はてなキーワード: 日清とは
しかもできれば、関係各社が傷つくようにした方がいい。今回の件で言うと、日清とJRA。
嘆願書ではなく、不買運動の参加リストとして、この誓約をセットで募るといい。
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絶対に角川系列の商品を買いません。中央競馬に参加しません。日清食品を購入しません。
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まったくの不買を実現するというのは現実的には難しいだろうけど、
このレベルまで脅しつけて、数を集めないと少なくとも実効性がない。
これで各社のKPIに一定の損失が出れば、より大きく問題になる。
特にそれが関係者に見えやすくするために、特定の商品にフォーカスするといい。
たとえば(ほんと、罪もないのに申し訳ないけど)どん兵衛とかね。
取引先に迷惑をかけるのが、一番いい。損失の補填は、カドカワにしてもらえばいいんじゃないですかね。
まずはけものフレンズプロジェクトの公式リリースから問題の部分を引用する。
しかし、アニメーション制作を担当していただきましたヤオヨロズ株式会社には、関係各所への情報共有や連絡がないままでの作品利用がありました。映像化プロジェクトとしては次回の制作を引き続きお願いしたかったため、情報は事前に共有してほしい旨の正常化を図る申し入れをさせていただきましたが、ヤオヨロズ株式会社からは、その条件は受け入れられないので辞退したい、とのお返事でございました。
コレに関してファンの間では最終話公開の一週間後に投稿された12.1話のことや、各種コラボ映像のことかと憶測が飛んだ。
しかし、12.1話については栗田穣崇ドワンゴ執行役員が問題ないと取れる発言をしている。
ドワンゴとしましては、権利者から著作権違反であるから動画を削除してほしいという依頼に基づいて削除しますので、動画が残っているということは今のところは問題がないということになります。 https://t.co/KAHFSbEm4p— 栗田穣崇Shigetaka Kurita (@sigekun) 2017年9月26日
各種日清やJRAからの発表があり、「KADOKAWAの窓口を通した」とのことで委員会の中心であるKADOKAWA側も認めていたと思われる。
ウマのフレンズ | Umabi - 今度の休みは、うまびより。
本サイトは『けものフレンズ』に関する正規のライセンス窓口である株式会社KADOKAWAを通じて、17年3月の企画段階から『けものフレンズプロジェクト』の許諾を得て制作したものです。
同時にこのコメントからは、けものフレンズ関連のコラボ等はKADOKAWAが受付をしているということが読みとれ、
おそらく個々に言及されていないアニサマの映像などでも、商用利用されているものは基本的に無問題と思える。
また、夏コミでirodori名義で出された本についても「けものフレンズプロジェクト」の許諾があり、問題はなかったと思われる。
つまり大前提として、現時点で商業分野での作品利用や、数々の映像についてはなんら問題はなかったと考えられるのだ。
ならば無償の行為……例えばたつき氏によるTwitterへのイラスト投稿が問題になった可能性もあるのではないか?
アライ「まだ来ないのだ…もう一度通るって聞いたのだ」
フェネ「アライさーん、この時間じゃないらしいよ?」
アライ「なにーっ!!?」 #けものフレンズ pic.twitter.com/vD6IMzPEqJ— たつき/irodori (@irodori7) 2017年8月15日
自分が関わったオリジナルイラストをネットに挙げるくらいは他のアニメ関係者も行っている。
しかしけもフレが多くのアニメと違うのは、3DCGアニメーションであり、たつき氏のイラストも3DCGをレタッチしたものではないかと考えられることだ。
3DCGは3Dモデルを作り、それをアニメーションさせるという手順が基本であり、当然そのモデルには著作権が発生する。
この「モデルを利用する権利」を巡って対立が起きたとは考えられないだろうか。
しかし、アニメーション制作を担当していただきましたヤオヨロズ株式会社には、関係各所への情報共有や連絡がないままでの作品利用がありました。
問題とされているのが作品「制作」ではなく作品「利用」であることに注目したい。
映像やイラストの制作が問題だったのあら、作品利用とはならないのではないか。
この作品=CGモデルのことであり、それを使ってイラストを制作することを「利用」という言葉で表しているのではないか?
