はてなキーワード: 脆弱とは
「無敵の人」って言う言い方が、なんかこー、特異で異能な個人がこの社会の中に存在してて、彼らが特殊で(社会的には決して褒められない)高い戦闘能力をもってるみたいなニュアンスで、問題を矮小化してる気がしてしょうがない。だから彼ら個人を断罪したりパージすれば問題解決するんですよーみたいな。
問題の中心はどっちかっていうと、被害者側におきたその瞬間にあらわれていて、「彼がトイレでナイフを突き刺されたとき、警察も裁判所も良識も法律も(つまりはひっくるめて秩序が)被害者を1mmも守ってくれなかった」って、まさにそこがポイントでしょ。
つまりは無敵の人が強いわけじゃなくて、俺達が今まで強力で安定していると信じてきた、社会秩序みたいなものは、参加者の合意で形成された実はペラッペラの脆弱なものだった――こっちのほうが本質でしょ。
秩序ってのは要するにオセロだの将棋だののルールに過ぎなくて、目の前に座った相手がそのゲームの対戦に同意している保証はまったくなくて、こっちが王手を指したら相手はボクシンググローブをはめたとかそういうのが現代社会では起きうるよって話でしょ。それは秩序というものの本質(相手の合意を必要とする)に関わる問題で、解決もできなければ正解もない(無敵の人は別のゲームの参加者であって悪ではない)のが論点なわけで。
それがはてな
「音楽に政治を持ち込むな」といってたネトウヨそっくりですよ。
フジロックSEALDs問題の2年前の自分のブクマコメント読み返してください。ダブスタになってませんか?
若者は「SEALDsもHINOMARUもUSAも好きにすればいいんじゃね」ですよ。これがあるべきリベラルですよ。
<追記>
排外主義者になってしまう程度には日本人の良心は脆弱ではないかと過去の歴史に照らして思う』
こんなロジックで「日本死ね」を称揚し「日本好き」と言うのは叩いてるんすか笑
こんなパターナリズムと言論弾圧と自分の思想派閥のみを称揚する態度は
左派思想が天安門虐殺や反日テロにつながったから、左派思想のSEALDsの活動を妨害するネトウヨと全く同じ
「音楽に右翼思想を持ち出すな」って、君らが左派だからでしょ、だからネトウヨと一緒だよ。
まあ愛国歌を歌うと謝罪させられるなら本当のロックは愛国歌を歌うことだろうね、大いに弾圧してくれよ笑。
HINOMARUでググると若い音楽好きのyoutuberの反応面白かったんで、おっさんたちは見てみてね、これが若者の感覚なんで。
https://www.youtube.com/watch?v=045MAqlS82w
https://www.youtube.com/watch?v=wdJegw02VjI
はてなのコメント読んでいると、ほんとに、やばいなー。俺は「日本死ね」を「自分の愛国心への攻撃と受け取」ってないよ笑
だって、俺は「日本死ね」もOK,「日本好き」もOKっていうリベラルだよ笑。
「SEALDsもHINOMARUもUSAも好きにすればいいんじゃね」って書いてるじゃん、こんな短い文なのに読めてないんだよね。
言ってることは間違ってないんだけど、たぶん語っている場所が違うんだと思う。
セイバーの政治は今で言う民主主義だし、焚書坑儒やキリシタンの迫害などに見られるように、専制君主的な中世の政治体系から見ればむしろ邪魔な思想。
だから民草のための政治を唱えたセイバーのあり方はたしかに正しい。
だけど、イスカンダルもギルガメシュも衆愚政治の弱点についてしっかり語っていたように、現代の民主主義もその脆弱さを見せているじゃない。
当時は武力行使こそが征服の象徴であったけど、現代的な資本主義の闘争によって行われるものに置き換えて考えるとすれば
いわばそれは現代におけるスティーブ・ジョブスやビル・ゲイツ、あるいは孫正義、松下幸之助のようなものであったとも言えないか。
たぶんイスカンダルもギルガメシュも、当時であるからこその武力闘争を行っただけで、現代の資本主義のルールの中での闘争であればきちんとそのルールに則って征服すると思うよ。
