なんかまだコメント欄で議論が続いていいるようなのでコメントを。
https://togetter.com/li/1227347
個人の権利を重視する立場と、行使される権利の総量を重視する立場の対立に見える。
交通で例えると、自家用車を所有している人が都心などの混雑が予想される場所に車で出かけることに対して、個人の権利を重視する立場からそのような行為を規制する法律はないなどと擁護する立場と、渋滞することが予想されるのだから公共交通機関を使うことを勧める立場。
当初、2次創作であった漫画を1次創作に変更して商業出版することも別にそのこと自体はとがめられることではない。でも、名前だけ変えればいいんだという認識が広まってしまうと、ファン活動とは言い難い2次創作が広がって、権利元が態度を変えるかもしれない。だから、一旦、2次創作として出した以上は商業出版にするべきではない。
こういう、総量が問題になる件に対処するのに、法律とか権利とかルールって、あまり役に立たない。権利元が、年間に数冊くらいなら2次創作ベースの商業出版があっても許容範囲だと思っていたとして、それを具体的なルールとして文章にすることができない。2次→商業をOKですと明文化してしまうと出版数を制限することができず、2次→商業をNGですと明文化すると年間数冊なら許容範囲なのに過剰な規制になってしまう。
結果、空気を読むとか、ファン活動の矜持とか、学級会みたいな話になる。今回のこの本については、かなり著作権的に白いから、商業出版しても大丈夫なんじゃないかなとは思うけれど、2次から商業に移すことを一律自粛するのも、安全運転に徹するという意味でありうる立場ではある。
モヤモヤするなどといった、個人的な悪感情をTwitterに投稿すること自体、汚い言葉を使わずに抑制的に行えば別にとがめられることではない。でも、その不満の感情がたくさん集まって、作者の目に触れる規模にまで増えると困るから自重しておいたほうがいい。といった風に、総量規制を主張している点か。
擁護している側の一部が「お気持ちお気持ち」と馬鹿にしている本件だが、それこそお気持ちをないがしろにしてしまってはよくない作風の漫画ではないのだろうか。 作品のイメージ...