推測するとこうだ。
KADOKAWA側(あるいは委員会側)から、たつき氏の本編で使用したモデルの二次利用について止めてくれというお達しが出る。
↓
ヤオヨロズ側はモデルを制作したのが自分達であることから、二次利用についても権利を主張する。
↓
KADOKAWA側は、モデルについても委員会側の共有の著作物として主張する。飲まなければ2期から外すと行った条件を出す。
↓
ヤオヨロズは権利を手放したくなく、2期から外されることを受け入れる。
この推測は飽くまで推測だが、実際の所3DCGモデルの利用については色々と難しい部分がある。
自分もアニメ業界の人間なので聞いたことがあるが、過去の別作品で利用したモデルの再利用に関してはかなり敏感で、
例えば背景に家のモデルを置きたいけど①から作るには時間が無いなどで過去のモデルを使いたいときは、
原型を残さないように改造したりすることになっているらしい。
またヤオヨロズ含め3DCG関連の制作会社は普通のアニメ製作会社以上の制作費を要求するので、
委員会との関係はあまり良くないとも聞く。(これに関しては普通のアニメの制作費が安すぎるのである)
繰り返すようにこれは飽くまで推測なので事実は全然違うかも知れないし、なんならその可能性のほうが高いが、
3DCGモデルの権利問題は今後ますます3Dの存在感が強まるであろうアニメ業界において重要な問題となるだろう。
ましてけもフレのように、CGモデルの絵柄自体に独立した価値が生まれているケースでは特に重要だ。
もしこの推測が当たっていたなら、この問題がスムーズに解決するかは、今後のアニメ業界での3DCGの普及にも関わってくるかもしれない。
1:たつき「はずされた」 角川「あっちが辞退した」
「むこうのせいで辞退させられた=外された」という認識になるのは自然なので矛盾はない。
2:角川「無断作品利用」 制作委員会「ガイドラインに沿えば連絡不要」 吉崎「終わった後も自由に作って」
第三者向けのガイドラインが当事者であるたつき監督に適用されるか疑問だし、「自由に作ってもいい」と「無断で作ってもいい」は異なる。
無断利用だけを強調しているのは建前くさいが、主張そのものに矛盾はないだろう。
3:日清「9月にコラボの動画公開!」 たつき「作った」 角川「8月に辞退」
既に日清からコメントが出ているが、コラボ動画自体は6月に企画されたもの。
超分かる。
あきらかに競合他社と性質の違うCMを「作りすぎている」気がする。
他との差をつける事は大切なことだけど、
「俺たちの商品はもちろんみんな知ってるよね〜〜〜〜よろぴくね〜〜〜〜」みたいな姿勢の展開の仕方、
ジブリ作品「魔女の宅急便」に続いて名作劇場「アルプスの少女ハイジ」(高畑勲監督、宮崎駿レイアウト)ときたので狙いは明らか。
しかし日清のHPを見ると原作小説の紹介はあれども誰もが連想するアニメ作品への言及はされていない。
http://www.cupnoodle.jp/hungrydays/majyotaku/
もちろんジブリやアニメ版ハイジの権利を持つズイヨーのクレジットは無し。
https://www.trygroup.co.jp/cm/
日清さん、他人のふんどしで食べるカップヌードルは美味しいですか?
【一部訂正】
https://www.advertimes.com/20170914/article257844/
https://www.advertimes.com/20170620/article252903/
原作小説準拠の体を取っているけど、明らかにジブリ映画のパブリックイメージに寄り掛かって作られているよね?