そういう意味で、思想や思考の根本的な欠陥に対する明確な指摘をセイバーに示してみせたイスカンダルに、たしかに覇道たる王の生き様(というより帝王学だよね)を見たと思うよ。
もちろん、孫正義もジョブスもゲイツも、現代の一般人にとっちゃ雲の上の人で、興味のない人にとっては「なんのこっちゃ」だけどね。
・天竜人は権力者だが、天竜人そのものに何かしら所以があるわけでもなく特別な力があるような描写は無い
・寧ろワンピース世界においても一般人よりも脆弱な存在であるようにも見える
・権力者であるがノブレス・オブリージュ的な精神的な気高さというものはなく、生まれが天竜人であったというだけで自分は権力があるようにふるまう
これらのことから、「天竜人は後付で権力を付与された、本来は特別でもなんでもない人人」って推測はつくわけだが、「むしろ弱そう」ってところから
物語上「弱い故に保護されうる立場だった」から派生して「保護される立場だったものが無謬の権力を得るようになった」ような設定があるように見えて、
そうすると日本で「アンタッチャブル」な属性の人人ってーと千代田区に住んでるあの人らと在日的な人だよなーって分かるわけだ。
天竜人は結構な数いるし千代田区に住んでる人は高貴な振る舞いというのを身に着けているしで、おそらく、な。
ヤクザものでも割とよく出てくるだろ。在日っていう立場を利用してフィクサーの立場にまで上り詰める『朴さん』みたいな人が。それ。
はだしのゲンで言えば朴さんだし、日本沈没で言えば「渡老人」だし、ガンダムUCで言えば「サイアム・ビスト」。
明言はしないだろうけどそういう人物設定になってると思うぜ…
当方、体調を崩している関係もあってセブンイレブンのセブンミール「1食で野菜120gが摂れるお惣菜(https://7-11net.omni7.jp/fair/yasai120g)」に毎日お世話になっている。沢山の野菜が摂れるように配慮してくれているだけでなく、個人的には塩分制限にこだわってくれているところがありがたい。
これを利用するため頻繁にウェブサイトから注文を行うのだが、これがもう絶望的に使いにくい。
栄養面に配慮した食事を提供してくれており、商品面では大変に素晴らしいと思う。しかし、その注文及び受取の段階において大変にストレスを感じている。鈴木氏の失脚と利用低迷により、セブンアンドアイではもはや「オムニ7」のサービスに対して冷ややかな姿勢であるとのニュースを見た記憶があるが、使い勝手を改善してくれればきっとより活用されるサービスになると思う。改善を切望する。
キャラ名 | 必殺技の台詞 | 必殺技を決めた後の台詞 |
---|---|---|
ヴァルキリー | その身に刻め 神技「ニーベルン・ヴァレスティ」 | 貴様に救いの道などない |
アリューゼ | てめえの顔も見飽きたぜ 奥義「ファイナリティ・ブラスト」 | わりと楽しかったぜ |
ジェラード | 我焦がれ、誘うは焦熱への儀式、其に捧げるは炎帝の抱擁「イフリートキャレス」 | これは神罰じゃ |
ベリナス | 心の痛みを知らぬ者め奥義「ボイドエクストリーム」 | 神の裁きを受けよ |
ラウリィ | 神の名のもとに 奥義「レイヤーストーム」 | やったぞ、あはは |
ロウファ | この一撃で全てを断つ奥義「ジャストストリーム」 | 僕は自分で道を切り開いて見せる |
ジェイクリーナス | これが俺の最強の技だ 奥義「ギルティブレイク」 | 別れの言葉でも言っておこう |
那々美(ナナミ) | 奉霊の時来たりて此へ集う、鴆の眷族幾千が放つ漆黒の炎「カラミティブラスト」 | 那由他の果てにお還りなさい |
洵(ジュン) | 無限の剣閃、貴様に見えるか 神宮流剣技「千光刃」 | 浄化など生易しいことは言わない、消えろ |
カシェル | ここは俺が決めるぜ 奥義「ファンネリアブレード」 | はっははー、こりゃあご機嫌だぜ |
夢瑠(ユメル) | 汝は知るだろう、幾何なりし封縛が如何なる訃音を告げるものか「デルタストライク」 | 魔物さん、穴があったら入りたいですか |
