はてなキーワード: 自動車学校とは
荒れた地元から抜けだしたくて、中学受験のための勉強に明け暮れた小学生時代。(受験半年前に父がリストラにあい、経済的な余裕がなくなり公立中へ進むことになる。
それをきっかけに家庭は崩壊、母は父に「毎日ハローワークに行け」などと言い、母方の祖母は「死んで償え」と父を執拗に責めた。もう既に亡くなっていた父方の祖母の遺影を蹴っ飛ばし、何度も父の前で踏んづけて見せた。その後父は母方の祖母のお望み通り、自殺した。)
吹奏楽部に入り、夏休みのコンクール前には朝から晩まで練習、それでも力及ばず銀賞(吹奏楽コンクールにおける銀賞は全然上手くないことを意味する)だった中学時代。
部活引退後猛勉強をして偏差値60くらいの第一志望の高校に合格。両親共に偏差値40くらいの学校に通っていたので個人的には上出来だと思っている。
ギリギリで合格したこともあり、結構頑張って勉強しても全然平均点に届かない。
部活に力を入れている学校だったので、頻繁にクラスメイトが全国大会のために授業を休んでいた。
自分は自分なりに頑張っているつもりだったが、「全国大会出場」という大きな功績を残せないことが悔しかった。
大学受験はセンター試験で大失敗したので大幅に受験校を変更することになってしまったが、受験した学校は全部受かった。
父が亡くなったときの保険金で、無事大学に進学できることになった。
もちろん授業はちゃんと出ながらだけど、高校時代の悔しさを晴らすべくサークル活動に打ち込んだ。
サークル引退後はスナックでアルバイトをして100万くらい稼いで、自動車学校の費用と、学生特例で猶予してもらっていた年金の支払いに充てた。
半年くらいはスケジュールにほとんど空きがないくらい、インターンや説明会や面接の予定を入れた。
大手ばかり10社から内定が出て、その中でもいちばん人気の企業に入ることにした。
シンプルに何で私ここ入れたんだろうと思った。
圧倒的に顔採用だし、学歴フィルターもあったし、同期のほとんどは体育会系サークル出身だった。
研修が終われば関わりがなくなるしと思って泣きながら会社に行った。
1か月の研修はなんとか乗り越えた。
初日の朝から指導係に「お前は人の顔色を伺っている」という理由で泣くまで詰められ、「泣くなら帰れ」と言われた。
指導係から、一切の仕事を教えてもらえず、一日中罵倒される日々が続いた。
化粧をしないで会社に行った日があった。
疲れすぎて化粧をする気力がなかった。
家を出るときに、母に「化粧できないほど辛いってアピール?(笑)」と言われた。
辞めたかった。
30代になったら年収が1000万になるらしかったけどそんなのどうでもよくなるぐらい辞めたかった。
指導係から毎日一切仕事のことを教えてもらえず、「お前って本当に日本語が通じないよな!」と言われた日、会社の廊下で声を上げて泣いてしまった。
「人生終わったね」
会社を辞めることになりました、と母に伝えたらそう言われた。そうだと思った。特に反論はしなかった。
ハローワークの相談員に「絶対ADHDだと思う、じゃなきゃこんな無能なの説明つかないよ」と言われたので、精神科に行き、発達障害の検査を受けた。
結果は、平均よりIQは少し高いので知的障害の可能性はありません、「言語理解」「知覚推理」「ワーキングメモリー」「処理速度」も平均的でばらつきはありません、得意なことと不得意なことにやや差がありますが、発達障害とはいえないとのことだった。
次の就職先はすぐ決まった。
デザイン事務所でのデザイナー(未経験)として採用された。他県での仕事だったのでここで初めての一人暮らしが始まった。
デザインに使用するAdobeのソフトの使い方を必死で覚えた。
業界柄残業が死ぬほど多く、指導係から性的な内容の気持ち悪い手紙をもらい、社長から「雇って失敗したな」と直接言われた。
