はてなキーワード: 自力とは
雨で急流にもまれて流されていく側溝のカエルを助ける方法について、同じこと小学生の頃に考えて同じように夏休みの自由研究にした。
試した材料は、シュロ、藁の束、細く裂いたスポンジなどを使って実験した。
ショボかったけど機械工作で定期的にゆっくり陸地に上がるようなものも作った。
カエルの自発的な運動に頼るべきで、その際にはどのようにするのがいいのか仮説も立てて今後の研究の余地を示した。
正確な生存率は導きだせなかったけど、カエルがいることで田畑の生態環境にどのような変化があるのかを調べた。
その時の教師に言われたことを今でも覚えてる。
「こんなの研究でもなんでもない。遊んでただけじゃない。夏休み何してたの?」ってね。
その年の自由研究の優秀作品は、女の子が描いた水彩画の「絵日記」だった。
親だって周りの親族だって「あいつはカエルが好きなんだな」程度の認識しかなかった。
カエルが流されるのを可哀そうだといっても、感受性が豊なのね程度だった。
大学生の頃に生態学の研究で同じようなことをやったら田んぼのおっさんに叱られた。
不審者なんだとさ。
世の中そんなもんですわ。
追記
みなさんが生きていく上できっと袖振り合わすこともないであろう「側溝の中の人」について紹介しておくよ!
例えば「全国小動物保護側溝研究会」とか知ってもらえればうれしく思います。
こういう側溝に落ちる動物なんかを研究しているところは結構あるので、ぜひ覗いてください。
ちなみに僕は「全国小動物保護側溝研究会」の中の人ではないので悪しからず。
さて、特定される可能性もあるからかなり端を折ったけど、小学校の研究について少し補足しておくよ。
身バレするかもだけど、そうなったら余生をひっそりと側溝で暮らします。
カエルに注目していたけれど、側溝で流されるのはカエルだけではないことが分かった。
流されてきたものを挙げれば、昆虫などが一番多く、次いでモグラなどの小動物が多かった。
側溝の15cmの水深で溺死する人もいるくらいなわけで、雨水を流す側溝はなめたらダメだ。
そして意外にカエルは途中でどうにかしてた。
落ちた動物での死亡率で言えば、モグラなどの小型哺乳類はほぼ100%に近い値で死に至っている。
カエルやヘビの類は結構自力で何とかするから案外側溝に落ちた場合の死亡率は低いというのはわかった。
(あの時、実験のために側溝に落としたヘビさん、ごめんなさい)
したがって、カエルだけを救済するような道具では生態系のレベルでみたら「ほぼ役に立たない」というのが結論だった。
小学生の頃に示した研究の余地は「モグラなどの小動物はカエルだけに着目した道具では助からない。
生態系という広い目で見た場合には側溝の構造そのものを変える必要がある(くぼみを作って水が滞留する場所を作るなど)」といった感じ。
先生は、この「ほぼ役に立たない」という結果と「側溝の構造そのものを変える必要」という提示に対して「こんなの研究じゃない」と判断したんだと思う。
思うに、結果は必ず成功したものに限った話じゃなくて失敗だって研究結果なんじゃないのかと。
こういう失敗があるからこそ、同じようにカエルを救ってやろうとした人間が、僕のような失敗例から学んで側溝がブラッシュアップされていくんじゃないのかと。
引き継ぎやってる後輩のディスプレイをマルチディスプレイにしたい、って申請したら「お前は1つで出来てんだろ?」っておかしくね?
そりゃ俺は慣れてるから出来るよ
でも後輩は俺が2、3時間で終わる作業を10時間かかってんだぞ
「お前がマルチディスプレイやったら劇的に効率変わんの?」って質問もおかしいだろ
俺が今さら画面2つにしたところで伸び白はねえけど後輩は10時間が6時間に短縮するくらいには伸び白あんだろうが
「後輩が慣れてから考える」って俺がいなくなったら業務が消化しきれないレベルでヤバい今こそ一番必要なんであって慣れた頃には後輩が自力でどうにかしとるわ
俺がいなくなんのあと3日だぞ、3日
打てる手は打っといたほうがいいと思って言ってんのにさ
文章の鬼気迫る感じからして作り話ではないでしょう。心より同情致します。
家出て風俗やってお金稼いでニートして高認取って風俗やって専門学校行って定職について、結婚して子供に恵まれてやっとワーキングマザー! 人並!!