エイミ | 身体が熱い、力が目覚める 奥義「ドラゴンドレッド」 | あっははは、快感 |
ロレンタ | 汝、美の祝福賜らば我その至宝、紫苑の鎖に繋ぎ止めん「アブソリュートゼロ」 | この場には静寂こそが相応しい |
メルティーナ | 天の風琴が奏で流れ落ちるその旋律、凄惨にして蒼古なる雷「ブルーティッシュボルト」 | あんたらに存在価値なんてないのよ |
ルシオ | ヴァルキリー! 今一度俺に力を!奥義「ラウンドリップセイバー」 | どうだ、思い知ったか! |
バドラック | 悪いがとっとと死んでくれや 一撃必殺「スフィアデサイド」 | 必殺とか言いたくねぇんだけどな、オトナの事情でよ |
グレイ | 冷厳なる氷剣の儀式 奥義「アイシクルディザスター」 | 貴様たちに未来など必要ない |
ジェイル | これが我が師直伝の技 奥義「エターナルレイド」 | この技の前に立ってられる者などいないさ |
詩帆(シホ) | 汝、その諷意なる封印の中で安息を得るだろう永遠に儚く「セレスティアルスター」 | 魔は消え去るが道理 |
蘇芳(スオウ) | 肉体、魂、精神の全てを討つ! 奥義「氷葬方陣」 | これぞ天意 |
ガノッサ | 我は命ず、汝、悠久の時妖教の惨禍を混濁たる瞳で見続けよ「ペトロデストラクション」 | 我が魔力は神をも屠るのだ |
リセリア | 我、招く無音の衝裂に慈悲はなく、汝に普く厄を逃れる術もなし「メテオスウォーム」 | さらなる犠牲者を出すわけにはいかないから |
フレイ | 浄化してあげるわ 神技「エーテルストライク」 | 何も残らないだけ、ゴミよりマシよね |
レザード・ヴァレス | 其は汝が為の道標なり、我は頌歌を以て汝を狂宴の贄と捧げよう「カルネージアンセム」 | このような感じでよろしいのでしょうか!?ヴァルキュリア様……ふっははは |
ブラムス | 轟然たる我が魔力の胎動奥義「ブラッディカリス」 | さらばだ、脆弱なる者よ |
使用者と労働者のパワーバランスが崩れると労働者の使い捨てが起こります。景気がいい時にはガンガン雇って、業績不振になればガンガン解雇することになる。そうすると労働者は失職するわけです。そうすると格差が拡大するでしょう。そうすると元労働者はスキルを失うか、最悪飢え死にするわけです。労働力がいなくなるともう好景気にはなりません。そうすると国家レベルで考えたときに経済的には得ではないわけです。現在の経済が拡大再生産なしには成り立たないことはご存知ですか?経済的な停滞は失墜を意味するのです。
労働者が減って、その穴を移民で埋めますか?移民を多く受け入れてきた国は社会情勢が悪化します。社会基盤が脆弱では経済成長は見込めません。メキシコへようこそ。
それから、景気が悪くなると暴動が起こることは歴史が証明しています。ストライキなんかいい方です。フランスはかつて労働者によって国家転覆の憂き目にあいました。フランス革命を知っていますか?また戦勝国による締め付けが過ぎたドイツではヒトラーを生みました。ナチ党を知っていますか?西洋列強による植民地政策を知っていますか?ブロック経済政策を知っていますか?ソビエト連邦を知っていますか?冷戦を知っていますか?行き過ぎた抑圧が有害であることはヨーロッパ社会では常識です。
https://anond.hatelabo.jp/20180214155553が文字数制限?に引っかかってしまったのか途中で切れたので続きです。
「003: アメリカ政府より強力」~「005:ジェダイのマインドトリック」の前まで
続きはhttps://anond.hatelabo.jp/20180214161344
巨大テクノロジーに屈服してしまったのは連邦政府だけではない。アマゾンの第二本部への入札の一貫として、州とシカゴ市の役人はアマゾンに13億ドルの給与税を免除し、そのお金をアマゾンが適切と考えるやり方で使えるようにすることを提案した。すばらしい。シカゴは徴税権をアマゾンに渡してしまい、シアトルの企業がシカゴの住民に最適な方法でお金を使用してくれることを期待しているわけだ。
