はてなキーワード: 小学校とは
期日前投票に行ってきた。選挙のたびに普段は出向かない市の中心部を通るので、以前の町並みからの変化が興味深い。もうとうの昔に小さな本屋は姿を消してしまった。今、この地域に育つ子はコンビニ以外の本屋がない状態で育つのだろうか。
地元の人だけが利用する小型スーパー兼、雑貨店みたいな店もない。子どもが遊びに行った先であれこれ駄菓子を買うこともないのかも。コンビニがあれば、事が足りるか。
中心部にあった商店街は自分が子どもの頃に既に商店街の残骸みたいな感じだったが、もう容赦なく姿を消して、住宅街と一部はマンションに変わっていた。
中心部に行くまでに途中までは昔の通学路を通る。小学校に通っていた頃は、畑と雑木林ばかりで所々に集落がある感じだったが、もう雑木林はない。畑も多くの畑が耕されずに放置されてしまっている。
まだ新しい家が大量に建つだけ、うちの地方はマシなのかも。過疎化はないけれど、元からあった自然や農村の風景が失われて、乏しかった文化的な要素はほぼ完全に消えた。
こういうのは誰が悪いわけでもないし、どこかの政党に投票すれば、昔の風景が戻ってくるわけでもない。選挙の期日前投票には行くけれど、大きな変化には抗いようがないというのは虚しさを感じる。
なんかSwitchで64のゲームが出来るようになったじゃないですか。
64と共に小学校生活を送っていた(64は赤とクリアのボディだった)僕、すごく嬉しくて当然やり始めましたよ。コントローラー?そんな大層なものは無いですが。
そしたらもうびっくり。画面がかくかくするし視点切り替えらんないし一歩がやたらでかいし直感的にボタン操作できないし微調整出来ないしですぐに酔っちゃった。ポリゴン酔い。
いやーもう歳なのかなーと思ったんだけど、僕よく考えたら最近のゲームも出来ないんですよ。何か画面が綺麗すぎて落ち着かないとか言っちゃって。それでゲームキューブ引っ張り出して中学生くらいの時に買ったゲームばっかりやってるんです。全クリしてやり込み要素も網羅したゲームを何回も。
おかしいじゃないですか。ゲーム好きを自認してきたのに64のゲームも満足に出来ないなんて。でも新しいグラフィックの綺麗なゲームも出来ないんです。
やり込み要素のあるゲームが好きなのに新しくそれを始めるのは億劫で、でもストーリー薄いゲームやろうとは思えないし。さっきも64始めた時に早く終わんねーかなと思いながら立ち上げてたんですよ。
もうがっかりでびっくりですよ。アレですかね。脳が新しく何かを覚えたり考えたり出来なくなってるんですね。こりゃだめだわ。
というわけで何とか時のオカリナを最後までクリアしたいと思います。まだデクの樹様の中から出られないんだけど。あとサリアってもっと美人じゃなかったっけ?
あと、こんな僕でもできそうなゲームあったら教えてください。
両親がどう出会ってどう結婚したか、みたいな、著名人のWikipediaに載ってるようなやつ。
自分は小学校から両親が離婚して母子家庭になったから、それ以来父親の話はタブーみたいな感じだったしそういった話題を聞こうとも思えなかったんだけどさ
一般的な家庭だとそういう話は聞いたことがあるものなのかな。まあそれほど興味がそそられる話題でもないとは思うが
思ってたより反響があってびっくりした。皆さんありがとうございます。本当、いろんな形の出会いがあっておもしろいし、こういうのを見られるのがインターネットの醍醐味だなあと実感する。
ほぉらなにいってるかわからん
表現の自由の戦士は共産党ならやってくれるとおもってたら裏切られたんだよね?かっわいそwww
ごめんね俺は普通に規制と共存してけるのでなにも悲しくないんだわ、共産党さんもちゃんと規制はほどほどってわかってくれたじゃんw
まぁ普通に自民に最初から入れるつもりではあったけどねwww規制主義中国さんと仲良くなんかできないわwww
あとなんで話をくっつけようとしてんのかわからんけど
実写エロDVD小学校の周りで売るとか普通に犯罪じゃんwなんかいも注意されて辞めなかったとかw
まんだらけもとらもやりたい放題やってるのやめて普通の古書店とエログッズ店なみに規制受けろやwwww
表現の自由の戦士はとにかく表現つかって肌色丸出し幼児虐待とか性虐待とかの犯罪、それに女性差別をやって見逃してほしいんだよね
