はてなキーワード: 宗教施設とは
イスラム教のモスクに、酒や豚肉を持ちこもうとしたら拒否されるだろうし、女性が露出の多いファッションで入ることも拒否されると思う。
ここではイスラム教の価値観が絶対視されていて、それにもとづく作法が強制されている。異教徒は客人として扱われ、その作法に従わないときは排除されるだろう。これは「差別」である。
私は他者危害にならないかぎり「差別する自由」を擁護する。イスラム教徒がモスクの中で異教徒を差別してよいと思っているし、それは当然だ。
同様に、キリスト教の教会はキリスト教徒のために存在し、仏教の寺院は仏教徒のために存在すればよい。そこに市民社会のルールを持ちこむべきではない。
「嫌なら出ていけ」「差別されたくないなら退去せよ」というのが原則だろう。
参考
「差別からの自由」は「差別する自由」に優先する。よって「差別する自由」などというものはない
しいたげられたしいたけ
追記
そういえば真木よう子のコミケ出展騒動で、一部のリベラルが「オタクは不寛容だ」とか「オタクは差別主義者だ」と言っていたけれども、もし皮肉・冗談で言っているのでないならば頭が悪すぎる。
明文化されているかどうかにかかわらず、村には村のルールがあるんだから、それを守らない者が排除されるのは当然だ。
コミケの独自ルールはたしかに理解不能で、オタクのやっていることはキモいと思うが、まあそれだけの話だろう。そこに「差別」があろうとなかろうと、リベラルがしゃしゃり出るべきではない。
追記2
トラバのほうに書いたけれども、宗教施設の内部でおこなわれているマナー・作法の強制は、「差別」と呼ぶべきものである。
もしそれが差別でないとすれば、私たちは公共空間で起こりうる差別を「差別」と呼べなくなってしまう。
モスクでは、性別という「本人の力ではどうにもならない物」を根拠にして、人のファッションを厳しく制限している。
そもそも、特定の宗教団体が定めているマナー・作法なんてものは、まったく合理性がない。それを強制するということは、他宗教の人たちへの差別となる。
宗教団体が施設内でこの「差別」をやっているだけならば、私たちはひとまずそれを自由として尊重するべきだろう。しかし、国家権力がそんな差別行為に加担してはいけないし、学校・職場では差別を固く禁じなくてはならない。
すなわち、宗教や趣味のような私的なコミュニティは、その内部においてのみ「差別する自由」を有する。
だからこそ逆説的に、学校・職場のような公共空間における差別禁止が可能になるのだ。
追記3
モスクが様々なルールをもうけていることに対し、「差別ではない」というブコメが多くて唖然とした……。
べつにこれはイスラム教に限らないけど、宗教の教義とか、作法やしきたりが差別を含んでいるのは明白だ。そこに差別があると感じ取らない奴は、さすがにちょっと頭がおかしいと思う。
そのうえで、宗教団体はその差別的な方針に基づいてコミュニティを運営してよいが、国家の運営や学校・職場においてそれをやることは許されない。要はそれだけの話なのに、なぜこんなに反発されているんだろうか?
(もちろん公共空間と、非-公共空間の境目はわかりづらく、厳密に考えていくと厄介な問題になるとは思うが。)
追記4
id:taka37564 なんで差別問題になると、こうも頭の悪いことを言う人が出てくるんだろう。お前は「差別」を「殺人」や「強姦」に置き換えても同じ事が言えるのか?
え? 同じことが言えるわけねーだろ?
