はてなキーワード: 卒業検定とは
https://x.com/daruyanagi/status/1828686850149740900
運転免許の筆記試験で落ちるヤツは頭に柔軟性がないというか、公道にでたら「俺が正しい」「お前が間違ってる」と事故するパターンやから積極的に落としていい ( ˘ω˘ )
よく「一回でも実技やり直しになるような奴に免許与えるな」「一回でも仮免検定、卒業検定落ちたやつに免許を与えるな」っていう奴いたけど、一段階上がっている気がするな。
これで「制限速度を守ってはいけない。流れに合わせるのが正しい。10kmぐらいはオーバーするのがマナー。」「自転車は歩道を走れよ。危険だろ。」「後続がいるのに横断歩道待ちの歩行者を待つな。」みたいなこと言うんだもんな。
「免許を取得しているが家に忘れて運転した場合、無免許運転になる」みたいな細かいところをしっかり覚えていないとひっかかるひっかけ問題じゃなくて、
「原付で時速50㎞を超えて運転してはならない」みたいな本人が問いたいことを正確に言語化できていないひっかけ問題が記事中で問題になってるのにな。
もしこういうひっかけ問題に引っかかるやつも…っていうなら、逆にそいつ危ないわ。
家から徒歩10分くらいのところに通ったんだけど、すげーめんどくさくて全然行かず、結局期限ギリギリ5日前とかに卒業した
最初?2回目?の技能教習でいきなりバツがついた あまりに物覚えが悪かったから
タダでいろいろ飲み食いできる謎の制度があって、フードもドリンクも概ね大したことなかったんだが、教習所オリジナルのミックスジュースだけは美味しかった
ミキサーで手作りしているようで、ホントに美味かった そればっか飲んでた
俺は運転がかなりヒドい自覚があり、とうてい検定なんて受けらんねえよ!と思いながら臨んだのでかなり緊張していた
しかし、そんな俺を救ってくれたのが同じ車で検定を受けた同世代の女の子
先に検定を受けた彼女、発信・停止のたび身体がガックンガックン揺すぶられる驚異的なブレーキ・テクニックの持ち主で、「コレがアリなら俺も大丈夫やんけ!」という深い安堵を得た
検定後、発表までの待ち時間に少し話した 緊張しましたね、なんて談笑しつつ、よっぽど「あなたのおかげで緊張が解けて本当にありがたかった」なんて言おうかと思ったが、さすがに失礼すぎるのでやめた
でも、バカにしてるとかじゃなく本当に感謝してるんだよな たぶん順番が逆だったら立場も逆だったろう
第一段階を突破した安堵で俺は教習所をサボりまくり、1ヶ月?2ヶ月?くらい車に乗らないという暴挙をやった
さすがに超ブランクあるし、多少は慣らし運転させてくれるだろう、と思っていたが、教官はいきなり外に向かった 夜だった
そしてハンドルを渡された はじめての公道を長いブランクとともに、夜!恐ろしや
正直あまりの恐ろしさに我を失っていて、全然記憶がない 意外となんとかなったような覚えはあり、おそらく人間は窮地で本当の力を発揮する
唐○貴洋さんみたいな、卵顔でいかにも温和な感じの教官と一緒に公道を走っていた 若く紳士的な教官にはかなり好感がもてた
そんな中、かなり無理な割り込みをしてきた車が一台 すかさず教官が横からハンドルを取り、事なきを得た
今のはあぶなかったっすね、というと、「いるんですよああいう輩が、ホントに許せない……」と、これ俺がいなかったらもっと汚い言葉が出てるんだろうなと容易に想像がつく調子で教官は言った
その後もしばらく思い出し罵倒みたいなのをやっていて、人間感情に触れた思いだった
例によって俺はもうダメだ!と思っていたが、検定1のときと同じようなミラクルが起きた
同じ回の検定を受けていた同世代の男が、ザコだったのだ
MTっていうからすげえ遣い手なんだろうなと思っていたのだが、開始5分もしないうちに追い越し禁止のところでスクーターを追い抜かそうとしてブレーキを踏まれていた
「一度でも教官にブレーキを踏まれたらアウト」…おそらく、開始前に聞いたこの言葉を車内の全員が思い出していた 彼は青ざめ、教官の「最後まで行きましょう」という言葉への返事も虚ろだった
俺は彼を見て「こんなモンでいいなら俺もいけるやんけ!」と思い、危なげなくこなした
おい!ブレーキ踏まれてたヤツいるやんけ!ええんか!と思いつつ、まあええのだろうと思い、解放感を覚えながら教習所をあとにしたのだった
普通自動車免許をとりにいった。怖いくらいやさしくて褒めてくれる女性の指導員が担任だった。2ヶ月近く、ほぼ毎日学校へ通った。もう会えないけど、先生ともっと仲良くなりたかった。ふとした瞬間に思い出浮かんできて、気持ち悪い。以下、思い出。
脱輪!!!!