でもどこの党も(大手野党共産党でさえwwww)犯罪者に完全同意なんてしてくれないよwwwかっわいそwww全然同情しないけどうぇwwww
一生オンラインにひきこもってろwwwwww
猫先生って全然知らないし(夏目友人帳かよ)文脈不明な方法で切り取られてまともに読めないけど
言いたいことは大差ないんじゃないかなw
それはどうもありがとう。知的障害者のいる世帯はたしか0.4%くらいなので他の奴かもしれないけど、たまに書いてはいるから俺のことかもしれない。
俺は小学校のスローガンみたいな綺麗事ではない部分で話をしたいだけなのに、それを超えた重さになるとみんな引いちゃうんだよな。
1 捕.ホロコースト否定論
2 一.江戸しぐさ
7 二.アジア解放
9 投.白人至上主義
控え
・日ユダヤ同祖論
ホロコーストはねつ造であるという言わずと知れた世界的に有名なトンデモ論。ちなみに国によっては否定するとこの論を唱えると逮捕されるので要注意。できれば他のトンデモ説もこれと同様に法律で取り締まってもらいたいものである。
江戸時代には傘かしげ(傘を指したまますれ違うときには傘を傾ける)、時泥棒(アポなし訪問、約束の5分前に到着しなければ死罪)などのマナーが普及していたが、明治政府の虐殺により失われてしまったというトンデモ論。これの恐ろしいところは小学校の道徳の教科書で取り上げられたり、ACのCMで放送されたことである。
南京大虐殺はねつ造であるというトンデモ論。犠牲者の数については意見が分かれているが、虐殺そのものがあったことは否定できない。しかし、自称愛国者達の間で固く信じられている。愛国者であるなら、正しい歴史を学んで国の恥を晒すようなまねは止めて頂きたい者である
原爆は戦争の早期終結のために不可欠だったというトンデモ論。原爆投下はソ連への威嚇のための人体実験であり、決して正当化できるものではないのだが、アメリカ人達の間では広く信じられ、学校の歴史教科書でも取り上げられている。日本人でも信じている輩がいる
アイヌ民族はいない、もしくは先住民ではないとするトンデモ論。アイヌの人々が日本による弾圧や差別によって苦しめられ続けた事実を無視し、現代でも差別の正当化に利用される非常に害悪な思想である。南京大虐殺否定、アジア解放と並びネトウヨの間で固く信じられている。
第二次世界大戦は悪の枢軸国と正義の連合国の戦いであるというトンデモ論。日本軍やナチスの残虐行為は決して擁護できるものではないが、原爆投下、ソ連抑留など連合国も信じられないような悪行を重ねており、単なる正義と悪の戦いではないことは明らかである。また、東京裁判、ニュルンベルク裁判は連合国の悪事に一切触れず、枢軸国だけを糾弾する、事後法で裁くなどの無茶苦茶なもので、その実態は裁判ではなく報復としかいえない。
太平洋戦争は東南アジアを欧米の植民地支配から解放するための正当な戦争であったというトンデモ論。無論、これは大義名分に過ぎない。白人の植民地支配が残忍であったのも事実だが、日本軍の残虐行為も許されて良いものではない。東南アジアの罪のない人々が数百万人犠牲になったこと、現地の人々が戦後自らの努力で独立を勝ち取ったという事実を無視しており、余りに無礼である。日本軍が独立に寄与したというのはあくまで結果論であり、現地の人々の思いを踏みにじってはいけない。そもそも、フィリピンに至っては近い将来に独立が約束されており、この大義名分は一切適応できない。
薩長はテロリストであるというトンデモ学説。歴史”評論家”原○伊○によって唱えられた。何事にも正と負の側面があるにも関わらず、「明治政府は100%悪!江戸幕府は100%正義!」と極端な善悪二元論で歴史を唱えるのは御法度である。
白人がアジア、アフリカ、新世界を植民地化できたのは白人が優れた民族であるからだというトンデモ論。長らく植民地支配や人種差別の正当化に利用された害悪な説で、今でも信じている輩が少なくない。歴史を全体的に見ればヨーロッパが覇権を握ったのは比較的新しく、その発展も中国、イスラムの繁栄があって初めて成り立つものであることは火を見るより明らかである。白人の覇権には地理的要因も多く絡んでおり、白人崇拝は偏狭な解釈であるというしかない。日本人でも右翼・左翼問わずこの論を受け入れている者が少なくなく、日本人は朝鮮人・中国人よりも白人の遺伝子を多く受け継いでいるという新たなトンデモ論を生んだ。
・日ユ同祖論