はてなのリベラルって、こんな頭のおかしいヤツばっかりだなww
モスクの中で殺人や強姦をする自由はない。だが、差別をする自由はある。
例えば、「女は露出の多い格好をするな、顔にはスカーフを着用しろ。この命令に逆らった女は排除する」などというルールは、まぎれもなく女性差別だ。しかし、イスラム教徒がモスクをこのようなルールで運営することを、われわれは彼らの自由として保障するべきである。
無論、このために世間から女性差別という評価を受けるだろうが、それはイスラム教がそういう宗教だということにすぎない。
彼らが改革をして近代的な宗教としてアピールするもよし、昔ながらの閉鎖的な古臭い宗教としてやっていくもよし、どちらの道をとることも我々は容認するべきだと思う。
という言葉があればいいのに。
憲法に宗教の自由(信教の自由)がある時点で、他のハラスメントのように問題にならないかもしれない。
ただ、家族が巻き込まれているので、どうすればいいのか困っている。
家族が巻き込まれていると書いたが、巻き込まれているのは主に私の母。
巻き込んでいるのも、また家族。
私の小学校入学時、A子さんが経営する会社に、引き抜きのような形で、母は務めることになった。
後で聞いた話によると、この頃からもうすでに、A子さんは新興宗教にハマっていた。
A子さんがその新興宗教を信仰していると母が知ったのは、私の父に病気が判明した時。
「もうあなたの名前は登録してるから。集まりに行ってお経を唱えれば、あなたの旦那さんも良くなるわ。」
A子さんが上司でも年上でもあることから、母もなかなか断れず、ふたりは宗教施設に出かけた。
それからも断れず、宗教施設や集まりに母は何度も連れて行かれた。
母が信じているのかはわからないが、
A子さんのように、親戚の名前を登録したり、宗教団体にお金を納めている。
いつの頃からか、私も一緒についてくるようにと言って、無理矢理連れて行かれた。
最初は何がなんだかわからず、それが宗教であるとも知らなかった。
「A子さんに報告しなきゃいけないし、お父さんが良くなるように一緒にお願いしよう。だから、ついてきて。」
そう言われ、何度も連れて行かれるようになった。
私は、何がなんだかわからないが、その場に行くことは、母にとっても良いことなんだろうと信じていた。
それが一転したのは、父が亡くなってからだった。
今まで、父のために祈っていたのは何だったのかと、考えるようになった。
母が、少ない給料から食費や自分の洋服代を削って、わずかなお金をかけて祈っていたのは、何だったのかと。
それから、その宗教施設に連れて行かれても、至る場所で目に入る金のかかった設備に、どうしてこんな所にいるんだと思うようになった。
その気持ちを、母に「もう行くのやめよう」という言葉でぶつけた。
しかし「A子さんと関係が悪くなれば、仕事に影響が出る。だから、行くのをやめることはできない。」と、母は言った。
それからも母は宗教の集まりに行くことを止められず、A子さんに予定を決められながら、今も行き続けている。
ただ、母が本当に、心の底から、その宗教を信仰しているのかはわからない。
その宗教の集まりに行きたくなくなったのは、そのほかにも原因はある。
A子さんには、旦那のB男さんがいる。
A子さんの家族が代々経営してきた会社で、B男さんは婿養子に入った。
他の女性の影もあったとか。
数年前、B男さんが脳梗塞で倒れたからだ。命に別状はなかったが、麻痺が残った状態である。
リハビリを受けながら、A子さんに支えてもらって生活しているらしい。
今まで『ありがとう』や『いただきます』を言わなかったが、今では言うようになった。
嫌な関係も清算できた。
きっと教祖様は見ていてくれたのだ。
確かに、旦那に愛想をつかれて、ほかに女性がいて、寂しかったのかもしれない。
それでも!
旦那が苦しんでいる、思うように体を動かせずにもどかしい、その状況を、感謝している?!?!
A子さんがどうしてこんなふうになったのか、どうしてそこまで宗教に感謝できるのか
と考えるようになった。
それから、その宗教からどんな救いがあったか、A子さんから聞かされても、頭に入れないようにしている。
もし母のように、
親戚や友達、同僚、上司などの親しい人から宗教を勧められたら…
その人に嫌われてもいいから、
仕事を辞める羽目になってもいい。
拒否する!!