政府の服従はそれからひどくなるばかりだ。もしあなたがアイスキャンディーを作って子どもたちに売ろうと思えば、高額な食品医薬品局のテストを無数に受け、また原料・カロリー・糖分を表示した完璧なラベルをつけなければならない。しかし、インスタグラムのユーザー同意書にどんな注意書きが書いてあるだろう。我々はソーシャルメディアのプラットフォームがティーンエイジャーの抑うつ状況を悪化させていることを示す大量の研究の存在を知っている。自分自身に問いかけてみよう。もしアイスクリームが子どもたちを自殺させやすくしているとしたら、我々はドレイヤーズのCEOがシリコンバレーのディナーで大統領の隣に座るのを肩をすくめるだけで見過ごすだろうか。
こうしたソーシャルメディアのプロダクトがタバコと同様の中毒媒介システムであることを信じない人は、7才の子供からiPadを取り上げようとして、自分の殺人計画を告げるような視線で見られるといった経験がないのだろう。この手のプラットフォームの中毒性を信じないなら、どうしてアメリカのティーンエイジャーが一日平均5時間インターネットにつながったスクリーンに張り付いているのか、その理由を自分で考えてみればいい。ソーシャルメディアが与えてくれる様々なご褒美のせいで、我々はまるでスロットマシーンの前にいるように自分の通知をチェックさせられ続ける。子供や十代の少年少女はこうしたプラットフォームがもたらすドーパミンの欲望にとくに影響を受けやすいという研究もある。多くのテクノロジー企業の幹部が自分の子供にはこうしたデバイスを触れさせないと公言しているのも不思議ではない。
以上のような問題は全て正当な懸念だ。しかしこれらの理由のどれ一つとして、あるいはこれら全てを集めたとしても巨大企業の分割を正当化する理由としては足りない。これから述べるのが、私が信じる四大企業を分割すべき理由だ。
ヴァンダービルト大学のロースクールの教授であるガネシュ・シタラマンの主張は、アメリカには中産階級が必要であり、我々の代表民主制が上手く機能するために富がバランスよく分配されるよう、憲法もデザインされているというというものだ。富めるものがあまりにも多くの力を持ってしまえば、寡頭政治につながる。だからアメリカの民主主義という舟を安定させるためには中産階級が舵にならなければならないのだ。
経済とそのキーとなる主体である会社の基本的な目的は、中産階級を作り出し維持することであると私は信じている。1941年から2000年にかけてアメリカの中産階級は世界の歴史においてもっとも優れた「善」の担い手だった。アメリカの中産階級は正しい戦争に資金を提供し、戦い、勝利した。高齢者の世話をし、ポリオの治療にお金を出し、人類を月に送り、世界の他の国に対して、自分たちがモデルとなって、消費とイノベーションが社会・経済を改革するエンジンになりうることを示したのだ。
経済の上向きのスパイラルは家庭と企業の間での循環に依存している。家庭が資源と労働を提供し、企業がモノと仕事を提供する。競争は発明と優れた製品(ハッピーアワー、リアビューカメラetc.)を提供するモチベーションとなり、車輪はいつまでも回り続ける。巨大企業はステークホルダーに対して莫大な価値を作り出す。それなのにどうして私たちの目の前で、歴史上初めて、他の国の中産階級が成長しているのに自分たちの国の中産階級が没落するという事態が起きているのだろう。経済が中産階級と中産階級が育む社会の安定を維持するためのものであるならば、我々の経済は失敗してしまっているということだ。
過去30年でアメリカの生産性が大幅に向上したのは間違いない。アメリカの消費者があらゆるレベルで自由主義社会の羨望の的になったことを否定することはできない。しかし生産性の拡大と消費者の地位の向上の結果作り出されたのは、高給の雇用と経済の安定をすばらしい電話と1時間以内に配達されるココナツウォーターと交換してしまうようなディストピアだった。