日本はユダヤ人の失われた支族であるというトンデモ論。明らかに嘘と分かるもので、フィクションとしては面白いのだが、まれに本気で信じている輩がいるので笑えない。
昭和天皇が自らの意志で積極的に日米開戦を推し進めたというトンデモ論。左翼の間で固く信じられている。確かに軍部の暴走を抑えられなかった天皇の罪は重い。しかし、僅かでも日本史の知識があるなら、天皇は日米開戦には反対であったとうことは分かるはずである。東條英機が首相に任命されたのもそのためである
大正時代が短いのは天皇が知的障害者であったからとするトンデモ論。大正天皇は病弱だったが、多くの漢詩を残す、朝鮮語の学習に努めるなど教養のある人物であり、決して知的障害者ではない。天皇をどうしても貶めたい左翼にねつ造された。
余談
最後にトンデモ本を見分ける方法を紹介したい。しかしながら、このやり方は完全ではないため、結局の所大切なのは、ものごとを多面的・批判的に判断し、すぐ「AはBである」と決めつけない慎重さである。またトンデモ論を信じ、発信してしまえばあなたも共犯者になってしまう。情報の受け入れだけでなく、発信の際にも慎重になろう。
・著者の経歴を確かめる
博士号はおろか、大学の歴史科学科すら卒業していない著者もいる。また、学術論文を雑誌に発表していない著者にも要注意である。更にプロの歴史学者にも専門外の分野に手を出すものがいるため気をつけるべきである
例外もあるが、”~のウソ”、”~の真実”、”~の陰謀”、”反日”などの扇情的な見出しには要注意。
・参考文献がない、もしくは一般書ばかり
・出版社を見る
講談社、岩波、中公は”比較的”信用できる”かもしれない”。百○尚○先生御用達の幻冬舎などの出版社には要注意。ただし、原○伊○の明治維新非難は講談社で出版されたものである。
小学校で3人一組になってやりましょうという授業かな?
アウティング?いやいや、隠してどうすんの?左ききなのを隠す必要がないのと同じく、心の性別が男・女なのも隠すようなことじゃない。恥ずかしい事じゃないんだから。見た目は中年のおっさんのXY同僚は私に「she/her」で呼んでって言ってきたし私も彼女の望み通りそう呼んでるよ。見た目が男性のXX・見た目が女性のXYがいるのが当たり前でそれが受け入れられている社会こそが正しいよね。日本もこれをみんなで目指してるんじゃないの?隠すようなことみたいな扱いをすることこそ差別で全く正しくない。アップデートしてください。
自分の意見としては、男女の分け方は時代にそぐわないからもう廃止して今後はXXトイレとXYトイレにするべき。
・基本的に生物学的女性はXX用に入る、生物学的男性はXY用に入る
・例外的措置として手術して性転換したならXXがXY、XYがXXトイレに入ることとする
小学校入学時点でXXにはXXカード、XYにはXYを交付、そのカードをかざしてそれぞれのトイレに入るようにすればいいと思う。性別適合手術したら役所でカード変更できるようにしたらいい。こうしたら女装したXYがXXトイレに侵入してXXに嫌がらせする事件が発生する心配もない。素晴らしいね。髭ボーボーのXXおじさんがXXトイレに入ってきても、それは確実に「身体的女性」だから周囲のXXは当然騒いだりしないね。まあ、パス度がどうのこうの言ってんの本人たちだけで、Y染色体の有無なんて骨格見れば分かるから自分は今でも騒がないけど。XXとXYは頭蓋骨からして形が違う。
まあマズローは考えを整理するためのフレームワーク的に使ったのでしっくりこないのは気にしないでほしい。ちゃんと勉強したわけでもないし。
ある人にとっては「社会的欲求」でも別の人にとっては「生理的欲求」にあたるかもしれないよ。そういう場合に分類が間違っていると言っても通じないよということが言いたかった。
充分意図したところは伝わっていると思うのでこれ以上付け加えることはない。
id:greenTの言う「悪扱い」の意味が実は良く分かっていなかったのだけど、この返答でクリアになった。ありがとう。
ただ、やっぱり自分に関係のない物事があなたの言うところの悪扱いを受けても自分は悪とまでは感じないのではないかと思う。
悪と言うのは倫理の概念で、論理は脇に置いてよいものと考えている。
いじめが望ましい状況が果たして存在するのか?ということを考えているようだけども、いじめは悪だから悪だ。それでいいんじゃないだろうか。
