はてなキーワード: 対症療法とは
少なくとも自分はそうだった。
「恋愛ができない」を「恋愛をしたがらない」と解釈するのは、もともと恋愛に障壁のない人の発想なんじゃないだろうか。
15~25歳は、恋愛と縁のない自分は劣等な人間であるという考えから逃げられなかった。
自分はどんなことをやっても、非モテというだけで、それは価値のない行動になるらしい。
では、何で吹っ切れたかというと、
このへんが効いたかもしれない。
二次元とか仮想のキャラクターが影響している→むしろ心理的な対症療法
そしてやっぱり私はモテない。
だからその落ち度とやらを女は小さい頃から嫌というほど言い聞かされてるというのが元コラムの主旨でしょ。女が言い聞かされてきたのは「簡単に撮らせちゃダメでしょう(呆)」「ちゃんと断らなきゃ~(苦笑)」程度の対症療法ばかりで、
指摘するななんて元コラムも元増田も言ってない。それは知ってる。でも「被害者の落ち度については一切言うな」って言うフェミがけっこういるのよね。ラディカルすぎると思うね。そのへんを念頭に入れた独り言。
犯罪者予備軍の可能性がある男性(つまり男性全員)の落ち度も同じように指摘するべきだと言ってるんだよ。別にそれを否定はしてない。ただそれで被害はたいして減らないだろうねという話。
ていうか釣りだよね?うんかなり煽ってる。そういう気分なんだ。
元コラムで指摘されてる「被害者が悪い」論法を繰り出す男、俺は犯罪者予備軍じゃないとなぜか自信満々に信じ込んでる男の主張そのまんまなんだけど。悪いのは加害者だと書いたんだけどね。それに俺はほぼ犯罪者だよ。男だからね。
また、鬱状態に陥ったとき、薬によって即効的に眠れるようになったり、不安が和らいだりするのは、とてもありがたかった。
だからごく短期で服用する分については、医療行為として適切なことなのかもしれない。
だけど長期連用することで、体が薬に依存してしまい、止めることが難しくなってしまう。
薬を飲み始める以前は容易にできていた仕事が、副作用で困難になってしまう。
医者が長期連用にならないように指導してくれればよいのだが、現実には、逆に多剤大量処方を長期にわたって行なう医者が存在する。
「医者」という権威を利用して、弱っている人間を食い物にする、そういう医者が現実に存在する。
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20120905141516775/
医者にとっては、薬物依存者を増やすことで高収益ストック型ビジネスを構築できるので、多剤大量処方を行ないたいというインセンティブが働くのだと思う。(ごく一部の医者だけだと信じたい)
私は減薬で相当な苦労をした。
これ以上、同じ苦痛に悩む人が増えてほしくない。
だからこれを書いた。
もし鬱状態に陥って、かつまだ薬を服用していないなら、なるべく薬による対症療法ではなく、鬱状態に陥った根本原因(激務、対人関係、環境など人それぞれ)を解決することに注力するべきだと思う。
いま薬を飲んでいる人へ:
急な断薬は止めてください。
あと強い光にも弱い
明るめの部屋でずっとトランプしてたら
急にくらっと来て、頭痛が始まったこともある
バファリン飲んで
よく睡眠をとればすぐ治るんだが
一度始まると、寝るまでが地獄
wikiにも書いてあるように目の奥をえぐられるような痛み
頭が本当に割れるかとも思う
ワンシーズンごとに一回くらいの頻度でなるから
気にもしてなかったが
その「予兆」ってのはなにかというと
視界が狭くなる
というか、視界のうちの一部分が見えなくなる感じ
うまく言い表せないが、視界にモザイクがふよふよと出てくるのに近い
あくまで「予兆」
30分くらいで視界全体の1/3くらいにモザイクがかかる
で、最大になったらそこで、ふっと、モザイクが消える
ひどい頭痛になる
怖いのは、いままで「予兆」があって
頭痛にならなかったことはない
早く薬飲んで寝ないとまずい
だけど、すぐ寝れるような状況なんて多くない
バイトだったり、なにか期限が迫ってたりと
だからといって、「これから頭痛くなるんで、休ませてください」
とか言うもんなら
とか言われそう
祈るしかない
今回は頭痛は来ないように
最近はなかなか来なかったのに
なんとか治らないものだろうか
つーか選挙全般がもうどうでもいい。
これでも20歳になって最初の選挙とか誇らしげに投票したんだけどなー。
投票することが大事なんだって思いつつ、若くして意識高い自分(笑)政治に興味ある自分(笑)日本を真剣に考える自分(笑)に酔ってただけだった。
就職してしゃかいのげんじつ、にほんのげんじつを実感するにあたってどんどん無気力になっていった。
どんだけ一人が真面目に意識したって、マスコミに流される大衆、タレント候補にホイホイ投票する大衆、組織票があるところ、感情的な世論には勝てない。
消費税も上がる。
復興特別税と称して搾り取ってるところをそのまま何気なく通常税金としちゃう未来も見える。
年寄りが増えて年寄り重視若者軽視の政策が増えて若い人間の生きづらさはどんどん加速する。
もう日本はこのまま落ちるとこまで落ちればいい。
最悪に向かう状況で少しいいことをしようとしたって対症療法じゃ意味がない。
全部ダメになったところからやり直すくらいじゃないともはやどうにもならないレベルなんじゃないの。よく知らんけど。
でも一人でひきこもってればなんとか自分ひとりの寿命くらいはまっとうできるんじゃないのってぼんやり考えてる。
日本の将来なんかしらん。
自分だけでも精一杯なのに、たらい回しにされてツケのたまりまくった日本の未来になんて責任持てない。
年収低いけど残業代は出るし、現状に十分に満足してるわけじゃないけどめちゃくちゃ不満があるわけでもない。
だらだら生きることができるかぎりは生きる。
どうしてもダメそうだったら身辺整理して安楽死がある国に行って死ぬ。
もう疲れた。
何も変わらないし変えようとも思わない。
どうでもいい。
スマホでネットを徘徊していると必ず見かける電子書籍(マンガ)のサイトの広告。こういうサイトに登録してみたらどうなるんだろう?と思い、深夜唐突に登録してみた。といってもなんらかの実益が欲しいので、FC2アダルトのスポンサー広告による有料会員登録を利用してみた。というかこっちが本命。FC2アダルトは有料会員でないといろいろと不便で、そのためには怪しいサイトにお金を払うことで有料会員になることができるのだ。
というわけで早速FC2が指定する、とっても怪しい電子書籍のサイトに登録。月500円ちょいを支払うことに。ちなみにiPhone5でキャリアはau。かんたん決済を利用した。
とりあえず初期費用として500円払ったものの、なにかめぼしいマンガがあるわけじゃないし(レパートリーが古いし、どっかから違法ダウンロードか横流しかできたんじゃないか臭がプンプンする)、そのサイトはとりあえず退会するべきだろう。ご利用ガイドを見て、ふむ、メニューから解約ボタンだな。
...あれ?解約ボタンがないんですけど...