だけど、一度考えてみてほしい。
そのせいで、自分の大切な人を巻き込んだり、自分で必死に稼いだ金や、ゆっくり休める日も手放してしまう。
そうして考えた時、まだ宗教のおかげだ!と思えることがあるなら、信仰し続けてもいいと思う。
と、私は思う。
※ただし※
宗教を信仰していても、みんながみんなA子さんのようだとは限らない。
宗教が悪だとは限らない。
ここまで書いて、宗教団体からのハラスメント『レリジャスハラスメント』なる言葉があることを知った。
詳しくは調べていただきたいが、私のケースとはまた違うだろうと思う。
A子さんが信仰している新興宗教も、別に嫌な団体だとは思わない(奉仕活動など、町に貢献している部分もあるらしい)。
多少、自分たちの金が、こんなに使われているのかとは思うが…。
とにかく、宗教には気をつけてって話、でした。
沖縄の抗議活動を手動している人物が「朴」さんだと言うことが明らかになっているが、コレを問題としている主要メディアがいないことに違和感を感じている。
外国籍の方か、在日の方かわからないが、どういった人がどういう思想で行動しているのか明らかにすべきではないだろうか?
場合によっては、日米の関係性を悪くすることを目的とした、第三国の動きであることもありうるのに、コレが報道されていないのは問題だと思う。
もし、在日の方であれば住民として反対しているのだろうか?問題発生以前からの現地の住民なのだろうか?立場をはっきりさせるべきだ。
まして、日本国としての主権者ではないのだから、立場と主張をはっきりとしてほしい。
在日、外国人の権利とデリケートな問題を含んでいると日本のジャーナリストは報道を避ける傾向があるようだ
もし、外国人や海外の勢力が何らかの意図を持って日本の世論を操ろうとしていたり、
活動をしているのだとしたらこの情報を正しく一般市民に提供するのはジャーナリズムの責任なのではないだろうか?
ジャーナリストは国家権力の監視に熱心なようであるが、ジャーナリストが監視すべき権力、力は国家のみなのか?ナショナリズムのみなのか?
国外勢力と一部の政治家の癒着や、協力体制は監視の対象にならないのだろうか?
疑問に感じている
日本で人権活動と言われるものは、主に韓国、朝鮮、中国籍の人の権利を守ることのように報道されている
米国基地に勤務している米国人にヤンキーゴーホームということは人権侵害ではないと活動家や政治家が発言している。
本当だろうか?
「どんな出自の人でも、資格に応じて平等にあつかわなければならない」それが人権の基本的な考え方であると
少なくとも私は教わったし、そのように考えている。
法律で、条約でそこに住む権利を有している人に対して、私生活が充分に送れないような妨害、
それぞれが解釈する「人権」を追い求める中で、自分たちの権利を追い求める人たちが好き勝手に「人権」を定義して喚いている
守るべき「人権」はなんなのか?をそろそろ政治家もジャーナリストも議論すべきなのではないだろうか?
そして、自分勝手な「人権」主張を批判すべきなのではないだろうか?
ヘイトスピーチばかり規制しようという声が聞こえているが、一方で日本人が被害にあっているヘイトクライムが問題にされていない
靖国神社は放火や爆弾の被害にあっているし、わざわざ外国籍の人が来日して宗教施設が破壊される事件まで起こっている。
反民族教育や反民族思想が原因だと容易に想像がつくのに、人権団体はこれらの事件を批判していない、報道もされていない
本当に人権保護活動を目的としているのであれば、人権活動家はこれらの事件を批判すべきだし、批判しない人権活動家は報道によって批判されるべきなのではないだろうか?