でも仕事の内容は誰かに聞けば教えてもらえたし、やりがいがあって楽しかった。
疲れて帰ってきた日は何も食べる気になれず、あばらが完全に浮き出るまで痩せた。
そういうのもあったのか、2年目のひどく暑い夏の出勤途中、倒れた。
人事から「戻っても腫れ物扱いだよ」と言われていたし、復職してちゃんと健康的な生活が送れる気がしなかったので、3か月休職して辞めた。
全く、本当に全く原因が分からない。
休職直前、誰からも何も言われてないのに涙が止まらなくなったり、背中がすごく痛くなったりした。
やっと落ち着いて働けそうなところを見つけたのに、休職してしまった。休職期限が来月に迫っているが、全く回復の見込みが無いため、退職予定である。
疲れが永遠に取れない。
頑張れなくなってしまった。
今年ではなく10年くらい前のことだし、だから何だよって話だけどとりあえず書く。
5年ほど前にようやくアスペルガー(以下ASD)グレーゾーンではとの診断が下りて、その時やった検査で空間認知力が他の能力に比べて低いという結果が出た。
前に住んでいたところが自動車学校徒歩3分でオールシーズン取りどきという立地で、周りが資金を出すという申し出があったにも関わらず私はお茶を濁しつづけてきた。
・義務教育の身体能力テストは悪くないのに体育の成績が悪い。運動神経が悪くて小学生の間だけで怪我を2回している。
・自転車でわずかな段差に車輪を取られてこけたり、車の往来の隙間を縫って通ったつもりが危うい場面が何度もあった。
・工作の授業で測ったとおりの長さに切ることができない。10×20cmの四角を切るために線を引いてもそのとおりにならない。本棚を作る課題は言わずもがな。
・部屋の片付けなどで収納ケースを買うためにどれくらいの大きさのものがいくつ要るかわからない。計測してネットで注文するということを最近覚えた。目測ができない。
・歩いていて何かにぶつかりがち。特にスーパーの通路に売れ筋商品が並んでいる箱の横を通るとき。
・とっさの出来事に驚くのがワンテンポ遅い。反射神経がよくない。
これら一個とか何個かならまだどうにかなるのかもしれないけど、すべてを持っているとどうしても自分で車両の運転をするのは危なすぎるとうすうす感じていた。大金を燃やすゴミに出すよりひどいことになるのは火を見るより明らかだった。何より誰かを自分の過失で傷つけるのは耐えられなかった。
田舎なのでどうしても車が必要なときはタクシーを使う。ASDだからといって補助も何も出ないけど、高い自動車学校の費用と税金、車両の購入、人の命に比べたらタクシーの方が私には安上がりだと思う。
某国産メーカーの車を使っているけれど、自分が自動車学校で習っていたころの教習者よりはピラーが減ったと思うよ。
いや、ピラーのカタチが変わったというべきだろうね。
前はでっかい一枚岩の部品だったけれど、今はピラーが小さいピラー二つになっていて、見えにくいところが減っていると思う。
ほかの増田も言う通り強度を考えたらなくせない部品なんだろうけれど、その辺はちょっとずつ進歩していると思う。
ただ、自動運転によりピラーじゃなくて運転手が消えるのが先なんじゃないかとも思う。
サポカー技術が進歩した、5年後、10年後の未来では死角からの接近はきっと人間が何とかするものではなく、車が何とかするものになってるよ。
CarSchool:自動車学校
大通りの脇道に横断歩道つきの信号があっても脇道の交通量は極端に少ないから
少し脇道に入ったらその反対側へ渡って元の大通りに復帰すれば結果的には横断歩道を渡ったのと同じことになる
でも道交法によれば横断歩道から数百メートル以内の場所ではその横断歩道を使わないといけないことになってるようで、これは違反行為
警察に見つかったら罰せられるかもしれない