サイト内をくまなく探してもない。そもそもくまなく探すほどそのサイトには何も無い。っていうか、解約ボタンってなんだよ!退会じゃねーのかよ!怪しすぎんだろ!気づけよ!
ここで深夜二時、頭を抱えることに。登録してみたとか書いてるけど、実際のところ普通にひっかかった感じでした。情強気取りのアホでした。すいません。普通にクレカで1年パス買えばよかった。目の前でエロ動画の冒頭だけ見せられて、続きは有料会員だけ!なんて無理だよ...チンコには勝てねえよ...
そりゃもう後は必死の形相で解約の方法を探した。その顔はまさしく般若でした。いろいろ調べてみると、au側で半ば強制的に解約できることを発見。↓参考
http://izurenotokoronika-jinaiwohikan.blogspot.jp/2013/01/au-2.html
どうやらauかんたん決済の利用制限をかけることで、翌月には解約されるということ。正確には課金ができなくて強制退会という形になるらしい。同時にauスマートパスとかいう謎オプションもついていて、月390円払っていることが判明。とりあえず対症療法的に利用制限をかけてみることに。もしこれで二月入っても解約されていなかったら(au側で確認できる)、auサポートに相談してみようと思う。
この手のサイトはかなり厄介だというのは散々言われているけれども、実際に体感したことがなかったからある意味ではいい経験だったと思う。以前facebookの退会をしたときも非常に面倒でわかりにくかった記憶がある。SNSはともかくとしても、こういうお金が絡むことは消費者庁がキチンと監視の目を行き届かせることが重要じゃないだろうか。自分はいろいろと手を打つだけの余裕があったからまだよかったけれど、これが中学生とかだったら手を付けられなかったからね。そういうわけで凄い久々にネット社会の恐ろしさを味わった夜でした。あともうエロ動画にはつられない。
今日も、「荒れる新成人」という毎年恒例の話が出てくる。しかし、新成人に文句を言って嘆く既成人たちは、「なにがなぜ悪いのか」を説明して叱れるのだろうか? 叱責が説得力をもつためには、なにがなぜ悪いのかを説明し、しかも叱る当人が己を律していなければならない。
「人を殺してはなぜいけないのか」という疑問が話題になったことがあったが、「そうした疑問をもってはならない」という社会気質が、この国にはある。何も考えずにただ「殺人=悪」だと言う。しかし、そんな思考停止では、真の倫理観は育つまい。究極的には、刺すか刺されるかの状況になれば他人を刺すものが必ず出るし、「死にたい」と思っている者には「他人を殺すまい」という抑止力はきわめて働きづらい。ただ単に「殺人=悪」だと言って洗脳するのでは、ものごとは解決しない。
この社会にあるのは、道徳倫理ではない。潔癖症なのだ。言い換えれば、怖いのだ。多くの者が、死を怖れると同時に、快適に暮らしたいと思っている。その、自分たちにとって心地の良いような潔癖な社会にしようとする理屈でできているのであって、真に「なにが悪いのか」は考えていない。
「なにが悪いのか」を考えずに杓子定規に順守して、「俺も守っているのだからお前も守れ」と言うのだろうが、そんな理屈ではよくわからない。ところが、いまの多くの人たちは、「俺はこんなに頑張っているのに」「私はこんなに苦しいのに」と言って他人に八つ当たりする。大流行中だ。
古くは、自分でも「悪い」とは思いもよらなかった行為を、偉い人に怒られたり、天変地異の原因になったと思ったりしたから、「しきたり」ができるようになり、いささか不合理な「しきたり」でも杓子定規に遵守するという社会気質ができた。それがそのまま江戸時代ころにはもう全国家的に流布されて、皆「お上」の言うことをきく「踏み絵社会」ができあがっていた。
さて、そもそも、社会的善悪というのは、真の善悪とは異なると思う。社会的善悪というのは、人間にとっての都合の良し悪しだ。自分たちの自我にとって「得だ」と思うことが善になり、「損だ」と思うことが悪になる。だから、死にたくなければ他の生物も殺すし、インフルエンザウイルスであれなんであれ、徹底的に殺すようにしているだろう。昔も今も、多くの生物を殺戮して、しばしば絶滅させてきた。
昔はもっと、「殺生は悪だ」ということが一般的に言われていた。いまは、平気で生物を殺すし、動物がたくさん殺されて食べられている。動物を殺すのを見たくないから食べない、というのではなく、見ずに食べる方法をつくりだして逃げている。ついには、魚肉や鶏肉に骨がないようにまでしている。もはや、生物っぽくなく、便利に食べられる。もちろん、骨抜き魚肉や骨抜きフライドチキンが出てくる以前に、チキンマックナゲットだろうがハンバーグだろうが、骨を意識することはないのだが。いまの欧米人はこの国の活造りを見ると「残虐だ」と言い出すが、我々はもともとは、生き物を殺して喰らっているという自覚をあえてもって、また、ピチピチしているのを見て「新鮮だ」と言って、喜びと有難みをもってきたのだ。反対に、たとえブロイラーにしようがハンバーグにしようが、動物を殺している残虐からは不可避なのだ。例えばマクドナルドなどにしても、全世界的に食肉を大量生産して流通させているが、膨大な殺生をしている。大量の飼料や水を消費して牛を飼い、また、深海魚まで獲っている。それはムダな消費なのではないか?