だれが、どこから支援を受けて何を目的に活動しているのか、誰も報道していない
そのことに素直に怖いと思う
以下の記事での「不正」について技術者の多い?はてなユーザーらしくないブコメがついてるので調べてみた。
http://www.soumushou.com/entry/2016/09/24/185531
これはまあそうだろうなあとしか。何を今更おまいら優等生ぶってんの?人の敷地や道路上、宗教施設にポケモンを表示させたりジムやポケストップにするのは不正だしマナー違反だろそもそも。自分たちが何を言ってるのか、よくよく考えてみてくれ。
この記事では以下のことを書き述べたい。
これはポケタン運営が苦情を言ってるし実証済み。ただしこれだけを表示しているわけではない。ポケタンより精度が高い。
これは表示されない地域とされる地域にはっきりと分かれるのでわかる。ユーザーの多い地域には確実に表示されている。田舎には表示されない。つまりピーゴサーチを起動しているユーザーが多い地域のポケモンが表示されていると予想される。
このことから、ユーザーの端末の何らかをピーゴのアプリが読み取ってピーゴのサーバに送信していると推測される。
◆ユーザーが捕獲した場所ではなく、近くにいるポケモン情報からポケモンの位置を特定している。
これは、ユーザーが入り込めない、捕獲できない場所でも表示されていたため推測できる。数人の「近くにいるポケモン」情報を読み取って位置を確定しているようだ。
・ピーゴサーチを使うことは正しいことか。
長期的には正しい。名古屋の鶴舞公園は以前にレアポケモンが出まくり聖地とまで言われていたが、ピーゴサーチで見る限りGo運営が意図的にポケソースから外したことがわかる。
これによりユーザーの行動に変化が起きている。
ポケストップはどんどん削除していいと思うよ。
学校敷地内にあるポケストップって、申請なしで削除されてないか?近所のポケストップが消えてたんだよね。
宗教施設とか観光地とか箱物公共施設とか商業施設とかは全部削除。あるいは入り口の公道上から届く位置に移動。
誰でも立ち寄って滞在できる公共の公園とか、街角のオブジェとかおもしろ物件だけでいいと思う。
入り口付近にさえ「来るな! 邪魔だ!」とか、「歩道で立ち止まるのは迷惑。端に寄ろうと進路変更するな。」とかだと……
昔の「寺」というのはもっと身近なものだった。 屋台が集まったりするし、子供の遊び場でもあったし、教育の場でもあった。 大人にとっても社交の場として機能していた。 宗教施設であると同時に大衆にとって利便を提供する場でもあったのだ。
そういった昔の「寺」を復活させたいと、新しい寺を作った人がいる。 利便寺と名付け、皆に利便性を提供することでより身近なものとして感じてもらえるように、そして信仰もまたより身近であるように。
しばらくの間は利便寺はよく機能した。 人が集る場所になり、説法を聞く人も増えた。
だが、利便寺 (りべんじ) という名前が良くなかった。 リベンジを、復讐を願う人の聖地となり、更にそれをあてにした復讐代行業、つまりはヒットマンが常駐するようになり柄の悪い場所になってしまった。 宗教組織としての不可侵性故に警察も介入をひかえてしまい、手をつけられなくなって、しまいには寺そのものが乗っ取られてしまった。
地元が戦場となっただけに背走する軍隊からは大量の脱落者が生じる。
だが、その一方で増田家は致命的な一撃を敵にむけて放っていた。
増田中弐にひきいられた船団は、彼の旧領をめざして一路、西進。
途中で嵐に遭い、三万人のうち一万人しか残らなかったが、
指揮官の不屈の闘志に牽引され、満月の大潮を活かし軍勢を増屋近くに上陸させた。
このことを増田家(士)東征軍はまったく察知していなかった。
老兵ばかりの居残り部隊が送った急使は旧増田家(九)の陸橋部分で片っ端から始末された。