まずエホバの証人の価値観を抜け出せることができて本当に良かったと思います。私はクリスチャンですが、これが同じキリスト教なのかと驚くことが多いです。
しかも定職に就き、結婚をして、子育てまでされているということで、大変すばらしいことだと思います。
でもね、そんな環境でも、環境を自力で変えていった人いたのよね。大学進学も自力でしたり、資格取ったり、どんどんうまく逃げていった、軽やかに羽の生えている人いるわけですよ。
でも、圧倒的なハンデあろうが、乙武さんのようになさることなせる人はなせるし、世間がうらやむ高学歴でも一歩も外に出れなくて女に目を合わせられない人いる。
その差はどこから来るんでしょうか。ほんと知りたい。。
平気で努力できる人がいる。
こうしたことに悩むのは、エホバの証人の価値観を抜け出した結果、今度はこの社会を支配する価値観(=自由競争・実力至上主義)に染まりつつあるということでしょう。
自由競争・実力至上主義というのは経済的・能力的な弱者にとっては誠に生き辛い価値観です。エホバの証人の被害者であればなおさらです。「差」というのは生まれで決まってしまう点も多く、努力で埋められるものには限界があります。
乙武さんには大変なハンデがありましたが、彼には極めて前向きなお母さまと、早稲田大学に進学するだけの学力・環境がありました。これを真似しようと思っても、周囲の人間や環境の差からくる限界が存在します。努力は一つの才能です。
自由競争が支配するこの社会で、自由競争に敗北することは生きる意味を喪失することを意味します。その行き先は自殺・絶望です。私はとくに、増田さんがエホバの証人に戻られる可能性も危惧しております。
この問題を解決するのは容易なことではありませんが、自分の中にエホバの証人でもない、自由競争・実力至上主義でもない、大きな価値観を持つことです。
私にとってこれはキリスト教でしたが、エホバの証人の被害者である増田さんに同じことを勧められるかはちょっとよく分かりません。私は自由競争にさらされていない子どもと過ごす中で自由競争・実力至上主義が必ずしも正しいものではないということに気付くことができました。
でも、小さいころから、好きなこと何にもさせてもらえなかった。
お尻のあざが消えないうちにコードで叩かれた。中学まで続いた。
学校でも部活禁止。校歌斉唱禁止。お祭り由来の学校行事禁止。輸血禁止。週末は布教。
高校生になるころには終わりが来ているから進路なんて考えなくていいって言われてた。
でも、10歳のころに、教義が変わって、来るはずの終わりが来なくていいことになった。
結婚も推奨されてなかったから、結婚先延ばししたお姉ちゃんたち全滅。仕事も推奨されてなかったから、フリーターで鬱やニート乱発。
家庭的な人ばっかりだったのにもったいなーい!
でもね、そんな環境でも、環境を自力で変えていった人いたのよね。大学進学も自力でしたり、資格取ったり、どんどんうまく逃げていった、軽やかに羽の生えている人いるわけですよ。
世界は終わるんだよ、学校で一般人の友達作ったところでその友達終わりが来たら全滅だよって教えて、生き残らなくていいやって罪悪感万歳になる宗教で、足ぬけしても廃人がいっぱいいるんだと思う。
もうね、宗教内の長老に半レイプされちゃって妊娠しちゃって、親から半殺しの目にあって親がむせび泣いて親が世間に顔向けできないって自殺未遂した環境で、相手かばう必要ないのに言えなくて、日曜日ごとにあうのに言えなくって、黙って下ろしちゃって無力感で高校中退した私、ほんと馬鹿なんですよ。
私なんてカスですよカス。家出て風俗やってお金稼いでニートして高認取って風俗やって専門学校行って定職について、結婚して子供に恵まれてやっとワーキングマザー! 人並!!
ビバ神! 人なみ!!(感涙)
税金払えてうれしい!! 社会保険にカードが作れる身分うれしい!!
と思ってたら、もう今度パワハラ上司にタゲられてドロップアウトですよ。2か所連続ってことは、なんかオーラでてるんでしょうね。あは、人なみって無理なのかな! そろそろ私も死のうかな!
