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2018-01-28

ダーリン・イン・ザ・フランキスはなぜ心をえぐるのか

久々に心抉られるアニメだと思う。

なぜ、ここまで心をえぐられるのか。セックス暗喩に満ちているとか、ありがちなヘタレ主人公天才肌のヒロインの組み合わせだとか、お約束のフラれる幼馴染キャラとか、受ける要素は満載だがそれだけじゃない。

3話でゼロツーが口走った「『また』ここの部隊は全滅しちゃうよ」という言葉。そう、コドモたちは全滅が織り込み済みの捨て駒なのだ一見、コドモのためを思っているように見えるナナも「こうなる」とわかっていて躊躇なくミツルゼロツーと組ませた。

オトナたちはゼロツーしか叫竜と戦えないと知っている。だが、3回ごとにステイメンを消費するゼロツーに頼っていたのではいずれオトナは叫竜から世界を守れなくなる。そのゼロツー専用のコドモが特殊検体たるヒロの存在意義なのだろう。そして博士は、ゼロツーと特殊検体のヒロだけに頼った脆弱防衛システムに変わるものを構築しようとしているのだ。

APEがかたくなにゼロツーの出撃命令を出さないのは、それではなにも始まらいからだ。ステイメンを無限に食い尽くすゼロツーに頼らないシステムの構築が目的である以上、ゼロツーを出してしまっては元も子もない。

そして、もし、「ゼロツー抜きの防衛システム」が完成してしまえば、セロツーはお払い箱だ。おそらくは「処分」されてしまうのだろう。それを誰よりもよくわかっているのはゼロツーだ。自分しか人類を守れないが、3回ごとにステイメンを消費する自分には最終的には人類を守れないと知っている。人類救世主でありながら、一方で死神でもある。その自分のサガをゼロツーはよくわかっている。

オトナはコントロールが難しいゼロツーに頼るシステムではなく、コントロール可能なコドモたちによる防衛システムの完成を望んでいる。ヒロとゼロツーが完全なパートナーとして機能することはオトナたちの望むベストの解ではない。ゼロツーとヒロが組んで成功することはある意味で、コントロール不能セロツーの能力の完成にしかならず、大きなリスクを抱えることになる。そう、ある意味、叫竜そのもの以上の。

ダーリン・イン・ザ・フランキスが僕らの心をえぐるのは、ヒロとゼロツーのペア未来が無いからだ。彼らには人類救世主たる属性が欠けている。本当は怖いのに人類ために無理やり戦闘従事させられた主人公はいた。あるいは、自分たまたま持ってしまった能力のために、プライベート犠牲にして戦う苦悩を味わった主人公もいた。自分のふがいなさに泣き、最終的にはヒーロー成功した主人公もいた。

だが、自分が無敵であることを自覚しながら、その無敵であることが人類の脅威であり、最終的には排除すべきもの認識しながら戦った主人公はそんなにいなかったのではないかゼロツーはよく知っている、自分が本当は存在してはいけない、排除されるべき存在だと。それはつまり、ヒロを自分パートナーとすることは、ヒロが自分と共に排除されるべき危険因子にすることだということも知っている。

ゼロツーのとことん、ニヒリスティック希望の欠片さえない言動はその認識の上に立っている。そして、ゼロツーはいつかヒロ=ダーリンにそれをつげないといけないのだ。ゼロツーとしか乗れないヒロは、自分という危険因子を完成させる役にしかたたない、オトナからみたら排除すべき危険因子にすぎない、と。

僕らは無意識のうちにこの物語の救いのなさをよく感じている。ゼロツーの絶望もヒロの未来のなさも。つまりは、この世界のものに救いがないかもしれないことを(ゼロツーとヒロのペア以外で叫竜に対抗できないとなれば、人類は不可避的に不安定でいつ反旗を翻さないとも限らない未熟な守護神ゼロツーに運命を握られるのだから)。