まあどうせ昔も、「殺生=悪」という「しきたり」でしかなかったのかもしれないが。だが、きっと、釈尊にしてもそうだし、「無益な殺生をしてはいけない」と言った多くの偉人たちのなかにも、「殺生ばかりをしていたら自分たち人間も生きていけないだろう」と直感していた者が少なくなかったのだろう。ただそれが、日本社会では、形式的にばかり順守される「法令さえ守っていればいい」的な実態になったのだ。それは結局のところが、日本社会のほとんどの人が無教養で思考停止をしているからなのだろう。つまりは洗脳されてきただけだ。
我々が生きていくためには、生物を少なからず殺す必要がある。そうしないと食べていくこともできないだろう。直接にも間接にも、殺生をしている。だが、際限なく殺しまくっていたら、無益な殺生になり、そして殺された生物種がしばしば絶滅する。
自我の屁理屈を超えれば、他の生物を殺しすぎるのは、生態系のつりあいを破ることになるから、我々自身も生きていくことが難しくなる。したがって、無益な殺生は、生きていくという観点でも明らかな悪だ。無益な殺生が悪だということは、合理的に説明可能だ。
いまのこの国では、「本当のこと」が言えない。例えば、政治的な発言が忌避されるのも異常だ。「それはおかしいと思う」と言える社会ではなくなっている。例えば原発にしたって殺生にしたって自殺率にしたって、さらには、インフルエンザだろうがHIVだろうがなにもかもを殺戮して存在を消し去ろうとすることの異様さにしても。
他人を叱れないし、叱る能力(冒頭に書いた通り)がそもそもない人が多いのだろう。なにがおかしいのかを言える雰囲気でもなければ、なぜおかしいのかも言えないからなのだろう。ひとりひとりが叱れない社会だから、マスコミが代弁することで憤懣の捌け口になっているのだろう。
我々は、完全には清廉潔白でいることはできない。殺生をしなければ生きていけないし、他人に迷惑をかけずには生きていけない。
だが、己の穢さを自覚しなければ、不潔であることに対する抑止力は働かないのではないか。
皆がまたぞろ、自分にとって都合のいいと思うことをやりたいから、例えばガソリンなどの資源エネルギーも多用するし、そうして地球温暖化も進んでいるのだろうし、有毒物質もまきちらしているし、将来の資源枯渇へと「ツケまわし」もしている。だが、「それは悪いことだ」とは、ほぼ誰一人として言わない。例えば、「自動車を抜本的に減らせ」とは、ほぼ誰も言わない。乗りたいからなのだろうし、自動車があることで産業があり雇用があるからなのだろう。同じように、「タバコは有害だから禁止すべきだ」どころか「増税すべきだ」と言うことすら、すぐさま自民党などから「葉タバコ農家が〜」という屁理屈が返ってくる。それではきっと、葉タバコ農家は死の商人だね。JTも、その大株主のこの国も、同じ国民から「血を吸って」「肉を喰らい」生きているのだ。
例えば米国人がやっていたら、この国でもやっていいことになる。迷惑駐車でもポイ捨てでもなんでも「他人たちがやっているから自分もやっていい」という言い訳は必ず出てくるだろう。互いに都合のいいことなのだから、みんなして「赤信号も渡る」のだろうし、「崖っぷちへと突撃する」チキンレースをやりもする。
ところで、自分たちにとって都合の悪いと思われる生物を徹底的に殺戮してきたから、HIVが出てきたり、新型インフルエンザが出てきたりしたのだと思う。少なくとも、薬物耐性病原体は、過度の殺菌をしてこなければ出てこなかっただろう。そうして、潔癖に潰しまくってきたから、いわば「テロ攻撃」が他の生物から、地球から、加えられているのだ。
それどころかさらに、いまの我々は、自己の心身にすら欺いて、自我が都合の良いと思うことばかりをしているから、心身の反乱をくらっているのだろう。癌にしても、アレルギーにしても、「精神疾患」にしても。人工的に潔癖な生活空間をつくってきたから、心身にとってかえって不健康なことになっている。
地球の生態系のつりあいも、自己の心身のつりあいも、壊しているからだ。だからかえって危機に陥る。不健康になる。
この国では少子化だと騒がれているが、世界人類はいまも増え続けている。はたして、「人口増=善」なのか? 人類が増えすぎたら、地球の生態系のつりあいは崩れる。すでに崩れている。しかし、自分が生きたいと思っている人たちは、「出産=悪」だとは決して言わないだろう。真実を言わないし、真実に気づきすらしないのかもしれない。
昔から、例えばクリスチャンは「人は原罪を負っている」と言う。また、この国では浄土真宗の檀信徒が最大多数だと言われているが、そもそもの浄土宗や浄土教は、悪の自覚から始まっている。つまり、「自分は悪人だ」と自覚しているからこそ、「地獄に堕ちる」と思い、「どうやったら救われるか」と考えるのである。それに比べると、いまの人間には、悪の自覚が足りない。
自分たちを律することができず、ゆがんでいく。ゆがんだことでトラブルが起こるごとに、対症療法をする。砂糖を入れすぎたから塩を足すかのように、余計なものをどんどんと付け足していき、だからますます錯乱していく。ぐにゃぐにゃにゆがんでいく。
究極的には、己の死に対して覚悟がないとはじまらないのだと思う。人類は、過剰な生存意欲があるからこそ絶滅せずに生きていられたのだろう。だが、だからこそ、生存意欲の過剰さに対する自覚をもたないと、欲望も執着も、いくらでも膨張して肥大化していく。そうして、人類も増えすぎるし、生物も殺戮するし、資源も食い尽くすし、自己の心身さえも傷つける。
異質な他者の存在に対して、多様性に対して、寛容に、しなやかに、ふわっと、受け入れないといけないと思う。究極には己の死に対して覚悟がないと、それはできない。だが、受け入れなければ、「テロ攻撃」が、他人からも、他の生物からも、さらには自分自身の細胞や潜在意識からも、加えられていくのだ。