でも、圧倒的なハンデあろうが、乙武さんのようになさることなせる人はなせるし、世間がうらやむ高学歴でも一歩も外に出れなくて女に目を合わせられない人いる。
その差はどこから来るんでしょうか。ほんと知りたい。。
平気で努力できる人がいる。
やっとわかってきたのね、人生の責任が本人にしか取れないっていうの、時間が容赦なく残酷に過ぎていくよってことなのね。
だってさ、高校中退してブランクがある人間と、ちゃんと進学して新卒カード切れた人と、毎日毎日睡眠時間削って何かを積み上げて努力した人と、環境がどうだろうと積み上げられなかった人、差があるにきまってる。
モチベーションなくてもモチベーションを持てたら、もっと中学の時勉強してたら。高校を辞めなかったら。ずっと継続できるものを積み上げられたら‥‥‥。
30過ぎて何を積み上げられるんだろう‥‥
どうやって積み上げていけばいいかわからない。ほんとうは勉強の仕方もわからない。無理やり暗記して資格取っただけ。
格差はたくさんあると思う。才能、容姿、メンタル、体力、若さ、ストレス耐性、継続して積み上げていく人生‥‥‥。
子育てして分かったけど、勉強習慣って2歳の本読みから始まるし、毎日ちゃんと習慣づければ子供は自分から目をキラキラさせてやりたがる。
もう格差は始まってるんだと思う。
この子たちにこの社会の中で幸せに生きてほしいけど、お母さん今泥沼になっちゃった。。どうすればいいんだろう。お母さん、ちょっと疲れた。
小さい頃から、うちにはお金がないと言われて育った。なので、物心ついた時からうちは貧乏なのだと思っていた。
実際小学生の頃、鉛筆を最後まで使うという節約のために鉛筆ホルダーを使わせられ、それを見た小学校の先生に悪いことだと怒られ、それを聞いた母が学校に「うちは貧乏だから節約してるんだ!何が悪い!」と怒鳴り込みに行き、先生が「かっこつけでつかってるのだと思いました、すみません」と謝る、などという一幕もあった。
私はマンガが好きだった。なので中学生の頃マンガの専門学校に行きたいと思いマンガ雑誌の広告にあった専門学校の宣伝を読んでみたが、入学金100万(確か)の時点で諦めた。
じゃあ普通に進学しようとし、どこの高校にしようかと両親と相談した。両親は「お前を大学に行かせることはできない、その代わり高校は私学でもいいから好きなところに行け、その分の金は貯めてある」と言ってくれた。それなら、ソコソコの成績なのでソコソコの公立進学校に行きたい、と主張した。が、大反対された。「大学に行かないんだから進学校に行く必要はない!」と。じゃあ好きなところに行けってどういうことやねんと思ったが、その進学校に行きたいのは大学に行くためではなく、単に学力的に手頃で駅から近く通学路に本屋さんがいくつもあるからだと主張したら、しぶしぶ許してもらえた。
しかし実際に入学してみると、1年生の段階で理系に進学したいか文系に進学したいかまだ決めていないかを訊かれた。その答えで2年次から進学先別にクラス分けがされるような高校だった。
うちの両親は私がそういう校風に感化されて大学に行きたいと言い出さないか警戒していた。だから常々言われた。「お前を大学に行かせることはできない、もし大学に行きたいのだったら自分の力で行け」と。私も最初は大学に行く気は無かった。
だが周りのクラスメートたちは徐々に大学に行くため予備校に通い始める。そんな中で私は思った。私だけが大学に行けないのは許せない、と。みんなは普通に大学に行けるのに、自分が大学に行けないのが悔しくてたまらなかった。だから、「自分の力で」大学に行くための算段を始めた。
まず学費の問題から私立は不可である。しかし、国立の学費も半年で30万と高すぎる。一年通ったら60万だ。60万といったら我が家の年収の約1/6であり、親には到底頼めない。奨学金も調べてみたが、そもそもが借金であること、利子なしの一種は月額5万円であることを考えると、自然と選択肢は狭まってきた。自宅から通える国立大学はあったが、通学費が半年で15万くらいかかる場所にある上学力的にも厳しい。そうして最終的には、すごく家賃の低い部屋に住み、奨学金も借り、バイトで月10万ほど稼ぐこと前提で、学費が国立大の半額になる国立夜間部を目指すことにした。
夜間と言っても国立である。自宅から通える国立大学ほどではないが、今の学力では到底届かない。そのため、一年浪人することになった。宅浪するかどうか迷ったが、自分の頭と意志の強さを信じられなかったので、予備校の月謝制講座を2コマだけ取り、バイトで月5万ほど稼いでそれを右から左へ月謝に充て、予備校と自宅でみっちり勉強した。
それでも最後の関門があった。入学金である。夜間であれども20万ちょっとは入学金として必要だったが、バイトのシフトもこれ以上入れなかった上、バイトを増やすのは勉強時間的に不安でもあった。
なので、そこは両親に頼み込んだ。1年かけて頼んだ。
最初両親は、私が本気で自力で大学に行きたいと思っているとは思わなかったらしい。とにかく反対だけされた。金は出せん、諦めろ、それだけだった。
それでも私がバイトをしながら予備校に通い夜遅くまで勉強していると、「勉強なんかするな!無駄なんだから!」と部屋に怒鳴り込んできた。
けれどもめげずに勉強し続けた。
時には不安になり、大泣きもした。これほど勉強しているのに、両親がお金を出してくれなかったら何もかも無駄になる。なぜうちにはお金がないのだろう、と。
そんな気持ちが最後には届いたのか、両親は大学に行くことを認めてくれた。入学金と部屋を借りるためのお金に関しては出してくれることになった。12月のことだった。
残りの予備校代も貯まったことだし、そこで私はバイトを辞めラストスパートに入った。
そうして無事に合格し、家賃的にも距離的にも大学に通えるレベルの部屋も無事決まり、私は大学に行けるようになった。大学に行ってみたら夜間部であっても周りがお金持ちばかりでカルチャーショックを受けたが、それはまた別の話。
そうして今思うと、両親には無理をさせたな、と思う。世帯収入300万台の家であり、5人家族で、田舎ながら一軒家のローンも背負っている。その両親にとって、予定していない出費入学金と引越し代合わせて30万強はいかほど大変だっただろう?