これは、忍びたちの働きによるものだ。また、占領されて日の浅い現地住民も増田家(士)に非協力的であった。
そして、西方での驚くべき活動が、当主たちの耳に入る頃には、みやこ周辺の情勢も、のっぴきならないものに化けていた。
増田軍の手癖の悪さが原因である。常に文明の先進的地域を占領し続けてきた増田軍には略奪癖がついていた。
それがみやこを前にしても発揮されてしまい人々の恨みを買った。
最悪なのは宗教施設にまで手を出してしまったことで、増田軍は強烈な反発を招いた。
前の支配者向けに用意されていた一揆が新しい支配者向けに発動され、占領軍に出血と分散を強いる。
しかも、旧増田(七)領の西方国境城塞群は整備しなおされ、一揆勢を招き入れて強力な迎撃体制を整えていた。
増田軍は進退窮まった。一度も負けていないのに、増田島の覇権をめぐる戦争を失おうとしていた。
逡巡の後、現実を認められない家臣たちを物理的に排除して、増田家の当主はみやこからの撤退を決意する。
だが、すべては遅すぎた。
今度は増田家(八)の南海岸側の船団が三万の上陸部隊を満載して陸橋部に突進、かつての経験を活かして上陸を成功させたのだ。
そこに増田家(九)の旧臣が続々とあつまり、臨時の砦を築き、破却された山城を修繕した。
本領を回復した増田中弐も援軍を送り込んできた。彼の船団から嵐ではぐれた二万から合流する者もあった。
本拠への帰還をいそぐ増田軍は一揆勢の追撃を受けながら、この足止め部隊と衝突した。
彼は八万から五万に減った敵の鋭鋒を受け止めず、陣地を活用して逸らし続けた。
勇猛で後のない敵の攻撃で陣地は次々と陥落したが、そのかわりに敵は貴重な時間を失った。
しかも、陸橋の後方では新しい陣地が建設されつづけていた。さながらアキレスと亀の状態である。
武具が傷つき、腹を減らした増田軍(士)の有様は無惨なもので、ついにやせ我慢の限界を超えた。
陣地ではインフレが発生し、ひとにぎりの食料が非常な高値で取り引きされた。
ちょっとしたことでの諍いから殺し合いが発生するのも日常と化してしまう。
そんな有様も増田同盟軍の忍者は逐一上司に「ウェーイ」「キィヤー」☆報告「……」等と報告した。
「そろそろか……」
増田大学は増田中弐から送ってもらったある部隊に連絡を取った。増田匿兵衛に授けられた計略を実行するときだ。
その夜、前線の陣地からは増田家(士)が多用する戦闘用熊、武熊の雄叫びが繰り返し響いた。
こうして、彼らの本拠地が占領され、帰る場所もないことを敵に知らしめたのだ。
実際はまだ縁辺部を侵しただけだったのだが、心理的な効果は絶大だった。
ちなみに本来武熊を使役する立場の増田軍では武熊は食料に化けてしまっていた。
絶望した増田軍からは自殺者や脱走者が続出し、当主も弟に後をたくして腹を斬った。
一週間後、増田家は完全に降伏した。最弱の将と軍が、最強の将と軍を倒したのだ。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160616041243
次回
増田島。モンスーン気候に含まれ大陸の東岸に位置するその諸島では多くの家が覇を競い、謀略と決戦による離散と集合を繰り返したあげく、十一の家が生き残っていた。
一つ目は増田家。
増田島の北端部に位置するこの家は北方の豊かな資源を中継する立場にあり、回船によるすいすい水上交易で莫大な財産を築いていた。威信財を重視する家風がもたらす物欲のせいか増田家では内乱が起こりやすく、せっかくの資金力を安定して外征に投じることができなかった。厳しい冬の気候も遠征の障壁となっている。しかし、大量動員されたときの傭兵軍団の力は本物であり、革新的な当主にひきいられて都へ上ったことも何度かある。
本拠は増湊。