いまのこの日本社会にしても、やっていることは正反対で、威圧して同調化させようとする傾向があり、それは近年ますます増している。それではきっと、ますます危険で不健康で暮らしづらい国になっていくのだろうと、私は思っている。
それが「挑発」になってしまっている現状がもうおかしいって話だろ。
君の言う通り世論を作るのは日本で、それをやってこなかったからこんなことになってしまった。
で、現状を肯定すると対症療法でしかないから根本的には何も解決せず、あれも「挑発」これも「挑発」となりもう身動き取れなくなるぞ。
根本的に治療するには日本と世界の世論を作っていくしかない。その第1歩として今回の荒療治は評価する。荒療治に痛みはつきものだ。
だが放っておけばどんどん悪化するからな。
真面目にポリティカル・コレクトネス考えると本当にめんどくさいよね…
つい浅薄な対症療法としてギャン喚きしてる人を色んな手段でなだめて落ち着いたら解決ってことにしがちだけど
見てる人は「正しいことが成された」ではなく内心で「うわぁめんどくさいなこれは関わり合いになりたくないぞ」ってなるだけで差別の溝自体は深まるという
場合によっては世間で言われている方法と逆のことをした方が効くこともあったし、自分なりに症状改善の原則のようなものが見えてきたので、せっかくなのでこれまで色々と試してきた方法を記録しておきます。
以下、方法の記録:
結論から言うと、
とにかくこの2つを同時並行して体質改善を図る。同時にやらないとダメ。
いずれにしろ、洗った後は洗浄成分が一分子も残らないくらいの気持ちで神経質なほど洗い流すことが重要。インドの洗髪ハーブ(ヘナ、シカカイ)も試したが、これは合わなかった。
石鹸は頭皮・頭髪(上記参照)や脇の下など匂いが気になるポイントだけに使い、他の部分はお湯だけで流すようにしたら症状が改善。もちろんタオルやブラシでこするのは論外。手で洗う。ボディーソープも論外。これも、洗った後は石鹸成分が一分子も残らないくらいの気持ちで神経質なほど洗い流すことが重要。要は、石鹸で皮脂を過剰に落とすと、身体の正直な反応として過剰に皮脂が分泌される体質になってしまい悪循環なので、常に適量の皮脂が体表を覆う健康な体質になるよう使う石鹸の量を根気よく少しずつ減らしていく。
風呂を2~3日に一回に減らしたら症状が劇的に改善した。世間ではアトピー対策として「入浴して身体を清潔に」とよく言われるが、あくまで対症療法で、清潔にすれば治るという意味じゃない。そもそも身体の綺麗な人は風呂に一週間入らなくても臭わない。体育会系やガテン系ならともかく、デスクワーカーなのに風呂を減らしたくらいで臭ったりベタついたりするのは体質が悪いのだ。石鹸を控えたり、胃腸を整えたりして体質が良くなってくると、風呂に入らなくても気持ち悪くならなくなるし、風呂に入るたびに保湿剤を塗りたくる必要もなくなっている。そういう意味で、「風呂を控える」のは最後の仕上げ。最初にやったらむしろ症状が悪化するかも。
ぬか漬けは生きた乳酸菌が豊富。これは割と効いた。自分で糠床をかき混ぜたので、もしかしたら食べること自体よりかき混ぜる方に効果があった可能性はある。ヨーグルトとか、最近さかんに広告しているアレルケア錠も数ヶ月間試してみたけど、そっちは特に効いた気はしなかった。自分に合った乳酸菌源を見付けると良いんだと思う。
玄米は食物繊維が豊富。これもかなり効いた気がする。ただ、玄米飯にした結果、必然的に良く噛んで食べるようになったので(硬すぎて噛まないと飲み込めない)、そっちに効果があった可能性もある。いずれにしろ、食物繊維を良く摂ることと、良く噛んで食べること、どっちもやって損はないと思う。
世間では「脂分を控えろ」ということになっているけれども、どうも、それを真に受けすぎて油を減らしすぎていたらしい。一時期、玄米菜食に近い生活をしていたのを、意識して肉や油を食べるようにしたら肌のカサカサがだいぶ改善した。もちろん質の良い油ね。二郎とマクドナルドは我慢。
根本的な治療にはならないと思うのだけれど、一時的に湿疹が引く裏技がこれ。
怪我をすると皮膚を修復するため体内でステロイドが生成されて(?)、怪我が治るまでの間、面白いように湿疹が治まる。口内炎になる、という手もある。私以外の人にどれほど効果があるかは知りません。
体質が改善されてくると、それまではステロイドを塗り続けないと湿疹が治まらなかったものが、一回塗っただけですぐ治るようになって、弱いステロイドに替えて、、、というワケで、今でも疲れがたまったときなど小さな湿疹が出ることがありますが、薬を塗らなくても治まるようになりました。だいたい、普通の人の体質になったと言って良いと思います。
10年間で得た教訓は、「○○でアトピーが治る」っていうキャッチコピーは、○○に入る単語がステロイドにしろ民間療法にしろ、ウソっぱちってことです。それだけでアトピーが治る魔法の薬なんてない。全体として体質を改善していかなくてはいけない。あと、症状が改善した結果として脱ステできるのであって、脱ステすると症状が改善するわけではないです。
...なんだか体質改善信者の布教記事みたいになってしまったけれど、徹夜はするし運動は全然しないし、それほど厳格にやってるわけじゃないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130602071533
まあそれも大事なんだけど、それは対症療法なわけで、もっと根本的な解決をしないとダメだよね。