この物語エンディングまどマギさえ真っ青になるような衝撃的なものしからならないのでは。そんな気がしてならない。

2018-01-23

オタク業界からサブカルクソ野郎風味って駆逐されたよね

サブカルクソ野郎好みのエロ漫画~」ってエントリ見て思い出したけど、昔のエロ漫画シーンはサブカル臭が凄かった。ソッチ系の人が結構たくさん居たよね。

それはそれでいいんだけど、エロ漫画としては純度を欠くことになってたっつうか。

今のエロ漫画界はそういうサブカルクソ野郎の居場所駆逐してエロ漫画機能に全魂魄を捧げた作家しか生き残らなくなった。

たまごろーとか笹森トモエみたいなね。

素晴らしいと思うよ。

サブカルクソ野郎オタク寄生してないで自分達の領土を作らなければならないし、それが出来ない程度の脆弱カルチャーなら滅ぶしかないんだ。

別に滅んで欲しいわけじゃないんだけど現状どんどん滅んでるしまあだらしねえ奴等だったなと。

2018-01-19

ヨーロッパ史をやるとどうも日本史って脆弱に見えてしま

単に長いだけだけじゃねぇか。

2017-12-24

三十路過ぎのこぎたないオッサン初恋が終わって一年が経ちました

聡明でかわいらしい、素敵な彼女だった。

酔狂にも俺というオッサンを選ぶくらい、独特の価値観を持つ女性だった。

おまけに脳内存在ではなく、実在しているときた。二次元相手にすら恋愛という感情を覚えることができないままぶくぶくと肥ったオッサンには過ぎた幸福であった。

三十路半ばに降って湧いたように訪れた初恋一年と少しで消えていった。

仲違いではないし、ケンカをしようといっていたけれど、それも楽しみにしていたけれど、結局できないまま終わっていった。

わかっていたことだが、未来よりも過去が強く、彼女は聡明でやさしく、俺は弱かった。

「いつか、彼女が俺に愛想を尽かすだろう」と、非モテオタクらしくビクビクした卑怯惰弱予防線をはりめぐらせ、それでも卑屈にならぬようにつとめて一年を過ごした。

それは思い返しても幸福で濃密な一年で、一人で過ごしたこ一年はただネトゲソシャゲの数値を漫然と増やすのと同じ時間であることがにわかには信じられないほどであった。

我々は遠距離であったから、一年の間にともに過ごしたのは実質3週間かそこらといったところではなかろうか。

俺は身に余る幸福を、軽々に疑うことなく、その一瞬をひとつづつ大切に味わい、決して忘れないようにしようと思ったのだ。いつか失われるものだと予感していたから。

別れを告げられる前の、楽しそうだった最後デートで時折見せた憂いの表情で確信にかわった。

もちろん決裂を回避すべく、さまざまな方策が取られた。しかし、竹ヤリで飛行機は落ちない。俺にできることはこの先のお互いの平穏を用意することしかなかった。

万全の心の準備があった。

傷付かずにいられると思った。

やせ我慢などではなく、こんな甲斐性も主体性もない男に生まれてきたことを感謝させてくれてありがとうな。なんて思っていた。

愛想をつかされたわけではない、しかし、どうしても避けられぬ別れを。一緒になるには俺が俺であること自体障壁になる理由を、来るべき三行半をLINEでしぼりだすように送られたとき

ここからの余生が決定された。

このハッピーにもほどがある一年を思い返し、少しずつキャラメルなめるように溶かしながら生きていくのだ。

それはそれで悪くないと、口を半開きにして漫然と生きてきた自分には身に余る幸福なのだと本気で思った。

恋をしたことがないオッサンは、恋に免疫はなかった。ぶっちゃけ甘く見ていた、ひどくナメていた。今自分にとりついている無情感、寂寥感、つかれ、首の凝り、残尿感、就寝後喉から込み上げてくる胃液で灼ける喉、そういったもの一時的な症状で、一年もたたないうちに治るのだと。

そうしたら、突然推し自分ちの台所で白米を炊き始めたのを目撃した女子のごとき切ない声をあげてうずくまるようなこともなくなるだろうと軽く考えていた。

これは失われゆくとき効果を発揮し、一生をかけて宿主を食らう猛毒の類であることに。オッサンはようやく最近気づかされてしまった。

余生のはじまりであったこ一年は短いが、人生支配するには十分な期間だった。

一年には四季があった、ふたりでいろんな話をしながら、様々なところにでかけた。おそらく、ほかのつがいたちがそうするように。我々もさんざんそうした。行こうと約束したきりの場所が、いくつもあった。

から、いろんなところに手がかりを残してしまった。

ひょんなところで、どうしても、少しのきっかけで思い出してしまう。

つきあっている間からちょっとした瞬間にこねくりまわしていた甘い思い出たちが、刃を剥いてオッサンのやわらけえ心をズッタズタに切り裂いていくのだ。

お揃いで買ったボールペンを筆箱から取り出したとき。町中でてんぷらそばの香りが漂ってきたとき。美しい紅葉を見たときバスの中が閑散としていたときTwitterネタ画像を貼ろうとしてカメラロールをたぐったときカップル用の写真置き場として導入したアプリに「もう別れた」と告げることもできないままだったから「つきあって2年目ですおめでとう」という通知が臆面もなく画面に現れたときテレビサメがでてきたとき花火の音を聞いたときモネの絵を見たとき映像の世紀テーマソングが流れたとき。海。いきつけの居酒屋。空が透き通るように青かったときふたりで行こうと話していたその場所への旅行記。机の引き出し。