どうしてこんなことが起こったんだろうか。2000年代になってから、企業と投資家が夢中になったのは人間をテクノロジーで置き換えることによって急速な成長と利益の急拡大を可能にしてくれるような企業だった。こうして作り出された巨額の富が安価に資本を引きつけ、他のセクターは脆弱になった。古い経済に依存する企業と巣立ったばかりのスタートアップには何の希望もなかった。
結果として出来たのは企業にとっても人々にとっても勝者総取りの経済だった。社会はイノベーション経済の側(領主)とそうでない側(農奴)の二つに分かれてしまった。一つの素晴らしいアイデアがウン億のベンチャーキャピタルを集める一方で、普通の人、あるいはただ幸運でなかった人々(私たちのほとんどだ)は退職後の貯金をするためにもっともっと働かなくてはならなくなった。
億万長者になるのが過去に比べて簡単になったり難しくなったというわけではない。痛いほど明らかなのは、過去30年で見えない手が行ってきたのが中産階級を締め上げることだった、という事実だ。30歳の人間がその両親が30才だったころに比べて貧しくなったのは大恐慌以来始めてだ。
何か手を打つべきなのだろうか。こうしたイノベーションのアイコンたちが、経済の調子を保つための一時的な撹乱を行っているだけだとしたらどうしよう。トンネルの向こうではより強い経済と高給が待っているという見込みはないんだろうか。しかしこんなことがありえないという証拠はすでにある。事実、二極化は勢いを増しているように見える。これは我々の社会に対する最大の脅威だ。これが自分たちの住んでいる世界なのだから仕方ないという人も多いだろう。でもその世界も私たち自身が作り出したものではないのだろうか。百万人の百万長者を生み出すことからひとりの一兆長者を生み出すことに、私たちは意図的にアメリカの使命を変えててしまったのだ。アレクサ、これって良いことなのかね?
今まさに我々は劇的なマーケットの失敗の只中にある。そこでは政府が巨大テクノロジー企業への大衆の熱狂によって黙らされてしまっている。頑丈なマーケットは効率的で強力だが、グランドに定期的に入って旗をあげ、チームを動かすレフェリーなしではフットボールのゲームが成立しないように、枷のない資本主義が私たちにもたらしたのは気候変動、抵当危機、そしてアメリカの医療保険だ。
独占はそれ自体常に違法だったり望ましくないものだったりするというわけではない。単一の企業が投資を行い、安価にサービスを行うのが合理的であるところでは、自然な独占が存在する。しかしこの場合トレードオフとして厳しい規制が伴う。フロリダ電力は1000万人にサービスを提供し、親会社であるネクストエラ・エナジーは時価総額720億ドルだが、その価格とサービスの基準は市民に受託された人々によって規制されている。
対象的に四大企業は厳しい規制なしに独占「的」な権力を維持しおおせている。私が彼らの力を「独占『的』」と表現したのは、アップルだけは例外かもしれないが、彼らがほとんどの経済学者が独占の核心だと考える、顧客向け価格の釣り上げを行ってはいないからだ。
しかし、四大企業は我々が本能的に感じる大きな政府への反感を見事に利用し、競争が――私有財産、賃金労働、自発的な交換、価格システムと同様に――資本主義のエンジンの不可欠なシリンダーであることを忘れさせてしまっている。彼ら四大企業のサイズの巨大さに加えてチェックを受けない権力によって競争市場は抑圧され、経済が本来の目的を果たすことも阻害されてしまっている。つまり、活力ある中産階級を作り出す、という目的だ。