そもそも、将来の社会人を育てるための教育のはずなのに、義務教育の内容に、社会人になってからどうするかの具体的なものが少なすぎる感じがするね。だから世間に「学校では教えてくれない大切なこと」みたいなフレーズがあるわけで、それって義務教育の内容が穴だらけってことじゃん。
それに、その「社会人になってからの実際の暮らし」が、「死ぬまで働け社畜ども」なわけで、あれ?おれこんなクソみたいな働き方するために教育されてきたの?ってことを知って絶望するわけで。そりゃ働いたら負けだよね。ニートにもなるわな。
まずは労働環境の改善、時間や労力あまり使わない働き方の選択肢を作り、その働き方を日本のマジョリティであるクソ団塊どもがdisらないように認めさせてからじゃないと。
そんで、いろんな働き方があるんだよ、それはちゃんと社会のマジョリティにも認められてる働き方だよ、クビになってもやり直せるから気にするな、っていう教育ができると思うんだよね。それがナチュナラルなニート減らす政策だと思うんだけど。
学生や若者の立場から見て、「どう考えたってこの国の未来には絶望しかないので未来のことから目をそらしていま楽しいことして暮らすしかない」、なんて展望しかできなくさせている状況を改善しないと。
学生や若者がそんな展望だから、年上や社会人を尊敬できないし、ちゃんとした社会人になろうというモチベーションも削ってるんじゃないかな。
マクロな因果関係からして頭を下げなければならないのは団塊のほうなのに、いまだに新入社員の頭を叩いてる団塊、って構図なのがアカンやろ。
文春新書の『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』が話題だ。著者の今野晴貴氏は、POSSE(ポッセ)という労働NPOを作り、1500件もの労働相談を受けてきた。仕事を通じて心身を壊してしまった若者から、ブラック企業の悪行を耳にしている人物である。
そのような活動によって、命を救われた人もいることだろう。そのこと自体は価値あることであることは間違いない。ただし、傷つく社員の立場から呼びかける対策だけでは、たぶんに対症療法的になりがちになるのが惜しい。
例えば、ブラック企業誕生の背景には、経済のグローバル化の影響などがあるはずだが、本書ではそういった経済的な要因への考察がなく、それに基づく労働者の未来に対する助言もない。
読後感がよくないのは、ブラック企業の醜悪さに吐き気がしたからではなく、こういう問題の捉え方だけでは救われる人は多くないのではないかという漠然とした不満のためだ。資本主義社会では、競争が基本原則であることは変えられない。セーフティネットは不可欠だが、セーフティネットの論理だけで全体を覆うことはできない。
「すべての日本企業はブラック企業となりうる」という企業敵視が強すぎるのではないか。良し悪しや倫理的な判断は別として、まずは現実に起こっていることを幅広く見て、そこに関わる会社や経営者がどういうインセンティブで動いているかを要因分析し、それを根本から変えさせるアプローチを取るのでなければ、企業批判は空回りし実効性はあがらない。
結論ありきの企業批判がマズイのは、真の「問題」を捉え損なうからだ。本書は典型的なブラック企業として、あるIT企業とアパレル企業の2社の例をあげている。そして共通点として、入社してからも終わらない「選抜」があることと、会社への極端な「従順」を求められることを問題視している。
しかし「選抜」と「従順」の何が悪いのか、落ちこぼれてしまった人の悲惨な例を読むだけでは、いまひとつ判然としない。ITとアパレルという競争の激しい業界において、この時代に生き残るためには「選抜」も「従順」も必要な手段であり、それに耐えられる人だけが働けばいい。
これを問題とする視点は、「普通の人が(無理をしなくても)生きていけるモデル」をあらゆる企業に当てはめようとする、一種の非現実さから来ていると考えられる。
私企業であるユニクロの店舗が、激務で高給な一握りの「スーパー正社員」と、その指示に忠実に従う数多くの「普通以下の契約社員やアルバイト」(薄給ですぐ辞める)で構成されていることに、なんら問題はないはずだ。それが顧客の満足や、世界的な競争力につながってもいる。
仮にユニクロの店員がすべて、そこを訪れる客よりも高い給料を保証されつつ、「選抜」にも「従順」にもさらされていない正社員であったら、客はどう思うだろう。価格は2倍に釣り上がり、商品は売れず倒産することになる。
もしかすると、「日本人を正社員で雇い、ゆとりある労働環境で働かせることができない会社など出て行け。潰れてしまえばいい」と考えている人がいるかもしれない。しかしユニクロが潰れれば何万人もの雇用が失われ、外資の同じようなSAPが市場を席巻するだけだ。
「ブラック企業」問題が解決された世の中とは、どんな状態になっているのか。すべての企業が普通の人を温かく受け入れてくれる世の中を望んでも、絵空事だろう。ハードワークで高給を得たい人も、労働時間と給与がそこそこの人も居場所を見つけることができる「雇用の多様化」が現実的な目標ではないか。
そのためには、まずは「嫌なら辞められる」人を増やす世の中を作ることである。これを実現するためには、セーフティネット付きで雇用の流動性を高めることが必要だ。解雇規制を緩和し、企業に負わせている過重な社会保障を軽減することで、起業や雇用を増やすことが考えられる。
優秀な人材が集まらなくなれば、企業はやり方を変えざるを得ない。経済合理性で動く企業を動かすためには、このようなアプローチしかない。しかし、企業を敵視する本書には、このような視点がないどころか、逆の手段を取ろうとしているように見える。
例えば、「労働組合やNPOへと相談し、加入し、新しいつながりを作る」ことがブラック企業をなくす社会的戦略としているが、強い組合が総合電機メーカーのリストラを阻止してきたことを考えても、流動化と逆行する方法が全体を改善するようには思えない。
