はてなキーワード: 相互監視とは
私はT式コーチングというものが本物かどうかを入念に調べながら実践し、それに関わるコーチング理論にも徹底的に手を出し、当然一月万冊にも辿り着いた。
彼らが主催するセミナーのようなものにも時々顔を出していたので、ビ・ハイアの従業員も知っていた。
私自身はコーチとしての資格などは持ってはいないが、T式コーチングの理論はそれ自体は決して悪いものではない。
私は100%盲信している訳でもないが、本来の使い方をすれば素晴らしい効果を発揮するものであると感じている。
しかし、S社長(以下S)の解説するコーチング理論を精査したところ、T式のものとは少し違い、独自の解釈、理論で展開されている。
だがそれ自体がコーチングの理論からすれば大きな勘違いという程でもなく、本人すらも気づいていないかもしれないが、根源がT式とは違うコーチングをやってるなーといった感じだ。
実際、いまいち腑に落ちなかった部分をSの解説で理解できた事もあり、彼にネット経由で直接感謝を述べたのだが、私の予想とは違うリアクションが返ってきた。
これを機に、その内容とは裏腹に、私は彼に対し人格的な違和感を抱く事になった。
私の見解では、Sはめちゃくちゃ外ヅラは良いのたが、その本性は超自己中心的人間。
自分を天才だと思い込んでいる人物であり、普段からの発言は嘘と本当の事を混ぜ込んであるので、非常に巧妙にまるで全てが本当の事だと思わせる話術もある。
更に、上手いことをやれば何をやっても許されると思っている。
知識人やコーチ連中も含め、恐らく周りのほぼ全ての人間が彼を信用し、凄く良い人だと思っていた事だろう。
よって知識人と言えども、今回の事態を受け入れられず、混乱したまま擁護に回ってしまったのではないか。
その点、コーチのU氏のスタンスはとても冷静で、元々今回の騒動の主要な人間関係を知っていた私は、彼の主張によりほぼ全容を理解できた。
この度の大下氏の主張は、恐らく社内でのSは彼の言う通りの人物像なのだろう。
コーチングの知識があるにも関わらず、事実それとはかけ離れた非人道的なSの振る舞いは、決して許されるものではない。
相互監視などはストックホルム症候群を応用した手法にすら思えるし、他にも読書で学んだ洗脳の手法も従業員に多用していたのだろう。
また、報道はされていないが、Sと大下氏は大学時代からの20年来の友人でもあるはずなのにこのような仕打ちとは、Sの非道さが際立つ。
そして、ただでさえ怪し気な雰囲気が付き纏うコーチング業界にとっては、これは大変な痛手であり、大きな誤解も生まれる。
もちろん世の中にはコーチングと謳ってはいるが、インチキ紛いの連中も実際にいる。
たが、Sのやっていた事は当然それ以下で、彼が勝手に師と仰ぐT氏にとっても大きな迷惑である。
事実、独自の理論を称えていたのでT式とも呼べないのだが、彼の巧妙さの真骨頂はそこではない。
その並外れた営業スキル(外ヅラの良さ)で彼らに近づき、友人としてすっかり信用させていた。
私はそのコーチの方々とも会った事があるが、人間的に信頼もできる方達だと感じた。
私が唯一違和感を覚えたのは、やはりSだけだ。
また、T氏の一番弟子と言われるAコーチが、ビ・ハイアへコーポレートコーチングを行っていたという。
残念ながら防ぐ事はできなかったが、これを機にA氏は流石にSの本性を見抜き、離れたのではないかと推察する。
もしかしたらそれに加え、Sがコーポレートコーチングの契約に反した行動なども露見したのかもしれない。
A氏のコーチングを受けていたにも関わらず従業員が自殺するなど、その通りに実践していればどう考えても起き得ない状況だからである。
今回の件で、A氏以外のSに関わったコーチが公式の認定コーチから排除された問題は、T氏からすれば謹慎のようなものではないかと思う。
勿論除名は謹慎と比べるまでもなく重い処分ではあるが、やはりT氏としては動かない訳にもいかないだろうと、同情の余地もある。
とは言え、私は関わったコーチにも非があったとは思えない。
やはりSがずば抜けて良い人を演じるのが上手いのだと思う。