こういう場合運転免許を取ってない人だったら情状酌量されるのだろうか
運転免許を取ってないということはふつう自動車学校にも行ってないことになる
自動車学校は明らかに道交法を知らない人に向けていることを前提に座学させている
これが道交法は免許を持ってない人だったら知らなくても不思議じゃないと公が認めているということだろう
裁判において法律を知らなかったはなんの弁解にもならないというけれど、こればっかりは情状酌量しないと筋が通らないんじゃないか
①中学1年生の4月、学校のトイレに行くことをなぜかためらい部活中に失禁。
②中学2年生の3月、自宅まであと300mの場所で脱糞。汚れたズボンを母親に見つかるまで自室の中で隠す。
③中学3年生の時、同じ女に数ヶ月おきに3回告って3回振られる。
④高校1年生の時、自分が脚本を書いた劇を全校の前で披露しドン滑りする。
⑤高校2年生の時、再び劇の脚本を書くが練習段階で滑りまくったせいで本番数日前に他の人が書いた物へと差し替えられる。「でしゃばりたかったのなら、途中で自由にしゃべる時間あげるからなんかやれよ」と言われるも、本番時固まり何もできず何もなかったことに。
⑥大学1年目の時、コミュニケーションができなさすぎて卒業に必要な英語と第2外国語の単位計16単位の内、4単位しか取れず。残り12単位は大学生活6年を通して極力他人とコミュニケーションを取らないタイプの授業を選びながらチビチビと取ることになる。
⑦大学1年目の冬、親から授業料をもらっていたにもかかわらず自動車学校を不登校になる。(※免許は数年後地元の自動車学校に入り直し取得することになる)
⑧大学2年目の夏、サークル宛に外部での発表依頼が来てメインを俺が貼ることになったものの、大失敗し、発表終了後依頼主から「もっと真面目に練習すれば?(笑)」と失笑される
⑨大学3年目の春、某資格を取るための授業料約20万円を親からもらっておきながら、この頃から大学すら不登校になりバイトも全くせず、授業料を支払う行為だけしてパーにする。
⑩大学3年目の夏、携帯を放置しアパートには鍵をかけ居留守し続け失踪騒動を起こす。アパートの中での自殺は失敗しました。
⑪大学5年目の夏、全く大学に行っておらず卒業できる状況でもないのに親に就活はしていると嘘を付き続け、「就活でそっち戻るから迎えに来て」となぜか嘘を付き、その後また漠然と自殺を試みるも、もう嘘を付き続けられないなと判断し母親に「全て嘘でした」と吐き出す。
⑫大学3年目の春時点で配属され本来であれば大学4年目の最後まで所属し卒論もその中で書くことになっていたゼミ(※結局2回くらいしか行ってない)の単位を取らないと卒業できないのでどうなっていたか大学5年目の秋に確認したところ、ゼミの単位が取れた扱いになっていた。担当教授に確認したところ「温情で単位を上げた。残りの卒業に必要な単位を取れ。卒論なんてお前に書けるわけがない。」と言われる。もちろん書きませんでした。
⑬6年間となった大学生活の中で、結局バイトは全くやらなかったし、彼女もできなかったし、童貞も卒業できなかった。
⑭就職してから3年目、さっさと処理できるような書類を溜め込み放置してしまうことが常態化しクレームが入りまくるようになり、戒告処分を受ける。
⑮現在、普通に誰でもやれそうなルーティンワークや電話をかけることやメールを返すことなどがまるで人並みにできなくなり、休職寸前に。
あー、書いたらなんかスッキリした
免許合宿を経験して、俺には絶対無理だとわかった。教習所を3日目の朝にやめた。マニュアルじゃない。オートマだ。
普段と違う環境でやったことのない機械操作を、事前練習がテキストのみでやれとか無理ゲー。
いや出来るやつがいるから無理じゃないんだろうけどなんでみんな出来るの?