前述の増田家の南東に位置する増田家では、婚姻外交が盛んであり、周辺諸国や有力家臣のほとんどと血縁関係を有している。送り込んだ夫人とその侍女団によるもはやスパムめいた文通による諜報活動が増田家の地位を巧みに保ってきた。反面、他家の内輪もめに巻き込まれることも多く、いまいち地域の主導権を掌握できないでいる。
結婚はそろそろ分家に任せておけ。戦争せよ。が、新当主のモットーである。本拠は増谷。
三つ目は増田家。
増田家の南西、そして増田家の西に位置する増田家は、古代先住部族の血が濃く、やや異質な存在である。増田家内部でもその意識が強いため、かえって先進文化を取り入れることに熱心であり、増田海を利用した通商が盛んに行われている。北の増田家とは海上交易権をめぐるライバルでもあり、自分たちの土地よりも交易先の港で激しく干戈を交えている。ぶっちゃけ非常に迷惑である。両家の争いは都の外港である増瀬を炎上させたことがあり、そろって出入り禁止を言い渡された。
前代当主は大の鯖好きであり、そのために港を手に入れた。
本拠は増浜。
四つ目は増田家。
入港禁止を言い渡された増田海側北方の二家の縄張りに横から失礼する形で頭角を現してきたのが増田島の背側にある増田家である。もともと繊維の有名な産地であったが、一般には無骨な武人と思われながら実はトップセールスに優れた一面をもつ当主によって、繊維の染色から加工、納入までもこなす重商国家へ変貌を遂げつつある。
植物性繊維の染色に欠かせない明礬の鉱山の帰属を巡って、二つ目の増田家の南にある増田家と激しく争っている。
本拠は増館。
五つ目は増田家。
増田島最大の平野部を領有する増田島南東部の増田家は比較的あたらしい家であり、この時代を象徴する存在である。高度にシステム化された統治機構と徹底的な遠交近攻策によって平野部を平らげて来た。
しかし、近年は領土拡大に伸び悩みはじめており、また農業以外の産業育成にも苦戦している。四つ目の増田家と泥沼の戦乱状態にあるが、敵の求めているものをいまいち理解できていない( ・ิω・ิ)。
六つ目は増田家。
古くからの名門である増田家は、いわいる主語が大きくなった例としてよく知られる。きわめて機会主義的で行き当たりばったりの外交政策をとって来たため周囲に味方がまったくなく、いままでのツケを払わされつつある。それでも、他家の当主を低能とやたら罵倒する。
増田家が攻め込んできた時だけは、普段はいがみ合う増田家も同盟を結んで侵略者を撃退したという。そして撤退する増田軍の背中に塩をまく。敵に塩を送るの由来である。
本拠は増台。
七つ目は増田家。
商業の結節点である増津をおさえる増田家は財政的に非常に豊かであり、宗教と結びつく禁断の政策によってますます富を集積している。本来は宗教施設にしか使用できない角度とかにうるさい石垣技術をもちいた国境城塞群は難攻不落であり、増田家の富に垂涎する敵の侵攻をにべもなく、はねのけ続けている。女装癖の当主は勤勉で、年中むきゅうで働いている。しかし、増田島を統一する意欲には乏しい。
長く続く戦乱が武器産業に利益をもたらし、彼らが共依存する宗教にも信者獲得の機会を与えているからである。
本拠は増津。
八つ目は増田家。
都の周辺を押さえる増田家はいちおうは天下の号令者の立場にある。だが、前代未聞の宮中脱糞事件を含む不祥事続きで尊敬を完全に失っており、洛書にあざけられない日はない。結果、「都の地方勢力」に堕している。
支配する人口は非常に多いが文化的な反面、戦争に向かない人材の割合が多く、暴力による意志の強制にも成功していない雑魚ナメクジである。
本拠は増居。
九つ目は増田家。
増田島の長く狭い陸橋部を支配する増田家は律令制時代の駅長にはじまる豪族の出であり、社禝を守りじわじわと支配地をひろげていった結果、豪族からの二段JUMPで西増田島一の勢力と謳われるまでに成長した。