表向きには良い人、裏の顔は冷酷、もしかしたら本物のサイコパスなのかもしれない。
それを見抜けなかったコーチや知識人はある意味被害者でもあるが、それに反し彼らの社会的影響と責任は大きい。
ただ、その現実を受け入れられず擁護に回っているとしたら、そこには同情の余地はない。
今回の騒動は、本来民事裁判などではなく刑事事件となるべきだと私は感じるのだが、その行く末を見届けたい。
それとともに、他のコーチング理論ならいざ知らず、少なくとも利他的である事を取り入れているはずのT式のコーチングには罪がない事も加えて主張したい。
自己肯定感がなかった頃に合わない環境を選んでしまって、日々その環境にストレスだったけど、「主語が自分ではない悩みは捨てる」(自分のために)と決めたので、捨てるために、嫌なところを書いて、悩むのはやめる。
嫌なところ、合わないところ
・年寄りばかり
(職場でも、周りの人間がチラチラ見てくる。狭い世界しか知らない=同一視が激しいから、他者への干渉が激しい人間が多い。自分と他人は関係ないという意識がある人間が少ない。他人の目を気にして、他人の言動で自分の言動を変える人が多数派、気持ち悪い)
・民度が低い
(車のマナーは悪いし、トイレは汚いし。駅のトイレは定期的に誰かが詰まらせてる。都会で暮らしてたとき、そんなに頻繁にトイレの詰まりを見かけなかったので、田舎はいかにマナーやルールを守るつもりがない人間ばかりなのか、と思う。
都会でも規範意識が強すぎて、自分の抑圧を他者に押し付けてくる人間が多い環境は避けたいけど。田舎みたく民度が低すぎず、かといって規範意識に縛られて抑圧が強い人間ばかりでもなく。この中間がいい。
今暮らしてるようなド田舎でもなく、東京みたいな中心でもなく、程よい都会。
中心にいけばいくほど、規範意識が強くなり抑圧も強くなると思うから。(東京でも、規範に縛られた人間ばかりではない地域もあるのかもしれないけど
職場も、低学歴DQNの集まりみたいな環境と高学歴で規範意識の高い大企業や官公庁のような環境の中間、程よい規範意識の環境を目指す。
地域は民度の低さに偏ってて、職場は規範意識の強さに偏ってて。
個人的に、同一視が激しい人間が苦手なので、田舎はそこが一番嫌だ。
他者と自分を比べるのが当たり前、察するという領域侵害をしてくるのが当たり前で、気持ち悪い。
必要なことがあればこっちから言うから、察してこないでくれたらなぁ。(これも、自分の期待ではあるけど
常に周りを観察してて、他者のニーズを忖度するという領域侵害をしてきて、それを良かれと思ってる不健全な人間たち、気持ち悪い。
自分にもそういう時期はあったけど。
言ってもないことを先回りしてやるのが良しとされてる、同一視が当たり前の国、気持ち悪い。
「おもてなし」とか迷惑でしかないし。少なくとも私は、マニュアル至上主義のチェーン店で誰に対しても同じな画一的な接客をされて、望んでもないサービスを押し付けられて、迷惑としか感じない。
自分のニーズを無視されて、相手が勝手に先回りした相手が良かれと思う接客を押し付けられ。それを海外に堂々と美点としてアピールしようと思うのって、忖度する・されるのが当たり前になりすぎてるからだよね、怖い。
そうやって自他の境界線がない人間が大多数で、そんな人間たちは、勝手に他者に期待して失望して、文句を言ってくる。自分の期待が大きすぎるのが、問題なのにね…
田舎で生まれ育ったからなのか、周りの目を気にし過ぎる高校生を見かけて、痛々しいなぁ、と思った。
ワンマン列車(あまちゃんの世界かよ。ド田舎はドラマで見るにはいいけど、暮らすのは合わない)で目の前にいた高校生グループが、カレーを持ち込んでるのは周りからひんしゅくを買うのではないかと心配して、「私のではない」と何回も言ってみたり、「ツイッターに書かれてたらどうしよう」と心配してたり、挙げ句の果てには全て食べてみたり。
自分が世界の中心と考えるのは思春期だと自然なのかなと思うけど、それに他者の目を過剰に気にするところが入ってくるのが、不健全だな、と思う。