ここに論理を持ち込むと自分が前に書いた返信のように「でもいじめっ子同志の人間関係は円滑にしてるから~」「でもいじめられる奴にも問題はあるから~」といった屁理屈を許してしまう。
そういう観点から共産党の政策集にある文言を読むと、これがどこまでの範囲を想定しているのかは分からないながら制限の範疇だと感じる。
全く根拠が無いことを言っているんならともかく、一定の根拠を示すことは可能なわけで(反論もあることは承知している)。たとえばよく使われる厚労省の調査とか。
https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/sy/h27/pdf-index.html
性的欲求は悪ではないが性的欲求を制限しようとすることも悪ではない。ここは考え方の違いとして残った部分だと思う。
一応書いておくと、共産党が本当に漫画やゲームの規制に乗り出すなら反対だ。でも街中に張り出すポスターの表現が不快だからやめてくれといった話なら個別に判断すればいいのでは?どうして敵に屈するなみたいな発想になるの?と思っている。
最後の秋葉原の例、自分の過去ブコメを漁れば分かる話なので書いてしまうが、実は自分は秋葉原の近くに住んでいるのでまさにその話だったりする。
小学校あるんだよここ。
例の炎上狙いの広告は取り下げられたけど近くにエロゲ―屋があることに変わりはなくて、以前帰宅中の小学生らしき子がジーっと見ていたのを目撃した。
秋葉原駅方面に住んでる子ってあまりいないんで(UDX裏のタワマンくらいしか住むところがないはず)わざわざエロゲポスターを見に来てるんじゃないかと思う。
「秋葉原ならこれくらい仕方ないだろう」が住民含めた大方の共通認識だと思っているけど、ここ数年周辺にマンションが建って新しい住民も増えてきているのでいつか衝突するんじゃなかろうか。
長文返信ありがとう。せっかくなんでこちらの記事に返答書いてきます
反論一辺倒になるのは俺も好きではないので相違点を明らかにしながら応答する形で…
自己啓発でよく名前の上がるマズロー、名前は知ってるけど今回の話題の整理にぴったり来るものではなさそう
俺が言ってる「人類が元来持っているもの」は社会契約論の「自然状態」とかロールズの「原初状態」が近いんじゃないかと思う
(我流で考えてるんで他の思想家でぴったり来る何かの概念が思いつかない)
マズローの欠点は z1h4784 の示すとおり欲求の分類が恣意的で曖昧なところで、
この曖昧な分類を元にした「生理的欲求」を否定されることがすなわち俺が再々言ってた「尊厳を損う」ことではないです。言葉足らずだった
とにかく、俺のこの内から来る欲求をメディアの介在で変更可能だと認識したり極端な話薬で安易に除去したりしてほしくない、
こちらの意見、俺と z1h4784 で同意が取れているかと思ってたら違うという認識だったので意外。
特に性に関する話題は誰が誰に対して行動するかで価値が大きく変わるので、本文中や追記に「人によって線引きが異るよ」と主張したつもりだった
先程の夫婦生活から言うと隣の旦那に性欲を向けられるのはたまったもんじゃないと思うが隣の旦那が隣の家の妻に性欲を向けたって問題ない
はてな内では総論では性欲≠性暴力だっていう合意は取れてても、各論に入るとぐちゃぐちゃになるんだよな
今回の話は共産党の表現の自由規制から発したと認識してるんだけど、創作物であるポルノに対して
それらは加害ではないということを主張したい
こういうの、「どの程度のものが不快か」については人によって線引きが違うから調整しなきゃいけないって話なんだろうけど
ネットみたいに情報が制御しやすい環境では、「私はこのくらいの性的刺激が好みです」とリコメンドしたら
それに沿ったコンテンツが見れるくらいの環境を整備するのが、自由主義的でいいような気がする
自分が制限されたら嫌だと思っていることを意に反して制限されたら「勝手に悪に分類された」と感じるだろうが、関係ない物事が制限されてもそうは感じないだろう。
これはそうではなくて、「状況が許されたら自由に享受するのがあるべき姿」なのが非悪(善とまでは言わない) 、「状況が変わってもない方が望ましい」のが悪だと認識してる
「コロナ禍で山岳救助とかやってられるか!入山禁止な!」という例なら、コロナ禍が収まれば当然自由に入山できるのがあるべき姿だ
いじめについては正直どの状況がクリアできればそれがあっても望ましいのか想像もつかない