また、「『正社員であること』を唯一の解答として与えられてきた若者」に、正社員になっても安定が保証されない現実を「残酷としかいいようのない事態」としているが、バブル崩壊から20年も経とうというのに、そんな甘い「解答」を持った若者などいるのか。
本書には「有益な若者」という表現が何度か出てくるが、いくら有名大学卒でも、人文系出のお嬢様を多くの企業は「有益な人材」と見なしていない。ここに学生と企業の大きな認識ギャップがあり、職場とのミスマッチが起きる一因にもなっている。こういう点についても、現実の企業の視点を冷静にとらえて、多くの若者が本当に救われる助言をしてもらいたいものだ。
http://anond.hatelabo.jp/20120619092231
http://anond.hatelabo.jp/20120620163842
ラガルドIMF専務理事がギリシャ人は脱税ばかりしていると批判した時、日本のウェブでの反応は、ほとんど「その通りじゃないか、ギリシャ人はいい加減だ」というものばかりでした。英語圏のニュースサイトでは、もちろんギリシャを罵倒するコメントもあったのですが、それよりもずっと多かったのはギリシャを国際金融の犠牲者と見なし、短絡的なラガルドを批判する、いわゆる反ウォール街・反グローバリズムの視点からのIMF批判でした。返し刀で、IMF専務理事の特権を活用してラガルドが税金をほとんど収めていないことがスクープとして明らかになり、海外のニュースサイトでは大きく取り上げられたのですが、これなども、反ウォール街の文脈があればこそ、そういうネタを発掘する力学が働いたものと思われます。
こういうのを見ていると、日本は良くも悪くも「国民国家」なのだなあと感じます。海外では「国境」が流動化し、その分だけ、「階級」がより鮮明な存在感を持ちつつあるようです。日本も本当はそうなのかもしれません。多くの人が気づいていないだけで。
ギリシャ危機も始まってから結構長く時間がたっています。私も最初は、ギリシャ政府の行為、ギリシャの国民性が問題だと考えていました。そこに問題があるのではないと思うようになったのは、この危機の様相が次第次第に変化していったからです。
ギリシャ政府の負債比率の虚偽報告があり、それが明るみになって、信用不安から流動性の不足が生じました。この時点では因果関係は単線的で、ギリシャに原因があるのは明らかでした。
しかし、事態は波及していきました。イタリアのようにプライマリーバランスが黒字で、なおかつ流動性が不足するのは異常な事態です。債務比率も決して高くはない国々も流動性の危機に直面し、対症療法として緊縮財政をとっていますが、それだけではどうにもならず産業競争力、つまり貿易収支を改善しなければならないという話になっています。
この危機が、単に一時的な事件を契機とした信用不安、流動性の不足が原因でないことはもはや明らかです。
それは通貨ユーロと、財政の不統一というEUの構造的な問題に由来していることはだれの目にもはっきりとしてきました。
ギリシャには多々、問題があるのは確かです。確かですが、それが危機の原因ではないのです。もちろん、ギリシャがドイツのような、尋常ならざる財政均衡への執念を持ち合わせていれば、この危機でギリシャがターゲットにされることはなかったかも知れません。しかし仮に、プライマリーバランスの黒字を維持していたとしてもイタリアやスペインのように、危機に陥ったかも知れません。
構造的な原因としては、バブル化した資本のサプライサイドの問題があり、こうした事態が発生した時に機能的に動けないユーロゾーンの問題があります。
ギリシャが悪い、ドイツが悪いと他人事のように言っていますが、忘れてはならないのは日本は世界最大の債権国だということです。米国債ばかりを買っているわけではありません。80年代バブルを引き起こしたのとまったく同じ資本が、円キャリートレードでゼロ年代に世界的なバブルを引き起こした可能性が強いと私は見ています。
日本の機関投資家や金融機関がサブプライムローンのような質の悪い債権や、ギリシャ債のような信用力の劣る債権を保有している度合いはごく小さいのですが、そう言われて、リーマンショックの時に、比較的被害が少ないだろうと予想されていながらもっとも手ひどく日本が損失を被ったことを忘れてはなりません。
金融セクターは投資をしないと生きていけないのです。この簡単な事実を思い起こす必要があり、そして日本は世界最大の債権国なのです。さまざまなルートを通して、日本資本は世界市場に供給されています。ドイツの銀行が、フランスの銀行が、ギリシャをそそのかした、アメリカの証券会社がギリシャに不正を行わせた、けしからんと言いながら、その資本の出どころは元をたどれば日本である可能性が高いのですよ。
ギリシャ人は先の選挙で、より穏健な路線を選択してくれました。危機はこれで終わりではありませんが、とりあえず、私たち日本人は彼らに感謝すべきだと思います。
今回の選択がギリシャ人にとってどれほど苦渋に満ちたものだったか、想像してみるべきでしょう。
国家会計の不正を行ったのはNDです。PASOKはそれを暴いたのですが、やり方が拙すぎて危機を発生させてしまいました。ギリシャ人が「政治家が悪い」と言う時、具体的に念頭にあるのはNDとPASOKの旧二大政党です。不正を行ったと目される政治家がのうのうと今なお議席を維持しています。怒り、憎悪が満ち満ちて当然ですが、それでも穏健路線のために、ぐっとこらえてギリシャ国民の多数は敢えて、NDを再び政権党につけました。彼らなりの正義の感覚を曲げてでも、国際協調路線を選択したのです。
これは大きな譲歩であると言うべきです。