容赦なくそれらにまつわる我々のイベント一枚絵がフラッシュバックしていく。

思い出がたのしかったほどに、もはやそれらが二度と訪れないことを突きつけていく。無能怠惰だった自分を上っ面だけなじって、甘い記憶の反芻にくたびれる。

そして文字通りくたびれたオッサンは何度目か忘れた記憶の反芻の果てに、ふと気づいてしまう。

記憶は軽く、少しずつ改竄され、曖昧になっていっている。

たった一年だ。

たった一年でも、強い記憶でも、そのすべてをわすれないように目に、鼻に、耳に、手がかりをのこして脳の一番とりだしやすい引き出しにこうしてしまいこんだつもりでも。

どうしたって、あせていくのだ。あせていく割に、思い出したときダメージは軽くなりはしない。ただうすくらがりの割合が増していき重くなっていく。

忘れたもの自分にとってどうでもいいものだったのか。

なんて意味のない自問をして、やめて、また自問して、夜が明ける。

どうすればこの変質を止めることができるのか。

高校生のうちになやんで置くべき事をいまさらやりはじめているから、だれもその無意味思索を止められない。

写真を眺めても、LINEのやりとりをさかのぼっても

俺の印象に沿って変質した思い出を、きっと刻み込んだ瞬間から変質しつづけているその代替品を、いつまで、いつまで舐め続けることができるのか。俺が改竄したのは、いったいどの部分か。彼女の行動か、表情か、懊悩か、それらを突きつけられまいと先手をとって口先で蓋をしていった愚かで卑しい自分の行動か。

傷つけるかもと言おうとして言えなかったうわっつらの言葉か。

変えられなかった自分怠惰か。

いや、それに妥協する自分を、自己愛自覚していますみたいなメタい達観視点で、別の自分を用意したあげくのいぎたないマウントをキメる惰弱自分への嫌悪感だ。

こんなものが、二度とこない、見ることのできない美しい追憶邪魔をする。

しかしこんなものがなければ俺はきっと、こんなこともわかりはしなかった。

ひとりの脆弱なオッサン過去に食い尽くされるより、

きっと、未来朽ち果てる方が早いんだろう。

冒頭で「フラれたときに、余生を決定した」と言った。

本当は、もっとからずっと余生だと思っていたのだ。

20代のはじめに自分というハードウェア脆弱性愕然とした自分は、ここより余生という看板を高々とかがげ、レールにトロッコを設置してゆっくりと坂を下りはじめた。山にぶつかるまでが人生だと割り切ってみると、けっこう空は綺麗だったし、白米は噛むと甘かった。

本当にしあわせだった、大事にしたかった。

思い出じゃなくて、君と君と一緒にいる自分自身を。

なんて、ありあわせの後悔を口に出せば、どうしたって、安っぽくなる。

感謝言葉を書き連ねたいが、それここでやるにはあまりにも浅ましすぎる。

誰の目にもつかず埋もれるか、「貴様の贅沢な懊悩など見る価値ないわ」と吐き捨てるように扱われたいだけなのに。

そうでもされないとやっぱりやってられないくらいにただひたすらに、いまだに、恋しさだけが、こびりついていく。

こんな寒い日に、さびれた地方都市ビジネスホテルで、小さなシュトーレンを分けて食べた。

あの日彼女が着ていた服をもう、思い出せない。






みんな! 現実には存在しないキモオッサン気持ちになって書いたキモポエムをここまでよんでくれてありがとうな! 愛してるぜ!