どうしてこんなことが起きるのだろう。1990年代にマイクロソフトがどうやってネットスケープの息の根をとめたかを思い出すのは有用だ。はじまりは何の問題もなかった。ある会社が優れた製品(ウィンドウズ)を作り出して、それがセクター全体へのポータルになった。今であればプラットフォームと呼ばれるだろうものだ。その成長を維持するため、その会社はそのポータルを自社製品(Internet Explorer)の方向に向け、パートナー(Dell)をいじめて競争をシャットアウトした。ネットスケープのブラウザの方がより人気で90%のシェアを得ていたとはいえ、マイクロソフトが意図的にインターネットエクスプローラーを援助しているのでは勝ち目はなかった。
同じ状況は四大企業ではどこでも起こっている。グーグルが上手くマネタイズできるよう、検索結果の最初のページがゆっくりと支配されていくことや、iPhoneの画面上の準標準プロダクト(アップルミュージック等)、強豪相手(Snap)を邪魔し、叩きのめせるよう会社(フェイスブック)の持てる全ての資源を按配すること、他の会社がとても競合できないような要求水準の設定と攻撃的な価格設定(アマゾン)。
もしかしたら消費者にとってもこういった「自然な」独占の方が都合が良いのかもしれない。しかし司法省の考え方は違ったようだ。1998年に、連邦政府はマイクロソフト相手に訴訟を起こし、反競争的な慣行を非難した。裁判を傍聴していた人が報告するところによると、マイクロソフトの幹部はインターネットエクスプローラーをタダで提供することで「ネットスケープの空気の供給を断」ちたかったと証言したのだそうだ。
1999年11月に、ある地方裁判所ではマイクロソフトは反トラスト法に違反しており、会社を二つに分割することを命じるという判決が出た(一つはウィンドウズを売り、もう一つはウィンドウズ用のアプリケーションを売る)。会社分割の命令は高等裁判所で却下されたが、マイクロソフトは会社の独占的な慣行を抑えることで最終的に政府と和解に達した。
和解内容に対して甘すぎるという批判もあったが、司法省があの時マイクロソフトを有望新進企業を芽のうちに潰してしまうという罪状で警告することがなかったら、今のグーグル――今や7700億の市場価値があり、自由市場の信奉者にとっての希望の的だ――が存在しえたかどうか、考えてみる価値はある。反トラスト法がなければ、マイクロソフトはマーケットの独占を利用して、ちょうどウィンドウズによってネットスケープを安楽死させてしまったように、グーグルよりもBingを使わせるよう仕向けていただろう。
司法省のマイクロソフトに対する訴訟が、マーケットに新鮮な酸素を送り込むという点で最も大きな効果を持った例であることは確かだ。株価にして何兆円ものドルを解き放ったのだから。四大企業による力の独占は、酸素不足のマーケットを作り出してしまった。私は何十回も小さな会社によるベンチャーキャピタル向けプレゼンを聞いたことがあるが、そこで説明される内容はどこでも、いつでも同じだ。「四大企業とは直接戦えませんが、四大企業の買収先としては素晴らしい会社になれます」。その細い針の眼を通すことが出来なければ、会社はその幼少期を生き抜くために必要な酸素(資本)を絶たれてしまう。IPOもベンチャーキャピタルの資金提供を受けた企業の数も過去数年で着実に減少している。
かつて「悪の帝国」そのものだったマイクロソフトと違い、グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾンは巧妙なPRを洗練されたロビイング――オプラ・ウィンフリーとコーク兄弟をかけ合わせたようなものだ――と組み合わせて、マイクロソフトに課されたような批判からほとんど逃れおおせている(https://anond.hatelabo.jp/20180214161344に続く)
>それは既存の価値観にならった生き方を選択する人々を否定し、糾弾して追い詰める行為に他ならない。
そんなこと言われたって、「改革」っていうのはそういうものだよね。社会を変えると言うことは、それまで既存の価値観を持っていた人達の生き方を否定することから始めることなんだから。女性の社会進出の改革が始まって約70年が経過したけど、それは女以上に男自身の価値観や生き方を変えてきたわけだけど、それについてはどう思っているわけ?