同一視が激しくて相互監視社会みたいな日本で、更に同一視が激しい田舎に生まれ育ったら、周りに監視されてるのが当たり前というマインドになるのかもしれないけど、そういう考え方では生きづらいよなぁ、と思った。
私もそういう時期はあったけど。
自分がどうしたいか、何をしたいか、より、他人からどう見られるかという他者の目を気にする他律的な行動をする人が多くて、怖いなぁ、気持ち悪いなぁ、と思う。
都会に行ってもそういう人間は多いんだろうけど、田舎は更に、そんな他律的で自意識過剰な人間ばかりだよな、と感じる。
日本のなかでも更に相互監視度合いが高いのが田舎(自分=他人な人間が多いから)
似たような境遇と見た目に囲まれてるとそうなるんだろうから、単一民族国家な日本人は同一視に陥りやすいんだろうけど、それが当たり前になってる社会は、怖いなぁ、気持ち悪いなぁ、不健全だなぁ、と思う。
テレビやネットの大手や、主流のメディアの価値観は「他人からどう見られるか」だから。
自分の頭で考えられない教育を受けた人間たちが、メディアを鵜呑みにして、他律的な価値観で生きてて、抑圧を押し付けあってて、気持ち悪いなぁ、と。
自由に自律的に生きてる人間を叩くから、そういった他律的な人間は。
病む国には病むシステムや価値観があるんだな、とわかったから、健全な国のシステムや価値観を真似るか、健全な国に住むのが自分のためだな、と感じる。
国にいくら文句を言っても変わらないから、自分が出て行くしかないし。
まずは田舎を出て、その後、日本以外で生きていけるスキルを身につけて、海外で暮らしてみて、どっちが合ってるかを判断したいなぁ、と。
あと、相互監視より、すでに習慣のある人を見習ってついていくほうが確実
一度悪いことをしたら何言っても「(元)犯罪者の言うことなんかに耳を貸すわけないだろ」で終わってしまう今の世の中マジで怖いわ
そりゃ殺人犯が「人殺しはだめだよ」って言っても説得力無いのは当然なんだけど
だけど「人を殺したからこそわかる人を殺してはいけない理由」みたいなものだってあるかもしれないわけで
昔誰だったか忘れたけどtwitterで「芸能人は軽犯罪くらいならしても結構復帰できるけど普通の人は一度転落したら元の場所まで戻ってこれることはまず無い」
みたいなことを呟いて
それに対するリプが
「芸能人はマスゴミと結託して無かった事にするのが得意だから」
「犯罪者がよくのうのうとテレビに出ていられるなって思います」
みたいなのばっかりで
本人が最初に意図していた「普通の人だってちゃんと罪を償った後は社会復帰できるべきだ」みたいなリプが全然無かったって話があった
最近のポルノ排斥とか性教育が云々とかも、こういう話に近いような気がする
そういう少しでも「穢れ」を帯びたものに近づくだけで自身にも穢れが伝染り、二度と祓うことができないと思いこんでいる
「罪を憎んで人を憎まず」じゃない「人を憎んで罪を憎まず」な社会。
現時点ですでに片足突っ込んでいるけど、
当方、都内の地下鉄駅で自殺未遂を起こして現在休職中のゆとり世代のダメ人間。うつ病にASDのデスコンボを喰らった。
自分の食事の用意と洗濯物の取入れ以外の家事もしなくていいので基本的に気が楽である。
しかし実家はド田舎である。バス停やコンビニに行くのに片道徒歩1時間かかる場所である。
その上相互監視の目は光っており、平日の昼間に散歩していただけでも陰口をたたかれるどころか、最悪不審者認定される地域である。
ネカフェのような気晴らしできる場所もない。図書館すら遥か遠くにある地域である。
そもそも運転免許も持っていない。家に自転車すらない。病院の日を除いて、事実上実家に軟禁されているような状況だ。
父親は優しいが抑圧的な側面を持ち、母親もそれに同調する感じである。家族一緒にいると一抹の息苦しさを感じる時もある。
そもそもいい大人が年老いた両親に病気を名目にパラサイトしている時点で罪悪感を感じてしまう。
だからといって東京の自宅に帰ればどうなるか。確かに平日の昼間に歩いていてもスルーされるだろう。
気晴らしの場所だってたくさんある。両親が抑圧してくることもない。そういう意味では気が楽だ。