しかもしくじったら人が死ぬ。あるいはケガする。乗ってるものも壊れる。交通の迷惑にもなる。キチガイ一人と遭遇するだけで学んだこと全部おじゃんになりかねない。むしろ俺がキチガイとなって他人を台無しにしかねない。あんなもんどうやって使いこなすんだ……
坂道発進もサイドブレーキ(だっけ?)を引くときに持ち手のボタンを押すのか押し込むときにボタンを押すのかまったく覚えられなかった。引くときも押すときもボタンを押せばいいと思ったが、「スイッチは引くときだけ(押すときだけ)でいいよ」と封殺され、できなくなった。
サイドブレーキに限らず、他の諸々もその場で教わった後、また別のことを聞くといつの間にか忘れてしまっていた。
一個教えられたら直前のもう一個を忘れる時点で俺は運転以前に色々なことが向いていないとわかった。
何あれ、マジで……取得資格は普通自動車免許のみ。とか底辺の人間のプロフィールでよく使われてるけどあんなもん動かせる時点で相当器用だろ。わけわかんねえ。底辺以下だよ俺。
教習中、俺は教官から怒られる内容に何も納得できなかった。ついさっき言ったんだからもう忘れるな。的なことを言われても忘れるもんは忘れる。忘れないように忘れないようにと気を配っても「忘れないようにしよう」と念じたことしか覚えていなかった。
厳しくされるのも当たり前だと思う。普通に人を殺せる乗り物を扱う資格を、二週間ちょいで取らせるのだからそりゃあ厳しくしないとダメだろう。俺が教官だとしても厳しくする。
何がダメだったんだろう。二週間という日程なのか、島根なら人いないだろうし路上教習も余裕だろうとタカをくくって関西から来たことがダメだったのか。あるいは俺の知能か、根性か、認知能力か、集中力か。
全部じゃないといいんだけど……
たぶん、あのまま通っていても一発合格は無理で……通信とか何とかいう、教習所内を通りいっぺん一人で運転する試験を二回ぐらいは落ちると思う。この時点で延泊が確定する。(というか俺は一発勝負というものが極端に苦手で、このエントリもちょいちょい書き直しているぐらいだ。)
その後、路上教習で、多分出られないだろうけど、出られたとしたらどっかしらにコスるんじゃなかろうか。修繕費取られるのかね。
その次が…高速道路教習だろうか。一発合格は無理と書いたけど、高速道路といざ自分で書いてみると改めて実感する。何発挑戦しても絶対無理だ。
高速の入り口でハンドルに突っ伏して、無理です無理ですとすすり泣きながら後ろからクラクションを鳴らされている自分の様子が想像できる。
運転中、なんだか異様に目が乾いてまばたきが増えるしあっち向けこっち向けすぐそこ見ろ遠くも見ろとかのマルチタスクをごく早いテンポで求められるのだから、そんな作業を運転中にやっていたら、俺か、他のドライバーか、あるいは両方が死ぬ。
たぶん、自動車免許を取得している人がこのエントリを目にしたら俺はとんでもないヘタレの根性なしのどんくさいアホタレに見えることだろう(ことさら、マニュアルトランスミッションだったりしたらもう、免許の代わりになんかしらの手帳を持っているように見えるんじゃなかろうか)。
先に自分を攻撃しておくが、ほぼほぼ事実であり、俺はとんでもないヘタレの根性なしのどんくさいアホタレで相違無い。
というか、そうした欠点を指摘されたところでヘタレが勇猛になったりしないし根性なしに根性が生まれたりしないしどんくさいやつが機敏にはならないしアホは賢くならない。
指摘を受けた側からしたら「そうなんですよね」に尽きる。
当然、一緒に行く友達もいなければ現地で友達もいない俺は講習外でも一人で過ごし、自習のために設けられたであろう空きコマでは迫りくる教習への恐怖でテキストはまともに頭に入らず、まともな精神状態ではなくなっていた。と思う。ホテルに帰っても風呂に入らず着替えもせず、初日の教習以降、俺は『人間』を維持できなくなっていた。なぜ出来ないのか。自分だから出来ないのか、自分なのに出来ないのか。出来ないようになってるから出来ないのか。
滞在中、夜になると親から連絡が来ていた。弱音を吐くと「そっちまで行ってやろうか?」「ホテル取って会えるようにしてやろうか?」「犬連れて行ってやろうか?」などと提案されたが、今にして思えば「そこまでしなくていい」という言葉を引き出して俺を鼓舞しようとしていたのだろうか。
だからこそ、その一環で「そんなにつらけりゃもう帰ってこい」などと言ったのだろう。