彼らが都の増田家を制圧してしまわないことは長年の謎とされている。下手に関わっても火中の栗を拾うだけであり、遷都などすれば柔弱な気質に染まると中興の祖が言い残したことが影響しているらしい。西方には年々攻勢を強めており、完全制覇がなれば都を抑えにでるとの観測もある。
本拠は増州。
十番目は増田家。
古代から大陸に対して開かれた湾港都市、増屋を支配する増田家は渡来人の血が濃く、一族の中には毛の色が増田島人一般とは異なる者までいる。大陸から導入した兵器を大量運用することで戦術や武勇の不足をおぎない周囲の弱小勢力を打倒した増田家であるが、より大規模な九つ目の増田家と十一番目の増田家との戦争では、文明力の差を軍事技術で埋められ、苦戦している。最後の三家の争いを特別に増田三国志と呼ぶこともある。
本拠は増屋。
十一番目は増田家。
増田島南端に位置する増田家は武勇の誉れ高く、それ以上に攻勢を一方向に集中できる利点を駆使して、勢力を拡大してきた。なお、家中は新参者に限らず犠牲になる粛清の嵐であり、酒の席はいつもピリピリしていたと言う。大喜利に滑った人間には容赦がない――が大喜利を強要する。
本拠は増林。
さあ以上、十一家の中で増田島の支配権を握るのは、どの家だ!?きみも当ててみよう。
次回
俺が二十年間欠かさず続けてるオナニー
人よりも優れてること、継続していること、好きなこと、
それがオナニー
どんな指の形でストロークパーミニッツで後処理の仕方はコスパやリスクを考えて
そういうのを書いて後世に伝えていきたい
風俗とは、1度足りとも彼女がいたことのない社会不適合者の私にとっては介助施設であり、
風俗とは、人の温もりを知らない私が唯一人並みの愛と温もりを感じ魂の救済を受けられる宗教施設である。
とりあえずfc2ブログに作って見たんだけど、
20年ほど前ならただの子供の日記でさえ1日100人以上アクセスがあったのに、
新天地など探しには行かないということでしょうか?
大手アフィブログですべて事足りてしまうということなのでしょうか?
記事内にいろいろ貼った後に審査通らず大きくやる気削がれてしまったので
なんかアドバイス頂戴
あとはどういった記事が読みたいとか、まともな記事一つしかないけどこう変えたほうがいいとか助言ください。
とりあえず月5万稼ぐのを目標にして稼いだ金額はすべてブログ記事に還元されるような
その場合経費になるのかな
樋口毅宏の小説『さらば雑司ヶ谷』は、東京都豊島区の雑司ヶ谷を舞台にした小説。ゲリラ豪雨、幼なじみとの恋、やたら強い中国人との愛憎入り交じる関係、オザケンとタモリなどがごちゃごちゃになって、一気に読めてしまう楽しい(←人による)話だった。主人公の祖母は大きな宗教の教祖なんだけど、続編の『雑司ヶ谷R.I.P.』では教祖だった祖母が亡くなり、後を継ぐことになった主人公に大きな困難が降りかかるという話だった。
主人公が継ぐことになる宗教は、雑司ヶ谷に本拠地がある「泰幸会」。都電の庚申塚駅(新庚申塚だったかも…)の近くに「泰幸会スーパーアリーナ」という大きな宗教施設を持っているという設定。ちなみに庚申塚駅というのは「おばちゃんの原宿」で有名な巣鴨地蔵通りの終点にある駅。ここを読んだとき、なるほど!と思った。雑司ヶ谷から庚申塚は都電で行けるということだけではなく、巣鴨のまわりには大きめな宗教施設がやたらとたくさんあるからだ。
巣鴨駅の近くには創価学会の東京戸田記念講堂、三田線の隣駅である千石の閑静な住宅街にはパルテノン神殿のような天心聖教の本部聖堂、巣鴨と大塚の間くらいには真如苑の大塚支部、西巣鴨というか西ヶ原四丁目には天理教の大きな教会。大きくはないけど、大塚にはサイエントロジー東京もある。もちろん、地蔵通り商店街にはとげぬき地蔵で有名な高岩寺もある。巣鴨に宗教施設がたくさんある理由はよくわからないんだけど、これだけの集まっているのはある意味すごいと思う。