性的欲求はどうか?個人個人が理想の欲求を享受できる場があれば、それはあるべき姿だと思ってる。それはバーチャル空間のポルノかもしれないし、潤沢に用意されたフィクションかもしれない
共産党の表現規制は、この欲求をあるべきでない姿だと認識しているように見える。それが悪扱いだ
ここに反対したい
とはいえ現在技術的な問題が残っている状態なのでいくつか他者の不快にも配慮しなきゃいけないのは認識がある
近所の小学校の数百メートル先にエロゲ―ショップがあり下校中の小学生がポスターを見ていたりするのはこれまずいんじゃないのと思っている
https://togetter.com/li/1426932
俺としては秋葉原の町並みはゾーニングの中で許容範囲だと思うが、
これが一般的に小学生が一人で移動を許される学区内でもOKかと言うとさすがにNGだ
これがどこまで線引きがOKなのか俺個人も明確な答えがあるわけではないが、
昨今のコンテンツの中でエロではないという線引きが最も合意された例がウマ娘なんではないか
このコンテンツは馬主の意向でエロ二次創作ができない状態だが、現在のところ大きな禍根なく運用がなされている
多少の露出度はあるかもしれないが、このレベルなら健康をアピールしている範囲であって公共の場で認められると俺も思っている
https://gamewith.jp/uma-musume/article/show/287905
https://gamewith.jp/uma-musume/article/show/284507
(水着イベントの衣装とかは12歳以上のレートになっているので少し厳しいかもしれない)
恐らく今後、こうした擦り合わせをどこかで行っていくのだろう
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自分語りは苦手だけど、立場を明確にすると表現の自由はなるべく尊重したい立場
https://anond.hatelabo.jp/20211019210515
最初に、どんな立場から物を言っているのかを明確にしておいた方がいいと思ったので少し自分語りをする。
自分は昔から漫画も読むしゲームもやる。いわゆるオタクコンテンツで一番好んでいるのはライトノベルで、なろう系もこれは酷いなと思いつつ読んでいたりする。
エロ漫画も読むしエロゲ―もたまにやる。DMMブックスの新規会員割引キャンペーンは既存会員なので知らなかったクチ。
以前「なんでエロゲ―って未だにパッケージ販売にこだわってるの?特典とかいらんでしょ」みたいなコメントを書いたら「こいつエロゲ―やらずに言ってるだろ」と叩かれたことがあるが、やってるから言ってる。
ただ、そういうのは一人で楽しめばいいのであってわざわざ公共の場に開陳しなくていいと考えている。
本記事はid:greenTへの返信の形式をとるが、反論の体はとらず自分の考えとの一致点と相違点を明らかにしたい。
この長文を書こうと思ったモチベーションは最近あまりに攻撃的なコメントが目立つブコメ欄で自分のコメントを読んで考えてくれた人がいたことが嬉しかったというものなので
この段でid:greenTが述べていることは「欲求には本能的な欲求と後天的な欲求がある。そして性欲は本能的な欲求だ」ということだと思う。
これを心理学的に整理すると、マズローの自己実現論にあたるのではないかと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
マズローは欲求を五段階に分け、性欲のような本能の部分を土台の部分の「生理的な欲求」に分類した。
そしてそれ以外の後天的な欲求を生理的な欲求が満たされた後に生まれてくるものとしてさらに四段階に分けた(ここではひとまとめに「社会的な欲求」とする)。
この理屈に従うと、元の自分のブコメで挙げた欲求の例は下記のように分類できると思う。
こうした分類に則って社会的欲求(の一部)を制限する必要があることは認めるが、生理的欲求を社会的欲求に分類してはならないというのがid:greenTの考えだと思う。
自分もここまでは考えが一致するところだ。
では違いは何かというと、実は前提のところに違いがある。
これはマズローへの根強い批判として存在するものでもあるのだが、そんな単純に生理的欲求と社会的欲求を分類できるものだろうか?