高校時代にしていたバイト代をお小遣いに充てず、ちゃんと学費として残しておくべきだったと後悔しきりである。
でも、それでも私は幸運だった。本当にギリギリのところで両親に助けてもらえたからだ。親との関係が本当に悪く、助けてもらえない人もいるだろう。親に本当にお金がない人もいるだろう。だから、自分一人でも頑張れば進学できる、とは主張できない。
最近ミシン買って、誰にも共感されないであろうことを思い出したので増田に書く。
担任ではなくて50代くらいの更年期まっしぐらなおばさんが家庭科を教えていた。
生徒が騒いでるとすごい剣幕で叱るような厳しい先生だったけど、
どうでもいいことでブチ切れするタイプでもあったので、
生徒からの評判は良くなかった。
その先生は「便利は悪」みたいな考え方のところがあって、
お裁縫における便利グッズのようなものは使わせてもらえなかった。
いや、正しくは使い方を教えないので、
私たちはその先生の推奨する前時代的なやり方をせざるを得なかった。
例えば、糸通し。
まぁ確かに糸くらい自力で通せたほうが良いとは思うけど、
どこかのタイミングで使い方は教えてくれても良かったんじゃないかな、とは思う。
生徒の器用さでできるできないは変わるし、
そしてミシンの返し縫い。
針を刺したままおさえを上げて、布を回して、おさえをおろして再度縫うというやり方。
布の端まで行ったら、返し縫いボタンを押しながらだと逆方向に縫ってくれるんだ。
中学校に上がって、またもミシンを使う授業があった時に気づいたんだ。
他の小学校から上がってきた子たちはみんな返し縫いボタンを器用に使いこなしていたよ。
未だに返し縫いボタンは上手く使いこなせなくて、
布を回して返し縫いをしている。
でもやっぱり新しい技術は教えておいて欲しかったな、って思うんだ。
「あんたなんでそんな面倒くさいやり方してるの」って突っ込まれたしね。
未だに布を回している人ってどれくらいいるんだろう。
やってることは昔のエロゲとおなじで、大して動かない紙芝居に、
脚本が精魂込めた思い入れ性の高いストーリーが乗ってるだけなんだけど、
カワイイ子との新しい暮らしを長く楽しめる状態はもう続かないのかなあ。
とFGOをプレイしながらおもってる
(だって作業すれば基本無料で3万字くらいのストーリー読めるんだよ)
でも本当におねがいだから、課金で作業を減らせるようにしてほしい。
作業が愛着を生む、作業が公平感を生む、作業があるのがいいゲーム。
だとしても、もうだれかが全キャラストーリー開放した状態でアカウント売ってくれないかとか夢想してる。
「そういう解釈じゃなかった場合の世界」を自力構築できる二次創作力をもっていたら自力救済、
(私の宇宙ではこうなんだ!ってスピルバーグ理論な本つくって、交流して、みんな、結構楽しんでるよね)
ただし印刷屋さん課金、イベント課金、とら課金、そして作業時間はさらに生じる・・・。
勧めてはいかんやつやねw
http://www.dangouwasa.com/entry/bookstore-excrement
「本屋に行くと便意をもよおす「青木まりこ現象」について、原因は不明」という記事が上がっていた。
わたしは「青木まりこ現象」について、以下のプロセスだろうと解釈している。
1 本好きの人が書店へ行く
2 大量の本がある
4 アセチルコリンにより便意をもよおす
これを、「1 よく映画をレンタルする人がゲオに行く」→「2 大量のDVD・ブルーレイがある」
「1 文具好きが文具店へ行く」→「2 大量の文具がある」などに置き換えても成立すると思う。
(重要かは不明だが、「自力で入手できる」かどうかはポイントになりそう。
例えば子どもがおもちゃ屋に行く場合、親にねだるしかない時と、お年玉を握りしめて行った時では、後者の場合に便意をもよおしそう。)
特に書店について、この現象が取り上げられることが多いのは、大量の本(視覚)に加えて、新刊本のインクのにおい(嗅覚)も作用するからではないだろうか。