路上踏切にて、(踏切で一時停止して、窓いじって秒速開け閉めするのになんの意味があるんや〜〜くそ〜〜〜)って、窓開けるフリした。
先生『え!窓にクモおるの知ってたん!!?虫怖いんよね。窓開けんでくれて助かったわ〜!ほんま、ありがと〜〜〜』
(優しい)(開けんかったのバレてる)(ちゃんとやろ)
先生『こんなスピード出せたんやな〜〜安心したわ〜〜場内走ってる時は、お嬢様やったもんな〜〜めっちゃ上手くなったわ〜〜〜〜感動やわ〜〜』
(煽られてる)(このくそ)(やさしい)(うれしい〜)
運転中、何気ない会話。
先生『犬可愛い〜〜!ほらそこ、みて!可愛いなぁ!増田さんは動物飼ってる?』「飼ってな『私も〜〜!!』
『今日の先生違う人やけど、大丈夫?運転も久々やし、ごめんな〜〜』
私「うーん、大丈夫じゃない」
『しっかりせぇよ?』
(キレてる?)(やさしくない)(いつもと違ってやさしくない)(きゅん)(きゅん)
卒業できたよ〜〜〜〜!!
やったね!!!!
自動車学校の卒業検定だというのに、なんという事だろう、ぼくは寝坊してしまった。開始時刻は10時30分。9時にセットしたはずの時計は既に10時20分だった。玄関から学校まではそれほど遠くは無いけれど、送迎バスや何やらで最低40分はかかる。絶望的なのは誰が見ても明らかで、もちろん僕も、頭の中ではエンディングテーマが流れ始めていた。「諦めんなよ、どうしてそこで辞めるんだ!」どこからか声が聞こえた。僕の神、松岡修造だ。彼の暑いエールをまとめた音声を聞きながら朝から朝まで頑張って勉強し留年の危機を乗り越えて卒業した大学時代。松岡修造がいなければ今の僕は無い。ここで諦めたら、それは神への裏切り行為だ。今日という日だって、「免許持ってないとか信じられな
い。」と言われても耐えてきた仕事の合間を縫って教習を受けながら、やっと漕ぎ着けたんだ。というか再検定で5000円かかってしまう。マンションの周りはタクシーの休憩場所になっている。急いで飛び乗ればチャンスは無くはないか・・?。ここまで起きてから約1秒。僕は飛び起きて手近なズボンを履きながら財布を掴んで家を飛び出した。かーちゃんに「なんで起こしてくれないんだよ!」と八つ当たりする暇もない。頼むタクシー、そこに居てくれ!と祈りながら全力で走り降りると、そこには幸運にも1台のタクシー。僕は飛び乗り、「ハァッハァッ!○○自動車学校まで、大至急頼みます!!!!」運転手は、ただごとではないと悟ったのかすぐさま発進させた。あとはこの人の技量に懸けるしかない。祈りながら運転を見ていると、この人は大当りだった。最短かつ最適なルートを、ぶっ飛ばして送ってくれた。抜け道や路地を駆使し、驚くような速さで自動車学校へ着いたのは10時31分。まだだ、まだ間に合う。1秒でも惜しい。メーターは1000円少々だったが、僕は2000円を渡し、「釣りはとっといてください!!」とバタバタと自動車学校へ走り込み、窓口のお姉さんに「あと1分遅かったらだめでしたよ。」と言われつつも無事検定を受けて合格することが出来た。まさか自分が「大至急○○まで!」「釣りはいらねぇ!」なんてセリフを使う日が来るとは思ってもみなかったよ。この件で僕が得た教訓は、「諦めたらそこで試合終了」というのは真実だって身をもって体感したことだ。この経験は今後も僕人生の支えになってくれるはずだ。みんな免許は取れるとき取っとけよ。
2月、雪国に免許合宿に行った。仮免に合格したのちの、二段階のカリキュラムには、複数人教習というものがある。教官1人、生徒3人で路上に出て、生徒が交代で運転するというものだ。そこでTさんと出会った。Tさんはかなりの長身の細身で、イケメンと言うほど華やかな印象はないが、スラッとしてきて目を惹く容姿をしていた。一緒に合宿に申し込んだ中高時代の友達であるSちゃんと私、Tさんの3人が複数人教習の固定のメンバーだった。最初の頃はまだ軽く挨拶を交わす程度で、特に話したりすることもなかった。2回目の複数人教習のとき、若い教官だったこともあり、4人で和気藹々と話しが弾み、私たちとTさんは打ち解けた。その教習(というよりドライブに近い)では交代で運転しながら私たちは雑多に話をした。