2017-12-17

はあちゅう氏の件について

https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.uyKYgqKXA#.jsmOYWnBd

まつりさんもはあちゅうさんも、告発がここまで話題になったのは彼女らに容姿端麗だとか学歴だとかネームバリューだとかがあってのものだ。

まつりさん事件の時にもブコメなどで言われてたけど、これが男性だったら話題にもならない。

今回のハラスメント事実でなくても、こういうパワハラまがいなもの特に体育会系周りでは当たり前のようにある。

某電力会社賠償回避するために「個体脆弱性」という言葉を使っていたが、

彼らにとっては男性被害者はまさに脆弱個体から仕方がないと自責の念に駆られることはなく、

同じような間柄の友人たちと酒の肴の一部として消費される。

男女間だけでなく、男男間、女女間の不合理で非条理な負荷を強いる行為殲滅すべきだ。

もちろん、体育会系的な、人間欲望に集中したカタギじゃないやり方をしないと関係を築けない間柄は未だに存在するし、

企業間だけじゃなくて国家間でそれが必要とされていることはあるだろう。

が、それをましてや仲間内で強いるのはマクロでみれば社会の損失になるだろうし、生きづらい日本の生きづらさを助長する罪にならない悪事である

こうした被害が発生するのは蔓延った空気、ナメられてはいけないという虚栄心によるものだ。

綺麗な女を抱いたやつがすごい、金があるやつがすごい、影響力がある方がすごい、楽して儲けたやつがすごい、

人を傷つけても動じないメンタルの強さ(?)がすごい、逆らったら怖い俺がすごい。

まるで中学生の延長のようなメンタリティに思うだろうが、これが社会の中でまだまだ中核を席巻しているのは事実である

対策としては、こうした原始的欲求に対し名前をつけ、それがカッコワルイという社会的風潮を作ることだろう。

ヤンキーだって中二病の1種であることを広めることでその文化は廃れていった。

それはまさに、皮肉だが広告代理店であれば実現可能なことだ。

たくさんの大人に肩パットを入れさせたり、車を所有することが一人前だと思わせたり、過剰なルッキズム形成したりと、

文章にすれば狂気に思えることを成し遂げられるのが彼らの仕事だ。

お金を払ってライターに書かせたインスタント文章謝罪を表明する、表層的な謝罪ではなく、是非とも行動で示してほしい。

自分には「仕事しかできないから「仕事」で社会還元していくなんていう精神的負荷が低く、実質なんの埋め合わせもしていない活動ではなく、

上位層で恥ずかしいとされている政治的感情的表明によって、自分が行った悪事の再発防止のみに絞った活動をすべきなのだ

糾弾された人々の今後の動向を見守って生きたいものである

2017-12-11

anond:20171211160318

今更だけどそこは論点じゃないんだよ。

緊急時に躊躇も恐怖もなく自動で行動できるなら、危機から脱出できる確率が上がるとして、その他の諸々を考慮してその刃を鈍らせるべきなのか、と。

刃は切れてこそ、という話もあるし、技は習熟するに越したことはないと思うんだ。

ただ、善意酔っ払いが絡んできたときにも技が発動してしまうのがどうなのかと。

もちろん、悪意を持った相手なら殺してでも退けろと思う。

いま、幼児から少年になり、青年になる中で判断はできるようになるだろう。

というか、危険攻撃を使わずとも相手制圧できるようになったり、そもそも危険に近づかないなんかも教えていける。

でも、今なんだよ。

幼児イノセント危機に対する脆弱さ。無力さ。

これは親心として、危険から逃げられるようになってほしい。

それでまあ、技を仕込んだんだけど、中身は幼児ながら、体格が少年という微妙アンビバレント

危機に襲われたとき(知らない大人につかみかかられたときだけ、と言い含めてある)に幼児なりに攻撃していい相手か見定めろなんて言って、結局被害に会うのなら、とにかくつかみ掛かられたら逃げろとも思う。

まあ、正解はないのかね。

2017-12-09

anond:20171209232901

遺伝多様性がなければ、もし脆弱遺伝的形質を受け継いでいた場合環境適応できずその数も一瞬で滅んでしまうことがある。

例えばブルドッグ

あのつぶれた顔を作り出すために交配を繰り返したため、

流通しているものはたったもともと68匹の集団遺伝子しか受け継いでいないので

遺伝多様性が失われていて、

頭蓋骨や皮膚の疾患にかかっているものもふえているらしい。

Demand for 'Cute' Bulldogs Is Destroying the Breed

2017-11-25

anond:20171125135158

戦闘では自らのOODAループを最速で回転させ、かつ相手のOODAループを阻害してOO-OO-OOスタックを生じさせるか間違った方向にループ誘導する。つまり戦場において主導権を勝ち取り・とり続けることでもたらされる意思決定と状況の変化、すなわち進撃の速度で相手の優位にたち、相手を混乱させ心理的ショックを与え続ける。必ずしも決戦は必要ではなく、相手脆弱な箇所へ攻撃を仕掛け続ける。

Wikipedia


かっけえ

2017-11-18

anond:20171118183413

そんなん別に証明されても

ちんさん脆弱過ぎワロタ

そんなことどうでもいいか育児は均等に分担しろよな!

で終わりじゃね

2017-11-12

anond:20171112181112

本格議論同意したのに、中身の議論も無しに日和見で反対に回った弱点を見透かされてる。

野党の今の反対理由脆弱なんだよ

2017-10-26

anond:20171026203521

「お前がなるという改憲の姿だ」

自民改憲案→それは否定された

自衛隊加筆→それも否定された

じゃあ、どんな改憲案というのは「きみのは」言わないね

ま、そうやってのらりくらりさせて、相手を疲労させるか籠絡して改憲賛成にしたいのだろうね。

9条が脆弱な土壌にあるということだけ抜き取って。

そうやってきみが詭弁を弄したいだけなのはわかったからもうオレは知らん。オレはまたそのうち来るよ。

どのみち国民投票が入るし、その前には条文案が出るが、今の日本会議回りのべったりさから言えば、基本的人権は治らないんだろうなとも思うがね。

anond:20171026182537

自衛のための必要最小限度の実力」は戦力ではないと政府が言い始めたのは、自衛隊が出来た後。

憲法成立時は自衛権も認めていなかった。

要するに自衛隊存在自体解釈改憲で成り立っているんだよ。

憲法学では自衛隊違憲論が主流で、最高裁統治行為論憲法判断を避けてる。

憲法規定がなく、脆弱解釈改憲根拠軍事組織を怖いと思わないかい?