ストレートな物言いをすると、貧困の原因は最終的には知能レベルに落ち着いてしまうのだ。
一時的な貧困を経験(そのまま息絶えるパターンも当然あるが)してしまう知能レベルが低くない人間もいるが、ある程度の知能レベルがあれば貧困は自力で解決できる問題だ。
私の身近にある貧困は本当にひどい。
自分では全く何をしようともせずに、周りの人間が努力して勝ち得た幸せを引き合いに出して、自分にも幸せになる権利があるという。
その結果、その矛先は身近な人間に向かうから親族からも忌み嫌われるのだが、何がひどいといえばその子どもたちに振りかかる不幸がひどい。
素直で親思いな娘は自らをせめて自殺未遂するし、大した教育も受けないままに金を稼いで来いと言われた息子は勤務先で何年もいいように使われた挙句、要らなくなったらあっさり首を着られる始末。
教育がろくになりたっていないので子どもたちだって表通りでは働くことさえできない。
それなのにその親はまだ子どもたちに金を持って来いと言い、子どもたちがしっかりしないから自分はいつまでたっても不幸だという呪詛を撒き散らしている。
そういう人間に限って、自分には幸せになる権利があると信じて疑わないからお金の使い方がおかしいのだ。
貧困JKの話を見たが、あれをねつ造だと考える人は身近に現代社会における本当の貧困の闇を抱えた人間がいないのだろう。
彼らは貧困じゃないから高い買い物や高級なランチを食べるわけではない。
逆だ。高い買い物をしてしまったり高級なランチを食べてしまうから貧困なのだ。
その実、生活のバランスが崩壊しているので、かたや例えばガスが止まっていることを厭わなかったり、例えば下着を半月くらいなら平気で着続けていたりするのだ。
なぜならそういう贅沢を当然の権利だと信じて疑わないし、むしろ普段の生活に比べればそれをご褒美くらいに思っているのだろう。
一般的な生活水準を満たすことより先に、自らが叶えたいことからお金を使ってしまう、いわば現代特有の貧困がそこにあるといっていいだろう。
はじめに知能レベルという言い方をしたのはつまりそういうことであり、彼らには正しい物事の判断が不可能なのだ。
正しい手順で物事を解決できるということが理解できず、他人は他人と割りきれず、自らの欲求を制御することもできず、借金や世の中の闇に手を染めることに対しても警戒心が欠如している。
問題は、そういう人間からも搾取できてしまう世の中の仕組みにある。
現金主義の時は借りられる金額も限りがあったが、今はそれこそ切り売りできないものがないような世の中だ。
貧困JKは誰でも幸せになれる権利があるなどという幻想を見させておいて、その実搾取される側でしか生きていけない人間がいるという世の中に生じた歪が生み出した不幸だ。
昔のように冬を越せなかった貧困は姿を変え、死ぬ間際まで騙されていることに気付かずに周囲を巻き込みながら搾取され続ける貧困が始まっているのだ。
未来に向けて正しい努力をすれば、日本で貧困になる事はまずない。
昔は市や県で一番の成績でも進学を諦めざるを得なかった苦学生が居た。今はそこまで出来るなら生活費付きの奨学金が出る。
県や市でトップまで行かずとも、普通の人よりちょっと能力が有る人は、普通の仕事をして貧困層から抜け出せるようになった。
今、貧困層から抜け出せない成人は、一般人が救う価値を見いだせない人だ。
怠惰で能力が無く、不細工で自制心が無く、約束を守らない嘘つきで、人脈も人的資産も無く、お金はもちろん持ってない。
そんな親に育てられた子供も9割方は同じ道をたどる。
誰もが救済を納得する貧困層はもう居ない。そんな人は自力で上がれるシステムが整っている。
次に行うのは、普通より劣った能力や意思しか持てない、それでも生きている人間を救う事。
しかし我々は、そのような「劣った人間」に金を分け与える事を良しとするだろうか?