俺は真に受けた。翌朝教習所に電話をかけて退校の申し込みをした。下手にギリギリまで粘って退校を遅らせると返金額が減るので、どうせなら早いほうがいい。と自分に言い聞かせた。通った。退所した。ホテルを出た。電話を切る寸前、「手続きさえすれば他の自動車学校で続きを受けられますが、どうしますか」と尋ねられた。完全に自動車の運転を諦めた俺は「けっこうです」と、ストレスを受けているとき特有の、喉にかかる得体の知れない圧迫感をどうにかこじ開けるように、喉から声を絞り出して退校を完了させ、帰りのバスまで島根の街を徘徊して時間をつぶした。
一応挫折感や罪悪感のようなものはあった俺は引き続きグズグズになったメンタルのまま残りの時間を過ごし、カバンを置いていきそうになったり壁や柱にぶつかったり、いきなりしゃがみこんだり何もない場所に反射的に振り向いたり、何か変な動物になっていた。シャワーも着替えもしていないまま、人間もどきが松江の城下町をズルズルと這いまわるのだった。確かその頃、FGOというスマホゲーでオデュッセウスというキャラクターのピックアップガチャが開催されていたので、バス停で棒立ちしながら適当に10連ガチャを回してみた。皮肉にも最初の10連で引くことができた。
なんにも嬉しくなかった。引けなければもっと嬉しくなかっただろうし、ローリスクノーリターンのくだらないギャンブルだった。
俺はわけがわからず、つらけりゃ帰って来いと言われて、つらいから帰ったらめっちゃ怒られた。未だに理不尽だと思う。
親からは免許の取得がどれだけ一般的で誰でもできる行為かをヒステリックに説かれ、情けない。恥ずかしい。人に言えない。親戚のあの誰々さんでも取れたのに。とメタクソにキレていた。
なんでなん?と涙ながらに問い詰めてきたが、なんでか知りたいなら発達検査でも受けさせてみろ。と思う。
このエントリとは別件で、発達障害かもしれないから検査を受けたい。と相談したらお前は普通の人間だ。薬漬けにされて精神病院にうんたらかんたらと、まあそういう系の親がよくやる説諭を俺に施していた。
そうした前歴を踏まえて「なんでこんなことも出来ないんだ」と被害者ぶって聞かれても、「気になるんなら検査受けたいから幼少期の自分について、客観的に主治医に語ってくれ」と思っていた。
実際、俺が発達障害なのかはわからない。ボーダーのボーダーのボーダーなのかもしれないし、ただの甘ったれかもしれない。自分でも信じられないが、叱られている最中の俺は、気が付いたら『ノノグラム』という論理パズルのことを考えていた。ピクロスと呼べば通りがよいか。
別に脳内で特定の絵柄が出来上がる盤面を作るとか、そういう目隠し将棋みたいなカッコいいものではない。ただ単に『8と5なら14マス使うから、15マス中13マス埋まるな。』ということを、気付かないうちに脳内で考えていたのだ。それを自覚したとき、「いや、何考えてんの。お前」と脳内のパズル図式を振り切った後、「もし俺がこれで正常な発達過程を経た、ただの怠惰で親をナメているだけの健全な成人だとしたら、本当におぞましいものだな」と、心の浅いところで他人事のように嫌悪した。
ただ唯一ハッキリしているのは、俺が免許合宿をリタイアした、どうしようもない運転不適合者ということだった。
あと、ツイッターでMTとかATとかどうでもいいことで争っているのを見かけるたびに、俺より上等な人間なんだから格付けしてんなよ。と言いたい。車がどんな仕組みで走ってるかわからずに運転するなんて~とか、MTだと仕事の選択肢が~とか、やめろ。ATでもMTでもすごいから。不毛だ。俺を見て笑えばATとMTは仲良くできるだろう。
俺が教習所にほんの数日通って変われたことは、助手席に座っているときでも『あそこの角から人が飛び出して来たら?』と、運転してもいないのにビクビク脅えるようになったぐらいだ。あと、運転免許保持者を尊敬するようになった。
思ったことを乱雑に書いた、読みづらいエントリになったと思うが、そこは「こんな頭の中してるようなら運転向いてないわな」と得心していただければ……
俺は自動運転技術が一刻も早く確立することを心から祈る。それで不幸になる人間など、教習所の教官ぐらいだろう……
でも、なんやかんやで『自動運転が制御できなくなった時のためにも運転技術は必要である』みたいな理屈で教習所は生き永らえそうな気がする。
なんか、今まで乗れてたはずの自転車も乗るのが怖い気がしてきた。一生徒歩と電車で移動するしかないのかな。
【追記】創作における底辺の人間の描写のとして“資格は普通自動車免許のみ”みたいな例があるよね」と書いたのであって、決して取得資格が普通自動車免許のみの方を揶揄する意図はありません。一部で誤解を招きましたので追記しておきます。