https://anond.hatelabo.jp/20170910231734
前の職場が一年で三日(正月三ヶ日だけ)しか休日のない軍隊のような超絶ブラック企業で、毎日朝5時から朝3時まで働かされて残業代無し。常に上司から罵倒と暴力。完全に精神をやられて辞めた。(お前みたいなクズを雇う会社が他にあると思うな!うちを辞めたらお前は一生涯無職だ!と罵倒されながら。)
日清のカップ麺を三個購入で「ガールズアンドパンツァー」のクリアファイルプレゼント、とかよくやってる。
店内には萌えアニメのポスターをベタベタ張り、コンビニ限定アニメグッズみたいのも大量に陳列されてて「ここはアニメショップか」みたいに思った。
いつからこうなったんだ。
店内放送では「コミケのカタログ絶賛予約受付中!」としきりに言っている。
コミケカタログはコンビニで予約する時代である。(しかもコンビニが目玉商品として紹介する。)
で、一番びっくりしたのは
コンビニの女性店長からパートの主婦、高校生バイトまで全員アニメを知っていたことだ。
ある日店長から「増田くん、○○(人物名)が今日来るから出しといて!」と言われ、ちんぷんかんぷんになってしまった。
俺の知らないうちに新人バイトでも入ってきたのだろうか?と思ったが、よくよく聞き返すと
要するにそのアニメグッズを今日入荷するから店頭に陳列してくれ、とのことだった。
けど、俺以外の主婦パートさんもアニメキャラ名で話が通じており、びっくりした。
いちいち「こういうアニメの商品を販売します」なんて説明はされないので、
もともと皆そのアニメを知っていたということだ。
俺の知らない間に、アニメってこんなに普及してたのかと驚いた。
といっても、主婦パートのみなさんは20から30代の若い人ばかりだったのだが。
で、バイトじゃなくて正社員で仕事を探してて、パチンコ屋の正社員になることができた。
俺の入社したパチンコ屋は、残業はゼロだし休みも希望通りとれるし、給料も前の地獄のような職場よりも高いので満足している。
店長も上司も他の店員さんも、みんな常に冗談を言い合っているような職場で常に和気藹々していて、
ギャンブルなんかしたことのない、パチンコのパの字も知らないような俺を歓迎してくれ、全員優しくイチから教えてくれている。
誰かが大失敗をしても「これはフォローできなかった皆も悪いね」と、一人を責め立てたりしない。
北朝鮮の軍隊かよ、みたいな職場にしかいたことがないので、こんな居心地の良い職場があったのか、と感動すらしている。
給料も前より良いし、正直知らない世界だったので刺激的で働くのが楽しくてしょうがない。
で、パチンコのジャンジャンバリバリ音とインカムで引っ切りなしに飛んでくる指示を聞き分けるのに必死で、店内BGMがどんな局が流れているのか把握できなかったが、
慣れてきた頃に、「ああ、この曲は昔友人がよくカラオケで歌っていたハッピーマテリアルだ」とピンときた。
俺の友人にいわゆるキモオタはいないのだが、ニコニコ動画が流行りだした頃からアニメを見る友人が増え、
アニメは知らなくとも、主題歌だけはなんとなく聞いたことがある。
それに気づいてからは、うちのパチンコ屋でかかっている店内BGMは深夜萌えアニメの主題歌のみということがわかった。
で、まどかマギカとか、ガールズアンドパンツァーとかリリカルなのはとか、一度はネットで目にしたタイトルの深夜萌えアニメのパチンコ台が店の半分を埋めているのにも気づいた。
なのに、客のほとんどは爺ちゃん婆ちゃんだ。
そんな、まどかマギカの台をヨボヨボのお婆ちゃんが無表情で打ち続けているのだ。
どんな感情で打っているのか。
で、ある日休憩室でみんなで「まどかマギカのスロットでメダルが詰まって取り除くのが大変だった」という話をしてたら、いつしかアニメ本編の話題になった。
最初は「ああ、そういうトラブルにはこう対処するのか」と理解していたんだけど、アニメなんか一切興味のない俺には途中からついていけなくなった。
40代既婚者の上司から、30代の独身男性、20代の女の子までうちのパチンコ屋で働いている人全員がまどかマギカを普通に見ていた。
正直30代独身男性の人はオタクっぽい見た目なので納得だが、他の人たちにオタクっぽさは微塵も感じられない。
そりゃ仕事柄アニメのことは少しくらい知っているだろうが、作品内容まで語れるとは。
コンビニもパチンコもアニメに密接な職場だから、働く人も自然とアニメを見るようになるのか?