2017-10-22

アニメシリアスがあると見たくなくなる人々」について

寓話理想郷ユートピア)」

神様は、一部の人間に理想郷を与えることにしました。

まずは、外の世界から隔離した場所を造り、そこへ人間達を住まわせます

人間食べ物不自由しないよう、

飲むだけで空腹が満たされ、若さを保ち、健康でいられる”湖”をつくりました。

その水は、人間だけでなく、植物を潤し、空気もきれいします。

身体にかけるだけで、汚れが取れ、傷が治り、とても良い香りに包まれます

また、法律を無くし、自由に生きられるようにしました。

気候は常に心地よく、衣服必要ありません。

働く必要も無く、病気にもならず、男女は誰とでも交われます

人々は、この理想郷感謝し、生きることを楽しみました。

しかし、何ヶ月か過ぎると、人間達は不満を持つようになりました。

それは、人間が持つ、妬みや嫉妬からまれ感情でした。

神様は、人間から男女の種別を無くし、その原因を取り除きます

そして子孫を残せない代わりに、永遠の命を与えました。

暫くすると、また人間から不満の感情が現れます

調べてみると、綺麗な者が醜い者を虐げていました。

神様は、表面の差異を無くし、人間の形状を均一化します。

これでやっと、人々から不満の感情が消えました。

暫くして神様理想郷を眺めると、人々は皆、あの湖にプカプカと浮き、じっとしていました。

それは神様にとって、とても綺麗で完璧理想郷でした。

出典:StudioGIW「VAZIAL SAGA」より


https://anond.hatelabo.jp/20171022210553

少し追記する

人間歴史自然の克服である、と誰かが言った

それはつまり効率への志向である

人を鍛えるよりも、道具を作る方に人間進化してきた

人間の英知とは、自身で出来ることの増加ではなく、環境を変えることへの志向からまれ

「誰が行っても同じ結果が出る」は科学原則である

それは裏を返せば、個人でできることの減少である

はいくらでもある

利便性効率の追求によって、職人は消え、仕事は消え、人は人と仕事をしなくなる

人は欲求阻止体験を抱え込むことから解放されつつある。しかし苦悩場面を体験しないで済むということは当然その時発動される自我防衛・工夫などの鍛錬をしないことに通じる。

人は言葉を使って考えることで世界を内的に再構成すると言われるが、欲求満足や快感保証される社会では、個人はそうした作業負担を免れる。人格はその構成拡散させたままでも生存できる方向に向かっており、人は欲求とその満足というパターンを得ているうちは良いが、そうでない時には著しく脆弱な反応を見せる、「考えない」存在になっていくことが懸念されるのである

事実、対人関係だけはこうした欲求一満足という即物性を欠いている(人をモノ化した際には成立するが)。

現代人に残された難物がコフートの言うように周囲の人間との関係性に悩むことであるかもしれず、またそれも情報機器の助けによって容易に自己完結的な引きこもりへの道が用意されていると言えよう。

――田村敏昭(2004),内的葛藤を失った現代青年 臨床事例から理解,東亜大学総合人間文化学部紀要,4,17-26

出典


この「人をモノ化した際には成立する」というのが、今の日本で行われつつあるのではないだろうか

「現代のオタクは少女をどこまで「破壊」すれば安心するのだろうか」で書いたように

キャラクターとはそもそも人間性を破壊しモノ化した対象を指す

また、現代における現実人間関係そもそも葛藤回避である印象もある

お互いに不快な思いをさせないよう、生ぬるい表面的な関係とやり取りに終始する傾向にあるのではないだろうか

その反動としての「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」や「とらドラ!」の存在が持て囃される一方で

アニメシリアスがあると見たくなくなる人々」が居るわけで

彼らの世界には葛藤はなく、それを表現した作品への希求はなく、ただただ苦痛体験アニメ媒体を通して追体験させられているように感じられるのではないだろうか

そこにきて「Re:ゼロから始める異世界生活」において主人公が陥るような自己肥大自己嫌悪といった葛藤に直面化させられると

主人公気持ち悪い」「かっこ悪い、見てて苦痛」という感想しか持ちにくく、自分と相対化してみることができなくなる

ネットにおいて「自分がその段階を通過していないから、スバルに対して"ああ、自分もこういう時期あったな"とみることができない」という指摘がしばしばみられるが

これもやはり葛藤を持つことの不慣れからくる保持能力の欠如に対してのしてきであると捉えられるだろうか

結論:兎にも角にも、サーバルちゃんの全肯定現代オタク希求する

痴漢」と「48時間チャレンジ」にみる「葛藤を抱えられない心性」について

そういうなかから、行動化を防衛機制の一つとする見方も出てきています

本来防衛というのは、そういう「不適応行動」をしないための手段であって、その主たる目的は「自分内面平穏にする」「自分の中で葛藤が起こらないようにする」「自分内面葛藤を抑えてもっていられる」ということなのです。

もっていられる能力は人によってかなり違いますけれども、もっていられないものをなんとか始末してしま方法というのが防衛機制であるわけです。

(中略)

まり、行動で発散してしまうので自分の中で葛藤を溜め込んでもっていないで済む。

それから欲求を即充足してしまうこともできる。

防衛的な観点から言えば、そのやり方によって自分内面葛藤状態を予防している、または解消しているといえるわけで、

そういう味方をすれば、行動化は防衛でもある、という見方ができるわけです。

引用:「馬場禮子(1999),精神分析心理療法実践,岩崎学術出版


この記事およびこの記事を読んでの雑感

現代において、精神医学もしくは臨床心理学対象が「葛藤を抱えていられない」になりつつあることは諸家が指摘する通りだと思う

社会的に「自由」というものが認められず、人々が単一規律常識などに従わなければ生きられなかった時代においては

治療者の対象は「自分を抑えてしまう」ことが成因になるような病理対象であった

一方、現代においては「自由であること」が病理の成因となる

利便性選択肢の増加は、欲求葛藤の解消をインスタントものへと変化させた

「辛くなればやめても良い」「苦労しなくても退屈は紛れる」「ネット越しなら誰かを批判しても、見なければ反論は来ないし直接的な被害はない」「自分の歪んだ欲望も受け入れ、肯定し、賛同共感してくれる場所がすぐにみつかる」