オーストラリアは医療関係者をオーストラリアに移住させるべく大規模な勧誘を行っています。もう半年以上も給与が支払われていない状況では、さらに半年、ふみとどまれる医療関係者は少ないでしょう。ご存知のとおり、医者ひとり、看護士ひとり、薬剤師ひとりを養成するためには莫大な投資が必要になります。ギリシャがこれまで行ってきた投資の成果を、労せずしてオーストラリアは手に入れるでしょう。個人の移動の自由といえば聞こえはいいですがこれは形を変えた収奪です。社会資本のごく基本である医療の崩壊は目前に迫っています。
ギリシャがプライマリーバランスの黒字を達成するまで、どこまでの収縮がこの先必要になるのでしょうか。
この先、ギリシャのみならず、南欧、ひょっとしたらフランスでも、社会資本の劇的な崩壊に至るかも知れません。メルケルが態度を変えない限りいずれはそうなるでしょうし、そうなれば、EU市民権を持つ彼らはドイツに流入するでしょう。その時になってやっと、ドイツ国民も譲歩を真剣に考慮するのかも知れません。
長年悩まされてきた不整脈が、ほぼ完治してきたので、自分なりの方法を書きます。
もし、不整脈に悩まされている方がいましたら、参考になれば幸いです。
■発症
のように、食い気味の拍や、本来は休符の場所に拍を入れる感じ。
今まで、ひどい風邪をひくとたまに不整脈が出ることがあったので今回もそれかな?と思ってたら、一週間続いたのでこれはよくないと思い病院へ。
■最初の通院
医者曰く、「よくある病気である。基本的には対症療法しかない。カテーテルアブレーションというのもあるが、そこまでの症状ではなく、普通に運動もできる。なんなら私も不整脈なんだよ」ということを言われた。
最後の言葉は、ちょっと医者としてどうなんだ?と思ったけど、結局これといった解決策もなく病院をあとにする。
■運動をしてみる
対策として、あえて運動をしてみた。
走ってて、最初は胸に違和感があったけど、ある程度激しく運動をすると胸のつかえが取れる感覚を覚えた。
その後しばらくは、不整脈が出なくなった。
なんだ、ただの運動不足か、と安心しきってたら数日後あっけなく再発。
また走ればいいやとしばらく放置したのち、再度ジムに行って激しく走ってみたものの、何と不整脈持続。
軽く焦り始める。
■二回目の通院
つまるところ、この手の不整脈は往々にして精神の問題から来るもの、とネットには書いてあった。
確かに、当時の自分は悩める子羊で、仕事の事や将来の事、家族の事など、今となれば「やりゃいいだろ」というような細かいことまで悩んでおり、
それが原因だという自覚があった。
なので次の一手としては心療内科に行ってカウンセリングを受けることにした。
これが解決すれば不整脈も治るかなと足繁く通った。
結果、悩みの一つである将来の事に関しては、転職をしてみようという決意に至り、活動をすることにした。
■サンリズムという薬
直接療法ではないが、症状を軽減してくれる。
仕事に集中できるためしばらくの間服用を続けた。
こんな状態の最中、転職活動を行った俺すごい、と一応自画自賛もしとこう。
加えて、こんな状態でも日々の通院や転職活動を容認してくださった前職の関係者の方に、ホントに御礼申し上げます。
■三回目の通院
転職を果たし、新たな地に移り住む。
さすがに三回目となると、こっちとしても説明も慣れたもの。
自分で「期外収縮」だと言うと、医者もあまり関心がないのか、たまたまその先生が専門外なのか、あまり親身になって聞いてくれなかった。
「あまり気にしないことですよ。運動もほどよくしたほうがいいです。悩みすぎないように」
という、俺でも言えそうな言葉をもらい、何となく釈然としないが薬をもらうためにしばらく通院。
■薬への耐性
薬も服用を続けると、体に耐性ができてしまって、なかなか効かなくなってきてしまった。
成分の密度が濃いワンランク上の薬をもらうこともできたけど、いたちごっこのようにまた効かなくなるだけなので、もう服用をやめた。
その頃には、多少の諦めもあった。
■不整脈が出る周期
説明がものすごく難しいけど、胸のあたりにドーンという深い重みが襲ってくるような感覚、一瞬の焦り、息が詰まる、のような体験をすると、翌日には不整脈の激しさが増す。
かといって、打つ手はなかった。もうカンセリングも受けたし、また受けても同じかなと。
ただ、解決策は徐々にわかり始めてた。
一般的に不整脈の原因の一つとして「自律神経失調症」があり、副交感神経の働きが弱いと不整脈が出やすくなるらしい。
そこで鍼をうってもらい、無理矢理にでもリラックス状態になってみたら何か改善されるんじゃないかと思い、試しに鍼灸院に行くことに。
結果、かなりリラックスはできた。
その他、温泉に行ったりマッサージを受けたりと副交感神経が優位になるようなことを行った。
しかし、完治はしなかった。
■光明
とはいえ、今までなかった「不整脈が出ない日」というのが、ちょっとずつ増えてきた。
何か、もう少しな気がしてきた。
家に居る時は不要な悩み事をしない、腕組みなどの交感神経が優位になるようなことをしない、
などを行った。
そういうクセってなかなか治らないけど、
「もうこれ以上不整脈が続くと、いくら心臓に問題の無い期外収縮とはいえ負担はかかってしまう」
と考えたら、ある種の防衛反応で悩みすぎる事もなくなってきた。
「だって死にたくないもん」と考える事で、細かい悩みは持たなくなってきたように思う。
■とどめの対策
それでも症状は出る。
あとちょっとなのになぁ、と歯がゆい気持ちになり、それが悪循環になり症状が悪化したり。
でも、自律神経の乱れが原因と決めつけて、いろいろ調べた結果、以下のことを試す。
マグネシウムの摂取は、体の神経系の異常を正常に戻す、という記事を発見し市販のサプリを購入し服用を始めた。