正直に言えば、放置したい気持ちが有る。が、貧困層は生きている。
自分の安全の為に、彼らに生活の糧を分け与える。それと同時に、なるべく多くの人を中間層に引き上げて、世の中を過ごしやすくしたい。
もちろん、出来る範囲でね。
結構人通りのある公園を通っていたとき、ある高齢の夫婦らしき二人を見ました。
そのうちご婦人の方は相当足腰が弱っているらしく、芝生に座っていた体を立ち上げることができず夫の人の方につかまりながら必死に体を動かしていました。
明らかに自力では立ち上がれず、付き添っている夫の老人の方を借りても立ち上がることができないらしいのに、その脇をたくさんの人が素通りしているのを見てなんだろうなという気になりました。
声をかけると慣れたふうに「いきますよ、1、2、3」という声をかけて体を持ち上げていたのでおそらく他で介護を受けているのではないかと思います。
電車で席を譲るとかはタイミングがあるのかもしれませんけど、こういう明らかに立てなくて困っている人に対して手助けしない人ってどういう気持なんでしょうか。
騙された。
見事に駄作を掴まされた……。
いや待て途中まではそこまでつまらなくはなかった。
少なくとも最初の章が終わるまではそこそこだった。
あとお屋敷に行ってからもベア子とか可愛かったしまあそこまで悪くなかった。
特に前々から18話がすごいぞーと言われてたから期待してたのにこの18話が今まで一番つまらなかった。
というか俺がリゼロに対して微妙だと感じていたものがつまっていた。
勘違いしていきってる主人公が僕頑張ったんですよーしてヨチヨチいい子でちゅねされるシーンをひたすら長回しで見せられているのは本当にキツい。
自分にもこんな時期があったなあと思うのも辛いし俺の時は慰めてくれる奴もいなかったしプラス方面の結果が出ることなんてなかったのを思い出すのもココロが苦しい、
常に悪い方へ転がっていき転がった先で擦り剥けた心を繋ぎ合わせて自力でトボトボ立ち上がって、遠巻きに俺から距離を取っていた少し数の減った仲間の所へとなんとか帰っていくだけの黒歴史。
だがこのクサレエセヤンキーは何だ。
こいつはあの頃の俺よりもずっとクズな勘違い野郎で口に出したら全部終わっちまうような言葉も平気で言うような腐れKYの居ないほうが良いぐらいの奴なのに次々と仲間を増やして求愛までされて本当にふざけてやがる。
なんでこんな奴が俺よりも救われなきゃならない。
そしてそんな話をひたすら聞かされてるだけの20分を過ごさなきゃならん。
せめて台詞の出来ぐらいは小説として読めるレベルにしろアニメとして聞けるレベルに縮めろ。
与太話惚気話の裏に浮かぶ回想シーンの味気無さはなんだ少しは見ている側の感受性に訴えかけろただの垂れ流しじゃないか。
俺がリゼロのここが駄目だと思っている要素こそがこの作品が好きな連中や作っている連中の一押しだった事それ自体すらも不愉快だ。
いつか面白くなってベクトルがマシな方に向かうと思っていたらこれから俺の感性にとっては次々とマイナスの方向へ向いていくと宣言されたようなもんだ。
こんな事ならもっと早く切っておくんだった。
せめて3話前に切るべきだったのかも知れない。
つまらねーと思いながらも少しは面白いシーンがあるから苦手なシーンも我慢して急展開を迎えるらしい18話を待とうなんて考えるべきじゃなかった。
いやでもこれでスッキリしたとも言える。
自分が駄目だと思った所が作品の売りだと分かったのならもう切るしか無い。
勘違い野郎がヤンキーぶって甘やかされる事がこの作品のテーマなのは薄々分かっていたがその水面下で別の骨太なテーマが組み立てられている可能性なんて考えるべきじゃなかったのだろうか。
いや考えてしまっていた以上は仕方ない。
その可能性を裏切れなかった自分がここまで見てきたのも仕方ないんだ。
割り切ろう。
俺が自分の好き嫌いを知るための機会だったと思うことにしよう。
あばよリゼロ。
あと18話から超面白くなるからと言ってたクソ共、お前らが自分達だけで楽しめるだけの作品と万人が楽しめる作品の区別はできるようになれよ。
そんじゃーな異世界。
scipyとnumpyを自力で挫折せずに導入できる人しか使えないし出来ない人のサポートしたくないしVim 8.0に合わせるから今は公開する予定はないよ
都道府県知事が、自らの病識のない精神疾患を発症し、不適切が疑われる専決処分等を頻発するようになったらどうなるかという架空の想定につき思考実験をしてみる。
なお、あくまでメモなので、根拠条文等は記さない。後述の指定に従って使ってみようかな、という人は、自力でしらべるように。つかこの記事自体間違ってるかもよ?