しかしその一方で、いざ職場に行けば規律を守ることを要求され、規定時間以上の労働に駆り立てられ、下手をすれば休日返上して出勤する

私生活における幼児的万能感の世界と一転して、社会生活要求される自己への規制は非常に強いものとなっている

このアンバランスさは、時として人を分裂させる

私生活としての私」と「社会に生きる者としての私」は、かつてないほどに乖離し始める

もはや、「社会人としての私」は「本来自分から離れ、自我親和的はいえない

反動形成に近い防衛機制が働くこととなる


48時間チャレンジ記事を見て、「これ、ボーダーの子の試し行為じゃん」と思った人もいるだろうか

素直に甘えを表現することへの葛藤も処理できず、かといって甘えたい欲求を別の形で処理することも出来ず

明らかに不適応な形で自らの親密・依存欲求を満たす行為のように見える

自立と依存葛藤を維持し、家族ではなく他者に親密さと依存対象を広げていく過程にある青年期において

家族依存欲求失踪という試し行為の形で達成するのは、どこか歪んでいるようにみえ

満員電車というのは、名前も勤め先も知らない人々が密着した状態で、強制的一定時間を過ごします。辛いから何も感じないように、大抵は自分感情スイッチオフにした無の状態になる。そんな異常な空間の中で、ふいに女性に触れてしまうと、それが予想もしないくらいの衝撃的な体験になってしまう。

私はこれまで200人以上の痴漢常習者をヒアリングしてきましたが、彼らの多くはその最初感覚を『身体に電撃が走った』と言います。本人が意図せずに触ってしまって、そこから『あ、こんな柔らかい感触があるんだ』と衝撃を覚えてしまう。少し言葉は悪いですが、痴漢の始まり方はこの“ビギナーズラック”のパターンが一番多いんです