先ほどの例はよく考えると色々雑である。
繰り返しになるが生理的欲求を社会的欲求に分類してはならない、ということには賛成である。
ただ、現実的にはどの欲求がどちらに属するのかを明確に分類するのは難しく、人によって線引きが違ってしまうのではないか。
日本社会で性暴力や性搾取は許されないっていう合意なんてもう既にあって、むしろ搾取や暴力を伴わない性欲や性行動まで一緒に悪いもの、存在しないものにしようとする理想像の押し付けこそ性虐待だし、性暴力を受けた子供や男性や女性が口を噤むことに繋がっているんじゃないか
「日本社会で性暴力や性搾取は許されないっていう合意」は既にある。
あるのだが、「性暴力や性搾取」と「搾取や暴力を伴わない性欲や性行動」の線引きは人によって大きく異なるのではないか。
「ここまでは生理的欲求だから仕方ないよね」というラインが別の人にとっては許容できない社会的欲求となっているのではないか。
以上が考えが異なる部分なのではないかと思う。
id:greenTは「欲望を勝手に悪に分類するな」と言い、自分は「欲望も制限するべき」と述べた。
「悪に分類するな=制限するな」という意味に受け取ったので「制限するべき」と反論したのだが、この段落を読むにどうも反論になっていなかったようだ。
たぶんid:greenTは性的コンテンツ規制を心底嫌だと感じているので「悪に分類された」と感じており、自分はそこまでではないので「制限は必要」という認識違いが発生していたのだと思う。
自分が制限されたら嫌だと思っていることを意に反して制限されたら「勝手に悪に分類された」と感じるだろうが、関係ない物事が制限されてもそうは感じないだろう。
たとえば自分は登山も趣味の一つなのだが、各自治体が「コロナ禍で山岳救助とかやってられるか!入山禁止な!」と言い出したとする。
登山と関係ないほとんどの人の感想は「ふーん入山制限ね。仕方ないんじゃね」くらいのものだろう。一方自分は「登山者を悪者にしやがって」と感じるかもしれない。
だが、「制限すべき」ものは「悪」ではない。上記の中で明確に悪なのはいじめくらいだろう。基本は「欲望自体は尊重されるものだが、社会のリソースに限りがあるのでみんなで制限も受け入れましょうね」というスタンスを取るべき
自分もそのように思う。
1つだけ付け加えると、後段で「上段でいじめを明確に悪だと分類したが、性欲はそれとは違って人間関係の維持に良好な影響をもたらすものだからだ」とあるのだが
いじめがいじめられる人以外の人間関係の維持に良好な影響をもたらすケースはあると思う。
だが、そういう価値の相対化を許さず悪だと断じなければならない物事もあると考えている。
上記の結論部の一つ目には同意する。ただし…と続きがあるが、それは上で述べた通り。
2つ目については、個人的には性産業大国となりつつある日本で過剰な制限があるとは思っていないがそのように感じることは理解できる。
日本は歴史的に見ても性的に奔放で、AVやエロ本が無い時代でも春画やら吉原やらが存在した。無批判に欧米の基準を受容しても上手くいかないだろう。
身近な例で言うと、近所の小学校の数百メートル先にエロゲ―ショップがあり下校中の小学生がポスターを見ていたりするのはこれまずいんじゃないのと思っている。
しかし、だからと言っていきなり議員が抗議文を送りつけたり法律を持ち出したりして圧力をかけるのは性急すぎる。
エロゲ―ショップに張り出されるポスターも昔に比べるとソフトな表現になり、過激なものは店内だけにという使い分けがなされていると思う。
それでもなおポスターを剥がせと突然言われたら店舗としては規制が過剰すぎると感じるだろう。
共産党もそういうわけで社会的な合意形成を目指そうとしているのだと思うが、合意と言うのは双方の合意によって成り立つので規制される側抜きには成り立たない。
規制したい側だけで話し合うようになってしまわないことを願いたい。
ネットでは時折炎上案件が発生しそれが過剰に取り上げられることによって憎悪を煽る結果を招いているが、社会全体を見ればオタクコンテンツはますます受け入れられる一方である。
これは関係者が世間から広く受け入れられる表現を模索した結果であろう。
はてな匿名ダイアリーは小学校の裏サイトだった・・・?