出身地のこと、大学のこと、Tさんの就職先のこと、お互いの簡単な恋愛事情、担当の教官が先月結婚したばかりのこと。
免許合宿は大抵、友人と2人か3人で来ることが多いのだけれど、Tさんは珍しく一人で来ていた。就職前のラストチャンスと思い申し込んだと言う。
その後の複数人教習やシュミレーターの実習でも、この時の教習ほどたくさん話すということはなかったが、互いに敬語で、教習所内ですれ違った時は程よい距離感で挨拶や世間話をしたりした。
無事、最終日に卒業検定に合格し、帰りの新幹線でSちゃんと私は偶然にもTさんの後ろの座席に座った。
Tさんは大宮で降りると話していた。私たちの降車駅は東京だった。疲れていた私は乗ってすぐに新幹線の中で眠りこけていた。別れは突然だった。
大宮に着く少し手前で目を覚ました私は、Tさんが下車の準備をしているのに気が付いた。Tさんは軽く後ろを向きながら準備していたので、私が目を覚ましていたのに気付いて少し笑っていた。
間も無く大宮に着いた。お疲れ様でした、と互いに挨拶を交わし、Tさんは、二週間の合宿にしてはやたらと荷物の少ないボストンバッグ一つを持って新幹線の出口へと歩いて行った。それが最後だった。もう二度と会えないんだな、とまだ覚めきってない頭でぼんやり思った。
目を覚ましたばかりの私は、ぼやけた頭で呆然としていた。こんなにも呆気ない別れがあるのかと。急に胸を刺すような切なさと喪失感で心は埋まった。LINEは交換しなかった。後悔はしてない。交換したところで、東京に戻ったあと、ふたたび会う約束をするとも思えなかったし、この場で完結する関係なんだと感じ取っていたから。そのぐらいの距離感の関係。高校の同級生も、しばらく会ってなくてもLINEがある。連絡しようと思えばいつでも出来る。一時的にでも毎日顔を合わせていて、仲良くなった人と、これっきりのサヨナラというのは私の人生で初めてのことだった。
不意に涙が溢れそうになった。お手洗いに立ったら、ポロポロと涙が頬を伝った。自分で、自分に驚いた。身の回りの出来事で泣くなんて高校の卒業式以来だった。
座席に戻っても、涙は止まってくれなかった。Sちゃんはそんな私の様子を見て、何事かとびっくりしていたけど、しまいにはもらい泣きをしてうっすら涙を浮かべていた。私より先に目を覚ましていたSちゃんは、次の駅でTさんとはさよならなんだな、とずっと考えてたとポツリと言った。私もSちゃんはTさんとは実質1週間だけの付き合いだったが、かなりの親しみの情を抱いてたんだなと別れてから気付いた。もう少し一緒に過ごしていたら好きになっていたかもしれないな、とも。私たちがTさんについて知っているのは名前、年齢、都内に住んでいること、就職先の業種、それくらい。互いの長い人生の中で、ほんとうに、ほんの一瞬だけ交わっただけの関係。それでも、私はTさんにこれからも記憶の中にいて欲しいと願う。別れの時の切ない気持ちをふと思い出すのだろうな、とも。
全体で言うとMTが5割を超えている程度.
受験者は3人1グループに振り分けられて、一台の車を共有して遊ぶ.
教習のときには指導員だとか教官だとか呼ばれていた人間が、検定員と名前を変え、
助手席に乗る.
三人の受験者は一斉に車に乗り込み、順に運転する.
三人合わせて、教習所から教習所までのちょっとした、1時間程度のドライブである.
三人目は教習所の近くに駐車するだけで、あのろくでもない道を右折して教習所に入るところはやらないので少し楽である.
私は一人目であった.
教習所を出、細い道を左折し、大通りに出るところまでは順調であった.
検定員は、次いくつめの信号の箇所を右折ね、といったようにコースを指示する.
ああそうだ、自分が走るコースは実はその1時間前に、紙で渡される.
Googleストリートビューでシミュレーションしてたが、途中で面倒くさくて諦めた.