公私での混同を許さなくなった社会では、時として人格の解離が状態化する

「辛いから何も感じないように、大抵は自分感情スイッチオフにした“無”の状態になる」という一文は示唆に富む

私では過剰に発散し、公ではひたすらに抑圧し何も感じないようにする

自我自体脆弱なままなのに、その空間他者の柔らかい感触侵入してくる

そうすると、脆弱自我はもはや「触りたいけど触ってはいけない」という葛藤を維持できず、行動化に移る

現代においては、そうした前エディプス的な段階での病理が多いように思える

物質的に富、自由と自立が個人裁量で賄われるこの時代においては

社会的規律によって自我機能が助けられていた時代より、葛藤処理が個人自助努力にのみ任ぜられるために、かえってバランスを欠いた人間性が生じやすいのかもしれない

葛藤を抱えられない心性」は、社会システム変遷から生じた病理である

次の時代において、子の心性はいかなる形で変容するのかが気になる所である

現在批判者たち

一般的な人たちは哲学的批判に対して防ぐ術を持っていない。

労働階級必要なのは批判力ではない、他者批判することは、また内なる他者批判することである

自身アイデンティティ批判もつ分解力によって倒壊しかけているとき私たちは外の真の他者に対して批判力を失ってしまう。

まり哲学的な問いが支配層にとって脅威であるなら、労働階級にとっても脅威なのである

人は発した言葉一貫性から逃れることはできず、支配層への批判言葉は、そのまま労働層への批判言葉へ容易に転化する。

そして批判に対して脆弱なのは知恵の無い労働である

これでは相手批判しているのにかかわらず、味方のほうがダメージが大きいという勝負にならない戦いを強いられている。

その結果として、私たち批判力を持つことをやめた。

支配層は社会を守るために批判をやめ、労働層は仲間を守るために批判をやめたのである

現在批判者たちには、三つに分けられる。

一つ目は、どこの層にも属していない孤独の者たち。

二つ目は、マスコミなどの批判者たち

メディアなどの自分たち批判であることが社会から要請である

自己催眠状態にあるものたち。

この批判者たちは、批判することが自分アイデンティティとなるため、この批判力が内部に行くことは無い。

三つ目は、他者から求められた批判者たち

労働層が批判言葉を上げることもあるが、これは2つ目のマスコミによる批判要請である

政治家本来社会を守るために批判を捨てたはずの者たちであるが、

国民の声などといって批判を行う。

これら三つのすべてに問題点が内在する。

それは批判者たちがどれも自分階層を守るために批判をしているわけではないということである

一つ目は自分の層は何にも属していないため、批判に本気になることは無い。

変えることで自分利益、損になる場合や、人間本来的な所持を奪い取ろうとする者たちに対して批判を強めるだろう。

二つ目は、自己催眠によって批判することが可能になった者たちであるが、

まさにそのために、何のために批判をするのかという目的をあまりもてないでいる。

社会要請などという全体としての理念を語ることはできるが、一つ一つの問題に対して

なぜ批判をするのかということが答えられない。

批判することが自身証明であり、自己保全であるためであると言えるわけでもない。

何かしたの転化を経て答えが出る。しかしその答えは、転化をによる代償として矛盾はらまざる終えない。

二つ目批判者にとって幸いなことは、私たちは、ジレンマ自己保全のための矛盾に対しては寛容なことである

三つ目は、自己催眠状態の者から要請によって得た批判力であったが

往々にして責任(一つ目ほどではない)を持つことが難しい、彼らは依頼があってそれをしているわけであり、

依頼が無ければ批判しないという、不安定すぎる地盤で戦わなければならない。

一つ目は、まだ人間という最後ラインがあり、人間という最後の層を守るために

批判を団結させることができる。

しかし、二つ目の者たちによって分団されているため、それもできない。

ほとんどこの批判者たちは力を持つことは無い。

私が言いたいことは、すべての人が哲学的批判力を持つということがこれらの問題を発生させているということなである

私たちはある程度の批判に対しての線引きを欲しているのであり無自覚批判だけをたたえることや、批判することが無条件に正しいことということは今や好ましくないのである

2017-10-21

戦後復興を頑張ったことで権力を持つことを正当化するなら

ジジババの年金優遇もそうなんだけどさ、「戦争直後は福祉脆弱で~」とかで擁護するならさ、

若い世代はもう一回戦争やったほうがいいって考えにならない?

2017-10-18

宝石の国面白いな。なんで擬人化物って全部ソシャゲになるんだろう

と見せかけてからおやつのじかんステマを始めようと思ったが辞めた。

アイスクリームたんかわいいなんて話しても喜ぶやつはもう一通り人生に迷い尽くして自殺し終えてるだろうしな。

しかしいつからこんなに擬人化ってのは萌え萌えしだしたのかね。

いつから始まったのか擬人化萌えばっかになっちまったな。

ここまでの蔓延引き起こした裏にはふたば☆ちゃんねる存在を感じる。

奴らはクズの割にはネットへの影響力は強かったからな。

今はもう残ってないがね。

蔓延の原因はともかくとしてスタートはどこなんだろうな。

としあきオリジナルな物を作れるはずがないからきっとどこかにパクり元があるはずなんだ。

奴らの脆弱チャンネルにも引っかかるほどに強い何かが。

ミーはメロンパンナちゃんでシコれてたのでやなせたかしが原点だと思いますって人の意見は今求めてないぞ。

俺は真剣に聞いてるんだからな。

2017-10-16

脆弱

これを「きじゃく」と読み間違う人がいると知った

言われてみれば「危」の字が含まれてるから、そう読みたくなるのもわからなくはないが

2017-10-10

私が普通なのか否か

ツイッターなどを見ていると、明らかに文章おかしな人を見かける事があります。具体的に言うと、論理に欠ける、読んで理解するのが面倒な文章を書く人です。

文章に限らず、日常会話でも妙な話し方をする人もいます。そういう人達を見ていると、ふと、自分はどうなのかと疑問に思う事があります

論理に欠けるだのと偉そうなことを書きましたが、私自文章を書く時、話す時にそこまで意識して思考を纏めたりはしていません。ですから、もしかしたら私もおかしい人の一括りに入る存在なのではないか不安になります

そこで、これを読んでいる方にお願いがあります

から簡単文章を書いてみます。それを読んで、異常だと思った方だけ反応をください。普通だと思った方は、特に何もする必要はありません。

 私は余り社交的ではなく、友達も片手で足りる程しかいません。日常会話をする知り合いを含めればもう少し数は増えますが、大して変わりはありません。交友関係の少なさは、私の性格による所が大きく、それ自体が苦だとかそういう事はありません。むしろ話していると疲れるため、一人でいる方が落ち着きます。敢えて言うなら、集団の中で一人孤立しそうになった時は、少し緊張します。そうならないためにも、私は常に周囲に三人は知り合いを作っています。何かあった時はその三人の内の誰かを頼り、時々自分が三人を手伝う事で、浅い関係を維持し続けてます

 ただ、そうやって打算で人と付き合っていると、本当に信頼出来る人が出来なくなるというデメリットも生まれしまます些細なピンチなら知り合いでも助けてくれますが、重大な危機に陥った時に、助けてくれるとは限りません。私の人との付き合い方は、そう言った危機に対して酷く脆弱もので、もしその時が来たら、私は一体どうなるだろう、と少し不安に思う時があります