しかし一人暮らしのためすべての家事を一人でこなさなければならない。肉体的にも精神的にも相当な負担がかかる。
自分には友人がいないため、東京に戻れば孤独の身になってしまう。
その昔、武田鉄矢が「うるさい親ほどあったかい」ってCMをやっていた。息苦しくても傍に家族がいないのは寂しい。
それらの負担により症状がぶり返す可能性だってある(というかぶり返して実家に戻る羽目になった)。
単なる甘えだが、実家のように気が楽で、東京のように気が楽な場所はないものか。
症状が重篤だった時は「楽な場所=あの世」だったが、今は「楽な場所=首都圏以外の大都市圏のホテル」になっている。
具体的には南九州と東京の中間にある京阪神地区である。そこいらのビジネスホテルで孤独感を感じない程度(3日~1週間)に休みたい。
それを家族にカミングアウトすれば心配という名の説教が待っている。何も言わずこっそりと出て行きたい。
自殺志願から家出志願になっただけでも症状は改善されたのだろうか。
ご自由にどうぞ。
勝手に自警団を名乗り出るのも人民裁判を好き勝手に始めるのも、マッドマックスみたいな終末感があって素敵ですね。
そのうちショットガンや釘打ちバットならぬスター連打での吊し上げや、ブックマークへの直接ブクマやメタブでの集中砲火が見られるようになるのでしょうか。
間違っているかどうかは俺様が決める!!っていうのが、世紀末救世主っぽくて潔さを感じます。
スターリニズムやマオイズムのように時代がかった気もしますが、勧善懲悪は昔から親しまれてきた物語でもありますし、それに抗う方が無理というものです。
よりよいブクマカライフを満喫(恐怖政治の監視の下)というわけですね。了解です。
考えてみれば、IT最先端を突き進んでいる中国では共産党による監視社会のおかげで人民が平和を満喫しているようですから、それに倣うということなのかもしれません。
党ならぬはてな運営がきちんと管理しないのでユーザーたる我々が自ら他人の言動をチェックするというのは、運営の負担を減らして相互監視で秩序を維持するという素晴らしい発想だと思います。
まさに「人民の人民による人民のための政治」そのものを体現した活動、賞賛致します。
{ 'transaction':[ 'key':'some_token_like_SHA-2', 'descriiption': 'bar', 'from_wallet': 1234567890, 'to_wallet': 0987654321, 'total_amount': 9999999999999, 'tax_amount': 999999999999, 'timestamp': yyyymmddhhmmss ] }
先日、どこかの掲示板にプロ野球選手の嫁をブスだと書きこんだOLが名誉毀損で訴えられてニュースになった
これはもうインターネットに気軽に書き込むことが許されなくなるってことだろうなと思った
僕はインターネットを弱音とか愚痴とか、たまには悪態をついたりする場所として依存してきた面があって
辛い時にけっこう救われてきたと思う
こんな使い方が出来たのは掲示板が小さなコミュニティだと思っていたからだが、今はそうではないらしい
また、ネットは道徳に縛られない考えを書き込むことで発想に広がりが出る場所だとも思っていた
ディベート的な議論において道徳ってほんと邪魔なんだけど、現実の日本だとそれは難しい
ネットならそれが出来たけど、もう無理だろうな
インターネットが開かれた空間になり、テレビと同じ空間になり、相互監視になり、モラルの押し付けと言葉狩りが強化された
僕らはすべての発言に責任を持たなければいけなくなったし、道徳に目配せして書き込まなければいけない
多くの人にとっては当然のことなんだろうが、インターネットの無法地帯に救われてきた身としては鬱屈とした日々に戻らなきゃいけなくなって非常につらい
ブクマで皮肉芸やってる人たちもそろそろ気をつけたほうがいいよ
「ブス」程度の発言でも気軽に訴えられるようになったのだから、これからいろんな人が訴えを起こすようになる
今のうちに言いたいことを言っておこう
王様の耳はロバの耳!