>生き方や価値観の多様性の否定は人々を分断し、社会を脆弱なものにする。
日本には選挙があるから、多様性についてはそれなりに維持されるはず。
改革を進めていく上で揺り戻しはあるだろうね、そんなことは承知の上だよ。たとえそうであったとしても、女性の社会進出と、その表裏一体である男性の家庭進出の流れは変わらないよ。実際に日本やアメリカ、欧州諸国などの先進国は社会そのものが行き詰ってきているんだから。行き詰っている以上は、多少の混乱を招いたとしても、改革は絶対に必要。
いわゆるフェミニズムの思想潮流の中に自分を位置付けられるほどは勉強してない。
F1公式の発表は以下だ。
we feel this custom does not resonate with our brand values and clearly is at odds with modern day societal norms. We don’t believe the practice is appropriate or relevant to Formula 1 and its fans, old and new, across the world.
「私たちは、この慣習が世界中の、これまでのそしてこれからのファンにとって適切だとは思わない。」
この台詞を言わせたのは「フェミニズムの圧力」「騒ぎ立てた人権屋」なのか?
どうも私にはそうは思えない。
間接的にはあると思う。
つまり、「modern day societal norms」の醸成に影響しているという点において。
ここからは憶測だが、F1公式の考える「modern day societal norms」にしたがった自分達のあり方が何なのか、というと、
性別と年齢とに関わらず誰もが参加できる「the glamour and spectacle of the Grand Prix」なのだと思う。
客層を限定するメッセージを発しすぎるという判断なのではないか。
(女性だって美しい女性を見るのが好きだと感じる人は多いだろうが、単純にターゲットの問題だ。)
こう考えているブコメが多数あったが、私はそうは思わない。
認めないのは
「性的魅力を、本人の自由意思に基づかず要請されたり搾取されること」で、
目指す理想の世界は
「その人の性的なことを、社会による強制や圧力を一切感じずに取り扱える世界」
だと思っている。
現にセックスワークに従事する女性の権利擁護はフェミニズムの範疇だ。
たとえば性行為を対価にお金を稼ぐ自由は尊重されてしかるべきだと思っている。
もちろん、若さと美しさを披露することで対価を得ることも当然、市場原理に保証されてしかるべき自由だ。
フェミニズムが、それらの行為自体を悪と見なしているように見えるのは、
それらが本当に自由意思で行われているか、疑わしいことがあるからだ。
たとえばセックスワークに望んで従事している、と笑顔で言い切る人がいたとして、
その影には本当にたくさんの要因が含まれることがある。
それはわかりやすいものを挙げてしまえば貧困であり、教育であり、環境であり、
その人個人の性体験であり、社会的な「性的魅力の取り扱い」に関する要請であり、
そしてそんなカテゴリワードが意味をなさないほどに、個人のいりくんだ感情と生育かもしれない。
そこに明確な線引きをすることなどできない。
フェミニズムの名のもとにずかずか入り込むことは許されない。
それでも、その人になにかを強制するものがもし何かあるならば。
もしあるなら、ひとつでもなくなってほしいと願わずにはいられない。
それが起きる社会についてかんがえるし、
それをさせている何か、誰かがいないかと考える。
私にとってのフェミニズムはそういう、自由と抑圧について絶えず考え悩む姿勢のことだ。
私は、私個人の経験から、性にまつわることの有形無形の「自由意思以外」を感じとってきたので