衆議院選挙の候補者が公示されたので有権者として自分の選挙区の候補者をなんとなく確認してみた。
最近この選挙区に引っ越してきたので全然知らなかったが、この選挙区凄くないか?
自民党44歳の鈴木氏と立民党38歳の中谷氏の若手候補一騎打ち。いずれも現職候補である。(衆院解散したから正確には前職か)
前に住んでいた選挙区の候補者が自民の当選回数だけが自慢の老いぼれジジイと、共産党の婆さんと、希望の党の素性も分からない奴だっただけに余計に驚いている。
前回の衆院選では「何なら全員落ちてくれ!」と思いながらも義務感で投票に行ったが、今回はきちんと2人の主張や実績を確認して投票しなければいけないという責任感すら生まれている。
神奈川7区が熱いと書いたのはこの2人の候補者が若手現職だということだけではない。
2人の経歴が完全に真逆なのだ。
大蔵省入省
福岡国税局勤務、ジョージタウン大学フェロー、ニューヨーク副領事、厚生労働省職業安定局出向(係長職)などを経て2005年8月に退官
(Wikipediaより)
いや、こんな絵にかいたようなエリートがいる?と言う位のエリートである。
なんならエリート過ぎてちょっと庶民の感覚わかります?という点で投票をためらってしまいそうなレベルだ。
しかし、経歴もさることながら政治家になってからも一目置かれているようで、この若さにして外務副大臣と財務副大臣の職を経験している。
どれくらい有能なのかはわからないが、岸田首相と同じ開成出身であり、今回の総裁選で影響力を発揮した麻生派であることだけでも今後の要職も期待できるのではないかと思ってしまう。
一方で立憲の中谷氏の経歴。
貧困な母子家庭で育ち、11歳の時に両親が離婚。埼玉県、東京都、大阪府、神奈川県と転居を繰り返し、幼稚園2園、小学校4校、中学校2校に通学。
公立中学校卒業後、一度就職するも挫折し通信制の高校を卒業後、専門学校で柔道整復師の資格を取得。その後慶應義塾大学経済学部通信教育課程に進み、デジタルハリウッド大学大学院を首席で修了、DCM(デジタルコンテンツマネジメント)修士。gumiの創業に参加。執行役員を経て、顧問に就任。
(Wikipediaより)
本人のWebサイト等を見るとヤンチャ時代があったと書いてあったり、ちょっとヤバ目な若者集団との写真があったりと「おぉ・・」と思わせるところはあるものの、中卒で一度働いてから大学院まで出てgumiの執行役員・27歳で県議会議員という這い上がり人生は本や映画にするなら圧倒的に鈴木氏より面白いものになるだろうし、こちらの方が人間味がありそうで良いと考える人も居るだろう。
正直今回もこの2人の若手候補者に当選してほしいし、何ならどちらかは私の前住んでいた選挙区で出てほしい。そしたら簡単にトップ当選するのにと思ってしまう。
全国にどんな候補がいるのか調べたわけではないが、少なくとも神奈川選挙区の中では最も面白くて、注目すべき選挙区だろう。
そんな選挙区で1票を投じられる喜びを感じている。
娘たちから、「ママは子供の頃は、将来何になりたかったの?」って聞かれた。
子供の頃……、今の長女と同じ年頃、10歳頃のことを思い出すと、本気でなにかになりたいと思ったことは、そういえばなかった。
何でなりたいものがなかったのか。その理由の一つが、私は幼い頃に病気で10歳までしか生きないだろうと、医者から余命宣告を受けていたので、誰も、私自身ですら、将来の自分に何も期待をしていなかったことだと思う。病気は小学校に上がる前にあらかた治っていたけれど、どうせ長生きしないんだからという投げやりな気分だけは、長く残っていたのかな。
小学校の高学年になると、将来の夢について作文に書かされたり、夢を叶えた自分の姿を紙粘土で作って授業参観で発表するとかいう機会があったから、殆ど強迫観念みたいに、夢は持つべきものだと思って、なりたいものを次から次へと言いだした。占い師だとか獣医だとか、色々。でも、本気でなれると思ったことはなかった。