すると、服用後1ヶ月でほとんどと言っていいほど症状が出なくなった。
今も再発の不安は残るけど、このまま無くなる気がしている。
一袋300円弱。すごくリーズナブル。今まで高い薬を買ってたのがアホらしく思える。
■まとめ
という結論に至るにはちょっと自信ないです。
結果としてそうなったけど、精神的なものの兼ね合いだと思っています。
発症後すぐに投与しても変わらなかったのかもしれませんし。
1.対症療法についてですが、どうも満足のいくものがありませんでした。(1)結局は露出狂の性奴隷になってしまうような表現が多い。私はそういうの余り興奮しません。無垢なままだからこそ興奮するのです。そういえば中学生の頃、川端康成の「眠れる美女」読んで異常興奮し、誇張ではなく陰茎から出血するほどオナニーしたことがある。あれをまた読んでみようか。
2.根本療法、は、そうかもなと思いました。この露出願望が強烈化したのは事業に失敗してからなので。いまは低空飛行状態で生活は安定しているが、向上したら治るのかもですね。
成人女性の友人は複数おります。しかし全くというほど性欲の対象になりません。考えたことすら無いです。童貞ではありません。高校生の頃は中学生女子、大学生の頃は高校生女子とと付き合っておりました。今でもその頃を思い出してオナニーしています。
肉は殆ど食べません。理由は特に無く、もともとそれほど好物ではないからです。酒タバコもやりません。コーヒーは大量に飲みます。
なるほど。つまり見せ付けること自体が目的ではなく、無垢な少女の心を性的なショックで傷つけることが目的と。
おそらくそういった感情は程度の違いはあれど誰もが持っているだろう。しかし殆どの人の場合、それと競合する他の感情、他人を不幸にしたくないとか、それによる社会的制裁を回避したいなどの思いのほうがずっと強いので充分に抑制されている。
だがあなたの場合はその衝動が非常に強くて困っているということだし、実際に逮捕などはされたくないと思うので、対策を考えてみる。
1.対症療法
その衝動を擬似的に満たすために、希望する状況が描かれている小説、漫画、アニメ、ゲームなどを探してみる。無垢な少女の心を性的なショックで傷つけるシーンというのは割合に好まれる題材であり、多くの作品が出ている様に思う。良質なものを見つけ出したり、またはそれらを探す過程も、いくらかの代償行為になるのではないか。
2.根本療法
そもそも他者を傷つけたいというすべての感情の原因は、自分自身が傷ついていたり傷つくことを恐れていたりすることに対する補償作用とみることが出来る。とはいえそれらを癒すことは簡単ではないので、じっくり取り組んでいく必要がある。
一つは、一般社会的な成功状況を作ること。社会的状況が苦しくなれば、不要な心の負担が増える。学生であれば成績を上げる、社会人であれば収入を上げる、等。
また、ロリコンとのことなので成人女性には性的興味は無いのかもしれないが、人間には性的側面以外にも多くの要素があるので、単に友達としてでもよいので、幾人かの女性と仲良くなったり、楽しく遊んだりして、彼女らの魅力的な点を発見していくようにするとよい。
そして、自分が非常に楽しく打ち込むことが出来る趣味のような活動を見つけるといい。少女に見せ付ける以外にも興味のあることは沢山あるだろうし、それらにエネルギーを注ぎ込むことによって衝動に向かうエネルギーが弱まるし、心が満たされることによる癒しも期待できる。
最後に、自分が衝動を感じた際に、その衝動がどういうものでどこから来ているのかについて、詳しく自分の内面を感じ取って理解するようにしていくとよい。その衝動自体に意識の光を向けることによって、衝動自体も制御しやすくなるし、また、その衝動が発生している原因と対処法についてもだんだん理解できるようになってくる。
あと一つ思い出したが、可能であれば肉を食べるのを控えるといい。肉は無駄に性欲を増やす。魚だけでも健康には問題ない。しかしまったく食べないようにするのは難しいだろうし、なるべく減らす程度でいい。ただ、実験にためにでも3日間ほど肉を一切食べないようにしてみて、それによって衝動がどう変化するかを観察してみるのも面白いと思う。
よき人生を。
それも、昔ながらの偏見=外国人とか男女差とかに関する偏見でなく、
「昔は正しいと思われていたが、実は悪(嘘)だった!」と
「それを知ってる私ってオトナ~」と思い込んで、
その時点で思考停止していることが多いように思う。
(例)
「官僚は昔はエリートと思われてたけど、実は国を操り利権を貪るだけの悪の存在だったんだよ!」
「現代医学は凄いと思われてたけど、実は根本を治さず対症療法で薬漬けにしてるだけだったんだよ!」
「地球温暖化で大変だと思い込まされていたけど、全部、原発ムラが広めたウソらしいぜ!」
「虫食いのない綺麗な野菜はみんな危険!虫も食わない農薬まみれってことだからね!」
・・・と。
もちろん一部は正しいところもあるが、いささか行き過ぎた決め付けが、今や常識のように思われている。
世の中はそんなに単純じゃない。
「いやいや待て、やっぱり悪(嘘)ではなく正しいかもしれないぞ?」
と2回以上ひっくり返して、ちゃんと反論・肯定論も平等に検証し、
そこまでした上で「やっぱり悪(嘘)だ」と批判するならいいが、そんな人は少ない。
なぜなら、この「新しい偏見」の根本にあるのは、ぶっちゃけ「叩く側に居る快感」にすぎないからだ。
コレが広まった結果、本当はそれほど悪くないものにどんどん理不尽な「絶対悪」のレッテルが貼られている。
ある程度までは「不正の監視」の意味でそういう論があっても良いと思うが、最近のmixiニュースへの日記などを見ていると、既にそういう偏見が大勢を占めていることが多い。