しかし、ここまで前の職場を辞めて立て続けにアニメを普通に見ている人が多い職場が続くと、本当に今の時代はアニメって一般的な娯楽になったんだなあ、とつくづく思う。
かといって、俺は全く興味がないので見る気も起きないが。
個人的に思う話になるが、ツイッター見てると美少女アニメアイコンの愛国者様がよく「今すぐ滅ぶべき」「北朝鮮の資金源」などとパチンコへの怒りを露にしておるが、
今の日本のアニメ業界がパチンコ無しには生きていけないことについてはどうお考えなのだろうか。
アイコンは「ガルパン」のキャラに日の丸つけてる御大が「パチンコがー」とか言っても、大好きなガルパンはパチンコ台になっているというのは、とんだお笑い草である。
ガルパン大好きなくせにパチンコが憎くてしょうがない奴は、ガルパンの台は一度も打たないのだろうか?これは永遠の謎である。
アニメアイコン愛国者様はよく「不買!」と言うのが得意なくせに、「パチンコ化したアニメの不買」に一切言及しないのは何故なのか。
自分の大好きな美少女萌え萌えアニメと、大嫌いな北朝鮮の資金源であるパチンコが密接な関係であることに反抗は一切ないのか。
「パチンコと関わったアニメ会社の不買」を徹底すれば、そのうち影響もしてくるだろうに、自分に甘いせいでクソみたいな矛盾をツイッターで捻り出しているのはバカとしか言いようがない。
あ、愛国者様じゃなくて普通にアニメ好きな人は、1円とか0.5円で好きなアニメの台打つと楽しいと思いますよ。
今のパチンコは暇な老人が集まるだけの老人クラブと化しているので、ガラの悪い人が集まって殺伐としているみたいなことはないし、
で、パチンコ店員も客も口を揃えて言うのは「今のパチンコは儲からないので4円は打たない。」
実質、うちの店は客が座ってるのは1円と0.5円の台ばかりで、4円の台は普段見たことのないお客さんがパラパラ座ってるだけか、新台が出たら興味本位で打つとくらいだ。
今のパチンコは「お金をかけずに長く遊んで暇潰し」という遊び方に完全にシフトしたので、ゲーセン遊ぶのと変わりはない。
1円や0.5円で大当りしたところで大した儲けにはならない。
本当に遊んでいるだけだ。
この元増田を鵜呑みにして稼ごうなんてしたら、大損こくだけなので
低貸パチンコで好きなアニメの台を遊ぶくらいの感覚でやるのが一番いいですよ。
今のパチンコ屋は、ドリンクが無料で飲めたり、お菓子を配ってたり、無料で使えるマッサージチェアがある部屋でのんびり漫画も読めて、もちろんスマホも無料で充電できる。フリーWi-Fiはもちろん、パソコンが置いてあって無料で自由にネットもできて至れり尽くせりだ。
アニメ好きな人は、お金を使いすぎない範囲で気軽に楽しんで良いと思う。
職場の話に戻るが、男しかいなくてオッサン上司に罵倒されるだけの職場から、美人のお姉ちゃんがいっぱい働いてる職場に移行できて幸せだ。みんな仲良くしてくれて、こんなに女性から優しくされるのなんて人生で初めてだ。職場を変えて良かった。
あれを見てどう思いましたか?私は「気持ち悪いから全員死ね」です。
まず企画が気持ち悪い。恐らく「魔女の宅急便のキャラを使い30秒で『君の名は。』っぽい感じのアニメを作れ」とこんな感じでオーダーしたのだろう。
まず安易に流行りに乗ろうという姿勢が気持ち悪い。ヒットした作品の真似自体は珍しくもないがここまで露骨に二匹目のドジョウ狙いだと引く。パロディやオマージュでもない猿真似だ。今後も君の名はっぽい物が増えると思うがこれのような猿真似にならないようにして欲しい。
青春っぽい音楽ならBUMP OF CHICKENという浅はかな考えも気持ち悪い。BUMP OF CHICKENファンの方々は予告編とは別物になっていることを何とも思ってないのか?
「こういう青春っぽい雰囲気が女に受ける!トンボの声は梶裕貴とかいうのが人気があるらしいからそいつで女オタクを釣ろう!ついでに青春をもじった"アオハルかよ"で流行語を狙いましょう!」という視聴者をバカにした浅はかな考えが画面全体から漂ってくるんだが何も感じないのか?特に女性の皆さんは怒りが湧いてこないのか?