ではまず、前提として、病識のない精神疾患の治療にあたっては、当該患者の人権に対する制限は最小限度にとどめられなければならないことは言うまでもないであろう。「四の五の言わせず座敷牢へぶちこめ」的な乱暴な意見には、筆者は断固反対する。
しかし、都道府県知事の職責は重大、かつ職権も非常に強いことから、専門医および一般人の殆どがその発症を疑うような状況下であれば、既に地方行政は混迷著しい状態におかれているであろう。かかる事態においては、当該患者から知事の職責を剥奪することもやむを得まい。本人の精神衛生においても恐らく負荷軽減の必要があるケースが多いのではないか。
さて、この場合、まず、「都道府県知事に事故がある場合」として、副知事等がその職務を代理することが考えられる。(副知事が存在しない場合も考えられるので、「等」としておく。)
疾患であるのだから、その認定は医師(専門医)によるべきであろう。
ところが、患者本人が同意しなければ、そもそも専門医の診断を受けることはできない。
例外的に、自傷他害のおそれがある場合(不適切な公権力の行使を間接的な「他害」と呼びうるかについては不知)であれば措置診察が可能であり、その結果措置入院が必要ならそうすることになるであろうが、自傷他害のおそれがない場合には措置診察に付するわけにもいくまい。
あるいは、他の疾病に罹患し入院治療を必要としているにもかかわらず、本人が(精神疾患に由来する愁訴を前提として)診察は受けるが入院を拒むといった場合においては、精神保健指定医の同席による医療保護入院が可能であろう(さすがに家族等も同意するであろうし)。入院は「事故あるとき」であろうから、精神疾患であると否とにかかわらず、副知事等が議会と一体になって粛々と不信任手続を進めればよい。
ただし、あくまで医療保護入院は必要な期間に限られるから、当該他の疾病によっては時間との戦いになる。
しかし、そうした特殊な事態でもなければ、本人の同意を経ずして確定診断名を出す(しかも、本人の同意なくその診断結果を公表しなければならない!守秘義務!)というのはほぼ絶望的である。
「成年被後見人の申立ではどうか」…残念ではあるが、それでどのような結果が出ようが、直接に知事の職位に影響はない。わが国では成年被後見人であるか否かに関わらず被選挙権が認められている以上、公職選挙法に基づく自動的な失職はないし、形式的には後見人の権限は財産に関することに限定されているはずである。もっとも、判断能力を欠く常況にあると家裁が認めた人物の名において下される行政処分に対しては、不利益を被る側から当然山のように異議申立てがなされることとなろうが、これとても知事の失職には足りない。
結局、地方自治法の本則に立ち戻って、リコールか議会による不信任決議、とならざるを得ないであろう。
では、リコールだが、こちらは地域事情もあるためなんとも言えない。
鳥取県と東京都では集めるべき署名の数に差がありすぎるし、署名の有効性確認のための事務手続に至ってはもうなんというか。
とくれば、議会による不信任だが、この場合、患者たる知事が黙っているだろうか?仮に地方公共団体の吏員が、「対抗する方法はないものか」と問われたら、職務に忠実に「議会解散という方法があります」と言わざるを得まい。ということで、議会は刺し違える覚悟で不信任を突きつける格好になる。
ところが、議会解散に伴う選挙だからといって、解散前と同一人物が再選されるとは限らない。その辺はフツーの地方議員選挙である。とくれば、前回薄氷を踏んだような議員は、正直いって議会解散には及び腰にならざるを得ないだろう。その中であえて知事の首に鈴をつける議員(団)がいるか?という話であろう。
…結局、住民の圧力に耐えかねた議会が不信任を突きつける(それもそうとう及び腰で)しかない気がするが、その間に失われるヒト・モノ・カネ・労働力・行政への信頼たるや…
考えたくない。
#本記事は、フィクションのネタ、または学術論文のネタとしての使用は自由です。但し、直接リンクはご勘弁ください…。また、上記目的以外の目的での利活用は禁止します。引用に名を借りた部分的/全面的転載も禁止しますので、
新卒(?)からか、あるいは、社会人経験があまりない状態で、やむにやまれない事情からIT系のフリーランサーになってしまった人を見ていて思う事がある。
もうね、普通に会話してても、発言から何からヤヴァイのよ。当人、仕事できる(といっても、発注側からの発注された範囲の仕事しかしてないんだけどね...)と目を輝かせてアピるんだけど、やることなすこと社会人の感覚からの乖離が悪い意味ですごいわ、指示待ち君から脱却できてないわ、社員が当たり前に書ける資料とかが全く書けないわ、議論も意識も目線もひくすぎてがっかりだわで、せっかくの請け負った仕事がほぼパーフェクトにこなせるという魅力が全部帳消しになってる気がします。こりゃどうみても、「君、出来るから社員にならない?」とは絶対に思えず、「どうやってこのままダメになるまで安く使い倒そうかな?便利だし」としか見ることができないのよ。悪いことはいわないから、自分とこ以外の(笑)大手企業にとっとと正社員で就職して、サラリーマンの処世術(というか文化と生態とロジック)を覚えてから、フリーなり社会人になってくれぇと強く思った次第。