中学の頃からは漫画家になりたいと思っていた。思っているだけじゃなくて、自ら言いふらして歩いていた。でも、本当は漫画なんか1ページも書いたことがなかった。毎日、高校受験の勉強の合間に、10分間だけクロッキーの練習をしただけ。それでもいつか漫画家になれると思っていた……そうだろうか? 本当は、将来というものにおそれをなして、ただ現実から目を背けるためだけにデカい声で「漫画家になる!」と叫んでいただけだと思う。子犬が真夜中に親を恋しがって遠吠えをする、その鳴き声とあんまり違わない叫びだと思う。ただただ不安だったから叫んだ。自分は人間だから「ワンワン!」と叫んでいるわけにはいかないので、なんか意味のありそうなことを叫んでみただけだろう。
まあ、そんなわけなので、ママには将来の夢なんか一つもなかったんじゃないかな。なんて、私はちゃっかり漫画家になりたかったことだけは抜きにして、娘達に話した。長女が最近、「将来は漫画家になりたい」と言っているから、余分なことを吹き込みたくなかったというのもあるけれども、やっぱりそれより、中学時代から数年(なんと大学を卒業するまで!)の、自分の弱さと情けなさにいまだ直面したくないというのが本音だ。
0歳時点で余命10年と宣告された私だが、もう40年近く生きてきた。十分に生きたし、子供達のことや老後のこととかはあるにしても、将来に不安とか、別に感じる必要もないわけで。近くの問題から目を背けるために遠くを見る必要はないのではないか? と思うと、単純にやりたいことと純粋に向き合えると考えた。なので、最近は昼間、私以外誰も家にいない時間は一人でパソコンに向かって小説を書いている。毎日毎日、まるでそれが仕事であるかのように書き続けて、すごい馬鹿だなと思う。
小説サイトに投稿すれば、読んで好きだと言ってくれる人がたまにいる。だがwebのコンテストに出品しても、掠りもしない。でもまだ出版社の原稿募集だけはチャレンジしたことがないので、次に挑戦するならそれだよなって思う。
男だが女児ショーツが好きだ。今でも休みの日にこっそりと穿くこともある。柔らかい生地が男性器を包むのが気持ちいいのである。誤解されないように言っておくがちゃんと通販や店舗で購入している
事の発端は小学校入学前の身体検査(?)だった。男子も女子もパンツ一枚になり一緒に検査を受けてその時に女児ショーツにムラっときたのが始まりだった。
Twitterでも女児ショーツ愛好という性癖を持つ人物のアカウントはあるがなかなか自分の方向性があう人物にはなかなかいない。まず、アニメもののアニパンには興味がない。加えてアニパンとも被るところはあるが最近の派手めのカラーショーツも興味がない、色が鮮やかすぎてムラっと来ない。そしてお漏らしも対象外だ。
2010年代あたりからだろうか、白無地にバックプリントや総柄というシンプルな女児ショーツが減ってきたように思える。女児の下着の好みの変遷なので仕方のないことなのかも知れないが好みのデザインが風前の灯なので寂しく感じている。妥協して薄いカラー地にバックプリントや総柄というのだったらまだ少しはあるので好みのデザインがあれば買うことはある。
昔は白無地にバックプリントや総柄というどことなく野暮ったい、ダサい、ダサかわいいみたいな自分好みの女児ショーツがたくさんあったが今ではそういうのは滅多にお目にかかれないのが寂しい。せめて昔の女児ショーツの柄を見るために昔のセシールの子供服のカタログが欲しいと思ったこともあるがネットオークションではすぐ売り切れてしまう。
稀に双基がどういった意図かは分からないがたまに170cmのサイズで昔っぽいデザインの女児ショーツを発売することがありそれが楽しみといえば楽しみである。