王様の耳はロバの耳!
王様の耳はロバの耳!
=======================
1: ブスと言わせろと言っているのではなく、ブスで名誉毀損になる時代になったので
その他の発言についても締め付けが厳しくなり、客観性のない発言や、客観的でも誰かを傷つけると判断されれば
2: 怒っている人もアウトのブコメしている人がいます。ふと気が抜けて、感情的になってしまったり、非論理的な憶測をすることありますよね
普段きわどい発言をしている人もいるようですが、自覚がないようです
罵倒させろという意味ではありません。ディベートの態度ではなく、論理の展開に道徳によるブレーキが必要ないという話です
人前でディベートをするとなると、道徳的に疑われるような仮説を引っ込めなければなければなりません
ディベートだからと言っても現実ではある程度のコードがあるわけです
例えば「戦争は勝てるならするべきだ」「いかなる理由があってもするべきではない」というディベートは
(道徳と倫理は区別されていて、道徳というのは時代と場所に制限され共有されたローカルな価値観のことです)
「ネットで悪口を言うべきではない。傷つく人がいるのだから」というのも道徳です
A 「絶対にバレないLINEグループ等なら自由に言っても良い」
B 「それはバレなければ赤信号を渡ってもいいという理屈ではないか」
A 「その通りだ。事故が起きるか起きないかが問題なのだ。来もしない車を待つことに何の意味がある」
B 「ルールというものは、個別に存在するのではない。共同体の価値観に敬意を持てるかどうかが大事なので、小さな例外も認めるべきではない」
A 「ルールがあって共同体があるのではない。我々個人があって共同体があり、共同体があってルールがあるのだ。個人よりルールを崇拝するのは本末転倒だ。本題に戻ろう」
B 「本題に戻るなら、やはり悪口を言うべきではない。LINEグループの誰かが漏らして、本人に伝えるかもしれない。そうすれば本人は傷つく」
A 「それは私が書いた悪口ではなく、本人に伝えた人が傷つけたことになるのではないか」
B 「いや、悪口を書いた先に起きうることを考えなかったあなたが悪い。ネットではなく日記帳にでも書いていればいい」
A 「しかし、紙に書いたとしてもそれがどこかで漏れれば本人が傷つくことになるだろう。紙に書くのも問題ではないか。
B 「いいや、そもそも悪口を書こうと思う精神がよくない。他人だけではなく自分を貶めることになる」
A 「違う、私達はそもそも貶められ苦しんでいるのだ。どこかでもやもやとした感情を発散しなければ生きていけない人もいるだろう」
B 「発散するのは自由だが、それによって他人を傷つけるのは生贄と変わらない。他の方法を考えるべきだ」
A 「だから、バレなければいいんだって。他の方法を簡単に探せると思うな。悪口が一番効率的なのだ」
B 「いや、バレれば訴訟のおそれがあるのだから、余計に苦しくなる。もっと生産的な方法があるはずだ。スポーツとか」
B 「それはその人が悪い。そのような底意地の悪い人の気持ちまで考えてやる必要があるのか?
A 「確かに。ストレスがなく、お互いを承認しあえる美しい社会であれば、私も彼らも他人を中傷せず、誰も傷つかないかもしれない(きれいな目)」
4: 「悪口でもなんでも自由に言わせろ」と書いているのではなく、過剰にビクビクせずに書き込みが出来る「民度の低い村」だったインターネットが終わったんだなあという、そういう話です。
終わって来ていたのは認識していたけど、決定打が来たなという話ですね
話題になったブログで「そんな界隈もあるんだな~」と思ったので
ツイートが明らかな捨てアカウントや、不穏な名前のアカウントからRTされている様子が見てとれた。
恐らく、普段は鍵垢で活動している人たちが、一言言うために捨て垢をとったのだろう…
と、思ったらそれだけではなかった。
「マナー違反のファンを潰す」ための公開アカウントである、と公言し、以前から活動しているらしいアカウントがいくつか見られた。
えっなにそれこわいな?