車線変更は自分で考えて自分でやらないといけないのであるぞ、と.
でもう、変更すべきポイントは大体決まっていて、
教習所を出て最初は右折するから右寄り車線を走らないといけない.
教習所に帰るときも右折で入るから右寄り車線を走らないといけない.
それ以外は知らない.
私のコースを大雑把に言うと、
大通りを右折して細い道を走って左折して、また左折して、適当なところで停車する.
また発進して、大通りに出たらそこを右折.
しばらく直進して駐車し、次の人と交代.
初めの右折のために、予め車線を右に変更しておきたい.
で、右が少し空いた隙を見つけて、右ウィンカーをつけたら横断歩道手前だったので慌ててウィンカーを消した.
その一回で慌ててしまった.
私ってこんなに、本番に弱かったんだろうか.
指導員に「このカチカチって音はなんなのかなー」と仰って頂き、
車線変更の為のウィンカーを消し忘れてたのに気附き、慌てて消した.
何度も落ち着けと声をもらう.
ところで検定中、検定員というのは受験者に助言を与えてはいけないらしい.
あと目立ったミス?としては、
最終的に左に寄せて駐車するのだから、と、一番左の車線を走っていたのだが、
本当は一つ右の車線を走らないといけなかった.
指導員は何度も、「路上教習で習ったことを思い出そうね」「このままでゴールにたどり着ける
のかな」と、何度も何度も言うので、頭を抱えた.
実を言うと路上教習でそのコースは一度も走ったことがないのだが、
指導員は恐らく、一度は走ったことがあるだろう、その時にこの左折専用レーンの存在は必ず言われたはずだ、という意味でヒントをくれていたのだと思う.
指導員が何を言いたいのか、まるで気付けず、まさかシートベルトをしてない?
もしかして先ほどの右折する箇所を間違えたか、と思って慌てて左ウィンカーを出したら、
「ここで左折してどうすんねん」と言われ慌てて消し、
そこから左専用レーンになったので
(てか実際にそうならないと分かるわけないやろ、初めて走る道なんだから)
右に変更した.
ここの車線変更だけは上手く出来た.
助手席に座る検定員が何やら紙に赤ペンでシャッシャと線を引くので、
ああ減点されてんだなあと凹んだ.
二人目の方は、なかなかの高齢の方だった.
そりゃ色んな人はいるだろうけど、高齢で普通一種AT限定を受験するってのは、なんなんだろう.
友人にこのことを話すと、免許取り消しになったとかではないだろうか、と言っていた.
そういうシステムもあるのかな.
結果的に言えば、この方は三人の中で一番上手で、
検定員はコースを指示する以外に註意らしい註意をすることもなく、
実際何も減点されるようなところが無かった.
二人目が終わると、運転席に座った二人目と、
助手席の後ろに座った三人目とが交代するために一旦下車する.
その一瞬だけ、車内は検定員と私の二人だけになる.
その時、検定員が、「検定は助言とかしちゃならんからなぁ。俺、せんかったやろ?」と仰って下すったのが印象的だった.
ところで三人目は基本的に、スピードを常にぎりぎりまで出して、
停止線にいつも急ブレーキで停まるのが (もしかしたら越えてたか) 印象的だった.
三人目は私より少し若いくらい (聞くと一つ下だと言う) の男で、
検定員と三人目だけ車を降りて、後ろで何やら二人で話していた.
運転の粗さについて註意されていたらしい.
縦列駐車または方向転換をやる.
この教習所では日によってどちらかだけを決めるらしく、
私の時は、みんな、縦列駐車ということであった.
本来、十分すぎるほど減点をされると、その後の縦列駐車はやらせてもらえないと聞いていたのに、
三人共が縦列駐車をやらせてくれたので、これはどういうことなんだろう、と思った.
ところで縦列駐車は、ただやるだけなら簡単なので良い.
「本当は、車を停止させた状態でハンドル切るのは、タイヤに良くないんだよ、検定には受かりやすいけどね」と、いつか言われたけれど、もちろん、停止させた状態でハンドルを切った.
全てが終わると、結果発表まで40分ほど、ロビーで待たされた.
二人目のおじさんと本当は話して過ごしたかったが、冷たかったので、
三人目の青年と話して過ごした.
お互いの傷を舐め合ったという表現が正しい.
検定は、全員合格していた.
恐ろしく甘い採点がなされているのだと実感した.
結局2日、延泊したため、16日間で卒業をした.
MTの人が最短16日だったので、同じ日に入校したMTの人と一緒に卒業をした.