次にこんな物を作った奴らが気持ち悪い。
べたべたで手垢の付いた何番煎じかも分からない恋愛模様を、新海誠作品の雰囲気を表面だけパクったような絵で表現する。恥ずかしくないのか。
「背景にこだわりました」と解説ページに書かれているが、そのこだわりはどこから産まれたんだ?
そもそもカップヌードルの要素が全く無いし、魔女の宅急便要素もキキっぽい女子高生が箒で飛んでるだけじゃねーか。背景の小ネタとかしょーもな。
トンボを建設中のビル屋上に連れ込んで告白してるけど吊り橋効果狙いの脅迫だよな。助けてやれよ。
そしてキキのデザインが気持ち悪くて全然可愛くない。あえてモブっぽく可愛くないデザインにして一般受けを狙ったのか?
シリーズ化する予定なら次は「この世界の片隅に」「シン・ゴジラ」辺りをパクるか?やめておけ、センスの無い人間が真似しても劣化コピーにしかならないぞ。
百歩譲ってこれがオリジナルキャラクターでやるのなら理解出来る。
それをジブリ総選挙で5位以内に入り、amazon.comでは1161レビュー中77%が★5と評価するほど海外からの評価も高く、前回の金曜ロードショーでは視聴率18.8%も取った名作中の名作「魔女の宅急便」のキャラクターを利用しているというのが気持ち悪い(原作は読んだことがありません。すいません)
名作アニメや漫画のキャラクターに自社製品を食わせたり絶対口にしない台詞を言わせる、あの作品の10年後みたいなCMも大嫌いだが、それはネタとして処理できる。しかしこれは新たな解釈というていで改悪しているだけというのが気持ち悪い。
魔女の宅急便のタイトルとキャラクターを借りて自己満足と話題稼ぎのためにぐちゃぐちゃに汚す。これが許されていいのか?
「嫌なら見るな」と言われそうだがテレビCMという都合上テレビを付けた瞬間や番組を変えた瞬間など嫌でも目に入る可能性がある。対抗策は日清が提供の番組を見ない、NHKだけを見る、いっそテレビを付けないか
こんなのはテレビを使った映像の暴力だ。ちなみにカップヌードルはカレーが好きだ。最近はどんな味が出ているのか調べようとしたら公式サイトのトップ画像があれかよ……。
この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代的国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮と西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍がキリスト教徒虐殺事件(丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮の江華島を攻撃・占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国もジェネラル・シャーマン号事件(1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮の江華島に攻撃・占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮と通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。
当時朝鮮の政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である。清朝から西欧列強の情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策を積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国を夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。
また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国が朝鮮を守ったため、今回も中国が朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国は東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮の認識ですから、親分である中国に自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。
他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはやく開国し明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係を樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月に明治政府が樹立するとすぐに書契、すなわち国書を対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためである。しかし国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。
この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である。日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から、条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係を位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国の王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである。
征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。
1868年以来、何度か日本からの国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いから両国の関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国の官僚同士が険悪となっていた。長崎の出島のごとき釜山の倭館に限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである。釜山の倭館は朝鮮側が日本、特に対馬藩の使節や商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府は対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収し日本公館としたことから事態が悪化したのである。結果、必要物資の供給及び密貿易の停止が朝鮮側から宣言される事態となった。