・どうやら色々「鉄の掟」があるらしい
ディズニー好きを公言しているアカウントで役者さんのアカウントをフォローしてはならない
ディズニーには「中の人」はいないのだから、○代目の役者さん、のような発言をしてはならない
とかなんかすごい色々鉄の掟をかざしている人を見た。
で、それをできてない人を「つぶす」らしい。
あのブログで言及されていた本人も、その名前でアカウントをとってなんか色々かいていた。
ただ、「Dオタ以外の人にわかってもらうのは大変だ」とも言っていたので、
なんか前述の「鉄の掟」に則ったときに色々あったんだろうなと推測する。
・感想
なぜだろうどこの女オタクも、
「ワタシタチは特殊だ。
という幻想を抱きがちだよな~と思う。
きっとほんとは、
Dオタだから「仕方ない」こともいっこもないんだろうな、と思う。
たぶん、ごくありふれた「ルールを押し付ける気持ちよさ」「敵を作ることで連帯する気持ちよさ」に、
なんかそれらしい理屈をつけてるだけなんじゃないのか。
そうじゃないなら「ワタシタチは特殊」幻想がこんなにあらゆるジャンルにはびこる理由がない。
だいたいその「特殊」には法的根拠もなければ明確な前例もない。
多くの人が見たことのある、ひどくありふれためんどくさい人々、ただそれでしかない。
「なぜDオタじゃない人がヒートアップしてあれこれ言ってくるのか」とか
「こんなのDオタだけじゃないだろ」という発言が散見されていたが、
たぶんそれは、ブラック企業はこの世に数多あるけど、
アリさんマークの引っ越し社や電通が名指しで燃え、耳目を集めたのと一緒だろうなーと思った。
Dオタだけではなく多くの人が経験したことのある気持ち悪さと共通する。
だからこそ、名指しで指摘されたときに多くの人が反応したのだろう。
・番外編:5chも見てきた
コメントがほとんど「元増田は好きなアイドルが結婚したから落ち込んでる」という解釈をしているが、そうじゃなくてこの人は「好きなアイドルが不倫をしていた」という事が許せなくて、岡田君を嫌いになりそうで落ち込んでるのだよね。
正直、芸能人にそんな潔癖さを求める事が「ガチ恋」よりも気持ち悪い。
今回最初にツイッターに「赤紙」をアップした人、V6ファンからの「会員限定の郵便を公開するな!」という猛抗議で即座に削除したそう。
V6ファンは「マナーがいい」事が誇りらしく、SNSやブログでも相互監視で違反者(有料ブログの内容をアップする、雑誌の写メを載せる等)に異様に厳しく、ツアー中は「(他Gと違って)銀テープを取り合いしたりせず、取れなかった人に回してあげるVヲタさすが!」というRTがたくさん回って来た。
元々は「ジャニヲタなんて」と言われがちな事に反発して「マナー良く!」と心がけたんだろうけど、自分達だけでなくタレント側にも完璧な品行方正を求めるのってエゴの押し付けじゃないのかなあ。
“性善説に基づく出産一時金42万円等 健康保険を外国人が乱用” http://blogos.com/article/262409/
ここでは「性善説」とは誤用なので、「善性」とでも読み替えて考えよう。
記事の内容や事件の詳細についてはどうでもよい。今回考えるのは「善性に基づくルール」が実質的にどのような意味を持つのか、である。
このゲームは「積極的に動き回り、遭遇した他プレイヤーと殴り合いをする」というデザインである。勝利条件は「生き延びてなるべく多くのプレイヤーを殴り倒す事」であったとしよう。
この「積極的に動き回る事」は「善いこと」の一つである。しかし、もしも「ある一か所にとどまり続け、動くプレイヤーを不意打ちで倒し続ける」という戦略が優位であるならば、
このゲームは実質的には「積極的に動くマヌケなプレイヤーを暗殺するゲーム」となってしまう。この「実質的」という点が重要である。
このゲームは本来の「積極的に動き回る」という傾向を推奨する何らかの調整を行うべきであって、決してプレイヤーの「善性」を謳い、期待すべきではない。なぜか?
