時に発揮されるとは…。
信用されている証拠なのかもしれないが、それにしても内容が重すぎる。
私も立ち入りたくないし部下も嫌だろう。
最近の若者は…って語ると、おっさんめ老害めって言われそうだけど。
素直すぎて、言っちゃいけないこともストレートに言ってしまうところがある。
…でも、よりにもよって、こんな重い内容を素直に言うことはなかろう。どうするんだよ、この秘密。
詳細を他言するつもりもないし、部下ともこの件の話をするつもりはない。
だが、これが遠因になって職場内でトラブルが起こった場合、どうなるかわからない。
そうなった時、部長や人事に遠因の話するのか?…その役はやりたくない。拒否したい。
…知らないって言ってもいいと思ってるよ。自分を守るには「知らなかったわ」ってシレっと言えることも大事。
トラブル起こしたら自業自得だけどさ、同情すべき部分もあるなら、それを語るのも人間にとって大事なことだと思うんだよね。
いい人でいたいわけじゃないけど、気持ちよく人生を送りたいタイプだ。
だから、そうと分かっているのに口つぐむとかできないんだよ。
相手がどんな嫌なやつでも、地獄に落ちてしまえと思っていてもそう考えてしまうのだから、貧乏くじ引くのが大好きなのかもしれない…。
長期政権を成立させるには、部下の反抗を防ぐことが大切です。どんな官僚も人間で、多くは家族を持っています。高い志も生活がかかれば保つのは困難。人事権を握れば、あなたの鶴の一声で高級官僚の人生を滅茶苦茶にできます。あなたに逆らおうとする官僚は激減します。
それでも気に入らない行動をする官僚は、見せしめに懲罰人事をすることができます。あまり不満を貯めると暴発するので、やり過ぎは禁物。空いたポストには、あなたの意のままになるイエスマンを据えましょう。
公文書はあなたの政敵に攻撃の材料を与えるだけの物です。どうしても隠せない部分以外はとにかく隠しましょう。「ない」と言えば相手はそれ以上の追及はできません。例えそれが重要な、すぐに破棄することなど考えられない文書でも、ないものはないんです。
万一文書が見つかってしまった場合は、担当省庁の不始末としましょう。
中にはどう頑張っても隠すのが困難な文書もあります。そういった文書は公開前に中身を都合よく書き換えましょう。バレなければどうということもありません。
書き換えて無難な内容になった文書を国民に見せることで、あなたを追及しようとする政敵の評価を下げることもできます。
国民の目を逸らすには、外患を大きく見せることが重要です。大国の指導者とゴルフでもして、同時に、仮想敵国に対しては厳しい対処をしていくことを大々的に報じさせましょう。落としどころを探る必要はありません。笑いながら写真に写っておけば外交はうまく行っていると誤認させることもできるでしょう。
まず、野党に票を入れた人間は自国民ではないという認識を持ちましょう。したがって、野党の意見を聞く必要はありません。あ、でも都合のいい野党は別です。野党内与党は便利なのでいっぱい使ってあげましょう。
野党がいい意見を出したときは、取り込んで自分の手柄にするのも大事です。これによって、野党には政策がないという印象を強めることもできます。
どうしても野党が言うことを聞かないときは数に物を言わせて強行採決しましょう。民主的に多数の議席を占めたあなたの党の権利です。強行採決に反抗する野党が欠席パフォーマンスをやったらチャンス! 野党は仕事をしていないと大々的に宣伝しましょう。
ネットに匿名で何を言っても、発言主が特定されることはほぼありません。あなたや閣僚が関わる組織の下部を利用したり、アルバイトを募ったりして、ネット世論を誘導しましょう。あなたに都合のいいことを言ってくれる人を徹底的に褒め倒すのも有効。うまく行けば勝手にあなたの思想を広めてくれます。
逆に、あなたに都合の悪いことを言う人は外国のスパイのレッテルを貼りましょう。もちろん、誰の指令か分からないよう匿名サイトや匿名アカウントを利用して。
何でも「伝統」と付けば、変えるのは容易ならざることであると認識付けられます。例えそれが100年にも満たない伝統だとしても、そのことを公言する必要はありません。過去の記録は曖昧で諸説あるものも多いですから、多少吹かしてもいいでしょう。
内閣の顔ぶれが変わらずとも、選挙に勝つと一時的に支持率が高くなります。ここなら勝てるというタイミングで解散総選挙に打って出るべきです。理由は適当にでっち上げましょう。どうしても思いつかない場合は「国難突破」みたいなふわっとした理由でもいいでしょう。
日教組は徹底的に潰さないといけません。少しでも日教組と関わりのある人間が質問に立ったら、とりあえず「ニッキョーソどうすんだニッキョーソ!」と野次っておきましょう。
国民が政治に与える一番大きな影響は投票ですが、なるべく行使させてはいけません。投票なんて無駄、面倒だという空気を作りましょう。無党派層が投票をボイコットしたらしめたもの、組織票で議席を取ることができます。
国民の権利は投票行動だけではありません。情報公開請求、デモ、井戸端政談だって政治を動かす原動力の一つです。こうした行為をすることを「ダサい」と国民に認識させましょう。極端な思想の持ち主を大きく取り上げて「政治の話をする奴は碌でもない」という空気を作り上げるのが大切です。
国民一人ひとりの政治に対する興味が低くなれば、より世論を誘導しやすくなります。
反政府メディアはその取材力をあなたの揚げ足取りに傾けてきます。そういうメディアにはフェイクのレッテルを貼りましょう。メディアならどこも飛ばしを書いています。そういった不祥事を利用して、信用ならないメディアだと印象づけましょう。
メディア不信に陥った国民は、あなたが仕掛けた政権側ネットメディアを愛読するようになるでしょう。
万一あなたの工作が発覚した場合は、徹底的に逃げを打ちましょう。大々的な調査は絶対にさせてはいけません。自分で調査すると言いながら時間を稼ぎましょう。
不正の実行犯はあなたではありませんから、尻尾切りも考える必要があるでしょう。尻尾を切る位置は気をつけなければいけません。切りすぎればあなたも危険に晒されます。長く残っていればまた掴まれてしまいます。
後は時間との勝負です。とにかくしがみつくしかありません。うまく行けば何か有事があって有耶無耶にできるかもしれません。祈りましょう。