以上です。前述の通り、異常だと判断した方のみ、反応をください。

2017-09-25

anond:20170925233044

貧弱な知識のままやってもいいんだよ

しろ世の中の人ほとんどがそんなレベル趣味をやっている

でもそれを認められない

裏を返せば、自分はなんて浅はかな人間なのだろう、という事実と向き合いそうになってしまって、逃げてしまったんだよ

……という心の脆弱さを自分自身が覗いてしまったんだろう、そしてそれは周りも見抜いた、いう話だよ

anond:20170925225945

度胸の無さ、だろうねぇ

心の脆弱

いざ突っ込まれた時の貧相な知識

そこらを全部見抜かれたのだろう

まぁ事実カリカリしてもしょーがない

2017-09-18

引っ越しブルーかい制御できない感情

去年ぐらいか引っ越しを考えている。今年に入ってから頻繁にWeb上で賃貸を探したり実際に物件を見に行ったりしている。

だが決まらない。いや、決まらないのではなく決まってから不安気持ちが強くなってしまってやめてしまっているのだ。

どうしてこんなことになってしまったのだろう。東京都内引っ越してきてから4年、その生活から脱却できないでいる。

引っ越しを考えるようになったキッカケはマンションでの騒音だ。実はそれが原因で既に都内で一度引っ越し経験している。

騒音という苦痛から逃げた先で待っていたのはまた騒音だった。もう心と体が保たない。

都内おかしいやつとのエンカウント率が高すぎる。安息の地は都外にあるのでは…。」

ヒトが多い分トラブルも増える。以前住んでいた川崎名古屋では出会わなかったトラブルに相次いで遭遇し、都内はもう無理だと悟った。

そう思って都外で探し始めるとなんといい物件の多いことか。最上階角部屋という騒音エンカウント率を下げられる位置で探しても賃料は今と同等かそれ以下。

しかも今のワンルームと違って1DK,1LDK,2DKまで選択肢が広がる。

クワクしながら内見を申し込み、また別の物件も併せて検討して実際に契約の直前までいく。

いくのだが…。

直前になって途端に不安が押し寄せる。ずっとドキドキしてしまって仕事も手に付かなくなる。なんだこれは。

結局いいと思って決めた物件キャンセルを入れる。申し訳なさそうにキャンセル理由を話すと渋々了承され…。自分でもひどいと思うのだが、今年に入ってからこれを4回繰り返した。

意味がわからない。自分これはいいと思って、今のストレスから開放されると思って契約を進めているのになぜ反故にしてしまうのか?

今の生活が変わってしまうことを恐れているのか?いやそれはおかしい。だって今の生活が嫌だから引っ越しをするのに…。

もちろん繰り返すうちにこの不安が押し寄せることも分かって「今回こそは大丈夫」と思うのだが、「大丈夫」と思っている時は不安に思っていないときで、不安が押し寄せると大丈夫じゃなくなるのだ。

意味が分からないとは言うけど、実は不安の原因は分かってる。分からないのはその不安を払拭したと思ったのに再来するその現象だ。

都内を離れることによるデメリットはもちろんいくつかあるのだけど、それはトレードオフだと思ってメリットに活路を見出すのだけど、一旦は許容できたデメリット契約を目前にして許容できなくなる。

「今のほうがいいじゃん」

そんなはずはないのだけど…。この不安に押しつぶされて4度の失敗。家にいるとき時間があれば賃貸を漁る生活。失っている時間があまりももったいない。

精神的に参ってきていると感じる。絶対に引っ越すべきときなのに。

ちなみにこの現象を他にも感じるヒトがいるのかと思って検索すると「引っ越しブルー」というキーワードが引っかかる。どうやら自分けが陥る現象ではないらしい。

ただ、そのキーワードで出てくる事例は大体夫婦で、田舎←→都会に引っ越しとき人間関係子育てに関する話で、一人暮らし仕事が変わるわけでもない自分とは状況がかけ離れている。

当然出てくる精神的な対策無意味ものが多く、共感できるものが見つからなくて途方に暮れている。やはりこれは自分けが陥っているのではないか精神が病んでいるのではないか…。

今まではとりあえず行動すれば不安は払拭されるだろうととにかく賃貸を探して内見して決める、ということを繰り返してきた。

4度目の失敗を繰り返して3連休を終えようとしている今日、やはりこれではダメだと思って今まで誰にも相談したことないこの話を増田にしたためてみた。

文章に書き起こせば考えがまとまるとかよく言うけど、もちろん書き終えようとしている今も整理はついていない。

無意味と思いながらも今また引っ越しメリットデメリットを挙げてみている。あ~、デメリット意外と多いなぁ~…。本当はメリットのほうが圧倒的に大きいはずなんだけどなぁ…。

本当は不安に思っているその時に誰でもいい、誰かから「いいじゃん!」と共感してもらいたいただそれだけなのかもしれない。

なんて脆弱な心なんだろう。たか引っ越しなのになんでこんな苦痛なのだろう。挙句都内に引っ越すことを決めたあの頃の自分を攻め出す始末。

いっそ外部から不可抗力がかかって引っ越しを余儀なくされればいいのに。

苦悶の日々はまだ続く。

2017-09-07

今日多々良川

蒸し暑い

水位ちゅうくらいより少し高い

生物なし

かなりひどい雨

朝こんなにひどく雨ふるのはかなり久しぶりな気がする

よく雨が降らないか水不足っていうけど、そもそも水っていうライフラインをを雨にだけ頼るって人類意外と脆弱すぎるだろでも海をろ過するとお金かかりすぎるのかなあとかつらつら考えながら自転車こいだ

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