そういえば、『さらば雑司ヶ谷』が大きな影響を受けているであろう『池袋ウエストゲートパーク』がドラマ化された際、長瀬智也演じるマコトの実家は池袋の果物屋だった。東京で暮らすようになって、池袋駅の北口にある小さな果物屋さんをみつけたときには「あのマコトの実家だ!」と感激したものだった。『雑司ヶ谷R.I.P.』に出てくる「泰幸会スーパーアリーナ」が庚申塚にあることを「ありそう!」と感じるのは逆だけれども。
夕暮れの巣鴨の地蔵通り、とげぬき地蔵の前で、メイドさんが呼び込みをしているというカオスな風景を見て、そんなことを思い出した。
うんと、国際世論も中国とかの各国も、別に日本の常識に沿って動いてるわけではないんだ。
時代の変化もあるし情勢の変化もあるし、どのタイミングでどの様な反応をするか、ってのはある意味やってみないとわからない部分もあるから、
中国が防空識別圏なんかはある意味かけみたいなものだったかもしれないが、うまいことしれっと広げる事が出来た、って結果。
一方、日本の首相は馬鹿すぎて、結果は予想してた日本人は居たけども、首相にとっては予想以上に反感を食らった感じでしょう。
最も悪い状態があるとすれば、反感を十分に理解できてない、ということだけど。
少なくともアメリカにあそこまで気を使わせる様な文章を書かせてる状態は普通ではない。
強くなるということは我儘言って反抗してでも我を通すだ、っていう厨二病とも取れる様な行動を国家のトップがやってることが余りにおかしいだろ。
靖国は所詮は民間の宗教施設で、靖国にまつわる問題とは全く関係なく一般人も参拝しているし、
平和に対する罪を持つA級戦犯にしても死後も辱めることはない、と受け入れいている人たちや遺族もいる。
そんな中で靖国自体の問題点をあげつらって総理の靖国参拝をより否定しようと頑張ってる人たちのやり方は、
背後に靖国自体を否定したいと思う気持ちだとか靖国を肯定する人たちを否定したいと思う気持ちが垣間見えるのに、
追記:ブクマを見たけど、わかりづらかったようなので質問を変えるよ。
答えを見て自分でも気づいたけど、私が聞きたいのは、君たちはどうすれば、どうなれば納得するのか、
君たちは公人でない一般人の靖国参拝や靖国神社それ自体の存在、総理のあり方に対してどう思っているのか、を確認したかったんだよ。
もう回答済みの人は詳細な回答でだいたいこれに答えてる人も多いしそれでいいよ。
この中で参拝しないで欲しいのはどこから上?
一般人の参拝すら許せない?
今物理的に潰せるか潰せないか、とかじゃなくて、実際に靖国神社がなくなって欲しいと思っているかどうかを聞きたい。
仮に靖国の運営方針が変わってA級戦犯の合祀をやめればそれで問題ないとするのか、
あるいはそれに加えて遊就館の展示内容が歴史認識を踏まえて戦争を否定する良い方向に変わればそれでいいのか、
やはり靖国がどれだけ変わっても来歴からその存在自体が否定されるべきものだからなくなって欲しいのか。
国家神道についても同様だね。
靖国さえ解決すれば、あるいはなくなればいいのか、国家神道的なものはなるだけなくなって欲しいのか。
英雄視
やむをえなかったなどの消極的肯定
なるだけ言及しない
個人の罪として扱うのではなく国として反省のよりどころにする
一切の行いを否定する
A,B,Cそれぞれに対する態度は?
実際目の前にその戦犯が生きていて、あなたが彼に何をしても許される状態にあるとしたら、あなたはどうする?
とにかく戦争がしたい
日米同盟を破棄したり国連を脱退してでも中国や韓国と再び戦争をして勝ちたい
必ずしも領土が取り返せなくても・あるいは奪われても構わないが平和的手段で解決したい
総理の内心についてはいろんな主観が考えられるわけだけど、総理が今参拝した理由をどう考える?
総理の歴史認識や今回の参拝を踏まえて、総理は外交についてどう考えていると思う?
本当にいろんなところで言われているような過激なことを考えていると思う?