そのゲームが愚かにも善性を信じ、ルールを調整しなかった場合、最も得をするプレイヤーは狡猾な暗殺者たちであり、そのワリを食うのは善性に準ずるプレイヤーとなるからだ。
これは「善性に順ずるプレイヤー」に対する不誠実であり、冒涜以外の何物でもない。
件の記事のような「善性に基づき」などと言う謳い文句は、ルール調整を怠るためのただの言い訳でしかない。怠けでないなら浅はかだ。
「善性」を信じ尊ぶというのならば、決して「善性」に寄りかかるべきではない。それは善なる人の負担にしかならず、むしろ人はみな狡猾であれと推奨してさえいるのだ。
一方で、このような記事もある。
“日本社会に秩序があるのは「性善説」を前提にしているからだ=中国報道” https://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20171105/Searchina_20171105001.html
日本には中国よりも「誠実な」人間が多いのではないか、それによってより効率のよいサービスができているのではないか、という趣旨である。
私がこれについて「なるほどその通り、日本人は中国人よりも誠実な民族なのだ」とは特に思わないが、そのような「教育」が成立し、不誠実な行動に罪悪感を覚えやすい人が多いのではないか?と考えることはできる。
しかし、この件でそれ以上に影響が強いのは、つまり「十分に高いホテルの利用者は、ホテルにある備品程度のものは必要だとは考えない」ということだ。
中国にしても、十分高級なホテルならば、チェックアウト時に備品チェックなどという失礼なことはおそらく行わないだろうし、日本でもカプセルホテルのような安いホテルでは盗めるような備品自体がそもそもないだろう。
無人販売所については、これはむしろ村社会的相互監視の恐怖や罪悪感の方が重要であろう。実際のところ「ここに住んでいるのは野菜を盗むような奴だ」と噂されて得をする人間はいまい。
私は昔「無人販売所でお金を払わない人はいるのか?」という趣旨のテレビ番組を見たことがあるが、「1円だけ入れる」ような所作で野菜を盗む人は複数人いた。この所作には罪悪感や監視を恐れる感情が見て取れる。つまりこういう不可視の「罰則ルール」が無人販売所というゲームを保たせているのだろう。
ネットギーグとかアゴラとかろくでもないメディアはBuzzfeedみたいな「良識派」が叩いてくれるようになったが、逆にそういう「良識派」がやらかした時に叩いてくれるネットメディアが存在しない。叩いてくれないから、やらかしたことに対する見解も出てこない。
ネットギーグとかは、彼らがやらかした時こそ、ここぞとばかりに逆襲して叩きまくればいいのに、ああいうネトウヨ系メディアは、そのネットメディアに対しても及び腰になっているのは何故なのだろう。あいつらマスコミ叩きしかしないのな。
BuzzfeedでもハフィントンポストでもBazappでも、リベラル系な臭いのするネットメディアも、定期的にやらかしてたりするのだから、そういうときは、ネットギーグとかJキャストとか、ほかのネトウヨ系まとめメディアとかが、相手がマスでもネットでも関係なく、叩きまくればいいのに。それが健全なメディア同士の相互監視だろう。
最近、部活動の顧問を強要される学校教員のブラック労働についてよく目にする。本当に嘆かわしいことだし、全ての先生達がどうか救われてほしいと思う。
そこでふと、自分が中学生だった頃の部活動を思い出してみると、ロクなもんじゃなかったなという記憶しかない。
大して強くもないのに毎日3〜4時間も練習し、少しでも休めば「サボってる」と烙印を押される相互監視社会で、コーチからは今ならモラハラと言われるような罵声を浴びせられ、たった1年早く産まれただけの先輩は「お前らも過去の私達と同じ苦しみを味わえ」と言わんばかりにコキ使ってくる。辛い、辞めたい、本当は美術部に入りたかったと親に訴えたら、「逃げるな、3年くらい続けろ」と言われた。
就職において、運動部経験がある人間は有利、と聞いたことがある。この、理不尽でインモラルで反知性的な「運動部」を肯定した、あるいは生き抜いた人だけが会社でものし上がれるとしたら、日本社会のクソな部分が延々と再生産されるのも頷ける。