理想の世界があればいいのにな、と思っている。
私は「その女性が、自ら望んでグリッドガールとして働くこと」それ自体には一切の批判はない。
だが、同時に「グリッドガールという役割を作り出す社会そのもの」には疑問を投げ掛け続けると思う。
逆にいうならば、グリッドガール自身が、自分達の美しさと若さがブランド価値に寄与するのだと堂堂と言ってくれるなら、
そしてそこに内面化された抑圧ではなくて彼女たちの自由意思を信じることができるなら、
多いに祝福すると思うし、私が本当に望むのはそうした社会だ。
「それしかできないかわいそうな女性が仕事を奪われた」という構図で話したがる人がいる。
まず第一にこの話が「人権団体」の働きかけによるものだとはどこにも書いてないし、
第二に、グリッドガールは「それしかできないかわいそうな子達がようやく得た仕事」ではない。
彼女たちが美と若さを売り物にするための市場がひとつ消えてしまったのは事実だ。
グリッドガールを夢見ていた女の子がいたら気の毒だとは思うが、
小人プロレスの都市伝説になぞらえて語るものでもまたないのではないか。
だが同時に、グリッドガールは弱者ではない強者だ!ともいえない。
「美しさを競い続け、選ばれ続けるために努力し続け、そしてその先に待つものがなにか」という問題について踏み込むとき、
そこには「誇りをもって美しさから対価を得ていたのに、フェミニストに仕事を奪われたかわいそうなグリッドガール」という弱者像とは別の
「美しさを対価にお金を稼ぐことの苦しさと弱さ」は浮かんでくる。
美しいグリッドガールと嫉妬に歪んだフェミニストが叩きあうという構図をお望みのかたはたくさんいるようだった。
フェミニストは「男性=強者」から「女性=弱者」を守りたいと叫んでいるのに、
ほんとうはグリッドガールを抑圧する「強者」なのだ!という転倒の痛快。
そこにあるのは、普段「社会と女性」の構図でフェミニズムが叫んできた構図のパロディである。
フェミニストという醜いモンスターとグリッドガールという美しい虐げられた弱者ならば
自分達に関係なく、そして美しく弱いものを心置きなく応援できて、
普段から気にくわなかったフェミニストたちを存分に叩けるのだ。
きっとさぞ楽しいのだろう。
だから、特に声明には書かれていないフェミニストは引きずり出され、
さらに関係が疑わしい「人権擁護団体」(誰なのかはよくわからない。架空のそういう人たち)を叩き、小人プロレスを引き合いに出している。
そういう人たちがたくさんいる。
グリッドガールがなくなることが正しいとおもうか?
わからない。
わからない。
けれど確信しているのは、上記のようにみにくいプロレスを望む人の声にのせられて、ファイティングポーズをとる必要はないということだ。
私は、できれば自由について話したい。
自由について、美しさや若さや性を売る自由について、その価値と市場について、それが売り手にとって苦しみをもたらさないための社会について。
それがいくつもいくつも積み重ねられて、次の「modern day societal norms」の話ができることを真剣に望んでいる。
素朴な意見で良いですね。私も昔はそう思っていました。いやまぁ結婚して子供も居るのですが。
なので普通のカップルの喜怒哀楽とか二人でわはは、みたいな楽しさもあるのはわかります。
ただね、最近のフェミニズムはどうなんだろうか、いや昔からおかしかった感はあった、ただそのころはまだ女性の権利が少ないと思えた。が、今はどうかな、はぁちゅうやツイフェミなんかが目立つようになってきた。
昔から思ってはいたんですが、フェミニズム的な、女権優位な思想でおかしなコメントに対しては、反対した方が良いんではないだろうか? 誰も反論しなかったから今のような。脆弱な自立心の低いフェミニズムになってしまったんじゃなかろうか?と思うんだよね。