(私も初めからMTで入校していたらどうなったろう、などと思ってしまう.)
その日に東京に帰り、お土産に持って帰った日本酒を友人と飲んで過ごした.
次の日、すっかりこの二週間の生活に慣れたおかげで6:30に目覚め、
そういえば免許の本試験はどこで受験できるのだろうと調べると、都内には三箇所しかないことを知った.
しかも受験するためにはその日の朝早くに行って手続きをしないといけないらしい.
そして平日でないとやっていない.
試しに行ってみた.
なかなかの人混みであった.
それにしても、このシーズンでは毎日このくらいの人間が何かしらの理由で免許を取ろうとしている、ということなのだろうか.
試験は、一日に2回やるらしい (午前と午後、と呼び分けされる).
合わせて300人程度だと言っていた.
学科試験の内容は、教習所でやった効果測定とほとんど同じだった.
ここで言うほとんどの意味は、8割程度は全く見たことがある問題そのまんまだったという意味.
残りの2割は文字列通りには見たことなかったけど、そんな難しい問題はなし.
途中退室が許されていたので、さっさと終わらせて退室したい.
でも私は心配性なので、最低でも一度は見なおししたい.
そうすると、2,30分はどうしても掛かってしまう.
隣の人はどうも、見直しもせずにさっさと退室していた.
この採点は一瞬らしく、適当な時間になったら教室に再集合し、結果発表がなされる.
詳細な統計情報を公開してくれるようで、この時の試験の合格率は53%だった.
その日の一つ前の試験では80何%の合格率だったので、今回低いね、などと笑った.
ひどい写真を撮られた.
もうちょっとどうにかすれば良かった.
つまり、教官が一人と生徒が2人または3人同乗し、適当なところで生徒の間で運転を交代する
自動車専用道路(バイパス)、いわゆる高速(高速自動車国道)を走る
自動車専用道路は一般と同じく法定速度60なので、何てこともなかった
60だとばんばん抜かれるし、追い越しのための車線変更では結局80程度出さないといけなかったが
車線変更をしておいて、後ろに軽い渋滞が起きていたのは申し訳なかったが、制限速度だしね
お前らが悪いだけだしね
ネットで調べると、「首都高の制限速度はいくらですか?」といった質問があったりったり、「法定速度で走ってみた」といった動画が上がったりしている
高速は意外と80制限のところがあり、
やっぱり守られない
つい流れに乗って90近く出してしまう
帰りは雪混ざりの雨が降っており、また工事中の脇だったりで70の制限がついた箇所があったりだったが、
もっとも工事中の脇に関しては1車線だったから、後ろに渋滞を作らないために仕方がなかったのかもしれないが
やっぱり頭おかしい
わざと歩行者の多い道を通って危険予測をしましょうという内容だった
教官は若くて優しく、
また生徒も男男女だったので和やかに楽しい会話が続いた
危険予測に関しては3時間あり、はじめの一時間はシミュレータを用い
(わざと歩行者が危険な横断をしたりする。人を轢くたびに笑いが起こった)
次の一時間で実際に路上を走り、最後の一時間でみんなの走りを見て話し合う
みんな安全運転だったね、みたいな会話をした
複数教習はその3つだけ
教官はなかなかのおじいちゃんで
夜から朝にかけて雪だったので
車には低水温を示す青色ランプが付いていた
この金田という白髪のおじいちゃんは、いいからいいからと、私を急かした
教習中はおじいちゃんはじいっとなんだかわからない紙を見ており、
ちょっと左により過ぎだね、といった最低限の注意をするだけだった
雑談は全くなし
今考えれば、ハンコを押し終えたのだから、もっと強くでれば良かった
左のミラー、一回も使ってなかったね
はぁ。(そんなことは無いんだが)
何を支離滅裂なことを言ってんだ君は
おじいちゃんは答えを言う前に車を降りる素振りを見せる
そんな素振りを2、3度見せてから、中央分離帯がある道路だよ!と吐き捨てて降りた
そういう性質があるからさっさと判断して速度を出せよ、というアドバイスだったのだと次の路上教習で分かり、結果的に役に立つアドバイスではあったが、
もう少しマシな教え方があるとは思ったし、私はあいつを人格破綻者だと思って疑わない
もし次に当たったら、変えてもらおうと思っている
もっとも、もう路上に出る機会もあと2つを控えているだけなので、当たらないことを祈る
停止線に止まることに二回失敗したが、最後の見極めも無事通過し (見極めでダメと言われることがあるのか知らないが) 明日の卒業検定を迎えるだけとなった