フリーの良い所は、自分で人脈増やして、より良い条件か内容の仕事を取ってきてやりこなせるという自由がある点。なのに、どういうわけかこの自由をろくに行使せず、大して旨味も儲かりもしない仕事に嬉しそうにいつまでもダラダラぶら下がり、しかも次につなげる動き(営業)を全くしてない人がこうも沢山いるのか不思議でしょうがない。さらにわけわからんのは、フリーへの仕事の紹介会社みたいなところを経由してしか仕事してない人が意外と多いということ。もうね、どうみても、当人ダメになるまで中抜きされつづけるでしょ?そんな契約形態。しかもそれって派遣やら契約社員よりも、いろいろな条件も将来の展望も悪いよ?もちろん、一時的な腰掛けにそういった紹介会社使うなら話もわかるのだが、何故かそこにぶら下がり続ける気マンマンというのが、もうね、搾取される側に自ら堕ちていく感じ満載なのよ。彼らに共通しているのは「いつか、良い生活を」と言ってるんだけど、時間が経てば経つほど益々状況が悪くなる上に、自ら急いで獲りにいかなきゃ絶対いまの状況から脱出できないというのがどうもわかってないらしい。1年経つごとに状況悪くなる一方なのに、何故それがわからず将来のない仕事ばかり請け負うのか?が全く不思議。
フリーってのは事業主なの。スキルアップが収入に直結、もしくは、継続可能なビジネスに発展しなきゃやる意味ないの。スキル=収入になるのは若い間だけで、30過ぎたら別の武器か別の強力な金儲けの仕組みを自分で持ってないと、発注元は別の安い若い子に、すぐ発注を切り替えちゃうわけ。基本的に発注元はフリーランスを単に安く使い潰す気マンマンなんだから。ちなみに、長年やってベテランでなければ務まらないような仕事は、残念だけど、フリーランスに任せるのじゃなくて、全部正社員が死ぬ気で奪っていくの。正社員は年取ると辞めるリスク少ないし、正社員も必死で自分の立場を作る生物だから、発注元の正社員の動きとして当然でしょ?しかも、長年正社員やっている人は社内政治も長けているから、本人の技術スキル以前に、社内政治力で仕事奪っていくので、フリーランスは正直勝負にならないの。だからとっとと正社員になるか、それとも自力で金儲けのサイクルをどう作るかを考えてとっとと実行したほうが良いよ?
つまずく度に立ち上がっては,なんとか取り繕ってきたのですが,それももう難しそうです.
集団行動に慣れず,クラスに馴染めず,六年間いじめられていました.
そこで,地元の中学には行くまいと,多感な時期のあらゆる全ての時間を「お勉強」に費やし,中学受験をし,そこそこの学校に受かることができました.
無論,そんな私が中学に入れば変われるはずもなく,それどころか中高と,より陰湿ないじめにあいました.
そこでも私は「お勉強」という道で,つまずいたところから立ち上がり,青春の全ての時間を費やし,そこそこ良い大学に入りました.
今思えば,人より時間があった分,少しだけ「お勉強」ができてしまったというのも,私の人生をこじらせている一因だと思います.
大学での勉強はそれなりに楽しかったし,生活環境も不自由がありませんでした.
しかし,ここでもやはりつまずいた理由は,人間関係やコミュニケーションにありました.
ここで人間不信になるような出来事に幾度か見舞われ,以降より一層,まともにコミュニケーションが取れなくなりました.
鬱になってから1年ほど,家に引きこもっていましたが,ここでもまた立ち上がって,自力で鬱状態から回復しました.
(改善が見られたのは,精神科に処方された薬をやめてからのことでした.)
大学院に入ってからは,やはりそれなりに楽しく過ごし,一定の成果を残すこともできました.
しかし,今度は「就活」という高い壁が待ち受けていました.ここでももちろん全社全滅するわけですが...
「適切にコミュニケーションができない.」
特にこの一点で,私は世の中から必要とされず,消えたほうが良い人間です.
私のせいで,不快な思いをした人達も,言外にそう言っていました.
しかし,不快な思いをした人達,そうでない人達のなかにも,家族など,私に今のままでいて良いんだよと言ってくれる人がいます.
そのことが余計に辛くもあります.
「お前はアスペルガーだから」と親に笑って言われた時,表面上では冗談っぽく笑って返していたけれど,本当はすごくショックでした.
しかし,普通の人が普通にこなしていることが,こうも上手く行かないと,親に言われたことはある種事実だろうと思わざるを得ません.
普通の人と自分の感覚がずれているせいで,普通の人の地雷を全力で踏み抜き,逆に普通の人は私の地雷をやすやすと踏んで,何故そんなことで落ち込むのか,訳がわからないといった顔をして,,
今度はどうやって立ち上がるか..