日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年、朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約、日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉を忌避する朝鮮を、交渉のテーブルに着くように促したのである。
1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本が朝鮮に出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本からの国書を受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊を意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。
国交交渉再開の気運が高まり、1875年に交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚が交渉のテーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山の洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢に朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山は4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍の砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月に派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目で示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。
詳細は「江華島事件」を参照
9月20日、首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島の要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器、旗章、楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件は朝鮮側が日本海軍所属の軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。
明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。
またこれらが満たされない場合、軍事行動も含む強硬な外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見はほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さらに朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強の干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである。
さらにボアソナードのいう軍事行動も含む強硬な外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦や兵士の護衛がつき、威圧効果を朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋が山口県下関に入り、広島・熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのである。さらにいえば、日本の砲艦外交的姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。
ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシアや清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。
以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。
砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。
江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係を樹立すること。
また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮の宗主国である対清朝政策でもあり、清朝の干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀、欧米列強のアジア侵略に対抗するため、清朝は朝鮮やベトナム、琉球などの冊封国を保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジアの伝統的な国際関係をそのまま近代的国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴル、チベット、新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。
この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである。
朝鮮,朝鮮王朝(李朝)の高宗31(1894)年に起こった反侵略,反封建の農民戦争。東学党の乱ともいう。高宗1年,東学第1世教主崔済愚が,邪教を広めたとして処刑された。第2世教主崔時亨は東学の公認を求め,同 29年以降「教祖伸寃」の請願を教徒の大衆行動でしばしば行なった。しかし「教祖伸寃」という宗教的訴えは,かえって狡猾な地方官に農民収奪の口実を与えることになった。そこで農民たちの運動は貪官汚吏の処分など政治的要求へと変わっていった。反乱は同 31年2月全羅道古阜郡の民乱を契機にして始まり,一応の成果を得て解散した。その後政府派遣の按覈使(あんかくし)の不法弾圧に激怒した全琫準は,全羅各地に呼びかけ,5月古阜,泰仁で本格的な闘争に立ち上がった。全羅各地で蜂起した農民軍は白山に集結,大多数が農民で東学徒は少なく,指導者は東学接主であった。全琫準ら指導者は,農民軍を軍隊式に編成,四大綱領を発表し,反封建,反侵略を訴えて広範な農民層の支持を得た。農民軍は黄土峴,長城で政府軍を撃破し全州を占領した。閔氏政権はこれに驚き清国に出兵を要請する一方,農民軍の弊政改革案を受け入れた。全州和約後,農民軍の大半は解散したが,全羅道 53郡に農民軍の自治機関である執綱所が設置され,実質上の政権機関として機能した。日清戦争が起こるとまもなく,全琫準ら農民軍は再起したが,日本軍と政府軍の圧倒的な軍事力の前に敗北した。
出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報
こうご‐のうみんせんそう〔カフゴノウミンセンサウ〕【甲午農民戦争】
1894年、朝鮮李朝末に起こった東学の信徒を中心とした農民の反乱。鎮圧のため李朝政府は清国に派兵を要請、日本も出兵して乱は鎮圧されたが、日清戦争を誘発する結果を招いた。東学党(とうがくとう)の乱。
李朝末期の1894年(甲午の年)に朝鮮南部で起こった農民反乱。圧政に苦しむ農民の間に広まった民衆宗教〈東学〉は1890年代には活動を公然化させるが,全羅道古阜で全【ほう】準(ぜんほうじゅん)に率いられた農民たちが同年2月郡庁を襲撃し,5月以降全羅道一帯に及ぶ蜂起に発展,閔(びん)氏政権の打倒と日本人の駆逐をかかげて各地を転戦した。
出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報
1894年(甲午の年)に朝鮮南部でおこった農民反乱。李朝末期の朝鮮では封建的収奪に反対する民乱が続発し,とりわけ南部地方は開港後の外来資本主義との接触によって矛盾が激化していた。圧政に苦しむ農民の間に広まった東学は,1890年代に入ると活動を公然化するようになった。こうした情勢のもとで,94年2月,全羅道古阜の農民は,規定外の税をとるなど暴政を行った郡守趙秉甲(ちようへいこう)に抗議し,全琫準を指導者として郡庁を襲撃した。
出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報
朝鮮で1894年(甲午の年)東学の信徒が主導した農民戦争。地方官の悪政に反対した全羅道の農民が蜂起したのに始まる。朝鮮王朝政府は鎮圧のため清しんに出兵を求め、清に対抗して日本も出兵、日清戦争の契機となった。東学党の乱。 → 東学
こうごのうみんせんそう
1894年(甲午の年)に起こった朝鮮の歴史上もっとも大規模な農民蜂起(ほうき)。この戦争をきっかけとして、中国、清(しん)の勢力を排除し朝鮮を支配することをねらっていた日本政府は、公使館警護と在留邦人保護の名目で大軍を繰り出し、日清戦争を引き起こした。
当時、朝鮮の民衆は、朝鮮政府の財政危機を取り繕うための重税政策、官僚たちの間での賄賂(わいろ)と不正収奪の横行、日本人の米の買占めによる米価騰貴などに苦しんでいた。それにまた、1890年代の初めには干魃(かんばつ)が続いて未曽有(みぞう)の飢饉(ききん)に悩まされていた。これに耐えかねた農民たちが、日本への米の流出の防止、腐敗した官吏の罷免、租税の減免を要求して立ち上がったのがこの戦争の始まりである。指導者には、急速に教勢を拡大していた民衆宗教である東学教団の幹部であった全準(ぜんほうじゅん)や金開南らが選ばれた。そのため東学党の乱とよばれたこともあった。5月初め、全羅道古阜(こふ)郡で結成された農民軍は、全羅道に配備されていた地方軍や中央から派遣された政府軍を各地で破り、5月末には道都全州を占領した。農民軍の入京を恐れた朝鮮政府は清国に援軍を出してほしいと要請した。ところが、ここで予期しないことが起きた。清軍の到着と同時に日本軍が大挙して朝鮮に侵入してきたのである。朝鮮政府は急遽(きゅうきょ)方針を変更して農民軍と講和交渉を行い、農民たちの要求をほぼ全面的に受け入れることで停戦した(全州和約、6月10日)。
全羅道の各郡には執綱(しっこう)所という機関が設けられ、農民たちの手による改革が始まった。農民戦争はこれで終わったかにみえた。ところが、朝鮮に上陸した日清両軍は、朝鮮政府のたび重なる要請にもかかわらず撤退しようとしなかった。それどころか、日本政府は朝鮮の内政改革を求め、朝鮮政府にこれが拒否されるや、1894年7月23日王宮を占領し、親日政府を組織させた。
清国がこうした日本の行動を批判したのを好機として始められたのが日清戦争である。日本政府は日清戦争と併行して朝鮮を植民地化する政策を推し進めた。この日本の勢力を追い出すため、朝鮮の農民たちは10月なかばになって再決起した。全準たちは東学組織を使って各地の蜂起を統一したものにしようとした。このとき立ち上がった農民は20万人を超えたといわれる。日本軍と朝鮮政府軍を相手にして農民軍はよく闘った。しかし、日本軍の圧倒的な火力の前になすすべはなかった。翌年1月農民軍は壊滅し、全準は3月末、ソウルで処刑された。[馬渕貞利]
[参照項目] | 日清戦争
出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例
【崔時亨】より
…92年から翌年にかけて東学の合法化をめざす教祖伸冤運動を展開。94年の甲午農民戦争では,東学本来の非暴力的な教化主義の立場から武力蜂起に消極的で,全琫準らの主戦論と対立したが,のちに農民軍への合流を教徒に指示した。農民軍の敗北後,98年に江原道原州で逮捕され,ソウルで処刑された。…
【朝鮮】より
…しかし,金玉均ら開化派が政権奪取をめざした甲申政変(1884)は内外の困難を克服しえずに挫折を強いられた。一方,民衆の反封建・反侵略変革運動は,壬午の軍人反乱(壬午軍乱,1882)を先駆として,甲午農民戦争(1894)に大きく花開いていく。甲午農民戦争こそ朝鮮社会の近代への移行の決定的転換点となる可能性をはらんでいたのだが,日本の侵略の意図に立つ軍事力の行使がこの可能性を破壊してしまったのである。…
【日清戦争】より
… 朝鮮では王妃の一族閔(びん)氏を中心とする親清派と国王の生父大院君派および金玉均独立派(開化派)が抗争しており,政治は乱れ,官吏の不正や日本商人の買占めで民衆の不満は高まっていた。1894年春,民間宗教東学を奉ずる農民は分散した民衆の不満を結びつけ,朝鮮南部を中心に汚職官吏の掃滅と外国人の排除を求める大規模な反乱を起こし,5月には各地で官軍が敗北するという重大な事態となった(甲午農民戦争)。朝鮮政府は日本に亡命中の金玉均らが農民反乱に呼応することをおそれ,上海に誘い出して暗殺した。…
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出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報